<2007.08.30更新分>
8月25日(土)、26日(日)『戊辰戦争研究会長岡集会』 新潟県長岡市にて









戊辰戦争研究会の長岡集会は、大変なにぎわいでした。
会場の長岡市中央図書館には80人もの方々がお見えになり、長岡市長のご挨拶もありました。
河井継之助研究の第一人者稲川明雄さんのお話はさすがでした。
最近発見された河井の写真も見せてもらいました。
東忠での昼食もすばらしかったなぁ。


<2007.08.23更新分>
昭和52年 中国にて

歓迎の踊り

民兵隊

中国の客船ヨウカ号1万t

女性も小銃を持っていた

腕章をつけた紅衛兵
これは、30年前の中国旅行の時の写真である。
まだ中国旅行は解禁されておらず、中国から招待されないと入国することができなかった。
私は、日中友好協会の視察団に加わり、中国の客船で東京から上海に向かい、
大連に入り、ここから旧南満州鉄道の列車に乗り、瀋陽まで行った。
これから3回シリーズで30年前の中国を紹介する。

*part1
当時中国には民兵の組織があり、どこに行っても軍事訓練の風景を見ることができた。
紅衛兵もいて、すごい雰囲気だった。
後で知ったが、民兵同士が戦争を起こし、各地で内戦があったといわれる。

<2007.08.17更新分>
7月18日 茨城県阿見町にて

当時の予科練校舎の風景

戦車があったぞ

私も記念撮影

予科練生群像

山本五十六の銅像もあった
茨城県阿見町に出掛け、旧日本海軍の予科練の跡を見てきた。
現在ここは、陸上自衛隊の武器学校になっており戦車が並んでいたが、
私が見学したのは予科練の記念館だった。
予科練とは、日本海軍の飛行機の搭乗員を養成する学校である。
15才以上の若い青少年が土浦や各地の海軍航空隊で飛行技術を学び、
多くが特攻隊員として大空に消えていった。
<2007.08.09更新分>
7月28日(土)、29日(日) 戊辰戦争研究会鹿角集会 *part2
秋田県鹿角市にて


秋田県鹿角市の地図







*part2
花輪の鉱山跡の見学や参加者の方々との懇親会、
探訪の途中で見かけた石仏や墓石などのスナップである。
私の傍にある墓石には「官軍秋田藩 月居才助墓」とあった。
秋田藩は官軍で同盟側は賊軍であった。

<2007.08.02更新分>
7月28日(土)、29日(日) 戊辰戦争研究会鹿角集会 *part1
秋田県鹿角市にて


秋田県鹿角市の地図

鹿角集会で秋田の戊辰戦争研究者
吉田さんから話を聞いた

鹿角は賊軍とされ
大館は自らを勤王官軍と呼んだ

南部藩家老楢山佐渡の像

佐渡がかぶった軍帽をかぶる
寒河江仙台支部長

鹿角と大館の境の山
この辺は激戦地だった

大館は鹿角の隣
鹿角集会は大変な収穫があった。
鹿角はかつて、南部藩である。隣の大舘は秋田藩である。
南部藩と秋田藩は共に奥羽越列藩同盟の一員として、
薩長と戦っていたが、ある日突然秋田藩は同盟を離脱した。
怒った南部藩は大館に攻め込んで火を放った。
その激戦の跡を見てまわった。
次週*part2に続く