星亮一 今日の一言

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2003年6月30日(月) 会津対長州の討論会
昨日の討論会は白熱したものになりました。新聞各紙に報道されましたが、関係者の熱弁が相当なもので、わたくしは和解への第一歩がなったと思いました。読売新聞がその辺をよく伝えており、「お互いの歴史観の検証を進め、民間で交流を進めるのが和解の第一歩」とする菅家会津若松市長の言葉を大きく、取り上げ、評価しておりました。
これにそい、歴史研究者同志の交流がいずれ具体化しそうです。
その時はわたくしも萩を訪ね、萩の方々と忌憚のない意見の交換をしようと思っています。今回、わざわざおいでくださった萩の野村市長、大変、お疲れさまでした。野村市長の勇気と菅家市長の一歩踏み込んだ見解に敬意を表します。
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2003年6月28日(土) 今日、明日は東奔西走
これから9時の電車で宮城県丸森町です。今日、明日、星亮一ふるさとメッセージ展です。
明日午前中、戊辰戦争と丸森町について話します。午後は会津若松に向かい、会津対長州のテレビ討論会です。
詳細は後日、報告します。多忙な二日間です。
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2003年6月27日(金) 会津対長州緊急討論会
29日、会津若松東山温泉の御宿東鳳で、会津対長州の討論会が開かれます。出席者は山口県萩市長の野村興児さん、会津若松市長の菅家一郎さん、作家の早乙女貢さん、一坂太郎さん、司会はわたくしで、この討論会は後日、福島放送から放送されます。
戊辰戦争135年、いまだに会津と長州は対立関係にあります。会津側が長州は許せないと拒絶しているからです。
わたくしは未来志向の今日、会津側のかたくなな態度は、どうかなというお印象を持っています。
先の日韓首脳会談でもノムヒョン大統領は、日本の植民地時代のことは触れませんでした。
もう過去の歴史にこだわる時代ではないでしょう。
戊辰戦争にどう決着をつけるか、せいっぱい司会を務めます。
討論会の時間は午後3時からです。入場は無料です。是非いらしてください。
この日、わたくしは宮城県丸森町小斎小学校で、ふるさとメッセージの対談です。
それが終わって会津若松に直行します。本当は丸森町にもっといたかったのですが、緊急に、こちらの司会になってしまいました。丸森町の皆さんにはお詫びします。もちろん丸森町もせいっぱい務めます。明日、丸森町に入り、夜、皆さんと懇談します。
ふるさと荘にいらしてください。
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2003年6月26日(木) 脱北者村の建設
朝鮮日報の白真勲日本支社長の講演は、さすがでした。金正日は勇気のない男で、とても戦争のボタンが押せないというのは、昨日、日本の拉致被害者の家族と会った、北の元書記黄さんと同じ
でした。しかし手をこまねいて見ているだけでは、先に進みません。しからばどうするか。
白さんは中国の協力を得て、中国国境に脱北者の村を作る案を提示されました。資金は日本はじめ世界に仰ぎ、どんどん脱北させ、北の国民の手で金正日体制を崩壊に導くというのでした。
問題は中国です。中国が北と手を切る覚悟ななければ、村の建設は困難です。それがどうかという問題はありますが、いまや金正日体制の崩壊に、話が及ぶところが、すごいと思いました。
韓国の人々も序々に金体制を崩壊させるしか、北の人々の苦難を救う道はないことに気づきはじめているようです。
確かに金正日体制の崩壊こそすべてなのです。
そのためには経済制裁も必要ですし、圧力も大事なのです。
北朝鮮問題は第二ラウンドに入ったのです。金正日体制崩壊のシナリオをどう描くか、に向かって進みはじめているのです。このことを強く感じた講演会でした。
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2003年6月25日(水) 韓国と北朝鮮
今日はわたくしが事務局を担当する郡山の異業種交流の勉強会、MBA21の六月例会です。
講師は朝鮮日報日本支社長の白真勲さんです。テレビで歯切れのいい話をされている方です。
なぜ白さんをお招きしたか。日本人は拉致問題以来、北朝鮮は大嫌い、金正日は悪の権化と思っているるわけですが、韓国の方々の本音はどうなのでしょうか。それを白さんにお伺いしたいと思ったのです。戦争をせずに北の体制が変われば一番いい訳で、白さんがどのような展望をもたれているのか、今日の講演はその一点に尽きると思います。白さんのスピーチは後日、皆さんにもお知らせ致します。
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2003年6月24日(火) 松島は霊場
東北大東北アジアセンターの入間田宣夫教授が、日本詩人クラブの全国大会でユニークな講演を行いました。中世の松島は奥州の高野山という講演でした。松尾芭蕉以来、松島は風光明媚な観光地でしたが、それ以前は霊場だったというのです。死者の霊が集う極楽浄土の世界であり、往生を願う多くの人々が松島を訪れたのでした。
なるほど、これは今後の松島観光のあり方に、大きな示唆を与える発言だったと思います。
松島は日本三景の一つとあって、観光客で、連日、大変な賑わいです。しかし、霊場という説明もないし、それを彷彿させる施設もありません。青森県の恐山はさすがに霊場として定着し、往生を願う人々が全国からす姿を見せますが、松島も今のままでは、ありがたみが薄れ、ただの観光地に転落してしまいます。いやそうなりつつあります。
これを機会に霊場の雰囲気をもっと出して、奥州の高野山の復活にトライして欲しいですね。
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2003年6月23日(月) 二本松市長
わが福島県で困った問題が起こりました。二本松市長の汚職事件です。どうしてこうなのだろうと、ため息が出ます。二本松には二本松藩士が守るべきことを書いた戒石銘があって、賄賂などとんでもないとうたってありました。この碑文を市長が各方面に配っていたはずでした。
わずかの金額で市長の座を棒にふるとは、もったいない話です。どうしてこうなるのでしょうか。人間の弱さを感じます。
見つからないと思ったのでしょうが、賄賂を要求された方はどこかで漏らすものです。
結局、倫理観の欠如ということでしょう。情けない話です。
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2003年6月22日(日) 日曜日
今日は日曜日です。朝から新聞を広げ、テレビを眺め、ぼんやり過ごしています。北朝鮮への圧力、きき始めているようです。大変、結構なことです。
無法者には厳しく法律を適用すべきです。まだまだ開き直っているようですが、日本人は覚悟を決めて対処すべきです。
今日の楽しみは野球です。巨人、阪神戦、どうなるかです。阪神の二連勝を期待します。いつも巨人の優勝では、もう飽き飽きです。気分一新、阪神の優勝を望んでいます。
ビールを飲みながら野球をみる、今日はリラックスして過ごします。
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2003年6月21日(土) 虫送り
最近、すっかりここに書く内容が変わってしまいました。どうもわたくしは一つのことに集中する傾向があるのです。一時期は北朝鮮でした。北のやり方が納得できず、毎日のように北を批判しました。拉致の海も取材し、怒りを込めて書き続けました。その気持ちは今も変わりません。
拉致問題は日本国民として許せないからです。

さて昨今は奥会津文化フォーラムです。わたくしが所属する北東文芸協会はもちろんですが、わたくしが学んだ日本大学大学院総合社会情報研究科の面々、東京や仙台の友人たち、多くの方を巻き込んでしまったので、責任は重大なのです。三島町の教育委員会、ふれあい交流センターの方々、事務局を担当してくださっている奥会津書房の遠藤編集長とスタッフの皆さん、もう大変な数の方々が参画されているのです。どうなれば成功かはわかりませんが、来年もやろうとなれば、まずは成功だと思います。
嬉しいことに今朝の福島民友新聞に、三島町の虫送りのことが出ていました。三島町社会教育指導員の五十嵐さんの随想です。
今回、わたくしたちは7月12日の夜に見学するのですが、五十嵐さんの解説によりますと,植えた稲が成長するときに,さまざまな虫がつく、その害虫が駆除しなければならないのですが、虫にも魂がある、その魂をあの世に送る行事なのです。
この行事の担い手は十五歳の中学生です。この夜,中学生たちは提灯を下げて村を練り歩くのです。
この行事を通じて中学生は子供ではなく村に生きる大人としての振る舞いを学ぶのだそうです。
意味深い行事で、実に楽しみです。
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2003年6月20日(金) ふるさとへのメッセージ
昨日、宮城県丸森町の館矢間まさか団の横山さんら3人が郡山のわたくしの事務所に見えました。今月28、29日、丸森町小斎小学校講堂で開く「星亮一ふる里へのメッセージ展」に展示する資料を取りに見えたのです。
「それほど飾るものはないですよ」わたくしは3人も見えたので、びっくりしました。これまで書いた本が40冊ぐらい、原稿、それからこれまでの写真30点ぐらい、取材で集めた絵が2点ほど、それ以外、何もないのです。大きな車で来たというので、本当に恐縮しました。
2点の絵はチベット高原で買い求めた素朴な高原の風景とバイカル湖で求めたボール紙に書いた風景画です。お国の事情を反映して、素朴というか粗末というか、そういう絵でした。でも雰囲気は十分に伝わっており、2点とも教材として小学校に寄付しようと思っています。
小斎は小さな村でした。でも伊達政宗の時代は大きな城があり、伊達と相馬の間で、戦闘が繰り返されていました。
村人は全員、刀や槍を田んぼのあぜ道に立てて、戦闘に備えていました。典型的な中世の村落でした。
わたくしの先祖は福島県の小高がルーツです。そこで相馬氏に仕え、相馬、磯部と歩いて小斎に移り住みました。当初、小斎は相馬領でした。
あるとき領主の佐藤宮内が伊達に奉公がえをして、伊達の領民になったのです。国境の領民は戦闘部隊でした。小斎の人々は戦争があると、必ず出陣しました。戊辰戦争でも会津支援のために白河に出兵しました。
わたくしの先代は砲術関係の仕事をしていたので、率先して戦いました。
そんな村が小斎です。28日夜は同級生が集まって飲み会です。
もういい年なのに「○○ちゃん」などと呼び合って、童心に返るのです。とにかく楽しみです。
まちづくり団体館矢間まさか団の皆さん、お世話になります。
近くの方は是非、小斎小学校にいらしてください。
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2003年6月19日(木) よみがえる記憶
奥会津書房が出された本に「蘇る記憶」がありました。東京生れの竹島さんの写真集です。そこに農の始まりを待つ村里の風景がありました。桜の花が咲きみだれ、苗代には稲の苗が育っていました。かやぶき屋根の周囲には、まだ雪囲いの棒杭が立っていて、畑には連作の弊害を清めるための御符がありました。あちこちには野仏があり、老人がそこを歩いていました。
わたくしは、この春、伊達政宗を書いていました。彼はいつも田園や山中で荒々しく戦っていました。撫で切りといって数百人を虐殺したこともありました。乱取りいって田畑を荒らしまわる戦法もありました。飢饉のすざましさは想像を絶するものでした。
しかし農繁期になれば、戦をやめました。
過去をたどれば田園は必ずしも、のどかではありませんでした。
村がどこか、のどかな光景に変わったのは、皮肉にも高度成長の時代からでした。
出稼ぎで現金も入り、かやぶき屋根にも郷愁が感じられたのです。
今日、奥会津の農村や山村で感じる「蘇る記憶」とはなんでしょうか。
今度の文化フォーラムで、論議を交わすことが楽しみです。
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2003年6月18日(水) 神々が棲む世界
人は日々、多忙に暮らしています。私もいわばその典型で、日程表にいろいろの行事が書き込まれています。宮城県丸森町で放送バラェティがあったと思うと、今度は会津と長州の歴史に関するテレビ討論会があり、その司会をするといった具合です。
忙しく飛び歩くことから、一体、何が生れるのか。この辺で、生き方を考えなおさなければと、時おり思うのです。
そのきっかけは奥会津とのふれあいでした。
この世には神はがいて、その神と人間が共存するという生き方こそ究極の人生に思えてきたのです。奥会津文化フォーラムまであと一ヶ月、これから何回、奥会津をずね、深山幽谷に鎮座まします神々に、わたくしが直接ふれることができるか、
今度という今度は、人生を変えるという意味で、見えざる世界から何かを見出だしたいのです。
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2003年6月17日(火) 放送劇「旗巻峠の密使」
わたくしのルーツ、宮城県丸森町小斎小学校講堂で開く、「星亮一ふるさとメッセージ」、
すごいことになりました。放送バラェティ「旗巻峠の密使」が上演されることになったからです。この話、最初に持ち上がったのは、確か昨年の暮れでした。福島県相馬市のNPO法人和みの里の山本さんと、丸森町のまちづくり団体館矢間まさか団の横山さんがお見えになり、戊辰戦争の激戦地、仙台国境旗巻峠であった相馬藩と仙台藩の停戦交渉に関する美談をミュ-ジカルにしたいということでした。
わたくしが「旗巻峠の密書」(廣済堂出版)という小説を書いたのがきっかけでした。わたくしの4代前に星万右衛門がいて、この戦争に加わっていたのです。
今回はミュージカルの前座として放送劇を地域の方々にお見せすることになったのです。
演出の山本さん、プロデュ-サーの横山さん、そのエネルギーにはびっくりです。
午前9時30分開会、近隣の方は是非、いらしてください。
この方式、奥会津文化フオーラムの来年のイベントにどうかと思い、奥会津書房の遠藤さん、坂内さんにメールしたら「何それ?、今年がまだよ、まったく困った人です」と一蹴されてしまいました。まあ当然ですね。
「神々の大地、奥会津」、今年の冬、温泉に入ってゆっくり考えましょう。
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2003年6月16日(月) 記者会見
今日は郡山市の記者クラブで会見を行います。奥会津文化フォ-ラムの内容説明です。
わたくしは社会的使命のあるイベントはいつも記者会見の席で、発表しております。
NHKはいつもテレビで放送してくれ、広く福島県民に知らせてくれます。
今回のイベントは。7月12、13日、福島県大沼郡三島町で、自然・人間・文学をテーマに
2日間にわたって討論会を開くのです。三島町、奥会津作家協会とわたくしども北東文芸協会の共催行事です。福島民報社、福島民友新聞社などマスコミ各社、さらには日本大学大学院総合社会情報研究科の後援、協賛を得て多彩に論じます。
民宿、温泉、ここでの語らいも素晴らしいですよ。
大会事務局は奥会津書房、電話0241−52-3580です。
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2003年6月15日(日) 昨今の北はますます異常ですね
今朝のテレビは全局、北朝鮮問題を報じていました。昨今の北朝鮮は、暴力団と同じと安倍官房副長官が言いました。
おしゃる通りです。こうした国を放置していた日本政府、国会議員の方々、責任は重大ですね。ピヨンヤン宣言を破棄するというのであれば、もうどうぞといいたい心境です。
日本は国家、国民を上げて北と対峙する覚悟が必要ではないでしょうか。大物ぶっている自民党の有力政治家の北との癒着が問題になっています。こうした国会議員は、次の選挙では落ちてもらいたいですね。
はやく拉致家族だけでも返してください。
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2003年6月14日(土) 東北福祉大8強
全国大学野球選手権で、東北福祉大が8強に入りました。全国制覇をしたこともある強豪です。昨日、わたくしはここで講義をしていました。学生たちも、どうなるかと気にしていました。次は早稲田に当るとか、これをを破れば、アジア大との決勝ではないかいうことでした。
今プロにもっとも多く選手を送っている大学が東北福祉大です。大リーグの佐々木、阪神の金本、矢野、西武の和田、横浜の斎藤、近鉄の門倉、ダイエイにも選手がいたはずです。なぜなのでしょうか。
仙台という少しのんびりした風土の方が、力が蓄積され、将来、花開くのでしょうか。
いずれ仙台にプロ野球をと、わたくしは願っています。
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2003年6月13日(金) 太平洋戦争失敗の研究
今日は東北福祉大学で意表をついた講義をしました。日本海軍がなぜ米国機動部隊に敗れたかの検証です。真珠湾攻撃の緒戦で勝利した日本海軍は、ミッドウエー、さらにはマリアナ沖海戦で壊滅的な敗戦を喫するのです。その原因は急速に広がった科学技術の差でした。レーダーの開発、日本の戦闘機を追尾して破裂する新しい銃弾の開発、日本海軍は米国の科学技術の前に敗れ去ったのです。終わって学生から質問がありました。わたくしはそこから何を学ぶべきか、でした。
日本海軍の精神は大和魂でした。魂よりももっと大事なことは、相手を知ること、情報、さらには地道な基礎研究でした。まとめて言えば、総合的な情報かも知れません。
日本海軍は情報戦で決定的に敗れたのです。
若人は広く世界に眼を向ける、これが大事なのです。
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2003年6月12日(木) 北の王者アテルイ
水沢市の埋蔵文化財センターで、北の王者アテルイにふれて来ました。古代東北の歴史をひもどくと、蝦夷(エミシ)と呼ばれる人々にたどりつきます。そこには日高見国があり、名前の示すとおり、そこにはさん然と太陽が輝く肥沃な大地があったというのです、
その国がどうなったのか、あえなく大和国家に吸収されてしまったのか、興味あるテーマが山ほどあります。
再来年の大河はドラマは源義経だそうです。義経はエミシの心を受け継いだ一人です。
創作意欲が湧いて来ました。
何か考えましょう。
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2003年6月11日(水) 水沢・江刺
今日はNHK文化教室の旅で水沢・江刺です。水沢では高野長英記念館、江刺ではアテルィの里を訪ねます。みちのくの名刹奥の正法寺にも行きます。午前8時、間もなく出発です。詳しくは後日、ご期待ください。
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2003年6月10日(火) 神々が棲む世界
奥会津は神々が棲む世界です。奥会津書房発行の『神々との物語』を読みますと、奥会津では
神と自然と人間が同じ場所を共有して、水平的な世界を展開しているというのです。
博士山には天狗が棲み、神楽嶽には雷神が鎮座ましましているのです。神の存在を信じながら生きる、それが大事だと奥会津の人々は語るのです。
肉体は滅んでも、どこか見えない場所で新たな生が芽生えいると編集長の遠藤さんは言うのです。
家の中には人と農耕をつかさどる竈神ガいるといいます。この神はいつも一家の行動を観察していて、時には雷を落とします。
そいう風土のなかで「奥会津文化フォーラム」が開かれるのです。
身が引き締まります。
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2003年6月9日(月) 会津戦争、奥会津の戦い
会津はやはり戊辰戦争ですね。7月12、13日の奥会津文化フオーラム、二日めの13日
「伊南川、只見川筋の戦い」と題してわたくしと会津史学会理事飯塚恒夫さん(只見町在住)の鼎談を行います。奥会津の戦闘は会津軍が優勢でした。その原因は何か。興味深い鼎談となりぞうです。
12日の記念講演、作家熊谷達也さん演題は『狩猟民の記憶』と決まりました。ぴったりですね。奥会津文化フオーラム、ますますは面白くなりました。それから三島町の宿舎、森の校舎カタクリの料金は、大人5250円でした。
食事込みです。予約は0241-48-5577です。
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2003年6月8日(日) 老舗旅館売ります
奥会津文化フォーラム開催とあって、この地方にニュースが気になリます。三島町の奥が金山町、さらに只見町に続くのですが、今朝の読売新聞の県版に、只見町の老舗旅館(扇屋本館)が売りに出されたとありました。昭和50年代に国策として只見川の上流に巨大なダムがつくられました。
只見町長を務めた菅家さんが建てた旅館で、ダム工事の視察のために吉田元総理、曽野綾子さん、若生文子さん、中村吉右衛門さん、田中角栄さん、三木武雄さんら、各界の有名人が大勢
只見を訪れて、この旅館に泊まりました。横綱千代の富士、司馬遼太郎さんも訪れていました。すでに旅館は廃業しているのですが、持ち主はこれを資料館にするために500万円で売り出したというのです。
修理費に1000万円かかるそうで、果たして買う人がいるかどうかわかりませんが、戦後の電源開発の歴史を知る上で、貴重な遺産です。どうなるか注目したいとい思います。
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2003年6月7日(土) 義経伝説
今日はニュースの洪水です。有事関連法案の成立、韓国大統領の訪日、北朝鮮の疑惑船万景峰号
の問題、どれも重大ニュースです。有事法案は野党も含めて成立したことは大変いいと思います。
韓国の新大統領は笑顔がいいですね。万景峰号は来ないで欲しいですね。
さてわたくしは、NHKの歴史講座です。タイトルは義経伝説。義経は東北の人々にとって、非常に親しみのある人物です。少年の頃、平泉で育ち、また兄頼朝の策謀によって平泉で最期を遂げたからです。しかし、義経は死ななかった。北海道に逃れ、シベリアからモンゴルに渡ったなどさまざまな伝説があります。人々は義経が生きていたという根拠を幾つもあげています。まず義経の首級とされるものが、鎌倉に運ばれたとき40日も経過していて鑑定が不可能だったこと、天才義経がまんまと頼朝の姦計にはまるはずがなく、北海道に渡った確かな証拠があるなど諸説さまざまです。
わたくしも義経逃亡説を取りたいですね。いずれ義経伝説の旅に出ます。
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2003年6月6日(金) 奥会津文化フオーラム
7月12、13日のイベント、福島県三島町で開く奥会津文化フォ-ラムに、社会人の大学院、日大大学院総合社会情報研究科も参画することになりました。
13日に国際情報専攻の乾教授が来て、交流センタ-山びこで、公開教養講座を開きます。
演題は「国際情勢と日本人」(仮題)です。
時間は午後になると思います。12日は作家熊谷達也さんの講演会とわたくしが進行役を務める討論会があります。
すでに東京の歴史の旅のグループから8人の参加申し込みがあり、出足は好調です。
皆さん、お待ちしております。
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2003年6月5日(木) カヌー転覆
屈斜路湖でカヌーが転覆、2人が死亡、1人が重体となっています。
産経新聞の報道によりますと、死亡した2人と重体の1人はカヌーから離れていたそうです。
ガイドの方はカヌーにつかまっていて助かったようです。詳しい状況が分からないので軽々に論評はできませんが、わたくし自身、10月末の寒い猪苗代湖で乗っていたヨットが強風で転覆、3時間、湖に投げ出され、救助された経験があります。もうかなり昔の話ですが、当時、新聞で叩かれました。
わたくしは猪苗代湖の風向、波の具合、詳しいデータが頭に入っており、またウエットスーツを着用し、その上にライフジャケットをつけていたので、必ず助かると思っていました。
というのはこの日は国際14フッターというクラスのヨットレースが行われており、わたくしもそれに参加しており、監視挺もいたからです。しかし自然は恐ろしいもので、2メートルを超す波が立ち、監視挺は走行不能に陥り、あれよあれよという間に10艇近いヨットが転覆、流されたのでした。
二人乗りのヨットでしたので、わたくしたちは、ロープでヨットに自分の体を縛り付け、転覆したヨットに這い上がり、セールで体を巻き、体温の低下を防ぎました。
遭難したとき、もっとも大事なことは挺から離れないことです。それよりももっとも大事なことは事前の準備ですね。湖の性質をよく知ることです。風の動き、波の高さ、水温などです。6月はウエットスーツは絶対に必要です。これを着て、しがみついれば、数時間は大丈夫でしょう。挺から離れると荒天の場合は発見が困難になり、それだけ救助が遅れてしまいます。初めての人が1キロ沖に漕ぎ出したことも問題ありだったと思います。
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2003年6月4日(水) 喉風邪
一度なおった風邪がぶり返し、喉が痛くて困っています。飴をなめながら仕事をしていますが、咳が出て大変です。薄着のまま酒を飲んだのが始まりでした。声が出なくなり、慌てて医者に診てもらい、薬を飲んだのですが、どうも眠くなって仕方がなく、途中で薬を止めてしまいました。
それがいけなかったのか、ぶり返したのです。今、会津戦争を書いているのですが、リズムに乗り切れず、下手な文章になってしまい、四苦八苦です。
本当は1日、休めばよいのでしょうが、貧乏性のため休めません。
自業自得でしょうか。
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2003年6月3日(火) 青大将
来月の奥会津文化フォーラムに、向けて、奥会津とは何ぞやを勉強しています。
わたくしがこれまで活動の場としてきた会津若松は、会津のほんの一部であって、全体ではないのです。奥会津書房の編集長、遠藤さんの自宅、そこはお寺ですが、おじゃまをしたとき、遠藤さんが言ったのです。
「天井裏には青大将が棲んでいて、ついこの間まで、よく出てきたわ。こんなに大きいのよ」
といって手を広げたのです。青大将は日本に生息する最も大きい蛇です。住職がお経を唱えてから、姿が見えなくなったそうですが、時おりドサリと青大将がハリから落ちる音がするそうです。
会津の奥はさまざまな神が宿る魂の世界でした。
虫送りという行事があるそうです。ちょうど7月12日、我々のフォ-ラムの日に行われそうですが、農作物に害を与える虫たちを送る行事です。子供達が旗や行灯を手に、集落のあちこちを歩くのだそうです。
すべてが神秘の世界なのです。一つづつ、その魅力をお伝えします。
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2003年6月2日(月) 能天気
安倍官房副長官は、歯切れがいいですね。拉致をやったリ、約束を破って核開発をしたり、偽札を作ったり、麻薬の密売をしたりする北朝鮮に対して「話せばわかるという人は能天気だ」おしゃった。まったく同感です。社民党、共産党の皆さんは一貫してそうですし、自民党の中にも金銭疑惑で議員を辞めた加藤さんらはそうでした。
そこから得るものは皆無でした。
北に対しては、圧力が必要です。あの体制は認めないという確固たる態度が重要です。
今こそわたくしたちは、毅然たる態度で北朝鮮と向き合うべきです。
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2003年6月1日(日) 奥会津書房
奥会津文化フォ-ラムの打ち合わせのために31、1日と奥会津の三島町と金山町に行ってきました。事務局となる奥会津書房は地域に根ざした出版社でした。シリーズで発行している奥会津は、奥会津の人々の暮らしが、びんびん伝わってくるすごい書籍でした。「自然からの伝言」「森に育まれた手仕事」「神々との物語」「縄文の響き」「よみがえる記憶」などに奥会津のすべてが網羅されていました。どの本も人間と自然のかかわりを、きめ細かく描いていました。
編集長の遠藤さんの家は、会津山峡の名刹西隆寺で、境内に安置された三十三観音には、
深い愛と悲しみが漂っていました。編集の坂内さんの家は、隣の金山町の玉梨温泉の恵比寿屋旅館でした。鉄分が含まれた本物の温泉でした。
一人しかは入れない露天風呂があり,そこに入って写真をとりました。
川のせせらぎを聞きながら入る露天風呂は、まさに別世界、日々の雑事を忘れました。
7月12、13の両日、ここを舞台に奥会津文化フォ-ラムを開きます。わたくしもしゃべります。遠藤さんも話します。自由な討論会です。皆さんの参加をお待ちしています。
テーマは自然・人間・文学でしょうか。野外パーティもあります。東京、仙台、郡山、各地から人がきます。地元の方も大勢参加します。
問い合わせは奥会津書房ヘ。メインゲストは作家の熊谷達也さん。「漂泊の牙」の作者です。
電話0241−52−3580
FAX0241−52−3581
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