星亮一 今日の一言

2014年11月
2014年10月
2014年9月
2014年8月
2014年7月
2014年6月
2014年5月
2014年4月
2014年3月
2014年2月
2014年1月
2013年12月
2013年11月
2013年10月
2013年9月
2013年8月
2013年7月
2013年6月
2013年5月
2013年4月
2013年3月
2013年2月
2013年1月
2012年12月
2012年11月
2012年10月
2012年9月
2012年8月
2012年7月
2012年6月
2012年5月
2012年4月
2012年3月
2012年2月
2012年1月
2011年12月
2011年11月
2011年10月
2011年9月
2011年8月
2011年7月
2011年6月
2011年5月
2011年4月
2011年3月
2011年2月
2011年1月
2010年12月
2010年11月
2010年10月
2010年9月
2010年8月
2010年7月
2010年6月
2010年5月
2010年4月
2010年3月
2010年2月
2010年1月
2009年12月
2009年11月
2009年10月
2009年9月
2009年8月
2009年7月
2009年6月
2009年5月
2009年4月
2009年3月
2009年2月
2009年1月
2008年12月
2008年11月
2008年10月
2008年9月
2008年8月
2008年7月
2008年6月
2008年5月
2008年4月
2008年3月
2008年2月
2008年1月
2007年12月
2007年11月
2007年10月
2007年9月
2007年8月
2007年7月
2007年6月
2007年5月
2007年4月
2007年3月
2007年2月
2007年1月
2006年12月
2006年11月
2006年10月
2006年9月
2006年8月
2006年7月
2006年6月
2006年5月
2006年4月
2006年3月
2006年2月
2006年1月
2005年12月
2005年11月
2005年10月
2005年9月
2005年8月
2005年7月
2005年6月
2005年5月
2005年4月
2005年3月
2005年2月
2005年1月
2004年12月
2004年11月
2004年10月
2004年9月
2004年8月
2004年7月
2004年6月
2004年5月
2004年4月
2004年3月
2004年2月
2004年1月
2003年12月
2003年11月
2003年10月
2003年9月
2003年8月
2003年7月
2003年6月
2003年5月
2003年4月
2003年3月
2003年2月
2003年1月
2002年12月
2002年11月
2002年10月
2002年9月
2002年12月31日(火) さようなら2002年
今年最大の衝撃は拉致問題でした。家族の帰国は越年しましたが、国を挙げて解決に努力することだと思います。私にとって今年はどんな年だったのか。会津藩関係の新書を二冊だしました。「白虎隊と会津武士道」「会津藩は朝敵にあらず」でした。
小説が不振でした。来年は小説を書くつもりです。榎本武揚、伊達政宗のふたりの人物にスポットを当て戦国時代と幕末維新の二冊の本を書きたいと思っています。
会津藩も書き残したものが多く、会津戦争の決定版を書きたいなとも思っています。
今夜はさまざまなことを考えながら、除夜の鐘を聞くことにします。
△top
2002年12月30日(月) 今年最後の原稿
毎日十枚ほどの原稿を書いています。いま書いているのは、青春出版社の「幕臣はなぜ薩長に敗れたか」ですが、今日は鳥羽伏見の戦争を書きました。
戊辰戦争はここからはじまるのですが、1万5千の幕府軍が、数千の薩長軍に完膚なきまでに叩かれるのです。なぜか、もっとも大きいのは戦場を間違えたことです。
将軍慶喜は京都から大阪に逃れて開戦するのですが、京都にたどり着く前に負けているのです。大阪に逃れず、全兵力を京都に配置し、にらみ合いに入るべきでした。
もう一つは、索敵がまったく不十分でした。ミッドウエー海戦の時、日本海軍は敵の空母はいないとい判断し、壊滅的な敗退を喫するのですが,鳥羽伏見でも敵の陣地や狙撃兵の有無などまったく調べす、闇くもに突っ込んで、敗退しました。
指揮官不在、連絡の不徹底、倒産企業によくある失敗を重ねていました。
新年は3日から書き始めます。
△top
2002年12月29日(日) 北東文芸協会
私が主宰する文芸愛好者の団体です。会員は福島県を中心の50人、小説、歴史、詩、絵画とジャンルは大変広いです。雑誌「まほろば」の発行のほか、北東文芸賞も創設、中堅作家を表彰しています。来年はNPO法人を取得、講演会の開催、文芸討論会の実施など幅広い活動を目指します。
会員も募集中です。是非ご入会ください。
△top
2002年12月28日(土) 米海軍訓練開始
北朝鮮の監視要員追放に対して、在日米海軍は武力出動の準備に入りました。
いまのところはけん制でしょうが、硫黄島で艦載機の発着訓練を始めるとイウことです。
北はどう出るのでしょうか。米海軍が攻撃に踏み切った場合、わガ国はどうなるのでしょうか。
日米安保条約を締結している以上、当然のことながら戦闘に加わることになるのでしょう。
有事法制の整備、ミサイル防衛の早期配備、やらねばらぬことが山ほどあります。政治家の皆さん、もっと緊張してください。
△top
2002年12月27日(金) 犯罪多発国家
目に余る犯罪の増加です。拳銃が日常茶飯事に使われ、人が殺されています。検挙率も悪くなり、市民はどこか心の中で不安におびえています。どうすればいいのか、どだい人間は基本的に身勝手であり、自分さえよければと思っているのですが、社会には最低限のルールがあり、それを守らなければ、社会は崩壊するのです。
その瀬戸際にいま来ています。どうしたら自分の身を守れるのか、護身用に武器を持つ、それがまた新しい犯罪を生む、何かアメリカの銃社会が日本にも来てしまうのではないかと不安です。
罰則の強化も必要と思います。
タバコの投げ捨てなどは度全国一律に罰金を科すべきです。いいことと悪いことのメリハリをつけなければ、泥沼の社会になります。出会い系サイトの罰金も当然でしょう。
△top
2002年12月26日(木) 遁げろ家康
作家の池宮彰一郎氏が盗作をしたという。驚きです。私は家康を書くとすると、関連する他の作家の作品は読みません。
自分独自の世界を開くために、参考資料以外は読みません。池宮さんのような売れっ子作家が陥り安い誘惑でしょうが、相手が悪かったですね。
超一流の司馬遼太郎とは、これまたどうしたのでしょうか。
それだけ司馬さんは凄いともいえますが、情けない話ですね。池宮さん、二年ぐらい書くのをやめるべきです。
△top
2002年12月25日(水) 2地域で作戦可能
米国防長官はイラクと北朝鮮を同時に攻撃できると表明しました。国民を抑圧し、飢えさせ、多くの人を強制収容所に押し込んでいると、北を激しく批判、馬鹿なことをしていると切り捨てました。
北に対して武力攻撃に踏み切った場合、当然、日本も参戦ということになるでしょう。
その場合、国民はどうすべきか、心構えが必要です。北が態度を変えない限り、武力行使はあると思います。内輪もめばかりしている日本の政治も当然、大きく変わるでしょう。
△top
2002年12月24日(火) 風邪大流行
風邪を引いてしまい、病院に行ってびっくりしました、患者の大半は風邪でした。
ゴホン、ゴホンと咳をして苦しそうでした。わたくしは、たかが風邪とタカをくくって薬ものまずにいたのですが、ついにひどくなり、近所の病院で出かけました。
皆さんも気をつけてください。いまの風邪はひどいようです。
変調のある方は、早めに病院に行く方がいいと思います。
△top
2002年12月23日(月) 拉致の苦しみいかばかりか
天皇陛下は69歳の誕生日を迎えられ、その記者会見で拉致問題に触れられた。
その苦しみはいかばかりかと、被害者や家族をいたわられえた。天皇陛下のお言葉の持つ意味は大きい.北には一時も目を離さず、残された家族を戻さなければなりませんん。
△top
2002年12月22日(日) 連休は取材
日本旅紀行という連載を仙台の雑誌「とうほく財界」に書いています。
新年号が越後豪農の館です。春の取材の為に連休はでかけます。この前は茨城の岡倉天心美術館を見てきました。これは凄い。天心も書きたいですね。
美術の面でも明治は大変な時代です。
△top
2002年12月21日(土) 戦争の影
米国務長官はイラクに重大な違反があるとして、武力行使を示唆しました。
武力行使の時期は一月中旬前後で、これに勝てば、次はいよいよ北朝鮮でしょう。日本にも刻々と戦争の影がちらついてきました。
戦後60年、平和の時代が続きましたが、これも風前の灯火です。北朝鮮、一体、お前は何者だと叫びたい心境です。
△top
2002年12月20日(金) 韓国大統領
ノ・ムヒョン氏が選ばれ、韓国の人々は北を切り捨てずに、融和策で望む選択をしました。
北の首脳部はこのことの意味を深く考えるべきです。本音は北をきらっているのです。しかし同じ民族として見殺しには出来ない。そいう温情が入っているのです。
それを知るべきです。日本人も同じです。拉致家族を帰し、他の行方不明者についても誠意ある態度を示せば、それなりに付き合うつもりです。いまの状態であれば、我々も心を開くことはありません。絶交です。
△top
2002年12月19日(木) 有事関連法案
民主党が今日、独自の有事関連法案を策定すると発表しました。北朝鮮が戦争も辞さずといっている以上、絶対に必要でしょう。こういう問題は自民党、民主党の枠を越えて早く制定すべきだと思います。社民党は一国平和主義ですから、話のほかですが、自民、民主ともに、国民に必要性を十分にアピールして、審議を開始してもらいたいものです。
△top
2002年12月18日(水) ミサイル防衛構想
北朝鮮が核開発をしている以上、日本は当然、ミサイル防衛をすべきでしょう。
そうしませんと夜もおちおち眠れません。ともあれ凄い時代になりましたね。
△top
2002年12月17日(火) 北に武力対抗示唆
共同通信の報道によりますと、日米両国の外交、防衛担当閣僚による日米安保協議会で、北朝鮮に対抗して武力行使の可能性を示唆したと報じました。
戦争などありえないという見方が多いわけですが、アメリカは明確に戦争も視野に入れているわけで、日本人の甘い考えは通用しないようです。戦後、最大の試練になるかも知れません。
△top
2002年12月16日(月) 母から子への手紙
野口英世の千円札への登場を記念して、『母から子への手紙』コンテストが英世の生れ故郷の福島県猪苗代町で行われています。英世の母シカが渡米中の英世に宛てた手紙をモチーフにして応募するもので、全国から三千五十三通の応募がありました。今日大賞が決まります。
△top
2002年12月15日(日) 大河ドラマに注文
2004年NHK大河ドラマ『新選組』は近藤勇が中心なので千葉の流山で近藤が斬られる場面で終わるのだそうです。これに対して会津若松の商工会議所は『それでは新選組のすべてを描けない』として土方歳三が参戦した会津戦争、さらには函館での戦いも加えるようNHKに要望書を出しました。当然ですね、私も内容の再検討を求めます。
△top
2002年12月14日(土) 防衛省に賛成
与党三党が防衛庁の省昇格を合意したと報じられました。北朝鮮は戦争の構えでおり、日本も一層防衛の強化に迫られています。防衛庁では海上保安庁と同じレベルであり、国を守る意気込みが伝わってきません。防衛省の発足、1日も早い実現を望みます。
△top
2002年12月13日(金) 国家以前の無人島
Voisu1月号は、北朝鮮特集でした。深田祐介氏の上記の巻頭の言葉はさすがでした。拉致は工作船の日本侵犯から始まる。これは紛れもなく犯罪である。
日本国の国家主権を二重、三重荷侵害するもので、国際法上、許されないと深田さんは怒る。こんなことをされている国はどこにがあるのか。まったく同感です。小泉さん、もっと強く出てください。
△top
2002年12月12日(木) 北のミサイル
北のミサイルがアラビア半島沖で抑えられました。これで北がかなりのミサイルを持っていることが、明らかになったわけです。これに対して日本はどう対処して行くのか、重大な問題です。四隻しかなイージス艦のうち一隻が出動します。イージス艦の増強とかミサイル防衛を真剣に考えることが大事です。これ以上、北朝鮮に暴言を吐かせることは出来ません。菅民主党もしっかりがんばってください。それから最近、思うのですが新潟に海上自衛隊の基地がないのはおかしいのではないか。
佐渡の防衛もあるし、山形、秋田、青森もあるわけです。新潟の人は真剣に考えるべきだと思います。
△top
2002年12月11日(水) 大リーグ佐々木投手
佐々木投手が国際ボランティア親善大使になったという。横浜時代、正力松太郎賞の賞金500万円をタイの子供達に寄付し,タイに佐々木投手アジア教育.福祉基金が設立され,これまで400人の子供が学校に行けるようになったという。
さすがは大リーガーだと思います。
高額の所得にある有名人はこうでなければならないと思います。
私は佐々木投手の母校東北福祉大学の非常勤講師をしていることこあり、特に嬉しくこのニュースを見ました。
△top
2002年12月10日(火) 師走大雪
今日も雪、ひどい寒さです。テレビを見ていたら北朝鮮で医療活動をしたドイツ人医師の国会での証言が放送されていました。北朝鮮の医師に診断書はすべて、でたらめと言っておりました。北はもっと寒いのでしょうね。そこに飢えに苦しむ人が大勢いることを思うと、気の毒の至りです。早く拉致家族を返し、日本国民の怒りを解くべきでしょう。そうすれば、我々も少しは考えるでしょう。
△top
2002年12月9日(月) 西郷と勝
青春出版社から「幕臣はなぜ薩長に敗れたか』の執筆依頼を受け、改めて西郷隆盛を考えています。今日は大雪、こんな日は読書に限ります。私は郡山市の駅前にちいさな事務所を持っていて、そこに出かけて原稿を書いています。
窓から安達太良山が見えるのですが、今日はこんこんと降る雪で何も見えません。
西郷は東北の人間にとっては、複雑な男です。特に会津に取っては天敵にような存在でした。
今回、立場を変えてなぜ彼が勝ったのかを考えて見たいと思います。
△top
2002年12月8日(日) 万景峰号の積荷検査
政府はこれを実施することになったようです。当然でしょう。
これまでしてこなかったことが不思議です。
昨日、東京で北朝鮮の対日政策に関する勉強会がありました。
朝鮮総連は対日工作の窓口であり、かつてのオオム真理教と同じように東大、京大などにも工作員の予備軍が侵入しているとのことでした。これはと思う学生を洗脳して、工作員に仕立てているというのです。そういう実態をなぜもっと、国民に知らせないのか。不思議です。誰かが圧力をかけ知らせなかったのかも知れません。恐ろしいことが周辺に一杯あるのです。日本政府、もっとしっかりしてください。
△top
2002年12月6日(金) 北朝鮮政治犯収容所
香港発の時事通信の記事によりますと、北朝鮮に五万人収容の政治犯収容所があるということです。
93年に50代の日本人女性が拷問を受けていたといいます。この収容所は中国との国境沿いにあり、人工衛星で存在が明らかになっています.。近、在日朝鮮人の方と話す機会がありました。非常に苦悩しておりました、しかし拉致の原因は過去の日本帝国主義にあると、責任を転嫁しておりました。
過去の日本の戦争と今回の拉致はまったく性格が異なります。開き直りは困ります。
共同通信の配信によると、朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』は、盛んにこのことを宣伝しているようです。
和解の道は厳しいですね、長期戦は避けられないようです.がんばりましょう。
△top
2002年12月5日(木) イージス艦
インド洋派遣が決まりました。派遣は当然のことであり、これで日本も人並みになったと思います。一部自民党の抵抗勢力が反対していますが、中心人物の野中さんは北朝鮮とのことで、とかく批判のある人物でした。
政治姿勢が一貫していませんね。
小泉おろしではなく、国家国民のために活動して欲しいものです。
△top
2002年12月4日(水) 宇宙人
評論家の大宅映子さんが鳩山さんを評して宇宙人といいました。自分勝手に遊泳したということでしょうが、こういう素直で単純な人も希少価値はあります。
菅さんよりは人間的です。裸になって何かをやってください。
それにしても次の党首が菅さんでは、新鮮味がありませんね。
また分裂の可能性ありです。
どこへ行くのか民主党、この際、若手は独自の候補を擁立すべきです。
そうしませんともう魅力はありません。
△top
2002年12月3日(火) 奴隷船
今日の共同通信の記事によりますと、1959年にはじまった北朝鮮の帰還事業の恐ろしい実態が明らかになりました。船が日本を出港するや、食事は残飯になり、接待員の態度は豹変したというのです。人質だったわけです。日本から金銭を仕送りさせるための手段だったというのです。
恐ろしい国ですね。我々はこうした北朝鮮とどう向き合うのか、これはもう鳥肌が立ちますね。日本人の平和ボケも、そろそろ終わりの時代に近ずいていることは確かです。
△top
2002年12月2日(月) 鳩山さん大ピンチ
幕末の日本政治を調べている私は鳩山さんと会津藩主松平容保がだぶって見えます。薩摩の西郷隆盛は松平容保は政治家にあらずといいました。純粋で真面目一徹、会津藩は結局、薩摩、長州との政争に敗れ、悲劇の会津戦争に向かいました。西郷に言わせれば政治とは、謀略に次ぐ謀略であり、時には味方を裏切り、時には敵とも手を結ぶ、決心したらがむしゃらに突っ走ることでした。
会津は倒産しかかった幕府に忠義一徹、選択肢の幅を狭めてしまいました。
でも会津藩の場合は最後の最後までともに戦い、命を預けてくれた一万の将兵がいました。東北、越後にも多くの支持者がいました。
鳩山さんの場合、菅さんに裏切られ、若手に見放され、一体、誰が親衛隊なのか。そういえば菅さんは長州です。
したたかですね。鳩山さん、最後をどう締めくくるか、男なら一発逆転、意地を見せてください。ただし相談相手の小沢さん、人気がないですね、出身地の水沢からは多くの偉人が出ていますが、この人は何を考えているのか分かりません。鳩山さん、大ピンチです。しっかりしてください。
△top
2002年12月1日(日) はやて
東北新幹線八戸開通、おめでとうございます。
東北新時代の幕開けです。近々、八戸に向かい、みちのくの源流を求めてルポします。
△top

株式会社メディアハウス