星亮一 今日の一言

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2007年11月30日(金) マリアナ沖海戦
昨日、戦史叢書「マリアナ沖海戦」を買い求めてきました。

それを読んでいます。

この海戦を戦ったのは小澤治三郎中将率いる機動部隊でした。

サイパンに敵が上陸し、このままでは玉砕でした。

この周辺にいた小澤機動部隊は、必死の索敵で、敵の機動部隊を発見し、

敵との距離400海里、740キロのところから攻撃隊を発進させました。

東京ー青森間の距離です。この距離を飛んで、敵を攻撃するのだから

大変でした。

コースを間違えたら、もう、どこに行くかわかりません

日本の飛行機は軽量なので、これが可能でした、

味方の空母は敵が到達できない場所におりました。

いわば安全地帯でした、

しかし、この攻撃、大失敗でした。

米軍は精密なレーダーを持っていました。

日本の攻撃機が迫るのをレーダーで発見、40キロ手前の上空に

戦闘機を向かわせたのです。

爆撃機は重い爆弾や魚雷を積んでいます。

たちまち戦闘機に餌食になり、バタバタと撃墜されたのです。

戦闘爆撃機45機を主力とする大林部隊の第一次攻撃隊は、67機中、42機を失い、

他の部隊も壊滅的打撃を受け、こちらは敵潜水艦に攻撃され空母は次々に沈没

加えて味方機の魚雷が母艦に命中する大事故もあり、小澤機動部隊は

無様な形で惨敗したのです。

搭乗員のレベルが下がり、飛行機をコントロ−ルできない有様でした。

これで日本海軍は浮かび上がれませんでした。

こんな戦争ばかりでした。

日本軍とはなんだったのか。

今日は憂鬱です。
△top
2007年11月29日(木) 日大大学院近藤教授のコラム
日ごろ、私がご指導をいただいている日本大学大学院の総合社会情報研究科

近藤大博教授の月刊総合雑誌07年12月号拾い読み 

 (07年11月20日・記)

をご紹介します。目下、大学院生を募集中です。関心のある方は私宛に

ご連絡ください。私はこの大学院の2期生です。

近藤教授は元中央公論編集長、マスコミ学の権威で、

来月は近藤教授を囲む忘年会を企画中です。

ここはパソコン駆使のサイバー大学院です。海外からの入学者もおります。

世界のどこからでも勉強できる大学院です。

アメリカ、ヨーロッパでは一般的に見られる大学院です。

ーーーーーーーーーーーーーーー

「メーカー、小売店のみならず、学校から病院まで、

日本中がクレームの嵐に苦しんでいる」と、『中央公論』は、

「一億総クレーマー社会」と題する特集を編んでいます。
 
まず、教育現場における悲惨なイラダチ・不信の構図を

小野田正利・大阪大学大学院教授「追い詰める親、追い詰められる学校」

が描いています。教員は疲労の極限状態にあり、

親も経済的不安などから子育てに余裕を持てず、相互の不信感は深まる一方です。

また、医療ミスや患者への対応の拙さもあずかり、

医療現場では患者からの苦情の過激さが加速化しています

(久坂部羊・医師・作家「暴走する“患者さま”」)。



「当事者意識」を持たなくなると、人々はクレーマー化すると、

内田樹・神戸女学院大学教授「日本人が共同体からの利益を捨てるまで」

は説いています。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」がヒットしたのは

共同体への思い入れからだとも内田は分析しています。

特集の結びとして、郷原信郎・桐蔭横浜大学教授「歪んだ

『法令遵守』がクレーマーを大量生産する」があります。

 それにしても、医療現場は大変なことになっています。

患者からのクレームや訴訟の増加、医療事故への刑事介入もあり、

患者・遺族と医師、医師同士の間の誹謗中傷にはすさまじいものがあります。

この「医療崩壊」ともいうべき問題に『論座』が取り組んでいます

(「特集 医療と司法〜対立するしかないのか〜」)。
 
遺族にとって不可解な死についての医師・医療機関の説明が

不十分では訴訟が頻発するでしょう。

岩瀬博太郎・千葉大学大学院教授がインタビューに応え説いているように、

「すべての異状死を徹底究明する『検死局』をつくるべきです」。

また「患者と医師との心のつながりを失わないためにも」、

「専門医制度の充実、無過失補償制度や医療事故調査機構の創設」

が求められています(岡井崇・昭和大学教授「被害者救済へ

『無過失補償制度』の導入を」)。無過失補償制度とは、

医師の過失の有無に無関係に、医療事故の被害者を一定の基準に

従い裁判なしに救済する法制度のことです。

さらには医療過誤などのネガティブ情報を共有することにより

医療レベルの向上も図らなくてはなりません

(打出喜義・金沢大学講師×南淵明宏・大和成和病院院長

「医療を“内部”から崩壊させるな」)。

 三浦展・カルチャースタディーズ研究所主宰×

門倉貴史・BRICs経済研究所代表「正社員でも

希望がないロスト・ジェネレーション」『中央公論』は、

非正規雇用の比率が高い、

いわゆるロスト・ジェネレーションに属する25歳から35歳の

世代の状況を問題視します。「景気は回復すれど、希望は回復していない」のです。

正社員になっても労働時間が増加するだけなのです。

 若者が報われない状況下にあるのは、公務員の世界も同様です。

霞が関のシステム改革が進まなかったこともあり、

若手の退官が相次いでいます。若手官僚も希望が持てなくなっているのです。

横田由美子・ルポライター「若手官僚はなぜ三年で霞が関を去るのか」

『中央公論』が指摘するように、せっかくの秀才が官僚になっても

多忙なだけで仕事は評価されず、一般企業以上に厳しい年功序列で給与は低額です。

公務員制度改革は、単に天下りを禁止し、

総人件費を削減するだけでは失敗するのは必定です。

 横田は、同テーマで、『論座』の「公僕の行方」

と題する特集にも寄稿しています(「霞が関を捨てるノンキャリたち」)。

『論座』の特集内の加藤創太・国際大学教授「『制度を変える』ということ」も、

天下りや宿舎などを取り上げ、公務員を叩いても抜本的な改革につながらないと

憂慮しています。田中秀明・一橋大学准教授「専門性を高める具体策を」

が提示するように、

「府省横断的に幹部公務員を人事管理する『上級公務員制度』」

の導入なども検討すべきときに来ています。

なお、政治を改革するには、同時併行的に公務員制度を改革する必要があることは、

高橋洋一・内閣参事官「構造改革六年半の舞台裏をすべて語ろう」

『諸君!』でも如実にわかります。

 ただ、防衛省の前大物次官の納入業者との過剰な癒着についての報道に接すると、

抜本的な改革論議に入る前に、気分として公務員を「叩きたく」

なるのではないでしょうか。過剰な癒着は、公務員制度問題に止まらず、

防衛政策をも傷つけたのです(伊奈久喜・日本経済新聞論説副委員長

「守屋事件の本当の深刻度」『中央公論』)。

田村建雄・ジャーナリスト「独裁者 守屋武昌の告白」『文藝春秋』は、

「本当の悪は他にいる」と政治家の汚職を示唆しています。

真相の解明は、公務員制度のみならず、日本政治の改革にとっても必要です。

つまり、政治改革は公務員制度改革でもあり、公務員制度改革は政治改革です、

と記すべきでしょう。

 参議院で民主党が第一党となったことで、民主党議員の生活も一変しました。

民主党の議員たちが、急増した取材・訪問客に対応しながら、

法案作成・新しい国会ルール作りに邁進する様相を、

福山哲郎・参議院議員・民主党「民主党参院政審会長の“与党”はつらいよ日記」

『論座』は詳述しています。
 
その民主党の安保・防衛政策に疑義が持たれています。

小沢一郎・民主党代表が『世界』先月号に発表した論文

(「今こそ国際安全保障の原則確立を」)が恰好の標的となっているのです。

第一、『世界』の「小沢論文、私はこう読んだ」

との企画に稿を寄せた6人

(石破茂・防衛大臣、西山太吉・ジャーナリスト、

横田耕一・流通経済大学教授、阪田雅裕・前内閣法制局長官、

小寺彰・東京大学教授、遠藤乾・北海道大学教授)のうち、

小沢に共鳴するのは西山ただ一人という状況です。

 田久保忠衛・杏林大学客員教授「小沢一郎『世界』論文の支離滅裂を嗤う」

『諸君!』は、「国連警察部隊ができれば平和は達成できる、

と少年のように純粋な夢を大真面目に語っているとしか考えられない」

と手厳しいものがあります。
 
北岡伸一・東京大学教授「小沢安保・憲法論と『分断政治』の行方」

『中央公論』は、安全保障政策を政争の具としてはならないと、

小沢及び民主党に注文します。さらに、

小沢は「国連を美化し、重視しすぎている」と批判的です。

また、国連のISAF(国際治安支援部隊)に参加すべきとの小沢の主張に、

「憲法上禁止されていないことと、実行可能だということと、

実行するということの間には、大きな差がある」と否定的です。
 
11月初旬、小沢と福田首相の間で大連立をめぐっての動きがあり、

小沢の代表辞任騒動が出来しました。それらの動きを、締切りの関係上、

12月号の各論考は追う時間的余裕はありませんでした。

しかし、「小沢中心主義ではないのか」「“壊し屋”は返上したのか」

と問題設定し、「民主党に政権を担う能力があるのか」を問う、

二木啓孝・ジャーナリスト「小沢民主党への10の疑問」『文藝春秋』は、

騒動があったからこそ、より緊迫感を持っています。自公政権は限界に

きているようですが、

かといって民主党に政権担当能力ありと即座にはならないところに、

日本政治の窮状がありそうです。

「ここ十年余り、日本は改革につぐ改革で埋め尽くされた」で

始まる藤原正彦・お茶の水女子大学教授「教養立国ニッポン」

『文藝春秋』は、この十年の「構造改革」、とくに小泉政権以降の七年間を、

「よくぞこれほど祖国日本の国柄を壊してくれた」と根底から否定します。

上述の公務員制度改革をも含むのかもしれません。

『国家の品格』の著者である藤原によれば、

グローバル化の名のもとの経済至上主義・市場原理主義が社会から

中流を無くしてしまう方向に働き、人心が乱れてしまったのです。

「『経済軸』一本でやってきた戦後日本に、

『教養軸』を加えて二本柱にしよう」との“救国”の提言です。

「勁くたおやかな祖国を取り戻すため、教養主義の復活が切望される」のです。
 
国としての品格を、青木保・文化庁長官「『文化力』が

日本の存在を輝かせる」『潮』も問題にします。

今後、世界にあって、日本は経済や安全保障に留意するだけでなく、

国家戦略として文化力を活用すべきと、青木は力説しています。

アニメなどの現代日本文化の強さは伝統文化にルーツを有するからであり、

「文化を大事にしながら生きいきと充実した生活をしている」

ことがソフトパワーになり、国際社会の尊敬を勝ち得ることになるとのことです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

いかがでしょうか。

今日の日程

お昼から東京

神田で編集者にお会いし、夜は

書店や出版社の方と懇親会です。

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ああああ ため息

守屋前次官の収賄疑惑
ーーーーーーーーーーーー

「独裁者」最後は自滅 守屋前次官夫妻を逮捕
 
防衛省を去ってわずか3カ月、大物次官が転落した。

東京地検特捜部は28日、

収賄容疑で守屋武昌前事務次官(63)と妻幸子容疑者(56)を逮捕し、

自宅を捜索。「当然の報い」「がっかりだ」。

山田洋行の元専務宮崎元伸容疑者(69)による夫婦丸抱えのゴルフ接待に、

防衛省内からも怒りの声が上がった。(河北新報)

ーーーーーーーーーーーーー

守屋さんは東北大学の同窓、なんともいえない落胆、


△top
2007年11月28日(水) 東北大学学生新聞
本日、東北大学学生新聞の取材を受けました。

OBに聞くというコーナーのインタビューでした。

理系は日本のトップレベルですが、

文系は少し、覇気がないかなあと注文をつけました。

提案したのは、日本のトップレベル之OBによる縦断講演会、

政治評論家の屋山太郎さん、宗教学者の山折哲雄さん、

東日本JR の社長、大勢の知名人がおります。

東北大学学生新聞主催で開いたらと提案しました、

それから法学部に政治学科を作るべし、そして首長、国家公務員、

議員をどんどん出すべし。ジャーナリストの養成講座も作るべし、

地球温暖化対策に取り組むべし。

文系横断の大学院を作るべし、もっとテレビに出るタレント教授を迎えるべし、

いろいろ申し上げました。

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東北大学が掲げる理念と目標

東北大学は、「研究第一主義」と「門戸開放」の理念にたっている。

これに基づき、次のような長期目標を追求する。


東北大学の使命―「研究中心大学」research―intensive university

東北大学の使命は、研究中心大学として人類の福祉と発展に寄与することです。

すなわち、東北大学は、

・総合的な知の拠点として、研究科と研究所等が一体となって、

人類に必要な、自然、人間、社会に関する広範な分野の研究教育を行います。

・活発な知の創造の拠点として、知識・技術・価値の創造に努め、

つねに世界的な研究成果を生み出していきます。

・知の継承と普及の拠点として、広い視野と高い専門性をもち

行動力のある指導的人材を育てるとともに直接に人々の幸福に貢献します。


東北大学の方針―「世界と地域に開かれた大学」

東北大学の方針は、世界と地域に開かれた大学として、

人々の自由と権利、社会の繁栄と文化に寄与することです。

すなわち、東北大学は、

・国の内外から、国籍、人種、性別、宗教などのいかんによらず、

豊かな資質の学生と研究教育上の優れた能力や実績のある教員を迎え入れます。

・産学連携をはじめとする社会や地域との連携研究、研究成果の社会への還元、

社会へのさまざまな提言を行っていきます。

・市民への開放講座、インターネットによる教育をはじめ、

教育による社会貢献を進めます。

・地域の市民の人たちが利用できる憩いの場、環境に配慮した公園キャンパス、

「ユニバーシティ・パーク」を作っていきます。


東北大学の教育目標―「指導的人材の養成」

東北大学の教育目標は、社会の指導的・中核的人材の養成を行うことです。

東北大学では、第一線で研究に従事する教員が、

共通基盤教育をはじめ学部専門教育、大学院教育を行い、

あわせて健全な課外活動を育成し、

・豊かな教養と人間性を追求し、「科学する心」をもつ行動力ある人材を育てます。

・学部教育では、基礎的な専門知識と語学・情報の活用力を備え国際社会で

活躍できる人材を養成します。

・大学院教育では、世界水準の研究を理解し、

これに新たな知見を加えることができる研究者を養成する一方、

高度の専門的・実用的知識をもった職業人を養成します。

ーーーーーーーーーーー
これは大学が掲げている理念です。

これをもっと具体的に

学生、受験生、広く社会に知らせるか

でしょう。

東大、京大に次ぐ日本で三番目にできた大学です。

頑張ってほしいですね。
△top
2007年11月27日(火) 保谷徹、戊辰戦争
吉川弘文館の戦争の日本史、「戊辰戦争」が発刊された。

注目されるのは

東征軍のモノ、ヒト、カネ

戦場の諸相

である。一体、軍資金はどう集められ、どこにどう使ったのか。

これは未知の分野だった。私も関心はあったが、資料の収集、

取材時間の関係などで、大学の研究者におまかせするしかなかった。

保谷氏は東大史料編纂所の教授である。

ぴったりであった。

まずモノ、ヒト、カネ

道中の宿泊 東海道の宿場では正規の宿泊料が支払われたようだ。

未払い分は、後日、支払われている。

軍用金は大阪の豪商からの献金だった。

その点、薩長は有利だった。東北には豪商が、一、ニしかなく

資金不足は否めなかった。しかし、これらは一般的に言われていることで、

特に新しさはない。

戦場の諸相

庄内藩のことにかなりのスペースが割かれている。

「戊辰庄内戦争録」からの引用である。射撃戦のこと、

死者の扱い、埋葬、

分捕り、略奪、放火などが描かれているが、会津の戦争は触れていない。

ともあれ、お勧めの本ではある。
△top
2007年11月26日(月) 月月火水木金金
昔、日本海軍は訓練が厳しく、土曜、日曜はなし、

月月火水木金金といわれました。

日米戦争開戦時の

海軍航空隊の訓練を見ると、まさにそうでした。

私のことになりますが、

どうも同じような日日をすごしています。

一番、つらいのは月曜日です。

仕事場に向かうのがイヤで、

今日も10時ごろ、しぶしぶ、到着しました。

まずお湯を沸かして、お茶を飲みながら新聞を読む。

インフルエンザ予防にお茶ーの記事が目につきました。

お茶に含まれるカテキン、殺菌、抗菌、細菌の毒素を抑える。

ウイルスの感染も抑える、とあった。

これは凄い、

福島県内のニュースはと地元紙を読む。

南相馬、ダイコンづけ最盛期、とあった。

真っ白いダイコンが加工場に運びこまれている。

おいしそうだなあ、今度、南相馬のダイコンずけを食べてみよう。

東北はどうかいな

サッカーjリーグ2部ベガルタ仙台、京都に敗れ、j 1昇格ならず、

仙台から大勢、応援にいっており、呆然サポーターとあった。

東京はどうかいな

オウム被害、国が見舞金、

フランス大統領、中国商談の旅、なんと1兆6千億

原発や航空機

日本も早く航空機を作るべし、

さてもう11時である。

原稿執筆を始めよう。
△top
2007年11月25日(日) 世話集聞記
国史談話会という会があり、雑誌を出しています。

この会は東北大学の国史の関係者の集まりです。

旧制東北帝国大学法文学部に

国史学科ができ、戦後、大学改革で新制東北大学となり、文学部に

国史学科が生まれました。

何度か変遷があり、

あるときは、史学科国史専攻、さらには

人文社会学科日本史専攻となり、今日に至っているようです。

国史という名前は古めかしいというのか、

保守反動的というのか嫌われて

日本史になったと聞いています。

私の時代は国史でした。

国史専攻の学生は、国史学科の学生と呼んでいました。したがって

私は国史学科の卒業生と自分の経歴に書いています。

その雑誌の最新号を見て驚きました。

会津藩とか戊辰戦争を研究する学生は、以前は皆無だったのですが、

昨今、ボツボツ現れ、そこに

「『世話集聞記』に見る会津藩の政治行動ー文久政変にいたるまで」

という論文が掲載されていたのです。

大学院生が執筆したもので、

それは会津藩士本多四郎の日記

「世話集聞記」を使って分析した論文でした。

私は初めて聞く資料で、「へえ」と驚いたわけです。

会津の知人、麻生さんにメールで聞いたところ、

すぐ一報が入り、

本多は本田ともいい、京都で、若い人々に

学問を教えていたということでした。

兄は有名な会津藩公用人小野権之丞でした。

この資料、一体、どこにあったのか。それが長州の山口県文書館だったのです。

写本ということで、本物はどうなっているのか、わかりませんが、

こういう資料を発掘して、論文を書くことに、若手研究者者の挑戦を感じました。

本多四郎の分析、慶応二年以降の日記の有無、山口県文書館が

所蔵するようになったいきさつ、は記述されておりませんが、

私の興味は、幕末維新期の日記が存在するかどうかです。

原本がどこにあるかも興味ある問題です。

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その後、麻生さんから下記の続報が入りました。

慶應年間会津藩士人名録には[京都常詰御本隊御先備 甲士勤]の項に

『七両四人ヅツ 小野権之丞弟 本多四郎』と有りました。

七両四人扶持の意味だと思います。

会津藩の書簡の中で京都勤番の子弟のための藩校の役人や

師範が藩から表賞されているものがありますが、

その中に本田四郎の名があります。御先備甲士勤の肩書きで、

[弓術師範補]とも記されています。

同じく[弓術師範補]として『大砲方御雇勤 小野八助』の名があり、

この八助は会津藩殉難戦死者人名録によると四郎同様、

小野権之丞の弟で戊辰戦争の折り5/1白河で戦死しています。享年34歳。

本多四郎の兄か弟ということになりますが、

戦没者の中には本多四郎の名はありませんでしたので

彼は明治の世を生きていた可能性が高いですね。詳細はこれ以上は不明です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

なるほど、そうですか。

小野八郎という人物もいたのですね。

この資料から察すると四郎は三十代かも知れませんね。

ありがとうございます。

歴史探求はこのような地道な努力の積み重ねです。

皆さん、今後の推移にご期待ください。
△top
2007年11月24日(土) 校正がしんどい
だいわ文庫から1月発刊の

「偽りの明治維新」

昨日、やっと初校が終わりました。

今日、宅急便で送ろうと思います。

原稿を書いた段階では、あまり気づかなかったのですが、

活字になって読んでみると、リズムがひどく悪い。冗漫な文章も入っている。

これは大変だと一週間ほど、時間をかけて徹底的に読み直し、

赤字を入れました。

問題は赤字の入れ方です。

私の仕事場には、ホンダさんという

字のきれいなスタッフがいて、私が無雑作に入れた修正を、

実にきれいに、しかも読みやすく仕上げてくれるのです。

それはもう、編集者が太鼓判を押す、プロの作業です。

目下、パリに留学中で、この人がいない。

ホンダさんが整理すると

「へえ、きれいな字ですね」

と編集者はニコニコ顔、どんなに赤字が多くても文句は出ません。

ところが私の字だと

「読みにくいですねえ、最初からこう書いていただくといいんですがねえ、

ちょっとひどいですねえ」

となるのです。

今回はそんな感じの校正になってしまいました。

ようするに。美的でないのです。

一生懸命、作業したのですが、ダメでした。

編集のUさん、という事情ですので、今回はご勘弁をお願いいたします。

どんなにパソコンの時代になっても

手書きの作業は残ります。きれいな字は、すべての人に

好印象で迎えられます。

習字を習うといいのかなあ、

ふと、そんなことも思いますが、時間がなくて、とても無理です。

ホンダさん、3月には戻りますので、それまでの辛抱です。

現在、ここにパリ通信を書いています。なかなか、うまい文章です。

どこかに売りこんでやろうかと、思っています。

というわけで、今日は一週間ぶりに連合艦隊の南雲中将です。

サイパンで自決する最後の場面に入ります。

夜は東京龍馬会との懇親会です。

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<干しイモ偽装>賞味期限を書き換え再出荷 茨城の加工会社
 
茨城県ひたちなか市の干しイモ加工会社「マルヒ」(黒沢正機社長)が、

出荷先から返品された干しイモを2〜3年前から賞味期限を書き換えて包装し直し、

再出荷していたことが分かった。

同社は「長年の経験で品質に問題がないと判断したが、

科学的根拠はなく認識不足だった」と事実を認めて陳謝している。(毎日新聞)

日本人の不義、不正はとどまるとこを知りません、

日本が戦争に敗れたとき

米内光政は

日本人の心がよみがえるまでには200年かかるといったそうです、

物質文明は、60年で世界の上位に達しましたが

精神の荒廃はとどまるところを知りません。

自分さえよければいい。

犯罪は多発し、企業はレッテルをはりかえ、国民をだましています。

経営者は自分は知らなかったと言い張る。

パートの従業員が勝手にやったと言う。

その無責任さ、こういう人間は経営者の資格はない。

即刻、辞表を出し、仏門にでも入り、毎日,廊下を拭き、庭の掃除を

すべきです。
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2007年11月23日(金) 坂本龍馬について
明日、郡山で東京龍馬会の方々と懇談する。

坂本龍馬、写真写りは抜群、魅力あふれる男である。

脱藩して広い世界に飛び出す。

これがたまらなく良い。

龍馬を書いた本は膨大にあるが、私は地元の史家平尾道雄がかかれた

「龍馬のすべて」

が好きである。

平尾は、高知生まれの高知育ち、何でもご存知の方であった。

名著「海援隊始末記」もしびれる本だった。

文章が平易で、わかりやすい。

平尾は、本物の龍馬の写真を数枚を見ていたという。

身近に龍馬を知っている人もいて、生の声も収録している。

地元の史家の作品には、どうしてかなわないものがある。

この人の本を読むと、龍馬の息使いが聞こえてくる。

それがたまらない。

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平尾道雄

高知市出身、明治33年生まれ。

大正9年から32年間を山内家家史編修所に在勤。

その間、幕末、維新期の浪人問題に関心を深め、

土佐藩史とくにその維新史研究の第一人者として知られる。

戦後、高知新聞社嘱託、高知大学・高知女子大学講師、

ワシントン大学へも客員講師として招かれる。

昭和54年5月17日没。

著書は『新撰組史』『維新暗殺秘録』『子爵谷干城伝』『海援隊始末記』

『陸援隊始末記』『容堂公記伝』『土佐農民一揆考』『土佐藩漁業経済史』

『土佐藩林業経済史』『土佐藩工業経済史』『土佐藩農業経済史』

『土佐藩商業経済史』『高知藩財政史』『長宗我部元親』

『戊辰戦争』『無形板垣退助』『歴史の森』ほか多数。

ヤフーから転載
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2007年11月22日(木) 思想信条の自由
民主主義社会というのは基本的に自由な国家です。

言論の自由が保障されていて、たとえば政治の世界で言えば

自民党もあれば民主党もある。

公明党、共産党、社民党、いろいろあるわけです。

東北大学の学生時代は、マルクス経済学を信奉し、史的唯物論にこり、

いずれ資本主義社会は崩壊すると思っていた一人です。

ですからマルクスの資本論購読も受講し、ところどころを暗証したものです。

しかし新聞記者になって、いろんな政党の方々と付き合うようになり、

自民党が一番良いと思うようになったのです。

昨今は民主党もありますが、ともあれ、保守党には

表現の自由があるし、独善的、教条主義でないところが、

自分にはぴったりでした。

労働組合や日教組も取材しましたが、

理屈が先行し、私にはヘキヘキでした。

私は学生時代マルクス経済学をかじりながら、カフカの小説に引かれ、

実存主義の世界にも、のめりこんでいた時期がありました。

ですからもともと、多チャンネルでものを見る傾向はあったのです。

いま歴史を書いていますが、

薩摩も長州も嫌いではありません。

高杉晋作も好きですね。行動が面白いですね。

結局は人間です、

西郷が結構好きだし、薩摩の黒田清隆、中村半次郎、長州の伊藤博文,山県有朋、

あるいは乃木稀典、皆、興味があります。

会津ではダントツに山川家の人々ですね。

山川浩、健次郎、捨松、皆好きですね。広沢安任もいい。

後藤新平が、「自分は右でも左でも何でもありだ」

といっておりましたが、私もその傾向ありですね。

その典型的な作家は司馬遼太郎でしょう。

そうでないと、歴史は書けません。

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海自護衛艦「きりさめ」、佐世保に帰港
11月22日14時12分配信 読売新聞


テロ対策特別措置法が1日に期限切れになったことに伴い、

インド洋での給油活動から撤収した海上自衛隊の護衛艦「きりさめ」が22日、

長崎県佐世保市の佐世保港に帰港した。

 期限切れ後の艦船の帰港は初めて。

 きりさめが護衛していた補給艦「ときわ」も23日、

神奈川県・横須賀港に帰港し、テロ特措法に基づき、

6年間続いてきた給油活動の任務はこれで終了する。
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2007年11月21日(水) 彰義隊来週配本
本日、彰義隊が出版社から送られてきました。

なかなか重厚なつくりです。表紙がこっていて、肌触りに特色があります。

編集者の方の苦心の作です。

来週には書店に並ぶと思います。

さて、11月も下旬です。

気持ちだけが、焦り、なかなか原稿ガかけない日々です。

原因はいろいろあるのですが、

原稿執筆、他の本の校正、資料調査、それから講演会、それが

バランスよく連動しないと、すべてだめになることが、しばしば

あります。

執筆はデリケートなもので、集中しないとかけません。

困ったときは、酒でも飲むしかないのかな、

その酒飲み会、24日は東京龍馬会のメンバーの方々と郡山で

懇親会です。10人ほどの方がわざわざ東京からおいでになるのです。

地元からも加わり、坂本龍馬談義です。

坂本龍馬、なかなかいい男ですね。

風貌がいいし、頭もいい。

あやかりたいものです。

酒は会津の「飛露喜」を用意しています。

おいしい酒です。

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ヤフーより

「廣木酒造本店」があるのは、会津地方西部の会津坂下(ばんげ)町、

新潟に抜ける越後街道に面している。

人口は2万人だが、古くから酒造りが盛んで、

現在も3つの蔵が酒造りに励んでいる。

創業は江戸時代中期の文政年間。

かつて会津若松と新潟を結ぶ越後街道沿いの宿場町として

振るわいを見せた地に廣木酒造は創業した。

1996年、19年勤めた杜氏が高齢のため引退。

翌年、先代である実父と造りを始めるが1年後にその実父が逝去。

心の準備もないまま廣木健司さん(34歳)は蔵を継いだ。

1999年突然現れた “飛露喜” は、瞬く間に地酒ファンの間で噂になる。

現在、「飛露喜」は引く手あまたで、蔵にも在庫はない。

「一歩でも自分の酒造りの質を向上させたい」と、

毎年夏には少しずつ蔵を改修。席を見据えた酒蔵造りにまい進している。

一升瓶のラベルの文字は蔵元のお母さん、廣木浩江さんの手による。
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2007年11月20日(火) 朝の新幹線
東京を早く出て、8時半に仕事場に戻りました。

新幹線は革命だと思う、東京、郡山、通勤も不可能ではない。

パソコンを開いたら匿名の方からメールがあり、戊辰戦争研究会

について問合せがあった。

右も左もなく、平等の立場の会である。

皆で何かをしようということもない。しいてあげれば

親睦の会である。

親睦会も参加は自由である。

各自の思想、信条も自由である。

長州派の人もいれば、会津の人もいる。

土佐のフアンも多い。そういう集まりである。

強いていえば好奇心が強い人が多いかも知れない。

それからお願いがあるのですが、投稿の場合、

匿名ではなく、住所、氏名、年齢、職業などを明記してほしいですね。

規定により、匿名のご質問には答えておりません。
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2007年11月19日(月) 新潟は初雪
戊辰戦争研究会新潟支部長の大村益次郎 からは初雪情報が届きました。

新潟は、初雪が降りました。

去年さっぱり雪が降らなかったので今年は、かなり心配してます。

二月の新年会は温泉に入って雪見酒ですね

皆さんとまたお逢いできること楽しみにしてます

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新年会はわれわれ仲間の集いです。

会津下郷温泉で、2月に行います。もうそういう時期ですね。

今日はこれから東京です。

出版社の編集者、日本大学の関係者にお会いし、さまざま打ち合わせです。

小生、大学は東北大学ですが、大学院は日本大学です。

東京に勉強の拠点があることも大事です。サイバー大学院という

あたらしいスタイルのところで、地方の方にはお勧めです。

内容を知りたい方はメールをください。

ところで東京では必ず立ち寄る神田の古書店、

今日も出来れば寄りたいね、

来年は勝海舟伝説を書こうと思っているので、

関連書籍をいま探しています。

これから電車の時間まで、企画書を書きます。
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2007年11月18日(日) 日曜日の読書
今日は小休止です。

ぼんやりすごしています。

昨夜、白河で県文学賞受賞者の祝賀会があり、遅くまで飲んだので

午前中はだめですね。

お茶を飲んでいます。

午後、家近良樹「幕末の朝廷」を読もうと思います。

孝明天皇は脇役ではない。

見出しが鮮烈です。

孝明天皇は強い個性で主導権を握ったのです。

すべて開国が正すいいとするグロ−バルスタンダード

世界通商の仕向、万国普通の常例、世界普通の御法に

日本は日本の行き方があると抵抗したと著者は語りました。

面白い分析です。

会津藩は天皇の急死で、一転、転落の道を走ったのです。
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2007年11月17日(土) 天声人語の歴史観
2007年11月16日(金曜日)付

朝日新聞の天声人語

 明治維新の前夜、長州藩の豪商、梅屋七兵衛は身分を隠して長崎に向かう。

藩の密命を帯び、倒幕の武器を仕入れるためだ。長崎から上海へと渡り、

1年半後に七兵衛が持ち帰った英国製の鉄砲千丁は、

日本の近代をこじ開けた▼歴史の節目に時代を回すこともあった武器商人だが、

今は事情が違う。権力との深い仲は国を誤らせる。

軍需商社の元専務と癒着した前防衛事務次官、守屋武昌氏の行状も、

国防への信頼を葬りかねない▼守屋氏はきのうの参院で、ゴルフ接待漬けについて

「私が特殊」と、涙を浮かべて組織や職員をかばった。そこは能弁だったのに、

疑惑の核心は三つの「ません」でかわした。いわく、記憶にありません、

覚えておりません、承知しておりません

▼その代わり、元専務との宴席に同席した政治家として、

元防衛庁長官2人の名を挙げた。久間章生氏は六本木、

額賀福志郎氏は神田の料亭だったという。

防衛族の国会議員や役人への接待ぶりが、ほんの一端にしろ生放送で垣間見えた

▼手を尽くして取り入る御用商人と、家族ぐるみで墜(お)ちたお役人、

ちらつく大名の影。安い時代劇のような、身もふたもない構図である。

国庫から軍需商社に支払われ、守屋夫妻の遊興費に化けたのは、

私たちの税金だ。この流れのどこかで、犯罪が成立しないわけがない

▼七兵衛が今の世に現れたら、命がけで持参した小銃や弾薬を持て余すことだろう。

なにしろ、託すに値する相手がいそうもない。志の怪しい皆々様に、

お国の明日は任せられませんと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

という内容でした。

後半の部分は良いとして、

首をかしげるのは前半の部分です。

どこかおかしくありませんか。

長州藩が武器商人と結託をして幕府を倒し、

会津を攻め、日本の近代化を成し遂げたという論法ですが、

これは武力第一主義の歴史観です。

喧嘩は腕力の強いものが、大体、勝ことに決まっています。

それが正義というのは

勝てば官軍の思想です。これはもちろん朝日新聞全体の論調ではなく、

天声人語の担当者のなかの、お一人の意見でしょうが、

長州と最後まで戦った会津には、会津の論理がありました。

すべてを武力でけりをつけんとする長州のやり方に

死を覚悟で抵抗したのです。

この文章を書かれた記者の歴史観は、

率直に言って浅いと思われます。

官軍対賊軍の発想から抜け出しておりません。

東北の心にも配慮を願いたいですね。

読者の声、ご参照ください。
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2007年11月16日(金) 今日、朝日新聞に広告、ちくま文庫、山川健次郎の生涯
今日の朝日新聞の2面に筑摩書房の新刊広告が出ました。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ちくま文庫

明治を生きた会津人 山川健次郎の生涯─白虎隊士から帝大総長へ

星 亮一 著

薩長藩閥政府下、近代教育の礎を築いた気骨の人

戊辰戦争後の苦難を嘗めた山川健次郎は、後に帝大総長となり近代教育の礎を築く。

終生会津人の魂を持ち続けたその生涯を描く。

【解説: 有馬朗人 】
定価:903円(税込) ページ数:352

ーーーーーーーーーーーーー

星より

有馬先生の解説は圧巻です、もう感謝感激です。

この本の制作に携わった多くの方々のためにも、

皆さんのご支援をお願い申し上げます、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
今日の仕事

だいわ文庫 1月刊

「偽りの明治維新 会津戊辰戦争の真実」

の校正作業、活字になると、手直しが山ほど出てきて、

編集者泣かせになってしまいます、

原稿の段階では、まあまあと思っていたのですが、

われながら下手な文章という部分が出てきて、

いつの間にか赤字だらけです。

困ったものです。

この作品は私が出演したNHKの番組、

その時、歴史は動いた

「われ義に死すとも不義には生きず。会津藩主松平容保の決断」

に対応したものです。

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最悪船場吉兆

船場吉兆強制捜査 偽装会社ぐるみ
 
高級料亭「吉兆」グループの船場吉兆(大阪市)による食品表示偽装問題で、

大阪府警生活環境課などは、不正競争防止法違反(虚偽表示)の疑いで、

16日に同社や関係先を家宅捜索に入った。船場吉兆をめぐっては、

「吉兆天神フードパーク」(福岡市)での消費期限改竄(かいざん)に続き、

本店でも九州産牛肉を「但馬牛」と偽って販売していたことが相次ぎ発覚。

府警は、偽装が会社ぐるみだったとみている。(産経新聞)
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2007年11月15日(木) 栃木市で江戸時代を考える
私は昨日、この街で、さまざまのことを学びました。

最初に街の歴史をご紹介します。

栃木市の歴史

慶長14年皆川氏は改易され、本多大隅守の支配するところとなり、

栃木城も取り壊されて城下町から商人の町へと発展しました。

 その後、慶長18年阿部善八郎と加藤喜助によって検地が行われてから、

幕府の直轄地、旗本領、大名領などに細分されましたが、

宝永元年に戸田氏の所領として足利藩に属し、明治維新を迎えました。

 この間、市街地の中央を流れる利根川水系の巴波川を利用した舟運によって

物資の集散地として北関東屈指のにぎわいをみせ、

江戸との交易を通文化・経済ともに隆盛をきわめました。

江戸時代について一部の学者は

封建制度下で、庶民は極貧の暮らしと

否定的見解を述べていますが、

実に自由闊達で、民間の力が、栃木を支配しておりました。

川を使って江戸に物資を運び、江戸市民の暮らしを支えていたのです。

それが水運でした。

ぜひ、一度、足を運んでみてください。

庶民の絆を深めるお祭りも盛んでした。

凄い山車の群れです。豪華絢爛です。

人々はのびのびと暮らしていたのです、

そんな印象のところでした。

江戸時代をもっと勉強する必要がありそうです。

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国会、証人喚問

いよいよ核心に、

防衛商社元専務は久間・額賀両氏と同席=守屋前防衛次官

11月15日14時43分配信 ロイター

 11月15日、守屋前防衛事務次官(写真)は証人喚問で、

 守屋武昌前防衛事務次官は15日午後、証人喚問で、

防衛商社元専務との宴席に同席した政治家について、

自民党の久間章生氏、額賀福志郎氏だと思う、と語った。

 共同通信によると、前次官は、額賀財務相(元防衛庁長官)とは

東京・神田の料理屋で、久間元防衛相とは

2、3年前に東京・六本木の料理屋で元専務も交え「会議」を行ったと述べた。
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2007年11月14日(水) 今日は栃木市の歴史探訪です。斗南藩のTシャツは13日に掲載
NHK星亮一と行く歴史街道、

今日は栃木県栃木市です。ここも凄いですね。

大変なところです。観光協会のホームページを見ると、

実に多彩です。

栃木市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
総人口 81,574 人
(推計人口、2007年10月1日)
人口密度 668 人/km²
隣接自治体 小山市・大平町・岩舟町・
都賀町・西方町・鹿沼市・
壬生町・下野市・佐野市
市の木 トチノキ 市の花 サツキ
栃木市(とちぎし)は、栃木県の南部にある市である。

裁判所や検察庁などの行政機関が集まる栃木県南部の行政の中心都市である。

廃藩置県後の一時期には、旧栃木県(現在の栃木県南部と群馬県の一部)

の県庁所在地であった。

市街地には江戸時代から明治時代にかけての蔵や商家が多く残る。

こうした歴史資産を観光資源化し、

関東地方では埼玉県川越市や千葉県佐原市(現:香取市)とともに

小江戸サミットを開くなど、「蔵の街」として知られる。

また、市西部にある太平山からの景色は「陸の松島」として観光名所ともなっている。

今日はここを見て周ります。

記念館 塚田歴史伝説館
八つ蔵が建ち並ぶ塚田家は、江戸末期に起こった木材回漕問屋で、

今は由緒ある家具や陶器を陳列した展示館になっています。
 人体型ロボットが演じる蔵芝居『うずま川悲話』も見物です。

栃木市郷土参考館
栃木市でも有数の回漕問屋だった坂倉家の土蔵を改装したもので、歴史資料、民俗資料、地場産業資料等を展示しています。

川と町並み 巴 波 川
栃木駅から新栃木駅までの約4Kmの遊歩道です。
10万匹の鯉が群泳する巴波(うずま)川や江戸時代から明治にかけての
繁栄を忍ばせる白壁土蔵、黒壁や格子造りの商家をめぐるコースで、
約3時間で歩けます。

栃木山車会館
5年に一度開催される『とちぎ秋まつり』を再現する人形山車を展示。
 江戸・明治時代の職人たちの優れた技の結晶を、いつでもお楽しみいただけます。

 ▼ 映像演出案内
山車展示室

 人形山車3台を常設展示し、定期的に入れ替えしています。また、コンピュータ制御によるマルチスライドを可動式のジャンボスクリーンに上映し、同時に音と光の演出で「とちぎ秋まつり」を華麗に再現します。(上演時間約11分)


資料展示室

 「とちぎ秋まつり」の歴史と伝統を、実際に祭りに用いられる品々と、写真パネルで紹介。また、全国各地の主な山車まつりをビデオで紹介しています。

すべて楽しみです。

後日、カメラルポで紹介します。



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2007年11月13日(火) 斗南藩のTシャツ
下北半島大間の木村さんからメールを頂きました。

木村さんは会津斗南藩資料館長です。

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メール拝見し驚きました。

そのうちホームページに載せたいとの事でしたので

シャツだけと思っておりましたら本人とは、それにしても良くお似合いです。

星先生が身に着けると歴史が滲み出て来るようで不思議なものですね。

どうも有り難う御座いました。

斗南藩名の第2の説に付いては知らない方々が

殆どですので当資料館にお出でになる方々も大変感動されて帰られます。

北海道にも同じ説が伝えられているのですが、

戊辰戦争後の会津の歴史に蓋をして来た明治以後の日本政府に憤りを感じますが、

生きている限り一人でも多くの人々に私の知っている限りの歴史を

伝えて行きたいものと思っておりますので、

今後とも宜しく星先生のご指導御鞭撻の程宜しくお願い申し上げます

まずはお礼まで   下北  木村

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皆さんも着用してください。斗南藩士の気分になります。

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教員にもFA制、教育再生会議が素案
11月13日9時7分配信 読売新聞


 政府の教育再生会議(首相の諮問機関、野依良治座長)が、

特色ある小中学校づくりに向けた校長の権限強化策の素案が12日、分かった。

 校長の学校運営方針に基づき、

教員を公募し配置できる「公募制」導入を盛り込んだのが特徴だ。

教員の側から自分の得意分野をアピールし希望校へ転勤できるようにする

「フリーエージェント(FA)制」も導入し、

魅力ある学校づくりを進める校長の下に意欲ある教員が集まる仕組みとする。

 素案は、13日に首相官邸で開く合同分科会で提示される。

年末にも取りまとめる同会議の第3次報告に盛り込む見通しだ。

素案はこのほか、校長の発案に基づき、一定の裁量で使える予算を配分するほか、

校長の1校当たりの在職期間(現在は2〜3年程度)を

最短5年程度に延長することも記している。

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これは良いかも知れません。
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2007年11月12日(月) 月曜日
気を引き締めて、仕事に、勉強に、遊びでも良いかな、

頑張りましょう。

午前中、企画書の作成です。

中身は丸秘です、

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テロ特措法問題
ヘッドライン
新テロ特措法で自民幹事長、採決引き延ばしなら解散を示唆
 
自民党の伊吹幹事長は11日のNHKの番組で、

新テロ対策特別措置法案に関し「民主党が(参院で審議を引き延ばして)

結論を出さないなら、福田首相が否決されたと同じだと考えるということは

否定できない。(衆院解散を)選択肢の一つとして、

念頭に置くことは否定できない」と述べ、

会期内に参院で法案が採決されない場合、

首相が衆院解散に踏み切ることがあり得るとの認識を示した。

(読売新聞)

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これは大変なことになってきた。

こちらはおめでとう
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ダルビッシュとサエコが入籍

彼は現在、日本ナンバー1のピッチャーです。

しかも東北高校出身、応援しています。

スポーツ報知 - 2007/11/12 12:40

 プロ野球・日本ハムのダルビッシュ有投手(21)

と女優のサエコ(20)が、11日に婚姻届を提出したことを12日、

それぞれ自身のHPとブログで発表した。

 同じ文面で「11月11日に私達は入籍しました。

応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

二人で幸せな家庭を築いていきたいと思います。

これからも応援よろしくお願いします。 

ダルビッシュ有 サエコ」とファンに報告。

11月11日はダルビッシュの背番号11を連想させる日で、大安だった。

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いいカップルですね。
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2007年11月11日(日) 日曜の朝、私の贅沢、コーヒーと新聞
日曜日の朝はコーヒーですね。

なんともいえない優雅な気分になります、

コーヒは体に良いのか、悪いのか、

タバコをすいながらコーヒーを飲むのはよくないと

よく言いますが、若い時代の私は、まさにそいう飲み方でした。

いまはタバコをすいませんので、

コーヒのおいしさはまた格別です。

コーヒーはペーパーフィルター、コーヒーメーカー、サイフォンを使って

入れるのですが、どちらかというと、うすめ、アメリカンの感じです。

それを飲みながら新聞を読む、

これぞ最高の贅沢です。

今朝の読売新聞、探健クラブに、

「コーヒー健康の飲力」という記事がありました、

ガンの危険性、軽減とありました。

さてこれから原稿です。

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<鳩山法相>「日本にテロリストがいる」と発言
11月4日0時38分配信 毎日新聞


 鳩山邦夫法相は3日、地元選挙区の福岡県久留米市で

「日本にテロリストがいる」と発言した。鳩山法相は先月29日には、

外国特派員協会での講演で「私の友人の友人にアルカイダがいる」と発言し、

町村信孝官房長官に「軽率な発言」と注意されている。

 鳩山法相は同市の祭りの席でマイクを持ってあいさつし

「事実を言うと、みんながびっくりしてマスコミが騒ぐわけでありまして。

とにかくこの国をテロから守る。

テロリストの怖いのが平気で日本をうろうろしている。

私はその事実を知っているから申し上げている」などと語った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは多分、本当でしょう。

その対策はどうなっているのか、

公安当局の見解もききたいですね。
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2007年11月10日(土) 書評、山川健次郎の生涯
渋沢平九朗

我が町の小さな書店にも『山川健次郎の生涯』が並び、常に鞄に入れて置

く用に購入させて頂きました。

というのも、どの章からでも「しょうがない」とあきらめずに全力を注ぎこ

む主人公の姿に、誇れる物など何も無く、ただこの国の底辺で、明日をも知

れぬ生活を支えるべく日々働き、疲れ果て、時にやり過ごしてしまいそうな

日に勇気を与えてくれる一冊だと思っているからです。

白虎隊編成時、15歳の健次郎も1度は白虎隊として訓練に参加するものの、

虚弱な身体で脱落し白虎隊の編成も16、17歳に改められた。23歳にして若年

寄に抜擢された山川大蔵を兄とする健次郎にとってはさぞかし大きな挫折感

を味わったのではないだろうか。

しかし、出陣命令こそ出されなかったが幼少組という与えられた立場で伝令

役を買って出て立派に役割を果たす。
 
そして、敗戦。薩長政権は、各地に残る戦争の傷跡のつけを全て会津に押

し付けるかのごとく徹底的に痛めつけ、罰を与え明治新政府の正当性を民衆

に誇示した。
 
健次郎は、今まで培ってきたもの全てを失う事になるのだが、多くの会津

藩士がそうであったように「勝てば官軍、負ければ賊軍」いかなる処罰も

「しょうがない」とは諦められない。が、かつて友軍とした諸藩も自国が大事

と見え会津の処遇に意を唱える事は無かった。
 
そんな中、敵国とされた中にも「彼らを救わなくては…」と置かれた立場

を顧みず意を決した人たちがいる。
 
健次郎は常に多くの負を背負いながらも必死に生きる。その姿に同調し手

を差し伸べてくれる人たちがまた現れる。留学先のアメリカでも…。

「我の為ならず、全力で生きることに意義がある」

私は、会津という一つのカテゴリーを通して星先生から生きる術を教わって

います。

-------------------------------------

ありがとうございます。

私のもっとも尊敬する人物、それが山川健次郎です。

たまらなく好きですね。

月末には彰義隊が出ます。

ここにも会津藩士が登場します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いま書いている原稿は南雲忠一です。

南雲機動部隊がミッドウエーで惨敗し、参謀たちに、

連合艦隊司令部より出頭命令がきた。

「なぜ無様な惨敗を喫したのか」

山本長官は怒っていた。

どう転んでも負ける戦ではなかった、

叱責は当然だった。全員、降格、あるいは罷免を覚悟した。

しかし、山本は罪を問うことはなかった。

南雲はあまりのショックで、口もきけない状況で、山本のところに

出頭することが出来なかった。

惨敗の責任者である第一機動艦隊の司令長官、南雲忠一中将が

出頭しないはずはないと私は考えていた。

ところが避難した駆逐艦「長良」で

臥せっていたのである。

私はこれまで南雲長官が出頭して、山本長官に謝罪したと書いてきた。

しかし、それは事実と異なっていた。

機動部隊の参謀長、草鹿参謀長の回想録に、自分ひとりが山本長官の

公室に呼ばれ、事情を求められたという記述があった。

しかし南雲長官をさしおいて、参謀長が呼ばれるはずはない。

そう思っていた。

今回、連合艦隊の宇垣参謀総長の日記を詳細に読んで、そのなぞが解けた。

南雲長官は間違いなく姿を見せていなかった。

あまりのショックで、一時的なストレス障害に陥った可能性があった。

山本長官はそのことを把握し、同情を禁じえなかったのか。

南雲機動部隊の草鹿参謀長が

「もう一度,戦わせてほしい」

といったとき、「承知した」と山本は答えた。

この辺りを今日、書いた。
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2007年11月9日(金) 小沢謙信、天下は取れるのか。イタリアでも、ならぬことはならぬ
上杉謙信が行方をくらませたのは、弘治二年である。

第一次川中島の合戦を終え、上洛を考えていた時期である。相つぐ戦いで

家臣は疲弊し、バラバラになった。謙信も疲れた。

「余は政権の座を降りる」

謙信は突然、表明し,紀伊の高野山に向かおうとした。

テレビでは向かっている。

「このままでは卑怯者になります」

重臣長尾政景が、大いにあわてていさめた。

今回の辞任劇だと、渡部恒三さんあたりの役だろうか。

この一言で、謙信は戻った。

雨降って地固まるだった。

しかし、天下は取れなかった。

上洛せんとする直前、脳溢血で倒れた。

小沢謙信、

果たして天下は取れるのか。

いまさら頭を下げる小沢一郎は見たくはない。

従来どおり、突き進んでほしい。

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これも凄い、

イタリア版、ならぬことはならぬ

伊マフィアの「十カ条」、逮捕されたボスの自宅から発見
11月9日12時50分配信 ロイター

 [ローマ 8日 ロイター] イタリアで、

マフィア構成員のための「十カ条」ともいえる文書が明らかになった。

シシリア島マフィアの最高実力者とされ、

5日に逮捕されたサルバトーレ・ロ・ピッコロ容疑者の自宅から見つかったもので、

8日付のイタリア各紙が報じた。
 
文書には「コーザノストラ(マフィア)に忠誠を誓う。

裏切れば私の肉体は始末される」という一節があるほか、

「われわれの友の妻を見てはいけない」などと書かれている。
 
また、頻繁にバーを訪れてはいけないことや、妻を尊重すること、

「倫理道徳にそぐわない行いをする者」

はマフィアから排除されることなども含まれていた。

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イタリアのマフィアも大変だなあ、

会津と比べると、どうだろうね、

戸外で女性と口をきいてはならない

というのがあった。

古臭いと評判が悪かったが、

必ずしも、そうともいえないなあ。

イタリアも同じだ。

盛岡自由大学12月講座

「楢山佐渡と原敬」  12月5日(水) 13:30〜15:00

講師:星亮一 


●会場
岩手県立大学アイーナキャンパス
(いわて県民情報交流センター アイーナ7階)
(盛岡駅西口から徒歩4分)

希望の方がおりましたらご一報ください。







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2007年11月8日(木) 豪腕小沢一郎の復活を期待する
岩手県は長州山口県についで、総理大臣を生んでいる。

平民宰相原敬、米内光政、斎藤実、鈴木善幸の4人である。

東条英機は父親が盛岡である。

東条を入れて5人と数える人もいる。

今回の大連立、どこがどう悪いのか、

これは現在の政治状況からいえば、ありえる話である。

民主党の若手が大げさに反対して、政治家小沢一郎は、プッツンと切れてしまった。

それでは困る。

記者会見での説明だと、

2カ月前後前、さる人から呼び出され、食事を共にしながら話した。

「お国のための大連立を」というたぐいの話だった。

小沢氏は「民主党は今、衆院選も力を合わせて頑張ろうという雰囲気だ」

「そういう話は現実に政権を担っている人が判断する話だ」

と強く言ったという。

 先月半ば以降と思うが(その人から)また連絡があり

「首相の代理の人と会ってくれ」という話だった。

指定された場所に行き「本当に首相はそんなことを考えているのか」

と質問すると「首相もぜひ連立したいということだ」と。

「あなたも本気か」

「おれも本気だ」

「首相から直接話を聞くのが筋だ」

という話を返し、党首会談の申し入れになった。

それが誰であるとか、どこであったかは私の口からは申し上げない。

というのが説明だった。

週刊誌には、その人物の名前も出ているが、

何も悪いことではない。

小沢一郎の魅力は豪腕だった。

それがどこかに影を潜めてしまった。政治は権力闘争である。

政党の党首となれば、狙いは総理である。

東北人で口べたと本人は語っていたが、それでは困る、

明快に自己主張をし、総理を目指すべきである。

そいう人がいないと、政治に活気がない。

あまりぺこぺこ頭を下げる必要はない。

豪腕小沢一郎の復活を私は望んでいる。

民主党にはあれこれいう人物もいたが、じゃ、その人が党首として

組織を束ねることが出来るかといえば、出来るはずもない。

弱気の小沢一郎を見たくはない。
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2007年11月7日(水) 小沢上杉謙信
行方をくらませた謙信が戻ったように、小沢一郎も戻った。

意外に早く戻ったという印象である。当然、離党、新党結成も考えたであろう。

今後も火種はのこる。

民主党内における小沢一郎の求心力はどうなるのか。

今朝の新聞報道は、弱まるという声が強いが、そうでもないだろう。

辞表懐に、一段と攻勢を強めるだろう。

当分、小沢天皇の時代は続くだろう。

そして、近々、政界再編の道を歩むに違いない。

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小沢代表「口べたな東北かたぎ」と釈明
11月7日17時22分配信 産経新聞


 「口べたな東北かたぎでして」。

7日午後、東京・永田町の民主党本部で衆参両院議員懇談会に

出席した小沢一郎代表。居並ぶ国会議員らを前に

「辞職願提出は不器用だった」と釈明した“壊し屋”の目は、潤んでいた。
 
詰めかけた報道陣がビルの外にまであふれ、異様な熱気に包まれた党本部。

マイクに向かった小沢氏はまず深々と一礼し、

くちびるをかみ締めながら話した。
 
「自分は口べたな東北かたぎでして…」。小沢氏がこう話すと、

それまで息をのむように静まり返っていた出席者から笑いが漏れ、場の雰囲気がわずかに和らいだ。
 「みんなで頑張りましょう」との言葉で着席した小沢氏に向かって、

割れるような拍手と「そうだ、頑張ろう!」との声が飛ぶ。

小沢氏は立ち上がって「ありがとうございました」と再び頭を下げた。

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口べたな東北かたぎ

この表現は、どうだろうという気もするが

まあよかったのではないかと思う、小沢さん、頑張ってください。

 
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2007年11月6日(火) 話題は小沢さん
復帰は流動的でしょうね。

若手が反対している以上、すぐ復帰はないと思いますが。

この内乱劇、上杉謙信を思い出しますね。

家臣団の反乱で嫌気をさした謙信は、さっさと雲がくれしてしまった。

慰留されて戻るのですが,小沢さんはどうでしょうか。

この事件で、民主党の若手には政権交代の能力がないことが

明白になりましたね。

彼らが集まって何が出来るのか。テレビ討論は出来るでしょうが。

何も出来ないでしょう。

ここは連立指向しかないのです。

連立は意味がないという意見も強くあります。所詮、見せかけであり、

次の選挙までの同床異夢に過ぎないというのです。

じゃ、このまま政治が空転し、何も国会で通らなくても良いのか。

それでは困るわけです。連立が無理なら協調は絶対に必要なのです。

民主党の若手議員、少しは大人にならないと二大政党の道は遠いですね。

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読売新聞、これは注目すべき記事ですね。

党首会談で「小沢副総理」一度は合意、17閣僚の配分も
 
福田首相(自民党総裁)と民主党の小沢代表の党首会談で、

民主党が連立政権に参加した場合、

小沢氏が副総理格の無任所相に就任することで合意していたことが4日、

明らかになった。

 両党首は連立政権の17閣僚の配分を自民党10、民主党6、

公明党1とすることでも合意、「大連立」を前提に話し合いが行われていた。

 関係者によると、2日の党首会談では、

民主党に割り当てる閣僚ポストとして小沢氏の副総理、

国土交通相、厚生労働相、農相が挙がったという。

副総理は内閣法に法的な位置づけはなく、

あらかじめ首相臨時代理に指名された閣僚を指してきた。

政府は、首相臨時代理を組閣時に5人指名しているが、

臨時代理順位の1位を無任所相の小沢氏とする方針だったと見られる。

 このほか、自民、民主両党間に設置する政策協議機関のメンバーに

民間人も参加することが話し合われた。

(2007年11月5日3時0分 読売新聞)

「民主ものすごいチャンスつぶした」舛添厚労相
11/05 12:57更新
 
舛添要一厚生労働相は5日午前、都内で記者団に対し、

民主党の小沢一郎代表が辞意を表明したことに関連し、

「政権交代をしたいのだったら大連立を組まないと駄目だった。

ものすごいチャンスを民主党はつぶした」と述べ、

連立協議を拒否した民主党の対応を批判した。

 舛添氏は1960年代の西ドイツで社会民主党(SPD)が

大連立の末に政権交代を実現した例を挙げ、

「民主党も大連立を2年ぐらいやり、『そこそこやるじゃないか』となれば、

確実に政権に近付く」と指摘。その上で今回、連立に応じなかったことに対して

「民主党にとってものすごい損だ。永遠に政権が来ない可能性がある」

と語った。
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2007年11月5日(月) 政界再編なるのか、小沢一郎の大冒険
政治はいつもドラスティックである。

薩摩と長州が手を握った薩長同盟もそうだった。

敵同士が一夜にして同盟を結び、幕府を倒した。

小沢一郎の狙いは何か。彼の真の狙いは何か。

よく解釈すれば、国政の安定だろう、憂国の志士でもある。

そしてあわよくば、政権奪取であろう。

しかし、表面的には挫折した。

小沢一郎の次の一手は

民主党の分裂の可能性を示唆し、権力の維持を図ることだろう。

「私に反対するなら党を割るよ」

そうも主張するだろう、あるいは、そうするかも知れない。

今後の政局、小沢一郎という政治家が

かなりのインパクトで、揺さぶり続けるだろう。

政治は生き物である。

どう転ぶのか。

私は小沢一郎の地元、水沢で、昨今、後藤新平を論じた、

その時,会う人ごとに小沢一郎をどう思うか聞いてみた。

「選挙のときは、10人中9人が小沢一郎に投票する」

と一様にいった。水沢では絶対の存在だった。

しからば総理になるかと聞くと

「わからない」

と多くの人が答えた。小沢一郎は壊しやなので、総理はどうかなという声

が強かった。案の上そうだった。

水沢からは斎藤実総理が出ている。後藤新平は副総理格が最高だった。

水沢人は岩手では生き馬の目を抜く敏捷さがあるといわれている。

小沢一郎はどこまで、どう走るのか。

当分、目を離せない。

今回の辞表劇、新聞各紙の論調はさまざまだが、

産経は比較的、冷静な分析だった。

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政界再編、動き加速 年内の解散、総選挙遠のく

11月5日8時0分配信 産経新聞

 民主党の小沢一郎代表の突然の辞任表明により、政界は深い霧の中に突入した。

福田康夫首相と小沢氏の党首会談でようやく動き出した国会は、

民主党の混乱により、再び空転するのは確実で、

会期末の10日までに新テロ対策特別措置法案の衆院通過は厳しい情勢となった。

強力なリーダーを失った民主党は今後漂流しかねず、

政界再編に向けた動きが加速する可能性も高い。

ただ、年内解散を模索する動きだけは完全に止まったといえそうだ。

 小沢氏が代表を辞任すれば、民主党は新代表の選出を迫られ、

審議ストップは避けられない。会期内の新テロ特措法案の衆院通過も厳しく、

政府・与党は1カ月以上の大幅延長を視野に入れなければならなくなる。

 ただ、誰が代表に選ばれても民主党執行部の求心力は低下し、

党内で不協和音が増すのは確実だ。小沢氏は離党しない考えを示しており、

新執行部は小沢氏の影におびえながらの党運営を迫られる。

 郵政民営化に反対して自民党を離党した平沼赳夫元経産相の

「新党構想」も焦点となる。

民主党には平沼氏の政治信条に共鳴する保守系議員もおり、

党分裂の可能性が強まる。

 ただ、民主党の不安定化により、

「早期解散による政権交代」を模索する動きは沈静化しそうだ。

野党の最大のカードであった参院の問責決議もしばらくは封印される可能性が高い。

 ある自民中堅は「短期的に見れば、自民、公明両党には有利な流れだが、

中長期的にはさっぱり先が読めない。

政界は濁流に飲みこまれていきそうだ」と語った。

 一方、小沢氏が代表の座にとどまった場合、

自民、民主両党は大連立に向けて再び動き出し、政界の構造は一変する。

 「小沢氏はホントに辞任するのか。そうなれば民主党は分裂含みの動きとなるが、

慰留されて代表にとどまれば大連立に向けて再び動き出すことになる。

そこを見極めなければ、自民党は動きようがないな…」

 小沢氏の辞任表明を受けて、自民党の閣僚経験者はこう漏らした。

 小沢氏は4日の会見で辞意の固さを強調したが、

慰留の声が強まれば、代表にとどまるという選択肢も捨てなかった。

小沢氏が翻意すれば、3回目の党首会談が近く行われ、

自民、公明、民主の3党による政策協議で重要政策や法案を決定することになる。

来年の通常国会はスムーズに進むことになるが、

社民、国民新などの野党は反発を強めるのは確実だ。

 また、政策協議の行方次第では、自民、公明両党の関係がきしむ可能性が高い。

自衛隊の海外派遣のための恒久法制定など安全保障に関するテーマが俎上に載れば、

旧社会党系議員を多く抱える民主党は分裂の危機にさらされる。

 小沢氏は政策協議を通じて、自民党を揺さぶり続ける可能性があり、

自民党内が混乱すれば、他の野党を巻き込み、政界再編に突入する可能性もある。
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2007年11月4日(日) 右であれ左であれ、
今日は日曜日、

仕事場で瞑想にふけっている。

といってもお茶を飲んで、安達太良山を眺めているだけなのだが、

実にさわやかで、いい天気である。

こんな日は山を歩いたらいいだろうなあ

さて、 一昨日、仙台で行われた東北芸術工科大学の教養講座で、

後藤新平を論じた。

彼は、右であれ、左であれ、飛び込んで自分の世界を築いた。

仙台藩の賊軍の子供だった後藤は、熊本藩の安場保和の小僧からスタートし、

長州の児玉源太郎、伊藤博文,山県有朋の懐に食い込み、

満鉄総裁、外務大臣、内務大臣などを歴任、

東京市長として今日の東京の都市デザインを行った。

大風呂敷ともいわれたが、決してそうではなかった。

賊軍の子としては異例の生涯だった。

とらわれない心、後藤の人生も面白い。

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民主党の小沢一郎は後藤新平と同郷である。

水沢の人である。

2時過ぎ、突然、次のニュースが飛び込んできた。

びっくり仰天である。

小沢氏、民主党代表を辞任の意向

11月4日14時12分配信 産経新聞

 民主党の小沢一郎代表が党代表を辞任する意向を固めたことが4日、分かった。

小沢氏は同日夕、都内の党本部で会見する。
 
小沢氏は10月30日と今月2日の2回にわたって福田康夫首相と会談。

2日の会談では、首相から連立政権に向けた協議の打診を受けた。

小沢氏は民主党役員会に諮ったが、

「政権交代が目的であり、政権に入ることが目的ではない」などと反対を受けて、

首相の提案を拒否。

民主党内からは首相と2人だけの会談に応じた小沢氏への批判が出ていた。


ヘッドライン
民主党の小沢代表、辞職願提出「党内混乱の責任取る」
 
民主党の小沢代表は4日夕、党本部で緊急記者会見を行い、

自民党との連立政権構想をめぐり、党内を混乱させた責任を取り、

鳩山幹事長に辞職願を提出したことを明らかにした。(読売新聞)




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2007年11月3日(土) 夜、仙台から帰りました。
二日連続の講演、これはハードでした。

一日目の東北ルネッサンス。

大いに燃え、郡山でも何か考えたいと思いました。

これからゆっくり周辺の人たちと討議しようと思います。

二日目が幼稚園の関係者が多く、会津若松の幼稚園の先生方も見えておりました。

仙台の夜は凄い人出で、東京の一角と変わらない風景でした。

東北の各地からどんどんバスが入っていて、

仙台一極集中が進んでいる印象でした。

詳しくは明日、ご報告します。

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民主・小沢氏、早い段階から連立に前向き…自民関係者
11月3日10時2分配信 読売新聞


 民主党の小沢代表が、首相から連立の打診を受ければ、

民主党内を説得する考えを首相に伝えていたことが2日、明らかになった。

 自民党関係者によると、小沢氏は早い段階から自民党との連立に前向きで、

民主党内を説得する考えだったという。

 今回は説得に失敗した形だが、小沢氏はなおも連立参加を模索する意向だ。

小沢氏は、最終的に連立を断念した場合は、

代表を辞任する考えも周辺に漏らしており、

成否によっては小沢氏の進退問題が浮上する可能性もある。

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すべて流動的ですね。
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2007年11月2日(金) なんという幼児性
今朝の新聞各紙は福島県庁職員の県庁爆破予告メールを大きく報じた。

福島民報の報道によると、福島警察署は
 
福島県庁の爆破を予告するファクスを県に送信したとして、

1日午前11時15分ごろ、脅迫の疑いで伊達市諏訪野二丁目2ノ6、

県教育庁総務企画グループ主査佐藤典昭容疑者(45)を逮捕した。

ファクスには予算問題で揺れている国際スキー連盟

フリースタイルスキー世界選手権猪苗代大会など、県政を批判する文面もあった。

同様のファクスは逮捕容疑を含め7月と10月に計4回にわたって送信されており、

同署はすべて佐藤容疑者の犯行の可能性があるとみて追及している。

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これが県庁の職員かと

驚いてしまう。

幼稚すぎる。

職員教育の徹底を望みたい、

そのうち、本物が現れるかも知れませんよ。

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テロ特委 一転ソフトに 党首会談受け雰囲気一変 
10月31日9時58分配信 毎日新聞

 衆院テロ防止・イラク支援特別委員会は30日午後、

福田康夫首相が出席し、野党の質疑を行った。

ゴルフ接待や業者への便宜供与疑惑に関する守屋武昌前防衛事務次官

の証人喚問の翌日だけに、当初は疑惑追及一色になるとの見通しもあったが、

自民、民主の党首会談を受け、雰囲気は一変。

政府側、民主党議員の双方に歩み寄りを模索するような発言が目立った。

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何か変化が出てきたようです。

さて今日は午後3時の電車で仙台。

東北芸術工科大学の東北ルネッサンス講座です。

いずれ私の住む郡山でもこのような講座を持ちたいと考えています。

文化の希薄な街はどうも潤いがない、

郡山にも日大工学部、奥羽大学、郡山女子大学があるので、

結集すれば、何かが出来ると考えております。

隣の須賀川市には法政大学のパイロット養成課程が進出する。

これも楽しみである。
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2007年11月1日(木) 大風呂敷の男,後藤新平
明日、仙台で開かれる東北芸術工科大学の講座で

後藤新平を語ります。終わって同大学の赤坂憲雄大学院長と

対論します。

大風呂敷の男

人たらしの男

イデオロギーのまったくない男

いろいろにニックネームを持つのが後藤新平です。

なぜいま後藤新平なのか。生誕150年とあって、各分野で見直されているのです。

後藤はれっきとした東北人です。

経歴、内務省衛生局長、台湾総督府民政長官、

南満州鉄道総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市長、

東京放送局初代総裁、少年団日本連盟(日本ボーイスカート連盟)の総裁、

綺羅星のごとき華麗な生涯です。

郷里に帰れば、水沢弁で子供たちに話しかけました。

賊軍だった水沢の地から、

どうしてこのような破天荒の男が生まれたのか。

現代に彼は何を残したのか。

それを論じます。

会場はエルパーク仙台141ビル、5階、時間は午後6時半開場、

7時開会、受講料一般1000円、

主催、東北芸術工科大学、趣旨は東北ルネッサンス運動。

大勢の方のご来場を期待します。

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後藤新平の意外性

私がびっくりしたのは、後藤の国際感覚です。

アメリカ、ヨーロッパによく出かけた後藤は、アメリカの

対中国政策にある種の脅威を感じていました。

満鉄を共同経営にしないか。

アメリカから申し入れがあったとき、満州問題は

いずれ日米の火種になると直感したのです。

そこでどうするか、彼が考えたのはロシアとの接近でした。

スターリンが天下を取り、共産主義革命がなったロシアに

後藤はでかけて行きました。資本主義であろうが、共産主義であろうが

かまわない。

手を握れる国とは友好関係を結ぶ、それが後藤の考えでした。

スターリンは妙な日本人に大いに興味を示したようでした。

アメリカに対抗するためには、ユーラシア大陸の諸国家と大陸に隣接する

日本が団結し、共同のブロックを形成するという大構想でした。

惜しむらくは、それは後藤の晩年のことであり、

後藤の死で、実を結ぶことはありませんでした。

後藤のような政治家がもっといれば、

太平洋戦争の悲劇もさけられたに違いありません。
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