<2008.7.29更新>
7月15日 星亮一と行く歴史街道 栃木県佐野

当時の坑夫の表情
足尾銅山鉱毒事件の解決に生涯を捧げた政治家田中正造を求め、 栃木県佐野に出かけた。 足尾銅山は当時銅の産出量が日本一だったが、渡良瀬川周辺に鉱毒を撒き散らし、多くの住民を苦しめていた。 そこで、田中正造は衆議院議員を辞職し、死を覚悟して明治天皇のお乗りになった馬車に突進、直訴しました。 しかし、銅山を閉鎖することはできず、鉱毒は垂れ流しのままであった。 公害問題に果敢に取り組んだ田中正造を称え、栃木県では記念館を作って彼の足跡を広く内外に伝えている。

田中正造

選鉱風景

田中正造の旧宅で

説明を聞く受講者たち

帰りは神社に参拝

佐野厄除け大使の鐘


<2008.7.14更新>
6月28日 戊辰戦争研究会―流山集会

集合写真

新選組同好会の方々

近藤勇を語る私

沢山の参加者が訪れた

新人物往来社の大出さん

近藤勇が連行されたときの絵

現在の江戸川の様子

かつての江戸川
おおいに近藤勇を論じてきました。
なぜ彼がここで出頭したのか、なぞの部分が多いのですが、
あるいは名乗り出ても殺されることはあるまいと考えていたのかもしれない。
上の絵は連行される近藤勇を描いたものです。
流山の新選組同好会の皆様に大変お世話になりました。
また、新人物往来社の大出さんにおいでいただき、祝辞を述べていただきました。