うさぎ北 海 道 通 信
日本大学大学院総合社会情報研究科国際情報専攻3期生 落合 仁子


記事登録日:2001/07/03
ペリー提督を祭る函館の祭事紹介

北海道南に位置する函館は、観光都市として名高く、函館駅周辺の朝市、愛称臥牛山と呼ばれる函館山からの夜景、西部地区にある教会群や公会堂などを見学しに、多くの観光客が訪れる街です。
1854年、日米和親条約により開港した函館は、異国の文化を取り入れ、交易が栄え、現在に至ります。地域住民は、発展を遂げてきた函館の歴史を守り伝えてきました。
函館がいち早く発展した事由のひとつ、開港に尽力されたペリー提督をまつわる催しが、函館にあります。異国の偉人を称え、歴史を感じることの出来る催しを紹介させて頂こうと思います。微力ながら、読者の皆様が函館へご興味を持って下さる一因となればと願っています。
以下、ご紹介にあたり、函館市商工観光部観光室観光課様、函館市函館市史編さん室様、(財)北海道国際交流センター様、函館日米協会様、箱館英学研究家 白鷹様(順不同)に取材のお願いをしたところ、快くお引き頂き、多大なるご協力を頂戴しました。お忙しい中、お時間を割いて下さり、ご親切にご教授下さる皆様のお心遣いなくしては、以下の記述をすることが出来なかったでしょう。心より深く感謝し、この場を借りて厚く御礼申し上げたい。

1. ペリー函館来航時について
 アメリカ合衆国ミラード・フィルモア大統領から東インド艦隊司令長官および遣日全権使節を任命されたペリーは、1853年7月、翌年の1854年2月と二度に亘って浦賀に来航、和親通商を求めました。最初の来航時に、江戸幕府は、国書のみを受け取るが、翌年再び来航し、開港を求めます。アメリカ側は、合衆国船舶遭難時の乗組員保護、合衆国船舶の薪水食料の補給並びに修理、交易のための数カ所の開港を要求します。江戸幕府は、当初、長崎一港のみで対処しようとするが、アメリカ側は、棄却。浦賀、琉球、松前の3港を指定します。それに対し、遠隔地である琉球、松前は、幕府が監督困難であることや、浦賀についても、内国船舶輻輳の地ということで、幕府は拒みました。それでもなおも、強硬に開港を主張するアメリカ側に譲歩し、松前の代わりに箱館(現在の函館)を、浦賀の代わりに下田を開港することに決しました。これを受けて、同年1854年3月に和親条約が調印され、翌年1855年箱館開港となります。
 和親条約締結後、ペリーは、開港のための下田・箱館両港の視察を要求、幕府はこれを許可します。箱館が松前藩領であったため、幕府は、松前藩主崇広にその旨を通告し、海防掛勘定奉行から松前藩老に対し、心得方を達しました。驚いた松前藩は、箱館住民に対し、米艦渡来の際の心得を触書し、渡来に備えました。当時の心得の触書より、アメリカ人を多欲、短気な者とし、アメリカ人に対する警戒心、松前藩の態度を知ることが出来ます。
 箱館が恐怖に包まれる中、米艦が入港しました。まずは、1854年5月11日、帆船マセドニヤン号、パンダリヤ号、サウザンプトン号の三隻が入港、提督ペリーが座乗する蒸気船ポーハタン号、ミシシッピー号が入港したのは、5月17日です。このとき、ペリーは、還暦60歳でした。ペリーは、この時見た箱館をジブラルタルに酷似していると航海記で述べています。アメリカ艦隊の箱館来訪については、通達により承知していましたが、箱館で接見する江戸幕府役人は、まだ、到着していない状況でした。翌日18日、米艦隊上陸に伴い、会談が進みます。江戸からの通詞である名村五八郎は、会見に間に合わず、米艦隊所属中国人の羅森によって英語を漢文に訳し、意思伝達が行われました。会談では、薪水食料の補給のみならず、商品売買に対する取り決めや、家屋の提供などの新たなる要望も出されました。松前藩側は、江戸からの役人が到着していないこと、日米和親条約の効力は、明年発生するものであること等を理由に、締結を拒否、会談は、難航します。
 アメリカ側は、あらゆる方角の風から守られ入港しやすく、豊かな漁場を備えた函館港を良港と判断し、箱館港の細部にわたる取り決めは、下田での会談に持ち越し、最後まで争うことをしませんでした。ペリーが来箱館時に記したとされる日記には、函館住民の生活様式が描かれています。漁業により生計を立て、畳、ふすま等の建築様式、椀、お膳を使った食事様式、寺院の様子等を書き残しました。
 箱館住民を驚かせたものひとつに写真があります。提督ペリーに随行したブラウンが、遠藤又左衛門と石塚官蔵を写しています。この写真は、元町公園内函館市写真歴史館に今も見ることが出来ます。
 記述した年号は、全て西暦によります。

<参考引用文献>
1.函館市史 通説編 第一巻「函館市」1980年3月1日第五章第一節
2.ぺリー提督日本遠征日記 原著マシュー・C・ペリー 訳者木原悦子 「小学館」1996年10月20日初版
3.ペリー来航関係資料図録 「財団法人横浜開港資料普及協会」1993年8月10日第5版

2.ペリーにまつわる祭事
(1)開港パレード−函館港まつり
 毎夏、8月1日は、函館の最も大きなお祭りの一つ、函館港まつりのオープニングイベントである開港パレードが行われます。パレードは、開港時の様子を再現し、当時の幕府役人、米艦軍隊等に扮した450人が街を練り歩きます。宝来町高田屋嘉兵衛像を出発地点にし、函館駅前まで歩き、その後、メインの役者がヨットでシーポートプラザに入港します。
 このパレードには、商工会議所、商店街、自衛隊等の地域住民が参加する他、(財)北海道国際交流センター主催日本語・日本文化講座夏期セミナーで二ヶ月間来日している留学生も有志参加します。留学生は、6月中旬から8月中旬まで、母国で勉強していた日本語の更なるスキルアップと文化理解を深めるため、来日、勉学に励みます。
 このパレードのファイナルである倉庫群側のシーポートプラザ特設ステージで行われるパフォーマンスがあります。当時のペリーと幕府の議定書の取り交わしを再現するもので、このパレードの見所です。実際の議定書を取り交わしたのは、箱館ではないのですが、当時の様子を想像させる力があります。
 上述した夏期セミナーに参加している留学生が扮する役柄のひとつに、提督ペリーがあり、ファイナルパフォーマンスで演技披露します。留学生は、二ヶ月間一般家庭にホームステイし、実際の日本語に触れ、より高いレベルの日本語を習得します。流暢な日本語で演技披露し、函館住民との息のあった演技は、見る者を魅了します。異国の地で、ステージに上がる彼らの緊張は測りしれません。パフォーマンス終了時には、石畳の沿道いっぱいの観客から、割れんばかりの拍手が上がります。
 今年でパレードは、17回目を数えます。地域住民の参加はもちろんのこと、異国からの朋友を招き入れたこのパレードは、一見の価値があります。  今年も8月1日に行われるので、ぜひ、足を運んで欲しいと思います。

(2)ペリー提督来航記念碑建立について
 ペリー提督が日米和親条約時に寄港したのは、下田、父島、横須賀、横浜、那覇、函館です。この6つの都市の中で、函館を除く5都市では、ペリー渡来の記念碑があります。横須賀には、明治34年に、伊藤博文の書で、北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑が建立されています。函館には、弁天町にペリー会見所跡を伝える標柱があるのみです。
 函館にある5つのロータリーのひとつ函館ロータリークラブが、ペリー来航記念碑設立を提案、函館日米協会、函館北斗ライオンズクラブと三者合同で、現在計画を進めています。2001年5月23日には、ペリー提督来航記念碑建立協議会を設立しています。
 日米和親条約締結後、ペリーが函館を視察のため訪れた際、不幸にもパンダリヤ号の水兵が二人死亡しています。その時、アメリカ側は、埋葬を申し出、松前藩は、承諾し埋葬しています。現在も船見町の外人墓地に、その墓を見ることが出来ます。異国の地に眠る友を弔うため、パンダリヤ号の水兵達が作った碑文を刻んだ記念碑を設けてくれるようにと出発しましたが、当時、直ちに実現されませんでした。後に、昭和29年7月17日、ペリー来航百年記念式に実現し、記念碑が建立されています。これが、現在の墓です。
 ペリーにまつわる記念碑としては、その時以来のものとなり、今回のペリー渡来の碑は、大変意義あるものとなります。
 設立箇所については、未定ですが、協議会では、港近くを要望しているとのことです。また、記念碑のモデルは、ペリーの生誕地であるロードアイランド州ニューポート市にあるペリーの全身像の銅像をモデルに設立予定です。ニューポート市は、下田市と姉妹都市提携を結び、毎夏、七月に提督ペリーを祭る黒船祭りが行われています。
 函館のペリー記念碑の除幕式は、来年2002年5月17日の予定です。ペリーが函館入港をしたメモリアルデー5月17日に執り行われます。一般の方も見ることが可能です。5月のGWを過ぎ、爽やかな風がそよぐ函館に、ぜひ訪れ、この除幕式にも、参加してみてはいかがでしょうか。

伊藤 哲也さんからの質問

 函館におけるペリー提督のお話、ためになりました。函館と横須賀は、ペリー提督、中島親子などで親密な関係にあると伺っています。会津藩士で箱館戦争に散った者達のリーダーは実行寺に墓石がございました。
 函館を始め、道南には調べごとで何度も足を運んでおりますが、朝市で購入した蟹は美味しかったです。
 そして、つかぬことをお伺い致しますが、現在の函館にて一番おすすめなのは何でございましょうか(^^ゞ
 再来年の大河ドラマは榎本武揚が主人公ではなかろうかという話もきいております(゜_゜;)
 今後とも函館の楽しい話を楽しみにしてますので今日は、このへんにて(^^)丿

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