星亮一 今日の一言

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2009年8月31日(月) 驚きの選挙でした。幕末維新は堅調
私がかねて主張していた幕府崩壊と同じ現象でした。

国民は自民党を見捨てていたのです。

ある種の革命だったと思います、問題はこれから、鳩山さん、小沢さんの真価が

問われます。

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民主組閣は国家戦略局重視…小沢氏の影響力強く
読売新聞

 党役員人事では、衆院選で陣頭指揮をとった小沢代表代行が

続投する方向となっている。

「来年の参院選で民主党の単独過半数を目指すには、小沢氏の力が不可欠だ」

(鳩山氏周辺)と判断したからだ。

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幕末維新、堅調です。

7. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (著)

38. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (著)

94. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (著)

97. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (著)
△top
2009年8月30日(日) 選挙、アマゾンベストセラー
総選挙、朝早く投票を済ませてきました;。
政権交代なるか。夜はテレビですね。

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注目の選挙区  スポーツ報知

森元首相「ばかな選挙を押しつけられている」


選挙戦最終日、支持を訴える石川2区の森喜朗元首相 石川2区では29日、

元首相の自民党前職森喜朗氏(72)と、民主党新人田中美絵子氏(33)が

炎天下で声をからした。

 森氏は石川県小松市の街頭に立ち、日焼け顔でマイクを握り

「(田中氏は)女性を売り物にして選挙をしている。顔で政治ができるのか。

ばかな選挙を押しつけられている」と“刺客”への不満をぶちまけた。

「自分はもう何もいらない。皆さんの良識を示してほしい」と呼び掛け

、深々と頭を下げた。

 田中氏は民主党の小沢一郎代表代行を迎え、

同市内で総決起集会。

「小泉改革以来の弱い者いじめの政治をやめなければいけない。

日本一厳しい選挙区だが、絶対負けるわけにはいかない」と参加者に訴えた。

 小沢氏は「大物に挑む勇気のある人。

ここで勝てば本当の意味で政権交代を実現できる」と田中氏を激励した。

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さてどうなるか。

アマゾンべストセラー、明治維新、100位までの5冊

13. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (著)
25. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (著)
61. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (著)
80. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一 (著)
88. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (著)
今日はなぜか、好調です。
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2009年8月29日(土) 対米、対中国、問題山積
民主党圧勝が予想されているが、どの程度の政治力があるかは未定である。

国民が厳しく監視する必要がある。

アメリカでは、鳩山さんの対米観に疑念を抱いている、

アジア重視というのは耳触りはいいが、日本がアジアでどうみられているのか、

中国は、アジアナンバーワンは自分だと思っている。

鳩山さんの政治力は、どの程度、通用するのか、

今朝の朝日新聞は、中国が空母の建造に着手したと報じた。

アジアの海は中国海軍の支配下にはいる事は目に見えている。

きれい事では済まない、力の政治がある。

外交、防衛、逃げずにしっかり政治をすすめてほしい。

憲法栄えて国滅ぶ、ことがないように願いたい。

もう一つ、自民党崩壊の責任者

森、安倍、福田らの元総理、引退していただきたいですね。

みっともないですよ、小泉さんはさすがです。

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活字離れなど厳しい経営環境にある新聞界で、

福島県南部の人口1万人前後の5町では、それぞれ夕刊紙が発行され、

最多で4千部を上回る堅実な経営を維持している。“一町一紙”の成功の鍵は、

地元密着の新聞づくりに対する住民の支持と「議論好き」の気風にありそうだ。

午後3時すぎ、棚倉町の「夕刊たなぐら」社内に印刷機の音が響く。

トップニュースは地元小学校のイベントの紹介。

黒川イセさん(84)ら“ボランティア配達員”が配る。

「健康の秘策は新聞配達」と自転車にまたがる黒川さん。

 5町で最初に夕刊紙が登場したのは石川町。

昭和21年に「福島民主新聞」が発刊され、

3年後に「町民ニュース」として日刊化した。評判を呼び、

ほかの町に広がったのが一町一紙の起源とされる。

 石川町は、全国でも早い段階で政治結社が発足したとして

「自由民権運動発祥の地」と自負。

町民ニュースの加藤健代表(65)は「自由民権運動が盛り上がったように、

新しい取り組みを排除せず『議論を好む』伝統がある」と、人気の背景を分析した。

 5町で7紙。各紙B4判1、2枚で、月額千〜1500円。

朝刊は多くが福島県紙や全国紙を購読する。

 7紙はいずれも住民のお悔やみ記事や行事情報などを、きめ細やかに伝える。

加藤代表は「町の人が『自分たちの新聞』という意識で支えてくれる」と話す。

 一方、夕刊たなぐらの金沢義昭社長(53)は

「不況の影響で広告の減少が深刻化している」と指摘。

高齢化と過疎化による人口・世帯数の減少などの課題もあると話している。

産経新聞
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2009年8月28日(金) 新潮ドキュメント賞に蓮池薫さん
蓮池薫さん、おめでとうございます。

心からお祝い申し上げます。

皆んなで蓮池さんの本を読みましょう。

新潮ドキュメント賞を受賞作は「半島へ、ふたたび」です。

拉致被害者の蓮池さんの初の韓国訪問記

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自民党議員に危機感なし

自民退廃必至の情勢である。原因は何か。

彼らの意識は貴族院議員だった。

2世、3世が多く、生まれたときからエリートだった。

選挙民も何も考えずに投票してきた。

貧農層の自民党支持という言葉があったくらいである。

その結果、農業はだめになり、地方はさびれ、犯罪も増えた。

140年前の幕府崩壊と同じ現象である。

国家意識はなくなり、日本は世界の中でも埋没しかかっている。

それでは日本がだめになる。

それが今回の選挙だろう。

自民党は出直すしかない。
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2009年8月27日(木) 韓国紙、自民崩壊を報道
日本の衆院選が公示された18日、

同日付の韓国紙は一斉に選挙情勢を詳報した。

「鳩山時代、秒読み段階」(韓国日報)、「沈没の危機、自民党」(中央日報)

といずれも民主党の優勢を伝え、政権交代の可能性に注目している。

記事本文の続き 衆院選に1ページを割いた中央日報は

自民党が「政策、改革や人物の不在によりリーダーシップを喪失した」と指摘、

民主党政権で予想される外交政策の変化などを分析した。産経新聞
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2009年8月26日(水) 鳩山『次の内閣』閣僚名簿 だそうです
■鳩山『次の内閣』閣僚名簿
大 臣
総理大臣 鳩山 由紀夫
副総理大臣 小沢 一郎  菅 直人  輿石 東
国務大臣 岡田 克也
官房長官 直嶋 正行

大 臣
総務大臣 原口 一博
外務大臣 鉢呂 吉雄 武正 
防衛大臣 直嶋正行(兼務)

内閣府担当大臣 松井 孝治
財務大臣 中川 正春
金融担当大臣(経済財政担当) 大畠 章宏
厚生労働大臣 藤村 修
年金担当大臣 長妻 昭
経済産業大臣 増子 輝彦
法務大臣 細川 律夫
文部科学大臣 小宮山 洋子

子ども・男女共同参画担当大臣 神本 美恵子
農林水産大臣 筒井 信隆
国土交通大臣 長浜 博行
環境大臣 岡崎 トミ子

官房副長官 長妻 昭(年金担当大臣兼務)

これに社民党ほかが入るわけですね、政界は選挙後の話でもちきりのようです    
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2009年8月25日(火) 9刷りになった 奥羽越列藩同盟、
奥羽越列藩同盟(中公新書)読者の声


ヤフーレビュー より

明治維新とは何だったか。 おすすめ度:

日本の「いま」を考えるのに、欠かせない教材が明治維新です。

いまになってみると、明治維新がすべて、

日本のいまをいい方向に導いたように記述されますが、果たてしそうだったか。

そう疑って日本史を振り返ってみようとしたとき、

本書は多くの示唆を与えてくれます。

日本の「これから」が厳しく問われているいま、その原点を問いただすのに、

絶好の書です。

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日本の近代成立の陰に葬られた真実

とりあえず東北人として、どうしてこの書をもっと早く読んでいなかったかと

悔やまれた。きれい事で語られることの多い明治政府確立の陰にあった、

ごく身近な辛い戦乱の様と先人の苦悩が実に生々しく語られる。

単なる「過去の事実」として歴史の闇に葬ってしまってはならない、

今の時代に生かさねばならない多くの「真実」がある。

闇に葬られた「真実」はいつか必ず息を吹き返す。

日本の近代が根底から問われだしている今がその秋(とき)かもしれない。

「九重幼沖にして知る所なし
 姦邪隙を窺いてその和を逞しうす
 兵を用いる、もとよりやむを得ざるに非ず
 それ生霊塗炭の苦しみをいかにせん
 反する者反に非ず、賊、賊に非ず

天皇はいまだ幼く世の中のことは何一つ知ってはいない。

それをいいことに薩長の姦邪が私意をほしいままにしている。

彼らの挙兵はやむを得ない事情があってではない。

戦いによって人々は塗炭の苦しみを

受けている。どこに正義に反する者がいて、どこに賊がいるというのか。」

(小林虎三郎)

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従来の薩長中心の歴史観を180度回転させてくれる本。

奥羽越が必ずしも西国雄藩に比べ思想、文物的に

劣っていたのではないことを考えさせられた。

教科書的歴史に飽きた人にはお勧め。

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投稿、久留米藩


久留米藩の続きです。地元の筑後一宮高良大社の宝物のなかに、

最後の藩主有馬頼咸が奉納した扁額がありましたが、それによると

「以施條尾装小銃、於百十ヤルト距離」

慶応3丁卯年5月14日とあります。

久留米藩は洋式銃を国産していましたので

その銃の試射なのかはわかりませんが、元込め施條銃で、

射程距離百十ヤルト(ヤード、約1000m)というのですから凄いものです。

頼咸は砲術に研究熱心で、いろいろな洋式銃を試し、

新しい砲術の流派を自ら開いて藩士に教授しています。

この2週間前、榎本武揚が乗った開陽丸が江戸湾に入港していますが、

このころ、佐賀藩が幕府初の国産艦の千代田型艦のために

蒸気機関を造って納めています。

佐賀藩は蒸気船をすでに慶応元年に完成していました。

佐賀藩と久留米藩で洋式海軍18隻です。

久留米藩は内陸にあって海に面していないにかかわらず海軍力は

薩摩に次いでいました。ところが同じ内陸でも

会津は動乱の政治の真っ只中にありながら軍事改革も行っていません。

つくづく、幕末の会津の時代観の遅れを感じるばかりです。

林洋海

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38. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (著)

57. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (著)

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2009年8月24日(月) 菊池投手、感動をありがとう、ソンミ村事件
甲子園の女神はまたもほほ笑んではくれなかった。

わずか11球での終戦。川村主将に腕を引っ張られながら整列に向かう菊池の顔は、

涙でぐしゃぐしゃだった。

 「人生最後の試合だと思って投げたけど…。

背中が痛くて直球が投げられなかった。

自分がベストの状態で投げることができれば日本一になれたのに…。

みんなの信頼に応えられなかった」。

試合後のお立ち台でも最後まで嗚咽(おえつ)は止まらなかった。

スポーツ日本、

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菊池投手のおかげで素晴らしい甲子園だった。

同じ岩手で高校時代を過ごした私としては、

すごく充実したこの何日かだった。

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バンコク=田原徳容】ベトナム戦争中の1968年に米兵が

一般住民500人以上を殺害したソンミ村事件で、

有罪となったウィリアム・カリー米陸軍元中尉(66)が

41年ぶりに謝罪したことを受け、

同村で生き残ったパン・タン・コンさん(51)が23日、

本紙の電話取材に応じ、

「謝罪はないと思っていた。あまりにも遅く驚いたが、

犠牲者を代表して受け入れたい」と語った。(読売新聞)

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戊辰戦争の分捕り部隊、実態をもっと明らかにしたい。
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2009年8月23日(日) 高校野球、アマゾンベストセラー
今日の準決勝、花巻東に勝ってほしいが、エース菊池投手が、故障なので、

ただ善戦を祈るのみ。しかし応援もむなしく敗れた。

菊池君を今度はプロの試合で見たい。ご苦労さまでした。

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31. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (著)

40. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (著)

43. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (著)

45. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ

(ベスト新書) 星 亮一 (著)
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2009年8月22日(土) 民主党が320議席を超える勢いを
<衆院選>民主、上滑り警戒 自民、動揺隠せず
8月22日2時30分配信 毎日新聞

 民主党が320議席を超える勢いを示した毎日新聞の

衆院選中盤情勢調査をめぐり、与野党に衝撃が広がった。

動揺を隠せない自民党に対し、民主党は上滑りを警戒。

一様に「信じられない数字」と驚きの表情を見せた。【田中成之、高山祐】

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北海道の情勢

毎日新聞は19〜21日、電話による世論調査を実施した。

道内12小選挙区と比例代表道ブロック(定数8)の情勢について

これまでの取材を加えて分析した結果、政権交代を訴える民主が小選挙区、

比例ともに優位な戦いを展開。

政府・与党の要職を歴任した自民の「ビッグ3」が立候補している

5区、11区、12区でも民主候補がリードしている。

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ビック3とは 町村信孝、中川昭一、武部勤 氏の三人です、

これは天地動乱、自民党瓦解ですね。幕府崩壊とよく似ていますね。

原因は国民無視の政治でしょうか、

1年に1人ずつ総理が代わるようでは、政権担当能力なし

ということでしょうか。
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2009年8月21日(金) 民主圧勝、 佐賀藩の軍事力
朝日、読売の調査で民主が300を超えることは確実とされており、

今朝の福島民友新聞は福島県も 民主優勢と伝えました。

政権交代は確実となっています。

まさにンチェンジですね。


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戊辰戦争研究会、久留米の林さんから

シリーズ藩物語・久留米藩の図版資料掲載許可願いのために佐賀に行って来ました。

3年ほど前に城内に本丸御殿を復元して、中が歴史資料展示になっていますが、

いろいろな洋式大砲、蒸気軍艦の模型、資料がずらりと並んでいて圧倒されます。

これでは会津が勝つ訳がないという軍事力をまざまざと見せ付ける展示です。

これらの兵器・軍艦製作にを久留米の町人発明家田中久重(東芝の創始者)

が活躍しました。のちに久重は久留米に戻り、久留米藩の富国強兵に尽力します。

佐賀と久留米2藩だけで洋式軍艦17隻、どちらもアームストロング砲を備え、

洋式軍備は慶応2年に終えていたので、

これに肥後、福岡がくわわって会津藩の要請で慶応4年1月26日、

上京する予定でしたので、

26日深夜攘夷派による家老暗殺で藩論が一夜にして変わらなかったら、

歴史は変わっていたわけです・・・・・

と思いながら幕末の佐賀藩の軍備の凄さに驚嘆して帰ってきました。



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そうでしたか、。残念です。

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28. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (著)

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2009年8月20日(木) 小泉さん、民主党の勝利を予言、歴史のタブー
「郵政選挙」と呼ばれる2005年の前回衆院選で、

自民党に296議席という歴史的勝利をもたらした小泉元首相。

4年前の「主役」は19日夜、さいたま市のホテルにいた。

 同党候補の応援に駆けつけた小泉氏は、1000人を超す聴衆を前に、
「いやあすごい人ですね。総理の時より多い」

とにこやかに切り出し、笑いを誘った。

 ◆さばさば…自民に悲観的見通し◆

 今回、衆院議員を引退したからか、

「よほどのことがない限り、政権交代は実現する可能性がある。

たまには野党になるのも悪くない」と、

自民党候補の応援演説とは思えない悲観的な見通しをさばさばと語った。

一方で、「批判ばかりしていないで、与党の苦しさを味わってくれと思っている。

『(日本郵政の保養宿泊施設の)かんぽの宿は重要で、

民間にやらせないでいい』と言った人たちに無駄を省くなんてできるわけがない」

と自らが進めた規制緩和や歳出削減の「構造改革」の意義を強調しつつ、

民主党を批判した。読売新聞

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小泉さんが言うまでもなく民主党の勝利は確定的だと思います。

あらゆる面で政権交代の時期だったということでしょう。



 投稿

戊辰戦争研究会、田中博文 (佐久間象山)

ご紹介いただきありがとうございます。

 私の幕末の知識はほとんどが星先生の著作から得たものです。会津中

心史観とでもいったらいいのでしょうか。そこから抜け出るのが大変で

した。いまだに会津に対する心情的な傾斜はかわりませんが、時代が動

いていくためには徳川幕府は倒れるより仕方がなかったと思います。

 勝海舟という人はどこかの時点で幕府は倒れるべきだと思ったので

しょうね。どのように倒すべきなのか、彼も最後の最後まで決断できな

かったのではないかと思います。結果的には慶喜を守って会津を犠牲に

したわけです。

 会津はどうなのか。最後まで抵抗したのですから幕藩体制を守ろうと

思ったのでしょうが。そこら辺のところがはっきりとは見えてこないの

です。奥羽共和国のようなものを構想していたということもなさそうで

す。

要するに、会津には藩論をまとめて引っ張っていくような叡智がいな

かったのではないかと思います。「会津藩燃ゆ」では梶原平馬にその役

割を託したのでしょうが、実際の平馬はそのような人物ではなかったと

思います。藩主に対し忠誠を尽くし、そのためには死をも恐れないとい

う会津魂をもったサムライはいたのでしょうが、交渉して自分たちの立

場を有利にして生き延びさせようと画策するような幹部がいなかったの

でしょう。

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会津はなぜ敗れたか、タブーにも踏み込む必要もありますね。

また世の中には、敗者と勝者がいる、あえて敗者の道を選ぶ人もいる。

難しい問題、多々ありです。

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30. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (著 )

52. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (著)

95. 新選組と会津藩 彼らは幕末・維新をどう戦い抜いたか (平凡社新書) 星 亮一 (著)

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2009年8月19日(水) 注目の選挙区、  戊辰戦争は何だったのか、新潟集会の成果
石川2区

衆院選に向け、民主党への強烈な追い風が吹く一方、自民党への風当たりは依然強い。

いつもなら“盤石”とみられる首相経験者でもうかうかできない状況で、

石川2区の森喜朗元首相(72)も厳しい戦いを強いられそう。猛追しているのが、

ツアーコンダクター、議員秘書を経て出馬する民主の新人、田中美絵子氏(33)だ。

 昨年9月に出馬表明した。当初は“無名”だったが、

最近の民主党への追い風と、地道な活動が実を結びつつあり

「ついには射程内にとらえた」(地元選挙通)ともいわれる。

森氏も「相手陣営からいじめられているんです。『森を伐採する』と言われて…」

と、解散直前の地元女性集会で嘆き節を漏らしたほどだ。

 田中氏は河村たかし名古屋市長(60)が衆議員時代に秘書を務めた。

河村氏にとって“直弟子”に当たるわけで、選挙戦術も“河村流”を踏襲する。

主な武器は「ママチャリ」だ。

 田中氏の事務所幹部は「とにかく知名度を上げるためには、

ローラー作戦と自転車で動き回っての街頭演説。

多いときには1日に20カ所ほどこなしてきた」と話す。

今月18日には河村氏も応援に選挙区を訪れた。

名古屋弁では自転車を「ケッタ」というが、一緒に“ケッタ街宣”を行った。

 “美人刺客”の奮闘に森陣営の危機感は強い。

毎週のように地元入りし数十人規模の集会を開いたり、

小さなイベントにも顔を出す。

「特に解散後は地元に張り付いている」(地元関係者)というほどだ。

 “キングメーカー”Vs“美人刺客”−。

衆院選を象徴するようなアツい戦いが、北陸の地で繰り広げられている。

産経スポーツ

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戊辰戦争研究会新潟支部の岩瀬隆でさんから下記の投稿がありました。

カメラルポと合わせてごらんください。

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「会津・長岡からの視点ではない、

愛と平和をテーマにした新潟集会に皆さんが来てくださったこと自体が

大きな成果です。

みなさん本当にありがとうございました。」

戊辰戦争研究会が四年目にして実現した新潟集会ですが、

「これまで皆様が積み上げてこられた信頼と実績のおかげ」です。

四年目だからこそ実現・成功した集会です。

会津・河井継之助・新撰組は一切関係ない、普通に考えれば集客力の無い企画に、

これだけのメンバーが集まったことに新潟支部全員が驚きました。

また5月に新潟に来た照姫どのの企画立案と宣伝が、

戊辰戦争研究会という大きな船を動かす小さな舵となったことも大きいです。

わたくしが設定した新潟集会のゴールイメージ、

(1)会津・長岡からの視点ではない、新潟市(新潟町)と村上市(村上藩)

での戊辰戦争 知り、戊辰戦争についての理解を深める。

(2)新潟町民、そして村上藩家老・鳥居三十郎が戊辰戦争に対し

どのように行動したかを知ることで、

人間がいかに生きるべきかを思索する手がかりを得る。

(3)会員同士(特に新入会員の方)が直に顔を合わせ、親交を深める。

また戊辰戦争について語り合い、様々な意見があることを知ることで

戊辰戦争についての理解をさらに深める。

は本当に達成できたのかと、反省点は色々あります。

史跡紹介・背景説明に時間を割いたため、「戊辰戦争について」核心に

ふれることがあまりできませんでした。

「北越戦争」および「戊辰戦争について」は私も言いたいことは色々ありますが、

それはまたの機会にします。今回史跡めぐりにおいて私は、

戊辰戦争の主導権の無い「新潟」「村上」の人たちが、

戦争という苛烈かつ自由の無い状況あって、

できるかぎりの主体性を発揮したという事実を伝えたかったのですが、

みなさんどうだったのでしょうか。

多少は北越戊辰戦争の見方・価値観が変わっていただけたのではと思います。

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戊辰戦争とは何だったのか、

本当は必要のない戦争だったのではないか。

その観点で、私も再検証しようと思っています。


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2009年8月18日(火) 花巻と仙台の対決、これはつらい
第91回全国高校野球選手権大会第9日(18日、甲子園)第1試合は

東北(宮城)と強打の日大三(西東京)を3−2で下し2回戦を突破。

3回戦ではベスト8を賭け好投手・菊池雄星を擁する花巻東と対戦する。

(サンケイスポーツ)

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「海舟嫌い」

戊辰戦争研究会、佐久間象山さんの論考

なかなかなものです。

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 勝海舟の評価については、毀誉褒貶相半ばするといっていいが、

こと戊辰戦争の敗者の側に立つ人々の間ではすこぶる評判が悪い。

 評価する人々は、江戸を戦火から守った恩人、

戊辰戦争の犠牲者を最小限にとどめたのは勝海舟の功績であるとする。

 一方でいわれるのは、幕臣でありながら最後まで戦う事なく、

ひたすら恭順の姿勢をしめしたことの卑屈さへの批判といったらいいのだろうか。
 
それで思い出されるのは、明治34年(1901)1月1日号の「時事新報」

に掲載された福沢諭吉の「瘠我慢の説」である。

福沢はこの論文の中で、徳川の衰退を父母の大病にたとえて次のように記している。

「父母の大病に回復の望なしとは知りながらも、

実際の臨終に至るまで医薬の手当を怠らざるがごとし。これも哲学流にていえば、

等しく死する病人なれば、望なき回復を謀るがためいたずらに病苦を長くするよりも、

モルヒネなど与えて臨終を安楽にするこそ智なるがごとくなれども、

子と為りて考うれば、億万中の一を僥倖しても、

故らに父母の死を促がすがごときは、情において忍びざるところなり。」
 
ここで福沢は、国家といえども私的なものであって、公のものではないと言っている。

もともとは国などなく、人々は自由に行き来し、生産し交易をしていたのである。

しかし、現実には人々は、国を立てまた政府を設けてきたのである。

そして、その国に固執するあまり忠君愛国の情も生まれ、

それを国民最上の美徳と称するようになったのである。

「故に忠君愛国の文字は哲学流に解すれば純乎たる人類の私情なれども、

今日までの世界の事情においてはこれを称して美徳といわざるを得ずなり」

ということなのである。

 このような認識から福沢諭吉は、明治維新における勝海舟を

「左れば自国の衰頽に際し、敵に対して固より勝算なき場合にても、

千辛万苦、力のあらん限りを尽し、

いよいよ勝敗の極に至りて始めて和を講ずるか、

もしくは死を決するは立国の公道にして、

国民が国に報ずるの義務と称すべきものなり。すなわち俗にいう瘠我慢なれども、

強弱相対していやしくも弱者の地位を保つものは、

単にこの瘠我慢に依らざるはなし。」として批判するのである。
 
、要するに福沢諭吉は、徳川といえども300年にわたって幕臣たちによってつくられ、

支えられてきた公理である。勝海舟のように戦わずして白旗を掲げるは

「日本の経済において一時の利益を成したりといえども、

数百千年養い得たる我日本武士の気風を傷うたるの不利は決して少々ならず。」

というのである。
 
さらに、諭吉は維新後の海舟が薩摩・長州のなど敵国の人士と並んで顕官となったこと

についても批判の矛先を向けている。
 
この福沢諭吉の批判は、勝海舟としても大いに反論したいところであろう。

海舟はある時点で徳川幕府を見限っていた。

徳川は藩ではないが、ある意味では精神的な脱藩者とでもでもいうべき心境にあった。

その海舟が滅びる徳川幕府に対して瘠我慢なぞするいわれはないのである。

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なるほど、そうですね。

詳しくは彼のホームページをごらんください。
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2009年8月17日(月) 花巻東、2回戦登場、 偽りの明治維新
花巻東、順調に試合進行、4 対1で快勝した。

優勝まではまだ道のりがある。がんばってほしい。

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28. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (著)

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代書や 大庭孝志 の行政書士開業奮闘記

書評、謀略の幕末史

260年続いた江戸幕府崩壊の真犯人は一体誰だったのか?

歴史の流れを、幕府、水戸、会津、薩摩、長州の動きをそれぞれ見ながら解説。

一拍手

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「海軍反省会」PHP刊行

これは私が解説するのではなく、関心のある方は書店で求め

熟読すべきであるとの結論に達しました。



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2009年8月16日(日) 海軍反省会と巨人の木村投手
先日、NHKが太平洋戦争時の海軍軍令部の幹部たちが録音した

「海軍反省会」を放送、その無責任ぶりに驚いた。

この海軍反省会の録音テープは、呉市の海事歴史科学館の戸高館長の手で

書き起こしが進んでおり、昨日、書店に行ったらPHPから「証言録、海軍反省会」と

題して出版され、書棚に並んでいた。

4000円と高価だったが、早速、手に入れて読み始めた。冒頭に

「今回、刊行された資料は、太平洋戦争期にあって、主に中佐から大佐であった

中堅幹部士官にによる、日本海軍の対米開戦に至る経緯、および海軍の制度、

人事などに関する研究会の記録である」

とあった。

今日から数回に分けて概要を紹介しよう。

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一転、野球の巨人軍、

木村正太投手が、中継ぎで大活躍している。

なんと彼は私の高校、岩手県・一関一高の後輩である。

選抜で甲子園に出場、

大学進学をけって、岩手県で初めて巨人に入団した。

数年間、2軍にいたが、ようやく1軍に上がり、がんばっている、

イケメンのピッチャーで、若い女性に大人気である。

早く1勝挙げてほしいな。

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略歴

一関一高時代にはノーヒットノーランを2度達成。

3年時には21世紀枠で49年ぶりの第76回選抜高等学校野球大会に出場。

ダルビッシュ有、佐藤剛士らと並び称され、東北ビッグ3とも呼ばれていた。

2004年のドラフト会議で5巡目指名を受け、読売ジャイアンツに入団。

2006年オフには、辻内崇伸、加登脇卓真、東野峻、加藤健、亀井義行の

5選手とともにハワイ・ウィンターリーグに派遣された。

常時球速140km/h台を計測する直球が武器。

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岩手県立一関第一高等学校・附属中学校

岩手県一関市に所在する中高一貫教育を実施している県立中学校・高等学校。

略称は関高(かんこう)、関一(せきいち)、一高(いちこう)、

一一(いちいち)など。関高は古くからの呼び名で、

関一に関しては最近呼ばれるようになってきた。

岩手県では盛岡一高(旧制盛岡中学校)に次ぐ歴史を有する。

部活動や応援団の活動が活発であり、

毎年四月には壮絶な応援歌練習が繰り広げられる。

県内でも屈指の進学校であり、ほとんどの生徒が卒業後大学に進学する。

岩手県最南端の進学校であるため、隣県の宮城県からも多くの生徒が通学している。

校訓 「遂げずばやまじ 」

不屈不撓

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海賊対処の1次部隊帰国=ソマリア沖で4カ月活動−海自護衛艦2隻、

広島・呉基地に
8月16日16時37分配信 時事通信

 アフリカ・ソマリア沖アデン湾の海賊対処の1次部隊として、

3月下旬から約4カ月間、船舶の護衛に当たった海上自衛隊の護衛艦

「さみだれ」「さざなみ」の2隻が16日、海自呉基地(広島県)に帰港、

約400人の隊員らが出迎えの家族らと再会した。
 
部隊指揮官の五島浩司第8護衛隊司令(50)=1等海佐=は

「武器を使用する可能性を常に心に置いていた」と振り返り、

「任務がいつまで続くか分からず、緊迫感の中で集中力を切らさずにできた」

と述べた。 
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2009年8月15日(土) 会津落城
アマゾンベストセラー、15日午前

64. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (著)

67. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (著)
△top
2009年8月14日(金) 会津落城   坂本龍馬暗殺事件 
amazonn ベストセラー、午後

18. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (著)

32. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (著)

79. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (著 )



午前

27. 会津戦争全史 (講談社選書メチエ) 星 亮一 (著)

45. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (著)

93. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (著)

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> 論考紹介

> ■ 坂本龍馬暗殺事件  (文:半平太)
> >  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
> >
> > 幕末〜混沌とする時代のうねりの中、新しい世の中を作るべく奔走し、何の後
> > ろ盾の無い状態でありながら、その稀有な発想力・行動力で数々の奇跡をおこ
> > して、ひとつの「正義」を確立していった土佐浪人、坂本龍馬。
> >
> > 慶応三年( 1867 年)十一月十五日 京都河原町三条入ル「近江屋」。
> >
> > この土佐浪人は、志半ば、近代日本の幕開けを見ることなく、彼らとは相反す
> > る、もうひとつの「正義」の刃によって逝ってしまった・・・。
> >
> > この「坂本龍馬暗殺事件」は、137 年たった今日でも完全に解決されておらず、
> > 様々な場所・書籍で、様々な議論が交わされている。
> >
> > 本号は、暗殺月にあたる 11 月ということ(正確には太陰暦と太陽暦の差があ
> > りますが、ここではご勘弁を・・・)で、坂本龍馬暗殺について、概略をまと
> > めて、わかりやすく紹介していきたい。
> >
> > ■ 暗殺の状況 ■
> >
> > 慶応三年( 1867 年)十一月十五日、折りしも坂本龍馬の誕生日に惨劇は起こ
> > った。龍馬の盟友である陸援隊隊長:中岡慎太郎が、新撰組に捕らえられた土
> > 佐藩士:宮川助五郎の引き取り後の処遇について「近江屋」に龍馬を尋ね、談
> > 義にふけっていたところを何者かが乱入し、龍馬・慎太郎、従僕:藤吉の3名
> > を切り倒したのである。
> >
> > 龍馬はほぼ即死(16日未明までは息はあったらしい)、藤吉は16日に死亡、
> > 慎太郎は17日に死亡した。
> >
> > 瀕死の重症にもかかわらず、事件から2日間も生き延びた慎太郎は、事件の状
> > 況について数々の証言を残し、さらにいくつかの遺留品が存在したことから、
> > すぐに犯人は割り出せるものと思われたが、当時の混沌とした世情や、龍馬が
> > 狙われるべき状況の多さなどから、完全解決にいたらず現在に至っている。
> >
> > これには、一介の土佐浪人である坂本龍馬の、驚くべき行動範囲や活動内容の
> > 広さにより、恐ろしいまでの恨みを買う人物・団体の多さにつながり、より一
> > 層、事件解決への道を困難にしている。
> >
> > ■ 現場の遺留物など ■
> >
> > <刺客が残したと思われる刀の鞘>
> > ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
> >  惨劇の現場に犯人が残したものと思われる刀の鞘。黒く鑞(ロウ)色の鞘で
> >  あったと云われている。この鞘については、諸藩(尾張・鳥取)の正式記録
> >  に残っており、本当の遺留品であることは間違いない。
> >
> > <刺客が残したと思われる下駄>
> > ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
> >  「瓢(「ひさご」、「ひょう」とも)亭」と焼き印の押された下駄が残され
> >  ていたとされている。この「瓢亭」というのが重要で、たびたび「新撰組犯
> >  行」の根拠として列挙されるものの、この下駄は、暗殺当時の記録にはどこ
> >  にも記されていない。大正15年刊行の岩崎鏡川著「坂本龍馬関係文書」で
> >  取り上げられたのが最初で、事件関係者の勘違いである可能性が高い。ちな
> >  みに「下駄」の遺留品はあったようで、尾張藩・鳥取藩の記録には、「遺留
> >  の下駄は二足。一足は祇園三軒茶屋の中村屋のもの。もう一足は同所の噌々
> >  堂(かいかいどう)のもの。」 とある。
> >
> > <掛け軸、屏風>
> > ^^^^^^^^^^^^^^^^
> >  今も京都国立博物館に残っている、血染めの掛け軸と屏風。この血痕を詳し
> >  く検証することで、おおよその斬られた状況がつかめるらしい。
> >
> > <刺客が叫んだと云われる「こなくそ」という言葉>
> > ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
> >  中岡慎太郎の証言を,土佐藩:谷干城が記録したもの。その記録(慎太郎の
> >  証言)を要約すると、「賊はいきなり「こなくそ」 と叫んで斬りつけた。
> >   「こなくそ」 というのは四国の方言だ。おれも坂本も刀を抜く暇もないほ
> >  ど素早く、鋭い太刀さばきであった。」 とのこと。
> >
> > <龍馬・慎太郎の遺留物>
> > ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
> >  暗殺直後に撮ったと思われる、龍馬・慎太郎の遺留物の写真が残っている。
> >  (正確には「写真」は残っておらず、大正15年刊行「シュン傑坂本龍馬」
> >  に掲載されている口絵(古写真)が残っている。)
> >  ・龍馬愛刀「吉行」:床の間に飾ってあった刀。刺客の最後の一撃を受け止
> >   めた刀で、鞘が削られている様子が見て取れる。
> >  ・慎太郎の刀?:もう一本刀が写っている。慎太郎のものなのか?
> >  ・刀の柄:2つの柄らしい影が見て取れる。上記2本の刀の柄と推測できる。
> >  ・ピストル:龍馬愛用のS&W第ニ型短筒。おそらく龍馬は、このピストル
> >   を懐に忍ばせていたはず。ピストルを抜く間も無く襲撃されたという事実
> >   が浮かんでくる。
> >
> > ■ 真犯人は誰か? 〜様々な犯行説の紹介〜 ■
> >
> >  ※個々の犯行説の記載についてはなるべく紹介の域に留め、特に真偽につい
> >   ては深い追求をしていません。皆様の支持する犯行説はどれでしょうか?
> >
> > ・京都見廻組説
> >  →京都見廻組の元隊士:今井信郎の自白、また同じく元隊士:渡辺一郎によ
> >   る証言(遺言)による京都見廻組犯行説。一般的な龍馬・慎太郎の暗殺描
> >   写は、この説を基本として再現されている。2人の証言にはいくつかの矛
> >   盾点があるものの、逆に慎太郎の証言と「似た証言」を行っている点、ま
> >   た、さしたるメリットがあるわけでないのに、何といっても「自分達の犯
> >   行」という「自白」がある点により、最有力の説であることは間違いない。
> >
> >   黒幕としては、京都見廻組の所属である「幕府」(目付:榎本対馬の命令
> >   など)か、京都見廻組の暴発的(倒幕組織に対する恨み)犯行・もしくは
> >   寺田屋事件等の公務執行、というのが有力と考えられているが、近年発見
> >   された会津藩重臣:手代木直右衛門(京都見廻組組頭:佐々木只三郎の実
> >   兄)の書簡などにより、京都守護職であった「会津藩黒幕説」がにわかに
> >   クローズアップされている。
> >
> >   <ご参考:龍馬暗殺を知った勝海舟の日記>
> >   「・・・龍馬暗殺は、佐々木只三郎はじめとして、信郎などの輩、乱入と
> >    いう。もっとも佐々木も上よりの指示これあるにつき、挙事あるいは榎
> >    本対馬の令か・・・」 ※「信郎」→今井信郎
> >
> > ・新撰組(原田佐之助)説
> >  →事件直後に最有力とされた説。ポイントは、現場に残された「刀の鞘」と
> >   「瓢亭の下駄」、慎太郎証言による犯人の「こなくそ」という伊予地方の
> >   言葉。高台寺党員の「鞘は新撰組:原田佐之助のもの」という証言により、
> >   伊予出身の新撰組隊士:原田佐之助が疑われたが、手柄にもかかわらず、
> >   「犯行当時」に幹部が完全否定したこと、原田を含む幹部全員のほぼ完全
> >   なアリバイが存在する点などから、現在では一般的にも否定的な説である。
> >
> >   ※「瓢亭の下駄」→前出「遺留品」で示したとおり無かった可能盛大
> >
> > ・新撰組(大石鍬次郎)説
> >  →並み居る新撰組隊士の中でも特に「人斬り鍬次郎」と恐れられた、大石鍬
> >   次郎の犯行説。戊辰戦争で囚われの身になった際、拷問にて龍馬・慎太郎
> >   の犯行を「自供」したが、後に「自供」は拷問によるものとして証言を撤
> >   回し、京都見廻組の犯行であるということを近藤勇から聞いたと証言して、
> >   京都見廻組犯行説に更なる信憑性を加える結果となった。
> >
> > ・薩摩藩(西郷隆盛・大久保利通)+岩倉具視説
> >  →薩摩の実権を握っていた西郷・大久保は、革命とは、過去の遺恨を残さな
> >   いためにも、旧勢力(ここでは「徳川勢」)は徹底的に破壊しなければ駄
> >   目だ、という考え方で、当時の世界では、国際的に見ても特に非情でもな
> >   んでもなく、革命の常識的考え方であった。岩倉も同様の考えで、さらに
> >   徳川抜きの朝廷主導政権樹立という考えが強かったことから、龍馬の公武
> >   合体論ともとれる、大政奉還→新政府に徳川参入、の考えは、到底承服で
> >   きるものではなかったと考えられる。実行犯は、以下に示す「中村半次郎
> >   説」や「高台寺党説」が主意見で、薩摩藩→京都見廻組への龍馬暗殺示唆
> >   (居場所などの情報提供)、という説まである。
> >
> > ・薩摩藩(中村半次郎)説
> >  →歴史家:西尾秋風氏が唱えられている説。ご本人発見の書簡をよりどころ
> >   に、中村半次郎を首領とする薩摩藩、土佐藩脱藩者の犯行であると推測。
> >   犯人の発した言葉「こなくそ」は、薩摩地方の言葉「こげなくそ」「こげ
> >   んくそ」の聞き違いでは?、と推測されている点も面白い。
> >
> >   <ご参考:昭和55年に発見された書簡の紹介(抜粋)>
> >    海援隊幹部・佐々木多門→幕府旗本・松本主税の家臣で:岡又蔵に宛て
> >    た密書(新助の子孫である井口新助宅で、西尾氏が発見)
> >    「才谷殺害人,姓名まで相分かり,これにつき薩摩の処置など,
> >     種々愉快の義これあり,いずれ後使,書取り申上ぐべきと存じ奉候」
> >     ※「才谷」→坂本龍馬の変名
> >
> > ・土佐藩(後藤象二郎)説
> >  →龍馬・慎太郎暗殺によって誰が一番利益を得たか?、という論法により導
> >   き出された説。龍馬が唱えていた大政奉還の手柄を独り占めしようとした
> >   後藤象二郎の犯行ではないかというもの(大政奉還論により後藤は、百五
> >   十石から千五百石へ大幅に加増)。しかし、特に薩摩・芸州関係者などは、
> >   龍馬の「船中八策」の存在を知っていたと思われることと、大政奉還論自
> >   体、龍馬だけでなく明晰な人物なら考えていた論であり、「独り占め」の
> >   犯行には疑問がわく。大政奉還の価値は、実行したこと自体に価値観があ
> >   ることを考えると、やはり後藤の活躍は評価されるべきであり、また機略
> >   が苦手な後藤の性格を考えると龍馬暗殺は考えにくい。ただし、土佐の関
> >   係者は、明治中期〜後期になるまで、大政奉還論は後藤の発案だと思って
> >   いたらいので、あながち暴論ともいえない。
> >
> >   <ご参考:龍馬と親しかった肥後藩士:上田久兵衛の書簡>
> >   「坂本龍馬、暗殺に逢う。後藤象二郎、走免のこと。けだし龍馬を刺すは
> >    土州人なり。余、ここにおいて疑念氷散。云々・・・」
> >
> > ・土佐藩(内部抗争)説
> >  →暗殺直後より情報収集にあたっていた諸藩の文書に、中岡慎太郎を隊長と
> >   する陸援隊と、坂本龍馬を隊長とする海援隊が、激しく対立していた事実
> >   が記録として残っている。世間では暗殺事件当時、両者の抗争ではないか
> >   と、まことしやかに噂されていたという。土佐藩ではこの噂を打ち消そう
> >   と「新撰組犯行説」を強固に唱えていたともいわれ、土佐藩の内部におけ
> >   る、「討幕派」と「大政奉還派」の対立の激しさが垣間見える。
> >
> >   <ご参考:当時の鳥取藩の公式記録>
> >   「元来、土藩の内聞を探索候ところ、藩士二気にあい分かれ、一途は白川
> >    組諸浪士あい集まり、しきりに暴論の徒のみ・・・・ 今一途は後藤象
> >    二郎同意、周旋の徒は右暴論の徒をしずめおり候よし。・・・・」
> >    ※「白川組諸浪士」→陸援隊
> >    ※「後藤象二郎同意、周旋の徒」→後藤象二郎をはじめとする海援隊
> >
> > ・高台寺党(富山弥兵衛)説
> >  →薩摩藩に庇護されていた高台寺党の犯行説。薩摩藩は倒幕思想の違う龍馬
> >   が邪魔であり、高台寺党に殺害を依頼したというもの。高台寺党とは、新
> >   撰組から独立した伊東甲子太郎を首領とする組織で、尊王活動を行うと同
> >   時に、母体である新撰組を乗っ取ろうとする野望があった。その野望を達
> >   成するには、庇護されていた薩摩藩の依頼に答える必要があったというの
> >   がその根拠。実行犯は薩摩脱藩の富山弥兵衛ではないかとされている。
> >
> > ・高台寺党(斉藤一)説
> >  →浅田次郎氏の小説「壬生義士伝」にて展開された説。新撰組スパイの高台
> >   寺党:斉藤一の犯行。「龍馬暗殺実行」という指令に対し、高台寺党員に
> >   「新撰組からのスパイ」とばれないよう、忠誠を誓う意味を含めて引き受
> >   ける。斉藤一が「左利き」なのを知らない龍馬が、斉藤が置いた刀の位置
> >   を見て油断した※、という展開は、武士の作法など「なるほど」と思える
> >   点等々、やはりドラマ化・映画化されたことも含めて、「壬生義士伝」と
> >   いう小説は秀作であると感じる。
> >
> >   ※日本人には右利きが圧倒的に多いので、刀を右側に置くのは、攻撃の意
> >    思がない、という一種の作法であったとのこと。左利きであれば、刀を
> >    右側に置いておけば、すぐに攻撃することが可能。
> >
> > ・伊予大津藩(井上将策)説
> >  →龍馬に強く勧められて購入した「いろは丸」で、藩に大きな損害を与えて
> >   切腹した、伊予大津藩家老:国島六左衛門の従者:井上将策の犯行説。
> >   犯人の発した言葉「こなくそ」は伊予大津藩の方言と言うことも合わせて、
> >   つじつまは非常にあっているものの、この説を強調できる史料に乏しくあ
> >   くまで想像の域を出ないのが残念。
> >
> > ・紀州藩(三浦休太郎・新撰組)説
> >  →紀州藩:明光丸と、伊予大津藩から賃借の、海援隊:いろは丸が追突し、
> >   いろは丸が沈没した事件、いわゆる「いろは丸事件」が根拠となっている
> >   説。龍馬の巧みな話術・戦略と「万国公法」を持ち出した談判で、全面的
> >   に紀州藩側が敗訴となり、多額の賠償金を支払う羽目となった。この事件
> >   は近年の研究では、実は龍馬側に非があった可能性が高く、この談判結果
> >   は、龍馬の戦略による部分が大きかったことから、紀州藩側の恨みは相当
> >   大きかったものと思われ、その恨みによる犯行というのは十分考えられる。
> >   後の「天満屋事件」は、この説が根拠となり発生している。
> >
> >   ※「三浦休太郎」→紀伊藩重臣
> >   ※「天満屋事件」→龍馬の死後、海援隊:陸奥陽之助(宗光)を首領とし
> >    三浦休太郎を襲撃した事件。三浦を護衛する新撰組と、海援隊を中心と
> >    するメンバの間で激闘が行われ、双方2名ずつの犠牲を出した。
> >
> > ・武器商人(グラバー等)説
> >  →龍馬は亀山社中や海援隊という自分の組織を利用して、大藩に多くの武器
> >   などを購入斡旋してきた。その主な仕入れ先は、グラバーを中心とする、
> >   外国武器商人である。外国武器商人にとって龍馬は、古くからのお得意様
> >   であった。その龍馬は時が経つにつれ、平和的倒幕への道に邁進する。武
> >   器商人達にとっては、大規模な戦争こそが巨万の富を得るチャンスであり、
> >   薩摩藩を中心とする倒幕側に多くも武器を斡旋してきた背景から、龍馬の
> >   行動は非常に邪魔なものであったに違いない、というのが根拠の説である。
> >
> > ・英国説
> >  →この説は長崎でおこった、「イカルス号英国水夫殺害事件」が根拠となっ
> >   ている。「イカルス号事件」とは、長崎丸山で英軍鑑乗船員二人が、何者
> >   かによって殺害されたものであるが、事件を見た人物達から犯人は「白筒
> >   袖」の服装であったとの証言があり、「亀山の白袴」の海援隊隊士が疑わ
> >   れ、海援隊隊長の龍馬が狙われたというものである。
> >
> > ・相討ち、女性説
> >  →弘兼氏の漫画「ハローはりねずみ」にて展開された説。意見の相違から龍
> >   馬を慎太郎が討ち、龍馬の愛人であった瓢亭のイネが慎太郎を討ったとい
> >   うもの。漫画家の立場から「龍馬暗殺」というテーマに一石を投じたかっ
> >   た、とのことで完全なフィクションである、と断りがいれてある。とはい
> >   え、龍馬暗殺の年明け頃に「瓢亭のイネ」という人物が、実際に清水寺か
> >   ら飛び降り自殺をした、という記録のみから、大胆にストーリー膨らませ
> >   て展開させており、なかなか面白い説なので、ここで取り上げた。
> >> >   
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2009年8月13日(木) 花巻東に感動
菊池投手が3本もンホームランを打たれた。

しかし負けなかった。チーム全員で逆転勝利をつかんだ。

身体能力、球筋、そして、精神力…メッツの大慈彌・環太平洋担当部長は

「彼は世界の(野球界の)宝だ」と最高の賛辞を贈った。

 ブルペンでの投球練習中、打席に立ってくれた同級生の部員は

体中あざだらけになった。それでも「どんどんぶつけてこい。

雄星が活躍してくれれば痛みは消える」と言ってくれた。

仲間たちの期待に背くことはできない。

7回の本盗はサインプレーではなく、自らの判断だった。

エースの士気にナインも動かされ、1点を追う8回、

無死満塁から佐々木大樹が逆転の3点適時二塁打。奇跡は起こった。

 「みんなが助けてくれた」と左腕は素直に感謝を口にした。

佐々木監督も「菊池がノーヒットノーランするよりうれしい」

と全員でつかんだ勝利を喜んだ。仲間との絆(きずな)を改めて確かめた菊池雄。

東北勢初の優勝へ。苦しんだ1勝を糧に、まっしぐらに突き進む。

スポーツ報知

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最高です。

我が母校一関一も岩手県大会で花巻東には過去、全敗である。

それだけに花巻東は気になる存在である。がんばってほしい。

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アマゾンベストセラー、明治維新

44. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (著)

東北

24. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (著)

32. 会津藩 斗南へ―誇り高き魂の軌跡 星 亮一 (著)


42. 白虎隊と会津武士道 (平凡社新書) 星 亮一 (著)

61. 仙台戊辰戦史―北方政権を目指した勇者たち 星 亮一 (著)



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2009年8月12日(水) [「明治の兄弟」] 会津と薩摩の和解」
10月13日、会津若松の劇団ぴーひゃろろが、鹿児島で

「明治の兄弟−山川家の人々」を上演します。

明治維新につながる戊辰(ぼしん)戦争で戦った会津藩(福島県会津若松市)

と薩摩藩との和解をテーマにした演劇です。

これに関して鹿児島県の県紙、南日本新聞が、9日の朝刊社説で、

次ぎのように報じました。

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 明治維新につながる戊辰(ぼしん)戦争で戦った会津藩(福島県会津若松市)

と薩摩藩との和解をテーマにした演劇「明治の兄弟−山川家の人々」が10月、

鹿児島市で上演されることになった。

 「明治の兄弟」は、福島県教委が2007年に

公募した「ふくしまの歴史と文化の再発見 演劇祭」の作品に選ばれ、

県内各地で上演されている。

会津藩士の娘山川捨松と薩摩藩出身で戊辰戦争に参加した

大山巌とが結ばれる話を通して、戦った者同士が心を許し合う物語は、

多くの人々の共感を集めたという。

 会津藩は戊辰戦争で薩摩、長州両藩を中心とする政府軍によって

情け容赦ない攻撃を受けた。

その後も薩長閥中心の明治政府に冷遇された会津では、

いまだに薩長に複雑な思いを持ち続ける人が少なくないという。

その会津から鹿児島に「和解」を提示してくることなど、

これまでは考えられなかった。せっかくの機会を生かし、

会津若松と鹿児島との相互理解が進むことを期待したい。

 物語は1868年の戊辰戦争から15年後、

西郷隆盛の弟である従道から会津出身の陸軍大佐山川浩に、

山川の妹捨松と陸軍卿大山巌との縁談が持ち込まれるところから始まる。

浩は、大山と戊辰戦争で敵対したことなどからいったんは断る。

だが、西南戦争で兄弟をすべて失った従道の話を聞き、

戦争でつらい体験をしたのは自分だけでないことを悟り、判断を捨松に委ねる−。

ほぼ史実通りに展開される物語は、大山と捨松の結婚で大団円を迎える。

 会津と薩摩をつなぐ心に染みる縁がありながら、

なかなか表に出てこなかったのは、会津の戦いでの非道ともいえる殺りくや略奪、白虎隊の悲劇などに象徴される傷跡があまりに大きかったからだろう。

 鹿児島公演のきっかけは「明治の兄弟」を演じた会津若松市の劇団員が、

新政府に身を置いた従道が兄隆盛の墓参を生涯果たせなかったという話を聞き、

せめて故郷の舞台に立たせたいという思いだったという。

鹿児島側はその思いを真摯(しんし)に受け止め、

歴史を乗り越えた新たなつながりを模索しなくてはならない。

 「会津の薩長嫌い」は全国的に知られている。

だが、薩摩や長州が会津で何をしたのか、

なぜ嫌われるのかを正確に答えられる人は多くあるまい。

歴史を乗り越えるには、こうした史実を見つめ直すことが不可欠である。

「明治の兄弟」鹿児島公演はその絶好の機会となるはずだ。

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此の日、私も会津藩と薩摩藩について講演します。

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アマゾンベストセラー



84. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (著)

92. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星亮一著
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2009年8月11日(火) 平太の戊辰戦争の感想
平太の戊辰戦争 角川選書、星の作品

By sirou55 -
これは会津藩少年兵遠藤平太(当時満15歳)の日記から戊辰戦争に動員された

少年たちの戦いを描いたものである。越後は会津藩の補給路であり、

また奥羽越列藩同盟の戦略拠点として長岡藩、米沢藩などとの共同作戦を

展開しており、会津からは最精鋭部隊が送り込まれていた。

平太の育った村からも父も含め36人が従軍を志願する。

平太らは長岡郊外の榎峠、朝日山攻防戦に参加、朝日山では圧勝する。

しかし長岡城落城の知らせを受けていったんは加茂に退き、

長岡城の奪回に燃えて平太らは与板攻撃に参加する。

しかしそこで数十門の大砲攻撃を受けて退却、

再び水原に進軍するが赤坂山の戦いで平太の父が左腕に貫通銃創を負い、

治療のため会津若松に退く。若松城攻防戦の最中に父は亡くなり、

平太も病に倒れ、二度と戦いに戻らなかった。維新後平太は村で製陶業に従事、

その後村会議員、村長を務めた。

平太父子の従軍を描きながら北越戦争、若松城攻防戦を丁寧に説明してあり、

写真も豊富で好著であると思う。

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最近、私が事務局を預かるMBA21にお入りになった住宅総合資材販売

株式会社ツボイの社長坪井道子さんの、ブログを拝見しました。

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 先日、「森林環境基金事業タウンミーティング」に参加して参りました。

私も知らなかったのですが、県民税に森林環境税と言う税金が掛かっていたらしく、年1000円、県民の皆様から納めて頂いているそうです。

 何を目的としているかと言うと、「森林を県民共有の財産として保全し、健全な状態で次世代に引き継ぐ為」と言うことで、平成18年度から徴収しているそうです。

 確かに、「土石流出や災害防止、水源、二酸化炭素の吸収、木材供給・・・etc」森林が私達の暮らしを支えてくれていますものね (^ ^)/

なんせ、森林が整備されないと材木屋が営業できない!?

なんて。自分の事ばかりでなく、日本の伝統文化である木造住宅を造り続けるためにも本当に重要だな〜と思いました。

 この日は、県内の木工団地の組合の方、山主、製材所関係など多数の方々が参加して活発なご意見が交わされました。


投稿者 きつつき 時刻 23時36分 住まい・インテリア
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これは大事なことです。
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2009年8月10日(月) 名古屋城、木造で、 民主党の問題、 会津藩VS薩摩藩,
名古屋市の河村たかし市長は10日の定例記者会見で、

名古屋城天守閣を現在のコンクリート製から木造に建て直すことを

本格的に検討すると発表した。

計画を考えるプロジェクトチームを24日に発足させ、

2010年度予算案に調査費を盛り込む考え。毎日新聞

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大賛成です。

こうなると、次ぎは大坂城です。江戸城も復元を

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ここに来て民主党に不安を感じる人が増えています、

安全保障、防衛問題です。

安全保障に対しての明確な姿勢を打ち出していないせいです。

ひょっとしたら何も考えていないのかという声すらあります。

反米、親中国ては困ります。

ここもも修正が必要ですね。

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アマゾンベストセラー 10日午前

20. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (著)

59. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (著)

67. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (著)

71. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (著)

96. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一 (著)

100. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (著)

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読者の書評「会津藩VS薩摩藩」

ヤフーから

「会津藩VS薩摩藩」 星亮一 ベスト新書 — 書評鹿児島に勤務していたときは

薩摩藩に肩入れし、四国に住んでいたときは土佐藩や長州藩に傾倒した。

東京に来てからは幕府側の視点で維新史を見るようになった。

そういう中で星亮一氏の著作に出会った。

星亮一氏は一貫して会津藩の正当性を主張し、擁護に努めている。

会津藩の視点というのは、私にとってとても新鮮であった。

私は会津若松を訪れたことはないが、機会さえあればいつでも大丈夫なように、

日頃から研究している。およそ史跡探訪ルートも計画済みである。

会津若松探訪への想いは日々募り、星氏の著作も色々読んだが、

今回書店で見つけた「会津藩VS薩摩藩」に関して言えば、

特に目新しさは感じられなかった。

会津藩は致命的に政治が下手であった。そのことが会津の悲劇の背景にある。

薩摩藩と比べると、その下手さ加減が明白である。

当初はともに手を取り合って長州の追い落としに協力した薩摩藩が、

いつの間にかその長州と結んで今度は官軍として攻め込んできた。

まさに昨日の味方が、今日の敵になったのである。

会津としては何が起きたかわからないうちに朝敵に陥れられたというのが

実感だと思う。薩摩は会津藩の降伏に際して非常に寛容に対処したというが、

薩摩にしてみればかつて手を結んだ相手に対し、

徹底的にやっつけるのは流石に気が咎めたということだろう。
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2009年8月9日(日) 龍馬がナンバーワン、民主のアキレス腱   ベスト25に4点
現代の日本を立て直して欲しい昔の偉人、

1位「坂本龍馬」

 8月末の総選挙を目前に控え、オリコン恐怖特集・番外編(!?)では

『蘇って、現代の日本を立て直して欲しい昔の偉人』ランキングを発表。

10〜40代を対象にアンケートしたもので、

結果は幕末の志士【坂本龍馬】が全世代にわたり1位を独占した。

「男気溢れる政治力で立て直してほしい」(長崎県/20代社会人/女性)

と強いリーダーシップを求める声が多く、2位に【織田信長】、

4位【田中角栄】など、少々強引ながらもその辣腕を期待される

偉人たちが名を連ねた。(オリコン)

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なるほどね

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日米FTA、マニフェスト修正に異議 小沢氏「何も矛盾しない」

 民主党の小沢一郎代表代行は8日、

米国との自由貿易協定(FTA)をめぐる党衆院選マニフェスト(政権公約)

の記述について、「農家には戸別所得補償制度の導入を提案しており、

食料自給体制の確立と自由貿易は何も矛盾しない」と述べ、

鳩山由紀夫代表が文言の修正を決めたことに異議を唱えた。(産経新聞)

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喜ぶのは自民党です。

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アマゾンベストセラー、本日午前の順位、明治維新

9. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (著)

15. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (著)

16. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一 (著)

18. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (著)

34. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (著)

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「会津籠城戦の三十日」河出書房新社

の感想 発見

浅葱色の夢新選組が好きです!後、幕末も好きです♪

というブログです。ありがとうございます。

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この前の白虎隊関連のブログを書いて以降、会津戦争に興味を持ち、本屋さんで

「会津籠城戦の三十日」(著者 星亮一)という

本を買いまして、今、読んでいる最中です

その本の中に気になる箇所がありました 井深梶乃助(15歳)という少年が

会津戦争の時にお城に籠城した時の手記なのですが、以下はその本の抜粋です。

「梶乃助が前方は如何と遥かに滝沢坂の上を眺めると、敗兵がバラバラになって坂を

駆け下って来る。その中には鮮血淋漓たる負傷者もまじっていた。

何人(なんぴと)かが街道の真中に立ち塞がり、抜刀を振り上げて

「止まれ! 一歩もここを引いてはならぬ」と大喝したが

あたかも両手をもって大河の決したるを止めんとするようなもので・・・

  という文に目が釘付けに

なりましたこれって誰かを彷彿とさせませんか?そうです、土方さんです

箱館戦争での一本木関門での土方さんの行動に似ているな〜と思ったのです。

たしかに土方さんも会津戦争には関わっていますが、

会津での行動は今一つ謎なところが

あるので、これが、土方さんだとは解りませんが、

私は、もしかしたらこれは、土方さんでは

ないかと密かに思っています

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なるほど、いろいろ連想されるシーンですね。

この本、熱をこめて書いた作品です。
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2009年8月8日(土) 自民苦戦、石光真人編『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』
7日、仙台市で開かれた自民党マニフェスト(政権公約)説明会で、

県議や党員らから「麻生降ろし」などを巡って混乱した自民党への批判が噴出し、

細田博之幹事長が20分にわたって立ち往生する場面があった。

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当然でしょうね。

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会津藩vs土佐藩

ベスト新書を書くために柴五郎の遺書を読み返しています。

涙が出ましたね。この本が、私の会津歴史探訪の原点です。

柴五郎が下北で暮らした、田名部の落の沢、

何度も出かけました。これほど迫力のある本がそうはありません。

私は会津藩の下北挙藩流罪は、明治国家の犯罪といい続けてきました。

国民を無視した明治の国家像が浮んできます。

パソコンで書評を見ていたら、すばらしい投稿を見つけました、

新版Kizurizm です。


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新版Kizurizm

*石光真人編『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』
● 会津藩士の子息にして陸軍大将まで出世した柴五郎(肖像写真)の遺書とその解説をした本です。

 実は山風明治ものでは、元会津藩士の出番が多いためか本書からの抜粋が

しばしば出てきます。十八歳の柴五郎自身も『警視庁草紙』に登場しています。

 今回本書を読み、山風が柴五郎少年にシンパシーを感じた理由がわかりました。

幼くして母を喪い、がむしゃらに上京したという共通点。

何よりも"敗戦"という理不尽に共感したのでしょう。

● この遺書は彼が陸軍幼年学校に入学して少したった時点で終わっています。

ですので彼の後年の活躍よりも、幼時の辛酸に重点が置かれています。

自分を逃し自害した一族の女たち、飢えと寒さに苦しめられた斗南流刑時代。

敵への憎しみも凄まじく、古今英雄の肖像を集めたが薩長の連中だけは

買わなかったといった記述、西南戦争では"芋"に罰が下されて

めでたいたなどと吐露されております。

 敗戦の苦しみも衝撃的ですが、

彼ら会津人に対する薩長土肥閥の酷さも驚きました。

まだ幼い彼を芸者のいる宴席に呼び出して

「この小僧は会津藩士の倅で、母親姉妹どもは自害したんだと」

と酒の肴にした元土佐藩士なんかもう……。

人間の無知と酷薄さとはこういうものかとぞっとしました。

歴史の捏造についても血を吐くような無念さを記してあり、

薩長は会津藩の農民どもは侍を憎んで喜び勇んで先導したなどというが、

そんなことはないとか。

あるいは薩長の連中は農民や町人の婦女子も殺す下郎だぞとおふれが出たけど、

奴らはそんなことは隠しているとか

(ちなみに農民の先導云々は、反証があるので私も真実はよくわかっていません)。

 明治天皇の行列を無言で兄と見送る場面は、

なんともいえない気分にさせられました。
 
● 解説文は晩年の柴五郎氏と親交のあった編者の筆によるものです。

昭和十七年の時点で柴氏は日中および太平洋戦争に絶望感を抱いていて、

編者がいくら好材料を話しても悲しげに首を振るだけだったとか。

 柴氏は義和団事件における水際だった対応で、多くの国々から賞賛を浴びました。

その折、漢奸となるから名前を伏せましたが多くの中国人の協力も得たとのこと。

彼曰く、

「中国は友としてつきあうべき国で、けっして敵に回してはなりません」

「中国という国はけっして鉄砲だけで片付く国ではありません」
 
とのことです……ちなみに彼は敗戦後、

自害をはかるも老齢ゆえ果たせませんでしたが、

その傷がもとで亡くなりました。

山風は『エドの舞踏会』などで明治で築き上げた日本軍がやがて破滅していくと

繰り返し書いておりますが、まさしくその栄光と破滅を目の当たりにした一人が

柴五郎氏でありました。

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ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書
石光 真人 (1971/05)
中央公論新社
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2009年8月7日(金)  松平容保
投稿、

にゃん

「松平容保」を読んで

松平容保を読んでみて感じた事は今まで自分が持っていたイメージとは、

大分違っていた。自分の中にあったイメージは日本テレビ系列で昔、放映した

年末時代劇での力強く忠義に厚い決断力と行動力の有る殿様の印象が強かっ

た。しかし、星様の小説を読んでの容保の印象は病弱で寡黙だが強い信念を

持って行動していた様に感じた。新しい容保像の発見である。また西軍と言

うと薩長ばかりが目立つが、この小説を読んで土佐藩が部分的に取り上げら

れており私の中での土佐藩のイメージは改善されました。後に板垣退助の自

由民権運動が福島県で盛んになった要因が会津戦争にあったのではないかと

勝手に推測してしまいます。

最後に会津戦争に関する作品を見たり読んだりすると「愛国心」

「恒久平和」を同時に学べる、とても貴重な事件だと改めて感じます。

具体的に言うと
幕府という国体維持のため京都守護職として徳川将軍家の先鋒となり、

徳川幕府崩壊後は郷里、会津を守る為、

老若男女が武器を手に徹底抗戦をし力尽

きるまで戦い、そして敗れた後の惨状など感じるものが多々あります。

会津若松市は「愛国心」「恒久平和」ここに有りの正に生きた教材と言える

でしょう!!

天地人の盟友 越後国三条より

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アマゾンベストセラ-

第6位

これはすごいことだ。

6. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (著)


79. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (著)


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地獄の日々


週末になると疲れがたまる。

孫が3人、東京から来ているせいもある。

5年生を頭に2年生と幼稚園である。ドタンバタン走り回る。

「うるさい、やめろ」

といってもまるで効き目はない。

こずかいをやると、おとなしくなる事を発見した。

こずかいの効果もそのときだけ。またどたどた走りまわる。

喧嘩はする。弟は姉に食ってかかる、かと思うとすぐなかよくなる。

好きなテレビは全く見ることはできない。

チャンネル権は彼らが持っている。

「もう帰れ」

と言ったら、

「意地悪爺、面倒みてあげない」

と反撃を食った、すぐ前言を撤回、風呂に入れたりする日々である。

地獄である。でもおとなしときは、家族愛も感じないわけでもない。

何でも8月中旬まではいると、彼らはがんばっている。
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2009年8月6日(木) 悪夢は終わった=解放の女性記者
8月6日0時45分配信 時事通信

 【バーバンク(米カリフォルニア州)時事】

「ドアを開けるとクリントン元大統領が立っていた。その瞬間、

悪夢が終わったと思った」−。

北朝鮮から無事帰国した米カレントTVの女性記者

ローラ・リンさんとユナ・リーさんは5日、

涙にむせびながら約4カ月半ぶりに祖国の地を踏むと、

苦しかった拘束生活を振り返った。

 2人を乗せた真っ白な機体は、夜明けを迎えたロサンゼルス近郊のバーバンクにある

空港に着陸。滑走路をゆっくりと移動し、家族や記者団の待つ格納庫に入ると、

「お帰りなさい」と書かれた緑色の垂れ幕に出迎えられた。

 機内から姿を見せたリンさんはタラップを降りながら大きくガッツポーズ。

リーさんは、夫と娘に駆け寄って抱き合った。

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投稿、久留米の林洋海さん

ようやく現代書館のシリーズ藩物語「久留米藩」を書き上げました。

久留米藩は幕末「討幕の先導者真木和泉」をだして、

今日でも偉人として崇められていますが、

これが戊辰戦争研究会の目で見るとまったく異なり、

あまり崇めていませんので地元で不人気かもしれません。

真木和泉のいう王政復古は、奈良以前の親政に戻すという考え方で、

いまのイランなんかによく似ていて考えさせられます。

異常な攘夷派ですが、外国のことはまったく知らなかったのです。

久留米藩は勝海舟と親しい開国派の今井栄が居て、

公武合体派の家老を長崎に連れ出し、開国の現実を見せ、久留米の遅れを指摘して、

開国開明派に転向させるんですが、和泉はそのような努力をしていません。

西郷と同じで、藩から11年の間、幽閉されていて、激動の幕末で、

時代錯誤の行動が多かったと思います。西郷とよく似ているのは農民蔑視でした。

西郷も奄美に幽閉されていた間にサトウキビ農民の過酷な暮らしを見ていましたが、

西郷がその苦境を打開するために働いた形跡はありません。

それどころか、サトウキビによる莫大な収入を「これで討幕資金ができる」

と思っていましたし、明治になって奄美の農民がサトウキビの自由販売が

できるようになったことを知って藩庁にそのことを申し出ますと、

50人ほどの陳情団をとらえ投獄しています。

サトウキビの収入の独占で西南戦争の資金にしていたからです。

熊本では西郷が農民解放に立ち上がったと思い一揆を起こした農民を見捨て

「西郷鬼」と怨嗟されています。真木も農民を盗賊の類といい、

封建身分をもっと激しくして、

郷士以上の武士に反抗する農民は切り捨てごめんにすべきだとしています。

二人ともあくまで自分が主役になる権力争いでしかないですね。

久留米藩は慶応4年1月26日、会津藩の呼びかけに応じて、

佐賀・福岡・熊本藩と兵を率い

上京することになっていましたが、出立の前夜、真木党の少年たち24人が深夜、

参政不破美作を襲い、その生首を引き下げ藩主に迫って藩論を一変します。

その後は開国派を投獄し、

明治2年に開国派幹部10名を切腹させます。

それから、明治政府の開国に反対して、

戊辰戦争は開国近代化に走る元凶の会津や奥州を征伐するためだった

のではないかと、あくまで攘夷・鎖国維持・封建制堅持を叫び、

明治4年、39県にわたる同志と叛乱を起こしますが東京にいた藩主を楯にとられ、

叛乱は失敗、廃藩治県を待たずに終焉します。

奥州でも秋田は攘夷派で、開国近代化に反対して

列藩同盟を裏切ることになったと思うのですが、

いつのまにか、倒幕派が開国派、幕府方が鎖国派になっているのは不思議ですね。

明治政府が必死になって塗り替えた結果なんでしょうね。

徹底的な攘夷・鎖国派の真木和泉が明治以降皇国史観のもと

崇められているのも奇妙なことなんですが、

和泉は朝廷や幕府が天皇の政道を歪めた。

仏教という邪教が日本を歪めた。

神州から夷人を排撃するために人民は最後の一人まで戦えといっていますが、

これは大戦末期の日本軍そのもので、

戦前まで日本は真木和泉の思想に犯されていたようですね。

わたしも戊辰戦争研究会を知るまでは単純に通史を疑っていませんでしたが、

おかげで歴史の危うさを知ることができました。

先生にもいま一度、尊皇攘夷のおかしさや矛盾について

書いていただきたいと思います。

ーーーーーーーーーーーーー
脱稿、おめでとうございます。

すごい速さですね。

尊王攘夷の本質は、まったく歪んだ皇国論でした。

その辺が明確にしなければなりません。

日本人のゆがみの根源は幕末の尊王攘夷にあると

私も考えています。

今度、おあいするのが楽しみです。
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2009年8月5日(水)  クリントン元大統領、女性記者2人とともにロスへ
クリントン元大統領、女性記者2人とともにロスへ出発

8月5日9時16分配信 産経新聞

 【ソウル=水沼啓子】クリントン元米大統領の広報担当者によれば、

元大統領は5日午前、北朝鮮に拘束されていた米国人女性記者、ローラ・リンさん、

ユナ・リーさんとともに平壌を出発し、ロサンゼルスへ向かった。

朝鮮中央通信は同日、金正日総書記が北朝鮮に拘束されている

米国人女性記者2人に対して特赦を与え、釈放するよう命じたと伝えた。

これにより米朝間の懸案だった記者拘束問題は5カ月ぶりに解決した。

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麻生さん、あなたは何かしましたか。

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アマゾンベストセラー

会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (著)

読者の感想

アロマ

現在でも、会津人と山口県人の壁は高いと言うか歴史を超えて友好を結べていない。

同じ日本人なのに…と思う反面、自分も東北人だから長州の事を許せない気持ちも

少し有る。だが、この本の筆者は、本の結びとして友好(和解)を促している所が、

ただの『恨み』で終わって良いのか?と読者に語りかけ、質問している様に思えた。

戊辰戦争(会津戦争)を再度考えさせられ、

また、新しく長州との関係を考えさせられる本であった。

ーーーーー


新撰組を知るためにはいろんな側面から知りたいと思って読みましたが、

非常に面白く感じました。新撰組の記述はそんなに多くはありませんが、

幕末の流れや動乱、藩の動き、いろんなことを分かりやすく勉強でき、

もっと幕末について知りたくなりました。


By according to the conservative (山口県萩市) - レビューをすべて見る


  会津藩と長州藩の過去の起こった経緯が詳しく紹介されています。

両藩が中心が殺戮し合ったことが怨念となったのですが、日本の夜明

けに際して、両藩とも一人ひとりの国士が藩命を超え真剣に望んだ故、

起こった悲劇だと理解しています。日本の外に目を向けると、明治維新

の時代にもまさる困難が迫っています。国難に対峙し、さらに日本国を

維持発展させるためには両藩の怨念を超えた一致団結が望まれます。

著者の和解に取り組まれている真摯な姿勢に敬意を表します。 コメント



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2009年8月4日(火) 雪崩現象
昨今、どこに行っても聞くのは、自民党の大崩壊です。

選挙関係者は「止めようがない」と深刻です。

140年前の幕府崩壊の時によく似ています。

幕府離れは、怒涛のごとく全国に広がり、東北でも最終的には

防げませんでした。

朝令暮改、世襲の官僚機構、日和見主義、すべてが時代に合わなくなっていたのです。

今回は、驚くべき選挙になりそうな予感がします。

有権者は

候補者よりも民主か自民かで投票するように見えます。

これが戦後、初の革命的な現象です。
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2009年8月3日(月) 政権実績検証
政権実績検証 自公4年の「政策」は46点 9団体が採点 

次期衆院選を前に自公政権の05年衆院選以降の4年間を検証する

「政権実績検証大会」(主催・新しい日本をつくる国民会議=21世紀臨調)が

2日、東京都内のホテルで開かれた。

参加した9団体が政権の運営や官僚の統制に成功したかどうかなどの

「政権運営」と、05年衆院選と07年参院選のマニフェストの達成度「政策」

の2分野で採点した。団体ごとに採点基準は異なるが、

9団体の平均は「政権運営」が39.7点、「政策」が46点。

いずれも自公政権に厳しい結果となった。(毎日新聞)

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みちこの幕末日記

龍馬暗殺、古いメールから見つかりました。

十一月十七日、
大久保一蔵、新選組の竜馬暗殺を岩倉具視から示唆される。
(岩倉具視宛大久保一蔵書簡)

* 竜馬暗殺の黒幕と考えられている二人である。
  これらの書簡のやり取りを偽装工作と見ることもできる。

十一月十九日、
大久保一蔵、新選組の竜馬暗殺を確信する書簡を岩倉具視に送る。
(岩倉具視宛大久保一蔵書簡)

* この書簡があることで、大久保と岩倉の共謀による竜馬暗殺は
  ありえないことになるが、どちらか一方が暗殺の黒幕であった可能性は
  依然として残されている。

十一月二十日、

中村半次郎は竜馬暗殺の犯人を突き止めるため、現場に残されていた
刀の鞘が誰の物か、阿部十郎らに問い質した。

* 半次郎の竹を割ったような性格から、もし仮に自分が関与していたのなら、
  こんなことは決してしなかったと思います。
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2009年8月2日(日) 歯止めはきかない
これまで自民党を支持してきた業界や団体に

中央と地方のねじれ現象が起きている。   

中央組織の多くは衆院選で自民支援を掲げるのに対し、

地方の支部で距離を置く動きが出始めており、

自民党は支持をつなぎ留めようと必死だ。(読売新聞)

というニュースが流れた。

私の周辺でも同じである。

麻生さんは、中央の団体を盛んに回っているが、あれは逆効果であろう。

今の時代は、中央の偉い方に頼んだからその団体が

みな投票してくれると思ったら間違いではなかろうか。

下々の人は、中央の偉い人のいうことなどか聞かないからである。

麻生さんの体質は古すぎるように思う。

国民に向かって政策を語らなければならない。

小沢さんにもその傾向があるが、これも効果は薄いに違いない。

私はそう思う。

日本も大統領制の検討に入るべきだろう。じっくり国の代表者になるべき人の

話を聞きたい。

そのためには、憲法も見直さなければならないだろう。

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2009年8月1日(土) マニフェスト比較
自民と民主、どちらがいいか。

生活感覚は民主が上。説明も民主が分かりやすい

外交、安全保障は自民が意見を述べているが、

自民は過去に同じ事を何度も言い、一向に実現していない。

どこまで本気でやる気があるのか。

また民主党がマニフェスト(政権公約)に

日米の自由貿易協定(FTA)締結を盛り込んだことについて、

全国農業協同組合中央会(JA全中)やJAグループの政治団体、

抗議する声明を発表した。

民主も風あたりは強い。

しかし、どうだろうか。私が取材した限りでは、「政権交代が必要」という意見が

多かった。民主党がだめなら、また自民党に戻ればいいのではないか。

という考えがあちこちで聞かれた。

雪崩現象が起きそうな気配もある。


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星亮一の本、読者の感想

『女たちの会津戦争』平凡社新書

アマゾンブックレビュー

10 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 感動した, 2007/2/21
By アロマ - レビューをすべて見る

幕末の会津藩…。女性の生き方。会津女性は立派な『武士』であった。

籠城すると兵糧が減るから…官軍が攻めて来ても城下には、

老人や女性、子供しか居ない。結果は目に見えている。

会津女性は潔く自刃した。また集団自決をした。

とても私には出来ない事である。また籠城し戦い、

また怪我人の看護、食事を作ったり会津女性は実に良く働いた。

そして戦後、海外に飛び立ち活躍した女性たち…様々な会津女性の姿を、

この一冊で解り感慨深かった。ぜひとも一読して頂きたい一冊である。


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