今から150年前、幕府は、アメリカに大使節団をおくり、日米修好通商条約、批准書を交換しました。長い間、外国との交流を閉ざしていた日本が、世界に向かって扉を開いたのです。使節団は、アメリカの軍艦ポーハタン号で、サンフランシスコ経由、ニューヨークでワシントンに向かい、ブキャナン大統領と会見しました。また、木村摂津守を提督、勝海舟を艦長とする幕府軍艦咸臨丸が、太平洋を横断、サンフランシスコに向かい、日章旗を掲げて、日本国軍艦の存在を世界にアピールしたのです。しかし、帰国した人々を待ち受けたのは、幕末の尊王攘夷の嵐でした。アメリカで近代文明の数々を学び、日本の近代化に貢献しようとしてきた人々は、幕府の崩壊もあって歴史から消え去り、忘れられた存在となったのです。星はその事の無念を語り、今後『万延元年遣米使節の無念』と題して、これを活字にしたいと強く考えております。

写真と絵は、使節団の一行と咸臨丸の様子です。





アメリカに向かう軍艦咸臨丸