星亮一 今日の一言

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2004年7月30日(金) 土日は休刊
今週の土日は、
岩手県の方に出かけるために
休刊です。
土曜日朝8時のバスで
一ノ関、北上方面に出かけます。
泊まりで日曜日夜
帰ってきます。
そのうち遠隔地からも送れるよう
開発します。

星亮一作品情報・

「幕末史」-激闘! 薩摩、長州、会津
東京のブックガーデンに並びました。
新幹線上野駅のあれは何階でしょうか。
そこに上野店があります。
そこに30冊
東京駅にも10冊入りました。
ここをを利用される方は、
是非、手にとってご覧下さい。


「戦う政宗」

表紙完成

松本忠君制作の表紙が出来上がりました。

月曜日にこの欄でご覧に入れます。
満月の仙台城です。
そこに政宗の兜があります、
ご期待ください。
なかなかの出来栄えです。
△top
2004年7月30日(金) 裏切り
戊辰戦争では
今でも裏切りの後遺症が残っています。
長岡藩と新発田藩
二本松藩と三春藩
南部藩と秋田藩

此処にはどうもしっくり行かない感情があります。
私が目下書いている
ラスト侍
「河井継之助」
継之助は
膝に銃撃を受けたまさにそのとき、
新発田藩は
薩長軍を新潟に誘導、
新潟港を占領し、
後方から攻撃されるのを恐れた
会津藩と米沢藩が
国許に引き上げ、長岡藩は孤立し、敗北を喫します。

長岡の人々は
許しがたい行為として新発田の人々を非難しました。
会津も同じで、新発田とは疎遠な関係にあります。

しかし、これは新発田の人々の判断であり、新発田を戦火から守るには
これしかないと、敵に協力する道を選んだのでしょう。

武士道がいま賞賛されています。
武士道とは
愛であり義であり、道徳であり、礼儀であり、とにかく
ありとあらゆる美徳につながるものです。
しかし、
戦争に入ると、
武士道は大きく変質します。
継之助の場合も
もともとは武士道に反する薩長のやり方に義憤を覚え
立ち上がったわけですが、
戦争に突入して見ると、
戦場にはさまざまな思惑や利害の違いがあり、
ついには列藩同盟の崩壊という事態に立ち至ったわけです。

武士道とはなんだろう
これは難解です。
どう結論ずけるか
思案中です。

星亮一作品情報

久々の歴史小説

『戦う政宗』
仙台本の森社

今日から再校です。

宮城県丸森町を舞台にした
政宗の一代記です。

宮城、福島、山形を中心に発売します。
一部は東京にも並べますが、
そうですね
地ビールのような地元の匂いがする作品です。
装丁はローカル線を描き続ける友人の松本忠君が担当、
これも楽しみです。
△top
2004年7月29日(木) 新選組トークショウ
昨日、会津若松でNHK主催の新選組トークショウが
ありました。
出演者は
総長山南敬助役で出演している堺雅人さん
と,副長助勤役の中村勘太郎さん
観衆はなんと2000人、
すごい集まりでした。
私は行けませんでしたが、
若い女性が圧倒的に多く,今朝の新聞によりますと、
キャーと
黄色い歓声が上がりっぱなし
ということでした。

テーマは
新選組隊士から見た会津藩

堺さんは
「当時に京都はいまのイラクに似ている、
新選組は会津藩の後ろ盾を得たNGOのようなもの」
と語り、
中村さんは
「会津藩は京都に入るとき、相当の覚悟で臨んだに違いない」
と語ったと新聞にありました。

ううん
堺さんの話、
面白い表現ですね、
京都はイラク
長州藩は武装ゲリラ

会津藩は米軍
新撰組は特殊部隊
というところかな
 
長州の方々の感想を聞きたいですね。
ともあれ
会津藩と新選組の人気は
上昇するばかりです。
嬉しいことです。


星亮一作品情報

『東郷平八郎伝』

光人社NF文庫
売れ行き好調です。
上野駅にある
ブックガーデン上野店
40冊はいって全部売れたそうです。
日露戦争100年のせいでしょうか。
『出羽重遠伝』
もよろしく
お願い致します。
△top
2004年7月28日(水) パソコンが動かない
いつも使っているノート型パソコンが
故障し、動かなくなりました。
もう一台のパソコンを使って今送っています。
なれもあって、
使いにくく
困っています。
さて
今日は
河井継之助の
終章の執筆です。
武士道と継之助について
書きます。
武士道は確かに気高く
男らしい崇高な行動です。
しかし、
あえていえば
継之助の行動が本当に良かったのか
屈辱をかみ殺して
頭を下げ
長岡藩を守るべきだったのか
そこが非常に難しいところです。
悩みながら書いています。
△top
2004年7月27日(火) 武士道の矛盾
アメリカの映画「ラストサムライ」
観客は1000万人を超えたといいます。

私も見ましたが、
確かにすごい迫力でした。
失われた侍の精神に立ち戻り、
トム・クルーズと
渡辺謙が
権力に立ち向かうのです。

いま私が書いている
長岡藩家老河井継之助
彼は間違いなく
サムライです。

和平を求めて
薩長の進駐軍に交渉に出かけたのですが、
拒絶され、
戦闘に入ります。
長岡の町は焼失し、大勢の部下が死に、
自分も銃弾を受けて
戦病死するのです。

武士道とは
まさに死であり,それも自分だけではなく
大勢の人々を巻き添えにするものなのです。

テレビや映画に出てくる
武士道は気高い精神をうたい、
積極果敢な行動力で
敵に立ち向かってゆきます、

そこまではいいのですが、
問題はそのあとです。

すべてを失い、少なくとも100年は
つらい評価に耐えなければなりません。

新渡戸稲造は、武士道とは桜の花と同じく日本の土地に固有な花だ
という。そして武士にとって卑劣な行動、
曲がった行動ほど忌み嫌うものはないという。

それならば
河井を戦争に追い込んだ
西郷や大久保、木戸らには、はなから
武士道など存在しなかったことになる。

その彼らが日本を征服し、
武士道の道を選んだ河井が
賊徒の汚名を受けるはめになったのはなぜか、

もともと
日本には武士道などなかったのか、
それは
抽象的な概念の世界での話しで、
現実にはありえない
お伽噺の世界のことなのか。

どうも分からなくなり
苦慮しています。
△top
2004年7月26日(月) 今日は月曜日
気持ちを引き締めて、原稿執筆です。
人間、
樂をしようと思ったら
もうだめですね。
とにかく
歯を食いしばっても頑張る
それが大事です。
月曜日はそのことを確認して
週間努力目標を立てることにしています。

私の日程
今日は仙台です。
明日夜は北東文藝協会の集まり
地方出版物フエアーを
開催するための相談です。
週末は夏油温泉行きです。
藤原の里も見て来ます。

その間はすべて原稿です。
「ラスト侍河井継之助」
KKベスト新書の
仕上げです。

8月からは
後藤新平伝
に挑戦します。
これは私にとっては大作です。
△top
2004年7月25日(日) 芹沢鴨に行けず
今日、芹沢鴨の出身地を見る旅がありまし方が
夕方、
郡山で用事があり、
いけませんでした。
残念です。
企画した皆さん
すみません。
又の機会に行きたいと思います。

さて、
いま、野口英世についていま考えています。
彼が私たちに残したものは何かです。
いずれまとめてここで述べて見ます。
皆さんも是非
感想をお寄せください。

ところで高校野球
母校の一関一も地元の安積高校も敗れてしまいました。
あとは宮城の東北高校に期待するばかりです。
全国優勝目指して
頑張ってください。

今日は日曜日
新選組が楽しみです。
△top
2004年7月23日(金) 出版社まわりと日大の集まり
今日、明日と東京です。
今日は学陽書房と打ち合わせです。
ここから昨今
『松平容保』を出しました。

明日は日大大学院の日本国際情報学会の理事会です。
研究発表会の打ち合わせです。
この大学院はインターネットによる
サイバーキャンパスです。
全国から集まっており
なかなかいいですよ。
興味のある方は
メールを下さい。

日曜日は
城郭研究会から
新撰組芹沢鴨の史蹟めぐりに誘われています。
場所は茨城県の
玉造町です。
果たしていけるかどうか
分かりません。
午後1時10分
玉造駅集合です。



いま書いている原稿も気になるし、
時間との勝負です。
したがって明日の一言は休載
25日夕刻にまとめて
ご報告します。
△top
2004年7月22日(木) 高校野球
甲子園大会の予選が各地で行われています。
福島県は日大東北、磐城高校などが、岩手県は専大北上、そしてわが母校の
一関一も3回戦を突破しました。
宮城は東北高校ですね。
ダルヒッシュ投手、頑張れです。
何が何でも甲子園に出て
今年は優勝してほしいですね。

少年時代は
草野球の日々でした。
中学1年の時は
なんと9番ライトというポジションでした。
さっぱり打てず、守備もへたということで
このような打順と守備でした。

応援団から声援を受けると、
あがってしまい
三振でした。

でも楽しかったなあ
期待されていなかったので、
気楽でした。
もう一度
あのときの野球をやりたいなあと思います。
△top
2004年7月21日(水) 戦争は狂気
昨日、関西の方から
会津藩兵の暴虐についてのご指摘がありました。
戦闘状態になると、双方、エスカレートし、
あらん限りの暴虐を加えてしまうのです。
これは長州も会津も同じでした。

会津が京都で火を放つ行動に出たのも、
長州の行動と表裏一体のものでしょう、

会津近郊の戦闘でも
焼き討ちは日常茶飯事でした。
私が住む郡山も会津兵に焼かれました。
薩長兵の宿舎を絶つためです。

薩長軍が攻め込んだ
母成峠
会津兵はふもとの集落をすべて
焼き払いました。
怒った農民が
官軍を先導し、会津領に攻め込みました。

戦争には、いつも付きまとう問題です。
会津が悪いというのではなく
そこに追い込んでいった
西郷や大久保、
木戸孝允らにも
問題大いにありということです。

会津藩の焼き討ち戦略
ほめられたものではありませんが、
朝敵というレッテルを貼り
無理やり会津に攻め込む、
この方が
よほど
悪いといえるでしょう。

明治維新は残念ながら
血塗られた歴史であり、
輝かしい明治国家の部分もありますが、
それは表面だけのことでした。

そうしたことも含めて
いま越後の戊辰戦争を書いています。
△top
2004年7月20日(火) いまや会津が正義
昨日の続きです。
テレビによって
どんどん世相が変わります。
私は以前、
『なぜ会津藩は朝敵か』
を書きましたが、
大河ドラマ新選組のおかげで、
いまや会津が官軍です。

いけいけ、どんどん
会津は正義の味方として
街道をまっしぐらです。
長州は
朝敵となり
いまや
長州の人気はがた落ちです。

世相とはそんなもので
いつでもすぐに
かわるのです。

本当に驚きです。

戊辰戦争の時がそうでした。
会津を倒せ!

何も関係のない諸藩が
わけもわからずに
会津に攻め込んできました。

今度のテレビで
ようやく
バランスが取れたのです。
三谷幸喜さん
その意味では素晴らしい脚本です。
△top
2004年7月19日(月) 9月の会津祭り
昨夜のドラマ新選組
すごい迫力でした。
最近にない出来栄えですね。

あのテレビで
長州の狂気が国民の前に明らかになり、
会津の株が上がったと思います。

テレビはすごいですね。
一瞬にして歴史を変えてしまうのです。

そんなわけで
9月の会津祭りは
イベントが一杯です。

22日、
会津若松と下北半島の討論会があります。
前座に私が講演します。
演題は
『幕末史』激闘!薩摩、長州、会津
です。
私は明治維新は
この三藩の暗闘から
生れたと解釈しています。
会津藩がなければ
長州藩は存在しませんでした。
会津藩があったから,新選組が存在したから
長州藩が燃えたのです。

巨人・阪神戦のようなものでした。
どちらが巨人
それはもちろん会津です。
会津を倒せ!
新選組を殺せ!
長州藩は結束を固めたのです。

会津は巨人です。
堂々と胸をはっていいのです。

25日は
会津新選組サミットです。
全国から関係者の方が見えます、
私が討論会の司会進行を担当します。

いまから楽しみです。
△top
2004年7月18日(日) 日曜日の朝
朝、テレビを見ました。
民主党の岡田さんが出てきて
政権担当のビジョンを語りましたが、
特に新しいことはなく、
せいぜい、
国務大臣クラスのビジョンでした。

小中高の格差を無くすとか
年金問題とか
まったく夢がなく
失望でした。

かといって自民党はどうか
橋本派の金権体質は
最悪ですね。
1億円
覚えていない、
記憶にない、
俺がもらったわけじゃない

この国は
ひどい状況に
落ち込んでいます。

やはり大統領制度にして

おれはこうする
と選挙で訴え
大統領の責任と決断で
政治を行う。

もうこれしかないと思います。

テレビを見た感想でした。
△top
2004年7月17日(土) 山川健次郎の胸像
山川健次郎の胸像が出来上がり、
今日、
会津若松市で披露されました。
日新館の前に建てられたのですが、
見事な像でした。

これを機会に
山川健次郎研究が
進むことを期待しています。
私の
「山川健次郎伝」
平凡社
もよろしく
お願い致します。


ところで
『幕末史』
三修社
地元の東北書店では
今週ベスト10
5位に入りました。
じょじょに
というところでしょう。
△top
2004年7月16日(金) 幕末維新は盛り上がる
昨日の通運関系者の集まり
幕末維新で大いに盛り上がりました。
秋田藩が列藩同盟を離脱したことも
取り上げたのですが、
横手運送の塩田謙三社長から
横手で討論会を企画しましょうという
ご提案をいただきました。

秋田には地道に戊辰戦争を研究されている
吉田昭冶さんもおられるので
面白い討論会が開けそうです。

秋田はご承知のように
いち早く列藩同盟を離脱、
官軍になったところです。

それが
どのようにプラスに働いたのか
あるいはマイナスだったのか

興味深い討論になるでしょう。

実現に向けて努力したいと思います。
△top
2004年7月15日(木) みちのく会講演会
今日は会津若松で、第36回みちのく会総会にお招きを受け、
講演をします。
出席者は北海道から九州までの
運送業界の方々です。
旭川通運、北海道通運、青森運送、山形陸運、
仙台陸運、それから新潟、東京、名古屋、
大阪,京都、広島、博多、福岡、鹿児島と全国各地の方々です。

演題は
新選組と会津藩

大いに
新選組と会津藩をアピールしたいと思います。
△top
2004年7月14日(水) 新潟の豪雨
新潟の信濃川流域の氾濫は
何百年よくり返されてきました。
慶応4年も大洪水が起こりました。
戊辰戦争の年です。

長岡周辺は、60年来の豪雨となり、
信濃川が氾濫しました。
そのさなかに戦争が起こったのでした。

薩摩、長州の連合軍は小千谷に本営を構え、
列藩同盟軍は、長岡で迎え討ちました。
双方の間には
濁流渦巻く信濃川があり、
ここは渡河できないと
同盟軍は考えていました。

しかしこの考えは甘かったのです。
1船100両という大金を払うといって
船頭たちに船を出させ、
濃霧の中を渡河してきたのです。

突然の奇襲攻撃でした。
これで長岡はあえなく落城したのです。

なにごとも油断大敵です。

攻める者と
守る者の
違いが出ていました。

後日談
船頭は100両は払ってもらえず、1人たったの3両でした。

何が官軍だ、
皆、いかりました。

いまそこを書いています。
△top
2004年7月13日(火) 河井継之助のもう一つの顔
人間は多面的な生き物です。
ラストサムライ
河井継之助も
見方を変えると
戦争を引き起こした
無謀な男という批判も付きまといます。

確かに
戦争がないに越したことはありませんでした。
しかし
河井が戦争を引き起こしたのではなく
戦争に引き込まれたというのが実態でした。

河井は一端いいだしたら聞かない男でした。

独善的、
という批判もなりました。

今回
そうした河井のもう一つの顔も描き
じゃ
どうすればよかったのか
も論考したいと思います。
△top
2004年7月12日(月) 今日は仙台
7月はなぜか多忙です。
今日はNHK仙台文化センターの仕事です。
新選組池田屋事件を話をします。

ところで選挙
自民党、逆風でした。
若手候補者は
民主党が多く
政権交代の日は
そう遠くないような感じです。

2大政党になって、
競い合う、

それがいいと思います。

小泉さんの次ぎは誰なのか

自民党は苦しいですね。
徳川幕府にならないように
自民党は
再構築しないと
いずれ政権の座から落ちることもありますね。

ただ民主党も未知数です。
政権をとったらどうなるのか   
不安材料も多いと思います。

じっくりと
観察しなければなりません。
△top
2004年7月11日(日) 野口英世はどんな人
奥会津文化フォーラム
無事終わりました。

野口英世について
基調講演をされた
野口英世記念館学芸課長
小桧山六郎さんのお話し

面白く拝聴しました。

問い 一言で言うと、英世はどんな人ですか

答え ううん、それが難しいのです。
 いくつもの顔を持った人ですね。
 一言ではとてもいえませんね。

とおっしゃったのが印象的でした。

ううん
私も原稿を書いていて困りました。
皆さんはどうご覧になりますか、


本日の読売新聞
本よみうり堂

愛書日記

元東大学長、俳人の
有馬朗人さんが
私の『山川健次郎伝』を
書いておられました。

六月三十日
六時モスクワよりの帰路の飛行機で目を覚ます。
旅中携えていた本の一冊
『山川健次郎伝』白虎隊士から帝大総長へ
星亮一著、平凡社
を読みはじめ、十時成田に着くまで読み
家で夕食後又読み続ける。

とあり
くわしく
私の本を紹介して下さいました。
恐縮の至りです。
△top
2004年7月10日(土) 朝のあいさつ
いま6時です。
仕事場に寄りました。
本当が寄らないつもりでしたが、
カメラを忘れ、
急いで
立ち寄りました。
これから三島町に出かけます。
用件は
昨日の
一言をお読みください。
△top
2004年7月9日(金) 奥会津文化フオーラム
上記にイベントのため
明日早く出かけます。
一言はお休みとなります。
イベントは昨年から福島県に三島町で行っており
同町の
交流センター山びこ
で11時開会です。
野口英世、
女流文学
地方出版物
などがテーマで
終日
討論します。
入場は無料です。
近郷近在の方はお出かけください。

民俗行事
虫送り
生ビールを飲む会もあります。

結果は
日曜日にご報告します。
△top
2004年7月9日(金) 直木賞候補に仙台の二人
今回の直木賞候補に
仙台から2人が上がりました。
熊谷達也さんの『邂逅の森』

伊坂幸太郎さんの『チルドレン』
です。

熊谷さんは
山本周五郎賞を受けたばかり
伊坂さんは昨年に続いて2度目の候補です。

熊谷さんは
郡山の文学グループ北東文藝協会の北東文藝賞の
2回目の受賞者でもあります。

とにかく
二人を応援しています。
東北在住の作家が確実に増えています。

東北の時代が
そこまで来ています。


たかが選手

プロ野球は
合併をめぐって揺らいでいます。


今朝の毎日新聞によると、巨人・渡辺オーナーは
「選手会の古田会長がオーナーと会いたいと要望しているが」との質問に、
「分をわきまえなきゃいかんよ、たかが選手が。オーナーと対等に話をする根拠は一つもない」と話した。
また選手会側がストライキ権に言及していることについては「どうぞどうぞ」と強硬発言を繰り返したと報じられました。

これはどう解釈したらいいのでしょうか。
選手会が合併反対というのであれば
高い報酬を返上して
球団を救う意思が
あるというのでしょうか。

それとも
会社は赤字でも
報酬は出せ、
経営は続けろ
というのでしょうか。

今日
あらゆる業界で
合併
リストラが進んでいます。

野球だけが例外ではないでしょう。

渡辺オーナーに発言は
少々きついですが、
ならば
選手会
具体的に
どう赤字を解消し
減少する観客を取り戻すのか
しめしてもらわないと
これも空論になりますね。
△top
2004年7月8日(木) 文章術入門
毎日、文章を書いていますと
「原稿を見てほしい」
という依頼があります。

年に何人か
見えたり、
原稿を送ってきたりします。
昨日もそういう相談がありました。
しかし、
すべてお断りしています。

文章はまったく
書いた方の責任であり、
他人がとやかく
口をはさむべき問題ではないからです。

私の場合、
複数の校正者がついており、
名前、年号、あるいは読み方
事実関係
いくつかの
サジェッションを受けています。

ただし
あくまでも参考意見であって、
それを使うかどうかの
判断はすべて
私が行っております。

某選書から
戊辰戦争に関する本
を出したときです。
私が書いていない文章が挿入されていました。

私は現状復帰をもうし入れ、
元どうりに直してもらいました。

文章というのは
そういうもので、
他人が勝手に手を入れるべき
ものではないのです。

だから
私は
申し訳ないのですが、
他人の原稿は見ないのです。

人に聞くのではなく
自分で発表して、それから
意見を聞くべきものなのです。

もう一つ
重要なことは
文章表現法は
実に、なんとおりもある、ということです。

中日の落合監督は
「好きに打てよ、おれは何もいわん、任せるよ」
と4番バッターの福留に言ったそうです。

こうして打つんだといったところで
打てるものでもなく
結局
その人のスタイルで打つしかないのです。
文章も同じです。

人に聞かれたときは
そう答えています。
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2004年7月7日(水) 幕末史ー読売新聞1面広告に
本日の読売新聞1面の書籍広告に
『幕末史』激闘!薩摩、長州、会津
が掲載されました。
三修社が、『決戦戦艦大和の全貌』と一緒に
掲載したもので、
目立つ広告です。
ありがとうございます。

『幕末史』
おかげさまで
都市部で反響があり
横浜の有名書店では
10冊並べて
1週間で6冊、買っていただきました。

私の住む郡山市の書店でも
6冊売れています。

幕末維新における
東北人の被害者意識からの脱却を
テーマに書いた本です。

幕末維新史に興味のある方は是非
読んでほしいと願っております。
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2004年7月6日(火) 秀吉の功罪
伊達政宗を書いていると
秀吉という人物の功罪をつくずく考えてしまいます。
秀吉は政宗の反乱をもっとも警戒していました。
政宗も秀吉は大きらいで、隙あらば
打倒しようと思っていました。

それがなかなかできない。
秀吉に飼い殺しにされ、
政宗が描く
天下取りは実現できませんでした。

政宗は何度も領地を召し上げられ、
会津若松を取られ、
米沢を取られ、
北へ北へと追いやれれました。

腹が立つこと
おびただしいものがあります。

戦って
戦って
政宗はやっと
仙台の地に王国を築いたのです。
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2004年7月5日(月) 幕末史の反響
激闘!薩摩、長州、会津
ということで
話題を呼んでおります。
15日には
全国の通運業者の大会が会津若松市であり、
同じ演題で講演します。

できるだけ討論の時間を多く取り
皆さんのご意見を聞くつもりです。

また9月22日の会津祭りでも
この演題で講演します。
この日は
青森県から
むつ市長ら
大勢の方が見えます。
斗南藩に関する討論会茂ございます。
是非、皆さんもいらしてください。

くわしくは
会津若松市の広報に
お問い合わせください。
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2004年7月4日(日) 福島民報、福島民友新聞に掲載
『幕末史』激闘!薩摩、長州、会津
三修社刊
が今朝の福島民報、福島民友新聞に掲載されました。

この本のテーマである被害者意識から脱却を大きく
取り上げておりました、

福島民友新聞の書評(読書欄)は次の通りです。

「近代日本は薩摩、長州、会津の激しい暗闘の中から誕生した」。
その構図をそれぞれの藩がおかれた立場を踏まえて解説しているが、
著者のもう一つの狙いは会津をはじめとして
「おもに東北に根強く残る被害者意識からの脱却」
を試みたことにある。
 後半では日本の近代化に貢献した人々を取り上げ、
「近代日本は勝者のみの国家ではなかった。東北、越後も
ねばり強く明治国家に参画していった」
「敗者は弱者ではない」
と指摘する。
盛岡の人々は原敬の総理就任で被害者としての明治維新は終わった、
会津にしても東大総長になった山川健次郎が復権のシンボルではないか、
という。
「敗者の代表とされる会津の人々も敗戦の悔しさをバネに
明治以降も国家のために少なからぬ影響を与えた。
ただの敗者ではない。しかも十二分に積年の恨みを果たしている」
との指摘でもある。
(三修社・一九九五円)

ありがとうございます。
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2004年7月3日(土) 河井継之助こそラスとサムライ
ラストサムライ
あの映画、大変楽しくみることができました。
前にも若干、書きましたが、

日本におけるラストサムライは誰か

数人はいますが、
人を率いて自ら戦い、死んでいった男
それは一人しかいませんでした、

土方歳三も
その部類には
入りますが
かれが真のリーダーではありませんでした。

では一体、誰か
そうです。
越後の河井継之助です。

ということで、
いま河井をノンフィクションで書いています。

すごい男です。
提督山本五十六がもっとも尊敬した
河井継之助

その姿を描きます。
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2004年7月2日(金) 新聞社まわり
今日は
『幕末史』激闘!薩摩、長州、会津
を持参して、新聞社に出かけ、あいさつまわりです、
福島民報郡山本社、福島民友新聞郡山総支社
を中心にまわります。
出版社の
編集、営業の方も見え、
一緒にまわり
そのあと、
八重洲ブックセンタ-郡山店、東北書店、岩瀬書店などをまわります。

本を店頭に並べるだけの時代は終わりです。
講演会をするとか
サイン会をするとか
読者を大切にするイベントが大事です。

私はNHKで月3回、教室をもち、
外での講演会も1回はあります。

講演会の場合は地元の書店とタイアップして、
必ずサイン会を開いています。

努力の時代だと思います。

『戦う政宗』続報

リズムの悪い部分をようやく
通り越し、
快調なすべりになってきました。

文章はリズムです。
それは体調にも
非常に関係し
深酒をすると
完全にだめですね

睡眠も不可欠です。
文章と健康は深い関係にあるのです。
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2004年7月1日(木) 『戦う政宗』校正で難航
『戦う政宗』の校正、難航しています。
2年ほど前に書いた原稿なので、
こんなことを書いていたのか
という個所がいくつか出てきます。

いまのリズムとあわなかったり、
なんじゃ
これは
という件りがあったり、
時間が取られています。

私はいつも
初校でかなり直す習性があり、
今回もそうなのですが、
無駄なところはばさばさ削ッています。

最初から
そうしてくださいよ
とおっしゃる編集者も
おられますが、

全体を通して、真剣に読むと
どうしても
修正を加えたくなってしまうのです。
これはやむを得ませんね。

これで
スリムな政宗が誕生すると思います。


さて野球
だめかと思っていた阪神
勝ちましたね。
金本が打ってくれて
思わず拍手でした。

かれは東北福祉大の出身

私も昨年まで
時おり
教壇に立ちました。

今日の試合も
勝ってほしいですね。
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