星亮一 今日の一言

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2003年3月31日(月) ネット戦争日記
イラク戦争では若い兵士が、自分のホームページに前線の様子を記載しているそうです。
これは革命的なことですね。英語さえ分かれば、前線の兵士のナマの声が聞けるのです。タイトルもさまざまで「兵士の物語」であったり「砂場からのライブ」であったり、実に興味深い感じです。
学生時代は英文を読めたのですが、いまはまったくだめです。日本から行っているジャーナリストのどなたか、ホームページを立ちあげてもらえないものでしょうか。
ただ注意も必要のようです。ある意図のもとに流すことも可能だし、知らぬうちに情報操作をされているかも知れません。
戦場では当然、機密もあリ、事実と異なる場合もあるでしょう。
ともあれ、これは新しいコミニュケーションです。
凄い時代がきたと思います。
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2003年3月30日(日) 息凝らす北朝鮮
日経新聞の北朝鮮報道は実に的確のように思います。日本人の関心はもちろんイラク戦争の行方ですが、それ以上に関心を寄せているのは北朝鮮の動向です。
金総書記と軍の幹部は、中国国境あたりにこもってイラク戦争のテレビを見ながら対策を練っているといわれています。今朝の日経は「息凝らす北朝鮮」と題して詳しく報道しています。米軍がイラクの民兵の自爆攻撃にてこずっていることに、金総書記は自信を深めているに違いありません。
いかなるハイテク兵器もゲリラの自爆には、かなわない部分が確かにあるでしょう。
かつての日本軍がそうでした。特攻隊が米軍を驚愕させました。
しかし最後は飛行機も軍艦もなくなり、原爆を落とされ、敗れました。
米国が北を攻撃するかどうかは、まったく不透明で、韓国に莫大な犠牲者がでるので、ないという見方も強いようですが、北朝鮮が国内の人権を抑圧し、多くの人民が飢えている現状を見ると、戦争がないとは言い切れません。
世論調査でも多くの日本人が戦争の危険ありと見ています。
金総書記、いずれ姿を現わしてコメントをだすでしょう。注目して見つめたいと思います。
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2003年3月29日(土) 伊達家塵芥集
土曜日、日曜日の楽しみはゆっくりお茶を飲みながら新聞を読むことです。
何度もいうことですが、新聞は全国紙で130円、地方紙だと110円ぐらいです。
日経は少し高いですが、ほかのものに比べれば、安いですね。
丹念というわけには行きませんが、できるだけゆっくり読むのです。やはりイラク戦争です。砂嵐の壁に阻まれて米英軍は苦労しているようです。秒速20メートルの風といったらこれはものすごいものがあります。何もかにもみえなくなり、目も見えず、口もきけず、ハイテク兵器も使えず、イラクには神風になっているのです。戦争のニュースは慣れてしまうのが怖いですね。
そんななかで、産経新聞の東北版に「えッ」という記事が出ていました。
戦国大名が家臣団の統制、領国支配の基本法を定めた戦国家法、奥州伊達家の「塵芥集」が国の重要文化財に指定されるという記事です。
いま「戦う政宗」を書いている私としては、当然、目を引く記事でした。
「塵芥集」は数ある家法のなかで、もっとも模範的な家法と言われ、土地の売買、土地の境界、婚姻、犯罪など生活全般にわたる事柄を規定しているのです。
祭礼は毎年きちんと行いなさい、酔って人を殺したらいいわけ無用、拾ったものはかなRくぁズ届けなさい、など今日でも通用するものが非常に多いのです。
戦国時代というと、物騒な時代に思えますが、必ずしもそうではなかったのです。
戦争、拉致、殺人、何でもありの現代の方がはるかに物騒なのです。
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2003年3月28日(金) 侵略の証言
7月21日から旧満州からノモンハンに出かけるために、満州の勉強を始めています。
以前、「満州歴史街道」(光人社)を書き、かなりの資料を読みましたが、満州における日本軍の残虐行為について、読者の方の質問がありましたので、一冊だけ資料をご紹介したいと思います。それは日本軍人ならびに旧満州国官吏が、中国の戦犯管理所において供述した供述書です。「侵略の証言」(岩波書店)に収録されていますが、この証言を読みますと、ゲリラ攻撃に徹底的に悩まされた日本軍の実態が浮き彫りになっています。陸軍第117師団長の供述には、共産軍ゲリラとの戦闘で、洞窟攻撃に毒ガスを使用し、幹部100余名を殺し、付近の山に避難していた農民多数を斬殺し妊婦の腹も割ったとあります。また集落800戸を焼き、婦女子100人に暴行したともあります。
イラク戦争では、まさかこのような残虐行為はないでしょうが、武装ゲリラが一般市民になかに混じり、自爆行為に出ると、どうなるか分かりません。
戦争にはこうした悲しい現実があります。
旧満州の奥地、ハイラルでこうしたことも調べて来たいと思っています。
関心のある方の参加を期待しております。
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2003年3月27日(木) 苛立つ日々
今日の社会は苛立ちが目立ちます。米軍は砂漠で進撃を止められ、戦死者も次第に増え、ラムズフエルド国防長官は声を荒げたと新聞にありました。砂嵐のなかから何時イラクのゲリラがでてくるか、前線の兵士は恐怖におびえ、どこもかしこも苛立ちです。先日、朝日新聞を読んでいたら著名な三人の作家が、独自の販売活動をすると報じていました。書店での本の売上は確実に落ち、このままではどうなるのかという危機感が背景にあると思います。
再版はきわめて少なく、作家の収入は減っています。自分で担いで販売する時代がくるのかも知れません。苛立ちといえば北朝鮮の金総書記もいらだっているようです。
違ったニュースがないかと日経新聞を読んでいたら、26日の北朝鮮の最高人民会議に金総書記が欠席したとありました。これは何を意味するのでしょうか。
最高人民会議といってもそれは形式で、さほどの意味がないということか、それとも金総書記の周辺に異変が起こったのか。
いろいろ憶測はあるようですが、日経の報道では軍の幹部とどこかにこもってイラク戦争を分析し、米軍が北を攻めた場合の対応策を練っているのではないかということでした。
これも苛立つ話です。
明日は明るい話題を探してお送リするように致します。
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2003年3月26日(水) 東京は暑い
二日間、東京でした。コートを着ていったのですが、暑くて大変でした。
少し仕事もしてきました。青春出版から出す新書「幕臣はなぜ薩長に敗れたか」
のタイトル変更の話があり、担当の方とあれこれミーティングしてきました。
「幕臣が取り損ねた明治の日本」とか、二、三、議題に上りました。
いかにして読者に訴えるか、大変なのです。
発売時期は4月から5月に変更になりました。タイトル正式に決まれば、ご報告します。それではまた明日。今日は少し疲れました。
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2003年3月25日(火) 卒業式とイラク戦争
各地で大学、高校の卒業式が行われいます。私は昨年、修了した日本大学大学院の総合社会情報研究科の修了式も今日、日本武道館で行われ、そのあと市ヶ谷で祝賀会があります。
それに出席するため、これから東京です。昨今、もう一度、勉強したいという中高年の人がたいへん増えています。
晴れの修了式を迎えて、その喜びもいかばかりかと思います。
その間隙を縫って出版社の編集者の方にも会ってきますが、気になるのはイラク戦争です。米軍は補給路をゲリラ攻撃され、苦戦しています。
どちらの立場に立つにせよ、早期終結が大事です。
日本は何かできないのか。無力なチキンには、手をこまねいて傍観しているしかないのかも知れませんが、テレビ、新聞を見るのがつらい日々です。
何とかならないものか。
東京で得た情報は明日、報告します。
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2003年3月24日(月) 人間の盾
米英軍の空爆を阻止する人間の盾になるため、何人かの日本人がバグダットに入っているようです。人間の盾は、古くからある戦法で、日本の戦国時代でも、よく使われました。凄いのは伊勢長島の本願寺門徒と信長の数年に及ぶ戦闘の時です。
「進めば往生極楽」、「退かば無限地獄」と大書した筵旗を立て、本願寺の門徒たちは、長島に篭城しました。信長は「奴らは狂徒じゃ、一人残らず殺せ」と命令し、壮絶な戦いになりました。
本願寺側の門徒の中には、逃げられないように、足を鎖でつながれた人間の盾も大勢、いました。信長はあらゆる手段でここを攻め、すべてを焼き尽くす焦土作戦も取りました。
人間の盾は、どちらかの権力者に利用された犠牲者にすぎませんでした。
かつての朝鮮動乱でも機関銃の台座に鎖でつながれた兵がいたということです。
人間の盾とはどちらにしても、死ぬことです。
殉教者の意識が必要です。凄い人が現代の日本にもいると思います。しかし現実は、殉教者ではなく、どちらかの道具にすぎず、無駄死になのです。
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2003年3月23日(日) 戦う政宗
私の歴史小説、「戦う政宗」は、関ヶ原の戦いまで来ました。秀吉後の日本の主導権争いが関ヶ原の戦いでした。政宗は家康を支持し、石田三成を支持し、東西から家康を挟撃せんとする会津の上杉景勝を釘付けにする作戦を実施しました。
三成の要請にもかかわらず、景勝は一歩も会津を出ることができず、家康の大勝利となるわけです。
政宗は秀吉に敵視され、東北の奥に押し込められていました。家康に積極的に荷担することで、現在の宮城県と岩手県の南部の領地を得て、東北最大の大名の地位を得るわけです。
日本の歴史では、関ヶ原の家康の勝利は、三成方だった西軍の小早川秀秋の裏切りが、大きいとされていますが、三成、景勝同盟を分断した政宗の功績が大だったと思います。そこを書いています。
でも気になるのは、イラクです。
何とか早期停戦にならないかと思うばかりです。
朝のテレビ、日曜討論を聞きましたが、与党と野党がただ言い合うだけで、すべては「人ごと」です。野党は平和憲法を持ち出して、われ関せずだし、与党は北朝鮮の脅威を除くには米国支持しかないと、繰り返すだけでした。
自分では何もしないで、ちいさな土俵でいがみ合う日本、金正日の高笑いが聞こえて来そうです。
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2003年3月22日(土) 金正日の心境
イラク戦争を自分の身に降りかかる問題として深刻に見つめているのは、もう一人の悪の枢軸、北朝鮮の金総書記でしょう。
彼は何から何までフセインにそっくりであり、この戦争が終わればアメリカの次の標的は間違いなく北朝鮮に違いないからです。中国がどう出るかにもよるでしょうが、アメリカの偵察機にスクランブルをかけ、ミサイル発射のしぐさをしようものなら、今度は護衛の戦闘機に撃ち落とされるに違いありません。あまりにも凄いアメリカの爆撃に、昨今の北朝鮮は沈黙を守っています。それだけショックが大きいということでしょう。
金正日がどかに雲隠れしたという報道もあるほどで、頭を抱えているのかも知れません。
ただこのまま、引き下がる人ではないでしょう。
核開発のテンポを速め、核武装で対処するかもしれません。今朝の報道によると、韓国は国益を理由に工兵部隊700人の派遣を決めました。
日本は海上自衛隊の艦艇を近海に派遣しているわけですが、医療部隊の派遣などを速やかに検討すべきではないでしょうか。
次の戦場は隣国、朝鮮半島と日本になる可能性があるからです。
私はそういう目でイラク戦争を見つめています。
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2003年3月21日(金) サダム・フセイン
駅で新聞を買い込む日々が続いています。米軍のイラク攻撃は、テレビで見ていますので新聞はどうしても見出しを追いかける程度になってしまいます。じっくり読む時間は確実に減っています。特徴ある記事は何かないか、私は探します。
今朝の読売新聞に見つけました。「絶対絶命サダム王朝」と題する記事です。
それを読むとサダムは、バグダット郊外の寒村に生れました。生れる前に実父を亡くし、義父に暴力を振るわれ、満足に学校にも行けずに育ったようです。十歳の頃、母方の伯父に引きとられ、伯父の影響でバース党の活動家になったのです。そこで着実に出世街道を歩み、42歳で大統領になりました。ある意味では天才的な活動家だったのでしょう。
彼の権力機構は一族で占められ、自分に刃向かう者は容赦なく殺す恐怖政治を進めてきました。北朝鮮と同じですね。
夫人は三人いて、すべてが大宮殿に住んでいたようです。
私はいま伊達政宗の伝記小説を書いていますが、日本でいうと誰でしょうか。
織田信長は専制君主でしたが、どこかにロマンがありました。
太閤秀吉、少しサダムに似ていますが、晩年は周囲の人にすがり、子供の秀頼を頼むといって死にました。
日本人はサダムとか金正日のような独裁者が生れない風土があるようです。
なぜか。絶えず批判者がいたからです。信長は光秀に暗殺され、秀吉も最後は家康に名をなさしめます。
伊達政宗はどうか。青年の時代は奥州の暴れ者でしたが、晩年は民を思う名君でした。ということはどうなんでしょうか。日本には戦国時代からバランス感覚があったということでしょうか。
話が変わって国会の論戦、民主党の菅さん、アメリカを非難していますが、問題は北朝鮮対策です。彼らが日本に攻撃を仕掛けたとき、民主党は国民にどう責任を取るのですかね。
それがまったく示されていません。とにかく国会は次元が低いですね。
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2003年3月20日(木) 固唾のむ世界
午前10時、対イラク猶予の期限が切れました。
この時点ではまだ攻撃は始まっていないようです。バグダットからの中継を見ても変化はないようです。しかし、今日中には戦争がはじまるのでしょうか。福田官房長官が記者団の前で複雑な心境と語りましたが、日本人の多くはそうだろうと思います。
イラクの戦争の間隙を縫って北朝鮮がどう出るか、これも心配です。航空自衛隊のawacsが日本海を飛んで、監視するようですが、その行為が憲法で禁じる集団自衛権の行使に抵触する批判があるというのも、まったくおかしいですね。憲法栄えて国滅びるのたぐいです。今日から世界がどうなるのか、日本はどうなるのか。
手に汗握る日々になるでしょう。しっかり見つめる必要があると思います。
そして昼前、攻撃が開始されました。
バグダットの上空に閃光が走り、対空砲火が打ち上げらました。
ついにはじまったのです。
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2003年3月19日(水) サンデー毎日
週刊誌も時々目をとおします。サンデー毎日の今週号、「孤立するアメリカ、沈む日本」と題する特集がありました。しかし、今朝のテレビニュ-スを見ると、アメリカは必ずしも孤立せず、生物化学兵器をイラクが使った場合、フランスもアメリカを支援すると報じていました。国際政治はどんどん、変わります。
ところで、今週号で目立つのは、東大、京大、北大、東北大、名大、阪大、九州大の合格者高校別ランキングです。西日本の高校生の東大離れが進み、東大は東京中心の大学にかわりつつあるようです。東北出身者は少なく、盛岡第一の14人が最高で、かつての名門仙台第一はたったの1人という事態は、どう解釈すべきでしょうか。
異変が起こったのは東北大で、ノーベル賞の田中さんの影響でしょうか。
東北出身者の割合が全体の5割を切りました。これも東北の高校生にとっては大変なことですね。
トップの仙台第二がたった61人というのですから、驚きです。新潟、長野、東京、宇都宮、土浦、前橋、浦和、静岡、金沢、横浜などの高校からかなりの生徒が入り、その分、東北は締め出されたわけです。東北の高校生、がんばってください。
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2003年3月18日(火) 人はなぜ戦争をするのか
今朝の新聞は、どこも1面トップは、ブッシュ大統領の最後通告でした。
国連などさほど機能はせず、間違いなくアメリカのイラク攻撃は開始されます。
軍隊をあそこまで動員すれば、撤退はありえません。人は平和を唱えますが、人間がこの世に誕生して以来、戦争のない時代は皆無でした。日本だって国連を脱退して戦争に踏み切りました。
社民党がどう騒ごうが、戦争はあるのです。この原点に立って世界とか国家とか、人類を考えなければ、現実の政治はありえないのです。私は歴史を専門にしている人間です。昨今、非常に注目しているのは、日本の中世時代の村の戦争です。
中世の村人は武士にひけを取らない弓矢の技術を持っていました。鉄砲も所持していました。
それは鹿や猪を狩するために必要でした。同時に村を守るための武器でした。
それぞれに縄張りがあり、それを犯せば戦争でした。それは漁村でも同じでした。
盗賊から村を守るためにも武装は必要であり、侵入した者には敢然と戦いを挑んだのです。利益を求めて積極的に戦争を仕掛ける村もありました。
今日も基本的に変わりはないのです。
イラクとか北朝鮮とか、盗賊に近い国家が存在し、宗教とか国境とか、利害が相反する問題が世界に存在する以上、戦争はさけがたいでしょう。
冷戦が終わったとはいえ、アメリカは超軍事大国であり、フランスがなんだ、ドイツがなんだと、わが道を行くだけなのです。
日本はどうすべきか。
この辺で、憲法も改正し、自分の国を守る気構えが必要でしょう。
平和、平和と幾ら念仏を唱えても平和はこないでしょう。
日本はアジアのリーダーであり、中国、韓国などと対等の防衛力をもってアジアの安全保障に参画すべきです。それがない限り、アメリカと対等な関係も結べないし、アジアの平和にも寄与できないでしょう。
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2003年3月17日(月) ノモンハン
今朝も雪が降りました。
東北はまだ寒い日が続いています。私は今年の夏、大きなイベントを抱えています。
一つが、満州里、ノモンハンの旅です。日本陸軍はノモンハンで、ロシア軍の攻撃を受け、壊滅的な打撃を受けたのでした。昭和14年の夏のことでした。この事件についてはさまざまな見解があり、単に太平洋戦争の悲劇のはじまりとだけ見るのは単純すぎるようです。複雑な日ソ問題が背景にあったのです。
7月21日から、そのノモンハンに出かけるのです。あの事件は一体、なんだったのか、現場に立って考えたいのです。途中、開拓団の悲劇を生んだ満州里も訪ねます。
新潟空港発着なので、時間にロスがありません。一緒で出かける方を募っております。
もう一つはチベット旅行です。これはおってお伝えします。これから準備で大変です。
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2003年3月16日(日) 田中知事に賛成
拉致家族の横田さん夫妻が北朝鮮を訪問したいと言ったとき、私はここで賛成の意見を述べました。ところが蓮池さんら強硬派がこれに反対し、流れてしまいました。
日本政府がだめなのは、分かりきった事実であり、何事も自ら乗り込む姿勢がなければ解決はおぼつかないと思います。長野の田中知事のおっしゃるとうりで、北に出かけたい人は出かけて、自分の目で北を見て、直接、北の人に抗議する。それが大事だと思います。
私ならば、もう出かけています。
金正日は異常ですが、まともな人も何人かはいるはずです。えるものが何かはあると思います。
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2003年3月15日(土) 野口英世キャラクター
私が住む郡山市の広告代理店、ライトエージェンシーが野口博士の似顔絵をあしらったキャラクター商品を開発しました。野口博士は平成16年から発行される新千円札に採用されるのを機会に、景気回復の一貫として開発したものです。社長の伊藤さん、私の友人ですが、なかなかの才能の持ち主で、今回のイベント開発、鮮やかですね。現在7社の企業がこれに加わっていますが、サッポロビールの場合は、博士のキャラクターラベルを貼った福島県限定ビールを来月から発売します。
私も野口博士の本を書いています。「ちくま新書」から10月ぐらいに出版が決まっておりますが、これらののイベントと連動できないか、考えているところです。
福島県は夏頃から野口英世一色になりそうです。
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2003年3月14日(金) 政宗の反乱
日本政府もようやく普通の国並みの政治を行うようになりました。北朝鮮がミサイルを撃った場合、経済制裁を行い、自衛隊も防衛出動で対処,新パトリオットで迎撃するというものです。すべて当然のことだと思います。
私の小説「戦う政宗」は太閤秀吉が関白秀次を斬殺するところまで来ました。淀君との間に秀頼が生れ、秀次が邪魔になったのです。そこで謀反を起こしたと濡れ衣を着せ抹殺したのです。その謀反に荷担したと政宗にも厳しい処分がくだされそうになりました。
政宗は秀吉の使者に対して、そのような理不尽は行為は許せない、奥州の大名を総動員して豊臣政権打倒ののろしをあげると、詰め寄ったのです。秀吉もこれには折れ、政宗は東北の雄として、存在したのです。
戦う姿勢がなければ、つぶされているところでした。
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2003年3月13日(木) ノドン発射準備
読売新聞は、北朝鮮がノドンの発射準備に入ったと報じました。防衛庁はイージス艦を日本海に出動させたとあります。今週発売のサピオに注目すべき記事がでています。ノドンを撃ちこまれたときの日本の対応です。ミサイル1発で災害派遣、2発で防衛出動だそうです。災害派遣というのは、一切の武力行使ができない出動です。
しかも日本には敵の基地を粉砕する能力はなく、撃ち込まれるまで手をこまねいて見ているほかはないというのです。もっとも危険なのは東京とされています。
というのは命中精度が悪いため原子力発電所や米軍基地、自衛隊の基地は狙いにくく,東京ならば、山手線の範囲に落とすことができるというわけです。韓国の太陽政策で北はミサイルをつくり、日本を狙っていると、サピオは多角的に報じております。
政府はもっとさまざまな情報を国民に提示し、こうなれば、反撃できる態勢も整備すべきでしょう。
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2003年3月12日(水) インターネット研究室
今朝の河北新報を見たら、同社がインターネット研究室を設置したとありました。
テーマが毎回違うのですが、今日は「豊かさへの死角、無登録農薬」でした。
産地ではさまざまな農薬を使っており、それにどう対処するかでした。
山形の宮原さんは「色つやとはり」で野菜や果物を選ぶといい、横浜の田村さんは産地を選ぶと述べていました。ロンドンの京美さんは、パックに入ったものは買わない、自分で手にとり選択する、ロサンゼルスの大野さんは、フアーマーズマーケットで買うといいました。農家の人が直接販売するマーケットです。これはいいですね。
各新聞社が、さまざまなテーマでこのような企画をどんどん行って欲しいですね。
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2003年3月11日(火) あいまいな時代は終わり
北朝鮮による拉致被害者の家族会は,アメリカで暖かい励ましを受けて帰国したようです。
それにしても日本の対応は生ぬるいですね。自民党には首相経験者がごろごろいるわけですから、思い切って訪朝し、打開に当るとか、道はないものでしょうか。
とにかく日本の政治家は、行動力がなく、スケールが小さいという印象です。
国際的に活躍する人がいなさすぎます。それから、もっと本音で語って欲しいですね。
日米安保条約とは何か、それによって国民がぬくぬくと暮らしている現実、だから同盟国としてアメリカ支援は必然という図式を、はっきり説明すべきです。
あいまいな時代は終わりにしましょう。拉致問題になると小泉総理は「粘り強く」
とおっしゃいますが、あまりにも結果が出ませんね。
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2003年3月10日(月) 戊辰日記
米沢の博物館で宮島誠一郎の「戊辰日記」を購入してきました。米沢藩士宮島誠一郎が慶応四年に記した日記です。戊辰戦争で米沢藩は仙台、会津藩とともに、奥羽越列藩同盟の中核として戦いました。その模様がこと細かに記述してあります。
米沢市史編纂資料28号で、値段は2、250円でした。これは戊辰戦争の研究者には必携の日記です。興味のある方は、米沢の博物館にお問い合わせください。
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2003年3月9日(日) 国宝上杉家文書
米沢市の博物館で上杉家の文書の展示会を行なっていました。そのなかに秀吉が伊達政宗の芦名攻めを怒る直書がありました。会津を返さないときは、上杉景勝と佐竹で会津を討てとありました。地方の大名にとって、太閤秀吉は雲の上の人でした。
程なく政宗は米沢から岩出山に移され、後任には上杉景勝が入部するわけです。
秀吉と政宗の戦争はなおも続くのです。
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2003年3月8日(土) 国替え
今日はこれから米沢です。車で行く予定でしたが、天気が荒れ模様なので、山形新幹線にしました。車の3分の1の時間でいけます。新幹線の威力は凄いですね。
上杉景勝はもともと越後の人です。秀吉の時代、徳川家康、前田利家、宇喜田秀家、毛利輝元とともに五大老の一人でした。越後から会津に国替えになり、関ヶ原の後、会津から米沢に国替えになりました。
石田三成に味方したため、削封されたのです。120万石から30万石でした。左遷でしたが、質素倹約を旨として今日の米沢を築いたのです。それはもう涙ぐましい努力の連続でした。人間は苦難に立ち向かい、それを克服することが大事です。それを話したいと思います。
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2003年3月7日(金) 政宗と米沢
明日は米沢で討論です。集まる人は30人ぐらいだそうですが、皆さん、米沢の歴史に関心がある方ばかりなので楽しみです。
政宗は幼少の頃は梵天丸を名乗っていました。名前の由来は、男子の誕生を願った母義姫が、行者を出羽三山の一つ、湯殿山に登らせ、祈願したところ懐妊、政宗が生れました。そこから梵天になったといわれております。
一時期、会津黒川に移りましたが、二十代の中ごろまでは、米沢に住みました。
米沢を離れたのは、秀吉に国替えを言い渡されたためで、それから宮城県の岩出山に移り、その後、仙台を開いたのです。
仙台と米沢は親戚の関係にあるわけです。
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2003年3月6日(木) 弾道ミサイル
北朝鮮の弾道ミサイル「ノドン」は日本全土が射程距離に入り、100発撃つと50発が半径2・5キロの範囲に命中すると、今朝の産経新聞は報じました。
日本は火の海です。ところが国会のテレビ中継を見ていますと、ミサイルが日本に落ちたとき、自衛隊は災害救助で出動するというのです。聞いていて、むなしさを感じます。こんな考え方でいいのか。拉致も進展なし、北朝鮮問題も他人事、小泉さん、最近、おかしいのではないでしょうか。毅然たる態度で、当ってください。
災害救助ではなく、それは戦争ですよ。でも日本の戦闘機は遠くまで飛べないし、火の海を黙って見ているということになるのでしょうか。
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2003年3月5日(水) 奥会津文化フオーラム
私が主宰する北東文芸協会と奥会津作家協会、奥会津書房の三者で共同立案している「奥会津文化フォーラム」は、着々、準備が進んでいます。
期日は7月の12、13日で、基本テーマは「自然と人間の共生、そして文学」です。
2ないし3つのシンポジュームを組みますが、県内外から多くのパネラ-をお呼びします。
開催地は福島県大沼郡三島町で、町の森の校舎「カタクリ」と「交流センター山びこ」が会場になります。
ここは体験型の宿泊施設と、文化、芸術を発進する多目的ホールで、ここをつかって2日間にわたり、交流を深めます。総合事務局は近く三島町の奥会津書房に設けます。
このフオーラムを手伝ってくださるボランティアも近々募集を始めます。
皆さん、7月12、13日に三島町でお会いしましょう。
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2003年3月4日(火) 松井バンザイ
私も野球が大好きです。中学時代は野球の選手でした。1年生からレギュラーで9番、ライトでした。当時、今でもそうかもしれませんが、9番バッターは、一番打てない人です。
ライトもあまり球がこないところでした。一番下手な選手という存在でした。
試合になると応援合戦となり、「かっ飛ばせ、かっ飛ばせホシ」といわれると、あがってしまい三振の連続でした。担任の先生は「お前、たいしてうまくないんだ。
野球をやるとばかになる、やめろ」といわれましたが、面白くてやめられませんでした。
そんなことで、プロ野球も大好きで、毎日、毎日、松井のことが気になっていました。
松井は2本もホームランを打ち、もう大丈夫です。
日本のプロ野球はどこかつまらないだけに、今年はもう大リーグ一本です。
イチローと松井、もう日本の宝ですね。
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2003年3月3日(月) 日本よ
石原慎太郎が産経新聞に月一回、「日本よ」を書いています。
今日はイラク戦争をどうとらえるか、でした。
昨今のアメリカ批判について石原は「ただ戦争の是非を問う一種魔女狩り的雰囲気」
と分析する。石原の批判はさらに、すべて人任せな日本人に向けられる。北朝鮮が日本を火の海にしたとき、本当にアメリカは日本を守ってくれるのか。その保障はないと石原は断言する。安易な人任せの日本人、これでいいのだろうか。天は自ら助ける者しか助けはしまい。石原は言い切るのです。
基本的任私も同感です。アメリカが守ってくれるから安全だ、そんな国民が世界のどこにいるのでしょうか。
今日の日本はどうかしていると思えて仕方がないのです。
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2003年3月2日(日) 北帰行
今日は会津です。猪苗代湖の白鳥は磐梯山ろくを旋回し、シベリアに帰る準備を始めました。白鳥はもっとも多く飛来する三城潟に近くには野口英世記念館があり、1000円札に登場が決まって以来、観光客が二倍に増えているそうです。
野口英世ブームがきそうですね。会津若松もそろそろ観光シーズンの幕開けです。
雪も消え始め、飯盛山、鶴ヶ城も明るさを取り戻してきました。来年の大河ドラマは新選組なので、会津もその対応であれこれ秘策を練っています。
「ならぬことはならぬ」の会津魂ももう一度、現代に呼び戻したいと、こちらの運動も盛んになりそうです。以上、現地からの報告です。パソコンはどこからでも通信ができて本当に便利ですね。
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2003年3月1日(土) 高校の同級会
私の高校は岩手県立一関第一高校です。中学3年の時に仙台から岩手に移り、この高校に3年間学びました。そこの同級会を今年の秋に会津若松で開くことになり、その下見のために今日、一関と仙台から代表が郡山に来て、コースを歩くことになりました。
これから高速道路のインターに迎えに出ます。
この高校は創立100年の古い学校で、岩手県では盛岡第一高校と並ぶ伝統をもっています。なぜか文学を志した人が多く、三好京三、中津文彦、及川和男らの現役作家がいます。不思議ですね。今日は郡山の温泉で一風呂浴びてから、まず猪苗代の野口英世記念館に行こうと思っています。なにせ1000円札に登場ですからね。
秋の全体会では、会津藩について私がスピーチします。
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