COUNT:
星 亮一 Official Website 星亮一事務所

文化活動を通して、川内村復興のお手伝いをしませんか

星と県内の有志のみなさんで
「川内かえる塾」を設立しました

皆様のご参加をお待ちしております。

お申込み、お問い合わせ
FAX024−933−5023
メールはこちらから
福島民報新聞(5月16日付け)



天山文庫

草野心平

静岡県三島市にて星が講演を行います

5月21日(月) 岩手県二戸市(二戸市シビックセンター)にて

白虎隊士から東大総長にまで登り詰めた山川健次郎の愛弟子
田中舘愛橘博士没後60年記念講演会
にお招きいただきました

記念講演  「二戸の偉人 田中舘愛橘」 星亮一

詳しくはこちらをごらんください
岩手日報記事
二戸市シビックセンター

山川が教授補となった東京大学理学部の第一期生となる田中舘愛橘


東大理学部

白虎隊士から東大総長まで登り詰めた山川健次郎


郡山自由大学6月講座を開催します
ぜひ、ご参加ください。


お申込み、お問い合わせ
TEL024-933-5020・FAX024−933−5023
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星亮一の東日本大地震リポート
〜被害状況報告と復旧・復興を目指して〜

写真は避難地域の富岡町で星が撮影しました。
町でであったのは、牛とイノシシだけでした。


3月15日(木) 山口県萩市にて講演

「東北は負けない〜会津藩に学ぶ復興の半世紀〜」


野村市長をはじめ大勢の方においでいただきました(萩市民館)

図書館には星のコーナーがありました。ありがたいことです。
 

政経東北4月号に
会津藩と長州藩の関係を掲載いたします

会津藩と長州藩
そこには「意外な史実」があった

・萩の旅
・白旗を掲げて降参
・大恩人
・石田五助
・山本覚馬の尽力
・長州ファイブ
・日下義雄に改める
・健次郎と五助の出会い

アメリカ留学中の山川健次郎(右)
日下義雄(中央)、赤羽四郎(左)
会津の恩人・奥平謙輔 井上馨

いまから144年前、会津藩は一か月に及ぶ籠城戦の末に白旗を掲げて降参し主君容保は近郊の妙国寺に入って謹慎し、藩士たちは猪苗代に監禁され、今後、どうなるのか、見当もつかなかった。
その時、長州藩の参謀、奥平謙輔から会津藩の秋月悌次郎に手紙が寄せられた。 
 奥平は長州藩干城隊の参謀として北越戦争に従軍、奇兵隊、報国隊と共に長岡、新発田、新潟を転戦、会津坂下に進攻したところで会津藩降伏の報に接した。
降伏を申し入れてきた会津軍の将が旧知の秋月悌次郎であったことを知った奥平は謹慎中の秋月宛に手紙を書き送った。
奥平は会津藩と敵対し戦わなければならなかった不幸を嘆き、会津藩の徳川幕府に対する忠義をたたえ、今後は朝廷の為に尽くして欲しい、と書いてあった。
会津藩主脳は藁をもつかむ思いで、秋月を奥平のもとにつかわした。秋月は藩主父子の助命と会津の少年二人の教育を依頼した。
「わかり申した」
奥平は会津藩再興に協力を約束し、少年二人を書生として受け入れてくれた。選ばれたのは籠城戦を指揮した若き家老山川浩の弟、健次郎と小川亮だった。
健次郎は後年、東大、京大、九州大の総長を歴任し、古武士の風格で多くの若者を育て上げ、退官後は『会津戊辰戦史』や『京都守護職始末』をまとめあげ、主君松平容保の孫娘節子姫の皇室入りを実現させ、朝敵の汚名を一掃する離れ業を演じた。
見事会津の復興を成し遂げる。

 戦争に敗れた会津の人々は依然、謹慎中だった。重臣たちは、会津藩再興を新政府の幹部に日々、陳情していた。それが功を奏し、斗南三万石が与えられるが、五助はまったく異なる行動を取る。長崎に遊学をもくろんでいた。長崎で海外事情を学び、あわよくば海外を視察し、会津の復旧、復興に貢献したいと考えた。
そこで会津の公用人小出鉄之助を口説いて長崎への旅費30両を手に入れた。ここに五助の行動のカギがある。江戸から独断で脱走したのであれば、公金30両を手に入れることが不可能である。藩の了解のもとに江戸で榎本艦隊に潜入したとすれば、公金を使うことは可能になる。
五助はしたたかで、かつ慎重な男だった。
長崎で目指すは旧会津藩の御用商人足立仁十郎だった。しかしかつての力はない。五助は京都に戻り、各界に人脈を持つ旧会津藩の砲術師範、山本覚馬に相談した。覚馬は長州の井上馨を紹介してくれた。
覚馬は薩長に幅広い人脈を持っていた。
 これも凄い話である。

五助が伊藤に面会したとき、井上は大阪造幣局頭だった。
 井上は五助を書生として受け入れた。
このとき五助は名前を日下義雄に改めている。井上は五助を大阪英語学校に入学させ、念願の英語を学ばせた。五助の希望はアメリカ留学だった。毎日のように井上にアメリカ留学を願い出た。
「うるさい」
と怒鳴っても効き目がない。ついに、明治4年の岩倉使節団に同行を許され欧米を視察した。この時、会津人小松済治も一緒だった。小松も会津藩医馬島瑞園の次男で、長崎で医学の勉強中、ドイツの武器商人ルドルフ・レーマンに同行して、ドイツを尋ねた経験があった。五助が井上に会った時、小松も一緒だった。
井上の屋敷には、会津の若者がよく遊びに来ていた。のちにアメリカに留学し、外交官となる赤羽四郎、代議士や小説家として名を成す柴四朗である。四朗も後でアメリカ留学を果たす。これも井上との関係ではなかったかと思われる。その意味で、井上は奥平謙輔とならぶ大恩人であった。
ちなみに赤羽四郎、山川健次郎や柴四朗の三人は少年時代、同じ幼少組の仲間だった。



<感 謝>
山口の皆様からもこれまで何度も復興支援に駆けつけていただきました。
  


星亮一の東日本大地震リポート
〜相馬市・南相馬市・浪江町・新地町・飯舘村・川内村・大熊町・仙台・陸前高田・釜石・宮古・大槌・山田町・譜代村〜

  


取材リポートL
双葉郡富岡町


詳しくはこちらをご覧下さい→


世界にはばたく

「フクシマ国際科学技術大学院大学の誘致を」

『政経東北2月号』で星が強く提言!


詳しくはこちらをご覧下さい
「危機意識の欠如」は
どこに起因するのか}

●除染と廃炉の「コンビナート」で双葉地方の雇用創出を

『政経東北1月号』で星がさらに提言!



詳しくはこちらをご下さい→


復興ビジョンがない福島県

●郡山にグローバル戦略研究所を
●郡山に国際的な総合大学院大学の設置を
●福島空港周辺に中高一貫・全寮制の学校を

『政経東北12月号』で星が提言!




詳しくはこちらをご覧下さい→
東日本大震災
取材リポートO
宮古市重茂地区



瀬戸際三陸ワカメ


国産ワカメの8割を占める三陸ワカメが
津波で消滅の危機にある。
岩手県宮古市の重茂漁業協同組合の
伊藤隆一組合長は、陣頭指揮で
三陸ワカメの復活に取り組んでいる。
伊藤さんは重茂半島の漁民とその家族
1700人の暮らしを支えるリーダーである。
今度の震災で10ヶ所の集落が壊滅的被害を受け、
800艘あった船のほとんどが津波で流され、
わずか14艘しか残らなかった。

伊藤さんは自力で漁を再開するため、
漁師には一切の借金をさせず、
組合が船や猟具の全てを提供するという案を示し、
残された船を共同で使い、漁を再開した。
漁協の定置網船が、200キロも離れた海で見つかり、
各地から支援の船も提供された。
現実は厳しいが、
栄養豊かな三陸の海で育った
重茂のワカメは日本一である。
豊かな海が作り出す、三陸ワカメの復活はなるか、
重茂の人々の挑戦が続いている。

重茂には「ここから下に住んではいけない」
という石碑もあった。
お陰でここの集落の人々は、
津波の被害を全く受けなかった


 重茂漁業協同組合 TEL.0193-68-2211

取材リポートN
宮古市田老地区

万里の長城を越えた巨大津波

万里の長城といわれた田老の防潮堤も
今回の大津波の前になすすべもなく崩壊した。
田老漁協の畠山昌彦さんは鉄筋3階建ての事務所から
防潮堤を越える真っ黒い津波を撮影した。
無我夢中でカメラのシャッターをきったと
畠山さんは語った。
高さ10mの防潮堤を突破した巨大津波は
一瞬にして田老の町を飲み込んだ。
過去の津波供養塔も倒された。
私は三回、田老の町を訪ねた。
通過する旅だったが、
畠山さんや公民館長の小幡昇さんに惨状を聞いた。
住民約4500人のうち200人近い人々が命を落とした。
「防潮堤では津波に勝てない」
人々は茫然自失だった。
津波対策は防潮堤だけではなく、
造林とか高台への移転など複合戦略が重要になるだろう。

           


取材リポートM
双葉郡大熊町

詳しくはこちらを→

取材リポートL
双葉郡富岡町


詳しくはこちらをご覧下さい→

無人の町を行く

9月の下旬、避難地域の富岡町を見る機会があった。
町に入る峠からは第一原発の排気塔が見え、
緊張を覚えた。
富岡町の人口は1万数千人。
しかし、現在一人もここには住んでおらず
まさにゴーストタウンだった。
役場の立派な建物も無人の館で、
周辺にある野球場や周辺の小中高校も
人影がまったくなく、
それは異様な光景だった。
海岸には20m以上の津波が押しよせ、
富岡駅周辺の住宅はことごとく流され、
土蔵が1軒ポツンと残っているだけだった。
田んぼに牛の群れがいて、
我が物顔で闊歩しており、
山間の道には猪の親子が
落ちた栗を食べていた。
牛と猪しかいない空間。
それが富岡町だ。
果たして、山や川の除染が可能なのか。
心が締め付けられる一日だった。



取材リポートK
石巻市旧雄勝町
人口激減の町 石巻市旧雄勝町

牡鹿半島の旧雄勝町は、中心部が津波で壊滅。
4,300人いた住人は1,000人程度に激減した。
死者・行方不明者は262人。
船は流され、漁業の復興も厳しい状況にある。
星は、水浜で船の修理をしている秋山紀明さん(69)に出会った。
秋山さんは、以前まぐろ船に乗り、
機関長として世界の海を走り回ったが、
定年後生れ故郷の雄勝に戻り、
釣り人を乗せる遊魚船を営んでいた。
家は高台にあったので、無事だったが船は流され、
途方にくれていたが、
親戚の船を借り、修理をしているところだった。
もう、津波で養殖のカキやウニなどすべて流され、
この界隈の浜辺は全滅、呆然としていた。
「水位が下がり、波止場がだめになった。
しかし、何とか復旧しなければならない。
もう一肌脱がなければ、
雄勝の漁業がだめになってしまうかもしれない
若いものにはまだ負けられない」。
と語っていた。



取材リポートJ
気仙沼市唐桑



再建に取り組む唐桑の人々
“カキの養殖再開を目指して”

今回の津波で増殖施設のほとんどを流された
日本一のカキの産地、宮城県気仙沼市唐桑の海では、
カキの養殖の再開を目指して作業が始まっていました。
漁師の方々が湾内に残った施設を修理し、
津波被害を免れた石巻の業者から
ホタテの貝殻に付いた稚貝を仕入れ、
急ピッチの作業が行われていました。
横浜や大坂からボランティアの人が駆けつけ、
気仙沼漁協唐桑支所運営委員長の畠山政則さんの指導で
連日作業に励んでおりました。
唐桑でも死者56人を出す大被害を受け、
住まいは高台に移す計画です。


カキ種を購入し、筏につるす作業が始まっていました

宮城県漁協唐桑支所指導課長の吉川弘さん(左)
 同運営委員長の畠山政則さん(右)

海のボランティアの星野さん(右)と犀川さん(左)

海に向う作業船

取材リポートI
陸前高田市


“奇跡の一本松”

名勝「高田松原」に約7万本あった松のうち、
1本だけ残った“奇跡の一本松”
が枯れる恐れが出ているという。

私は松の木の再生を願って9月7日、
陸前高田に出かけ、松の木の無事を祈った。
上の方は、赤茶けており心配だが、
根元には地蔵さんも慈愛の眼差しでたっており、
「頑張れ」と手を合わせた。
周辺を見ると、松の木が無残に引きちぎられていた。
津波の力のすごさをまざまざと見せ付けられた。
ふとみると、松の木が切られた跡があった。
京都の五山の送り火に送られた跡だった。
これは、実現しなかったが、
平泉の中尊寺では駒札に使っているし、
成田山新勝寺では、今月下旬に
亡くなった方々の鎮魂のために
切り取った松の木を燃やすと新聞が報じていた。

陸前高田復興のシンボル松の木よ、がんばれ。

無残に折られた松の木


根元からえぐりとられている

根元に可憐な花が咲いていた

周辺はまだ海水に浸っている

根元の地蔵さん


切株の跡
そのほかのレポートはこちらをご覧下さい→


〜東日本大震災の被害状況報告と復旧・復興を目指して

歴史・人物・東日本大地震・原発問題など
様々な視点から各地で講演を行っております



2011.11.23
会津大学(会津若松市)会津エンジン06にて
「東北は負けない」

2011.11.26
日本国際情報学会(静岡県)にて
「東北は負けない」

2011.12.4
高松山観音寺(本宮市)高松山人間塾にて
「明治を支えた賊軍の男たち」

2011.12.14
只見中学校・親子講演会にて
「白虎隊士から東大総長へ 山川健次郎の生涯」



只見では大熊町から避難している関本信行さんご夫妻にもお会いしました
娘さんが只見中学校に在籍しています。
みなさん親切にしてくれるといっていました。

2012.1.22
仙台市泉図書館「震災復興記念講演会」にて
「東北は負けない」

2012.1.23〜2.20(計5回)
名倉公民館(郡山市)「市民学校・歴史講座」にて
「近代日本のトップレディー 山本八重」

2012.1.24
あさかの学園大学(郡山市)にて
「保科正之について」


福島未来ネットワークのみんさんと
「フクシマ国際科学技術大学院大学」の誘致について語る



福島未来ネットワーク
県議会議員のみなさん
代表高野光二さん(南相馬、相馬郡飯舘村)、水野さちこさん(会津若松市)、
星公正さん(南会津郡)本田朋さん(二本松市)、顧問の川田昌成さん(須賀川市、岩瀬郡)

福島県八重洲観光交流館

「ほっとするふくしま」

(東京駅八重洲南口徒歩3分)

大勢のお客様で賑わっていました。
私も会津の味噌漬けを買い、
東京の方に配りました。

交流館の方々と


朝日新聞記事
(1月10日付)


想・記・伝 
 

星が紹介されています

詳しくはこちらをご覧ください→
SOUTHERN CROSS

取材を受けました


SOUTHERN CROSS
編集・発行 NPO法人 日本コーディネート研究開発機構
協力/財団法人 脳神経疾患研究所 総合南東北病院

『会津藩流罪―復興への道のり』 
〜涙の半世紀〜

執筆中です。ご期待ください!!


名将の素顔とあの戦争の真実
『山本五十六と太平洋戦争』
3つの視点から迫る
人間山本五十六の実像
「視点3」

星亮一

「常在戦場の原点」



学研 定価750円

山本五十六語録

私は長岡藩士の名誉を汚さぬよう行動する。
私は河井継之助先生が、決起西軍に抗した時の
精神でやるんだ




詳しくはこちらをご覧下さい→

朝日新聞(夕刊)
2011.11.8付


星が白虎隊や山川健次郎について
インタビューを受けました。
また、『東北は負けない』
についても紹介されています。






 
詳しくはこちらを→
<予告>

『幕臣たちの誤算』

青春文庫より
11月10日 全国一斉発売予定!!



彼らはなぜ維新を実現できなかったのか…

青春文庫(税込み600円)

星が東日本大震災を取材した第一弾
「東北は負けない」
歴史に見る「弱者の逆襲」
  
講談社+α新書
全国一斉発売中!
お早めに書店へお申し込みください。

天災、政治的敗北 度重なる逆境を乗り越えた歴史
東北地方が「貧困」から脱却してきた歴史を紐解けば、
これからの姿も見えてくる。

講談社+α新書
定価(税込):880円

河北新報(2011.10.30付)
「東北の本棚」


東京新聞(2011.10.2付)詳しくはこちらを→

福島民報(2011.9.30付)


詳しくはこちらを→
福島民友(2011.9.10付)




詳しくはこちらを→


岩手日報(2011.9.25付)

詳しくはこちらを→

東海新報(2011.9.21付)


自衛隊の活動、安全保障問題全般を伝える
安保・防衛問題の専門紙「朝雲」でも紹介されました。

朝雲(2011.9.29付)

詳しくはこちらを→
岩手日日新聞(2011.9.10付)


詳しくはこちらを→

<「はじめに」より>
かつて作家の司馬遼太郎は「白河以北一山百文」という言葉をとりあげ、もともと東北は明治政府に冷遇されてきたと言った。
戊辰戦争が原因だった。
会津藩を中心に反薩長同盟を結び、薩摩・長州軍と戦ったが敗れた。勝利した薩摩・長州勢は、「東北の山は一山百文の値打ちしかない」と蔑視したのである。日露戦争、日中戦争、太平洋戦争でも、東北地方から召集された部隊は最前線に送られ、大きな痛手をこうむった。それを乗り越えようと、東北人も戦ってきた。薩長閥を打倒した岩手出身の平民宰相原敬は東北各地に鉄道網を広げた。同じ岩手出身の鈴木善幸は三陸海岸の漁港整備に尽力し、漁業を一大産業に育てた。
いまや仙台はプロ野球東北楽天の本拠地であり、昨今、トヨタ自動車も主力工場を東北新幹線沿いにシフトし、東北の発展はゆるぎないものになりつつあった。
その矢先の大震災だった。――

●現場発・被災地レポート●繰り返された天災と凶作●戊辰戦争の敗北から始まった近代●薩長主導の明治政府による東北蔑視
●失敗した安積開拓と野蒜築港●稗めしと沢庵漬けの食事●鉄道や大学を誘致した原敬●なぜ福島に原発が作られたか?
●漁港と水産工場を整備した鈴木善幸●東北の未来はどうあるべきか


四重苦“福島の現実”を見よ!

『原子力村の大罪』
好評発売中!

(KKベストセラーズ)

原子力村への最終警告 小出裕章
脱原発こそ国家永続の道 
西尾幹二
本丸は、東京電力ではなく経済省だ!
佐藤栄佐久
東電からもらったのは被害だけだ! 
桜井勝延
騙し騙され50年、悲劇的結末を迎えた東京電力と城下町 
恩田勝亘
このままでは棄民になってしまう 
星亮一

人牛同病 玄侑宗久

本体1,500円+税



9月全国一斉発売!!
英雄か?裏切り者か?西郷との密談に隠された真実!
『勝海舟と明治維新の舞台裏』
静山社文庫
幕臣でありながら西郷隆盛との江戸無血開城で幕府を崩壊させ、薩長政権誕生のキーマンとなった勝海舟。
幕府と薩長の両方を渡り歩き、戊辰戦争に敗れた旧幕臣や会津藩の人々からは裏切り者と呼ばれた。
常に時代を先読みしつつ、己の思うままに行動し、動乱の時代を巧妙に生き延びた勝海舟の真実!


静山文庫
 定価(本体648円+税)


福島民報 (2011.10.15付)

2013年、福島県会津若松が舞台となる大河ドラマが決定!

同志社大学を創立した新島襄の妻山本八重子の一生を描く
「八重の桜」



星亮一著

『女たちの会津戦争』
(平凡社新書


自刃、籠城、逃避行…。
山本八重子をはじめ、
官軍の理不尽な討伐に抗した女たちの
壮絶な戦場体験が描かれています




山本 八重子

会津若松に生れた八重子は、戊辰戦争の際、
銃を手に奮戦した女傑。
会津藩が敗者となるという苦難にもめげず
前向きに生き抜いた八重子は、
後、京都に出、英語を学び、
明治5年、日本最初の女学校女紅場の教導試補に
採用され、裁縫や書道、礼儀作法など熱心に
女子教育に当たった。
新島
との出会いは、
兄である山本覚馬を通してであった。




新婚当時の新島襄・八重子夫妻

<星亮一の最新刊>
『大鳥圭介』(中公新書)
4月25日全国一斉発売!

会津城下の戦いに参戦した唯一の旧幕府高官の数奇な生涯。
連戦連敗ではあったが、日光・会津・五稜郭で戦いたくましく明治を生き抜いた最後のサムライ

     
歴史通(ワック出版)7月号に『大鳥圭介』が紹介されました→詳しくはクリック


amazon カスタマーレビューより

○大鳥圭介など歴史の教科書でも、函館戦争のくだりで出てくるかどうかの人物で、その全人生を通して見ても、知らなくとも日本の歴史を学ぶのに、大きな支障はない人物だ。その程度の人物の人生のはずが、とてつもなく面白い。やはり、歴史は通史として学ぶことは必須だろうが、学んで楽しいのは、個人を知ることだと思う。幕末以後の大鳥圭介の人生が足りないという気もするが、やはり、大鳥圭介のクライマックスは函館戦争である。いずれにせよ、何が大鳥圭介をたらしめたのか、それを知ることは十分できる。

○大鳥圭介といえば榎本武揚、土方歳三とともに最後の最後まで新政府に抵抗した徳川のサムライとして有名である。しかし榎本、土方のキャラクターがあまりにも濃いために、大鳥がフィーチャリングされるということあまりないように思われる。 
著者の星亮一の先祖もまた、戊辰戦争を戦い抜いた勇士であり、星氏の描き出す佐幕派の豪傑たちは、滅びゆく者の悲壮感を漂わせながらも、常にどこか魅力的である。 
星氏は、本書において、大鳥圭介という「連戦連敗の勝者」を叙情的ではなく、あくまでも客観的な見方から描写している。 本書を閲することで、大鳥圭介という人は、イメージとは違い、なかなかどうして顔の広い人であることが分かった。福沢諭吉、大村益次郎、黒田清隆、伊藤博文などといった人々とも関わりがあり、意外にも榎本以上に薩長土肥閥とのパイプが太いようである。じつにおもしろい伝記であり、一気に読んでしまった。 
惜しむらくは、明治期の大鳥圭介についても、もうちと詳しく述べて頂きたかった。 

取材リポート
大鳥が院長を務めた学習院大学に取材に行ってまいりました。
→こちらをご覧ください


『会津戦争全史』(講談社)
第8刷発行となりました
本書の新機軸は、会津戦争を受難と被害の視点だけからでなく、
普遍的な<戦争と日本人>という論点から眺め直している点にある。
(朝日新聞2005年11月13日、野口武彦氏))

  





交遊録

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郡山タワー法律事務所 弁護士 三瓶正さん
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弁護士の三瓶正さんは、郡山異業種交流会「MBA21」のメンバーです。
三瓶弁護士がブログで「明治を支えた『賊軍』の男たち」の書評を書いてくれました。
以下、抜粋です。




星亮一先生の書かれた
明治支えた賊軍の男たち
という本を読みました。

戊辰戦争で朝敵扱いされた人たちのその後の活躍、

すごいなとおもいます。


特に、原敬首相の項にあった、
白河以北は、一山百文というくだりは、
当時の東北の人たちの苦労が、現れている気がします。


一山百文とは、当時薩長の人が、東北を蔑視して、
一山いくらという程度のひとしかいないという意味だそうです。

原敬の雅号は、ここからとって一山としたそうです。

今の閉塞感のある時代にふさわしい本ですね。

勇気を頂いた気がします。


この年末年始は、たくさん本を読みたいです。


今年の目標その2

塩野七生のローマ人の物語を全巻読む!


郡山タワー法律事務所 http://www.kt-law.info/

郡山債務整理相談室  http://www.saimuseiri.koriyama-law.com/

郡山交通事故相談室  http://www.koutsujiko.koriyama-law.com/

郡山離婚相談室    http://www.rikon.koriyama-law.com/

郡山相続問題相談室  http://www.souzoku.koriyama-law.com/

会津の歴史研究家 石田明夫さんのホームページ。
石田さんの注目すべき最新研究!

石田明夫さんは、全国の講演会でも活躍されている会津歴史研究家です。 実証に基づいた研究をしておられます。

石田さんの最新研究
「会津藩では、海老名郡治を奉行として、120万両(約1200億円)の銭貨を「御城吹」と称し、慶応4年(1868)に鋳造した。その半分は、金と銀を供出した藩士や庶民に戻されている。
敗戦後、銭貨造りに関わった職人が「軍司方」と称し贋金を造るようになる。
明治2年5月、新政府は贋金の製造と流通を禁止し、取締りを強化したことにより、約1200人が捕まる。回収できた贋金は、約18万両に留まっていた。」

石田さんのホームページのリンクはこちら。

戊辰戦争研究会 リンク集
会員のHP、ブログ

自然の詩永山弥一郎殿のHPです。
伊達殿のブログ伊達藤五郎殿のブログです。
美貴さんのブログ田野井美貴さんのブログです。
東京川中島の会人見勝太郎殿のHPです。
龍馬を語ろう半平太殿のHPです。
SPECIAL POLICE UNIT 誠の旗の下に勝海舟殿のHPです。
みちこの幕末日記神保修理のブログです。



日々の出来事やニュースなどを綴った毎日更新コラムです。
過去の一覧はこちらからどうぞ

2012年5月19日(土) 政治、原発
<石原都知事>日本維新の会?新政治塾発足の可能性言及
毎日新聞 5月18日(金)19時4分配信



 東京都の石原慎太郎知事は18日の定例記者会見で、次期衆院選などに向けた候補者養成について「大阪と連携し新しい人材を政界に送りたい。向こうが大阪維新の会なら、連帯することで日本の維新の会のようなものを作っていきたい」と述べ、大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長らと新たな政治塾を発足させる可能性に言及した。

【大阪維新の会について詳しく】毎日フォーラム・ファイル:大阪 中央政界を揺さぶる「維新の会」

 石原知事は「次の総選挙に間に合わなくても人材を作ることが日本のためになる」と説明。大阪維新の会の「維新政治塾」の講師を務める6月にも「具体的なメッセージを発したい」と述べた。

 一方で「亀井(静香前国民新党代表)君が言ってるみたいに既存の議員を集めて第三極を作るの-は全然興味がない。(亀井氏が連携を模索する)小沢一郎(民主党元代表)と俺が手を


<胆管がん>校正印刷会社の元従業員4人が死亡
毎日新聞 5月19日(土)2時31分配信

 西日本のオフセット校正印刷会社の工場で、1年以上働いた経験のある元従業員のうち、少なくとも5人が胆管がんを発症、4人が死亡していたことが、熊谷信二・産業医科大准教授(労働環境学)らの調査で分かった。作業時に使われた化学物質が原因と強く推測されるという。遺族らは労災認定を求め、厚生労働省は調査に乗り出した。

 熊谷准教授によると、同社では91〜03年、「校正印刷部門」で1年以上働いていた男性従業員が33人いた。発症当時の5人の年齢は25〜45歳と若く、入社から7〜19年目だった。熊谷准教授が今回の死亡者数を解析したところ、胆管とその周辺臓器で発生するがんによる日本人男性の平均死亡者数に比べ約600倍になった。

 校正印刷では、本印刷前に少数枚だけ印刷し色味や文字間違いなどを確認するが、印刷機に付いたインキを頻繁に洗うので結果的に洗浄剤を多用する。洗浄剤は、動物実験で肝臓にがんを発生させることが分かっている化学物質「1、2ジクロロプロパン」「ジクロロメタン」などを含む有機溶剤。会社側は防毒マスクを提供していなかったという。91〜03年当時、ジクロロメタンは厚労省規則で測定や発生源対策が求められていたが、1、2ジクロロプロパンは規制されていなかった。

 熊谷准教授は「これほど高率になると、偶然とは考えられず、業務に起因している。校正印刷会社は他にもあると聞いており調査が必要だ」と話す。

 元従業員らが労災認定を求めたことについて、会社側は「真摯(しんし)に対応させていただいている。個人情報などもあり、お答えできない」としている。【河内敏康、大島秀利】

 上島通浩・名古屋市立大教授(労働衛生)の話 大変重要な事例で、食事など地域性の要因も含め調査が必要だ。

 ◇胆管がん 

 胆管は肝臓で作った胆汁を十二指腸に運ぶ管状(長さ約8センチ)の器官。がんは上皮からできるとされる。胆管結石との関連も指摘されるが、原因は不明。日本人男性の年間死亡率は10万人あたり10.5人(05年)で、発生率は75歳以上で最も高い。

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<理科の実験で使われていた…>石綿金網:基準の3倍繊維が飛散…NPO調査
最終更新:5月19日(土)3時14分

組むことは全くない」と語り、改めて小沢元代表への嫌悪感を示した。

 小沢元代表との連携が取りざたされる大村秀章愛知県知事については「小沢さんと一緒に行動するなら、そんな人間と仕事をするつもりは毛頭ない」と断言した。【佐々木洋】

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25都府県に広域防災拠点 巨大災害で後方支援

 震災直後から自衛隊のベースキャンプとなった岩手県遠野市の「遠野運動公園」=2011年3月(遠野市提供)

 大規模災害時に被災地へ届ける物資の輸送・集積の基地となる「広域防災拠点」を、25都府県が整備したことが18日、岩手県の3月末までの調査と共同通信の取材で分かった。内閣府は「広域防災拠点の全国調査は初めてとみられる」としている。

 東日本大震災で、津波に襲われた沿岸部に対し、岩手県内陸部の遠野市が後方支援基地として機能したことから拠点の重要性が再認識された。

 政府の中央防災会議の防災対策推進検討会議も3月の中間報告で、大規模災害について「遠野市の事例を参考に、後方支援基地の位置付けを行うべきだ」と要請。巨大災害を想定し、整備を進める動きが広がっている。

共同通信  2012年5月18日
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北米に震災流出物続々 持ち主ら奇跡喜ぶ

 東日本大震災で流出したとみられる、北日本銀行の湊支店(八戸市)が同市
鮫町の男性に贈った大漁旗と、陸前高田市の気仙中(吉家秀明校長、生徒94人)
のバスケットボールが、カナダと米アラスカ州の太平洋沿岸でそれぞれ見つかっ
ていたことが17日明らかになった。同州では4月にも県人のサッカーボールな
どの漂着が明らかになっており、相次ぐ「奇跡的」なニュースは県民から復興へ
の勇気や希望として受け止められそうだ。

 カナダ西部ハイダグアイでは4月、「第65甚宝丸」「きたぎん湊支店」とプリントされた大漁旗が見つかった。米シアトル在住の元海洋学者、カート・エベスマイヤー氏の関係者から14日、同支店に照会があり、持ち主は八戸市鮫町の船主佐藤昇三さん(75)と分かった。

 大漁旗は、佐藤さんが1988年に漁船「第65甚宝丸」を新造した際、取引があった同支店が寄贈。津波で行方不明となった漁船の操舵(そうだ)室の引き出しに入れていた大漁旗5枚のうちの1枚だった。

 同支店の三浦秀一支店長代理は「港が盛んだった頃は大漁旗を贈る習慣があったかもしれない。ただただ驚いている」と語り、佐藤さんは「無事に見つかったので、返していただいたら神棚に上げたい」と声を弾ませた。

 米アラスカ州では3月下旬、女子高校生が「気仙中」と書かれたバスケットボールを発見。写真などから同校の備品と判明した。

 被災した同校は海に近く、備品全てが津波で流出。吉家校長は「全てが流された中、よく見つかったなと驚いた。2年ぶりに開催する今週末の運動会に向け全校一丸となって力を注いでおり、生徒たちのさらなる励みになる」と力を込めた。

 バスケットボールを拾った人は返却の意向といい、同校男子バスケットボール部の上野翔伍部長(3年)は「もし戻ってきたら記念に飾っておきたい。部員全員の力になる」と笑顔で話した。

 米アラスカ州ではこれまでに陸前高田市の男子高校生のサッカーボールと、田野畑村出身の会社員女性のバレーボールが見つかっている。

岩手日報   2012年5月18日
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全面撤退と解釈 東電対応に強い不信感  国会事故調で海江田氏

 東京電力福島第1原発事故の対応に当たった海江田万里元経済産業相が17日、国会が設置した事故調査委員会に参考人として出席し、東電が原発から全面的に撤退する意向だと解釈したことなど、事故直後の東電の対応に政府側が強い不信感を抱いていたことをあらためて明らかにした。

 また首相官邸内と東電、経産省原子力安全・保安院との情報共有に大きな問題があったことを認めた。

 同委が公開の場で国会議員を聴取するのは初めて。事故対応に国会議員がどのような関与をしたのか調べる方針で、27日には当時官房長官だった枝野幸男経産相の聴取も予定している。

 東電の清水正孝(しみず・まさたか)社長(当時)が昨年3月15日未明、原発からの撤退を申し出たことについて海江田氏は「社長が私に電話をしてきた意味を考えると、重い決断だったのだろうと思う」と述べ、全面撤退ととらえたことを明らかにした。東電はこれまで「全面撤退の意向を伝えたことはない」としている。

 1号機の格納容器から蒸気を排出するベントが遅れたことについて「東電がこの期に及んで事故を小さく見せようとしているのかと思った」と指摘。1号機への海水注入がなかなか始まらなかったことにも「東電が廃炉をためらっているからだと感じた」と述べた。

 官邸が東電などと事故関連の情報をうまく共有できず「伝言ゲームをやっているような状況で、このままではいけないと思った」と当時の心境を語った。

 事故当初、官邸の地下に詰めていた海江田氏は、5階にいた菅直人前首相と情報共有ができなかったことを「大きなマイナスだと思っていた」と振り返った。

 事故当日、原子力緊急事態宣言を出すのに時間がかかった理由を問われると「総理の理解を得るのに時間がかかった」と説明した。(佐分利幸恵)


事故調やりとり詳報

 東京電力福島第1原発事故調査委員会(国会事故調)が17日、海江田万里(かいえだ・ばんり) 元経済産業相を参考人聴取した主なやりとりは以下の通り。

 【事故の初期対応】

 桜井正史(さくらい・まさふみ)委員 東電が昨年3月11日、原子力災害対策特別措置法15条に基づく緊急事態を通報した後の対応は。

 海江田氏 官邸に行って菅直人(かん・なおと)首相(当時)に状況を話した。

 桜井委員 原子力緊急事態宣言を出すためか。

 海江田氏 はい。菅首相から「炉の状況は」と聞かれ、経産省原子力安全・保安院の院長と次長が話をした。いろんなやりとりがあり「とにかく原子力災害対策本部を」と言うと「どこに(法律上の)根拠があるのか」と聞かれ、省令にあるらしいのだが持っておらず、内閣官房副長官らも入ってきて「どこだ、どこだ」と。その後、党首会談もあって時間が経過した。

 桜井委員 原子力緊急事態宣言について菅首相は。

 海江田氏 「チェルノブイリみたいになる」と2回ぐらい言っていた。

 桜井委員 宣言までに時間がかかった理由は。

 海江田氏 菅首相の理解を得るのに時間がかかった。

 【ベント、海水注入】

 桜井委員 東電からベントの話は。

 海江田氏 東電から爆発を防ぐために圧力を逃す、それがベントだと聞いた。大気中に放射性物質が飛散し、厳しい選択だが「やってください」とお願いした。

 桜井委員 なぜベント実施命令を出したのか。

 海江田氏 昨年3月12日午前3時にベントをすると発表した。すぐ始まると思ったが進まない。この期に及んでも東電は事故を小さく見せるためにためらっているのかな、と思った。命令は東電経営者を後押しする意味もあった。

 桜井委員 海水注入についてどう思ったか。

 海江田氏 炉に塩を入れると廃炉なので、ためらっていると思った。

 桜井委員 原子炉への海水注入をめぐり、政府内で意思疎通ができていなかったのでは。

 海江田氏 意思疎通ができない、情報共有ができないのは大きなマイナスだった。私ども、東電本店、第1原発の免震重要棟の三つが伝言ゲームをやっているような状況で、このままではいけないと思った。

 【撤退】

 桜井委員 東電の撤退問題について。どこから話があったのか。

 海江田氏 清水正孝(しみず・まさたか)社長(当時)からの電話。官房長官の部屋の外で電話をうけたが、しっかり覚えているのは、第1原発から第2原発への撤退ではなく「退避」という言葉。「一部を残す」という話は一切なかった。

 桜井委員 その場にいた官邸幹部の結論は。

 海江田氏 大変なことになる。東日本が失われると。現場の方に申し訳ないが、がんばっていただかなければならない。ところが清水社長に来てもらうと「撤退しない」と。

 桜井委員 社長の発言をどう感じたか。

 海江田氏 若干、気が抜けた。現場に残れば急性被ばくの可能性もあるので重い決断。それを考えるとどうなのかなと。電話で受け取った話と違ったので。

 桜井委員 東電は全員退避を考えたことも、連絡したこともないと言っているが。

 海江田氏 清水社長が私に電話してきた意味を考えると、重い決断だったのだろうと思う。

 【首相が東電本店に】

 野村修也(のむら・しゅうや)委員 (これまでの東電社員の証言には)菅首相から厳しく〓(口ヘンに七)責(しっせき)され、違和感があったというものもある。

 海江田氏 初めて菅首相の演説を聞く方は違和感を覚えて当然だと思う。もう少し別な表現があるだろうと。私は菅さんとは古い仲でありまして。

 【浜岡原発の停止】

 野村委員 浜岡原発を止める法的根拠は。

 海江田氏 ない。

 石橋克彦(いしばし・かつひこ)委員 昨年5月5日に浜岡原発を視察した時の感想は。

 海江田氏 砂丘が防波堤の役割を果たすと聞いていたが、実際に行くと防風林の丈は短く、津波が来たら遡上(そじょう)すると。

 石橋委員 現在は。

 海江田氏 そのままの状態が続いている。

 【再稼働について】

 野村委員 今夏は大変だ。相当の節電をしないといけない。先を見通して(再稼働の理解が得られやすい)厳しい基準を考えなかったのか。

 海江田氏 やってしまったことなので弁解はしない。ご批判は受ける。

 【天災か人災か】

 野村委員 東電は天災だと言い続けている。天災と人災の割合は。

 海江田氏 難しい質問だが、ゼロではないだろう。津波の高さ、地震の強さの新たな予測が出ていて(人災と考える余地は)ある程度あった。

 黒川清(くろかわ・きよし)委員長 ベントの時に東電がためらっていると思った、と言っていたが、具体的には。

 海江田氏 ベントの時か後だったか、第1原発事故で5、6号機も無傷じゃなかった。全部廃炉だなと思っていたが、東電が5、6号機を廃炉と言い出さなかったので。

 【保安院の役割】

 桜井委員 保安院の記者会見で炉心溶融の可能性が取り上げられたことは知っているか。

 海江田氏 その方(昨年3月12日、保安院の記者会見で炉心溶融の可能性に言及した中村幸一郎(なかむら・こういちろう)審議官)が代わったことは知っている。代えろ、と言ったことはない。

 桜井委員 会見を記憶しているか。

 海江田氏 官邸にいて全く見ていない。

 桜井委員 炉心溶融という言葉を使わなくなったことで保安院の発表に不信感を抱かれるようになったが。

 海江田氏 東電の技術者を呼んで言葉の整理をした。いろんな事象がはっきりせず「確実に言えることは何か」と聞くと「燃料ペレットの溶融」と言う。じゃあ、その言葉を使いなさい、と。

 桜井委員 保安院は役割を果たせたか。

 海江田氏 彼らは彼らなりに一生懸命やったが、国民の期待する役割は果たせなかった。

 (2012年5月17日、共同通信原子力報道室)
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自分が幸せか不幸せかは
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(貝原 益軒)


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は全然興味がない。(亀井氏が連携を模索する)小沢一郎(民主党元代表)と俺が手を組むことは全くない」と語り、改めて小沢元代表への嫌悪感を示した。

 小沢元代表との連携が取りざたされる大村秀章愛知県知事については「小沢さんと一緒に行動するなら、そんな人間と仕事をするつもりは毛頭ない」と断言した。【佐々木洋】

【関連記事】
2012年5月18日(金) gennpatu ,seiji
-児童生徒、個別の津波避難マニュアル作成へ
読売新聞 5月18日(金)7時12分配信


 登下校時の津波被害などを想定し、児童生徒に個別の避難マニュアルを作らせる取り組みが、東日本大震災で被災した宮城県岩沼市で始まる。

 自宅がある地域や通学ルートなど、個々の事情に応じ、あらかじめ避難場所を決めておく。市教委は沿岸の2校で来月から実施し、他の6校にも順次拡大させたい意向だ。

 県教委によると、震災で県内の公立学校・幼稚園の子供計362人が犠牲になったが、石巻市の大川小学校の犠牲児童74人以外は、ほとんどが下校中や帰宅後だった。

 岩沼市内でも、海岸2キロ前後の場所にある玉浦小(児童326人)と玉浦中(生徒160人)の児童生徒3人が、いずれも帰宅後に亡くなった。市教委はまず、この2校で個別マニュアル作成を先行実施する。 ---------------------------------------------------------------------
<東日本大震災>奇跡の桜、記憶残し… 女川で伐採

住民らが見守る中、倒される桜=宮城県女川町で2012年5月17日午前、小川昌宏撮影
 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町で、津波に半分に折られながらも一度は花を咲かせたソメイヨシノが、オブジェやベンチとして生まれ変わる。地元住民は親しみを込めて「津波桜」と呼んできたが、今春、「枯死」と診断され、17日に伐採作業が行われた。住民は「形を変えても、復興していく町を見守ってほしい」と願いを込めていた。

 津波桜は町中心部のJR女川駅前に2本並んで立ち、いずれも高さ約5メートル。幅約10メートルにわたって立派な枝ぶりを誇り、震災前まで毎春、満開の花を咲かせていた。

 しかし、町内で595人の犠牲者を出し、約3000棟を全壊させた津波は2本の桜も襲い、半分に折れて無残な姿に。住民は「もう咲かないだろう」とあきらめた。ところが昨年4月中旬、色彩のなくなったがれきの町で、1本の幹から3輪のピンクの花を咲かせた。輝く花びらを見て「町の希望の象徴だ」と涙ぐむ住民もいた。「桜と一緒に復興への道を歩いていこう」と藤中郁生さん(65)ら16人が「女川桜守(さくらも)りの会」を結成した。

 桜は昨春から夏にかけて新芽を出しては枯れ、一進一退の状況が続いた。藤中
さんは「桜が『震災なんかに負けねっちゃ』と言っているようだった」と話す。
今春はついに芽を出さず、樹木医が枯死と診断。藤中さんは「これまでありがと
う。私たちもみならって頑張るから」と桜に語りかけていた。【竹田直人】

毎日新聞  2012年5月17日
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原子力規制組織 自公案丸のみでは機能しない(5月17日付・読売社説)

 深刻な原子力発電所事故が起きた時、府省から独立した組織が、果たして迅速かつ的確に対処できるだろうか。

 民主、自民、公明3党は非公式協議で、経済産業省原子力安全・保安院に代わる原子力規制の新組織として、環境省に「原子力規制委員会」を創設することで大筋、一致した。

 政府提出法案の成立のメドが立たないため、民主党が自公両党案をほぼ“丸のみ”し、原子力規制委の設置を受け入れるという。

 信頼される新組織の設置を目指し、与野党が打開策を模索すること自体は評価できる。だが、自公案には問題が少なくない。

 原子力規制委は、国家行政組織法3条に基づく独立性の高い「3条委員会」だ。環境相の指示を受けず、自主的に政策を決められる。「原子力規制庁」は、その下部組織として実務を担う。

 政府案の規制庁は、環境相が任命する規制庁長官がトップに立つ仕組みだが、自公両党は、それでは原発を推進する経産省や政治の圧力に抗することが出来ない、と批判してきた。

 自公案は、重大事故時でも、原子炉の制御などに関する措置は原子力規制委が担うとしており、首相の指示さえ排除している。

 だが、原子力規制委が非常時に迅速な意思決定が可能か疑問だ。独立性を重視する余り、危機対応に支障が生じてはならない。

 野田首相が自公案について「よく吟味しなければいけない部分がいっぱいある」との懸念を示したのは、もっともだ。

 政府案のように、原子力災害対策本部長の首相が、規制庁を含む各府省に指示し、電力会社にも関与できる方が妥当だろう。平時の防災対策や避難訓練に必要な自治体との連携も容易だ。

 自公案が原子力規制委の5人のメンバーを国会同意人事としていることも問題をはらんでいる。衆参ねじれ国会の下、日銀総裁が野党の反対で一時空席となったことがある。そんな混乱が繰り返されれば、危ういと言うほかない。

 自民党内には、原発を推進したいわゆる「原子力ムラ」の徹底的な排除を求める声がある。原子力規制委が反原発派の有識者らで占められることになると、規制行政が国の原子力政策を左右することにもつながりかねない。

 原子力規制委の下に置かれた場合、規制庁に有能な人材がどれだけ集まるか、も心配だ。

 民自公3党は、政府案を軸に議論をやり直すべきである。

読売新聞   2012年5月17日
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沖縄きょう復帰40年

復帰40周年を記念して開かれている「沖縄なつかし展」では多くの市民が寄せた古い写真や生活用品が展示されている=14日午後6時5分、那覇市牧志

 沖縄は15日、日本に復帰して40年を迎えた。午後には国と県が共催の記念式典が沖縄県宜野湾市であり、野田佳彦首相ら三権の長や仲井真弘多知事をはじめ、県内の市町村長ら約1200人が出席する。知事は同日、「沖縄の自立」を柱に今後10年の施策を盛り込んだ沖縄振興計画を首相に示す。

 沖縄は、「鉄の暴風」と呼ばれた地上戦の後、米軍の統治下におかれた。1952年の琉球政府発足後も、自治は限定され、米軍は「銃剣とブルドーザー」で基地を建設し、核兵器を置いた。

 復帰は県民の悲願だった。72年の式典で、当時の屋良朝苗知事は「沖縄が歴史上つねに手段として利用されてきたことを排除し、新しい県づくりに全力を挙げる」と決意を語った。

 しかし、米軍基地の負担は、いまも変わらない。国内の米軍専用施設の74%が沖縄に集中し、普天間飛行場は日米の「返還合意」から16年たっても動かない。米軍再編の見直しでも、名護市辺野古への移設計画は変更されず、県民が反対する中、7月には米軍の新型輸送機MV22オスプレイが沖縄に配備される。

 一方、沖縄への振興策は復帰後、4次にわたった。

 基地経済への依存度は15・5%(72年度)から5・2%(09年度)に減ったが、政府への財政依存度は復帰時の23・5%から39・2%(同年度)に。完全失業率は復帰時の3・0%から7・1%(11年)に悪化した。

 約140万県民のうち、「復帰後世代」は約48%を占めている。

朝日新聞   2012年5月17日
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アマゾンベストセラー、幕末維新ベストセラー!、2012年5月18日
11. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一
28. 勝海舟と明治維新の舞台裏 (静山社文庫) 星 亮一
63. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一
71. 会津と長州、幕末維新の光と闇 星 亮一
95. 戊辰戦争を歩く―幕末維新歴史探訪の旅 星 亮一、 戊辰戦争研究会
96. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一
116. 新選組と会津藩 彼らは幕末・維新をどう戦い抜いたか (平凡社新書) 星 亮一
148. 戊辰の内乱―再考・幕末維新史 星 亮一
205. ラストサムライの群像―幕末維新に生きた誇り高き男たち 星 亮一、 遠藤 由紀子


あぶない所へ来ると 馬から降りて歩く
これが秘伝である
(徳川家康)


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2012年5月17日(木) 原発、z政治
「全面撤退」真意と理解=海江田氏、清水社長電話に―福島原発事故・国会事故調
時事通信 5月17日(木)17時42分配信
 東京電力福島第1原発事故を検証する国会の事故調査委員会(委員長=黒川清・元日本学術会議会長)は17日、海江田万里元経済産業相を公開で聴取した。海江田氏は昨年3月14日深夜、東電の清水正孝社長(当時)から電話で伝えられた同原発からの「撤退」について、「社長が電話してきた意味を考えると、大事な結論だったのではないか」と述べ、東電側の真意は全面撤退だったとの認識を改めて強調した。
 清水氏の「撤退」電話をめぐっては、東電側が「必要な要員を残してのことで、全面撤退は考えたこともない」と説明。海江田氏ら官邸側の認識と食い違いがある。 

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最終更新:5月17日(木)17時48分
福島県・魚類のセシウム調査 原発南岸沿いで高数値
河北新報 5月17日(木)6時10分配信

 福島第1原発事故で福島県の原発南岸沿いの海域の魚類から検出された放射性セシウムが、他の海域に比べて際だって高いことが16日、県のモニタリング検査で分かった。県水産試験場は「原発から出た高濃度の汚染水が岸沿いに南下したため」と分析している。
 検査対象は9海域=図=で、原発から半径20キロ以北と以南の沿岸部をそれぞれ南北に2分割し、さらに水深50メートルを境に沖側と岸側に分割した。1月中旬〜4月下旬、海域ごとに魚類のセシウム検出状況を調べた。
 セシウム濃度が最も高かったのは、原発南岸沿いの海域(6)。150点のうち95点(63.3%)が国の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を超え、平均値は399.3ベクレルだった。
 隣接の海域(5)は126点中10点(7.9%)で平均値30.3ベクレル、海域(7)は180点中57点(31.6%)で137.1ベクレルにとどまった。残る6海域は8.1〜54.4%で30〜148.7ベクレルだった。
 試験場が昨年4月〜ことし4月に実施した検査で対象となった魚類159種3490点のうち、基準値を超えたのが69種(43%)の1181点(34%)だったことも分かった。魚種数、点数とも南部のいわき海域(魚種数51%、点数45%)が北部の相双海域(28%、26%)を上回った。 最終更新:5月17日(木)6時10分

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津波警報改善、来年3月から 「巨大」と表現

 気象庁は16日、東日本大震災を教訓にマグニチュード(M)8を超える巨大地震の津波警報の第1報は高さの予想を出さず「巨大」などと表現し避難を促すよう改善したシステムを、来年3月から開始すると発表した。

 当初は今年中にも始める方針だったが、情報を受信する都道府県など防災機関側のシステム改修が間に合わないケースもあり、遅らせた。

 開始前に巨大地震発生の可能性が検知された場合は、想定される最大の津波から高さ予想を発表するという。

 改善策として、巨大地震発生から3分以内に発表する警報の第1報は、津波予想規模を「巨大」や「高い」と表現。

共同通信   2012年5月16日
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幕末の志摩半島異国船騒動   歴史民族資料館 当時の様子冊子に

異国船騒動の古文書を解読した冊子

 幕末に志摩半島に到着した外国船についてまとめた冊子「幕末の異国船騒動」が、志摩市歴史民俗資料館(旧磯部郷土資料館)から発行された。古文書に記された黒船騒動と住民の対応、紀伊半島の諸藩が取った海防策をわかりやすく知ることが出来る内容となっている。

 江戸時代後期の文政8年(1825年)、幕府は「異国船打払令」を出した。鳥羽藩も志摩半島沿岸に57の砲台場を築いた。嘉永7年(54年)には米国の東インド艦隊司令官のペリー提督が浦賀に再来航。同年11月には安政大地震が起こり、社会が動揺する中、安政2年(55年)元日朝に清国の商船が田曽浦沖(南伊勢町)に漂着した。浜島村(志摩市)の大庄屋からは「村々油断なく遠見番致されべく」と回状が出された。村人たちが初めて見た3本マストの大船に「女童にいたるまで立ちさわぎ」と前代未聞の事態になった様子が記されている。

 現場は鳥羽藩領と紀州藩領との境界付近。幕府から伊勢神宮防衛の任務を受けていた津藩の武士も駆けつけた。

 浜島村には慶応元年(65年)4月に英国商船が横浜港と間違えて到着。村役人は船中の酒盛りに加わり、英国人の求めに応じて魚を差し入れるなど冷静に対応した。同年10月には英国の軍艦が入港した。前年には英国などの4か国艦隊が下関を砲撃した事件が起きていたが、「村役人だけは船中に乗り、外人(ほかびと)はペケペケペケと申て壱人も乗せ申さず、誠に厳重にて相囲み居り申候」と臨場感あふれる文章で記している。

 磯部古文書学習会(山本耕助会長)の会員らが約1年かけて志摩市浜島町の元庄屋宅などに保管されていた古文書16冊を読み解いた。外国船の絵図や当時の地図も掲載した。

 同会会員でもある同資料館の崎川由美子館長は「当時の人たちが外国船の到着にどのようにあわてて、対応したか、その様子を知ってほしい」と話している。

 A4判40ページ。同市磯部町迫間の同資料館(0599・55・2881)が500冊印刷し、1冊500円で販売している。

読売新聞   2012年5月16日
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龍馬の手紙 2枚?実は1枚  京博室長、学会誌に発表

                 「裏に表に次々 奔放さ浮かぶ」

 幕末の志士・坂本龍馬が姉の乙女に送った2枚の手紙(重要文化財)は、もともと1枚で、後世になって表と裏をはがして2枚にしたものであることが分かった。龍馬研究者として知られる京都国立博物館の宮川禎一・企画室長が、1月に発行された「現代龍馬学会」(事務局・高知県立坂本龍馬記念館)の紀要で発表した。

 手紙はそれぞれ縦16センチ、横163センチ。1865(慶応元)年9月9日、伏見の寺田屋で書いたとみられ、姉の乙女に恋人のお龍を紹介する内容となっている。この手紙は従来、1枚の紙を真ん中で横に折って上下2段にし、最後に上下に切断されたと考えられてきた。

 これに対し、宮川さんは2枚の紙の継ぎ目やシミの位置が、完全に左右対称になっていることや、紙の継ぎ目の上にも文字があることを確認。龍馬は、何枚も紙を継ぎ足した細長いロール状の巻紙の表と裏に文章を書き、表装の際に表と裏をはがしたと断定した。

 さらに、これまで「1枚目」と思われていた上段の冒頭にある幅10センチの不自然な余白に注目。「余白を作って手紙を書き始めるのは不自然だ」として、上段から順に書いたのではなく、「2枚目」と思われていた下段が、実は手紙の冒頭部分だと考えた。

 宮川さんによると、龍馬はまず、「お龍が男2人と大げんかをした武勇伝」を一気に書き上げ、巻紙を裏返して、乙女らに礼法や和歌集の本を送るよう頼む文を書き、文末に日付を書いていったん終了。

 次に、再度裏返して、お龍の話の続きを書き、乙女に頼んだ件も改めて記述。「九月九日 龍」と締めくくってあて名を書き、巻紙を切断した。さらに、再び紙を裏返し、幅50センチほどの余白に数カ月前に結成した亀山社中の同志の近況を書くなどした。その後、後世で表具師が表裏をはがして2枚にしたという。

 宮川さんは「頭に浮かんだ思いつきを次々と巻紙をひっくり返しながら書いていった様子が目に浮かぶ。自由奔放な発想の龍馬らしい。ただ、なぜ紙の表裏に書いたのかについてまだわからない部分もある」と話している。

 今回の手紙は、宮川さんが6月上旬に出版する著書「全書簡現代語訳 坂本龍馬からの手紙」(教育評論社)でも紹介される

朝日新聞   2012年5月16日
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アマゾンベストセラー、幕末維新ベストセラー!、2012年5月17日
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110. 新選組と会津藩 彼らは幕末・維新をどう戦い抜いたか (平凡社新書) 星 亮一
116. 戊辰の内乱―再考・幕末維新史 星 亮一
222. ラストサムライの群像―幕末維新に生きた誇り高き男たち 星 亮一、 遠藤 由紀子


世におそろしいのは
勇者ではなく 臆病者だ
(徳川家康)



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http://www.nihonn<国会議員無料パス>民鉄協とバス協が廃止を打診
毎日新聞 5月17日(木)2時31分配信



 全国会議員に支給されている私鉄やバスの無料パスを巡り、発行元の日本民営鉄道協会(民鉄協)と日本バス協会(バス協)が「負担公平の観点から利用者の理解を得にくい」として、衆参両院の事務局に廃止か費用を負担してもらう打診を続けていることが分かった。打診は口頭のため、両事務局は毎日新聞の取材に「正式な要請はない」と回答、議員側にも伝えていないという。両協会は文書による要請に踏み切る検討も始めている。【青島顕】

 国会議員は国会と選挙区の移動や公務出張のため、公共交通機関を基本的に無料で利用できる。JRや航空各社には衆参事務局予算から年間計約13億円が支払われているが、私鉄やバスは無償だ。

 私鉄に乗れる「鉄道軌道乗車証」は1946年、路線バスに乗れる「バス優待乗車証」は61年に、それぞれ衆院側が交付を依頼。以来、衆参議員に毎年交付されている。いずれも紙製パスを見せれば乗れ、利用率や利用額は分からないという。

 民鉄協によると、02年に138社だったパスの利用可能路線は現在77社まで減り、横浜市営地下鉄なども使えなくなった。経営難に加え、加盟社間に「利用者の理解を得にくい」との判断が広がっているという。民鉄協はここ数年、秋の更新時に衆参事務局に廃止か、プリペイドカード買い上げなどを口頭で求めたが「対応を考える」と言われただけという。バス協も05年と09年に役員が衆参事務局に口頭で廃止を要請したが「『手続きが難しい』と言われた」という。

 衆院事務局は「事務局は対応する立場になく、議院運営委員会などで協議すべきだ。まだ正式な要請でなく、議運委員長には連絡していない」と回答。参院事務局は「厚意でいただいている。(両協会から)正式な要請はなく、検討しなければならないとは考えていない。(議運にも)連絡していない」と回答した。

 衆院の小平忠正議運委員長(民主)は「就任以来(両協会の打診について事務局から)聞いたことがない。検討課題にすべき話だ」とし、参院の鶴保庸介議運委員長(自民)も「(事務局に)聞いてみる」と述べた。パスを利用するという民主党の長尾敬衆院議員は昨年、党内有志に予算措置の検討を呼びかけたが「なかなか(議員間に問題意識が)広がらない」と話している。

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<こんな特権も>学校の風景140年:制服/上 10代の「特権」ファッション
最終更新:5月17日(木)3時11分

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<講演会の様子>

各地の講演会にお招きいただいております


○学士会午餐会で星が講演いたしました。
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(株)郡山測量設計社 45年記念行事で星が講演いたしました
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○福島県立医科大学で星が講演いたしました
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○東京の暦日会で講演しました。
暦日会は、経営者、管理職などの会員の方々を対象に、各界の専門家が講演をし、収録・編集したものを会員の皆さんに定期的に提供しています。
過去の講演者に、梅原猛氏、養老孟司氏、茂木健一郎氏といった方々がおられます。
詳しくは、暦日会ホームページにて。

○佐賀県で講演を行いました

佐賀の講演会のおり、唐津市にある名護屋城を訪ねました。
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○横須賀で万延元年遣米使節一五〇周年記念講演にて講演を行いました
9月25日、万延元年遣米使節一五〇周年記念講演にお招き頂き、横須賀に行って参りました。
演題は、「万延元年遣米使節 その知られざる実像」でした。
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1月20日「歴史に学ぶ公務員の志 〜幕臣勝海舟にみる身の処し方〜」と題し、
宇都宮市で講演しました。

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新・公式ウェブサイト完成!

新ウェブサイト完成。
多彩な内容でびっくりです。
企画室のみなさんの情熱が伝わってきます。


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