<2007.10.24更新分>
戊辰戦争研究会 三斗小屋集会 *part2〜茶臼岳

いよいよ出発である

こんなところを行けるのだろうか・・・

頂上まではまだまだ・・・

ものすごい噴煙の中を行く

寒河江君の背中には私の赤いリュック

寒河江君には悪いが身軽な感じでやや涼しげ

だいぶヘトヘトの参加者たち

ようやく頂上を捉えたぞ

さすが標高1,897m!ダテじゃない
戊辰戦争研究会『三斗小屋集会』続報!!
*part2*
三斗小屋温泉に泊まった我々一行は、翌日、那須の霊峰茶臼岳を目指して朝早くに出発した。
ここは大げさに言えば、ヒマラヤではないかと思うほど断崖絶壁が続き、
私は、リュックサックを背負うことが出来ず、若い寒河江君に背負ってもらい、
瓦礫の登山道を登った。
山頂はなんと標高1,897m!!!!!
もう、やっとの思いで到着し、そこで食べたおにぎりのおいしかった事。
登山家の田部井淳子さんが、ここに登ってインスピレーションを受け、
登山家の道を歩み始めたという大変な山だった。


<2007.10.09更新分>
戊辰戦争研究会 三斗小屋集会 *part1*

板室の集落

板室古戦場碑

最初はニコニコ顔の参加者たち

あとで何度もこけるとは知らずに元気いっぱいの私

すごい峠道

崩れ落ちた橋 ここで一人が川に落ちた(> <;)

途中、熊に注意!!!

やっと宿場跡に着いた

そこには地蔵仏があった
*part1*
戊辰戦争研究会『三斗小屋集会』速報!!
栃木県那須町板室から三斗小屋宿場までおよそ5時間の行程であった。
かつてここに会津中街道があり、そこを辿ったが、今では”道なき道”で、
何度も転倒しながら登ったり下ったり、へとへとの旅であった。
途中の急流は橋がなく、裸足になって川を渡らなければならず、
足を踏み外して転落する人もいた。
言語に絶するハードな登山だった。
part2に続く・・・


<2007.10.04更新分>
NHK星亮一と行く歴史の旅 最上川と清河八郎 *part2*

清河八郎の肖像画

徳富蘇峰の書

清河八郎の書

最上川のガイドさん

川の水面

清河の銅像と記念撮影
*part2*
最上川を下って、清河八郎記念館を訪ねた。
そこには清河の銅像や肖像画の他、各種の資料が沢山あった。
最上川のガイドの女性が「清河はこの川の誇りです!」と語っていた。
清河八郎は近藤勇ら浪士隊を率いて京都に上った人物である。

STUDY!! ―清河八郎―
天保元年10月10日、出羽荘内清川村に生まれる。
18歳江戸に出て、経学を東條一堂塾・安積良斎塾・湯島の聖堂など、
当時の最高学府に学び、剣は千葉周作の玄武館に学び、北辰一刀流兵法免許を得、
弱冠25歳を以って江戸神田三河町に清河塾を開いた文武兼備の英士であった。
明治維新は主として薩摩・長州・土佐など関西雄藩の志士によって推進されたものであるが、
清河八郎は東北の一僻地清川村に生まれ、これら雄藩の志士に互して、
常に主導的に風雲を起こした活躍は、明治維新史上特筆すべきものである。
  「近世日本国民史」の薯者徳富蘇峰は、清河八郎をもって「維新回天偉業の魁」と称している。