月山 (一) 月山は神の山である。 漆黒の闇のなかを一人の行者が月山に登っている。 季節は晩秋であった。冷たい風が頬をかすめた。 ときおり突風が吹いた。吹き飛ばされるほど強かった。行者は岩陰に身を寄せ、 「ふうう」 と息を吐いた。風が行き過ぎると行者は、岩肌を登り、小さな滝を飛び越え、ひたすら頂上を目指した。 小柄な体は肉がしまっていて、実に敏捷だった。 顔は赤銅色に焼け、深い皺が刻まれている。 宝冠を頭に巻き、白づくめの装束の行者は、光がなくとも周囲を感知することが出来た。 耳も研ぎ澄まされていて、その辺りをはい回る鼠一匹の微かな音も、聞き分けることが出来た。 永年の修行の賜物だった。 闇のなかを行者はひたすら登った。 「六根清浄、六根清浄」 行者の口から呪文が漏れた。 山岳信仰では山の合目は、しばしば十界を意味した。人は地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩を通過して仏界に達するのだ。 行者は緑覚までたどり着いた。七合目から八合目である。 間もなく九合目、菩薩である。行者は立ち止まって空を見上げた。 星が降り注ぐように天空に散らばっている。 流星が天空を横切った。 あざやかな美しさである。 それは宇宙の神秘であった。 東の方角に、わずかではあるが赤みがあった。 行者は飛び跳ねるようにして最後の難関をいともたやすく登り、頂上に立った。頂上には巨石の群れがあった。奇岩が大地から突き出て何層にも重なっていた。その上に行者は立った。 庄内平野から吹き寄せる烈風で、行者の体が小刻みに揺れた。 行者は東の空に手を合わせた。 空が次第に赤みをました。その早さは驚くほどだった。 行者はここから何度もご来迎を見つめて来た。しかし、この日はすべてが、この世のものとは思えぬほど神秘的であった。 真っ赤な太陽が昇り始めると、太陽の後ろに光輪が現れた。 「おおう」 行者は感嘆の声をあげた。 そこにはまぎれもなく、阿弥陀仏の姿があった。 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」 行者は髪を振り乱し、気がふれたかのように、体を震わせ呪文を唱えた。 「お子を孕ませたまえ」 行者の口から意外な言葉が漏れた。 やがて赤焼けの雲海の彼方に鳥海山が姿を現した。 「これぞ神の思し召しじゃ」 行者は身を震わせて祈り続けた。 間もなく月山。 轟々と風が唸り、来る日も来る日も吹雪いた。 人を寄せ付けない極寒の世界であった。 行者はくるりと身を翻すや下山を始めた。 下山路は羽黒山であった。 行者は米沢に近い置賜郡の亀岡文殊堂に住む長海上人であった。 長海上人はここ羽黒山で修行した。 ここは修験の山であった。月山は一年の半分が雪に閉ざされ、容易に人は近づけなかった。 羽黒山は蜂子皇子の開基であった。 父崇峻帝が蘇我馬子に殺され、身の危険が迫ったため出羽の地に逃れた。 皇子は出羽の由良の浜に着くと、三本足の霊鳥に導かれ、羽黒山にたどり着き、難行を重ねて山上の出羽神社を建立した。 これ以前、この地に麁乱鬼という悪鬼がいた。 身の丈が八丈余もあり、無数の悪霊を引き連れ、黒雲のなかから舞い降り、悪臭を吹き掛け、毒氣、疾雨、疾病をはやらせ、多くの人の命を奪った。 その悪鬼を追い払ったのも皇子であった。 長海上人は置賜一帯に鳴り響く行者であった。 人々から苦しみを取り除き、生きる勇気を与えた。 亀岡文殊堂を米沢城主伊達輝宗の正室義姫が訪ねてきたのは、つい半月ほど前のことだった。義姫は山形城主最上義守の息女である。 その美貌と気性の荒さは、つとに知れ渡っていた。 義姫には深刻な悩みがあった。 子が生まれぬことであった。 義姫の生家、最上氏は名門であった。足利氏の流れを汲む斯波氏の末裔であり、奥羽探題として山形城に住んだ。伊達家よりは格上であった。 伊達家はもともと鎌倉の頼朝の家臣であった。 初代朝宗は常陸国の住人で、文治五年に頼朝も奥羽攻めに四人の息子とともに従軍した。 平泉の藤原方の重臣だった信夫の庄司佐藤基治を伊達郡阿津賀志山の戦闘で破り、伊達郡を与えられた。 現在の福島県の県北地方である。 「そちは子を孕み、最上と伊達の掛け橋になるのじゃ」 兄義光は顔を合わせる度にいった。義姫はなにかといっては、山形に里帰りしていた。「そのようなことを」 義姫がいおうものなら、 「子を生まぬおなごは、役には立たぬ」 と、にべもなくいった。 里帰りしないと侍女を山形に呼んで、「まだか」と催促もした。 最上と伊達は仲が悪く、しばしば戦って来た。 「嫡男が生まれれば、わしは大叔父じゃ、だから生むのじゃ」 義光はことあるごとに、せついた。 妹の義姫に伊達の嫡男を生ませることが、義光にとって大事であった。それは最上家の安泰のためであり、妹はその道具であった。義姫は最上家のために兄の横暴な言葉も素直に受け入れた。 「子を生みたいのじゃ、強い子を生みたいのじゃ」 義姫は強い口調で上人に懇願した。 自分の口からこうもはっきり、懐妊を求めるおなごは初めてであった。 「ならば月山の神に願いを伝えてまいろうぞ」 上人がいった。 上人は水垢離を取り、精進潔斎をして月山に登った。 最上と伊達家のためである。 上人も覚悟を決めなければならなかった。 月山を降りた上人は湯殿山の懐、渓谷の奥ふかくにある奇怪な巨岩の前に立っていた。 巨岩は女陰の形をなし、その割れ目から湯が吹き出ている。 女陰は母体を意味する胎蔵界の象徴だった。 上人は真摯に祈り、 「えいっ」 という気合いもろとも幣束をお湯に浸した。 幣束は「梵天」とも呼ばれ、神が宿るクラであった。 上人は幣束を大事に手に持った。 「これでよし」 上人はこの幣束を持参して米沢城に向かった。 「おお、これが梵天であるか」 義姫は目を輝かせた。 「上人、私が孕まぬときは、そちの命はないと思え」 次の言葉は厳しかった。 「ご心配には及ばぬぞ、三月のうちに、必ず孕むでござろう」 上人がいった。 兄義光もそうだが、義姫も気性が激しかった。 伊達に嫁いですぐに、夫の側女を追い出した。 「とのに、おなごを近づけてはなりません」 強権発動だった。最上の姫ごだから出来る芸当だった。しかし、二年たっても三年たっても子は生まれない。義姫の焦りは頂点に達していた。 もっとも嫁いだときは十四、五歳の幼妻であり、まだ体が未熟であった。 気ばかり焦ったが、満足な営みは出来なかった。 四つ年上の夫は寛容だった。 なんでも義姫のいうことを聞いてくれた。輝宗は小柄な人だった。義姫が幼いころは、そんなものだと思っていたが、姫が大人になると、いささか貧相に見えた。 義姫は次第に腰の辺りに丸みが出て、性の喜びも感じられるようになった。姫が何度も求めるので、輝宗の方が押され気味であった。 精が弱かった。 (二) 幣束は寝所の屋根に安置した。 「幣束がのう」 夫の輝宗はさほどに、興味を示さなかった。 おなごには、もともとさほどの関心はなく、側女が三人ほどいたが、義姫が側女を追い払ったときも、とりたてて文句をいうことはなかった。 男としては、万事、おとなしい人であった。 義姫は二十歳を過ぎる頃から、ますます美貌が冴え、下半身の辺りは眩いばかりであった。恥毛は黒々と生え、輝宗はからみつかれると、息苦しかった。 伊達家は完全に、かかあ天下であった。 義姫は夫に、どこか物足りなさを感じるようになった。わが夫は、この荒々しい時世を生き延びるには、おとなし過ぎた。自分の手で人を殺したことなど一度もないというのだから、戦国の武将としては、例外かも知れない。 戦国大名として、これではとても奥羽の覇者にはなれない。 義姫は不満が高じていた。 義姫は当時の女性としては、並はずれて政治に関心があった。多分に兄義光の影響である。目を中央に移せば、織田信長が天下統一に向かって動いてる。まごまごしていれば、奥羽も中央に飲み込まれる。強い君主が必要だった。 「とのさま、ねえ、とのさまッ」 義姫は毎日、毎晩、こう叫んで輝宗にしがみついた。 自分の激しい気性を受け継いだ嫡男を、一日も早く産みたかった。 「あああ」 義姫は足を輝宗にからませ、輝宗のお種を一滴もこぼすまいと、じっと天上を向いて動かなかった。 それは鬼気迫る光景であった。 輝宗は、ときどき逃げ出したい心境だった。それを逃がす義姫ではなかった。むんずと掴んで離さなかった。 見兼ねた侍女の宮尾がいった。 「姫さま、でんぐり返しをなさいませ」 「それはなんですか」 「こうです」 宮尾が天上を向いて横たわり、でんぐり返しをしようとして、突然、顔をゆがめた。 「痛い、痛い、痛いッ」 宮尾が腰の辺りに手をやって、のたうちまわった。 「何をしてるの、誰か、宮尾が、宮尾が」 義姫が叫んだ。 宮尾は腰をさすってもらい、なんとか息がつけるようになった。 「姫さまは、若いから大丈夫でございます」 宮尾がいった。宮尾がなにをいいたかったのか、それは分った。 輝宗と接するとき、でんぐり返れというのだろう。お種が漏れるような気もしたが、たとえ荒療治でも、宮尾がいうのだから、やって見た。 いきなり、でんぐり返ったとき、輝宗は驚いた。 「こうすると、お種が宿るのです」 といわれ、輝宗は下になって息もつけなかった。それからまた上になり、下になった。 その日から三日間、でんぐり返しがあり、体力がない輝宗は、息も絶え絶え地獄の苦しみだった。 義姫はもう鬼のような形相になっていた。 なにがなんでも孕まねばならないと思うと、寝ても覚めても、頭を駆け巡るのは、夜の営みだった。 歯がゆいのは、夫輝宗の淡泊ぶりだった。 「頭が痛い」 「歯が痛い」 愚にも付かないことをいって、逃げようとすることが許せなかった。 「これは、伊達家のためです」 義姫は輝宗を押さえて、のしかかった。 十日ほど過ぎた頃だった。 義姫の枕元に、白髪の僧侶が立った。 「姫の胎内に宿を借りたいのじゃ」 僧侶はそういった。 義姫はハッとして飛び起きた。もうそこには誰もおらず、寝所に微かに風が流れていた。「とのさま、起きて下され、起きて下され」 義姫は輝宗を叩き起こした。 「いかがいたしたのだ」 「夢枕でございます。胎内を借りたい、そういわれたのです」 その激しい剣幕に、輝宗は恐れをなして義姫を見つめた。 「とのさま、ようございますね」 義姫がいった。 「むろんじゃ、なにも異議はない」 輝宗がいうと、 「とのさま」 といって、またも輝宗に抱き付いた。しかし顔をあげた義姫は、 「今宵はもう致しません」 といって、自分の床に横になった。 翌日の夜、白髪の僧が再び夢枕に立った。 「和尚さま、どうぞお子をお授け下され」 義姫が告げると、僧侶はうなずいて、天上には新しい幣束が張り付け、忽然と姿を消した。 「とのさま」 義姫は飛び起き、輝宗にからみ付いた。 「との、とのッ」 義姫は狂女となって、輝宗に求めた。このとき輝宗に激しい興奮が走った。全身に力が漲り、義姫の奥深く種を植え付けた。 「とのさま」 義姫は吐息を漏らし、じっと天上の幣束を見つめて動かなかった。 姫はこの夜、懐妊した。 義姫の腹は見事にせり出した。輝宗は毎日、姫の腹をさすり、ときには腹に耳をあて、「聞こえる、聞こえる」 と喜んだ。戦には弱いが、夫としては模範的な人だった。 十月十日がたち、出産の日を迎えた。 長海上人が来て、胡麻を炊いて毎日祈った。懐妊をもたらした上人はたちまち名が知れ渡り、亀岡文殊堂は連日、ひきも切らさぬ参拝客であった。 義姫は別名、最上御前といった。はらをせり出して歩く義姫は、米沢城内の主であり、その権勢は輝宗を上回った。 八月三日早朝、陣痛が来た。 おぎゃー。 という声に強い響きがあり、誰もが男子と確信した。 「男か、女か」 義姫は生み落としてすぐに、気丈に聞いた。 「男子でございます」 侍女の宮尾がいうと、うっすらと目に涙が浮んだ。 宮尾が初めて見る涙であった。 義姫は生まれてこの方、泣いたためしがなかった。 正しく鬼の目にも涙であった。 輝宗はこの子に梵天丸と名づけた。 ときは永祿十年であった。 織田信長が桶狭間で今川義元を破ってから七年過ぎていた。 以来、信長は天下布武を掲げて日々、戦に明け暮れていた。 伊達家待望の赤子は、すくすくと成長した。 最上家の喜びも大変なもので義光がわざわざ祝賀に訪れた。 輝宗は一月ほどでんぐり返しに悩むこともなく、平穏の日々だった。このようなときは年増の女と酒を飲みたい気分だったが、宮尾をはじめ侍女たちの監視の目が厳しく、いつも見張られていて、どこに出ることも出来なかった。 最上家のような格式ある家から妻をもらうと、まことに窮屈なものだった。 義姫はほどなくまたも、輝宗に求めるようになった。 「とのさま、男子一人では、何かあったとき、伊達家は途絶えます」 といい、またも、 「お種を」 とせがんだ。それは仕方がないとして困るのは例の「でんぐり返し」だった。 「姫、あれはどうもいかん、苦しくてならぬ」 といったところ、姫は血相を変え、 「伊達家のためです」 とにらんだ。輝宗はつらいでんぐり返しを、それ以後も、やらねばならなかった。 (三) 輝宗は、あまり戦を好まなかった。 それは父晴宗と祖父稙宗がいがみあい、七年にもわたる騒乱があり、幼い頃は、それで苦労する日々だった。 しかし父は、なかなかの器量の持ち主だった。祖父は陸奥国の守護だったが、父は奥州探題に補せられ、伊達郡内を点々としていた居城も米沢に移り、輝宗の時代になって、ようやく安定期を迎えた。 祖父、父とも数人の妻妾から多くの子をもうけ、奥羽の豪族に入れ、いたるところが親戚になり、それも伊達の力を大きく高めた。 かくて北条、上杉、武田、織田、島津、毛利などに混じって、奥羽では伊達と会津の芦名が大名と呼ばれた。そうはいっても奥羽には葛西、南部、九戸、相馬、岩城などが群雄割拠していて、奥羽の雄になるのは容易ではなかった。 米沢の城を守れば、それで十分と考えていては、いつ何時攻め込まれるかも知れない。 上方には織田信長のような偉才もいる。その動向によっては、伊達など、どうなるか分からなかった。 もっと覇気が欲しいー。 梵天丸が生まれると義姫は一層、輝宗に歯がゆさを覚えた。 「とのさま、欲がなさ過ぎます。もっと子づくりにお励み下され」 義姫は次男、三男が欲しいと、輝宗を責め続けた。 「わしは忙しいのじゃ」 輝宗は逃げ回ったが、義姫には通じなかった。 義姫はもう一つ、困ったことを抱えていた。生家である最上家の内紛である。 兄義光は強引で不遜な態度だったので、反抗する部下が多く、いつも家中に揉め事があった。それがやがて親子兄弟の反目になり、伊達家もその都度、少なからず影響を受けた。 そうした争いを見るに付け、伊達家を盤石のものにして、その力で最上の家を安定させたい、そう思うと、どうしても次男、三男が欲しかった。婿にだすためである。 梵天丸は、非凡な子供だった。 五歳の頃、近くの寺院に出かけたとき、不動明王像の前で立ち止まった。 「なぜ、この像は恐ろしげな顔をしているのだ」 と寺僧に問うた。 「これは、いいことに気づかれた」 年老いた僧が身をかがめて、梵天丸に説いた。 「不動明王は外は恐ろしい剛の顔じゃ、だがな、内は慈悲に、あふれておるのじゃ」 そう答えると、梵天丸は、なおもじっと不動明王を見つめ、 「慈悲とはなんじゃ」 と僧に問うた。 「それはのう、人を思いやる心でござる」 僧が答えると、梵天丸はじっと僧を見つめ、 「ふうん、分かった」 とうなずき、、お付きの人々を驚かせた。 「梵天丸さまは、神の子じゃ」 付き人は梵天丸に舌を巻いた。輝宗も我が子の成長には満足だった。 輝宗は地味な人だったが、子供に対する愛情は深かった。 義姫は梵天丸に過大な期待を掛け、英才教育を施そうとしたが、輝宗は思いやりのある子供にしようと考えた。 輝宗の見るところ、梵天丸は人見知りが激しく、武将というよりは、文人の方が似合うように思えた。なにも逞しさだけが武将ではない。気持ちの優しさも武将にとって不可欠の要素ではないか、輝宗は人格の育成に気を使った。 輝宗が選んだ梵天丸の教育係は、虎哉宗乙である。 虎哉は美濃の人で、名僧の誉れが高かった。 以前、輝宗の伯父康甫のもとで、米沢に近い東昌寺の住職を務めていた。 宗乙は梵天丸を見て、あの猛女の息子にしては、おとなしいのに驚いた。 何人かの取り巻きが付いていたが、威張ることもない。 あまりにも手がかからず、たしかに武将としては、どうかという印象もあった。 元亀三年、六歳の梵天丸が疱瘡にかかった。 こわい病気だった。命を落とす子供が大勢いた。生きるか死ぬか、当時、これが人生最初の関門だった。 「御前さま、熱が下がりません」 宮尾が眉を曇らせた。頭を冷やし、長海上人が必死に祈った。ようやく峠を越したが、右目に毒が回ってはれあがり、右目の視力が失われた。 「誰にも会いたくない、来るなっ」 梵天丸は部屋に籠り、顔を覆って泣き続けた。 輝宗もどうしていいか分からず、言葉もかけられなかった。乳母の増田だけには口を利き、 「見えない、見えない」 と苦しみを訴え続けた。 義姫の失望は、目をおおうばかりだった。神仏を呪い、周囲に当たり散らした。 これではとても信長に対抗できる器にはなれない。伊達家、最上家の前途も真っ暗になる。義姫が焦った。だが輝宗が違った。梵天丸をなんとしても育てたい。それは父親として当然なことだと考えた。 「宗乙どの、梵天丸をお願いする」 輝宗が宗乙に頭を下げた。 宗乙は毎日、梵天丸に会った。 「世のなかには目がまったく見えぬ人がおる」 宗乙がいった。 「そのようなこと、聞きたくはない」 梵天丸は泣きじゃくった。 「耳が聞こえぬ人、手足が動かぬ人もおる」 「いやだ、目を返してくれ」 梵天丸は、手をばたつかせて泣いた。あのおとなしい梵天丸の気性が一変した。見える目をいっぱいに開けて宗乙をにらみ、泣きじゃくった。 「物は目で見るものにあらず、心で見るのじゃ」 宗乙は、こんこんといい聞かせた。 人間は損失した部分を補填する機能をもっていた。 慣れもあった。半年もすると、一つの目に全神経が集中し、右も左も見えるようになった。右の聴覚は著しく発達し、失われた光を補った。 梵天丸は仏教と漢学、とくに五山文学の教養を宗乙から学んだ。 また米沢成島八幡宮の宮司、片倉式部の娘喜多が傳役として側に仕え、親身になって梵天丸を支えた。 梵天丸が九歳ぐらいのとき喜多の弟、片倉小十郎が傳役になった。 小十郎は二十歳前の若者である。十歳ほど違うので、大人と子供の差があった。小十郎は目のことは一切ふれず、武術の稽古では容赦なく投げ飛ばした。 「目が見えない」 と弱音を吐いたときは、 「めそめそするなッ」 と張り倒した。ときおり梵天丸の右目が膿んだ。 「醜い目じゃ」 と気にしたときは、小刀で膿んだ部分を突き刺し濃を出した。盛り上がった肉もけずった。怖い傳役であった。 (四) その梵天丸に、あらたな疑念を抱かせたのは、母の懐妊だった。 母の腹は日増しにせり出し、その気の使いようは異常だった。 「男の子を産むのじゃ」 そういって、あれほど忌み嫌った神仏に祈った。 梵天丸の心は傷ついた。 やがて男子が産まれた。名前が竺丸といった。竺丸が産まれてから生母義姫の偏愛は目にあまるものがあった。梵天丸を疎み、その行動が人目につくようになった。 父の輝宗もことあるごとに、竺丸のところに通った。両親に対する不信感がつのった。「母は竺丸ばかり、可愛がっている」 梵天丸は喜多に、不満を漏らした。 「そんなことはありません」 喜多がいっても、梵天丸は利かなかった。梵天丸の心がいじけた。 「年下で喧嘩の強い子は、おらぬじゃろうか」 宗乙がいった。 重臣たちが相談して、一歳年下の伊達藤五郎を新たに側につけた。元服して成実を名乗る勇武無双の男である。藤五郎は伊達一族の伊達実元の三男である。母は祖父晴宗の娘である。これがまた気性の荒い少年で、剣術の訓練となれば、死にものぐるいで小十郎にかかって行った。梵天丸は藤五郎の手前、めそめそすることは出来なくなった。 「なるほど、宗乙和尚ともなれば違うものだ」 輝宗も感じいった。 輝宗の政治は不安定な部分があった。 重臣の中野宗時、宗仲父子が謀反を起こし、相馬に逃亡する事件があった。このとき放火され米沢城下が焼け落ちた。父輝宗が弱かったのだ。 この一件以来、相馬との関係が悪化した。 伊具郡金山城、小斎城が相馬に奪われ、同じ伊具郡の丸森城も奪われた。相馬氏は勢いに乗じて伊達郡の東南部も占領した。現在の福島県の県北と宮城県の南部である。 「との、これは由々しきことでございます」 義姫が烈火のごとく怒った。 「わかっておる、かならず奪い返してみせるわ」 輝宗は妻に誓った。 梵天丸の元服が丁度、この時期、天正五年十一月十五日に行われた。 十一歳の弁天丸は元服して、藤次郎政宗を名乗った。 「政宗は伊達家中興の人、九代政宗にあやかったものじゃ」 祝宴の席で、父輝宗は上機嫌だった。 「元服した以上、そちも祝言をあげねばならぬ」 といった。 「それは、しかし」 政宗は拒んだ。自分はまだ子供ではないか。祝言などまだまだ先のことだ。目のことも気になった。 「わしもそちの年に、お前の母を迎えた」 と輝宗がいった。 政宗は無言で父の顔を見た。 抵抗には限度があった。政宗の妻は田村郡三春城主田村清顕の娘愛姫とすでに決まっていた。輝宗と清顕の間で取り交わした政略結婚である。 愛姫にはまだ会ったことはない。 どんな姫御であろうか。 母のような強い女は真っ平だった。喜多のように優しい女ならいい。 そのことを喜多にいった。 「まあ」 喜多が笑った。 それから二年後の天正七年の冬、愛姫は小坂峠を越えて米沢にやってきた。 可愛い小さな女の子だった。大勢の侍女にかしずかれて城中に住んだ。 政宗十三歳、愛姫十一歳である。 この時期、田村氏は二階堂、白河、芦名、佐竹、石川の諸豪族に挟まれて苦境にあった。伊達と結ぶことで、田村は勢力を盛り返した。 「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」 愛姫がいった。それから、 「寒いところですね」 と不安なまなざしで外を見やった。まだ両親と一緒に暮らしたい年頃である。かわいそうだと、政宗は思った。また自分に目を愛姫が気にしていないだろうか、そのことがひどく不安だった。 「若君、いまは花嫁にうかれているときにあらず」 小十郎が政宗に厳しいことをいった。 「兄貴のいわれること、もっともでござる」 近侍の藤五郎や左馬之助も同じことをいう。 「お前らにいわれたくはないぞ、わしは浮かれてはおらぬ」 政宗は部下たちをにらんだ。 「若君、東の方さまは、あきらめない方だ」 小十郎がいった。 義姫は竺丸を後継者にと、輝宗を日夜責めていた。 政宗も母の気持ちはわかっていた。自分の目のことである。隻眼では当主になれぬと母は思っている。父が日夜責められていることを政宗は感づいていた。 「不穏な空気が城内にある」 小十郎がつぶやいた。 「あのことか」 政宗が小十郎に問うた。 政宗が元服したとき、寝所に忍び込んだ者がいた。警護の者が気づき、追ったが取り逃がした。政宗はあとでこのことを知った。 これは東の方の仕業だと噂が立った。 そんなばかな、あり得ないと政宗は否定した。 だが昨今、政宗の食事に毒が混入した。これも東の方さまの関与が噂になった。 東の方が政宗を狙っている、政宗の側近は警戒した。それもこれも、竺丸の存在が原因だった。 殺すしかあるまいー。 政宗の心に殺意がわいた。 伊達家には骨肉の争いが、過去に何度もあった。 輝宗の父晴宗と祖父稙宗の争いは深刻で、戦闘にも及んだ。内部の争いは、必ずほころびを生む。政宗は相馬よりも身内が怖かった。 Copyright© 2024 Ryouichi Hoshi. 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