星亮一 今日の一言

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2006年10月31日(火)  明日から11月、はやいなあ
明日から11月というと、気持が焦ってくる。

今年、なにをしたのだろうと、反省しきりである。

今日は「箱館戦争」の校正である。

再校なのだが、見ればみるほど、気になるところがでてくる。

3日から連休なので、

「その前にできた分を送って下さい」

と編集者からメールがあった。

連休期間、印刷所は休みなので、その前に工場に入れたいというのだ。

しかし、

なかなか思うように作業が進まない。

校正恐るべし

で、ちょっとした油断が取り返しがつかないことになる。

気になる部分はもう一度、資料にあたり確認が必要だ。

孤独できつい仕事である。

午前中、50年ぶりに京都の大原さんに会った。

東北大学の松風寮で1年間、一緒だった。

彼は1級下で、同じ国史学科の学生だった。

それ以来だから、凄いといえば凄い、

昔の大原さんはすべて京都弁だった。

東京で何年か暮らしたので、言葉は標準語になっていた。

京都では京都弁だそうだが、

全国を歩くときは標準語になってしまうと笑った。

50年というと、半世紀である。お互いに変ってしまい、

町であったら、わからなかったろう。

仕事場の前に私が立っていたので、

「星さん、ですね」

と声を掛けてくれた。

午前中、1時間程度の再会で、昼飯を食べる時間がなかった。

山形の午後、早々につかなければ、ならないということで、

それはやむを得ぬことだった。

今度は私が京都に出かけ、一献、傾けたいと思っている。

おかげで、多忙ななかにも、今日は何かほのぼのした1日だった。

校正は明日中に済ませ、宅急便で送ろうと思う。

そうすると、2日には着き付き、印刷工程に入れることができる。
△top
2006年10月30日(月) 速報福島県汚職事件 、北外務省「北朝鮮侵害すれば無慈悲な打撃加える」
速報福島県汚職事件

時事通信ニュース

前知事実弟、収賄認める=「兄も謝礼と認識」

−受注業者との土地売買・福島汚職
 福島県発注のダム工事をめぐる汚職事件で、

前知事佐藤栄佐久容疑者(67)の実弟、佐藤祐二容疑者(63)が、

東京地検特捜部の調べに対し、「(わいろとされた)土地売買は、

工事受注の謝礼だった。前知事も趣旨を認識していた」などと、

兄の関与を含め、収賄容疑を認める供述を始めたことが30日、

関係者の話で分かった。(時事通信)

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そうですか、

残念です。

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韓国の中央日報が、北朝鮮の恫喝を伝えた。

核戦争も辞さないというのである。

相手は核保有国である。

日本はどうすべきか。

論議すべきだろう。

米国の艦船は核弾頭を積んでいるともいわれている。

この際、日本も核にどう対処すべきか、論議すべきだ。

中川政調会長の発言は、それなりに意味がある。

以下は韓国中央日報のニュース。

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北朝鮮外務省スポークスマンは17日、

国連安全保障理事会の対北制裁決議に対する公式立場を明らかにした。

国連安保理が北朝鮮貨物に対する検査が

強化するなど強い対北決議案を採択してから3日たってのことだ。

次は外務省スポークスマン声明要旨

◆核開発の正当性=核開発は米国の加重する核戦争脅威と

制裁圧力策動に対処して国の自主権と

人民の生命安全を守護するための積極的な防御的対応措置であり、

主権国家の自主的で合法的な権利行使に属する。

核保有を立証する試験も国際慣例を超越し、

正々堂々と事前公布まで合法的に進行した。

核問題の根源である米国の敵視政策はかえりみず、

それに対立して国の自主権を守ろうとする我々(北朝鮮)の

自主的権利の行使は犯罪視しながら朝鮮半島(韓半島)

の非核化を言うことは完全に公正性を喪失した非道徳的行為だ

◆国連制裁は宣戦布告=国連安保理の決議は米国の脚本によるもので

我々共和国に対する宣戦布告としか見ることができない。

米国の対朝鮮敵視政策の産物である国連安保理の決議を

きっぱりと糾弾して全面排撃する。

我々はすでに明らかにしたとおり朝鮮半島非核化を実現するために

自己の責任を果たし、その誰でも国連安全保障理事会決議をもって

我々の自主権と生存権を髪の毛の先ほどでも侵害しようとするものなら

厳しく無慈悲な打撃を加えるだろう。

◆「今後の措置は米国による」=これまで、

核兵器がなくてもあらゆる風波にくじけることのなかった我々共和国が、

堂々な核保有国になった今日、その誰の圧力や脅威に屈服するというのか、

話にもならない。我々は平和がほしいが、戦争を恐れないし、

対話を願うが、対決にも備えてしている。今後米国の動向を見続け

それによりふさわしい措置を取るであろう。

東国大(コ・ユファン)北朝鮮学科教授は

「北朝鮮が何度も北米間の直接対話を推進したが、実現されなかった」とし

「北朝鮮が米国の中間選挙以前に行動に出ようと勝負をかけた」と話した。

声明発表が18日に予定されていたライス米国国務長官の韓日中訪問直前に

出たという点もこうした分析を裏付ける。

一方、北朝鮮は16日、打倒帝国主義同盟結成である

80周年を迎えて掲載した「祖国が私たちを見守る」という

労働(ロドン)新聞正論を通じて「苦難の行軍」を言及し、

内部結束を強調した。

チョン・ヨンス記者
△top
2006年10月29日(日) 倉田さんと再会
今日、東京で、パラオの倉田さんにお会いした。

何ヶ月ぶりだろう。

パラオに出かけたのは4月なので、半年ぶりになる。

非常にお元気だった。

パラオ戦記、

補筆修正していただき、これでパラオの原稿の材料は出揃った。

これを点検し、書き直すには、年内一杯はかかりそうだ。

パラオ戦記の番外編、新たに制作するのは

1、パラオの海に沈んだ特務艦「石廊」物語、

2、ペリリュ- で戦った女性の話、

3、下駄履きパイロット奮戦記

である。

これから整理が大変である。

日曜日はスポーツ紙

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巨人の主力選手大減俸を示唆

と日刊スポーツ 紙にあった。 

球団史上初の2年連続Bクラスで終わった巨人の

桃井恒和社長(59)が28日、

今オフの契約更改で主力選手の大減俸を示唆した。

球団ワースト記録となる80敗を喫した昨年も

球団側は大減俸を明言しながら大甘査定に終わったが

桃井社長は「昨年は厳しくなると言ってそんなにでもなかったけど、

今年はね。パッと見て(年俸が)上がる選手は少ないでしょう。

(減額制限の)ギリギリいっぱいまでという人が出てくる」

と厳しい口調で話した。

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当然でしょうね。

庶民に収入とあまりにもかけ離れている。

巨人の人気のなさはそこにもある。
△top
2006年10月28日(土) 軍艦開陽丸はなぜ遭難したか。
星は28日、第3回日本国際情報学会で、

「榎本艦隊の旗艦開陽丸の遭難」

と題して箱館戦争について発表する。

朝、仕事場で新聞を読み、メールを確認し、9時の電車に乗る。

何時も思うのだが、私が住む郡山は東京に近いので助かる。

時間的にも経済的にも大変プラスである。

開陽丸はなぜ遭難したのか、

突然の暴風による不可抗力説、

人為ミス説、

謀略説、

いろいろあるが、私は人為ミスを取り、それを発表する。

現地をつぶさに見て検証した結果である。

榎本の無念が胸に響く。

あの遭難がなければ、蝦夷共和国は誕生していたに違いない。

こういう集まりの楽しさは夜の懇親会。

多分、盛り上がり、次の企画の話が進むだろう。

翌日はパラオの倉田さんにお会いする予定。

いま腰痛の治療で日本に帰国中。

第3回日本国際情報学会

★10月28日(土) 会場:市ヶ谷・日本大学会館(6階)601A

〇研究発表会
・13:05−13:10 開会の挨拶 五十嵐雅郎実行委員長
・13:10−13:40 坊農豊彦「故障による影響解析の一考察−品質システムのリスク対策」
・13:40−14:10 星亮一 「榎本艦隊の旗艦開陽丸の遭難」
・14:10−14:40 堀淳士 「少子高齢化社会に風穴を開ける−佐渡市の地域再生計画」
・15:00−17:30 シンポジュウム「21世紀における台湾の課題」
                コーディネーター:近藤大博
パネリスト:小田村四郎、黄文雄、荘光茂樹、石大三郎

〇懇親会 17:45〜  「うの花市ヶ谷九段店」
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2006年10月27日(金) 北海道日本ハムフアイターズに感動
今年の日本シリーズ、

国民の大半が北海道日本ハムフアイターズのフアンだった。

新庄、ダルフイシュ、稲葉、小笠原、スターが一杯いた。

セントラルにはない、明るさがあった。

巨人と対比すれば一目りょう然だ。

中日の落合監督、残念ながらフアンへの配慮がなかった。

その意味で新庄の数々のパフオーマンスはすばらしかった。

ニューヨーク仕込みのセンスも抜群だった。

みていて涙、涙だった。

勝てばいい、という俺流では、もう古い、もっとショウマンでなければ

ならなかった。

日本人では星野監督だったろう。

原監督にもそれはない。

当分、外国人に頼るしかないのかもしれない。

今日はなんといってもスポ−ツ紙である。

スポーツ報知の記事が目立った。

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4連勝!札幌で決めた!開拓者ヒルマン監督

 ◆第57回日本シリーズ第5戦 日本ハム4─1中日(26日・札幌ドーム)

 日本ハムを率いて4年目、トレイ・ヒルマン監督(43)が、

北海道に初めて日本一球団を誕生させた。

ナゴヤドームでの初戦こそ落としたが、その後は4連勝。

勝利監督インタビューでは、代名詞となった「シンジラレナ〜イ」

を叫んで喝采(かっさい)を浴びた。外国人監督のシリーズ制覇は、

昨年のロッテ・バレンタイン監督に次いで2年連続2人目となった。

 遠い異国で味わう勝利の儀式は、

やっぱり最高だった。

新庄、小笠原、田中幸、大社オーナー…。

ごほうびを待つ子供のように宙を舞う仲間を見届け、

最後にヒルマン監督がナインの手に体を委ねた。

3度、体が浮き上がると、優勝監督インタビューへ。

第一声はもちろん「シンジラレナ〜イ!」。

シーズン1位通過、リーグ優勝に続き、3度目となる決めゼリフを、

スタンドのファンと大合唱した。

 「北海道へ移転して3年目。苦難の道のりを歩み出し、

この日を迎えられ、誇りに思います」。指揮を執って4年目で手にした栄冠。

外国人では、昨年のバレンタイン監督に続き、

プロ野球2人目の日本一監督が胸を張った。

 奇策を用いず、王道を歩んできたヒルマンさい配が、

最終決戦で輝きを放った。1点を追う5回1死三塁。

カウント1−1から金子にスクイズを命じた。

30歳の仕事人が冷静に決めて同点とすると、

6回無死一塁では、田中賢が単独スチールを成功。

「『行けたら走れ』のサインだった」(田中賢)。

打者は長打が期待できる小笠原。セオリーなら黙って打たせるケースで、

果敢に攻めた。大社オーナーは

「小笠原の前で自由に動けるようになったのが、一番の変化」と話す。

小笠原の進塁打の後、セギノールの決勝2ランが飛び出したのは、

必然だったのかもしれない。

 若い戦力を見いだし、チームを変えた。

就任直後から「バーニー(ウィリアムス=米ヤンキース)の再来」

とほれ込んだ森本と田中賢に1、2番を組ませた。

まな弟子たちは今シリーズ、2人で

12安打、8得点、6犠打の活躍で期待に応えた。

経験の少ないダルビッシュ、八木、武田勝も迷うことなく先発に起用。

新しい日本ハムを完成させた。

 この日は父・ロイスさんの73歳の誕生日。

そして、引退する新庄のラストゲームでもあった。

「新庄は本当にたくさんのエネルギーをみんなにくれた」

特別な一日を無事演出し、満足げに振り返った。

 この後は、アジアシリーズで最後の戦いに臨む。

「このチームを指揮できて誇りに思う。

日本の代表として、

アジアのチームと戦いたい」ヒルマンの2006年は、もうしばらく続く。

 ◆トレイ・ヒルマン 本名トーマス・ブラッド・ヒルマン。

1963年1月4日、米テキサス州生まれ。43歳。

テキサス大アーリントン校からインディアンスに入団。

マイナーの3年間で現役を引退。マイナーで監督、コーチなどを務め、

2003年に日本ハムの監督に就任。178センチ、81キロ。右投右打。

(スポーツ報知) - 10月27日8時4分更新

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2006年10月26日(木) 検証、戦争責任
読売新聞社が発刊した

「検証戦争責任」1,2

この本は実にタイムリーだ。

あの太平洋戦争とは一体、なんだったのかを多方面から考察している。

1、なぜ満州事変が日中戦争に拡大していったのか。

2、勝算がないままにアメリカとの戦争に踏み切ったのはなぜか。

3、玉砕、特攻を生み出したのはなんだったのか。

4、アメリカの原爆投下は避けられなかったのか。

5、東京裁判で残されたのは何か。

それらをテーマに読売新聞が徹底検証したのが今回の本である。

そのなかから

なぜアメリカとの開戦に踏み切ったのか

を考察したい。

これは諸説があるが、

読売新聞はこれは避けがたいことであったと述べた。

アメリカから経済封鎖をされ、石油が一滴も入らない。

備蓄は2年分しかない。

このままでは飛行機も飛ばなくなるし、軍艦も走れない。

となれば、蘭領インドシナを急襲し、石油を確保しなければ、

日本経済は破綻する、

軍も崩壊する。

そのジレンマに追い込まれた。

もはや対米戦争しかない。

山本は2年は戦って見せるといった。

ジャ、それ以上、戦った場合、どうなるのか、

それは誰もわからない話だった。

かなりあやふやな話で、開戦に踏み切る。

それが正しかったのか。

結果からみれば違っていた。

ジャ、どうすればよかったのか。

続きは後日。
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2006年10月25日(水) 山本五十六の苦渋
朝から山本五十六を書いている。

県政の構造汚職には、ほとほと疲れた。

頭を切り替えたい。

山本は昭和十一年十二月から十四年八月にいたる三年九ヵ月、

海軍次官を務めている。

この間、総理は広田弘毅、林銑十郎、近衛文麿、平沼騏一郎の4人、

海軍大臣は永野修身、米内光政の2人だった。

どんな時代だったのか。

日本は破竹の勢いのドイツに取り込まれた。

陸軍は従来からドイツ信奉者が多かった。

山本は三国同盟に反対だった。

海軍は米英の力を知っていた。

「ドイツ、イタリアと組んでも得はしないよ」

といって、山本は政府の方針に異議を唱えた。海軍省に、

「殺すぞ」

と電話や手紙が来る。

「いいか、米英に敵対して日本が成り立つと思うのか」

山本はそいって、次官室に軍刀を置いていた。

「凄い業ものだねえ」

来客がいうと、

「暗殺にやってきた奴は叩ききってやる」

と大笑した。

しかし、日本は三国同盟を選択し、

米英との戦争は避けれない情勢となってゆく。

山本は、連合艦隊司令長官に任命され、

苦渋の判断に迫られる。

以下、次回
△top
2006年10月24日(火) <福島談合>前知事逮捕 「う回わいろ」にメス 
今朝の新聞各紙は、福島県の佐藤前知事逮捕をトップニュースで伝えた。

福島県に住む者として実に恥ずかしい。

こんな県政だったのかと、あきれ、怒り、失望し、打ちひしがれている。

佐藤前知事、顔を合わせれば、挨拶する程度の関係だった、

知事室には行ったことはなかったが、

天皇として君臨している話は県庁の職員から聞いていた。

権力志向は高まる一方で6選にもチャレンジすると豪語していた。

今朝の新聞で注目されたのは毎日新聞の「ニュースの焦点」である。

そこに<福島談合>前知事逮捕 「う回わいろ」にメス 

という鋭い分析があった。

毎日新聞は、毎日新聞は署名記事で、新しい構造汚職と分析した。

逮捕の理由をこのように解説した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 捜査は1年半かかって「本丸」にたどり着いた。

23日、佐藤栄佐久・前福島県知事(67)が逮捕された県発注工事を巡る収賄事件。

東京地検特捜部は先行させた周辺捜査で、複雑な舞台装置を一つ一つ解明していった。

厚いベールの向こうに現れたのは、

贈賄側、収賄側の双方に第三者が介在する新しい構造汚職の姿だった。

【小林直、三木陽介、銭場裕司】


◇増収ともに仲介者 長期政権、腐敗を助長
 
「初当選直後の首長は力がなく、金集めに必死だが、多選すると、

本人が求めなくてもカネが流れ込んでくる。

長期政権が腐敗していくまさに構造的な汚職だ」。

特捜部在職経験のある法務・検察幹部は解説する。

 ゼネコン汚職(93年)までは、大手総合建設会社の幹部が直接、

自治体の首長にカネを渡し「天の声」を得る構図がまん延していた。

しかし、摘発を機に「直接わいろを渡す手法は激減した」

(大手ゼネコン首脳)。
 
代わって現れたのが、贈賄側にコンサルタントが介在する手法。

徳島県知事らの逮捕に発展した業際事件(02年)の場合、

業際都市開発研究所の尾崎光郎(みつろう)元社長

=実刑確定=が受注希望社からわいろを受領。「口利き料」を取っては、

残金を首長に渡していた。
 
あるプラントメーカーの営業担当幹部は

「コンサルをかませるのは今でも常識」と明かす。

実際、和歌山県発注工事を巡る談合事件でも、

仲介役のゴルフ場経営会社元社長、井山義一容疑者(56)が、

受注希望を発注者サイドに伝える見返りに、

1億1900万円の報酬を受領していたことが判明している。

」 今回の場合、この仲介役に相当するのが「水谷建設」だ。

ダムを直接受注する「前田建設工業」ではなく、

下請けに過ぎない水谷建設が資金の提供元となった。

前田が水谷に政界工作という「汚れ役」を担当させて工事を取る図式は

業界では有名で、西日本の受注競争で負けた大手ゼネコン幹部は

「特にダム工事でこの手法を駆使していた」と証言する。

 さらに特徴的なのは、収賄側にも仲介者が介在している点だ。

双方に第三者が介在することで、贈収賄の構図を覆い隠す。

水谷建設が前知事実弟の佐藤祐二容疑者(63)経営の

「郡山三東スーツ」の旧本社跡地を約9億7000万円で買い取った。

これを今回、特捜部がわいろと認定したが、

贈収賄の主体である佐藤前知事、前田建設が登場しないこの仕組みが、

捜査を困難なものにした。
 
近畿地方などで自治体幹部を歴任した総務省幹部は言う。

「トップの周辺に自然とカネが流れ込む構図は、他の自治体にもある。

権限移譲の流れから金額も大きくなっており

、直接の授受がなくても逮捕されることを示した今回の事件は、

こうした自治体の首長を驚かせるだろう」

 ◇立証ハードル高く 焦点は「兄弟のやり取り」
 「誰が見ても土地取引は知事のため。それを証明できるかどうかだ」。

法務・検察の複数の幹部は、今回の事件への強制捜査を検討した昨年春の段階から

、スーツ社旧本社跡地を舞台にした土地取引の不自然さを指摘していた。

衣料会社とゼネコン。普段は関係しない両者を結びつけたのは、

絶大な権限を持つ県知事の実弟という立場と、

県の工事を受注したい業者側の意向という見立てだ。

しかし「本丸」の知事にたどり着くには、それから1年半かかった。

 この長い捜査期間が示すように、捜査のハードルは極めて高い。

わいろと認定された問題の土地取引を巡っては、業者と佐藤前知事との間に、

接触も直接の資金提供もないからだ。

前知事が「ダム工事の見返り」と承知していたことを証明するには、

前知事と祐二容疑者とのやり取りが、どこまで解明できるかにかかっている。

 「収賄を立証するには、薄氷を踏むような思いが続くだろう」。

ある検察幹部はこう語る。

 捜査は当初から「迷走」気味だった。

特捜部は昨年4月、この土地取引について

「土地代が不当に高く、会社に損害を与えた」と判断し、

購入した水谷建設側の特別背任容疑での着手を検討し、捜索態勢も整えた。

贈賄側を先に立件し、収賄側に関する供述を得るのは捜査の常道。

しかし、内部の協議では「土地代が不当に高いとの証明や、

その後知事に結びつく見通しが弱い」などと了解を得られなかった。

 昨年12月には、水谷建設のグループ会社が補助金を不正受給した詐欺の疑いで、

同社本社などを家宅捜索。だが、これは事件処理されないまま、

ライブドアや村上ファンドの事件を挟み、

半年以上たった今年7月、国税当局の応援を得て、

ようやく水谷建設元会長を脱税容疑で逮捕し「福島ルート」に切り込んだ。

 一時は、公職選挙法違反(買収)容疑での立件を先行させる方針も示したが

(1)通常は「取締本部」が選挙直後に集中的に摘発する事案なのに、

知事選から2年以上も経過している

(2)出直し知事選が事実上始まっている――などの事情を考慮し、着手は見送られた。
 結局、捜査は「原点」に戻った。突破口は、

水谷建設と前田建設工業側が一連の土地取引について「

ダム工事受注の見返りだった」と認めたことだったが、捜査の正念場は、

むしろこれからといえる。
(毎日新聞) - 10月24日3時8分更新

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見事な記事だった。

今日は、新聞を抱えて考え込む日になりそうだ。

△top
2006年10月23日(月) 奥会津文化フォーラム ,皆さんの感想、戊辰戦争研究会から
ありがとうございました 西郷頼母 22 Oct (Sun) 11:34
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皆さま、奥会津フォ−ラムお疲れ様でした、また有難う御座いました。

 東北道の渋滞と雨に巻き込まれ先程下総の自宅に到着しました。



 明日またゆっくりと書き込みたいと思います

 おやすみなさい!

  


412 返信 奥会津文化フォーラム 山田方谷 22 Oct (Sun) 10:34
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鳥居殿へ
研究発表、演出も内容もよかったです。
今回、鳥居さんの発表、私の発表ともに、自己自賛できることがあります。それは、20分ちょうどで、発表ができ、スケジュール通りにできたことです。鳥居さんと事前確認の時に、時間だけは、非常に気にしていました。それにしても、渡部恒三代議士が、河井継之助のことを話題にしてくださったのは、ラッキーでした。

沖田殿
>>「さくら飯」でも食べましょう。
ぜひ,食べましょう!大根のシャキシャキとした歯ざわりが心地よいです。
宴会の時に、河井のマニアックな場所はないかと聞かれた時、かなり酔っ払っておりすぐに思い浮かびませんでした。
・長岡城奪還で負傷した所は、バス停、新町一丁目停留所付近です。案内板等なし。
・松蔵の墓、誓願寺・・・県立長岡技術科学大学近所のバス停・深沢新田。お寺のお墓に目印あり。参考になるでしょうか???
DVDが見れず残念。

玉虫殿、次こそ仙台で!

大村殿、二次会、楽しかったです。

秋月殿
一緒に、「幕末 徳川家・会津松平家」見学ができて良かったです。

梶原殿
鶴ヶ城まで案内していただきありがとうございました。

皆さん、ほんとうにありがとうございました。


410 返信 ボランティア精神 沖田総司 22 Oct (Sun) 09:01
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文化フォーラムに参加された方々、お疲れ様でした!
わざわざ自費で駆け付けて下さったゲストの方々、裏方で地道に準備したり、朝から会場設営に協力して下さった方々など、多くの人たちのボランティア精神に支えられての成功でしたね。

特に梶原平馬どのは、私の書き込みを見てさっそうと駆け付け、朝から会場設営を積極的に手伝って下さり、その心意気には武士道を感じました!

ボランティア精神と言えば、高橋ツトムさんは自費で来場下さった上に、私が會の旗にちょっとサインを求めたところ、何と旗一面に時間をかけて素敵な絵を描いて下さり、洵に恐懼感激の至り。サインというより、もう作品と言っていい程の出来映えで、タダで頂くのが申し訳ないくらいでした! 旗には渡部恒三さん、工藤美代子さん、馬里邑れいさん、池月映さん、七海晧奘さん、そして総裁のサインも頂いたので、今回のイベントの想い出の品として大切にしたいと思います。
この旗、試しに「何でも鑑定団」で鑑定してもらったらいくらになるでしょう。玉虫どの、はまなかあいづの次は、次回の宣伝も兼ねて一緒に鑑定団にでも出ましょうか(笑)

鳥居三十郎さんの研究発表、BGM付きでなかなか凝ってて、「その時歴史が動いた」みたいで面白かったです。

山田方谷どの、もし長岡で集会が実現した時は、皆で継之助の好物「さくら飯」でも食べましょう。

馬里邑れいさんは、私の作ったポスターを気に入り、送って欲しいと言って名刺を下さいました。梶原平馬どのもポスター欲しがってたようなので、いずれお渡しします。私は絵は高校時代ちょっと習ってた事あるものの、ここ数年すっかり遠ざかり気味で、ポスターは思うように描けず、ちと役不足だったかなとも心配してたのですが、何人かの方から賞賛を頂き、ほっとしています。

西郷頼母どのは私と同様、クラシックピアノがお好きということで、意外な共通の話題が出来て嬉しい限りです。幕末史とクラシックピアノ好きな人ってあまりいなくて、そういう知り合いが出来たのはこれで二人目です。間もなく開催される3年に一度の浜松国際ピアノコンクールを聴きに行くのが、今からとても楽しみです。

ところで余談ですが、帰りに会津の某有名食堂に立ち寄ったら、ちょうど会津に巡業中のプロレスラー数名が来店してました(笑)


408 返信 面白かったですよ 大村益次郎 22 Oct (Sun) 05:34
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無事に新潟に帰ってきました〜
途中パチンコ寄って5000円勝って来ましたんでなおさら良かったです

次回仙台玉虫殿宜しくです

その前に忙新年会ですか?

では皆さんまたお逢いしましょう!



406 返信 今日は徹夜 沖田総司 21 Oct (Sat) 12:05
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文化フォーラム、いよいよ目前に迫りましたね!
朝9時から文化フォーラムの会場設営の手伝いもせねばならない ので、戊辰研からも可能な人は駆けつけてくれると有り難いです。

今日は玉虫殿など何人かの会員たちで前夜の酒宴を催されたようですが、お楽しみ頂けたでしょうか。私は多忙のため、近くにいながらも参加できませんでした。

私はコンピュータミュージックの講師の資格を持ってて、文化フォーラ ムからわずか3日後、僭越ながら自由大学で講義をさせて頂くことに なっており、今その準備に追われてます。
今月は行事が頻繁にあって多忙極まりなく、なかなか準備もはかどらなかったため、これから夜中まで準備作業に明け暮れる予定です。

おまけに朝9時から文化フォーラムの会場設営の手伝いもせねばならないので、早朝には家を出ねばなりません。もうこれは徹夜しかない。きっと皆さんとは、やつれた顔でお会いすることになるでしょう (苦笑)
とりあえず、居眠り運転だけはしないように気をつけます。

>山田方谷殿
では明日、DVD持っていくので、誰かのパソコンで見てみましょう。
文化フォーラムやら自由大学やら、今、ドタバタと準備に追われてます。


405 返信 武士道私見 斉藤 一 19 Oct (Thu) 11:55
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いよいよですね!、玉虫殿、沖田殿、テレビ出演ご苦労様でした。長崎では見れないので残念です。参加できないので、メールにて参加します。
武士道とは・・・まじめに考えたことなどありませんでした。「武士道とは死ぬこととみつけたり」「花は桜木、人は武士」とはよく聞きましたが、戊辰戦争研究会に入会し、関連の書物を読んだリ、皆さんの武士道感を拝見するうちに、おぼろげながら武士道とは何かが見えてきたような気がします。思えば、おばあちゃん子だった私は祖母より善悪の観念を学んだようにおもいます。映画好きだった祖母は東映の時代劇は欠かさず、私も一緒に見に行きました。「忠臣蔵」「里見八犬伝」他・・・勧善懲悪のストーリーばかりでしたが、その中で武士道の何たるかは学んできたのかもしれません。新渡戸稲造は、著書「武士道」の
中で「日本人の精神の基盤は武士道にあり」といっています。沖田殿のおっしゃるとおり、武士道は仏教、神道、陽明学、孔子、孟子等の影響を受けているともいっています。武士道とは「武士が学ぶべきものとして要求され、あるいは教育を受ける道徳的徳目の作法であり、成文法を持たず、口伝か著名な武士や家臣の筆による、いくつかの格言により成り立っているもの」だと・・私の想う武士道とは「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」に
それらを行う勇気「勇」、武士に二言なしの「誠」、ならぬ堪忍、するが堪忍の忍耐力、忍ぶ恋の「忍」これらの徳を持った武士が名君、真の武士ではなかったと・・・
「義を見てせざるは勇なきなり」勇気とは正しいことをすることである。「義」は武士道の光り輝く最高の支柱である。「義」と「勇」は武士道の双生児とも、新渡戸は書いています。副長の仰った「義務」と「責任」厳格な父の武士道「義」と武士の情け、憐憫の情の慈悲を秘めた母の優しさの「仁」が私は好きです。だからこそ「仁義なき戦いをしかけた薩長に嫌悪感を覚えるのかもしれません。仁義なき戦いの結果
封建制度の崩壊とともに武士は国民となり「武士道をはぐくみ育てた社会的条件は消滅し、守るべき確固たる教義や公式を持たないがために一陣の朝の風にあえなく散っていく桜の花びらのように姿を消してしまう」と新渡戸は書き、「制度として滅んだかもしれないが、徳目として今もなお生きつづけている。遥かかなたの星のようにわれわれの頭上に光をそそぎ続けている。封建制度の所産である武士道の光は、その母である封建制度より永く生き延びて人倫の
道のありようを照らしつづけている。」といっています。西郷殿の仰った、明治中期以降、回顧の念を表す単語として登場した、当時の流行語「武士道」は、「仁」「義」なき戊辰戦争で敗れた人々の力によって光を放ち始めたのではないでしょうか。幼きころより培われた武士道の心で人々に教育を、責任を、真実を身をもって伝えた山川健次郎、秋月胤永、柴五郎、北原雅長等の生き方、武士道が生き続ける要因の一つではないでしょうか?
何故に今頃、「武士道」かと、仮面ライダー1号の藤岡弘が「武士道」「武士道」と言うのを不思議に想っていました。さすがに正義のヒーローでした。今の日本人が忘れているものを蘇らせようとしていたのですね。義務を忘れ責任の取り方を知らぬ政治家や他人を思いやる心をなくした日本人に
勇気をなくしたおとなたちに、耐えることを知らぬ子供たちに、武士道の心を教えるために・・・会津の日新館の教えを教育に取り入れたら、いじめや不登校はなくなるでしょう。幼いころから「ならぬものはならぬものです」教えて欲しいと思います。
西郷殿「道」は授かるものではないですね。探り追い求めて悟り、それでも到達できない場所に在るからこそ「道」。
遥か遠く輝く「武士道」の光めざして一つずつ徳を極め前進したいと想うのです。
戊辰戦争研究会の皆さんが、それぞれの戊辰戦争を考えるように、それぞれの「武士道」を考えていきましょう。大きく戊辰戦争研究会が日本に「武士道」の心をアピールしていきましょう。
その第1歩である「奥会津文化フォーラム」を成功させましょう。
榎本総裁、大鳥殿・・討論会の司会、ご苦労様です。
土方副長・・座談会頑張ってください。
玉虫殿・・鴉座頑張ってください。
沖田殿・・切腹による責任の取り方、訊ねねてください。
「奥会津 行けぬこの身の 無念さよ
      遠く在りても 心はともに」
朝比奈殿・・討論会頑張ってください。応援してます。
 「誰がために 咲いた郡上の 裏葉菊
        凌霜隊の 心知るらむ」
鳥居殿、山田殿・・研究発表頑張ってください。
 「古も 現在も変わらぬ 十五夜の         月を眺めて 想う武士道」
梶原殿・・梶原平馬の武士道熱く語ってください。
大村殿・・会を大いに盛り上げてください。
秋月殿・・大いに語り合って下さい。
佐々木殿・・また、会う日まで・・
「士道とは 何かを問わん 奥会津
     同志集いて 語りあかさん」
林殿・・お互い残念ですね。また次の機会に。
西郷殿・・ざんねんでしたね。先日は素敵な短歌有難うございました。本当に残念ですが、またの機会に・・と、体は大人、頭脳は子供の中年探偵コナンが申しております。
「十六夜の 水面に 映る月明かり
    夏に出会いし 同志のなつかし」

皆様のご健康とご活躍、フォーラムのご成功を祈念しております。またあう日を楽しみにしております。


404 返信 沖田総司殿 山田方谷 19 Oct (Thu) 10:40
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すごいです。
>>NHK福島「はま・なか・あいづ」に出演
宿泊先で、録画をみたいな(笑)


403 返信 佐々木殿 大村益次郎 19 Oct (Thu) 09:25
p1053-adsau17honb13-acca.tokyo.ocn.ne.jp
日帰りで大変ですがご苦労さまです。

またお逢いできることはとても嬉しく思います。

今回のフォーラムは、皆さんにとって大変プラスになることと思います。

日帰りで参加なさる方も多いと思いますが
会津集結から三ヶ月でまた皆さんとお逢いできることはとても嬉しく思います。

車や電車でこられる方が多いと思いますが道中事故には注意してまいりましょう。




402 返信 文化フォーラム 町野主水 19 Oct (Thu) 06:14
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 皆さん今晩は。今回の文化フォーラムは前回の夏の陣より参加される会員の方を中心に大いに盛り上がっている様子で嬉しい限りです。又、その精力的な活動には脱帽!です。今回は所用があって参加できないことが誠に残念ですが、文化フォーラムが会員皆さんの力で成功裡に終了することを祈念しています。
 ところで土方殿、忘年会の予定はあるのでしょうか?あるとすれば万難を排して・・・と言いたい所ですが、調整がつけば参加したいと考えています。
 


401 返信 はま・なか・あいづPR報告 沖田総司 19 Oct (Thu) 12:54
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総裁より、文化フォーラムPRのためNHK福島「はま・なか・あいづ」に出演せよとの命を受けました。相変わらず何にでも首を突っ込みたがる好奇心旺盛な私、さっそく會旗、新選組の衣装、ポスター、問い合わせ先ボードなど用意し、玉虫さんと共に出演してきたので、取り急ぎ報告します。

喋りは玉虫さんが得意とするところなので、あらかじめ私の練っておいた文を玉虫さんに読んでもらい、チンパンジーのように役割分担しながら臨む事にしましたが、結果的にこのやり方で上手くいったと思います。

当初は、渡部恒三さんや高橋ツトムさんをメインに宣伝したいと思ってましたが、渡部さんの名前は選挙の制約に触れるため出せませんでした。また、高橋ツトムさん紹介のため私がわざわざ購入しておいた「士道」も、集英社の許可がないとテレビに出せないと言われ却下。
そのため、最初に考えたPRの内容をずいぶん変更せねばならなくなりました。

また体操のコーナーには、「下駄の音がうるさいから」という理由で参加させてもらえず。(自分としては下駄を脱いで参加してもよかったんだけど)

そんなこんなで何かと制約が多く、存分にアピールできない部分もありましたが、何とか宣伝効果が出てくれれば嬉しいです。

あと福島民友にも、文化フォーラムの記事が載りましたね。


399 返信 ご無沙汰しており候 佐々木只三郎 18 Oct (Wed) 08:38
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私の傍若無人ぶりにPcが悲鳴を上げて早一ヶ月…職場のPcからこちらの状況は日々チェックしておりました!!。
もちろんその間もさまざまな場所へ巡察へ出かけており先日はアボルダージュ・ボールディングで有名な宮古湾へ行って参りましたYO(もちろん副長には報告させていただきましたが笑)。

そんな訳(どんな訳だろ?汗)で大村先生!!今回の西会津!日曜日に、ちと業務検定試験が入ったため宿泊は無理ですが、福島ICから東北道経由磐越道を経て当地へ向かう所存であります!
皆様よろしくお願いします。
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星亮一

皆さん、ありがとう
奥会津文化フオーラム、皆さんのご協力で、無事、終わることができました。
事務局を務めてくれた北東文芸協会の小野木君、岡田君、彼らは第一の功労者です。
日夜、懸命に準備をしてくれました。
戊辰戦争研究会の土方副長、寒河江君、沖田君、遠藤君、桜井さん、そして新潟の皆さんも凄いパワーで、全体を引っ張ってくれました。
下総の西郷さん、遠路、ご苦労さんでした。鴉座もよかった、
早稲田OBの特別出演もあり盛り上がった。
まずは成功、おめでとう。
そう申し上げたい。

これを機会に北東文芸協会、
戊辰戦争研究会の会員拡大を進めます。
皆さんの参加を期待しております。


△top
2006年10月22日(日) 西会津町、大山祇神社もよかったよ
西会津町で開いた第4回奥会津文化フオーラムは大成功だった、

天気にも恵まれ、参加者全員が、

討論会や研究発表、劇団鴉座の公演に出演、

有意義な1泊2日を過ごした。

渡部恒三代議士、カリスマ漫画家の高橋ツトムさん、

作家の馬里邑れいさん、

ご多忙のところおいでをいただき、ありがとうございました。

作家工藤美代子さんの記念講演「会津の女性たち」も

聴衆に深い感銘を与えた。

武士道とは、会津戦争の実態、河井継之助、山本五十六の

人間像などのついて、

討論を深め、来年も西会津町で、開くことを決め、

今日の朝、散会した。

このあと私は仙台の寒河江君の車に便乗し、

野沢の山の神様を参拝した。

大山祇神社は、水源・水利の神、長寿の守護神、

そして良縁・安産の守護神としてあがめられている。

それぞれの願いをかなえてくれるとあって、

この日も各地から参拝客がきていた。

遙拝殿は、野沢から5qの大久保集落に位置し、

さらに徒歩で4q進むと

御本社にたどりつく。

今回は途中の弥作の滝までで、もっどったが、この滝がまたすばらしい。

マイナスイオンたっぷりだった。

一緒に出かけたのは馬里邑さん、寒河江君、遠藤君、

そして八重洲ブックセンターの石塚店長、安司さんの6人、

「すばらしい」

の連発だった。

ここは福島の遊歩道50選にもなっており、

奥深い西会津の山の豊かな恵みは、

間違いなく心を癒してくれる。

トレッキングとしても最適。

【大山祇神社】に関するお問い合せは

事務局:西会津町経済振興課
〒969-4495
福島県耶麻郡西会津町
野沢字下小屋上乙3261
【TEL】0241-45-2213
【Fax】0241-45-3974
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2006年10月21日(土) 本日、奥会津文化フオ−ラム開催
待望の第4回
「奥会津文化フォーラムin西会津」

いよいよ本21日、開かれる。

大会要綱は以下のとうりです。

入場無料、是非いらしてください。

  〜メインテーマ:「士道」〜  
主催/北東文芸協会・戊辰戦争研究会、協賛/西会津町

日時 10月21日(土)11:00開会

場所 西会津町公民館 
JR磐越西線野沢駅から徒歩6分 
 〒969-4406 福島県耶麻郡西会津町野沢字原町乙2234-1
   TEL 0241-45-3244 FAX 0241-45-3470
 

■開会 11:00
■研究発表会 11:10 
 ●荻野和臣
 ●高久達英(北東文芸協会副会長)

※昼食は各自で対応してください。近隣に食堂、道の駅があります。

■特別討論会“武士道”を語る13:00-
 司会 星亮一(作家、北東文芸協会代表、戊辰戦争研究会代表)
 出席 渡部恒三(衆議院議員)
     高橋ツトム(漫画家、現在ヤングジャンプで「士道」連載中)
     馬里邑れい(作家、郡山自由大学講師)
     桜井玲子(戊辰戦争研究会会員)
     遠藤由紀子(戊辰戦争研究会会員)

■座談会「戊辰戦争と西会津町」14:40
 参加者 根本一(郷土史家)、麻生弥(漫画家)、中村由香里(戊辰戦争研究会会員)

■研究発表会15:40
 ●岩瀬隆「鳥居三十郎」
 ●小名泰裕(戊辰戦争研究会会員、東京龍馬会会員)「なぜ、只見 で河井継之助か!」

■第5回北東文芸賞授賞式&記念講演 

受賞者、作家工藤美代子さん

午後4時、記念講演

演題、「会津の女性たち」

会場は300人収容、先着順です。

当日
ゲスト各位のサイン会あります。


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2006年10月20日(金) 郡山自由大学10月講座
23日、須永晃仁、食べ物と心
24日、三野一、コンピュータと音楽
25日、上田麗子、目ざせはつらつ健康
26日、今泉正顕、死を恐怖がらず、生を欲張らず
27日、星亮一、戊辰戦争のゲリラ兵
28日、野の村邦夫、地図を見ればよくわかる
30日、星貴子、美術技法講座、わたしのパステル画教室

いずれも会場は郡山うすいデパート10階、時間は午後2時
会費は学生は支払い済み、その他は1回千円

来年は2年目に入る
年間28回、会費2万円、
申し込みは八重洲ブックセンター郡山店ヘ
電話024−927−1524
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2006年10月19日(木) 山本五十六記念館
なかなかよかったね。

コンパクトにまとまっていて、山本の魅力が十分に出ていたと思う。

記念館ができて以来、長岡の観光客が増えたそうだ。

山本効果だと思う。

いま山本の技術部長時代を書いている。

ここからいよいよ第一航空戦隊司令官になる。

物語は佳境に入ることになる。

昨日、長岡に旅した人の中に

父親が海軍航空隊の搭乗員だった方がいた。

空母翔鶴に乗っていたと言うから凄い。

この空母は真珠湾攻撃に参戦している。

そのあと、セイロン・コロンボ海戦、サンゴ礁海戦、南太平洋海戦、

そしてマリアナ沖海戦で撃沈された。

「父は南太平洋で戦死したと聞いています。私が3歳の時でした」

その方は涙ぐみ、

「山本元帥の遺品を身近に見ることができ、感動しました」

と、最後は晴れやかな表情だった。

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ヤフーから

翔鶴型航空母艦は帝国海軍が蒼龍、飛龍に続き

建造した正規空母である。

最初から軍縮条約の制限を受けず設計され、

またそれまでの空母建造で培ったノウハウを盛り込まれため、

日本の空母としては最も洗練されたものとして完成した。

34ノットの高速に84機の搭載機、

当時の連合国空母と比較しても高い防御力は

正規空母としての条件を十分に満たしており、

アメリカのエセックス級空母が登場するまで

世界で最も能力の高い空母だったと言える。

翔鶴型航空母艦は、ネームシップの翔鶴および

姉妹艦瑞鶴の2隻が建造された。

翔鶴、瑞鶴は真珠湾攻撃をはじめとする太平洋戦争の

主な海戦に参加し機動部隊の中核として活躍した。

なお翔鶴、瑞鶴ともに参加した1942年5月7日の

珊瑚海海戦は史上初の空母同士の

海戦として知られている。

この戦いで翔鶴は中破するも、米空母レキシントンを撃沈、

ヨークタウンを中破させるという戦果を上げている。

翔鶴は1944年6月19日、マリアナ沖海戦にて

艦載機の給油中に

米潜水艦カヴァラの雷撃を受け沈没。

瑞鶴は同1944年10月レイテ海戦に

艦載機を搭載しない囮部隊として出撃し、

ハルゼーの機動部隊を誘引することに成功するも

艦載機の集中攻撃を受け、

10月25日に沈没した。
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2006年10月18日(水) 今日は長岡小千谷です。
NHK星亮一と行く歴史講座、

今日は新潟県小千谷である。

河井継之助の談判の場所、慈眼寺に行き、

しばし河井の心境に浸ることになっている。

この前の地震で、慈眼寺は被害を受けたが、

全国からのカンパで、復旧したという、

それを見るのが楽しみである。

途中、長岡市で山本五十六記念館にも立ち寄る。

山本の人気はいまうなぎのぼりである。

なぜか。

何時も自分の死を考えていた。

つまり命をかけて生きた人ということである。

逃げずにぶつかった。

山本はそいう人だった。

最後は覚悟の戦死だったと思う。

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山本五十六記念館

所在地 〒940-0056 長岡市呉服町1丁目4番1号

アクセス JR長岡駅大手口より徒歩10分

北陸・関越自動車道長岡ICより車で15分

問合せ先 山本五十六記念館  TEL 0258-37-8001

駐車場あり

開館時間 午前10時〜午後5時

主要展示内容 (高野五十六の誕生)
 生家高野家の歴史。家族、恩師、友人との交流
(山本五十六となる)

 長岡藩風。長岡の歴史・風土。旧藩家老・山本帯刀家の継承、結婚
(世界をめぐる)
 駐米武官、国際会議などを通して身につけた国際的視野。

外国でのエピソード

誠意と慈愛)
 多くの人々に愛された人間性。
(平和を求めて)
 海軍軍縮条約の締結に努力。三国同盟に徹底的に反対。
(連合艦隊司令長官)
 アメリカの国力、国民の気性を知り抜き、

早期講和をのぞむ。
(いまに生きる山本五十六の心)
 その「人となり」を知り、未来に伝える。

料金 大人(高校生以上)500円 小・中学生200円
(20人以上は団体割引有り)

説明  明治17年(1884)、儒学者の家系に生まれた高野五十六は、

聡明で、中学の頃からベンジャミン・フランクリンを尊敬、

猛勉強するなど広い視野を持っていました。

旧長岡藩家老・山本帯刀家を継ぎ、旧会津藩士族の娘と結婚

文武両道、質実剛健、常在戦場の長岡らしい精神に

磨きがかかる一方、

石油や航空に早くから注目しており、

リンドバーグの大西洋横断にも触発され

特に航空の重要性を力説し、太平洋戦争開戦時、

その先見性を世界に実証しました。

 「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」

と、わが身の危険を省みず、

日独伊三国同盟に断固反対した姿勢は、

人々を愛し、郷土を愛し、

慈愛の心を強く保っていたからです。

しかし、その意に反し連合艦隊司令長官として

未曽有の大戦争の指揮をとることとなり

昭和18年(1943)ブーゲンビル島で戦死しました。

 この記念館は激動の世紀に、しなやかかつ強い心で生きた

山本五十六の人間性を、

21世紀に語り伝えたいと願う人々の手で建設されました。

問い合わせ

商工部 観光課 〒940−0062 新潟県長岡市大手通2−1−5

 大手通分室内
Tel 0258-39-2221[直通] / Fax 0258-36-3234[直通]
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2006年10月17日(火) 榎本武揚とビール
榎本はビールが好きだったらしい。

江差の水中発掘では、ビール瓶やワインの瓶が数多く発掘され、

展示されている。

当時の瓶は角瓶だった。

メーカーはハイネケン。ビール瓶が、開陽丸がオランダを出港するときに

積み込まれたものに違いなく、

榎本はハイネケンを輸入した最初の日本人になる。

箱館戦争に破れた榎本は投獄さてしまうが、

明治新政府高官である黒田清隆らの尽力により、

およそ2年半で釈放される。

釈放が決定したときのビールは相当にうまかったようで、

妻の多津に、

「昨日も今日もたっぷりビールを飲んだ」

と手紙を送っている。

サッポロビールから

「榎本ラベル」のビールが発売されないかな、

私もビール好き、

今夜も友人とビールを飲むので、

ついビールの話になってしまった。
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2006年10月16日(月) 森さん福島県知事候補に浮上
今朝の新聞各紙は福島県知事選挙の候補に森雅子さんの擁立、

固まると報じた。

自民党のほか民主党も擁立に動いており。確実視されている。

今回の事件で福島県政は泥まみれであることがわかった。

森さんは経歴にあるように

国際的に活躍されている弁護士である。

このような人の登場は大賛成である。

福島県のために決断を期待したい。

以下は共同通信ニュース


森氏に出馬要請へ 自民県連、福島県知事選で [ 10月15日 21時48分 ]

 佐藤栄佐久前知事の辞職に伴う福島県知事選

(26日告示、11月12日投開票)で、自民党福島県連は15日、

候補者擁立について、同県出身の弁護士で

金融庁課長補佐の森雅子氏(42)に出馬要請する方針を固めた。

16日に、本人に出馬を正式要請する。
 
自民党県連は、5期18年の佐藤前知事の県政には、

知事多選の弊害があったとして

「任期は2期8年まで」「クリーン」「公正・公平」「県政刷新能力」

を基準に候補者選考を進めていた。
 
森氏については、民主党県連なども候補者選びの軸として調整。

民主も16日以降、森氏に出馬の意思を確認する予定。

自民党県連は民主の動きについては

「他党のことは分からず、コメントできない」としている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
経歴

ヤフーから

もり・まさこ●1964年生まれ。福島県出身。東北大学法学部卒業後、

95年に弁護士に。日本弁護士連合会消費者問題対策委員などを歴任。

99年に日弁連の推薦で米国に留学。

ニューヨーク大学ロースクール客員研究員などを経て、

2000年に森雅子法律事務所を設立。

2005年3月から金融庁総務企画局企画課信用制度参事官室課長補佐に。

専門は消費者法、犯罪収益吐出制度など。
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2006年10月15日(日) 麦叢録
函館市立図書館に榎本艦隊を描いた「麦叢録」が所蔵されている。

文章と絵である。

開陽丸に乗り組んだ軍艦役小杉雅之進が描いたものである。

絵は凄くうまい。

小杉は長崎海軍伝習所の3期性である。

れっきとした海軍士官で勝海舟と一緒に咸臨丸で、太平洋も横断している。

末裔の小杉伸一さんが中心となり、

咸臨丸を語る会が結成され、活躍されている

ことを北海道の木古内で知ったのは、ついこの前だった。

ところが昨日の東軍慰霊祭に咸臨丸子孫の会の方々が見えており、

名詞を交換することができた。

そこには小杉伸一さんもおられた。

奇遇というか奇縁である。

来年、木古内で慰霊祭を行なう企画もあるようで、

今度の箱館戦争出版を機会に

個人的な交流も深まりそうだ。

出かけてよかった。

参考

子孫の会のイベント


10月04日 2006年10月21日

2007年度東京木古内会総会&懇親会@東京都港区

2006年11月03日 塩飽出身者の子孫集合@丸亀市

来年、オランダにも出かけるとか、活発ですね。

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ところで今朝のテレビ、凄い発言があった。

時事通信ニュースである


核武装「大いに議論を」=船舶検査法、見直し必要−中川自民政調会長

 自民党の中川昭一政調会長は15日、テレビ朝日の番組に出演し、

北朝鮮の核実験実施表明について「日本が攻められないようにするために、

その選択肢として核(兵器の保有)ということも議論としてある。

議論は大いにしないと(いけない)」と述べた。
 
また中川氏は番組終了後、記者団に対し、

自衛隊による船舶検査を定めた周辺事態法と船舶検査活動法に関し

「かなり大幅な見直しが必要だ」と指摘。具体的には、

(1)船長などの同意なしには船舶検査が行えず実効性に欠ける(

2)周辺事態であっても地方の空港、港湾の使用権限が国にない−

などの問題点を挙げた。

ただ、「今国会で(改正案を成立させる)ということは難しい」と語り、

来年の通常国会に向けて検討を進める考えを示した。 

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どのような反応がでるのか注目しよう。
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2006年10月14日(土) 第十五回戊辰役東軍殉難者慰霊祭
今日は下記のご案内をいただいたので、

会津若松に出かけます。この会には以前、出たことはあるのですが、

久しぶりの慰霊祭出席です。

いろいろ収穫があると思います。


後日、報告します。


第十五回戊辰役東軍殉難者慰霊祭

戊辰戦争は過酷な戦いでした。

戦争終結後、新政府軍の死者は招魂社(のちの靖国神社)に祀られましたが、

幕府軍側の戦死者は山野に打ち捨てられたままでした。

戊辰役から50年後、時の首相・原敬は盛岡に帰り慰霊祭を行いました。

祭文に曰く「戊辰戦争は政権の異動のみ」と。

今年も原敬の意をくみ、激戦地・会津若松の天寧寺にて

東軍殉難者の霊に合掌いたしたく、慰霊祭を企画しました。

たくさんのおいでをお待ちしております。

 日時 平成18年10月14日(土)午後1時より
 
場所 会津若松市東山天寧寺町
    天寧寺
 内容 供養読経 天寧寺住職
    祭文奉読 会津藩家老・萱野権兵衛子孫
                 郡 修彦氏
 記念講演 野口信一氏「ならぬことはならぬー
                     会津武士道の源」
 会費 三千円 (記念品代含)
    祭主   郡 修彦氏
    実行委員長 天寧寺住職
    事務局  大出俊幸氏
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2006年10月13日(金) 旧友から電話
今日、五十年ぶりに学生時代の友人から電話があった。

「京都の大原です」

という電話だった。

誰であるかは、すぐにわかった。

いまから五十年前、われわれは東北大学の国史学科の学生だった。

私は1級上だった。

当時、大学は3年次から専門コースに進むシステムだった。

だから彼を知ったのは私が4年生、彼が3年生の時だった。

京都では3回生、4回生と呼ぶこともそのとき知った。

同じ寮で1年、共同生活をしたので、密度は濃かった。

私は京都弁をはじめて聞いて、同じ日本なのに、

どうしてこうも違うのかと驚いたものだった。

東北出身の学生はどこか野暮くさいのだが、彼は実に如才がなく、

京都から帰るときは、八ツ橋をお土産にもってきてくれたりした。

随分、おいしいお菓子だと思った。

国史学科を卒業したあと、彼がどういう道を歩んだのか、

はあまり知らなかった。

ある日、日本共産党京都府連書記長として大活躍をしているのを知り、

仰天した。

京都は長く日本共産党の牙城だった。

有名な蜷川知事の時代である。

その後、中央執行委員として東京にもおり、

一度、会おう会おうと思いながら、会えずに来てしまった。

その辺は私の悪いところであった。

しかし、手紙で交信はしていた。

「奥羽越列藩同盟」などを書いたとき

「まったく違う歴史ですね」

と驚いてくれた。

京都から見たら東北の幕末維新は、不可解であったかも知れない。

その彼からの電話は山形に旅行に行くので、

郡山に途中下車したいということだった。

嬉しい電話だった。

私に異文化の存在を教えてくれ、

なおかつ、京都で一世を風靡した彼に会えるのは、

実に楽しみである。50年ぶりの再会とはどのようなものなのか。

今日はそんな日だった。
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2006年10月12日(木) 今日は東京
神田の古書店廻りと、編集者との打ち合わせです。

箱館戦争の初校と写真、三修社に手渡す。

昨夜、遅くまで整理し、やっと間にあわせました。

さらに他社の方と来期の企画を話し合う。時間が限られているので、

今日は2社。郡上藩凌霜隊戦記、幕府軍艦開陽始末、など書きたいですね。

夜は何人かで東京駅周辺で、焼酎の水わりを飲む。

韓国ニュース

<世論調査>「太陽政策変えねば」78%「韓国も核持つべき」65% -

中央日報

北を非難するのは簡単である。

日本はどうするかである。

大変な時代になりましたね。
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2006年10月11日(水) 皆さん、21日、西会津町公民館にいらしてください
第4回奥会津文化フオーラムは、ビックイベントである。

豪華メンバーだと思う。

午後1時開会、士道の討論会。

会津黄門の渡部恒三代議士とカリスマ漫画家高橋ツトムさんが登場、

私も加わり、会津武士道を論じまくる。

「会津の佐川官兵衛、最高だね」

高橋さんの気炎も最高潮だ。

「そうそう、会津のサムライ、これぞ男のなかの男、

長州などには負けないぞ」

渡部さんも気合を入れる。

「ウウン、ここは会津、会津で行きましょう」

私も腹を固めている。

午後4時からの

工藤美代子さんの北東文芸賞受賞記念講演

「会津の女性たち」

も問い合わせが殺到している。

山本五十六の生涯を描いた「海燃ゆ」で

絶賛を浴びたノンフイクション作家の登場である。

入場無料、早いものがちである。

この日のスケジュール

開会 11:00
■研究発表会 11:10 
 ●荻野和臣
 ●高久達英(北東文芸協会副会長)

※昼食は各自で対応してください。近隣に食堂、道の駅があります。

■特別討論会“武士道”を語る13:00-
 司会 星亮一(作家、北東文芸協会代表、戊辰戦争研究会代表)
 出席 渡部恒三(衆議院議員)
     高橋ツトム(漫画家、現在ヤングジャンプで「士道」連載中)
     馬里邑れい(作家、郡山自由大学講師)
     桜井玲子(戊辰戦争研究会会員)
     遠藤由紀子(戊辰戦争研究会会員)

■座談会「戊辰戦争と西会津町」14:40
 参加者 根本一(郷土史家)、麻生弥(漫画家)、中村由香里(戊辰戦争研究会会員)

■研究発表会15:40
 ●岩瀬隆「鳥居三十郎」
 ●小名泰裕(戊辰戦争研究会会員、東京龍馬会会員)「なぜ、只見 で河井継之助か!」

■第5回北東文芸賞授賞式&記念講演 午後4時
講師、作家、工藤美代子
「会津の女性たち」
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2006年10月10日(火) 北東文芸賞に工藤美代子さん
私、会長の北東文芸協会は、今日、郡山記者クラブで、今年度の

北東文芸賞の受賞者を発表した。

受賞者はノンフイクション作家の工藤美代子さん、

今年で第5回となる。

これまで「工藤写真館の昭和」で講談社ノンフイクション賞を得ている

実力派の作家である。

この賞は東北六県と新潟県に関係する作家が対象で、

工藤さんのルーツは新潟県の小出である。

会津藩の飛び地があったところで、戊辰戦争では

会津藩とともに戦い、多くの犠牲者を出したところである。

われわれが工藤さんの作品で感動を受けたのは

昨年、出版された山本五十六の生涯を描いた

「海燃ゆ」

である。

山本の妻は旧会津藩士の出である。

山本は旧長岡藩士の出である。

作品では長岡藩と会津藩の友情も描かれ、

われわれに深い感動を与えた。

表彰式は今月21日、

福島県西会津町公民館でおこなわれる

奥会津文化フオ−ラムの席上、午後4時からおこなわれ、

「会津の女性たち」

と題する記念講演がある。入場無料、先着300人収容である。

ぜひお出かけください。
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2006年10月9日(月) アエラに見る福島県庁のおぞましい実態
私は朝日新聞社発行の「アエラ」10月16日号を呼んで驚愕した。

前福島県知事、佐藤氏の周辺に務めていた県庁職員5人が

謎の死を遂げていた、というのである。

「えええ」

それはまさかという記事だった。

「ひどいもんですよ、呼びつけて怒鳴るんだから」

県庁職員のOBから話は聞いていた。

神経質な顔でガンガン怒鳴るというのである。

私のようにジャーナリストの出身の人間ならば、

黙ってはいないと思うが、県庁職員は総じておとなしい。

なにせ知事には人事権がある。

すぐにどこかに飛ばすことができる。

反論どころではない。ただ怒鳴られるしかなかった。

「アエラ」は知事直轄秘書秘書課秘書係長だったA氏の取材

からはじまっていた。

この人は2年半の勤務で心身がバラバラになり、精神科にかかり入退院

を繰り返した。

最初の犠牲者は数年前の総務部秘書課政策調査室の室長である。

その人が自殺したのだ。

県庁マンは漠然とではあるが、なにかを感じた。

一体、何か。

知事のいいじめである。

それから4年後、今度はなんとナンバー3の出納長が自殺した。

「福島県庁は佐藤知事による人権侵害の場と化していた。

県庁は茶坊主、お庭場番であふれ、知事が卒業した高校の出身者

が羽振りを利かせた」

「土木関係は実弟が実質的な副知事になっていた。

人によっては流刑に処せられた」

という元政治家秘書の談話も掲載されていた。

その後も教育庁の参事、知事直轄公室県政広報グル−プの職員、

県職員の彼の妻も自殺した。

5人のうち3人は首つり、1人は飛び降り、

1人は練炭を焚いての中毒死だった。

もうひとりは東急建の東北支店長である。

この人の自白ですべてが始まった。

「選挙で選ばれたという民意、あるいは民主主義の隠れ蓑に

守られて、首長の私欲、暴慢が抑止されなくなったら、

実に恐ろしい地域社会が現れる。半世紀を棒にふったA氏は

その生き証人の少なくともひとりと思われる」


リポートはこのように結んでいた。

県庁でなにがあったのか。これは今後のために

明らかにしていかなければならない問題である。

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速報


北朝鮮、核実験実施と発表=北東部でM3.5規模の地震

 【ソウル9日時事】北朝鮮は9日、朝鮮中央通信を通じ、核実験を実施したと発表した。同通信は「われわれの科学研究部門は地下核実験を安全に成功裏に行った」と報道。「科学的で綿密な計算によって行われた今回の核実験では、放射能流出のような危険が全くなかったことが確認された」と伝えた。
 韓国政府によれば、北朝鮮北東部の咸鏡北道花台で同日10時35分(日本時間同)、マグニチュード3.58−3.7規模の地震波が探知された。韓国政府は直ちに盧武鉉大統領主宰の緊急安全保障閣僚級会議を招集、対応策を協議している。
 北朝鮮は3日の核実験予告の声明発表にもかかわらず、米国が直接対話に応じる姿勢を見せなかったため、米国に譲歩する考えがないと判断したもようだ。8日の日中首脳会談で北朝鮮に対する厳しい方針で一致したことも影響を与えたとみられる。9日の日韓首脳会談、10日の労働党創建61周年に合わせた可能性もある。 
(時事通信) - 10月9日13時0分更新
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2006年10月8日(日) 知事候補に毎日新聞菊地さん
今朝の福島民報は、福島県知事選挙の候補者として

毎日新聞菊池哲郎氏が浮上したと報じた。

菊地氏は福島県二本松市出身、

福島高校、東大を出て、毎日新聞に入社、

ロンドン特派員、経済部長、論説委員長などを務め、現在、取締役である。

私はお会いしたことはないが、

菊地氏の父親がかつて私の上司だったので、

名前は聞いていた。

福島県内でよく講演会を開いており、

高校の同級生、親戚知人も多いので、

十分に戦える候補である。

今回、金まみれの事件で前知事は、辞職に追い込まれたあとだけに

マスコミからの出馬は歓迎である。

本人は大勢の方の推薦があればといっており、

急速に盛り上がる可能性は十分にある。

ただ自民党、民主党の動きもあり、乱戦になる場合は、どうなるか、

その辺の調整が課題だろう。乱戦になれば泥沼の選挙戦になりかねない。

そこまでして菊池氏が出馬するとは思えない。

水面下での調整がカギだろう。

ちなみに毎日新聞の社長北村氏は青森県三沢の出身で、

父親は元青森県知事だった。

青森県に流罪となった会津藩士の末裔である。

そうしたこともあり、毎日新聞と知事という、不思議な因縁も感じる。

何かと話題の多い知事選になるかも知れない。

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今朝の産経新聞は、公選法違反の容疑について

ほぼ次のように報道した。

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複数県議・実弟立件へ 福島県知事選「集票で報酬」認める

 平成16年の福島県知事選をめぐる選挙違反疑惑で、

佐藤前知事の実弟から裏金を受領した

複数の現職県議が東京地検特捜部の調べに対し、

「金は知事選で票をとりまとめる報酬だった」

などと供述していることが7日、

関係者の話で分かった。特捜部は公職選挙法違反(買収)

の疑いが強まったとみて、

実弟の再逮捕と

複数の県議の立件に向け捜査しているもようだ。

 福島県の発注工事をめぐる談合事件は前知事と県、

そして県政界も巻き込んだ大型事件へと

発展する可能性が強まった。

 関係者によると、実弟は16年9月5日に

投開票された知事選の前

刑法の談合容疑が持たれている阿武隈流域下水道整備工事

(同年8月入札)を受注した東急建設から設備会社社長、

辻政雄被告を介して「陣中見舞い」名目で

300万円を受け取っていた。

 このほか、実弟は辻被告を仲介するなどして、

県発注工事を受注した県内外の建設業者など数十社か

総額数千万円を受け取っていた。これらの金は

すべて裏金処理され、

地区選対の幹部を務めていた複数の県議らに

数十万〜数百万円を配布していたという。

 裏金を受領した県議はこれまでの特捜部の任意聴取に、

「選挙資金として実弟から裏金を受け取っていた」

と供述していたが、さらに

「裏金は票をとりまとめる報酬だった

と買収行為を認める供述をしていることが新たに分かった。

実弟は特捜部の調べに、裏金の使途について

「選挙資金などに充てるため辻被告から

定期的に現金を受け取り、県議らに配った」

と供述しており、

裏金の集金から配布まで一貫して取り仕切っていた。

 実弟が裏金処理した数千万円は、

佐藤前知事の選挙運動費用収支報告書に記載されておらず、

選挙費用の収支をすべて報告するよう定めた公選法にも

抵触する疑いがある。

 特捜部は、候補者本人の佐藤前知事がこうした事実を

認識していたかについても捜査を進めるとみられる。

 佐藤前知事をめぐっては、

平成12年に入札があった福島県発注の

木戸ダム本体建設工事を受注した

前田建設工業(東京)などゼネコン2社から

親族企業の土地取引に絡み

高値の土地購入や融資などで多額の利益提供を受けていた

疑惑も浮上している。

(産経新聞) - 10月8日8時0分更新
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2006年10月7日(土) 奥会津文化フオーラム
第4回奥会津文化フォ−ラムは、今月21日、福島県と新潟県の境にある

福島県西会津町公民館で開かれる。

メインは「士道」の討論会。

民主党最高顧問の渡部恒三さん、

週刊ヤングジャンプに士道を連載している

カリスマ漫画家の高橋ツトムさん、作家の馬里邑れいさんら、

私が司会を担当する。

午後1時開会、先着300人、早いものがちである。

磐越自動車道の野沢インターで降りる、

どういう討論になるのか。

おりから福島県は、驚くべき県政の腐敗が問題になっている。

2年前、前知事はゼネコンから金を集め、

県会議員数十人に現金を配り、知事選を行なった、

それで何十万票か取ったわけだが、

いまにして思えば、金まみれの選挙だったことになる。

士道なき県政ということになろうか。

県会議員数十人の名前と金額、むろん公表すべきである。

士道とは人間のモラルである。

人間行動の規範である。

それを失っては、国家も県政も破滅である。

西会津町で大いに論じましょう。

入場無料、ぜひお出かけください。
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渡部恒三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡部 恒三(わたなべ こうぞう、昭和7年1932年5月24日 ‐ )は、平成期における日本の政治家。衆議院議員(13期)。勲一等旭日大綬章。民主党最高顧問。

衆議院副議長(第70代)。厚生大臣(第68代)。自治大臣(第39代)。国家公安委員長(第70代)。通商産業大臣(第48代)。自由民主党所属時は竹下派七奉行の一人として知られた。

衆議院議員 渡部 恒三 生年月日 昭和7年(1932年)5月24日
出生地 福島県南会津郡南会津町
出身校 早稲田大学第一文学部卒業
学位・資格 文学士
前職・院外役職(現在) 福島県議会議員
所属委員会
・内閣役職(現在) 衆・決算行政監視委員会委員
衆・国家基本政策委員会委員
世襲の有無 無
選出選挙区
(立候補選挙区) 福島4区
当選回数 13回
所属党派(現在) 民主党
党役職(現在) 最高顧問
福島県総支部連合会特別顧問
会館部屋番号 衆・第2議員会館202号室
ウェブサイト 人間政治家 渡部恒三のHP

政界入り
福島県南会津郡南会津町出身。福島県立会津高等学校時代、後に評論家となる小室直樹、弁護士の渡部喬一(第二東京弁護士会所属)と知り合う。この3名は校内で「誇大妄想狂」と呼ばれるほど目立つ存在だったという。
早稲田大学在学中は早稲田大学雄弁会に所属。同期に藤波孝生、同じ学部の2年先輩に政治評論家の三宅久之がいる。
福島県議会議員を経て、昭和44年(1969年)、第32回衆議院議員総選挙で立候補。「会津のケネディ」(「ワタスは東北のケネデイダす」)を自称して、初当選。
自由民主党から公認を得られなかったため無所属で出馬したが、当選したのち田中角栄が不明を恥じて渡部を追加公認した。渡部は佐藤栄作に対しては批判的だったが、この件で田中派となる。

竹下派七奉行
通産政務次官、衆議院商工委員長などを歴任し、商工族としてキャリアを積む。厚生大臣、自治大臣兼国家公安委員長、通商産業大臣を歴任。自民党では、国会対策委員長を務めた。
厚生大臣在任中には「タバコがおいしく感じられるのは健康であるということ」と発言したため、マスコミに「タバコは健康のもと」と誤報され、波紋を呼んだ。いわゆる「トルコ風呂問題」が持ち上がったのは、彼の在任中である。

衆議院副議長
新生党から新進党に移り、幹事長代理、政務会長、総務会長兼国会運営委員長、副党首を歴任し、1996年に衆議院副議長に就任。2000年にも再任され2003年まで務めた。副議長在任日数は衆議院創設以来最長(2498日)。本当は副議長になる気はなかったが、「早稲田大学雄弁会の後輩である小渕恵三が自民党から衆議院議長に就任するので」といわれてやむなく引き受けた。しかし、当の小渕は、地元後援会や同僚議員の説得により就任を固辞し、結局伊藤宗一郎が議長になった。2年後、小渕は内閣総理大臣に就任。
自民党と民主党の間に立つため無所属(会派は民主党・無所属クラブ)であったが、2005年9月の衆院選では民主党の公認を得て立候補、そのため公明党の支持を得られなかったものの、次点議員と6637票差で当選。自派の選挙違反が摘発され、運動員が逮捕される

民主党国対委員長
2006年2月、ライブドア送金指示メール騒動で、民主党国会対策委員長であった野田佳彦が辞任すると、鳩山由紀夫幹事長の要請を受けて後任の委員長に就任した。菅直人や山岡賢次ら国対に精通したベテランが相次いで就任を固辞したための苦肉の策であった。
衆院副議長を経験した党内最長老の国対委員長就任は異例のことであり、与党・自民党からも驚きの声が聞かれた。
就任直後から生放送のテレビ、ラジオ番組に相次いで出演し、9月に行われる民主党代表選の前倒しや、永田議員へ辞職要求などを発言、鳩山幹事長はその火消しに追われた。
「偽造メール」問題に関して、平成18年(2006年)3月15日放送のTBS系「みのもんたの朝ズバッ!」で涙を流して謝罪した。
テレビで政界の水戸黄門を自称したため、ドラマ『水戸黄門』で実際に小道具として使用された印籠をプレゼントされた。また、ドラマに出演している由美かおるからおしゃれな電報を受けた。また、以来ニックネームが「黄門様」となる。
2006年4月19日の衆議院行政改革特別委員会にて、自身としては実に26年ぶりになる国会質問を小泉首相に対して行なう。「細かいことは聞かない。小泉君の政治姿勢を聞きたい」としたが、実際は会津のことについて話したり昔話をするなど実に25分間それに費やし、ほのぼの笑いの絶えない時間が過ぎた。肝心の質問については「小泉君が総理になって格差が広がった」とした。

人物
会津訛りの独特の喋り方で国民に広く知られる。好感度は高い。愛称は「おしゃべり恒三」。底抜けの善人か、それとも非常に狡猾な人なのか親しい友人や側近、政治評論家も未だに判断が付かない。
民主党の中で最高齢の議員であるため、大御所や水戸黄門などの渾名が付いている。
当選13回は、羽田孜、小沢一郎と並んで民主党内最多。
「メール問題」で党の幹部が落ち込んでいるなか、激励のために会津名物「起き上がりこぼし」をプレゼントする気配りを見せたが、党代表であった前原誠司の起き上がり小法師だけは起き上がらなかったため、座が凍りついた。
子息は戦略国際問題研究所(CSIS)非常勤研究員・三井物産戦略研究所国際情報部主任研究員でTBSラジオ「森本毅郎スタンバイ」月曜コメンテーターの渡部恒雄(渡邉恒雄にあらず)。
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高橋ツトム

SIDOOH 士道 1
集英社

発行年月
2005年6月

価格(税込)
680円
「みんなの書店」評価※
(5点満点中5.0点、レビュー合計:1件)

店長「モリゾロ」さんの評価: 投稿日:2005年8月22日4:29:03

江戸末期の混沌とした時代に母を失った幼い二人の兄弟が、「刀」を握り強く生き抜くこと決意した。  修羅の世界で「純」な少年が「現実」を前にどう育っていくのか、今後がとても気になる作品です。そして、高橋ツトム先生が描く感情が滲み出して...
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2006年10月6日(金) 毎日新聞のスクープ、最終段階か
今朝の毎日新聞のトップ記事

これはまさしくスクープだった。

「前知事立件へ捜査」

という見出しが、ドーンと目にはいった。

それは黒い福島県知事選挙の内幕だった。

「私は一切、金にはかかわっていない」

前知事はそういい続けてきた。

これらの現金を手にはしなかったという意味で、多分、事実であろう。

だが官製談合で得た数千万円とも一億円とも言う大金が、

2年前の知事選挙に使われ、別の新聞によると、側近の県会議員には

ひとり100万円から500万円も配られていたという。

自民党の県会議員が無言だった理由がこれでわかった。

これは公職選挙法違反であり、

知事選そのものが、ひどく汚れたものであることが明白になった。

今後どうなるのか。

公職選挙法では公共工事の落札業者からの寄付を禁じており、

前知事はまったく知らないというのは、どうなのか。

毎日新聞は

「東京地検特捜部は、前知事自身も関与した疑いが強いとみて

公選法違反容疑での立件に向け、捜査を進めている模様だ」

と結んだ。

福島県政の談合事件は、最終段階に来ていると見る人は多い。

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河北新報

東北の本棚に、このほど

「女たちの会津戦争」平凡社新書

の書評が載りました。

これに関して平凡社の担当者から

「河北新報に出てから何本か本を買いたいという問い合わせが

ありました。明らかにあの影響で10月2日以降、出庫が伸びています」

というメールが届きました。
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2006年10月5日(木) 山本五十六の素顔2
アメリカから帰った山本は、霞ヶ浦の海軍航空隊の副長になった。

まだ航空隊の認知度は低かった。

よく落ちたので、一風変ったものしか志望しなかった、

海軍部内でも息子が航空隊を志願しようものなら

「危ない」

と反対した。

娘が航空隊の士官に惚れようものなら

「だめだ」

と仲を引き裂いた。

そんな事もあって搭乗員たちは、どこかすねた人が多かった。

県庁の役人と大喧嘩したり、土浦の飲み屋街と対立したり

騒乱が絶えなかった。

山本は全員を丸坊主にし、夜は自ら夜警を行ない、

脱営者を取り締まった。

勉強も教えた。

時には一緒にフロにはいり、飯を作って食べさせ、裸の付き合いに徹した。

「どうもあの人には逆らえない」

搭乗員たちはそう思うようになった。

「人はなあ、自分でやってみせなければ、ついてはこないよ」

とよく言った。

ただしここは海軍航空隊である。

自分で操縦することはできない。それだけに一層苦労をしたようだった。

山本はこのあと米国駐在武官としてワシントンに赴任する。

しかし、ここで養った人使いのコツと人脈がのちに、

大きく役立つことになる。
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2006年10月4日(水) 山本五十六の素顔1
いま山本五十六を書いている。

実に魅力的な人物である。

旧制長岡中学校や海軍兵学校のころは真面目一徹だった。

ただ子どものころ、お祭りの皿回しに興味を持ち、

みようみまねで、皿回しを覚えた。

ハーバート大学に留学するとき、船内でこの芸を披露し、

やんやの喝采を浴びた、

将棋も大好きで、アメリカで留学生の仲間と連続75番勝負をした。

一睡もせずに差し続けた。

人の上にたつ人間には、こうしたエピソードがあるものだ。

ただの平凡な人間では連合艦隊司令長官にはなれない。

生まれは新潟県長岡市で、旧長岡藩士・高野貞吉の六男として生まれる。

その時の父親の年齢画56だったので、「五十六」と名付けられた。

1904年(明治37年)、長岡中学を経て海軍兵学校を卒業。

その直後日露戦争が勃発し、

日本海海戦において少尉候補生として乗船していた

装甲巡洋艦「日進」の艦上で、左手の人差指と中指を失う重傷を負った。

野口英世もそうだが、

山本は生涯、この指で苦しめられる、

結婚も遅れてしまったし、いつも指を隠さねばならず、

人に見られないように気を配った。

嫡男は「それがどれほど父を苦しめたかわからない」と書いている。

身体の欠陥があることは、それだけ苦しいのだ。

これは思いも及ばぬことだった。

1915年(大正4年)に旧長岡藩の家老の家柄で、

戊辰戦争以降嗣子のなかった山本家を相続し、山本姓となった。

それまでは高野である。

1919年(大正8年)、駐米武官となり、ハーバード大学に留学(-1921)。

1925年(大正14年)、再度駐米武官となる。

1928年(昭和3年)、軽巡洋艦五十鈴・航空母艦赤城各艦長を務める。

1929年(昭和4年)、ロンドン軍縮会議に海軍側専門委員として参加。

1929年(昭和4年)11月30日、任海軍少将。

とんとん拍子に出世する。
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2006年10月3日(火) 自民党県連、知事は2期8年まで
自民党福島県連は、このような方針を打ち出した。

これが本当に守れるかは

そのときの情勢もあり、わからない部分もあるが、

ひとつの方向だと思う。

今回の事件は、

福島県全体の構造的欠陥を露呈したように思う、

県議会は野党も含めてノーチェクだった、

さまざまのうわさがあると前知事に忠告した議員もいたというが、

下手なことをいうと、選挙の時に

対立候補でも立てられてはと二の足を踏んだと

新聞報道にあった。

マスコミもどうだったのか。

一部の雑誌が疑惑を報道していたが、それはひどく少数派だった。

県政記者クラブに所属するマスコミ、全国紙、県紙、テレビ

からは、特に疑念の報道なり、県政の検証はなかったように思う、

県職員も貝のように口をつぐんでいたし、

組合も無言だった。

これはどういう現象なのだろうか。

200万県民、県政に無関心だったということになろうか。

なんなのだろうか。

県警本部はどうだったのだろうか。

考えれば考えるほど憂鬱であリ、わけがわからなくなる。

どうでもいいというムードが蔓延していたのか。

前知事は、それは自分への支持であると、考えていたようである。

となると、前知事をここまで追い込んだ責任は、県民にもあることになる。

県議会はようやく動き始めたが、はたしてどこまで本気なのか、

それはどんな候補者を探すかで、明らかになるだろう。

選挙まで、もう時間はない。

各階各層、あらゆるところでの議論のたかまりが求められる。


参考

神戸新聞の社説、9月29日
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福島県談合/知事辞職でも疑惑は残る

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福島県発注の下水道工事をめぐる談合事件に関連して、同県の佐藤栄佐久知事が辞職願を県議会に提出し、認められた。実弟が東京地検特捜部に逮捕されたことに対し「道義的責任」を取るためだという。

 佐藤氏は連続五期当選し、高知県の橋本大二郎知事らと並ぶ最多選知事だった。全国知事会の副会長を務め、地方分権に意欲をみせる一方で、国が検討を進める道州制には「反対」を唱えるなど、地方をリードする有力知事の一人とみられていた。

 それだけに辞職の衝撃は大きい。ただ、佐藤氏は最近まで「弟を信じている」と強調し、自らも「クリーンな県政」と胸を張っていたことを考えると、突然の辞職に釈然としない県民も多いのではないか。

 今回の事件は、佐藤氏の「金庫番」とされる実弟や県の元土木部長、地元建設業の「仕切り役」とされる業者、大手ゼネコンなどが絡んだ「官製談合」である。業者側の落札予定業者を実弟らが承認し、元部長が「天の声」を県幹部に伝える-といった不正工作を展開していたとされる。

 そうした不正のからくりは県の組織内部にまで及んでいた疑いが強い。東京地検は近く、県庁の捜索に踏み切る方針だ。

 佐藤氏自身は、自らの関与について「潔白だ」と明言している。しかし、不正行為の謝礼として業者から実弟周辺に流れたカネは数百万円に上り、一部は佐藤氏の選挙費用に使われた疑いも持たれている。

 ほかにも、ゼネコンから実弟への四億円に上る融資や、土地売買による不自然なカネの流れも確認されている。

 三重県の中堅ゼネコンの脱税による裏金づくり発覚が端緒となった事件だけに、カネをめぐる疑惑の深さは底知れない。

 そうした身内の不正や疑惑を、佐藤氏は本当に何も知らなかったのだろうか。

 福島県では三十年前、当時四期目の木村守江知事や県幹部らが逮捕される汚職事件があった。県内にはびこっていた利権の構図は「木村王国」と呼ばれた。

 今回も同じような構図だとすれば、その根は相当深いといわざるを得ない。実力者の多選が、そうした腐敗を生む“よどみ”につながったとはいえないか。

 東京地検が近く、佐藤氏から直接、事情聴取するとの見方も強まってきた。

 あくまで「潔白」というのなら、数多くの疑惑について、県民に対し、自らの言葉で率直に語るべきだろう。

 出直し知事選では、清新な県政の実現が期待される。地方分権の動きが進む中、汚れた「王国」は、もう断ち切りたい。
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2006年10月2日(月) 新知事は民間から
自民党福島県連会長の坂本代議士が、新しい福島県知事は

民間から導入したいといった。

賛成である。

国会議員の名前がチラホラでたが、

考えてみたら大なり小なり、談合などをすり抜けてきた人も

いそうなのだ。

政治家の体質は、どうしても金のしがらみから脱皮できない。

選挙に金がかかる以上、政治資金も必要である。

となれば金集めに奔走する人も大事になる。

そこから抜け出すに、フレッシュな新人がふさわしい。

しがらみのない人がいい。

別に福島県在住の必要はない。

何らかの関連があり、改革の情熱があれば、十分ではないか、

自薦、他薦、名前を挙げる時期だろう。

今回の選挙、全国民が注目している。県民の真価が問われる。

ひとりひとり、真剣に考えよう。
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2006年10月1日(日) 泥沼の福島県庁
昨日、福島県庁が東京地検の家宅捜索を受けた。

どうも県職員も関係しているらしい。

数人の県会議員も事情聴取された。

これでは県議会も機能しないはずである。

かくて前代未聞の大不祥事に発展する様相を呈してきた。

副知事の姿も見えないとかで、福島県政は麻痺状態である。

自分は潔白だと叫んでいた前知事、

一体なにを管理していたのか。知事自身も

この談合に加わっていたのではないか、

そう見る人も増えている。残念なことである。

知事は裸の王様になり、何も知らずにいたのか。

うううん、わけがわからない。

とにかく、無責任かつ腐敗しきった福島県政を立て直すには

政治家ではなく民間人を知事に選び、

抜本的にメスを加えるしかないのではなかろうか。

あちこちから政治家不信の声もあがっている。

この事件、どこまで広がるのか。

一時も目を離せない。

ともあれ早く全容解明をしてほしい。

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星より
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