星亮一 今日の一言

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2004年12月31日(金) 大晦日です
郡山は文字通り、氷のなかです。
つるつる滑って大変です。
午前11時
やっと仕事場に入りました。
これから原稿の整理です。

続報は午後から

文章は怖いです。
最後の点検で
足りない部分を発見、
いま書き足しています。

コンビに弁当を食べながら
時計をにらみながら
必死です。


夕方
またお送りします。
外を見て仰天しました。すごい雪です。
道路はつるつるです。
大変な大晦日です。

共同ニュースです。
低気圧通過で大雪の恐れ 気象庁が警戒呼び掛け
 気象庁は31日、低気圧が本州南海上を発達しながら通過し、夜にかけて東日本と東北地方の太平洋側で大雪となる恐れがあり、元日にかけては日本海側を中心に大雪になるとして、警戒を呼び掛けた。


早く帰ることにしよう。

皆さん、よいお年をお迎えください。
[記事全文]
△top
2004年12月30日(木) 30 日になってしまいました。
本当に暮れになってしまいました。
編集者から一通の手紙がきました。

日本近代史のご参考になるかはわかりませんが、K氏の本をお送りします。
構成などご参考になれば幸いです。明くる年はよい展開といたしましょう。
       草々
   K社 I拝

とありました。
実名は伏せましたが、
某大手出版社の編集者の方です。

しっかり書いてくださいという
叱咤激励の手紙です、
がんばりましょう。

後藤新平伝
年内にめどがつきましたので
大丈夫です。
正月3日から
K社の仕事にかかります。
△top
2004年12月29日(水) 雪ですよ
暖かい正月だと思っていたら
雪です。こんこんと降っています。
新聞は大事件が満載です、

大津波
自然の大脅威です。
このような大災害で
人類は
何度も崩壊のい危機に立ったのでしょうね。

こうしてぬくぬくと正月を迎えることが出来、
幸せというほかはありません。

これから昼食です。

午後も雪
一日
仕事場にこもりきりです。

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kyoudpou nyu-su
帰省ラッシュ始まる 初雪で高速道路が渋滞

 年末年始を故郷で過ごす人たちの帰省ラッシュが29日、始まった。29日未明から関東地方で降りだした初雪が、高速道路の渋滞に影響した。
 日本道路交通情報センターによると、降雪により東北自動車道は福島県の本宮−福島西インターチェンジ間で上下線とも通行止めとなっている。車のチェーンの装着でサービスエリアも混雑し、上信越道は、群馬県の横川サービスエリアを先頭に下りで6キロの渋滞。
 空の便や新幹線は雪の影響は受けておらず、日航や全日空は29、30日とも羽田空港から各地へ向かう便は終日ほぼ満席の状態が続く。
 博多や新大阪に向かうのぞみの自由席乗車率は150%。ピークは30日と31日のいずれも午前で、さらに乗車率が上がる見込み。
△top
2004年12月28日(火) 今日は原稿の点検
「後藤新平伝」
ようやく出来上がりました。
東京市政会館での写真撮影が残っていますが、
ほぼ完結しました。

年号、人名、事実関係の確認、参考文献の整理、
写真をのぞいて年内に作業を済ませ、
来春からは

「会津戦争全史」

です。
これを見れば
会津戦争のすべてがわかる
そいう本にしたいと考えております。

正月、2日ぐらいは休めそうです。
△top
2004年12月27日(月) 今年もおおずめですね
今週で今年も終わりです。今日出仕事収めの会社も多いようです。
私には、それも無縁で、いつのもリズムで正月になだれ込みそうです。

さてなにを書こうか
街に出て考えます。

書店で
「源義経 流浪の勇者」
を買いました。
ここに東北大教授入間田宣夫さんの
藤原秀ヒラの奥州幕府構想が目を引きました。

奥州藤原家は頼朝を倒して天下統一を
はからんとしていたというのでした。

それが奥州幕府です。
その総隊長が義経のはずだったという構成です。

ううん
これは面白い、
来年のNHKの文化教室はこの線で進めたいと思います。
△top
2004年12月26日(日) 日曜日の昼
なにを食べようかな
今考えているところです。
現在、正午
街に出かけます。

続報

私の仕事場は郡山駅に近いビルの6階にあります。
階段を下りると
すぐ隣に
まゆちゃん食堂があります。
そこではなく
少し遠いところで昼食を食べるつもりでした。
ところが運の悪いことに
店の人が外に出ていたのです。

「ああら先生、どちらに」
「ううん、ちょっと」
「昼まだでしょう。食べてくださいよ」
「ううん」
「ハイハイ、はいって、はいってッ」
なかに引きずりこまれてしまいました。

「日曜日はひどいわ、まだ売上が4000円よ。午後はやめるの。なにししますか」
「ううと、ううと」
「早く決めてください」
「ううと、カレーライス」
「はい、500円」

結局、カレーライスでした。
一日、最低3000歩、歩く計画も水の泡、
昼休みは
エレベーターを使ったので
100歩も歩いたかどうかでした。

ああ、おいしいラーメン食べたかったなあ。
△top
2004年12月25日(土) 伊藤博文傳
アート古書センターからやっと送られてきました、
昭和19年の3刷りです。
戦争中なので紙の質は悪いですね。
仕方がありません。
伊藤の写真が随分入っており、
若いころはさすがに精悍でした。

彼らと戦って会津は敗れたわけです。
敗者と勝者に違い
それがよくわかる伝記のようです。

これからじっくり読むますが、
明治19年、枢密院を作った時期の部分だけは、
すぐに読みました。

政府と議会が衝突し、内閣が辞職するか
衆議院が解散したとき、
枢密院の職権において国政を仕切る恒久的な機関でした。
伊藤や山県が
終身、国政を牛耳る機関、それが枢密院でした。
△top
2004年12月24日(金)  クリスマスイブ
クリスマスイブと
とラジオで放送していました。
「あれ、そうだっけか」
まったく意識がありませんでした。

今考えていることは、
昭和のはじめ、
日中戦争秒読みの時代のことで、
私の意識にはクリスマスもなければ、正月もありません。

原稿は自分の世界に没頭しないと、
書けないもので、なんとも仕方がありません。

大正十四年、1925年、69歳の後藤新平は
朝鮮から満州に旅をしました。

当時、朝鮮総督は竹馬の友の斎藤実でした。
原敬総理のたっての依頼で
総督に着任したのですが、
着任の日、爆弾を投げつけられ、朝鮮民族の怒りを肌で感じました。

新平は斎藤を励まし、そのあと奉天に向かい、中国の実力者の一人
張作霖におあっています。
新平は張作霖と共同で満州の
統冶に当たろうとしましたが、
軍部は張作霖を爆殺し、満州事変が起こります。

日本は破滅に向かって進むのです。

もう少し違った道を歩めなかったのか
そこが日本人の謎であり、まだ解明されていない部分です。
△top
2004年12月23日(木) 郡山は晴れです
各地で雪が降りましたが
郡山は晴れ、好天気です。
風があるので、雲が飛び、安達太良山が実にきれいに見えます。

仕事場に来る途中、ガソリンスタンドによってタイヤをスノータイヤに交換しました。
費用は四本で2000円、この店は安いと思いました。
今後、ここでガソリンを入れよう。

昨日、埼玉の古書店に
「伊藤博文伝」全3巻をメールで注文しました。
21、000円、ゆうパックで今日配達の予定です。

郡山の郵便局に問い合わせたところ、休日でも配達しているとのこと、
現金引換えなので、
仕事場で待機中です。

いま書いている
「後藤新平伝」
で使うためです。

ーーーーーーーーーー
結局
伊藤博文伝

着きませんでした。
ゆうパックは
黒猫やまとに比べたら
確実に1日は遅いと思います。

先日も
今日届けますといって翌日になりました。
したがって
私は
ゆうパックは使いません。

民営化が絶対必要です。

休日は電話もなく
快適です。
△top
2004年12月22日(水) 李登輝さん、どうぞいらしてください
なぜ李登輝さんの来日に中国はけちを付けるのか、
昨今の中国は迷走状態です。

李登輝さんは
京都大学のご出身です。
日本には大勢の同級生もおられます。
もう第一線を退かれた方です。

中国はなぜ反対するのか。
周恩来総理のような心の広い人は、
現在の中国にはいないようです。
共産党の一党独裁の国家であり、
報道管制のしかれている国家です。

つまらないことで、苛立ちを見せる。
この国はなんなのか、
つかみにくい状況です。

もう少しおおらかになってください。
△top
2004年12月21日(火) 今日は東京です。
日比谷公園の東京市政会館を取材します。
それから出版社の方に会い、
神田を歩き
本を探します。

朝早い電車で出かけますので
ここまでです。


------------
夜8時半の電車で帰って来ました。
古書店で
「戊辰戦争と多田郷士」
という本を買って来ました。

読むのが楽しみです。
△top
2004年12月20日(月) 海老沢さん、おやめなさい
昨夜のNHKテレビの特番、見ました。
日産のゴーン社長のように新しい人を迎えて再建すべきですね。
海老沢さんでは無理でしょう。
まずおやめになること、
それからでしょう。

ーーーーーーーーー
産経新聞ニュース

NHK不祥事 会長、生特番で陳謝 「信頼回復へ改革」、辞任改めて否定
 NHKは十九日、元チーフプロデューサーの詐欺容疑の逮捕など一連の不祥事で失った信頼を回復するため、海老沢勝二会長が生出演する異例の特別番組「NHKに言いたい」を午後九時から総合テレビで放送した。番組では、まず一連の不祥事について「信頼を損ない、あらためて深くおわびする」と陳謝。有識者による討論会では経営責任からトップ辞任を問う意見も出たが、「信頼回復に向け改革の道筋をつけることが大切だ」と続投の意思を表明した。(産経新聞)

△top
2004年12月19日(日) 高松宮妃と大正天皇
高松宮妃ご逝去、心からお悔やみ申し上げます。

大正天皇は薩長が嫌いでした。
明治天皇は伊藤博文や山県有朋らの傀儡だ、
大正天皇はそうお感じになっていたようです。

天皇がお亡くなりになってからですが、
昭和天皇の弟君、高松宮妃には徳川家、
秩父宮妃には
会津松平家から迎え、
皇室に徳川と会津の血を入れられたのでした。

これは画期的なことでした。
革命的といってもいいかも知れません。

このご結婚は
薩長藩閥政治の終焉を意味していました。

大正天皇ご夫妻は
歴史を大きく変えたのでした。
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△top
2004年12月18日(土) 今日は宮城県丸森町で同級会
NHK福島文化センターで
新選組の講座があり、
そのあと丸森線で、丸森町に向かい、
夜は阿武隈荘で小学校の同級生、何人かと
なんでしょうか、
飲み会というか
懇親会というか
泊りがけで、あれこれ懇談します。

一緒に遊んでいた仲間のうち二人が医者で、
まだ現役に働いている人もいます。

私はここの小学校を卒業し、中学2年生までいました。
親父の故郷ですが、私にとっても
思い出の町です。

今年書いた
「戦う政宗」はここを舞台にした作品です。
△top
2004年12月17日(金) チンギス・ハーンの落馬
中国内モンゴルの西部にオルドスという高原があるという。
そこには大規模な石窟群があり、1000点以上の豪華な壁画が残っているそうです。
中国は広いですね。
ここにはかつて西夏国があり、独自の文化を作っていたわけです。

「西夏を攻めよ」
チンギス・ハーンが兵を出し、攻撃に向かったのは1225年でした。
いまから779年前です。

モンゴル人は乗馬の達人です、
ところが途中で行った巻き狩りで、チンギス・ハーンが落馬してしまい、
重傷を負ったのです。

どういう怪我かはわかりませんが、かなりの重傷だったようで、石窟群に収容され
治療したのですが、
回復せず死亡したのでした。

そこには三人の妃に囲まれたチンギス・ハーンの壁画があるそうです。

来年の大河ドラマの主人公義経
大陸に渡ってチンギス・ハーンになったという
夢のような話もあります。
人間は
意外な死に方をするものです。
チンギス・ハーンにも老いが迫っていたのでしょうか。

なぜチンギス・ハーンか
今朝の読売新聞に
静岡大学の
揚助教授が書いており、興味深く読んだためです。


岩隈オリックス入り拒否 今後は選手会に一任

共同通信ニュース

それでいいと思います。


 合併球団オリックス入りをあらためて拒否し、硬い表情で記者会見する岩隈久志投手=17日午後、大阪市中央区


 合併球団オリックス入りを拒否している岩隈久志投手は17日、神戸市内のホテルで小泉隆司球団社長と話し合い、あらためて入団を拒否し、楽天へのトレード移籍を希望する意向を伝えた。
 岩隈は記者会見し「(合併が決まり)この6カ月間野球をやってきてつらかった。オリックスではできませんと伝えた」と話した。小泉社長からは「楽天には今すぐには出せない。宮内オーナーや(パ・リーグの)小池会長と相談して考える。年内には決めたい」との返答があったという。
 岩隈は15日の小泉社長との会談で、17日に最終結論を伝える意向を示していた。この日は同社長との会談前にオリックスの川越選手会長とも話し合っており、今後についてはプロ野球選手会に一任する意向。
△top
2004年12月16日(木) 中国共産党を批判
今朝の読売新聞に注目すべき記事がありました。
北京大学の焦助教授が
「中国共産党の言論統制は憲法違反だ」
と激しい批判を繰り広げている、というのです。

私たちは中国も日本もあまり変わらないと思いがちですが、
まったく違う社会なのです。
中国は共産党中央宣伝部が言論統制を行っており、
言論の自由はないのです。

たとえば
対日報道-

日本人は残酷、経済アニマル
そう教え込まれているのです。

「これはおかしい」

焦助教授ガ噛み付いたわけです。
中国では批判を重ねると公安に拘束されるといいます。
それを覚悟で焦さんは立ち上がったわけです。

今後の動きに注目しましょう。

 
△top
2004年12月15日(水) 犯罪国家
毎日、犯罪が多発しています。
非常事態宣言をしてもいい状況です。
ドンキホーテも放火となれば、いたるところ犯罪だらけです。
自衛のために拳銃を持つ、昨夜、アメリカの状況が放送されましたが、
いずれ日本も大混乱の時代がやってくるだろうと思います。

とにかく犯罪の検挙率の低下は目を覆うばかりです。
この際、警察のあり方、住民の協力のあり方、
民間の防犯対策、

すべて再検討でしょう。
こうなった原因はいろいろあるでしょうが、
政治家のモラルの低さ、
自民党橋本派の1億円事件
誰の言うことが本当なのか、
全員が嘘をついているわけで、これをみてれば、
なにおかいわんやです。

俺れ俺れ詐欺、銀行の窓口でチェックできないものか。
不思議な感じです。
ほかの人のことはどうでもいい。
言われた通りに送金する。そういうことなのでしょうか、

安全は高いものとなり、また税金も上がる
大変な時代を迎えたことは間違いありません。

ーーーーーーーーーーー
大犯罪国家北朝鮮の開き直り

受けてたちましょう。

ロイター通信の記事です。

経済制裁発動は宣戦布告とみなす=北朝鮮外務省


  [東京 15日 ロイター] 北朝鮮は、日本が経済制裁を発動すれば「宣戦布告」とみなすとした上で、6カ国協議から日本の排除を求める可能性を示唆した。
拉致被害者、横田めぐみさんらの「遺骨」が別人とする日本政府の鑑定結果受け、国内では北朝鮮に対して制裁発動を求める声が起きている。
 朝鮮中央通信によると、北朝鮮外務省報道官は声明で「極右勢力の動きによって、朝鮮民主主義人民共和国に対し制裁が発動されれば、我々は我が国に対する宣戦布告とみなし、効果的な物理的方法で対応する」と述べた。
 横田さんの「遺骨」については「日本側が主張しているように夫が別人の遺骨を日本側に手渡したと想像してみよう。そうすることで彼は何を期待したのだろう」と述べ、別人の遺骨を手渡したとは想像できない、としている。
 6カ国協議に関しては「このような極右勢力による共和国に対する計画的、挑発的な動きが続く限り、日本と共に協議に参加することを真剣に再検討する」と述べた。
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2004年12月14日(火) 今日は晴れ、いい気分です
いい天気です。
仕事場から安達太良山がきれいに見えます。

昨日、日経BP社の編集者から電話があり、お会いしたいということでした。
「東京にこられることはありませんか」
「今月はそうですねえ、あと一度は出かけます」
「じゃ、そのときに」
「はい」

という電話でした。
ねらいは定年退職後の生きかたに関するインタビューのようでした。
私はテレビ局を退職して10年が経ちました。

「ええ、そんな年なの」
自分でもびっくりするぐらいです。
でも自分はまだまだ現役意識が強く、
歴史に関するノンフィクションを書きまくっております。

いまも4本のテーマを抱え、一日、数時間はワープロとパソコンに向かっています。
サラリーマンをやめたとき、まさかこうなるとは思ってもいませんでした。
人生は不思議ですね。

毎年、中国を歩いていますが、
今年はチベットにいきましたが
高山病にかかって散々でした。
来年はシルクロード取材に出かけます

それから何でしょうか

歴史に関する討論会も
来年は2回、予定しています。
とにかく頭と体を使って動くことです。
△top
2004年12月13日(月) 大河ドラマ新選組終了
新選組 終わりましたね、

すごくいい放送だったと思います。
私はそう評価しています。

ところで視聴率、
歴代の大河ドラマと比較すると、
いいほうだったように見受けます。

来年の義経

どうなるでしょうか。


NHK大河ドラマ歴代視聴率 【関東地区】2004年12月13日現在 です。

放送年度 タイトル 初回 視聴率(%) 最高 視聴率(%) 平均 視聴率(%)
2004年度 新選組! 26.3 26.3 17.4
2003年度 武蔵 MUSASHI 21.7 24.6 16.7
2002年度 利家とまつ・加賀百万石物語 26.1 27.6 22.1
2001年度 北条時宗 19.6 21.2 18.5
2000年度 葵徳川三代 22.6 22.6 18.5
1999年度 元禄繚乱 25.0 28.5 20.2
1998年度 徳川慶喜 24.4 29.7 21.1
1997年度 毛利元就 25.3 28.5 23.4
1996年度 秀吉 26.6 37.4 30.5
1995年度 八代将軍吉宗 22.1 31.4 26.4
1994年度 花の乱(94年4〜12月) 17.9 18.3 14.1
1993年度 琉球の風(93年1〜6月) 24.1 24.1 17.3
炎立つ(93年7月〜94年3月) 20.8 21.6 17.7
1992年度 信 長 25.4 33.0 24.6
1991年度 太 平 記 34.6 34.6 26.0
1990年度 翔ぶが如く 26.9 29.3 23.2
1989年度 春 日 局 33.1 39.2 33.1
1988年度 武田信玄 42.5 49.2 39.2
1987年度 独眼竜政宗 28.7 47.8 39.7
1986年度 い の ち 26.6 36.7 29.3
1985年度 春の波涛 23.9 24.7 18.2
1984年度 山河燃ゆ 30.5 30.5 21.1
1983年度 徳川家康 34.9 37.4 31.2
1982年度 峠の群像 31.3 33.8 23.7
1981年度 おんな太閤記 32.2 36.8 31.8
1980年度 獅子の時代 26.2 26.7 21.0
1979年度 草燃える 27.9 34.7 26.3
1978年度 黄金の日日 29.8 34.4 25.9
1977年度 花 神 16.5 25.9 19.0
1976年度 風と雲と虹と 28.0 30.1 24.0
1975年度 元禄太平記 29.9 41.8 24.7
1974年度 勝 海舟 30.5 30.9 24.2
1973年度 国盗り物語 27.5 29.9 22.4
1972年度 新・平家物語 17.3 27.2 21.4
1971年度 春の坂道 19.1 27.5 21.7
1970年度 樅の木は残った 27.6 27.6 21.0
1969年度 天と地と 23.5 32.4 25.0
1968年度 竜馬がゆく 22.9 22.9 14.5
1967年度 三 姉 妹 27.0 27.0 19.1
1966年度 源 義経 32.5 32.5 23.5
1965年度 太 閤 記 35.2 39.7 31.2
1964年度 赤穂浪士 34.3 53.0 31.9
1963年度 花の生涯 25.6 32.3 20.2

1963年〜2004年に放送されたNHK大河ドラマの世帯視聴率を掲載しています。
平均視聴率の算出方法
1963〜1988年:番組平均世帯視聴率を元に加重平均 (番組平均世帯視聴率に放送分数を乗じた値を合計し、それを総放送分数で割る方法で算出。) をし、算出。
1989年以降:毎分世帯視聴率を合計した値を総放送分数で割る方法で算出。

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許せない動きです。

北朝鮮、連日の対日非難 経済制裁論に対抗か

 【北京13日共同】北朝鮮は8日の太平洋戦争開戦記念日をきっかけに日本の「軍事大国化の動き」を連日批判し、植民地支配の謝罪、補償を要求する反日論評、声明を出している。拉致被害者の横田めぐみさんらの「遺骨」が別人と判明したのを受け、日本で急速に高まった北朝鮮への経済制裁論に対抗しようとしていることをうかがわせる。
 朝鮮中央通信によると、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は13日の論評で、憲法改正議論や、弾道ミサイル攻撃を受けた際の防衛出動手続き簡略化、武器輸出3原則見直し決定など最近の日本の動向を取り上げ「わが国を侵略の第一目標とする軍事大国化を示す」と非難した。
(共同通信) -
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2004年12月12日(日) 遥かなるノモンハン第一位
今朝の福島民友新聞の郡山市東北書店のベスト10、
トップは
「遥かなるノモンハン」
でした。

読書欄に書評も出ていました。
うれしい限りです。

渾身の力をこめて書きました。
皆さんの感想も聞かせてください。



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公開選考、今年も熱く/中山義秀文学賞大信/乙川さん(神奈川)受賞------------

福島民報ニュースです。




 「第10回中山義秀文学賞」の公開選考会は11日、福島県大信村農村環境改善センターで開かれ、文学賞は乙川優山郎さん(51)=神奈川県=の短編集「武家用心集」(集英社)に決定した。選考は昨年に続き公開で実施され、県内外の文学愛好者約120人が審査委員4人による議論に耳を傾けた。
 作家の佐江衆一さん、北原亜以子さん、立松和平さん、文芸評論家の縄田一男さんが一次選考を通過した3点について話し合った。安積歴史博物館長の今泉正顕さんがコーディネーターを務めた。投票の結果、文学賞は最高点を獲得した「武家用心集」に決まった。
 受賞作は「田蔵田半右衛門」「しずれの音」「邯鄲」など八編からなる短編集。親の介護や夫婦の絆(きずな)など現代に通じるテーマが描かれている。佐江さんは「文体が優れ、切れがいい」、北原さんは「気品がある。時代小説だから感動できる構成」などと評した。
 賞を逃した2作品もたたえられた。海道龍一朗さんの「真剣」(実業之日本社)は「デビュー作とは思えない。剣げきの場面に緊迫感があっていい」と高く評価された。一方で体言止めの表現に作家の甘えを感じたなどの意見が出た。
 佐々木譲さんの「天下城(上・下)」(新潮社)も「目の付けどころが新鮮で、虚をつかれた」と高い水準であることを認めながら、人間関係のメリハリにやや不満だったという見方が示された。
 席上、渡辺義男福島民報社取締役ら一次選考委員が紹介された。
 乙川さんには賞金50万円と村特産のコシヒカリ一俵が贈られる。

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なるほどね
小さな村が
すごいイベントですね。

でもどうして
有名作家にあげるのか
不思議との声もあるようです。
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2004年12月11日(土) 西沢書店で講演会
今日は福島市の西沢書店で午後2時から講演会です、

演題は
「新撰組と会津藩」
です。

大河ドラマ
新選組も明日出でおわりですね。

私の講演、新撰組も
今日が最後かも知れません。
会津若松市での討論会をはじめ
各地で随分、新撰組を語りました。

来年はどんな年になるのか、
もうすぐお正月ですね。
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2004年12月10日(金) 郡山楽天応援団
幸楽苑会長の新井田傳さんを団長に結成されました。
私も会員です。
これから時折
仙台に出かけます。
とりあえずは
楽天、巨人の交流試合です。


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一関の名前が消えるのは反対

私の母校、一関一高が関係するニュースです。

一時、一関周辺の町村が合併して、新名称は
平泉市という案が出ましたが、
私は反対でした。

大河ドラマに平泉登場という目先の利益で、
一関市の名前を平泉市に変えるなどは
愚考であり、あまりにも軽率な行為でした。
幸い、この話はまとまらず、
一関中心での合併が進みそうです。
大変いいことだと思います。

以下は岩手日報のニュースです。


一関中心の結集 室根村長

 小山寛室根村長は9日開かれた村議会臨時会で、両磐合併の白紙化を受け、今後の見通しについて、個人的見解として「一関市や市議会が中心になると思う。新市名称は『一関市』でいいという人たちが集まるのではないか」と述べた。

 新たな枠組みは「原点に戻り、4市町村で議論しながら、今後の方向性を検討していくのではないかと思う」と言明。村の方向性は「あくまでも対等合併でなければ参加しない」と強調した。

 4市町村は、休止している法定の一関地方合併協議会を構成する一関市、花泉町、東山町、川崎村。現在、4市町村を軸に他の自治体を含めた新たな枠組みを構築する案が浮上しており、松川誠東山町長も8日の町議会本会議で、同様の趣旨の発言をしている。


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松川誠町長は高校の同級生です。
町長のおしゃることは正論ですね。

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2004年12月9日(木) 日本のジレンマ
北朝鮮は卑劣な国家です。
経済制裁以外にもう道はないでしょう。

ただアメリカは日本に慎重な対応を求めているようです。
北が暴走するのを恐れているのでしょう。

かつて日本は
アメリカから経済制裁を受けて
真珠湾攻撃に踏み切りました。

北が攻撃を加えてきた場合の
対応を十分にとる必要があるでしょう。

自衛隊がどこまで阻止できるのか
米軍がどう戦うのか。

そこまで考えて
経済制裁に踏みきルべきでしょう。
国民も覚悟を決めるべきです。
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2004年12月8日(水) 大正時代、薩長閥の崩壊
今日は大正時代を考えます。
大正デモクラシーという言葉があります。

明治天皇の崩御で、日本は新しい時代に突入、
デモやストライキも起こり
民衆の時代の到来でした。

薩摩、長州の藩閥政治の崩壊でもありました。

最大の抵抗勢力は長州閥の最長老山県有朋でした。
山県は長州閥の軍人で、陸軍を固め、
天皇の最高顧問である元老会議の筆頭
の地位を占め、
元帥として終身現役の大御所でもありました。

これに歯向かったのが
岩手県、南部藩出身の原敬です。
原敬が薩長閥を破って総理大臣になるのは、大正7年です。

これによって日本の歴史は大きく変わりました。
原敬の伝記を将来、書きたいと思います。
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2004年12月7日(火) ノモンハン出版を祝う会
郡山ノモンハン会主催で、本日午後6時から、郡山市の居酒屋まゆちゃんで、開かれます。

私の新作
「遥かなるノモンハン」(光人社)
を披露する集まりです。
一緒にノモンハンに行った人々が出席します。

光人社の
坂梨さんも見える予定です。
盛り上がって飲むことになりそうです。
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2004年12月6日(月) 河北新報東北の本棚
本日付け上記の紙面に私の
「戦う政宗」
が大きく紹介されました。
仙台の知人から何本かの電話をいただきました。

東北の方は読んでいただければ幸いです。
記事のなかで、ご丁寧に

「星さんは仙台市生まれで、東北大文学部卒、元新聞記者、
先祖は本書にも登場する小斎城主佐藤宮内に仕えた伊達家家臣」

とありました。

何か気恥ずかしいですね。

間違いなく
政宗の戦闘にも加わっていたようです。

4代前の先祖は
江戸に出て砲術を学び、
仙台で砲術を教えていました。

「戦う政宗」

なにぶんよろしくお願いいたします。

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楽天応援団

5月6日は仙台に行くぞ

楽天は巨人と初戦 5月6日から交流試合
 プロ野球で来季から導入されるセ、パ両リーグの交流試合日程が6日、発表され、5月6日の初戦で新規参入の楽天は、本拠地の県営宮城球場で巨人と対戦する。同日のその他のカードはヤクルト−ダイエー、横浜−ロッテ、広島−西武、日本ハム−阪神、オリックス−中日。
 交流試合は6月16日まで実施し、各カード6試合ずつを行い、計216試合が組まれている。(共同通信)


 高校の後輩、一関一・木村投手が巨人と仮契約を結びました。

岩手日日新聞

 プロ野球ドラフト会議で巨人から指名された県立一関一高三年の木村正太投手(18)は五日、一関市内のホテルで球団との入団交渉に臨み、契約金六千万円、年俸五百四十万円(金額はともに推定)で仮契約した。背番号は未定。入団発表は十日。記者会見で木村投手は「小さいころからの夢がかない、うれしい。プロは野球が仕事。丈夫な体をつくり、一軍で投げられるように頑張りたい」と喜びの心境を語った。

 午前十一時すぎから行われた一回目の入団交渉には巨人の末次利光編成部長と大森剛スカウトが出席し、木村投手と父久雄さん、母トヨ子さんを交えて約三十分間、条件提示を含めて懇談した。

 一発サインで仮契約した木村投手は正午すぎから記者会見に臨み、あこがれの球団入りが実現したことにホッとした様子で時折笑顔をのぞかせた。

 「ドラフト指名されたときは実感はなかったが、時間がたつにつれて実感がわいてきた。仮契約したので本当に気持ちを入れ替えていかなければならない」と決意も新た。巨人の一員になったことには「小さいころからの夢だったので本当にうれしい」と話した。

 「プロでは野球が仕事。三年ぐらいかけて丈夫な体をつくり、一軍で投げられるように頑張りたい」ときっぱり抱負。最速145キロの直球と球の切れ、制球力の良さをセールスポイントに挙げ、「目標は桑田真澄投手。技術的にも人間的にもすごいと思う」と尊敬の気持ちを表現した。

 契約金の使い道は「まだ高校生なのですべて両親に任せたい」と語る親孝行ぶり。指名後の練習メニューは走り込みなどで変わりはないが「意識が変わった」とプロ入りの自覚もしっかり芽生えているようだ。

 末次部長は「木村君は強靱(きょうじん)な体に加え、腕の柔らかい使い方、強い手首など運動能力が高く野球センスが抜群。プロのわれわれとしても頼もしく、大事な要素を持っており、ドラフトでは将来性の豊かさも見込ませてもらった」と超高校級右腕を評価した。

 会見に同席した一関一高硬式野球部の小野寺弘行監督は「仮契約はわたしにとっても特別な日。早くプロの社会に慣れ、長くかわいがってもらえる投手になってほしい」と教え子の晴れ姿を見守った。

 久雄さん夫妻は「うれしいのと、これからが大変だという気持ちが半分半分。素直な子でここまで大きく成長するとは思わなかった。プロでは焦らず、けがをせず、ずっと巨人で活躍できるように」と温かい親心も見せていた。

 本契約と他のドラフト指名選手との合同による入団発表は十日に行われる。

 木村投手は十一月十七日のドラフト会議で巨人が五巡目指名。仮契約したことで一関一高からは初のプロ野球選手、県内球界からも初の巨人高卒ルーキーが誕生することが決まった。

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がんばれ木村投手
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2004年12月5日(日) 源田温泉
昨夜は郡山の源田温泉に泊まりました。
鉱泉ですが、いいお風呂でした。
ただ携帯が通じず、多忙な方には
困りました。

携帯電話の時代になりますと、
やはり通じないと困りますね。

今日は午後から
後藤新平です。

久しぶりの原稿です。
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2004年12月4日(土) 北東文芸賞の授賞式
本日、郡山市の源田温泉熊田屋で行います。

祥伝社、角川書店、実業之日本社、本の森などから編集者が見えます。
午後1時からNHKの講座、それが終わってから出かけます。

今回の受賞者は
岩手県の北上秋彦さんです。

最近は本当に多忙で、
講演会、雑誌の原稿と忙殺されています。

でも大変ありがたいことです。

人生、

がんばることが大事です。

源田温泉には
友人が多数、見えます。
双葉町の教育委員の川崎さん、
野口英世青春館の照島さん、

多彩な顔ぶれです。
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2004年12月3日(金) 新撰組コーナースタート
マルチ作家杜ノ明里さんのコーナーを作りました。
すごい展開の新撰組をお楽しみください。

それから
明治維新に関する投稿も増える一方です。
感じることは、
明治維新が何も整理されていないということです。
論争を巻き起こしましょう。

さて今日は会津若松で講演会です。

会津藩と新選組

が演題です。

新選組の人々も長州の奇兵隊の人々も
根本の発想は同じではなかったか。
それは脱藩であり、草莽だった、

そうしたことを説明し
敗者の悲哀と悔しさを語ろうと思います。

会津藩の正義も強調します。

会場は会津若松市のサンパレス会津

開演は午後4時、入場無料です。
終わってサイン会を行います。

主催は
あいしん駅前たから会

電話 0242−24−1151

です。

私は午後1時のバスで向かいます。

午前中は
講演内容のチェックと
後藤新平の原稿
400字3枚ぐらい、

夜、事務所に戻ります。

午後10時
戻りました。

後藤新平
400字書けるかどうかです。

少し疲れました。

総理列伝3は休載です。
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2004年12月2日(木) 今日は雑務に追われてしまいました。
朝、来客、
午前中、雑誌、原稿送稿
午後、明日の会津若松の講演会『会津藩と新選組』の準備
夜、後藤新平の原稿執筆

総理列伝3はその合間に書きます。

昼、再び来客。
政治のこと
野球のこと
あちこち話が弾みました。

いま午後9時です。
まだ後藤新平を書いています。
総理列伝3は難しくなりました。
明日に回します。

すみません。
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2004年12月1日(水) 総理列伝2
日中、雑誌の原稿があり、
夜、記載します。

伊藤は位人臣を極めました。
四度も総理大臣を務めた人は誰もおりません。
すごすぎる人でした。
晩年は国際社会と日本を考えていました。
ロシアとの接近が伊藤のアジア政策でした。

ある部分、ロシアと共存共栄で満州や朝鮮を統治する方法でした。
韓国統監という立場もありました。
ゆくゆくは韓国を併合する、それを考えたのも伊藤でした。
明治42年、伊藤はロシアの蔵相と会談するためにハルピンに向かい
その駅頭で暗殺されました。

犯人として朝鮮人安重根が逮捕されましたが、真犯人は別にいとたいう
説があり、不透明の部分が残されています。

後藤新平はこのとき第二次桂内閣の逓信大臣でした。
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