戦う政宗第2回

小斎城争奪戦

(一)
 政宗の初陣は天正九年春、十五歳のときである。
 相馬氏との戦いだった。
 戦場は伊具郡である。もともと伊具郡は伊達の領土であった。晴宗が米沢に移っていらい、軍備が手薄になり、その隙に小斎、丸森、金山の三つの城を奪われた。
 現在の宮城県伊具郡である。福島県の相馬とは峠ひとつ越えて隣になる。
 政宗にとって、ここは何がなんでも勝利しなけれなならなかった。
「絶対に勝たねばならぬ」
 小十郎がいった。
 それは一つのは伊達家の復活のためだった。政宗の曾祖父十四代稙宗は陸奥国の守護職であった。祖父晴宗は奥州探題であった。伊達家は奥州の王者なのだ。政宗と小次郎に共通した思いは、強い伊達家の復興であった。
「白河以北は伊達家の領土なのだ、邪魔する奴は叩きのめす」
 小十郎はそうもいった。そこには政宗を天下人にせんとする願望があった。
 小十郎は幼いころからいつも天下のことが気のなった。
 神官であった父景重の影響だった。
「そちらは、いずれ天下をまわり、名君賢主につき、そこで学んだことを伊達家のために生かすのじゃ」
 父は口癖のようにいった。
 兵法の書籍ももの心つくころから与えられ、「孫子」「呉子」「六韜」を繰り返し読んだ。いずれも中国の有名な兵法書でる。
 これを実戦で確認する。小十郎は考えていた。
「若君、戦は国家の大事のござれば、第一に道、第二に天、第三に地、第四に将、第五の法が必要になる」
 小十郎は戦は国家の存亡を左右する分かれ道だと、政宗に説いた。
 これは孫子の兵法にある戦闘の準備であった。
「道とは、どのようなことでござるか」
 藤五郎が問うた。
「それは兵はもちろん、領民とも心を一つにすることだ。戦は侍だけでは出来ぬ」
「しからば天とはいかに」
「それは自然界の動きをいうにじゃ。晴、雨、寒、暑、日々の天候に気を配らねば戦は出来ぬ、雨の日の戦はよくない」
「地は地勢でござろうか」
「その通りだ。敵味方の地勢をよく調べ、策を練らねばならぬ」
「将とは、いかなることでござろうか」
「これぞ、もっとも大事なことだ。知謀、信頼、仁愛、勇気、威厳、将はそうしたものを兼ね備えねばならぬ」
「私の遠く及ばぬことでござらぬ」
「そうではない、日々、努力するこちだ。法は兵の組織だ。軍隊に規律がなけば夜盗の群れになる」
 政宗は小十郎のいうことを黙って聞いた。
 小十郎が自分に聞かせようとしていることは、一目瞭然だった。
 政宗は小十郎の言葉をかみ締めて聞いた。
 いよいよ戦闘が始まった。
 輝宗は阿武隈川を渡り、小斎城に対峙する矢の目に本陣を構え、政宗は館山に陣をおき、敵情視察のために伊具郡内を歩き回り、民情にふれるように務めた。政宗のそばにはいつも小十郎と藤五郎、左馬之助がいた。
 政宗が村々を回ると、近隣の百姓たちが米や野菜、川魚を運んでくる。
「おお、ご馳走になるぞ」
 政宗は、百姓たちに声をかけた。
 阿武隈川の流れはあくまでも澄みとおり、新緑の田園は目にしみる美しさだった。
 村には、美しい娘もいた。
「いいけつをしてる」
 と娘にさわった雑兵がいた。
「ばかやろうッ」
 小十郎の鉄拳が飛んだ。村人に嫌われたら、食糧の確保が難しくなる。敵にまわせば、いつ襲ってくるかも知れない。小十郎は厳しく軍規を求めた。それが道であった。
 まず着手すべきは斎城の奪還であった。
 小斎城代小斎平太兵衛が相馬の重臣、藤橋紀伊の姦計に遇って殺され、城を奪われた。「相馬は報復を受けねばならぬ」
 小十郎が厳しい顔でいった。
 相馬の領主相馬顕胤の正室は稙宗の娘であり、伊達と相馬は、縁戚関係にあった。ここに来て俄かに敵対関係になった理由は、輝宗がなめられていることに尽きた。弱いと思われたのだ。
「軍太夫を連れてまいれ」
 小十郎が叫んだ。政宗の前に平太兵衛の家臣、斎藤軍太夫がひれ伏した。いま政宗に仕えている。
「そちが見たことをすべて話すがよい」
 小十郎がいった。
 軍太夫の顔に刀傷があった。頬がえぐられている。どこかの戦でやられたのか。
 軍太夫が平太兵衛暗殺の模様を詳しく語った。
 藤橋紀伊は相馬の谷地小屋の城主だった。山を越えてよく小斎にやって来た。
「どうだい、釣りをせぬか」
 と阿武隈川に誘い、花見の季節には相馬の魚を持参して、酒を酌み交わした。
「おい、伊達の殿様は米沢だぞ。ここまで助けには来るまい。あの山を越えれば相馬だ。いつでも助けにくるぞ、どうだ相馬に来ぬか」
 紀伊はいつも同じことをいった。
 ある日、平太夫はしたたか酒を飲まされ、酔ったところを紀伊の手勢に槍で突かれた。その日の夜には相馬の軍勢が攻め入り、城を奪われた。
 同じ手口で金山城も丸森城も奪われた。油断であった。
「若君、相馬は姦計が巧みでござる、汚いやつらだ」
 小十郎が強い口調でいった。
 いたるところに、騙し討ちがあった。戦は正面から挑むだけではなかった。勧誘、謀略、ありとあらゆる手立を使った。戦の匂いをかいで悪党の集団があちこちにたむろしていた。鎧をつけ、塗りのはげた太刀を背負い、加勢と称してうろついた。
 味方にもなるし、敵にも転ぶ危ない連中である
 小斎城は本丸、二の丸、三の丸まである堅固な山城だった。
 城の周囲は葦が生い茂った湿原で、浅い泥田でも股まで入り、深いところは首まですっぽりと入る。湿田のことを、
「大ふけ」
 といった。
 ここに馬が脚を取られ、数年前の戦闘で、伊達は何百人という損害を出した。
 この城がある限り、伊達の苦戦は免れない。
 そのときである。
「若君、大変な動きがござる」 
 小十郎が声をひそめた。
 軍太夫に敵の内情を調べさせたところ、城主佐藤宮内に関する意外な事実をつかんだ。 謀反である。
「ほおう」
 政宗が驚いた。
 敵将の佐藤為信は通称宮内で通っている。相馬家の家老の家柄で、気骨の男と評判が高い。伊達勢はこれまで何度も宮内に敗れてきた。
 猛将であった。
 先祖は岩城家に仕えたが、その後相馬家に移り、相馬周辺の六か村を領する重臣になった。しかし父好信の時代に同じ重臣の桑折左馬之助の讒言により、領地を半分に減らされた。これが謀反の原因だった。
 それも一度だけではなかった。二度も左馬之助に、ひどい仕打ちを受けていた。
 磯辺の城主のときである。相馬家の居城中村城の普請があった。
 普請現場で、同じ重臣の小野家との間で人夫の喧嘩があった。よくあることだが、主君盛胤は喧嘩両成敗として、二人の城を召し上げた。
「喧嘩ごときで城召し上げとは、了見の狭い主君よ」
 好信は盛胤を恨んだ。
 取り上げられた磯辺の城は、なんと憎き左馬之助に与えられ、この男が意気揚々とやって来た。腹黒で陰険な男であった。
 城明け渡しの際、城の内外を清掃し、備品の引き合わせをするのだが、それが間にあわなかった。
「三日の猶予を願いたい」
 好信が左馬之助に懇願した。
「ならぬ、明け渡しは即刻だ。お屋形さまの命令にそむくのか!」
 左馬之助は居丈高に叫び、家具や調度品を庭に投げ捨てた。
 好信の家来が阻止しようとすると、
「謀反だ、討つぞッ」
 と弓や鉄砲を構えた。
「左馬之助め、いまに見ておれ」
 好信は歯ぎしりし、家来たちも悔し涙にくれた。
 三年後に許され、好信は磯辺の城に戻ることが出来た。間もなく検地が始まった。左馬之助は奉行職になっていて、出かけてきて、さんざん嫌みをいい、領地を削った。
「左馬之助を殺してやる」
 これが好信の口癖になった。それが果たせぬまま病の床についた。
 死ぬ直前、好信は三男の宮内を枕元に呼んだ。
「そちにだけ伝える。必ず左馬之助を討ち果たし、相馬盛胤とその子義胤の胸にも矢を放つべし、兄たちに相談してはならぬ」
 好信はこう遺言して他界した。二人の兄は城持ちの重臣だった。
 やがて宮内は小斎城主となり、伊達勢とにらみ合う最前線に赴任した。
 その左馬之助が近々、小斎城の支援に来る。加番といって、あら探しにやってくる。その知らせが入ったとき、宮内は左馬之助誅殺を亡き父の霊に誓った。それは相馬公に弓を引くことになる。兄には絶対、いえないことだった。
「それは盛胤、義胤の不徳のいたすところだ」
 と政宗がいった。
「宮内を、わが伊達家の一員に迎えたい、いかがでござろう」 
 小十郎がいうと、
「余は喜んで迎えたい」
 と政宗が即座に答えた。小十郎は、政宗に棟梁の器を感じた。
「それでは、このことを、お屋形さまにお伝えいたす」
 小十郎は矢の目の本陣に出かけ、輝宗の内諾を得た。
 二日ほどして、政宗のもとに軍太夫が訪ねて来た。
「これへ」
 小十郎は軍太夫を政宗の前に招き入れた。もうひとりの男がいた。
「これは佐藤家の軍奉行、根切勘兵衛にござる」
 軍太夫がいった。
 軍装をつけた眉の太い男であった。屈強な数人の若者を連れている。 
 勘兵衛は小十郎と同じ年格好であった。腕も太く、鉄砲の名手という。
「我が主人、佐藤宮内には、いわく因縁があり、仇敵桑折左馬之助を討つことに相成り申した。それは相馬家に対する反逆でござれば、以後、我ら一同伊達家の軍門に下り、お屋形さまのために力を尽くす所存にござる。何卒、ご加勢をお願い仕りたい」
 政宗は固唾を呑んで、勘兵衛の口上に聞き入った。
 宮内が左馬之助を討ち果たせば、伊具郡の戦は伊達家の勝利に帰する。
「小十郎、そちが援軍の兵を出せ」
 政宗がいうと、
「承知仕った。相馬国境に千の軍勢を出すことに致す」
 小十郎が満面に笑みを浮かべた。
「それでは今夜、決行いたす」
 勘兵衛はいい、鉄砲を背負い、槍を手に馬にまたがった。
「それッ」
 鞭をくれるや勘兵衛は、若者の集団とともに、砂塵をあげて走り去った。
「頼もしき男よ」
 小十郎がいった。

 (二)
 小斎城は静まり返っていた。
 小十郎は輝宗に再び使者を送り、千の軍勢をひそかに相馬国境の駒ヶ峰に移動させた。 それより前、老臣金沢美濃に伴われた桑折左馬之助が兵百人ほどを率い、小斎城に入るのが館山の陣から確認された。
 この夜、城内に明々と光が灯った。
「これから宴会がはじまるのだ」
 小十郎がいった。
 政宗は身動きもせず、じっと小斎城に見入った。
 城主佐藤宮内はこのとき四十の半ばである。
 器量、手腕ともに相馬家では抜きんでており、伊達と日々にらみ合う最重要の小斎城を守っていた。たえず戦闘があり、その緊張は相馬の本城にいる重臣には、思いも及ばない心労の日々だった。
「これは金沢どの、お役目ご苦労でござった」
 宮内は美濃に深々と頭を下げた。宮内と美濃は縁戚だった。
 出来れば来て欲しくなかったが、老臣をわざわざ寄越したのは、宮内と左馬之助の遺恨を緩和するために違いなかった。相馬にいる二人の兄清信と勝信のことも気になったが、矢は放たれたも同然だった。
 宮内は何くわぬ顔でこの夜、宴席を設けた。
 足軽にいたるまで応援の兵の全員に酒を振る舞った。
「我らが来たからには、伊達など蹴散らしてくれるわ」
 左馬之助が鼻をふくらませた。
「いかにも、左馬之助どのの手勢が入り、伊達勢は恐れをなし、息を殺して見つめていることであろう」
 宮内はそういって「わはは」と笑った。
 そのときである。
 突然、大地が揺れた。
 地震かー。
 宮内が空を見上げた。木々が揺れ、立石がギギギと音を立てた。
 本丸にある先代を祭った巨石である。
 先代の霊が動いたのだ。
 勝利疑いなし、宮内と勘兵衛が顔を見合わせた。古来、石が鳴ることは吉兆だった。これで敵を討てる。宮内は確信した。
 地震はさほどのことではなかった。
 左馬之助は一瞬、辺りを見たが、何事もなかったかのように、酒をあおった。
 皆に十分、酒が振る舞われ、加勢の兵は城内のいくつかの小屋に入って眠った。 
 それを待って、宮内は家中の全員を集めた。総勢二百余名であった。
 全員、軍装を身に付けていた。
「亡き父の敵、桑折左馬之助を討ち果たす日が参った。あの地震は先祖の霊じゃ、神は我らの味方だ」
 というと、皆、目を光らせてうなずいた。
「左馬之助は百余名の兵に取り巻かれておる。心して戦えッ」
 宮内が強く下知した。
「左馬之助は、わしが成敗したすッ」
 宮内が刀を抜き、左馬之助が休む櫓に向かい、大声で叫んだ。
「桑折左馬之助、出会え、出会え!」
 その声が響きわたると、あちこちの小屋に明かりが灯った。
 それより先にドドドと小斎勢が足音高く、小屋という小屋を取りかこんだ。
 左馬之助は驚いて櫓から降りるところを、
「親の敵、思い知れ!」
 宮内が太刀鋭く斬り付けた。
「乱心いたしたな、出会え、出会えッ」
 左馬之助は兵を叱咤し、切り結ばんとしたが、勘兵衛の鋭い槍を避けきれず、突き伏せられた。宮内が駆け寄ってとどめを差した。
 相馬の侍たちも刀を抜いて戦ったが、軍装を解いた者も多く、ことごとく斬り伏せられ、開けておいた城門から足軽が我れ先に逃れた。
 ひとり軍奉行の豊田藤兵衛が果敢に立ち向かい、小斎勢を斬り倒したが、勘兵衛が一突きで屠った。
「反逆だ、反逆だッ」
 藤兵衛は崩れかかりながら叫び、脇差しで首を突いた。
 宮内は美濃の小屋に向かった。
「城内が騒がしいぞ、何ごとぞ!」
 と美濃が叫んだ。
「親の敵、桑折左馬之助を討ち果たした。ご老体、覚悟ッ」
 宮内がにらんだ。
「そちは乱心致したか」
 美濃が刀を抜いた。
「つかまえて放り出せ!」
 宮内が叫んだ。美濃は数人の兵に取り巻かれ、押さえ込まれた。宮内は美濃を裸馬にくくりつけ、馬の尻に鞭をあてた。
 馬は狂奔して城外に飛び出した。しかし美濃は帰らなかった。また戻って戦い、なますのように斬られた。美濃もまた勇者であった。
「狼煙を揚げよ」
 宮内が命じた。
 政宗と小十郎に知らせるためである。
「若君、揚がりましたぞ」
 小十郎が叫んだ。
「藤五郎、そちはただちに小斎城に向かい、確かめて参れッ」
 小十郎が命令を下すやいなや、藤五郎は兵二百を率いて小斎城に向かった。湿地を避けて大きく回して城に入った。
「おうう、藤五郎どのか」
 城門に勘兵衛の姿があった。城内には敵の遺体が積み重ねられ、左馬之助は杉の大木に吊されていた。
 藤五郎は本丸で宮内と対面した。
「こちらにお座りくだされ」
 宮内は藤五郎を上座に座らせようとした。
「それは出来ぬ」
 藤五郎は断った。
 二人は床の間を右にして、向かい合った。
「親の敵を討ち果たし申した。以後、伊達家の一門として、お見知りおき願いたい」
 宮内がひれ伏した。
「拙者は若君の近侍に過ぎぬ。面をあげて下され」
 藤五郎があわてて制した。
「ただちに戻り、若君と小十郎どのにご報告いたす。ご免ッ」
 藤五郎はそういうや立ち上がり、矢の目本陣に駆けた。
「そうか、宮内、でかしたぞッ」
 小十郎が叫んだ。
 相馬では歴戦の勇士で知られる宮内である。伊達家への寝返りは計り知れないものがあった。
「小十郎、余も城に参る」
 政宗がいった。
 この夜、小十郎の笛が本陣に響いた。
 小十郎は鎧の脇に名笛「潮風」をはさんでおり、その音色は絶妙だった。
 政宗は小十郎の笛に聞き惚れた。
 政宗と小十郎の関係は、主君と重臣の関係をはるかに超えていた。政宗にとって小十郎は兄以上の存在であり、目下の政宗は、すべて小十郎が引いた路線を走っていた。
 こうした関係は越後の上杉景勝と直江兼継の関係によく似ていた。
 主君に対して控え目なことも同じだった。
 まれに見る側近中の側近だった。



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