星亮一 今日の一言

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2008年7月31日(木) 白河戊辰祭に白河市長からメール
戊辰戦争研究会が、参加させていただき、私が基調講演を行い、

討論会の司会を務めた白河戊辰祭に関して

白河市長から下記のメールを頂きました。

果たして市民の方々の評価はどうだったのか、

心配しておりました。

白河市長からお褒めの言葉を頂き、安堵しております。

ーーーーーーーーーー
 「白河戊辰祭」での演劇、講演、パネルディスカッションは、

どれも充実した内容であらためて戊辰戦争の意義を

考える良い機会となりました。

企画立案から開催に至るまで大変なご苦労があったことと思います。

しらかわ歴史のまちづくりフォーラムの皆様並びにスタッフの方々にあらためて

感謝申し上げます。
 
今回メールを頂いて戊辰戦争研究会のホームページを初めて拝見いたしました。

全国各地に会員の方々がおられ、今回の催しにも全国各地から

お出でいただいていたことに驚いております。
 
白河市長に就任して1年を経過し、本市には歴史的・文化的な遺産が数多く

あることを再認識しております。

一方で、白河の関や南湖公園、小峰城の存在は当然知っていますが、

戊辰の役にまつわる東軍・西軍の兵士のお墓があること、

またそれらを毎年供養している市民団体があることを知っている市民は意外に

少ないのが現実です。
これらの価値ある遺跡を保存し、広く後世に伝えていくことが私たちの責務であります。
 
行政として市民との協働によりソフト・ハード両面にわたっていろいろな

文化行政に係る施策を展開していきたいと考えておりますので、

戊辰戦争研究会の皆様のまたのご来白と、ご支援ご協力をお願いいたします。

 平成20年7月31日

 白河市長 鈴 木 和 夫
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2008年7月30日(水) 野口英世と会津武士道 1
野口英世と会津武士道   星亮一

季刊東北16号、2008年夏号に執筆したものです。3回に分けて掲載します。

ーーーーーーーーーーーーー

小泉元総理の肝いりで野口英世アフリカ賞が設けられ、このほど二人が受賞した。

賞金は一人一億円、英世にふさわしいビッグな賞である。 

野口英世は、磐梯山麓の貧農の小倅から世界的な医聖になった日本を代表する

偉人である。

アメリカ時代、英世は「おれは会津のサムライだ。白虎隊の末裔だ」と自慢していた。

「サムライとはすごい」とアメリカの人々は大袈裟なゼスチャーで

英世に敬意を表したが、

日本では「それはちがうんじゃない」という声があった。

英世の表現はときとして大袈裟な部分もあった。

 これもその一つと受け取られた。

 藩政時代、猪苗代も会津藩の領地であった。

 会津は天下の雄藩である。

それは藩主松平容保が京都守護職として、京都に君臨し、

薩摩、長州と並んで覇を競いあったからだった。

 京都にのぼったのは文久二年(一八六二)である。

 この年の暮れに藩兵千人を率いて上洛し、京都黒谷の金戒光明寺に本陣を置き、

御所の守衛に当たった。

 なぜ会津藩主が京都に出かけたのか。

この頃、日本各地で尊王摸夷運動が起こり、幕府は未曾有の危機にあった。

諸外国の軍艦が日本近海に現れ、開国を要求した。

軍艦、大砲という圧倒的な軍事力の前に、幕府は開国に傾いた。

 しかし京都の朝廷勢力と薩摩、長州などの下級士族は開国に反対し、

日本は騒乱状態に陥った。

 過激派集団は幕府派の人々を毎日のように暗殺し、鴨川の土手に首を晒した。

京都は末世の様相を呈した。

 

 
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2008年7月29日(火) 今日はMBA21です。
経済問題の講演会です。

講師は大東銀行社長の野瀬社長、福島経済の勉強です。
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2008年7月28日(月) 今日から通常業務です
三、四日ブランクがあり、頭の整理が大事です。

昨日の白河でのシンポジューム、内容もよかった

自画自賛ではないが、座談会のレベルが非常に高かった。

松平さんは幕臣の家系、森さんは彰義隊の著者、青山さんは

薩摩、長州に詳しい研究者、そこに会津の間島さん、白河の小野さん

だったので、司会はきわめて楽で、スムーズな流れを作ることができた。

白河の植村総合プロデューサーの企画立案がしっかりしていた。

これが最大のポイントだと思う。

さて、11月には宮城県白石で

同じタイトルのシンポジュームがある。

これは激しい討論になりそうだ。

乞うご期待である。
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2008年7月26日(土) これから白河です。
朝の電車で八戸から戻ってきました、
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2008年7月25日(金) 今日は八戸です
今回、もっとも被害の大きいところです。

書店に聞いたら本が全部、落ちたそうです。

6時から斗南藩の講座、

その後、会津から青森県に移住した方々の末裔の方との

懇親会があります。

何か収穫があると思います。

今日も暑いです。

皆さん、ご自愛ください。
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2008年7月24日(木) 今日の弘前は中止
地震で新幹線は仙台以北不通のため、見送りました。

地震が多発していますね。

心配です。
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2008年7月23日(水) どうなさったのですか
今朝、東京の出版社の女性編集者から、問い詰められてしまいました。

このところ、私はいささか後ろ向きの一言を書き続けて来ました。

体調がよくない。今日は休載、あとは新聞からの引用でした。

「楽しみに読ませていただいておりますのに、一体、どうなさったのですか」

何時もニコニコして可愛い感じの編集者だったのですが、

今日ばかりは厳しい口調でした。

「それは申し訳なかった、今日はしっかり書きます」

私はまじめに答え、早速パソコンに向かったのです。

以下、午後から

続きを書こうと思ってメールをひらいたら

下記のメールがはいっていました。

ーーーーーーーーーーーーーーー

思わず声をあげて笑ってしまいました。

体調を崩し気味のようだったので、

「星先生大丈夫かしら?」と勝手に心配しておりました。

ですので、先ほどはお電話でお話できて嬉しかったです。

東京は10日連続真夏日で、早くもダウン気味です。。。

先生も夏バテなどなさらずにご自愛くださいませ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

なるほど、声を上げて笑うというのはいいですね、

実は明日から3連ちゃんの旅が始まります。

明日は朝7時の電車で盛岡に向かい、バスに乗り換えて弘前です。

津軽三味線を聴いて、弘前に泊まり、翌日は八戸です。

夕方からNHK 八戸文化教室で講義、終って会津から青森県に移住した

人々との懇親会があります。これは収穫大だと思います。

この日は八戸泊、いったん、郡山に戻り、白河です。

白河戊辰祭前夜祭があり、お寺で懇親会があり、夜は白河泊、

翌日、午後2時から講演会の講師、そしてシンポジュームの司会です。

ううん、ちょっとハードかな、

こうなったら何とか乗り切るしかありません。

ちなみに声を上げて笑った編集者、早稲田1文卒、今春入社したばかりの

新人です。

3年も過ぎたら、それ相当の編集者になるのでしょうね、

今日はしっかり書くといいましたが、

日程の説明になってしまいました、

そんなわけで24,25日は休載になります。



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2008年7月22日(火) <中国・バス爆発>指導部に衝撃 五輪直前に深まる不安
chuugoku 中国は大変ですね。

7月22日2時31分配信 毎日新聞

は次のように報じています。

【北京・浦松丈二】中国雲南省の省都、昆明市で

21日起きた連続バス爆破事件はテロとの見方が強まり、

北京五輪(8月8日開幕)の治安対策を20日から全国で本格始動させたばかりの

胡錦濤指導部は衝撃を受けている。

中国各地では住民による暴動も相次いでいる。

広大な中国で地方を狙ったテロや暴動を未然に封じ込めるのは難しく

、指導部は不安要因を抱えたまま、五輪本番を迎えることになりそうだ。

 中国当局は北京五輪警備に、01年の米同時多発テロ以降初の五輪となった

アテネ大会(04年)よりも大幅に多い約11万人の治安要員を投入し、

核・生物・化学兵器(NBC兵器)によるテロ攻撃を想定した

専門部隊を配置するなど万全の警備をアピールしてきた。

 しかし、中国の治安対策は伝統的に首都・北京での要人警備や反政府組織の

摘発が優先される傾向があり、

近年のテロが標的にする公共交通機関などソフトターゲットへの

警備対応が遅れているとの指摘もあった。

 さらに、北京五輪を前に中国各地で住民暴動が相次ぎ、社会不安が深まってきた。

暴動や当局との衝突が頻発する背景には地元当局の職権乱用や腐敗、

都市・農村間の格差拡大などが存在しており、

中国政府関係者は「中央が五輪を前に安定維持を地方に命じたため、

騒ぎを恐れる地方政府から譲歩を引き出そうとする住民の抗議が逆に増加している」

との見方を示した。

 一方、中国政府は早くから北京五輪の「安全上の脅威」(孟宏偉・公安次官)

として新疆ウイグル自治区の分離・独立を目指す組織

「東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)」を警戒してきた。

過去にもウイグル族過激派のバス爆破事件が起きており、

捜査当局はETIMと今回の事件との関連に注目している模様だ。

 ーーーーーーーーーーーーーーー

大国中国の悩みは深い。
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2008年7月21日(月) 消えゆく「日本」の痕跡…記者が見た北方領土の今
7月20日19時29分配信 産経新聞

 北方四島のビザなし交流団が訪れた国後、択捉両島は、規模は違うが、

日本の高度経済成長期を思わせる。舗装されていない道路を行き交うダンプと、

それに伴って舞い上がる砂ぼこり。至る所で重機がうなりを上げ、

道路脇には資材が積み重ねられていた。

  ■フォト■ビザなし訪問団ルポ

 道路、地熱発電所、国際空港、港湾、病院、学校、幼稚園−。

これらはみな、2007年からの8カ年で810億円相当を投入する

ロシア政府の「クリール諸島社会経済発展計画」によるものだ。

北方四島のロシア人は、オイルマネーを背景にした大規模な発展計画を後ろ盾にして

自信に満ちあふれ、ますます「北方領土はロシアの領土だ」

と主張することに迷いがない。

 国後島の行政府幹部は、ビザなし交流訪問団に参加した自民党の

石崎岳衆院議員に向かい、「領土問題は存在しない」、

「領土問題を指摘する日本は第三次世界大戦でも始める気か」と言ったという。

彼らにとっては、日本の北方領土返還運動は「侵略」だという認識なのだ。

本末転倒である。石崎氏は「現地のロシア人は領土問題にかたくなで、

考えが変わらない感じだった」と振り返る。

 これは決して偶然の産物ではない。

 北方四島ではソ連時代から一定期間の在住者に賃金や年金をかさ上げする

優遇政策がとられてきた。出稼ぎ感覚で島に移住し、

そして蓄えができれば、島を離れる。住民1人1人が特別手当を受ける

「国境警備隊の一員」といっても過言ではない。

実際、択捉島で出会った住民の中には、

「早く本土の故郷に戻りたい」と漏らす初老の女性もいた。

 ところが、オイルマネーによる好況は、こうした「本土志向」も変えつつある。

詳細な統計は明らかではないが、北方四島が生まれ故郷という2世、

3世のロシア人が着実に増えているという。

訪問団に加わった村井友秀防衛大教授は

「彼らにとっては北方領土は奪ったものではなく、

生まれ故郷という感覚だ。そういう人たちは1世のロシア人よりも、

北方領土を返還することに強く抵抗する」と指摘する。

 これは何を意味するのか。村井氏が続けた。

-----------------------------

北方4島の返還は絶望的な光景である。

日本は何をやっているのだろうか。


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2008年7月20日(日) 今日は日曜日
早めに帰ります。

明日、投稿します。
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2008年7月19日(土) 今日から郡山自由大学7月講座
団塊の世代以上を対象にした教養講座、郡山自由大学を開設して3年目に入ります。

郡山市のうすいデパートを会場に、今月は今日から連続5日間の講座です。

「もっと気軽に学べる場所がほしい」という意見が多くあるのを知り、

うすいデパートや、八重洲ブックセンター郡山店の協力をいただいて

開設したもので、今月は下記の内容となっています。

■7月教養講座のご案内■
7/19(土) 月井 貴美代 先生
        (社会福祉士)
『もっと知りたい介護保険制度』
高齢者福祉の現状と問題点
7/20(日)私、 星 亮一
        (作家)
『アンガウル・ペリリュー戦記』
玉砕とは何だったのか

7/21(月) 長岡 親司 先生
        (郡山落語愛好会世話人)
『落語の世界から見た江戸しぐさ』
面白おかしく歴史を解説します

7/22(火) 七海 晧奘 先生
        (郡山文化協会理事)


7/23(水) 金子 博 先生
        (ホテルサンルート白河代表取締役)
『人生はグー・チョキ・パー』
自分自身に出会ったことがありますか
受 講 料 : ¥5,000/全講座 ¥1,200/1講座 (受講料は当日お支払い願います)
講演時間 : 14:00から
会  場 : うすい百貨店10階バンケットルーム

『安積山の歌と木簡』
郡山の歴史が大きく変わる
は人気のメニューです。

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2008年7月18日(金) 書評、星亮一著「偽りの日米開戦」
自宅から、そう遠くない所に「犬養木堂記念館」がある。

しゃれた建物で見学者も多い。私もよく訪れる。

ここで、犬養の肉声を聞くことができる。

張りのあるしっかりした声で、国内外の政治情勢について論じている。

いつも聞き惚れてしまうのは、今の日本に、そのまま当てはまるからだ。

犬養は政治の普遍性を説いている。

そして、展示品である彼愛用の小さなチョッキが

「力で相手を葬り去ってはいけない」と強く訴えている。

何故、この清廉潔白な政治家は殺害されなければならなかったのか。

西南の役で西郷が敗れ去り、軍服姿の天皇が彼と挿げ替えられる。

「他人の国を乗っ取るというのは、明治維新の薩長と同じ」、

正しく、薩長が作り上げた負け知らずの軍事国家が、時の首相を暗殺し、

敗戦というラスト・ステップで国民を奈落の果てに落とし込めた。

これこそ、戊辰戦争の会津への過酷な仕打ちから始まる薩長が作り上げた

国の末路であろう。肌理細やかに戊辰戦争から解説している

本書には頭が下がった。

戦争の悲惨さを置き去りにして、ノモンハンの教訓を生かしきれず、

対米戦争で次々と失策してしまう。国民の運命をたった十数名の密室で決

めていた、その横暴は、避ければ避けられた戊辰戦争を発端とするのだと

つくづく思う。

独裁者は必ず残忍な裏の面を持つ、東条英機も毛沢東も、その人間性を

暴いて、ページをくる毎に発見や驚きがもれた。第二次大戦の真実の探求、

そして、けじめのない日本、熱し易く冷め易い日本、様々なことを

考えさせてくれた。力作だと思う。

                 橋本左内
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2008年7月17日(木) 休載しました
少々、疲れ気味です。
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2008年7月16日(水) 今日は佐野です
NHK の旅で栃木県佐野に行きます。

田中正蔵の自宅や郷土資料博物館などを見学、関東三大厄大師に参拝します。
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2008年7月15日(火) 「会津藩VS薩摩藩」感想文
星亮一作『会津藩vs薩摩藩』ベスト新書

雪深い会津と太陽の国・薩摩。

蛤御門の変では同じ立場に立ちながら、三年後の戊辰戦争では何故、

薩摩は会津を攻めたのか。

薩摩と長州は、海による結びつきがあった。海と共に、結びつける

坂本龍馬という人もいた。実直そのものの教えが日常にあった会津

だからこそ、坂本龍馬のような人物は入り込めなかったのだろう。

それが不幸ともいえる。会津は孤立していた、そう思う。

幕末の主要人物は、自分の写真を多く残している。その中で、唯一、

写真が残っていないのは、暗殺を恐れた西郷だけだ。この事実

ひとつ取っても、西郷のしたたかさがよく分かる。駆け引きが

日常茶飯事のようにあった薩摩、長州のように多くの逸材を散らす

ことなく、輝ける明治維新を掴み取る。その影で、追いやられていく

会津の哀愁を、強気の長州の背後にいて薩摩は気掛かりだったと思う。

その薩摩の思いが本書を通じて伝わってくる、そして、その流れを、

主要人物の紹介も交えて、的確に解き明かしてくれている。

西南の役で西郷を攻めることになる、歴史の輪廻。

顔の見えない西郷は、得体の知れない怪物にも思えて、会津の

誠実さが胸に迫った。

装丁からして物語っているようで、ドラマティックだ。

思わず松平容保を連想してしまうような上品ではかなげな紫、

帯の赤は、さながら西郷の情熱か。

あとがきには、「歴史とは、相手を知ることでもある」とある。

その歴史を本書で学べた。

高橋美智子
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2008年7月14日(月) 戊辰戦争研究会
戊辰戦争を多角的に分析、考察するために広く会員を募集します。

官軍、賊軍、会津、薩摩、長州、そういうこだわりは一切ありません、


今月27日、
松平アナウンサーと星がNHK番組出演以来の再共演!!
白河戊辰祭 「戊辰戦争の真実とその心を探る」

●平成20年7月27日(日)
   講演会「義に死すとも不義に生きず」
   講師 星亮一
  開場13:00
  講演13:30〜14:40
   
   パネルディスカッション「戊辰戦争と白河・東北」
   パネリスト 松平定知氏(元NHKアナウンサー)
  講演14:50〜16:40
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2008年7月13日(日) 今日は日曜日
休載です。

新人物往来社から依頼された

二本松少年隊のすべて

の執筆で、朝から追われています。
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2008年7月12日(土)  今日は暑い
空には入道雲がわいて、夏の雰囲気です。

生ビールでもがガアーッと飲みたい心境です。

少し体調が戻ったのかな。昨日までは体調不良でした。

一日、ガンガン寝ると違いますね。

週2回の指圧も効果あるかも知れません。

いま書いている会津の原稿、今月中に終らせ、黒船来航に行きたいですね。

今日の夕飯はそーめん、いまの季節にはぴったりです。

ーーーーーーーーーーーーー
書評

会津藩VS薩摩藩

今日帰ると、Amazonから待望の『会津藩VS薩摩藩』

と『偽りの日米開戦』が届いていた。

ここ数年で、薩摩藩に対する私の認識も
星先生のお書きになられた書籍により、20年前とは比べ物にならないほど

柔軟な物腰で捉える様になった。
「今回は、西郷か…」
今年の初めからなんとなく感じていたものの、ページを捲るまでは不安である。

序盤の舞台は、長岡だった。
継之助の行動に関する記述に、多くの方が驚くに違いない。
そして、会津落城と桐野と西郷。
この辺は研究会の方々は、星先生や遠藤先生の書籍などにより
充分に知り得ているところだと思う。

そして、京都時代の会津と
薩長土の関わりを丁寧になぞりながら
話題の大河「篤姫」よろしく、西郷を追って行く。

最後まで読み進めて、果たして西郷隆盛とは??
やはり掴み所ない男だけに、好き嫌いのはっきり分かれるところではないだろうか?
欲を言わせて頂けば、明治政府時代の薩長土と会津のページがもっと欲しいところでした。

さて、次は「会津藩VS土佐藩」
それとも「偽りの明治政府」期待は膨らむばかりである。


渋沢平九朗
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2008年7月11日(金) 白河戊辰祭、もう満員です
申し込みが400人を突破し、満員フダドメとなりました。

NHKの松平さんの参加が決まってからどんどん、希望者が増え、

もうどうにもならない状況です。

まことに恐縮ですが、之で入場の申し込みを締め切らせていただきます。

残念無念です。

しかしやむを得ません。

見込み違いをお詫び申し上げます。

松平アナウンサーと星がNHK番組出演以来の再共演!!

白河戊辰祭 「戊辰戦争の真実とその心を探る」



●平成20年7月26日(土)
   演劇「明治の兄弟 〜山川家の人々〜」
    ※ふくしまの歴史と文化の再発見演劇祭入選作品
    上演/ぴーひゃらら
    脚本/石村えり子 演出/菅野謙志
    開場13:00
    上演13:30〜15:10
    
    大人1,000円(当日1,200円)
    中高生500円(当日700円)
          
●平成20年7月27日(日)
   講演会「義に死すとも不義に生きず」
   講師 星亮一
  開場13:00
  講演13:30〜14:40
   
   パネルディスカッション「戊辰戦争と白河・東北」
   パネリスト 松平定知氏(元NHKアナウンサー)
  講演14:50〜16:40
 
 7月27日分のチケットは
 完売いたしました。

●出演者
   森まゆみ氏(作家)
   青山忠正氏(佛教大学文学部教授)
   間島勲氏(会津史学会副会長)
   小野利廣氏(立教私塾評議員)

●会場
  白河市文化センター

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2008年7月9日(水) 今日は休載です
時には休むことも大事です。
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2008年7月8日(火) 平泉落選
私は正直のところ、落選を予測していました。

理由は、見るべきところが少なすぎる、ということです。

中尊寺の金色堂は確かにすごいが、ほかに何があるのかといえば、

これといったものはない。

私のように歴史における戦争を追いかけているものにとって、

平泉攻めの際の、あの惨敗ぶりは、大いに失望させるものでした。

極楽浄土思想は立派だが、

あのように一方的に敗れるようでは、極楽浄土思想も疑わしいと

思わざるを得ないのです。

もっと時間をかけて平泉を検証すべきです。

さらに苦言を呈すれば、費用をまったくかけていないということです。

毛越寺の復元、など大胆な設計に着手すべきだということです。

柳の御所といったところで、

何もないわけで、一度見たら失望するだけです。

理屈ではなくて

目で見るものがなければ、世界の人を納得させることはできないないでしょう。

総合プロデューサーの導入が必要です。
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2008年7月7日(月) 今日は指圧
肩、首、腰が動かなくなった。

本当が土曜日、指圧の予定だったが、サボってしまった。

そのたたりで、本日、ついにダウンしてしまった。

1時間ほどかけて、指圧してもらった。

おかげでだいぶ、よくなった。

水曜日、忘れずに行こう。
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2008年7月6日(日) 今日は日曜日
楽天勝利したので、焼酎水割で乾杯、

原稿は何とかノルマ達成、日曜日なのでそれでよし、

現在60枚,後360枚、まだまだである、1合目を上り、2合目に差し掛かったところ

前途多難である。

新人物の

二本松少年隊のすべて、

締め切りが10日である。

ライターの一人に電話したら

「もう書きました、送るところです」

弾んだ声である、

余計な電話をしてしまった。
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2008年7月5日(土) 会津藩vs 薩摩藩
本が出来上がり、送られてきました、

なかなかいい表紙です。

おそらく一週間後には店頭に並ぶと思います。

「偽りの日米開戦」

も送られてきました。

これで今年、6冊です。目標は8冊だったので、クリアーして、

10冊まで伸びるかも知れません。

問題は数ではありません、中身です。

後半は中身で勝負します。
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2008年7月4日(金) 「京都守護職日誌
新人物往来社の大出さんから

幕末の権力抗争を描く 「京都守護職日誌」のご案内をいただいた。

 幕末京都の動乱と権力抗争を克明に描き出す『京都守護職日誌』

の刊行である。

全5巻。菊地明編。会津藩主・松平容保が守護職に就いた

1862(文久2)〜1867(慶応3)年に、

京都で頻発した新選組と攘夷(じょうい)派浪士たちの剣闘や暗殺などの事件、

謀略、幕政などを、様々な史料をもとに「日誌」の形でまとめ解説をつけた。

第1巻は1862年から63年まで。2〜5巻は7月以降、毎月刊行の予定だという。

早速購入を決めた。

日記、書簡、速記録、通詞録などから

密会、斬殺、命令、謀殺、処刑などを克明に描いた全5巻の大作である。

菊地さん、ご苦労さんでした。

これまでの通説とは違った会津藩が浮かんでくるかも知れない。

送られてくるのが待ちどうしい心境である。
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2008年7月3日(木) 健康がすべての基本
昨日、全身疲労でガタガタ、

ついに休載と書いたところ、戊辰戦争研究会の仲間から、

以下のメールをいただきました。

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先ほど、滋養強壮に良く効く薬をお送りました。

朝夕、付いているカップ1杯お飲み下さい。

全身ガンでも治したほどの、免疫力を高める薬です。

ガロール錠は肝臓にも効きます。

毎日5錠お飲み下さい。食欲も出てきます。

うちの家系は、上記飲用のお陰で92,88,86歳と長生きです。

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ガロール錠は以前、いただいた薬です。

早速、今朝5錠のみました。

ありがたいことです。

今月後半には弘前、八戸、白河と連続三泊の

講演と取材の旅があります。

滋養強壮に良く効く薬で体調を整え、これを無事、こなしたいと思います。

さて今日も

「会津篭城戦の30日」

の執筆です。

自分としては8月後半までに仕上げるつもりです。

約400枚の作品です。

その後の原稿も2冊ほどはいっており、全力投球をしないとこなせません。

健康であれば大丈夫でしょう。

健康がすべての基本だと痛感する日々です。
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2008年7月2日(水) いささかバテ気味
今日は休載です。
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2008年7月1日(火) 『アンガウル、ペリリュー戦記』
『アンガウル、ペリリュー戦記』

書評

日本とアメリカが戦ったことさえ知らぬ若者が増えているという。

義務教育で近代史は授業時間不足でカットされ、

形ばかりのものとなりつつあるというのも、その理由の一つかもしれない。

既に戦争を経験した世代も少なくなり、国内を見渡しても戦争の爪あとは、

広島・長崎に行かないと見ることはできない。

戦争の記憶は遠くなるばかりで、

浜辺の僅かに打ち上げられた貝殻を探すような

気持ちを抱いて本書を手にした。

「海軍乙事件」「あ号作戦」そして、サイパン陥落へ、

東条英機も弱音を吐いたにも関わらず、アリ地獄のように負け戦は続いた。

その結果、太平洋の島々に数え切れない爪あとを残すことになる。

パラオの島々、アンガウル、1万人の犠牲を出したペリリュー島、

生き地獄のような死闘は続いて、そして玉砕していく。

本書に紹介された人々は奇跡的に戦死を免れ、降伏後も壕内で行き続けた。

その様々な知恵は微笑ましくもある。そして、現在、遺骨収集に現地で余生を送っ

ておられるという。ありがたく思った。

太平洋戦争における日本軍の戦死者240万、7割が餓死。

100名の兵士に一掬いの米しかなかったと聞いたことがあった。

どうして戦えよう。

あとがきを読み進めて行くと、

「ペリリュー島の西、日本軍の指令部、鉄筋コンクリート、天井には大きな穴」

私はこの建物を知っている。数年前、報道番組で見て以来、目に焼きついていた。

目頭が熱くなり、活字がぼやけた。日本からコンクリ粉を運び、

狂気のような熱情を持って作り上げ、完成時は白く大きく、

紺碧の海に遠くからでもはっきりと分かっただろう。

今は無残にジャングルの中で朽ち果てている。

風光明媚な太平洋の島々に、日本人の狂った時代の痕跡が残り続けている。

日本人として残念で仕方がない。それらは半永久的に残るのだろう。

私の心の中で、その無残な醜態をさらけ出していたコンクリの

廃屋がある名も知れぬ島、、、それが「ペリリュー島」、、

島の名前が分かって、また感慨もひとしおとなった。

誘ってくれた本書に心から感謝する。


                          高橋美智子
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