星亮一 今日の一言

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2008年1月31日(木) 薩摩と長州
アーネスト・サトウの証言

今日は朝から「一外交官の見た明治維新」を読んでいた。

何度も読んだ本である。

英国は薩摩と戦争して以来、急接近し、軍艦を斡旋し、留学生を受け入れていた。

日本人は変わり身がすごく早い。

生麦事件で英国人を斬った薩摩だったが、

英国の軍艦に報復攻撃を受け、

城下が焼けるや、ころっと英国と手を結び、親英路線に転換した。

幕府はフランスである。

日本の市場の独占を狙い、フランスは現政権の幕府についた。

英国は反幕府の薩摩、長州を支援した。

慶応二年の暮れ、サトウは軍艦で薩摩に入った。

ロンドンに行ったことがある家老の新納が接待してくれた。

「もう幕府はだめですよ、長州一藩にてこずっている」

と、幕府をこき下ろした。

サトウもそう思っていた。

ライバルのフランスは幕府に肩入れしているが、わが英国は違う。

サトウは気分をよくして酒を酌み交わした。

このとき、港に長州の汽船が止まっていた、

長州の木戸孝允が来ており、

薩摩の幹部と討幕を話し合っていた。

勝負はついたとサトウは思った。

そこの部分を読んだ。

会津藩はこのとき、どうしていたのか、

機会を見て論じてみたい。

海を持つ強さがひとつあった。
△top
2008年1月30日(水) 幕末の剣豪の足跡裏付ける史料 千葉で見つけた
今朝の福島民報、社会面のトップ記事です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 幕末の京都の治安維持に当たる見廻組与頭を務め、

坂本竜馬の暗殺にも関与したとされる佐々木只三郎(1833―1868年)が

14歳から21歳までの多感な青春期を現在の千葉県富津市で

過ごしていたとみられることが29日までに、

会津若松市出身の郷土史家河野十四生さん(68)=千葉市在住=

の調べで分かった。河野さんが裏付けとなる史料を富津市内の旧家から発見し、

佐々木家の子孫などに確認した。
 
只三郎が21歳の年に会津藩による富津での房総警備に参加した史実は

残っているが、それ以前の足跡をたどる史料はほとんど確認されておらず、

幕末に生きた剣豪の歩みを知る上で興味深い。

 只三郎は会津藩士・佐々木源八の三男として生まれ、剣の達人となる一方、

和歌も詠む文武両道の人物だったとされる。浪士組結成に伴い京都入りし、

見廻組与頭などを務めながら新選組とともに反幕府勢力の警戒に当たった。

1868年の鳥羽伏見の戦いで負傷し、紀州で没したとされ、

墓所は会津若松市の会津武家屋敷にある。 

今回、発見されたのは会津藩八代藩主松平容敬が

1850年に激励のため富津を訪れた際、出迎えた藩士の席順を記した史料で、

この中に只三郎の名前があった。

これにより只三郎は21歳になる以前から富津にいたことが判明。

さらに史料には父・源八と兄・主馬の名前も記してあり、

只三郎は父兄とともに房総警備の最初の年から富津入りし、

任務を終えるまでの約7年間にわたって富津で過ごし、

警備に参加していたとみられることが分かった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

発見した河野さんは、元読売新聞記者、

お会いしたことがあります。

貴重な発見です。
△top
2008年1月29日(火) 朝日新聞、マイタウン福島。わが町も活気なし
買い物仙台で」増えそう

2008年01月29日

今年が最後となった「丸井郡山店」の「初売り」には大勢の客が

早朝から列をつくった。

 JR郡山駅西口の目の前にある「丸井郡山店」で今月2日、

新春恒例の「初売り」があった。来月末に閉店する同店にとって、最後の初売り。

午前10時の開店前には千人を超える人たちが列をなした。

「最後ということもあり、来店者数は昨年より増えた」と丸井広報室。

だが、「ピーク時に比べて明らかに減った」と振り返る。

 一番乗りは会社員の熊田克也さん(27)。ダウンジャケットを求めに、

二本松市からやって来た。ここ10年ほど、ひいきにしていたという。

「県内には若い人向けの店がないだけに、閉店は残念」

 郡山市の介護福祉士大西理恵さん(29)のお目当てはコートやブーツ。

洋服と言えば、丸井だった。「なくなったらどこで買えばいいの、という感じ」。

ショッピングのため、年に数回だった仙台行きの回数が確実に増えそう、

と大西さん。

「来る目的がなくなる。駅前からは『西武』も撤退したし、すたれてしまうのでは」

と心配顔だ。


 ◇人の流れ郊外に

郡山店のオープンは75年。丸井にとって東北地方では初の出店で、

現在も東北唯一の店舗だ。地上8階建てで、売り場面積は延べ約8800平方メート

ル。アパレルや時計、宝飾品などのテナントが約80店入る。

ターゲットの中心は若者だ。

 だが、バブル崩壊の影響で、売上高は91年度の89億円をピークに

年々減り続ける。06年度は、約3割減の約65億円に落ち込んだ。

業績の回復は望めず、撤退を余儀なくされた。

「他店に比べ、売り場面積が小さく、十分な品ぞろえができない」と丸井広報室。

一方で「駅前の商業環境が、出店当時と変わった」と嘆いた。

 実際、駅前ではダイエーを継いだ系列の総合ディスカウントストア・トポスが

94年に、西武が00年にそれぞれ閉店。

最近は大型の駐車場を完備したショッピングセンターが郊外にでき、

人の流れが変わってきた。

 ◇縁あれば出店…

 郡山店の閉店が明るみに出た昨年2月以降、

跡地については水面下でさまざまな動きがあった。

 関係者によると、出店のうわさがあったのはホテルや大型電器店、

ファッション関連の店など。流通大手のイオン(本社・千葉市)も、

地権者側から打診を受けた。

 同社は店舗を全国展開しているが、出店先の多くは郊外だ。

「市街地にも縁があれば出店したいが……」と候補にしたことは認めるが、

「社内調査など総合的に判断して、今回は縁がなかった」とする。

跡地には複数の地権者が絡んでおり、今ある建物を利活用していく方法のほか、

完全に壊して土地を貸す手法なども検討されている。だが今のところ、

具体化していない。

 丸井郡山店が地権者側と結んだ賃貸借契約は、4月まで残る。

長年親しまれてきた屋上の看板は、その間に外される。

   ◇

 33年にわたり、郡山の「駅前の顔」だった丸井郡山店の閉店まで、あと1カ月。

変わりゆく商都・郡山の中心市街地を追った。(常松鉄雄)


 ■郡山中心市街の主な商業施設の変遷
1975年 駅西口に西友郡山西武、丸井郡山、ダイエー郡山の3店が開店
  
80年 駅西口の丸光デパートが閉店
 
87年 駅西口の津野デパートが閉店
  
88年 駅西口のイトーヨーカドー郡山店が郊外移転のため閉店
  
89年 ダイエーが総合ディスカウントストアのトポスに
  
94年 トポスが閉店
  
98年 駅東口にイオンタウン郡山が開店
 
00年 西友郡山西武店が閉店。郊外にザ・モール郡山店開店
  
08年 丸井郡山店が閉店

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私はこの駅前に仕事場を持っている。

人の流れが変わってしまったことは、

よくわかる。

日中も夜も閑散としている。

確実に駅前の崩壊が始まっている。




△top
2008年1月28日(月) 戊辰戦争研究会流山集会
6月28、29日、流山市で行います。

大会幹事の渋沢さんから、メールが入りました。

 昨日、流山集会の件で松下さんと打ち合わせをしました。

京都で、相談させて頂きたい事もあります。

よろしくお願いいたします。

尚、松下英治様より下記のようなコメントを頂きましたので添付いたします。

戊辰戦争研究会のみなさまへ

はじめまして。

新選組流山隊の隊長を務めております松下英治です。

このたびは、戊辰戦争140年という記念の年に、貴会の集会開催場所として、

流山の地を選んでいただいたことを、大変光栄に感じております。

流山市観光協会副会長という立場におきましても、感謝を申し上げます。


新選組流山隊は、黒と赤を基本イメージとした公式サイトをはじめとする

広報戦略が先行し、隊服着用による殺陣披露や全国行事参加などから、

パフォーマンス団体と思われる方が多いようです。

実際の活動は、古史料解読や史跡調査による

本格的な研究学習活動が根底にあり、

正しい情報を全国に発信し、新選組と流山の知名度向上を目指すために、

パフォーマンスも活用しています。

関連地訪問時には出来る限り墓参も行い、先人に感謝の心を捧げた上で、

「全国新選組サミット」構成団体として、関係者と連携しながら、

楽しく活動できる組織を目指しています。


現在は、行政などからの財的支援は一切受けることなく、

流山はもちろん関西など遠方在住の隊士(会員)も、

それぞれ自費で参加し、

外部からの制約を受けることなく、自主運営での同好会です。


多くの方々のおかげで、本年7月に新選組流山隊は結成5周年を迎えます。

また、私個人としましても、

5年間の研究成果がようやくまとまるところです。

新選組流山本陣が「長岡屋」でなく「鴻池」という史実の発表をはじめ、

数多くの新説・異説を、本年より数度に分け、書籍発刊などを通じて、

発表して参る所存でございます。

今回の合同企画を通じて、新たな出逢いが生まれ、

さらなる活動の糧となるよう、

新選組流山隊としても、微力ながら準備をすすめて参ります。

みなさまのお力をお借りして、楽しい2日間となることを期待しています。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。


新選組流山隊 隊長 大久保大和事 松下英治

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2008年1月27日(日) 産経新聞東北版、“焼き鳥戊辰戦争”、星も意見を述べた、
【特報 追う】因縁を越え“焼き鳥戊辰戦争”

1月19日、産経新聞東北版

 明治時代、新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争から140年目となる今年、

両陣営で再び戦火ののろしが上がろうとしている。といっても、

世界一長い焼き鳥への挑戦「セカチョウ」の話。

旧長州藩、山口県長門市が持つ世界記録に対し、

会津養鶏協会(福島県会津若松市)などが4月に挑戦すべく、

着々と準備を進めている。焼き鳥戊辰戦争の結果やいかに−。(小野田雄一)

                ◇

 「長州が相手じゃないとやる意味がない」

 そう意気込むのは、会津養鶏協会の関沢好春事務局長。

長門市の地鶏「長州どり」に、会津若松市の「会津地鶏」で正面から挑む。

 焼き鳥のくしに使う竹にもこだわる。

「幕末に会津藩主の松平容保(かたもり)は京都守護職を務めた。

戊辰戦争が始まったのも京都。だから京都の竹を使う。

挑戦状は羽織はかまを着て渡しに行きたい」と徹底したこだわりぶりだ。

 一方、昨年10月、20メートル71センチの世界記録を打ち立てた

長門青年会議所の河村誠治直前理事長は

「戊辰戦争がらみで注目されれば、全国に長門市をアピールするチャンスになる」

と余裕の口ぶり。

 ただ「もし記録を抜かれたら」と質問すると、

「もちろん再び抜き返します」。

両者とも相手の後塵(こうじん)を拝す気はまったくなさそうだ。

               ■ ■

 昨年4月、山口県出身の安倍晋三前首相が、

参院補選の応援のため訪れた会津若松市で、

「先輩がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

と演説したことで話題を呼んだ。

 背景にあるのは、会津と長州との現代まで続く“遺恨”だ。

戊辰戦争で会津藩は朝敵とされた上、新政権では会津藩出身者が冷遇された。

そうした歴史から、会津には「反長州」の気風がいまだに根強い。

 平成9年には、山口県の萩市長との握手を会津若松市長(ともに当時)

が拒否して話題になるなど、

近年でも会津と長州の因縁はしばしば取りざたされている。

 ただ、両地域の交流に変化の兆しもみえる。

18年に山口県萩市の萩高校と、会津若松市の会津高校の合唱部が

合同で合唱を行ったほか、同年には市民有志による

「会津と長州の友好を考える会」が発足。

 また昨年9月には、下関市の江島潔市長が、

会津若松市で開かれたマラソン大会に参加し、菅家一郎市長と握手した。

もっとも、菅家市長は公式な和解は否定しているのだが。

 こうした動きの中で起きた“焼き鳥戊辰戦争”。

会津側の関沢事務局長が「過去の因縁を越えて、

仲良くやりたいと思っている」といえば、長州側の河村直前理事長も

「これを機会に、もっと交流を深めることができれば」と前向き。

“和解”へのきっかけにもなりそうな雰囲気だ。

               ■  ■

 こした和解ムードについて、

会津を題材にした作品を数多く著している歴史作家、星亮一さんは

「遠くでにらみ合っていても意味はない。交流するのは良いことだと思う。

だが、会津と長州の歴史は、安易に解決できる問題ではないし、

すべき問題でもない」という。

 「たとえば青森にいる旧会津藩士の末裔(まつえい)たち。

彼らは祖先が新政府によって逆賊とされ流刑に処された人々だ。

安易な和解は決して許さないだろう」と推測する。

「会津藩を朝敵とした“まやかし”を長州側が認めない限り、真の和解はない」

ともいう。

 星さんは「今回の焼き鳥世界一挑戦などでの交流をベースに、

福島と山口で歴史討論会などが開かれるようになるのが望ましいのではないか」

と話している。

               ◇
【用語解説】セカチョウ

 各地の焼き鳥店で作る「全国やきとり連絡協議会」

(埼玉県、日疋好春代表世話人)が主催するコンテスト。

1本の竹ぐしで、世界一長い焼き鳥作りを競う。平成18年に始まり、

初代世界一は和歌山県の日高川町。東北では福島県川俣町や、

岩手県二戸市がタイトルを持ったことがある。

 ルールは(1)くしは1本の竹から作る(2)焼き上がったら串を持ち上げ、

折れたら失格(3)同協議会の審判の立ち会い−など。

同協議会理事で福島市の焼き鳥店「鳥安」店主、安田雅樹さんによると

「竹の長さが国内では限界に近づいている。今後は長い竹の調達が焦点」

とのこと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
果たしてどちらが勝つのか、

まずはお楽しみである。

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関連投稿

戊辰戦争研究会 伊達藤五郎

総裁の「彰義隊」を読んでいます、まだ読み終わらないうちに

「偽りの明治維新」を読み始めました、

それが終わらないのに森まゆみ著「彰義隊遺聞」が文庫本で出ましたので

購入しました、そして今日総裁の「山川健次郎の生涯」

をちくま文庫で見つけ購入しました、読みたい本ばかり出てきまして、

何時になったら読み終わるのでしょうか、

さて

会津と長州の「焼き鳥戦争」の件、こういうイベントがあるといつでも

「和解が進んだ」とか「お互いに良かった」なんていう声で締めくくられます。

それでもう何十年過ぎたのでしょうか、そしてあと何十年経てば本当に

「和解した」と言う事になるのでしょうか。

私には「和解」とはどういう状態になる事を指すのでしょうか、解かりません。

でも、お互いが日常的に意識しあうのが最善ではないかと思います。

そこで私は提案します、


会津と長州にはお互いにいい「焼き物」を持っています、

「会津本郷焼き」と「萩焼き」なんですが、

その焼き物で作った「湯のみ」をお互いの市役所や商工会などで

使い合うというのはどうでしょうか。

会津市役所で職員や来客者が「萩焼き」でお茶を飲むなんて

難しいことなんでしょうか、そして萩市役所や山口県庁で

「会津本郷焼き」でお茶を飲むなんて事が日常になれば、

日常の中から理解が進みますよね。

どうでしょう、私の思いつきなんですが・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なるほどね、それではよいと思います。

山口県の方に積極的に会津本郷焼きを贈るようにしましょう。

ちなみに私が自宅で使っている湯のみは

萩焼きです。

これは萩で討論会をしたときにいただいたものです。

毎日使っているので、特に意識はしていませんね。

慣れすぎてもだめかも知れません。

大相撲
白鵬(東横綱=14勝1敗) 宮城野部屋 6回目

朝青龍、頑張った、よかった、最高
△top
2008年1月26日(土) NHK星亮一と行く歴史街道
今年の日程は下記の通りです。

いずれも郡山駅前発、日帰りです。

  @ 4/23(水) 日光山と田母沢御用邸(日光)

 A 5/28(水) 仙台藩士と旗巻峠の戦い(宮城県丸森)

 B 6/25(水) 天狗党挙兵と攘夷(筑波山)

C 7/16(水) 田中正造と襤褸の旗(栃木県足尾)

 D 9/24(水) 吉野作造と大正デモクラシー(宮城県大崎)

 E10/15(水) 最上義光と伊達政宗の激闘(山形)

 F11/12(水) 結城朝光と南朝の戦い(茨城県結城)


ご希望の方は下記へお問合せください。
 

*******************************************
NHK文化センター郡山教室
小松 真弓
〒963-8876
郡山市麓山1−5−21
NHK郡山放送会館内
E-mail:komatsu-mayumi@nhkcul.co.jp
Tel: 024-933-0022
Fax: 024-933-1555
*******************************************

投稿

総裁はベストセラー作家

戊辰戦争研究会 会津若松 梶原 平馬

本日26日付民友朝刊会津版よりのビッグニュース。

「偽りの明治維新・大和書房」「山川健次郎の生涯・築摩書房」二作品が

べストセラー8位、10位に入っています。

この事は先生の記者時代からの会津人に対する深い愛情の結晶及び

敗者の精神から見た先生の歴史観の賜物だと思います。

「会津人の心」「会津人の生き方」を心の底から書いておられることに感謝します。

不義の多い昨今、戊辰の時代の「正しい歴史観」を

先生と共に会員相互に全国に広めたいと思います。

連日の降雪で会津は大変です。

ーーーーーーーーーーーーーーー

ありがとうございます。

皆さんのおかげです。
△top
2008年1月25日(金)  明大応援リーダー部が解散へ、神田古書店情報
元部員の自殺問題で−上級生の暴行は慣行・調査結果

1月25日12時1分配信 時事通信

私は神田の古書店に出かける。

お茶の水で降りて明治大学の前を通ってゆく。

時折応援団の姿を見たことがあった。

リンチをして休部していることは知っていた。

事実上の殺人を犯したわけだから解散はやむをえないだろう。

さびしい感じもするが、犯罪行為はよくない。

ーーーーーーーーーー

 明治大(東京都千代田区)の応援団リーダー部員だった学生が自殺した問題で、

同大は25日、リーダー部を解散することを決めた。

同日午後、納谷広美学長が記者会見して発表する。

自殺したのは、理工学部3年の男子学生。同大によると、

男子学生はリーダー部の複数の上級生からたびたび暴行を受けていた。

下半身を裸にされ、熱湯を掛けられたことも判明した。

 男子学生は昨年1月には入学当初から所属していた同部を退部。

4月から休学し、7月に自殺した。

親族には応援団内の人間関係で悩んでいたことを話していたという。
 
これを受け、同大は調査委員会を設置。

リーダー部の学生らから事情を聴いたところ、上級生が下級生に対し

、拳で顔を殴ったり、雑草をかじらせたりする行為が

慣行として行われていたことが判明した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

神田古書店情報

【読者アンケート「今年の収穫・この一冊」】
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[書名]   臍に吹く風
[著者名]  木山捷平
[理由]   ほしかった。           
[性別]   男性
[年齢]   18
[都道府県] 鳥取
------------------------------------------------------------
[書名]   『暮しの手帖』第1世紀揃
[著者名]  
[理由]   母が『暮しの手帖』を購読していたので、子供の頃か
      らなじみのある雑誌でした。名物編集長花森安治のエ
      ッセイは、子供でも読める平易な文章で、本当にその
      政治的・社会的メッセージについて理解していたかど
      うかはともかく、今でも記憶に残っています。今アメ
      リカの図書館で、日本研究専門の司書として働いてい
      ますが、『暮しの手帖』第1世紀は、どうしても所蔵
      したい資料でした。母が古いバック・ナンバーを寄贈
      してくれることになっているのですが、母が保存して
      いるのは第2世紀分からなので、なんとか第1世紀分
      を入手したいと考えていました。     
[性別]   女性
[年齢]   
[都道府県] 
------------------------------------------------------------
[書名]   The Century Dictionary
      :An Encyclopedic lexicon of the English language
[著者名]  William Dwight Whitney
[理由]   OEDが刊行されるまでは世界最大の英語辞典で、約
      100年前に発行された古い辞典ですが、副題に、En
      cy- clopedicとありますように、事典と辞典を兼ね備
      えており、今なお利用価値があります(特に18・1
      9世紀の文献を読む場合)。現職時代には購入する余
      裕がなく、退職後12年にして漸く入手することがで
      き、その充実した内容と堂々とした造本(名著普及会
      刊、覆刻版)に感動しました。現在、勉強している英
      語史・英語語源学に大いに活用しようと思います。
[性別]   男性
[年齢]   72
[都道府県] 北海道
------------------------------------------------------------
[書名]   雨潤会要録
[著者名]  
[理由]   映画史文献の中でも「東京に於る活動写真」は、とり
      わけ稀本の一冊だが、この本の出版背景を知ることが
      出来るのが「雨潤会要録」である。この書物の存在を
      師が、現物を前にして教えて下さったのは、もう25
      年も前のことだが、ようやくにして、つまり四半世紀
      を経て私も入手することが出来た。瞼に焼き付いてい
      た書影が、目の前の現実となり、故人となった師のあ
      りがたさを改めて思った次第である。   
[性別]   男性
[年齢]   53
[都道府県] 東京
------------------------------------------------------------
[書名]   瀬戸内少年野球団
[著者名]  阿久悠
[理由]   インターネットをやらない友人に頼まれ安請け合いし
      たところ、阿久さんが亡くなられた為どこにも無く発
      売元にも絶版でありませんでしたので途方にくれあき
      らめかけた時「日本の古本屋」さんに3冊だけ有るこ
      とがわかりたいへんありがたかったのが昨日のことの
      ように思い出されます。ありがとうございました。  
[性別]   女性
[年齢]   54
[都道府県] 長野
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[書名]   戦争拒否 11人の日本人
[著者名]  山村基毅
[理由]   専守防衛のはずの日本の国が極東とはとてもいえない
      イラクに自衛隊を派遣し、戦争で日本人が死ぬことが
      再び起こりうる時代になった。徴兵制の復活を口走る
      人気知事がいる一方で、「戦争になれば逃げればいい
      さ」とほざく若者がいる現在の日本。戦前の日本で実
      際に戦争から『逃げた』人がその後どのやうな人生を
      送らざるをえなかったのかを記したこの本は私に大き
      なショックを与えた。   
[性別]   男性
[年齢]   65
[都道府県] 山梨
------------------------------------------------------------
[書名]   東成郡史(復刻版ではない)
[著者名]  大阪府東成郡役所
[理由]   私が住んでいる大阪市の歴史の本を集めているのです
      が、現在の大阪市は大正14年に市周辺部の東成郡、
      西成郡を合併し出来ました。その東成郡の歴史と郡市
      発売当時の郡内の町の様子が、この本には事細かに書
      かれております(郵便ポストの設置してある場所迄)
      この東成郡史を手に入れる前に、西成郡史(復刻版で
      はない)を手に入れておりこの東成郡史を探しており
      ました。これで近代大阪市の歴史と成立がよく分かる
      様になりました。この本は私の数ある古書の中でも貴
      重な1冊となりました。
[性別]   男性
[年齢]   50
[都道府県] 大阪
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[書名]   ユダの弁護人
[著者名]  ワルター・イェンス
[理由]   昨年翻訳された『ユダの福音書』が話題になったが、
      ユダを巡る話題を荒井献氏の『ユダとは誰か』『ユダ
      のいる風景』で読んだところ、過去の話題作として紹
      介されていた標記の書籍をどうしても手元におきたく
      て探し回っていた。1980年発行で入手困難かと思
      われたが、インターネット社会の便利さで、やっとの
      ことで入手。ユダを聖人に列すべしとの思いが、良く
      伝わる作品であった。しかし、発行時での定価980
      円が6320円に間で上昇するとは、希少価値なので
      しょうかね。
[性別]   男性
[年齢]   65
[都道府県] 東京
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[書名]   五街道細見
[著者名]  岸井良衛
[理由]   街道沿いにどんな宿があり、屋敷があり、茶屋では団
      子がいくらで、どのくらいの距離で、何が食べれてな
      ど旅行している気分になれる。知っている道も昔はこ
      うだった、昔からこうだったと楽しめ、知らない道は
      新しい発見や観光旅行気分で楽しめる。時代劇を見た
      時は、こんな場所とわかってまた楽しい。   
[性別]   女性
[年齢]   41
[都道府県] 千葉
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[書名]   味噌汁三百六十五日
[著者名]  辻嘉一
[理由]   45年前ふと友人の本棚で見かけ、手にとって見たとこ
      ろ面白く興味がわいたので、その内買おうと思っていた
      がそうこうしている内、絶版になり、東京、横浜の本屋
      から姿を消した。新本屋、古本屋に頼んでもなかなか無
      かった。やっと岡山の古本屋さんにあった。涙が出るく
      らい嬉かった。これぞ「電脳」のお陰と感謝していて、
      一つ一つ作って楽しんでいます。
[性別]   男性
[年齢]   69
[都道府県] 神奈川
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[書名]   数式を使わない物理学入門
[著者名]  猪木正文
[理由]   中学の時、兄から借りて一所懸命に読みました。理解
      できない所も多々あったのですが中身の一部と挿絵が
      ずっと記憶に残っていてまた読みたいと思っていまし
      たが40年も前のことで手に入らないと思っていまし
      た。ネット社会になり古書までもが自宅で簡単に探せ
      るようになり見つけました。2冊買いました。嬉しか
      ったです。
[性別]   男性
[年齢]   57
[都道府県] 山口
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[書名]   角川茶道大事典 普及版
[著者名]  林屋辰三郎他編
[理由]   茶道に係わって30年、是非欲しい事典でしたが、発
      行の時に買えなくて、何年もたってあちこち探したの
      ですが、どこにも売っていませんでした。半年かかっ
      てやっとこのサイトを知り、探したら ビンゴ 1冊
      のみ有りました。それも格安で。届いた本を見たら、
      まったくの新品で、いいのかしらという感じでした。
      これをバネにこれからも尚一層茶道の道に励みたいと
      思います。本当にありがとうございました。    
[性別]   女性
[年齢]   51
[都道府県] 山口
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[書名]   シカの童女
[著者名]  岡野薫子
[理由]   1970年代初めに和紙で作られた、限定1,000部
      の絵本。私の朗読の師匠が「またあれを読んでみたいが、
      もう手に入らないだろうねぇ…」と諦めていた一冊。そ
      れが、こちらのサイトで検索したところ一発で発見!も
      ちろん即購入しました。値は張りましたが、驚くほど状
      態が良く、師匠も私も大喜び。少々早めのクリスマスプ
      レゼントとなりました。     
[性別]   男性
[年齢]   30
[都道府県] 埼玉
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[書名]   古戦場 上杉軍記
[著者名]  歴史図書社編
[理由]   NHK大河ドラマ「天と地と」に影響を受け、姉妹本
      の「武田軍記」を昭和44年にリアルタイム購入して
      以来、あとがきにあった「上杉軍記」の存在は知って
      いたものの何度古本屋で探しても見つからなかったま
      さに自分にとっての「まぼろしの逸品」。探し求めて
      30数年目、世の中はインタ−ネットの時代となり、
      この日本の古本屋ネットの古書検索で見つけたときに
      は心臓がひっくり返るほど感激しました。しかも送ら
      れてきた本のきれいなことに二度感激。またぜひ利用
      したいと思います。ありがとうございました。
[性別]   男性
[年齢]   47
[都道府県] 新潟
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この他にもHPにてご紹介しております。
⇒ http://www.kosho.ne.jp/melma/qs/kekka200801.htm

━━━━━━━━【日本の古本屋即売展情報】━━━━━━━━━

1月〜3月の即売展情報
⇒ http://www.kosho.or.jp/servlet/sokubai.ksB001

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日本の古本屋バックナンバーは以下のURLからご覧いただけます。
見逃したメールマガジン
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2008年1月24日(木) 旧満州列車の旅
北京オリンピックの後、中国東北部、列車の旅を企画しています。

日大大学院の友人が、四平市で師範大学の先生をしており、

案内してもらえるからです。

四平市そのものは、景勝地でも、歴史的建造物のある場所ではありませんが、

穏やかないい街です。
 
 いまプランニングしているのは

某社の大連ー瀋陽ー長春ーハルビンという1週間の「列車の旅」の応用版とし、

大連ー瀋陽ー四平ー長春ーハルビン の旅程とすれば、いいと考えています。

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玉蟲 寒河江

旧満州列車の旅

最高な企画ですね!!

ぜひとも行ってみたいです!!

203高地は見れないでしょうか?

とにかく、興味津々です!!!

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大相撲

● 安美錦5勝7敗 寄り切り 朝青龍11勝1敗 ○
○ 白鵬11勝1敗 すくい投げ 琴欧洲7勝5敗

これは最高ですね。
朝青龍あっての大相撲です。
協会は反省せよ
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2008年1月23日(水) 歴史を紀行する
司馬遼太郎の「会津人の維新の傷あと」は素晴らしい紀行文である。

考えることがあって、読みなおしている。

理由は京都守護職である、

会津藩主松平容保が京都に上ったとき、京都はテロの恐怖におびえていた、

なぜテロが起こるのか、

容保は言論を押さえつけてはならない、発言の自由を

認めるべきだと、いつでも自ら浪士の意見も聞くと

表明した。

会津藩が本陣を置いた京都黒谷の金戒光明寺で、容保は浪士たちと面談した。

しかし、彼らは秩序をまったく守らない破壊主義者であり、

これは続かなかった。

司馬は過激派の浪士の背後には公家がいて糸を引いている。

公家を味方にしなければ、テロはなくならない。

どうすればいいか、

薩長は公家に金を渡しているといった。

薩摩、長州は公家対策は買収だった。会津は至誠だった、

誠意を持って当たればテロはなくなるといった。

それでは無理だ、もっとずるくなければ、政事はできないと

司馬は嘆いた。

人間は欲の生き物だった。

賄賂を配らないと、言う事をきかない。それが朝廷勢力の実態だった、

会津はあまりにも清らかだった、

金をばら撒かないと

政事は進まない。

幕末から日本はそ言う汚職社会だった。

司馬遼太郎はその事を嘆き、会津は清貧なるが故に

朝敵の汚名をかぶせられたといった。

要領が悪いと、突然、悪者にされれしまう。

世の中、油断も隙もないのである。

でも会津の清貧さは、大事である、

もっともっと大事にしなければならないと思う。

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朝青龍 琴欧洲を引き落とし

朝青龍10勝1敗

これは最高です、いいぞ朝青龍
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2008年1月22日(火) サイバー大学の波紋
 インターネット上のみで講義を行う「サイバー大学」(福岡市)が

学生の本人確認をしていなかった問題で、吉村作治学長は21日、

東京都内で記者会見し、現時点で在校生620人の3割に当たる180人の

本人確認が行われていないことを明らかにした。
 
吉村学長は、単位認定は3月の教授会の審議を基に行うため、

未確認の学生に単位は与えていないとしている。

 その上で「面接による確認を優先したため予想外に時間がかかった。

後手になったことは反省している」と述べた。

今後、携帯電話のカメラ機能などを使って2月末までに確認を徹底し、

応じない学生には退学を求めるという。 

1月21日18時30分配信 時事通信

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今日はこの問題を論じたい。

私も日本大学大学院のサイバー大学院、

総合社会情報研究科に2年間在籍し、修士号をいただいた。

日本大学の場合は、ゼミが多く、いつも東京で行い、

夜の懇親会がまたよかった。

リポート提出のほかにテレビカメラつきの授業もあり、

少数精鋭で、勉強した。

海外研修旅行も2回行い、

顔を合わせない感じの福岡のサインバー大学とは大違いだった。

社会人は東京の大学院に日日、通学はできない。

そこで創設されたのが、日大の場合

総合社会情報研究科だった。

先日、ゼミに新年会に顔を出した。

当然のことながら現役の院生も多数来ていたが、

一番若い人は帰国子女で、慶応大学を卒業して、昨年入学した方だった。

マスコミの仕事をしており、

今年の秋にはこの人が幹事になり中国東北部を視察することになった。

福岡のサイバー大学はどのような形か、よくは分からないが、

日大の大学院は、本体の規模が大きいだけに

なかなかのもので、至れり尽くせりだった。

日大大学院総合社会情報研究科は私お勧めの大学院である。

ここで勉強してよかったと思っている。

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私の大好きな朝青龍、ついに同率になりましたね、

優勝目指して頑張れ
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2008年1月21日(月) 広辞苑の誤り
<広辞苑>「在原行平」伝説の記述に誤り 業平と混同か

広辞苑の「芦屋」の項に「在原行平(ありわらのゆきひら)の伝説の舞台」

などと誤った記述のあることが分かった。岩波書店(東京都)は

「外部から指摘を受けて発覚した」と説明しており、修正を検討する。

 広辞苑は今月、10年ぶりに改訂され、第6版が出版された。

この中で「芦屋」を「兵庫県南東部の市」としたうえで、

「在原行平と松風・村雨の伝説などの舞台」とした。

 ところが、行平に愛された姉妹を描いた能「松風」の舞台は、

芦屋ではなく須磨(神戸市須磨区)。

芦屋にゆかりがあるとされる行平の弟・業平(なりひら)

と混同したとみられる。誤表記は1955年の初版から続いていたという。

1月20日21時57分配信 毎日新聞

誤りが皆無というのは奇跡、ひとつぐらいはあるものです。

しかし、なぜいままで分からなかったのか、

岩波書店は痛手ですね。

買い控えが起こる可能性ありです。

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白鵬が9連勝=朝青龍も1敗堅持−大相撲初場所9日目

大相撲盛り上がってます。
△top
2008年1月20日(日) 倒幕へのシフトはいつか。
今日午前中、神田を歩いてきた。

日曜日、古書店は休みである。

古書店組合の建物で2割引セールが行われおり、

1時間ほどのぞいてきた。

これといったものはなく、残念だった。

仕方がないので、三省堂にいき、地方出版物のコーナーに立ち寄り

薩摩に関する本をすこし、買い求めてきた。

ちょうど、原稿は名君斉彬が病死し、西郷が失望のあまり

僧月照戸身投げをする場面を書いていた。

西郷は助かり、奄美大島に身を隠す。

西郷の活躍はその後になるのだが、仕事場に戻って

メールを開くと、九州久留米の林洋海さんからの投稿がはいっていた。

星先生

西郷談義は白熱してきましたね。

西郷は東征大進発の際、

「請ふ看よ 300年の恨 往々殺鏖す 東海の兵」と呼んでいます。

島津が関ヶ原でまけた恨みを晴らす為、徳川を討つという意味ですので、

ここまでは王政復古といいながら、

前政体のように久光を次の将軍に戴く考えだったのではないでしょうか。

ところが、3月14日の江戸城無血開城会談で、討幕首脳の考えが変わり、

奥羽越諸藩討伐に代わる。慶喜の恭順が認められ、

会津も恭順が認められるかも、と思って安堵していた会津は

ここで抗戦を決意する。

3月16日に軍制改革を行った会津の対応の遅さは

このような事情があったのでは・・

3月18日には奥羽鎮撫総督が仙台に入り、戦争へ突き進みますが、

仙台の世良と長岡の

岩村との暴虐無人ぶりはシナリオをたどるように全く同じ遣り方です。

だから、このとき新政府の奥羽越鎮撫が大転換し、

また、近畿、東海、、関東と雪崩のような帰順を見て、

岩倉、大久保、西郷が、久光を将軍に推推戴せず、自ら国盗りに走るために、

奥羽越の武力討伐で、新しい権力者を諸藩に示そうとしたのではないでしょうか。



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なるほど、なるほどです。

西郷が仕えた島津斉彬は、決して倒幕論者ではなかった。

公武合体を目指していた。

幕府と天皇家の協調路線である。

この路線に沿って孝明天皇の妹君和宮が徳川家に嫁いだ。

とこるが将軍家茂が病死。

失敗に終わる。

その後慶喜が登場するのだが、西郷はどの時点から

倒幕にシフトするのか。

それが原稿の山場になるだろう。
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2008年1月19日(土) 今日は東京
日大大学院近藤ゼミの新年会、午後3時の電車で東京です。

午後1時からNHK郡山文化教室で、講座、今日は会津藩主松平容保

についてです。

3時の電車で東京に向かい、

市ヶ谷でゼミの新年会、

今日は東京とまり、明日早い電車で戻ります。

三修社でソフトカバーの歴史書を出すことになり、

手始めに私の「幕末史」が選ばれました。

昨日の電話でそのことを知りました。

この本は薩摩、長州、会津、幕末の三藩の抗争対立を書いた本です。

私は日本の近代化はこの三藩のエネルギーによって生まれたと考えて

います。

会津がいたから長州が燃えた。

会津は敗れたが、その悔しさをばねに明治を生きた、

いうなれば巨人・阪神の関係だったと考えています。

人生は勝者だけではありません。

必ず敗者もあります。しかし、それを別の機会に逆転させることもできる。

それが真剣に戦った者だけが、えられるのです。

そいうことを書いた本です。

新書風のソフトカバーになれば、買いやすくなります。

出版社も努力、アイデアの時代です。
△top
2008年1月18日(金) 偽りの明治維新、再版、出足好調
だいわ文庫の「偽りの明治維新」

発売一週間で再版3000部が決まりました。

初版1万5000部、累計で1万8000部、

これは上々の滑り出しです。

タイトル、表紙、内容、すべてよかったということでしょう。

内容は、資料をふんだんに盛り込んだということです。

裏ずけのある話、これが重要です。

これもすべて皆さんのご支援のおかげです、

心より感謝申しあげます。

関連投稿

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佐藤広和

星先生と福岡の林先生の西郷隆盛談議は、すごく興味深く、

また考えさせられました。

私は、幕末・維新史に名の挙がる人物の中で、

人物像として今一つ良く分からないでいるのが、

この西郷隆盛と土佐の板垣退助です。
 
 特に西郷隆盛の評価は、現在、大きく二分されているように思います。

己の目的を果たす為なら、平気で人を陥れ、

一度は利用した者でも見限ったりするのですが、島津斉彬やイギリスのロッシュ、

もしかしたら勝海舟?なども相手が大物になれば自分を良く見せる術を使う。

当時、こういった西郷の性格を一番良く分かっていたのは、

大村益次郎なのではないでしょうか…?
 
かと思えば、星先生の『偽りの明治維新』(即増刷、嬉しい限りです!!

)でも、少し触れておりますが、西郷の巧みな工作により、

江戸の薩摩藩邸焼き討ちに出た、山形の庄内の人たちが、

今まさに西郷を支持していたり、

勤王僧月照との入水自殺にしても一人生き残ってしまった西郷の苦悩が、

日本を維新へと導く源となった。〜などと様々です。

これを機に、西郷隆盛あらためて勉強させて頂こうと思います。

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クリントンは敗れるか

黒人票流出阻止へオバマ氏に謝罪=米大統領選・クリントン陣営

1月18日15時1分配信 時事通信


 【ラスベガス18日時事】過熱気味の米大統領選の最中、

人種問題でオバマ上院議員と泥仕合を演じたヒラリー・クリントン上院議員陣営

の大物支援者が17日、オバマ氏に書面で公式に謝罪した。

問題が尾を引けば、黒人票がさらにオバマ氏に流れるとの危機感から、

クリントン陣営は低姿勢を取り、改めて問題の幕引きを図っているようだ。
 

米メディアによると、謝罪の声明を出したのは黒人向けケーブルテレビ局の創設者で

大富豪のボブ・ジョンソン氏。クリントン氏が黒人の公民権運動指導者、

故キング牧師の功績を軽く見るかのような発言をしたとして、

オバマ氏側が問題にした際、クリントン氏応援の立場からオバマ氏に激しく反撃し、

今月半ばにも、未成年時代の同氏の麻薬服用を蒸し返す発言をしていた。
 
クリントン氏は人種問題をめぐる「休戦」でオバマ氏と合意したが、

民主党有権者の約半数を黒人が占めるサウスカロライナ州の同党予備選(26日)を

前に、重ねて謝罪するのが得策と判断したとみられる。

世論調査によれば、同州では黒人の多数がオバマ氏を支持している。

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朝青龍今日も勝ち。ほっ
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2008年1月17日(木) 秘密工作員西郷隆盛
彼は秘密工作員だった、

そこまで書いて、うんうんうなっていると、九州久留米の

林洋海さんからメールが入った。

ーーーーーーーーーーーーーー
勝海舟は伊賀者

星先生

西郷秘密工作員説について、お庭番、諜報謀略担当の西郷は

その性か肖像を残しませんでしたし、江戸無血会場の会談の相手、

勝海舟も伊賀者ですから、二人の話は良く合ったと思います。

会談の際、会津・庄内45万石では徳川400万石の十分の一ほどで、

討っても全国諸藩への影響は微々たるものです。

勝が江戸攻撃を避けるために、

西郷に奥羽諸藩をまとめて討つ事を勧めたというのが私の説ですが如何でしょう。

ーーーーーーーーーーーーーー
いや、ご明察です。

東北の戦争は薩長政府の財源獲得のためなのです。

会津の23万石はすべて没収、仙台、米沢、荘内、次々削減していくのです。

略奪ですよ。

勝は策略家ですからね、

さて西郷は島津斉彬の秘密工作員でした。指令はいろいろありました。

ひとつは水戸藩をつぶすことです。

幕府にたてついて井伊大老を攻め立てている。

これはいいとして、尊皇攘夷べったりが、問題だった。

幕府と朝廷が協力して国政を進める

いわゆる公武合体が斉彬の考えだった。しかし

井伊大老は幕府一本槍、水戸は朝廷一本槍、幕府軽視だった。

自己矛盾ですね、自分は御三家、

それなのに幕府打倒に血道をあげている。

二つともいらないのだ。

斉彬はそう考えたふしがある。相当の策略家である。

その後、水戸は暴走し、桜田門外の変を起こし、井伊直助は抹殺される。

これで幕末のガンはひとつ消えた。

次のガンは京都に集まる狂信的は尊皇攘夷派である。

これもつぶす。

その役を担わされたのは会津藩だった。

途中で会津藩は要らなくなり、朝敵に蹴落とした。

このシナリオを書いたのは誰か、

前半は斉彬で後半は西郷だった。

西郷の秘密工作、途中で幕府にかぎつけられ、西郷は入水自殺を起こし、

助けあげられる。

案外、これは八百長というか、

幕府の追及を逃れる工作員らしい奥の手ではなかったか。

薩摩藩は死亡と届ける。

西郷はこの後、奄美大島に隠れ、幕末政変まで身を隠す。

林さん、この入水、偽装ではないでしょうか。どうでしょうか。

船から飛び込んだ人が、浮き上がってきて助けられる。

これはどう見ても変です。

死ぬ気ならば浮き上がってきません。

幕末史、まだまだ分からないことが多い、

ーーーーーーーーーー
さて朝青龍はどうだろうか、勝て朝青龍!
△top
2008年1月16日(水) 山川記念シンポジウム「山川健次郎と東京大学」
下記の日程で行われます。

山川記念シンポジウム「山川健次郎と東京大学」プログラム

日 時:平成20年2月21日(木)13:30―
場 所:理学部1号館小柴ホール

次 第

1 開会の挨拶 山本正幸(理学系研究科長)
  (13:30-13:40)
2 挨拶    武内 和彦(総長特任補佐)
(13:40-13:50)
3 講演  佐藤愼一(前副学長・文学部長)「山川総長主導東大の大改革」
(13:50-14:20)
星 亮一(作家)「山川先生の紹介」
(14:20-15:00)
休 憩
(15:00-15:20)
4 挨拶      (武蔵高等学校、九州工業大学)
(15:20-15:30 15:30-15:40)
5 講演  山本 智(理学系研究科教授)
(15:40-16:20)
有馬朗人(元総長)「山川先生と東京大学物理学教室」
(16:20-17:00)


懇親会

日 時:平成20年2月21日(木)17:00―
場 所:小柴ホール・ホワイエ

ーーーーーーーーーーーーー

朝青龍、ひやひや

今日は勝利、明日も頼みます、
△top
2008年1月15日(火) 島津斉彬という人
いまこの人物を書いている。

名君である。世界を見ていたという点では、

この時代のトップレベルの人だった。

反射炉、造船所、紡績工場、銃砲製造所、何でも作った。

薩摩は密貿易で裏金があり、資金は潤沢だった。

突然、そういう人物が出てきたわけではない。

曽祖父の重豪の影響だった。

重豪は英邁で蘭学に大変な興味を示し、自ら長崎のオランダ商館に出向いたり、

オランダ船に搭乗したりしている。

藩校・造士館や演武館を設立し、教育の普及に努めた。

医療技術の養成にも尽力し、安永3年(1774年)に医学院を設立する。

そして、これらの設立した学問所に通えるのは武士階級だけにとどめず、

百姓町人などにも教育の機会を与えている。

老いてますます盛んな重豪は、曾孫の島津斉彬の才能を高く評価し、

斉彬と共にシーボルトと会見し、当時の西洋の情況を聞いたりしている。

ちなみに重豪は、ローマ字を書き、オランダ語を話すこともできたといわれている。

会見したシーボルトは、

「重豪公は80余歳と聞いていたが、どう見ても60歳前後にしか見えない。

開明的で聡明な君主だ」と述べている。

その蘭学へののめり込み様から、いわゆる「蘭癖」大名の代表とされる。

これはヤフーからの引用である。

斉彬はオランダかぶれの曽祖父の秘蔵っ子だった。

明日に続く

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朝青龍、今日は勝った。これで一安心。
△top
2008年1月14日(月) 朝青龍、今日は残念、明日頑張るべし
私は朝青龍が大好きである。

残念ながら今日二日目は負けてしまったが、

これは想定内のことである。

これだけ休んだのだから仕方がない。

これでまた批判が高まるだろうが、

明日が勝つでしょう。

未来志向で考えるべきです。

いつまでも礼儀作法がどうの、モンゴルに帰ったからどうのという

人がいるが、そんなことは問題外である。

豪快に勝つ、それでいいのではないか。

そういう意味で、明日は必ず勝ってほしい。

若い力士を殺しておいてナニが相撲道かといいたい。

朝青龍がいない相撲は、実につまらなかった。

朝青龍がいるから

相撲を見る、そういう人がいかに多いか、

初日の人気で、それは今回はっきりした。

横綱審議委員の内舘牧子さん

母校東北大の相撲部監督だから遠慮していたが、

朝青龍をいじめるのはよくない。今日負けたので、またがみがみ言うだろうが、

彼はモンゴルから来て苦労して大横綱になった英雄なのだ。

日本語も日本人と変わらないし、もうすっかり日本人なのだ。

もっとおおらかに見てほしい。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
今日は問題ありとして、初日はすごかった。

朝青龍復帰で満員札止め、懸賞119本も

1月13日21時28分配信 読売新聞

朝青龍の復帰で「満員御礼」の両国国技館、懸賞も多数に

 謹慎処分が解け、横綱朝青龍(27)が3場所ぶりに復帰した大相撲初場所。

13日、初日の両国国技館には、復帰戦の雄姿を一目見ようと

多くのファンが詰めかけた。

 この日は、約1万1000人収容の国技館が、札止めの満員御礼。

入場券は升席、いす席の指定席とも、前売りで完売。

「いす自由席」の当日券約350枚を求めて約500人が並んだが、

午前8時20分の売り出し開始とともに完売した。懸賞総数も119本を数え、

初日としては史上最多記録を更新した。

 朝青龍が土俵に上がると、客席からカメラのフラッシュが一斉にたかれた。

朝青龍は上手投げで琴奨菊を破り、「どうだ」と言わんばかりの仁王立ち。

勝ち名乗りを受けると、「横綱」「よくやった」といった声があちこちから飛び、

場内はしばらく大きな歓声と拍手に包まれた。

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これが相撲フアンの感情である。

とにかく、明日、頑張れ、

それしかない。

応援しています。
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2008年1月13日(日) 白河歴史のまちづくりフォーラム
日本大学桜友会の講演を終え、

帰ってきました。

東京も肌寒い朝でした。

パソコンを開くと、戊辰戦争研究会白河支部からメールが入っていました。、

「戊辰戦争140周年行事

『しらかわ戊辰祭』です。

〜歴史を核としたまちづくりに資する〜 ことを目的とした、

「白河歴史のまちづくりフォーラム」

で7月26(土)27(日)の二日間に白河で開かれます。

「戊辰戦争研究会白河支部」の有志が、主催するもので、

内容は、大きく3つに分けられます。

(1)演劇上演
演目 「明治の兄弟〜山川家の人々〜」

(2)講演会・パネルディスカッション
@講演会 
講師 星亮一氏 作家 
演題 「義に死すとも不義に生きず〜会津藩主松平容保の決断〜」

Aパネルディスカッション 

「戊辰戦争と白河・東北」

コーディネーター 
松平定知氏 元NHKアナウンサー

パネリスト星亮一氏 作家
森まゆみ氏 作家 
青山忠正氏 仏教大学総合研究所教授
間島勲氏会津史学会副会長
小野利廣氏 立教志塾
 
(3)戊辰戦争戦没者(殉難者)慰霊事業

白河の方々のエネルギー。

これはすごいです。
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2008年1月12日(土) 今日、日本大学賀詞交換会で講演
今日、午後3時から東京市ヶ谷の日本大学本部で、新年度の

賀詞交換会と桜友会の総会があり、

私はお招きをいただき記念講演を行います。

演題は

義に死すとも不義に生きず

白虎隊から東大総長へ
 山川健次郎の生涯

です。

日本大学は沿革のように明治22年、山田顕義(時の司法大臣)によって創立

されました。山田は長州藩士で、戊辰戦争にも参戦しました。

函館戦争では海軍の参謀でした。

日大の前身は日本法律学校、慶応や早稲田、中央、明治等と並ぶ私学の雄です。

私もここのサイバー大学院で、国際情報を勉強しました。

山田の家には会津藩主松平容保の3男英夫が養子に入っており、

会津と長州の怨念を少しでも和らげようと

何人かの人が中に入り、この縁組を決めたのでした。

英夫は陸軍士官学校出身の軍人で、日露戦争では

長州出身の乃木大将の副官でした。会津の人間を副官にするという

のは乃木大将の度量の深さを示すものでした。

山田家との養子縁組も

乃木大将が仲を取り持ったのではないかと思います。

乃木大将は会津藩に深い同情を寄せ、会津武士道に

共鳴しており、山川先生を東宮御学問所評議員に推薦されたのも

乃木大将でした。

会津と長州は依然、犬猿の仲ですが、

私としては、「和解すべし」という山川先生の意思をついで、

和解の道を模索したいと思っています。

そうしたことで、会津も日本大学と関係が深いことになります。

今日はそんなことも話しします。

私が学んだところは

総合社会情報研究科、今朝の朝日新聞に広告が出ていました。

地方の人にとっては、最適の大学院です。

日大のホームページでぜひ、ご覧ください。

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沿 革

明治22年
(1889) 10月 日本法律学校(現・法学部)創立
学祖は山田顕義(時の司法大臣)
明治23年
(1890) 6月 初代校長に金子堅太郎(後の司法大臣)就任
9月 東京・飯田橋の皇典講究所で開校式挙行
明治26年
(1893) 7月 第1回卒業式を挙行
12月 第2代校長(後に学長・総長)に松岡康毅(後の農商務大臣)就任
校友会を結成
明治28年
(1895) 7月 東京・神田三崎町に初の校舎落成
明治31年
(1898) 3月 卒業生に日本法律学士の称号授与が決まる
12月 財団法人組織となる
明治34年
(1901) 10月 高等師範科(現・文理学部)設置
明治36年
(1903) 8月 日本大学と改称
学長に松岡康毅就任
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参考

日本大学大学院 総合社会情報研究科の活動
   電子マガジン 30号

 2007年12月1日発行
 特集『オープン大学院 in 大阪』
 「オープン大学in大阪」に参加して
 4年目の学び
 2007オープン大学院in大阪
 オープン大学院、裏方日記

連 載
 東武練馬まるとし物語 第三部(7)
 新・どうでもいいことばかり(1)

学会・ゼミ報告
 第8回 日本言語聴覚学会に参加して
 第4回 日本国際情報学会大会報告
 在校生、修了生を訪ねる
  〜修了生・長谷川めぐみさんの職場訪問記〜
 近藤大博ゼミ秋季研修旅行記
  −鳥取県に“よう来んさった”−

論文・エッセー
 客観的認識と真理性
 自由・民主主義の思想と人間の尊厳
 鍼灸治療と養生法について(下)
 夢中説夢―私の中国報告 中国の大学事情(1)
 五度目の近藤ゼミトリップ
  −幹事役を感じさせない名幹事役=最高の幹事の気配り−
 甘い話
 2007年参院選における開票迅速化の試み
  東京都江東区にみる101分短縮のドラマ

紀 行
 修了記念旅行 3人旅
 NY旅行記
  ―ジャズナイトと、NYC美術館巡り―
 四度目のワシントンDC
  −親切の金の鎖に支えられ念願叶い
    ワシントン記念塔初登頂を実現−

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多彩に活動しています。
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2008年1月11日(金) ショック、草思社が民事再生法適用を申請
草思社が民事再生法適用を申請、負債額22億5千万円

と新聞各紙が伝えたのは、2,3日前です。

本が売れないという話は聞いていました。」

新書や文庫は売れるが、ハードカバーは厳しいというのです。

それが現実となって表れたのが、草思社の問題です。


かつて 日本語ブームの火付け役になった斎藤孝著

「声に出して読みたい日本語」(160万部)、

F・アルベローニ著「他人をほめる人、けなす人」(123万部)

などのベストセラーで知られる出版社の草思社出さえ、ダメだったのか。

ショックです。
 
負債額は約22億5千万円。

出版不況に伴う業績不振や有利子負債が経営を圧迫したというのです。

幸い数社の企業が支援に名乗りを上げており、営業は継続し、

3、4月に再スタートを目指すということですので、

頑張ってほしいと思います。

私が住む郡山市では昨今、駅前の書店が閉鎖しました。

売れているように見えたのですが、

売れるのは週刊誌、漫画、コミック、新書、文庫が主だったそうです。

皆さん、月に1冊は、ハードカバーの本を買い、

読書する習慣を取り戻しましょう。
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2008年1月10日(木) 偽りの明治維新 ,本日発売
偽りの明治維新
会津戊辰戦争の真実

著者 星 亮一・著
シリーズ だいわ文庫 新刊
ジャンル human(歴史、人物)
出版年月日 2008-01-10
ISBN 9784479301516
版型 文庫・ 272ページ
定価 本体 705円 + 税

ネット書店-- Amazon セブンアンドワイ ブックサービス 楽天ブックス

e-hon 全国書店ネットワーク 本屋タウン ビーケーワン

で発売。

勝者が作った歴史は正史ではない! 天皇を利用して戦争を仕掛けた薩長が官軍で、

尽忠報国の会津が賊軍となった歴史の交差を紐解く!

大和書房、ページ

生き方エッセイ ・メディカルエッセイ
こころの本
暮らしエッセイ
イラストエッセイ・紀行エッセイ
ビジネス・自己啓発
語学・就職
文芸・小説・サブカルチャー・詩歌・写真集
外国文学・ノンフィクション
ビジュアルブック・DVDブック
人文書
歴史図書・東アジアの古代文化
受験参考書

fitness(健康、医学、ダイエット、美容、料理)
mind(心理、宗教、哲学、精神医学)
brain(脳、サイエンス、精神世界)
life(人生、生き方)
wisdom(日本語、英語、雑学)
joy(音楽、映画、芸能、趣味)
success(ビジネス、仕事)
human(歴史、人物)
fiction(小説)

☆季刊☆ 東アジアの古代文化
すぐ役立つ料理書シリーズ
だいわ文庫
グリーティング・ブックス
受験面白参考書
古代文化叢書
新・大学受験完全攻略シリーズ
暗記学参シリーズ
齋藤孝の天才伝

〒112-0014 東京都文京区関口1-33-4
TEL:03-3203-4511
FAX : 03-3203-2626
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2008年1月9日(水) 野口英世の銅像
英世の立像 生誕地ゼロ

朝日新聞福島版に今朝、次の記事が掲載されました。

もっともな話です。

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 野口英世博士の「立像」を猪苗代に――。

千円札でおなじみの野口英世博士の生誕地・猪苗代町で、

町内に博士の全身像がないことを嘆き、募金を集めて建立しようという機運が

盛り上がっている。「立像」は東京・上野など国内3カ所にあるのに、

肝心のおひざ元では実現していなかった。

今年は政府の「野口英世アフリカ賞」がスタートする年でもあり、

秋までに1千万円を集めようと実行委員会が設立された。

 町内には役場前や中学校などに「胸像」はある。

だが、実行委事務局は「郷土の誇りとして、町民が見上げて力がわくような

全身像が欲しい」と話す。

実行委は町や区長会、野口英世記念館や商工会など28団体が参加して、

昨年11月に結成された。事務局を務める観光協会によると、立像建設は、

04年に千円札に肖像が採用された時など、これまでもたびたび話題に上った。

上野公園や大阪府箕面市、会津若松市にある立ち姿の全身像が

猪苗代にないことを残念がる声は多いが、資金面などから実現に至らなかった。

 小泉元首相が提唱した「野口英世アフリカ賞」では、

受賞者の同町訪問も計画されている。

そこで、これをきっかけに募金をスタートさせ、長年の課題に決着をつけることに。

「郷土の偉人の精神を町民が率先して顕彰し、世界に発信していく」としている。

 デザインや設置場所などは今月中に選定作業を行い、

9月までに1千万円を集めたい考えだ。同記念館前などに置かれた募金箱のほか、

口座振り込みも受け付ける。問い合わせは事務局(0242−62−2048)へ。

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これに強力しましょう。
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2008年1月8日(火) 幕末史研究会講演会
星も参加し、下記の日程で行われます。

2008年03月29日(土) 日程確定

星亮一・講演会 & 遠藤由紀子・発表会


主催   幕末史研究会  代表 坂本龍馬研究家・小美濃清明氏

時間   03月29日(土) 14:00 – 16:00

会場   JR中央線吉祥寺駅北口徒歩5分 武蔵野商工会館

遠藤由紀子「会津藩首席家老 梶原平馬と水野貞」 30分

星亮一「義に死すとも不義には生きず 〜会津藩主松平容保の決断〜」 90分

参加費用 \1,500-(予定)

入場定員 90名

幕末史研究会とは

東京都武蔵野市を中心に、1993年から活動を続けている歴史研究グループです。毎月1回、例会を開き、講師の先生をお招きして、お話をうかがったり、会員の研究発表の場を設けたりしています。講演ならびに発表の内容は、幕末を中心に、江戸中期から明治維新ころまでです。毎回参加費として1500円を徴収していますが、それ以外の入会金や会費はありません。どなたでもご参加いただけます。

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都内の方、ぜひお出かけください。


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2008年1月7日(月) 戊辰戦争140年in七ヶ宿
本日、私の仕事場で宮城県七ヶ宿教育委員会の高橋教育次長と協議し、奥州街道会議の

鐙さんらとも電話連絡を取り、表記のタイトルで、

5月24、25日、宮城県七ヶ宿町で開催することを決めました。

内容は今後、細部を決め発表します。

戊辰戦争において七ヶ宿は重要な位置を占めています。

戊辰戦争では仙台藩、米沢藩、会津藩の家老らが関本陣で会談を行い、

会津降伏の条件を決したが、その後新政府軍の参謀世良修蔵が暗殺されて

新政府と奥羽越諸藩の対立は決定的となり、

奥羽越列藩同盟が結成されて奥羽の地をを舞台に激しい戦が

繰り広げられることになる

七ヶ宿がある羽州街道は福島県桑折から宮城県七ヶ宿を経由して

金山峠を越えて山形県に入る。

江戸時代には出羽の十三諸侯が参勤交代に利用しており、重要な街道であった。

宮城県七ヶ宿は七つの宿場が羽州街道に並んでいる

ところから呼ばれるようになった。

羽州街道は桑折で奥州街道から分岐し、萬蔵稲荷がある小坂峠を越え、

宮城県白石市に入る。七ヶ宿のうちの上戸沢宿、下戸沢宿を抜け、

国道113号線に合流して西に向かい七ヶ宿町に入る。

峠田宿には今はスキー場がある。最後の湯原宿には米沢から移ったとされる

東光寺がある。東光寺は伊達政宗(伊達家9代目、儀山公)の位牌寺であるという。

なお伊達政宗の墓とされるものは高畠町の野手倉や資福寺にも残されている。

湯原には油饅頭なる名物もある。湯原宿の先に追分の碑があり、

ここで二井宿峠に向かう国道113号から分かれた

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以上、ヤフーから作成。
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2008年1月6日(日) 水と歴史の町 七ヶ宿 で戊辰戦争研究会
本日、宮城県七ヶ宿町より連絡があり、

5月24,25日に七ヶ宿町で戊辰戦争研究会野集会を開くことに決定しました。

主催、七ヶ宿町、奥州街道会議、戊辰戦争研究会

内容はこれかたつめますが、

戊辰戦争のとき、ここで会津藩と仙台藩の会談があり、奥羽越列藩同盟結成の

端緒となりました。

私も講演します。

ご期待ください。

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水と歴史の町 七ヶ宿 ヤフーから

 当七ヶ宿町は、宮城県の南西端に位置し、山形、福島の両県に境を接する

人口2100余の町である。藩政時代は出羽と陸奥を結ぶ交通路の

重要ポイントとして栄えました。「山中七ヶ宿街道」と呼び親しまれていた当時、

街道筋には上戸沢・下戸沢・渡瀬・関・滑津・峠田・湯原の7つの宿場が置かれ、

今の町名はここから来ています。時は流れ、時代は移り変わっても七ヶ宿には、

当時の面影を伝える史跡、建築が残っています。

 昭和48年以来、およそ19年の歳月をかけ平成3年に完成した七ヶ宿ダムは

仙台市など180万県民の水ガメであり、七ヶ宿は水源の町として

重要な役割を果たしています。
 
また七ヶ宿町は、町営スキー場とダム湖周辺施設の整備に伴い

観光を中心とした町づくりに取り組んでいます。七ヶ宿はこの他にも、

二階滝と呼ばれる滑津大滝や不忘れの眺めが湖面に映し出され美しい長老湖、

水芭蕉群生地など美しい四季折々の景観が楽しめます。

加えてわらじで歩こう七ヶ宿をはじめとした楽しいイベントも年間を通じて

開催されています。


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第4回「東北士心道」定例会のご案内
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【日   時】平成20年2月27日 (水曜日)         

ゲストスピーカー
作 家  星 亮一

演題

義に死すとも不義には生きず


 会場 仙台ホテル      

 講演開始 19:00 〜 20:20 

事務局

本間オフィス 代表
地球的即興音楽 サポートメンバー
東北士心道 世話人 
宮城県仙台市若林区大和町二丁目25-17-102
TEL 090-7322-8222 FAX022-395-5195
メールアドレス
 honma-office@docomo.ne.jp
heart.light@e-honma.info
ホームページ
本間オフィス http://www.e-honma.info
ishwishコンサートプロジェクト Dream Team 
  http://www.h-garden.com/ishwish.html
東北士心道  http://www.shishindou.jp/
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2008年1月5日(土) 少年ケニヤの世界再び 郡山で作者生誕100年企画
今朝の福島民報を見て驚いた。

少年ケニヤの世界再び 郡山で作者生誕100年企画

という見出しで、次のような記事が社会面トップで掲載されていた。

 「少年王者」や「少年ケニヤ」で知られる福島県郡山市出身の絵物語作家

故山川惣治の功績に再び光を当てようと、生誕100年の今年、

作品展開催や街おこしイベントが企画されている。

遠縁に当たる郡山市の会社役員岩崎大樹さん(31)らが

昨年12月に実行委員会を発足させた。作品は同世代だけでなく、

現在の若者世代の一部にも根強い人気がある。

インターネットを使って全国にいるファンに呼び掛け、展示する作品を集めている。

戦中、戦後の一時代に一世を風靡(ふうび)した絵物語が現代によみがえる。

 山川惣治は小松崎茂とともに絵物語の第一人者として少年雑誌界に君臨した。

代表作の「少年王者」は迫力のある骨太の絵と大自然を舞台に繰り広げられる

雄大な物語構成がマッチし、終戦時の欠乏の時代を生きる少年たちに勇気を与えた。

その後、「少年ケニヤ」「ノックアウトQ」など次々に作品を発表する。

ところが、手塚治虫を筆頭とする戦後マンガ世代の登場で、

絵物語は一斉に少年雑誌から姿を消した。
 
岩崎さんは子どものころから山川の親類の父方の曾祖母に生前の話を聞いていた。

親せきということで親しみを感じるところもあったが、

登場人物や動物の躍動感、夢のある物語構成にひかれていた。
 

一昨年、平成20年に山川が生誕100年を迎えることを知り、

ネットで検索したところ東京を中心に全国的に生誕100周年が

盛り上がりつつあった。20代の若者にも人気があることを知った。

地元で記念イベントを行えば、山川の魅力が再発見され、

郡山の文化資源の掘り起こしにつながるのでは、と昨年から準備を進めてきた。
 
山川の作品は勇気を持って困難に立ち向かう少年少女が主人公という設定が多い。

多くの少年少女たちに知ってもらうことで、夢を与えられるのではないかと考えた。

さらに市民だけでなく、いずれは観光協会や行政の協力を得て

漫画家水木しげるさんの出身地である鳥取県境港市の「鬼太郎に逢える街」

のように、作品の登場人物を使った街おこしを狙っている。
 
功績を知ってもらうため、第一弾として4月か5月に作品や関連商品を集めた

記念展示会を企画している。

 岩崎さんは「山川さんの描く登場人物は血がかよい、線が生きているようだ。

当時の子どもたちが熱狂する理由も分かる。このまま埋もれるのはもったいない。

郡山の街の活性化につなげたい。多くの人の協力をお願いしたい」と話している。
 
問い合わせ先は実行委員会 電話090(2977)3208、

ファクス024(983)1157へ。

実行委員会のブログはhttp://souji2008.seesaa.net/

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私も何か応援したいと思う。

皆さんもぜひご協力ください。
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2008年1月4日(金) パソコンが切れた
午前中、電気を使いすぎてバキンとブレイカーが落ちた。

すぐブレイカーをあげて、パソコンを機動させたが、全然、機動しない、

えらいことになったと驚いた。

何せ正月休み中である、修理も簡単にはいかない。

仕事場のスタッフがあれこれいじったが、どうにもならない、

今日はホームページ担当の女性は休みである。

「すべて設定をやり直さなければならない」

と彼女が言う。

作業をはじめようとしたが、パスワードがわからない、

「どこにあるのかしら」

などとパニックである。当事務所の危機管理能力が

ないことが露呈した。

「あらあら、どうしましょうか」

彼女はやたら滅多ら親戚知人に電話する。

電話したところで始まらない。

相手はチンプンカンプンである。

管理をお願いしている会社はまだ休みである。

NTTに問いあわせも、こちらもチンプンカンプンである。

もうどうにもならない。

気になって原稿もかけない。

「どうしようもないな。やめたヤメタ」

八重洲ブックセンターにでも行って

頭を冷やそうと思った。念のために

パソコンの電源を入れた。

「何だ、これは」

メールを受信しているではないか。白河で新年会だって、

「ナニ、、ナニ」

ちゃんとヤフーも出るではないか、

「これは何、どうなったのか」

「さあ、奇跡です、あちこち、いじったのがよかったのかしら」

と彼女が言う。

ともあれ一件落着である。

デモよかったなあ。

今後は節電に努めよう。

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今日はいささか手抜き

パソコン故障ですまそうかと思っていたところに、

良い投稿がありました。

麻生さんて、いいですね、

ぜひ、総理になってほしいな。

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歴史… 渋沢平九朗

あれもやりたい!これもやろう!!などと思っていた正月の連休。

あっ!という間に3が日は過ぎてしまいました。

歴史と歴史小説・時代小説と時代劇。

ここが史実で、ここフィクション?

なにが良くて、なにが悪いか?

本当の事を知りたい気持ちと好奇心

学び始めた幕末・戊辰・明治維新。

色々、考えみたものの…

「五稜郭」というドラマを見た。

史実云々別にして

彰義隊士が民家に逃げ込み、釜のめしを頬張り食う場面。

何も言わず、味噌をぬった家人の姿に、

わんわん泣いてしまった。

そんな、正月2・3日でした。

そんな中、思い出したことがありました。

2004年の大河ドラマ新選組に関して2004年3月30日の参議院・総務委員会で

松岡満壽男議員が

明らかに史実と違う内容で、幕府によって雇われた“テロリスト集団”を

NHKで放送するとのは如何なものなのか…と息巻いた。

それに、対して当時の麻生太郎国務大臣は

「少なくともあの時代は政権は徳川が持っていたんであって、

ゲリラの方が薩長ということになる。ただ、終わって、一八六八年、

ひっくり返りますんで、勝てば官軍ということになっただけのことであって、

あの当時は、テロリスト、じゃなくて、ゲリラはむしろこちら側、

こちら側って、私も薩摩側ですから、私の方が具合悪いということに多分、

歴史考証としては多分そうなるんだと思っております。」

(国会議事録 参議院 総務委員会 8号より)

国会ではこんなことも真面目に討論?しています。
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2008年1月3日(木) 良い天気です、晴れやかな一日です。
暖かい正月3日でした。

私はあいも変わらず原稿を書いています。

今日は新撰組のことです。

京都でテロが頻発する。京都町奉行は怖くて手が出せないという。

会津藩はいちいち犯罪捜査にかかっていては、守護職が務まらない。

そこで老中の板倉勝静が浪士隊の編成を考えたわけです。

それが新撰組です。

最初のうたい文句は上洛する将軍家茂の警備でした。これは名目で、

本音はテロリストの撲滅です。

近藤や土方、芹沢鴨は転向に同意したが、

清河八郎は、とんでもないと江戸に帰ってしまう。

「あのやろう」

と板倉は清河を始末してしまう。

この時代、全国の知識人、あるいは武道家の大半は攘夷だった。

外国はけしからぬ、討てというのだった。

どういう方法で討つかといえば、

異国の軍艦の酒を持ち込み、ぐでんぐでんに酔わせて

その隙に切り込む。

薪に火をつけて軍艦を取り巻き、燃やしてしまう。

たわいのない話に血道をあげていました。

清河八郎は相当の知識人でした。日記を見ても大変なものだった。

しかし、どこかたわいがない。

科学技術、世界への理解、そうしたことが皆無だった。

鎖国政策のなせる業だが、尊皇攘夷は熱病のように全国に蔓延していた。

そこからどう脱却していくのか、

幕末はそういう時代でした。

その点、長州の吉田松陰はすごかった。

密航してアメリカを見ようというのである。

外国渡航は禁止である。たちまち捕まってしまう。

大混乱の日日でした。

続きは明日です。
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2008年1月2日(水) 箱根駅伝と戊辰戦争
正月恒例の箱根駅伝、毎年これが楽しみです。

私は日大の同窓でもあるので、日大を応援することになるのですが、

スタートで大きくつまずき、びりから2番目というひどい有様でした。

「ああ、ダメだ」

とテレビ見物はやめて仕事場に向かいました。

2番手の外国人選手が大活躍、上位に上がってきたようです。

結果はどうなるのか、

時折、パソコンで見ている午前中の状況です。

その間、戊辰戦争研究会の掲示板に下記のことを書きました。

「それぞれの戊辰戦争」です。

私は小説はあまり読まないのですが、薩摩を考える上で、

海音寺潮五郎の存在は欠かせない思い、「寺田屋事件」とか「西郷隆盛」

「さむらいの本懐」などを、拾い読みしました。

これがなかなか、というか非常に優れているのです。

薩摩人だから薩摩一辺倒と思いきや、

島津久光のことを独裁者、陰険陰湿の男を非難しています。

勝海舟のことはひどくほめています。

司馬遼太郎よりもはっきりものをいっています。

ただし歴史と小説は基本的に異なります。

歴史は資料を大事にし、それをベースに論じるわけですが、小説は感性です。

その感性からヒントを得ることもあり、

表裏一体の部分がなきにしもあらずです。

今年は、小説の感性を少し導入して

歴史を考えたいと思っています。

ひとつ例をあげれば、内部粛清です。薩摩の寺田屋事件、陰湿な内部粛清ですが、

新選組も多くの粛清を行っています。

芹沢鴨はじめ多くの隊士が抹殺されました。

二つの事件に何か共通した関連性はないのか。どこがどう違うのか。

かたや倒幕、かたや佐幕、目的は違うが、どこか似ている。それは何なのか、

結局は、どちらも狂気であり、とどのつまりは同じ次元ではないのか、

そんなことをごちゃ、ごちゃ、考えています。

明治維新は革命です。

狂気が強い方が勝ったわけで、

会津や仙台は、この狂気が足りなかった

そんな印象も受けます。

それらを取り混ぜて

会津藩vs薩摩藩

を書いているわけです。

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箱根駅伝、日大6位、往路善戦


1 早大 5時間33分8秒
2 駒大 5時間34分22秒
3 山梨学院大 5時間35分07秒
4 関東学連選抜 5時間36分25秒
5 中央学院大 5時間37分16秒
6 日大 5時間37分47秒
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2008年1月1日(火) あけましておめでとうございます。
今年は歴史を通して日本を考える、日本人を考える、

これがテーマです。

現代の日本はどか幕末に似ているという人がかなりいます。

自民党政権が国民の支持を失い、

参議院では民主党が逆転しています。

次期衆院選で、自民党は敗れるのか。

平成維新がなるのかどうか。第二の明治維新です。

私はそう簡単に民主党政権が誕生するとは思ってはいませんが、

政界再編があるのではないかと思います。

戊辰戦争140年、何か不気味な胎動を感じます。

いま私は薩摩藩のことを書いています。

幕末維新の薩摩のエネルギーは何か、東北に比べどこがどう違うのか、

それを考えながら書いています。

私の時代設定は、文久から明治の初め、

会津藩は京都守護職として上洛し、そして戦争に敗れ、

青森県に流罪になったた時代です。

会津藩士は京都で何を見たのか。

それは薩摩、長州の過激な倒幕運動でした。

なぜ倒幕だったのか。

会津の人々はそれをどう感じたのか。

なぜお互いは融和せず、戦争になったのか。

そこには日本列島の異質な文明が背景にあったのではないか。

そんなことも感じます。

薩摩を書いていて痛烈に実感するのは、激しさです。

薩摩を率いた島津久光、数百の軍勢を率いて江戸にのぼり、

生麦で異人を斬り,寺田屋事件では、

凄惨な同士討ちを命ずる。

かたや会津の松平容保は、当初、話し合いの路線を敷いた。

京都黒谷の金戒光明寺においた本陣を開放し、

自ら尊王攘夷派の浪士の言い分を聞いた。

とても手におえるものではない。

その手法の違いも含めて、日本人の中にある異質

それをもう一度、見つめなおし、そこから

日本の近代とは何かにチャレンジしたい。

そう思っています。

どちらがいいとか、悪いとかそういう問題ではなく、

異質を共有する社会

がなぜつくれなかったのか。

具体的には、原稿執筆のほかに私が

主宰します戊辰戦争研究会の場を通じて、

より具体的に考えて行きたいと思っています、

そのために、長崎、薩摩、山口、あるいは秋田、青森、全国を歩いて

考え続けたいのです。

原点の会津集会は2月9日です。

同志よきたれです。
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