星亮一 今日の一言

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2003年11月30日(日) 会津落城
12月20日発売の中公新書『会津落城』の再校が、
明日に迫ったため今日は1日、校正作業に追われました。
どうしてこうも事実誤認があるのかなと思うぐらい
間違いや迷いがでて来るのです。

たとえば
小銃の種類、
スナイドル銃
エンピエール銃
ゲベール銃
ヤーゲル銃
後装銃はどれ

明治新政府軍
薩長政府軍
官軍
賊軍
どれがいいですか、

白虎隊
何歳ですか

といったことから
単純な字の誤り、
完全な誤り
とにかくいっぱいあるのです。

これは頭の痛い作業です。
萩は明日にします。
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2003年11月29日(土) 会津と長州、和解へ大前進
山口県萩市での討論会は大成功でした。
朝日新聞、読売新聞、中国新聞で大々的にとリあげられました。
明日から詳しくお伝えします。
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2003年11月26日(水) 会津と長州 和解への道をさぐる 
明日、萩で行う私の基調報告のタイトルが決まりました。
「会津と長州 和解への道をさぐる」
です。
山口県では大変、話題になっており、
今日はNHK山口放送局、読売新聞、産経新聞から取材がありました。

140年の怨念から和解へ
私は全力を尽くして和解への道をさぐってきます。
菅家会津若松市長のメッセージもいただいており、
会津の歴史に1ページを加えるべく
頑張ろうと思っています。

このメールは
27、28日と休みになります。
29日に第1報をお送りします。
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2003年11月25日(火) 古川薫さんの書評
産経新聞派23日の読書欄で、『山川健次郎伝』を取り上げてくれました。
執筆者は作家の古川薫さん。

星亮一氏の『山川健次郎伝』を読ませてもらったが、冷静な筆の姿勢に私は共感した。
著者ご自身の主人公に対する並々ならぬ畏敬の念のこもった叙述にも心を打たれた。

また山川健次郎と長州人奥平謙輔とのヒューマンな交わりの詳述は、嬉しく感動的だった。
そして萩に乱に対する偏向した長州人の解釈が奥平謙輔の墓をいまだに野ざらし同然にしていることに、いまさら心が痛むのである。

本書のあとがきで「大藩会津の末裔は、いたずらに過去にこだわり、その非を論じるべきではない。雄藩の誇りを持って、長州とも手を携えて新たな日本の建設に邁進することこそ、今日の課題だと私は思う」という筆者のことばが、なんとすがすがしく響いたことか。

戊辰の役で散った人々への恩讐を越えたこよなき鎮魂の書となった。

このように書いてくださいました。
ありがとうございます。
嬉しい限りです。

あさってから萩です。
これで自信をもって萩に出かけることができます。
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2003年11月24日(月) 幕末の雄藩
昨今、考えているのですが、
近代日本は、良きにしろ悪しきにしろ
薩摩、長州、会津の三藩でつくったのです。

明治維新の主役は薩摩、長州なので、薩長国家と見えますが、
ところが違うのです。
日本には野党があり、そのシンボルが会津だったのです。

あの会津の抵抗精神を見習え
というわけです。
坊ちゃんの赤シャツのように
常に批判的立場を忘れない人間、それが会津でした。

すでに徳川幕府は崩壊したのです。
何も戦う必要はなかったのですが、
理不尽な行為は許せない
そう思ってとことん戦ったのです、

だから庶民は会津に味方しました。

その辺をもうすこし研究して
ゲリラ戦で戦うと会津にも勝機があったのですが、
会津の戦法は正攻法です。

いつも正面からぶつかって敗れました、
しかし、
その会津ッポ精神は健在です。

それを一冊にまとめようと
思っています。
会津精神の再検証です。
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2003年11月23日(日) 会津藩VS長州藩
討論会はいよいよ今週に迫りました。
マスコミも注目し、朝日新聞のほかに
産経新聞が明日、取材に見えます。
福島と山口の連携で、取材をするのだと思います。

新しいニュースとしては、
長州側から
高杉晋作の研究家で知られる一坂太郎さんが、
加わることになりました。

これで一段とレベルの高いものになってきました。
私はお互いに交流すべきだという観点に立って、
討論に入リますが、
双方、幕末日本の雄藩という立場で
討論すれば、
かならずや
いい結果が生れると信じています。

勝敗は時の運です。
水に流すものは流す、
これも大事だと思います。

とにかく楽しみです。
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2003年11月22日(土) アルカイダ、日本も標的
アルカイダが日本にも脅しを掛けてきました。
遅かれ、早かれ
こうなるだろうとは思っていました、
じゃ自衛隊の派遣を止めるのですか。
テロに屈する日本の姿に世界は嘲笑するでしょう。

日本も毅然たる態度で、
テロに対処しなければならないでしょう。

これまでの平和ボケの日本は
もう限界に来ているのです。

ガードを固め
日本も戦う姿勢を見せるしか
テロに対処する方法は
ないと思います。

いよいよ正念場の時代がやってきたのです。
私はそう思っています。


参考
パリ21日共同】フランス公共ラジオによると、テロ組織アルカイダのスポークスマンは21日、アラブ誌に声明を送り、トルコ・イスタンブールの同時爆弾テロの犯行を認めた上で「最初の日本の自衛隊員がイラクの土地を踏み次第、アルカイダは東京に深く侵入、攻撃する。日本は簡単に破壊されるだろう。そして日本人はその現実を認識するだろう」と警告した。
 今月16日には、アルカイダ系の組織「アブハフス・アルマスリ旅団」がアラブ紙に電子メールで声明を送り、日本やイタリアなどを名指しして「アラーの戦士に踏みつけにされたいのであれば、イラクに行くがよい。われわれの攻撃は東京の心臓部に届くであろう」と警告している。
 21日の声明は、イスラム教のラマダン(断食月)明けの来週から来年2月半ばの犠牲祭までの間に「新たな大作戦が行われるだろう」と言及した。(共同通信)
[11月22日1時13分更新]
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2003年11月21日(金) 今日は東京
出版関係者と打ち合わせにため午後から東京です。
郡山は東京に近いので大変、助かります。
東京は基本的に日帰りで、打ち合わせの場所は、
いつも八重洲ブックセンターのコーヒーショップです。
東京駅の前なので、
すぐ行けるし、帰りも楽です。

いま書いているのは
「新撰組と会津藩」

新撰組の斬り合いは、もう何冊も出ていますから
新撰組とはなにか
を書いています。

彼らは幕末維新史に何を残したのか
そいうことを書いています。

会津藩は新撰組を管理監督する立場にありました、
おたがいに活躍できたのは。
文久から元治年間で、慶応年間に入りますと、
薩摩、長州の怒涛なようなうねりに
あおられて埋没していきます。

会津藩は失意のまま帰国し、会津戦争に突入、
勇猛な戦いぶりで、歴史に名を残し、
新撰組は土方歳三が
北の大地で戦い、北海道の土になりました。

散り際の良さ
でしょうか。
少し遅れましたが、
来年2月には店頭に並びます。
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2003年11月20日(木) 幕末のお金
幕末維新を書いていると、お金の話がよく出てきます。
一体、一両は現在の貨幣価値に換算すると、いくらか。
これが難しいのです。

日本銀行に問い合わせると、こうです。
江戸時代中期、
一両は米価で約4万円、賃金で約30から40万円、そば代12から13万円、
ところが
幕末
米価は3から4千円、
ここに来て分からなくなってしまいます。

たとえば
会津藩の幕末時の収入は22万両、
これは現在に換算していくらか。

さあ答えてください、

計算はややこしいですよ。

米価で行くと
幕末は1両4千円、22万を掛けると
8億8千万円かな
米価が4万円になれば
一挙に88億円になります。

一体、どう考えたらいいのでしょうか
米価ではどうもだめのようです。
どなたかご教授ください。


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2003年11月19日(水) 新撰組始末記
新人物往来社の『新撰組史料集』はなかなかいい本ですね。
研究の第一歩は史料を読むことです。
ここには多くの史料が入っていますが、
まず「新撰組始末記」がいいですね。

西本願寺の寺臣西村兼文の記録です。
新撰組は一時、西本願寺に屯所をおきいました。

西村が見た新撰組の実態は、極悪非道でした。
批判的な目で見たという部分はありますが、
近藤勇の素顔を

「無残の暴客」

と書いています。

この他
「近藤勇、土方歳三、沖田総司の手紙」
「島田魁日記」
「金銀出入帳」
いろいろあります。
お勧めの一冊です。
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2003年11月18日(火) 新撰組とはなんですか、人よりはずい分遅いスタートです。
新撰組を書いています。
あまり誉められた集団でもないな
いやそうではない、
なかなかの役者ぞろい、
面白いかもね、
という印象です。

じゃ一体、彼らは幕末維新の中で何をしたのか。
人は、
近藤勇は
見事なリーダーだとか、
土方の人生はロマンにあふれているとか
申しますが、
一つのドラマとしては
面白いですが、
結局、
そうですね

たかが新撰組、
されど新撰組かなあ

でも謎が多く、闇の部分も多い剣士の集団、
であることも事実、

それをどう表現するか
結構、難しいですね。
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2003年11月17日(月) 朝日新聞山口県版
会津の長州萩の交流、朝日新聞の福島県版に載って、
話題になっていますが、
昨日から私のところに、
山口県から電話が来るようになりました。
なぜだろうと思っていたら、
山口県版にも大きく出ていたのです。
これは凄いと思いました。
東京本社のデスクが、西部本社のデスクに連絡をとったのだと思います。
山口の方がセンセーショナルな見出しでした。

「会津 長州 怨念を越えて」
という見出しが、紙面を躍っておりました。

びっくりでした。

萩市役所企画課が窓口になってくれ、
討論会への出席者の受け付けをして下さっております。
すでに100人に達し、大変な反響です。

私は友好促進を前提に
会津と萩の間にある問題を率直に申し上げ、
萩の方々の声も聞いて
新しい時代の新しい交流を
進めて来たいと思っております。
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2003年11月16日(日) 複雑な史料がありました。
神田の古書店で、大変、参考になる史料を見つけました。
『維新戦役実歴談』
です。
ごく最近復刻されたもので、
知らないのは私だけだったかも知れませんが、
なかを開いてびっくりでした。
大正6年編纂の
長州藩兵の戊辰戦争従軍回顧録です。

気になるのは
会津若松の戦闘です。
隊長らしき会津の侍の死体を見つけ、刀や時計をうばったとか、
反抗した老婆を殺して溝に突き落とした話とか
色入りあります。

27日から萩に出かける矢先の発見です。
ううん、参りました。
知らない方がよかったかな。
そんな本でした。
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2003年11月15日(土) 今日の朝日新聞福島県版
今日の朝日新聞福島県版のトップに私が掲載されました。
27日からの長州萩との交流を大きく取り上げてくれたのです。

「怨念乗り越えて会津と長州交流」

と見出しにありました。
そうです。私が所属するNPO法人北東文芸協会が主催して行うもので
メンンバー10人が萩を訪問、萩の民間団体「史都萩を愛する会」の方々と
戊辰戦争をめぐる討論を行うのです。

相互の討論はこの130年、一度もありませんでした。
怨念の関係に風穴をあけることができるか、
責任を感じております。
討論に興味にある方はご一緒に萩にどうぞ、

さて今日はこれから東京です。

日本大学大学院に設置した
日本国際情報学会の理事会出席のためです。
来年の総会、及び記念講演会、研究発表の準備です。
久しぶりに友人に会うのも楽しみです。

その前に午前中は
神田の古書店を歩きます。

これも楽しみです。
どんな本が手に入るか。

歴史、戦記もの
その他
もろもろ
それが結構、時間がかかるのです。

結果は明日、ご報告します。
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2003年11月14日(金) 雑感さまざま
今朝の新聞を見ると、土井さんに辞任が大きく出ていました。
辞任は遅かったという印象でした。
拉致問題で民心はとうに離れており、謝罪もせずに居座っている感じでした。
護憲といっても
改憲を望む人が多いわけで、化石と化していました。
時の流れでしょう。

イラクへの自衛隊の派遣、なかなか困難ですね、
もっと前に派遣すべきだったですね、
韓国も派遣しているわけで、
ぐずぐずしていると
結果は良くないですね。

あとはなんでしょうか。

電子本が本格化しそうですね、
本の手触りが消えていくと思うと
郷愁を感じます。

あらゆる分野の変化、
変革が急スピードで
すすんでいます。
一刻もとまることができない社会、
それが私たちを取り巻く昨今の暮らしです。

ついてゆけないなどと
弱音を吐いては取り残されます。
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2003年11月13日(木) 防長回天史
今、長州サイドから見た幕末維新を調べています、
その本は、
防長回天史
です。
やはり、物事は逆さになったりして、
多チャンネルに見ないと分からないものです。

驚くのは会津藩主松平容保が剛腹な男に描かれていることです。
私から見ると病弱でいつも伏せっていて、自分では決断できない
優柔不断な男に見えるのですが、まるで反対なのです。

どっちが本当なのでしょうか。
双方が集まって松平容保論を交わすのも面白いと思います。
そうした違いをいずれ列挙して
ご報告します。
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2003年11月12日(水) 相馬の旅
今、朝の7時です。
これから相馬に出かけます。
郡山はいい天気です。
旅の結果は夜、ここに追加します。
皆さん、今日もがんばりましょう。

午後7時、郡山に帰って来ました。
相馬へは磐越自動車道で、広野まで行き、そこから国道6号線に入り、
郡山から約3時間半ほどかかりました。

まず相馬中村神社に行き、相馬藩の歴史を勉強しました。
民謡相馬流山
をご存知ですか

相馬藩のルーツは千葉の流山です。そこから来た人々がこの地を開拓したのでした。
それは鎌倉時代です。頼朝の平泉攻撃に加わった千葉氏が、勝利の恩賞として
相馬の地を与えられたのでした。

以来、相馬氏を名乗り、明治までこの地を治めてきたのです。
北斗七星を信奉する妙見信仰が特色で、騎馬軍団を編成して
仙台の伊達に対抗してきたのです。

今に残る相馬野馬追は、当時から行われた軍事訓練でした。
原町の博物館は、別名野馬追記念館、ここも尋ね、楽しい旅でした。
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2003年11月11日(火) 史料の再点検
歴史の史料は、同じことを表現しても書く人、編集者によって、ひどく異なります。
たとえば人名、
会津戦争に関係した人物も数限りなく混乱があります。
目下、『会津落城』を校正しているのですが、

辰巳勘三郎
立見鑑三郎

柿沢勇記
垣沢勇記

大川正次郎
大川正二郎

といった具合に、よく史料として誰れもが使う
『会津戊辰史』
『会津戊辰戦争』
『幕末実戦史』

を点検すると、同じ人物がいろいろの名前で登場します。
ページが異なると名前も違ってしまうこともあります。
私自身、これまで無造作に使っていました。
これはうかつでした。

今回、このことに気ずき、どうしたものかと、悩んでいます。
戸籍まで当ればいいわけですが、その時間は取れません。
最大公約数で、どちらかに決めますが、
新撰組と違って幕末維新は在野の研究者が足りません。
史料研究をされる方、是非、出てきてほしいものです。

史料再検討、これは立派な仕事です。
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2003年11月10日(月) 国民は安定を望む
民主党は躍進したが、与党の絶対安定はかわらず、
国民は小泉政権を選んだということでしょう。

社民党は拉致問題の不手際で、もはや存立は困難でしょう。
二大政党時代に入ると、小さい党は難しいですね。

今日からまた普段の生活に戻るわけです。
早いもので11月も間もなく中旬です。

12日にはNHKの旅で、相馬、原町に出かけます。
相馬藩探訪の小旅行です。
相馬の城、馬の博物館、
海の景色、
みるところは多いところです。

相馬は伊達との緊張関係のなかで、400年を過ごして来ました。
しかし伊達に飲み込まれることなく。明治維新を迎えました。

そのあたりの秘密を見て来ます。

時事通信ニュース

党277議席、絶対安定多数=民主躍進、自民過半数届かず−衆院選

 9日に投開票が行われた第43回衆院選は10日未明に全議席が確定した。自民党は過半数に届かなかったものの、公明、保守新両党を加えた与党3党で絶対安定多数(269議席)を超える277議席を確保した。民主党は都市部を中心に躍進、177議席と公示前の137議席を大幅に上回った。公明党は公示前より3議席伸ばし、共産、社民、保守新の3党は惨敗した。 
 自民党は小選挙区で追加公認2人を含む170議席を獲得。群馬、島根、愛媛など12県で議席を独占した。しかし、愛知、大阪など都市部で苦戦、山崎拓副総裁や村岡兼造元官房長官ら党幹部や閣僚経験者が落選した。比例代表は69議席だった。同党が過半数に届かなかったのは1993年の衆院選以来4回連続。
 民主党は小選挙区の都市部で健闘、105議席を得た。埼玉、愛知、大阪では自民党の議席を上回った。比例も同党を上回る72議席を獲得。旧社会党が58年に獲得した166議席を超え、野党としては過去最多の獲得議席となった。
 公明党は小選挙区で9議席、比例で25議席を獲得。小選挙区のみの保守新党は4議席。共産党は比例のみの9議席、社民党は小選挙区1、比例5議席。保守新、共産、社民の各党は公示前勢力から大きく後退した。
 無所属の会、自由連合はそれぞれ1議席。無所属は9人が当選した。(了)(時事通信)
[11月10日6時35分更新]



 
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2003年11月9日(日) 今日は選挙、そして校正
朝、早々に選挙を済ませて来ました。
夜のテレビが楽しみです。

日中は12月に出す『会津落城』の再校正です。

校正恐るべし
という言葉があります。

テレビの電波と違って、活字は何年でも残ります。
字句の間違い、ルビの間違い、年号の間違い、解釈の違い、
きりがないのです。

人間は錯覚の動物です。自分は絶対正しいと信じ込んでいたことが、
違っていることもあります。

もう大変です。
1冊の校正をするのに最低、3、4日かかります。

ひどく疲れます。
でもこれを手抜きすると、ひどいしっぺ返しがあるのです。
頑張ろう、
今、気合を入れているところです。
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2003年11月8日(土) 長嶋ジャパン感動
長嶋ジャパン、素晴らしいですね、
感動です。
日本が一つになった、そんな勝利でした。
日の丸の旗がよく似合い、
日本もいいなあと、本当に思いました。
私は長嶋さんと同世代、
頑張ろうとも思いました。

今日は土曜日、
仕事場にこもって、
長州藩のことを考えています。
27日から萩で出かけ、萩の方々と
意見を交換するためです。

会津藩と長州藩、
なぜあそこまで激突したのか、

じっくり考えようと思っています。
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2003年11月7日(金) 健次郎ベスト10、3位
郡山市の東北書店、11月3日の週間ベストセラー

1、黒蜥蜴島   田中芳樹 光文社
2、トリビアの泉      講談社
3、山川健次郎伝 星亮一  平凡社
4、バカの壁   養老孟司  新潮社
5、まともな人  養老孟司  中央公論新社
6、体を温めると病気が必ず治る 石原結実 三笠書房
7、ヤンキ-母校に生きる  義家弘介 文芸春秋
8、祇園の教訓 岩崎峰子 幻冬舎
9、日本再生 根本匠 径草社
10、偽装音楽業界 キリト オリコン・エンタ-ティメント

山川健次郎、順調です。
 



 
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2003年11月6日(木) 言葉の暴力
どこかの国の外交官が日本人をジャップと言いました。
差別用語なのでしょうね。
そういわれたからといって、
どうということもないのですが、
外交官のレベルの低さには
困ったものだと思うだけです。

言葉は時として暴力です。
言葉は発端で犯罪が起こり、ついには戦争になったりするわけで、
お互い気をつけたいものです、

私が専門とする戊辰戦争でも
仙台が長州と戦争するきっかけになったのは
言葉でした。
長州藩参謀世良修蔵が
「仙台藩侯はお人よしで、とるに足らぬ男だ、いずれ仙台を奪ってやる」
といったのです。
これを聞いた仙台藩士は激怒し
世良を斬殺したのでした。

後は戦争です。
東北の戦争は一気に燃え上がったのです。

やっぱり言葉は大事です。
現代は言葉で戦争になることはありませんが、
気分は良くないです。
どこかの国の外交官殿
お手柔らかに
お願いします。
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2003年11月5日(水) 不気味な世界
ロシアの巨大企業、ユコスとプーチン大統領の争い、
凄いですね。
政敵は逮捕してしまうのですから、怖い国です。
どうもロシアという国は
北方四島にしても
シベリア送りの件にしても
不透明で、いまいち信頼感のもてない国ですね、

世界はどこを見ても油断も隙もありません。
北朝鮮の拉致家族、
どうなるのでしょうか、
田中前外相
拉致家族は北の人間だから帰らない
とう発言も唖然呆然ですね、

田中さんという人、
もう少し、まともかと思ったのですが、
期待はずれもいいところですね。

でも多分、当選するのでしょう、
すっきりした政治を望みたいものです。

小泉さん
頑張ってください。
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2003年11月4日(火) 山川健次郎伝、出だし好調
山川健次郎伝-白虎隊士から帝大総長

おかげさまで、順調に売れているようです。
郡山市の東北書店、15冊入れて完売、これは珍しいケースだと
思いますが、同じ郡山市の八重洲ブックセンターうすい店は20冊中13冊で、
会津若松市の中央書店は10冊いれて5冊、半分というところでした。
いま書店では1ヶ月5冊売れれば、上位とのことですので、
良かったと思っています。

平凡社の話ですと
東京でも上位に入っているそうです。

作家が売れ行きにこだわりすぎるのは
どうかとも思いますが、
ある程度
売れませんと
次ぎのが出し難しくなります。

その意味で、
ホッとしています。
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2003年11月3日(月) 土方歳三の会津若松滞在
会津史学会が編集する雑誌「歴史春秋」の最新号に
上記のリポートがありました。
筆者は会津若松市在住の地元の方です。
この雑誌に新撰組が登場することは珍しく、
読ませていただきました。

会津藩が新撰組を高く評価していたこと、
会津若松の天寧寺にある近藤勇の墓の由来、
などが書いてありました。
七日町の阿弥陀寺の斎藤一の墓についても記述がありました。

新撰組に関する新資料、
もう少しあると
研究も進むのですが、

残念ながら新規資料は見つからなかったようです。
次ぎに期待したいと思います。
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2003年11月2日(日) 週刊ポスト、山川健次郎の書評
「山川健次郎伝-白虎隊士から帝大総長へ
が週刊ポストで紹介されました。
竹内洋京都大教授の書評です。

山川健次郎は第三代東京大学総長浜尾新と並んで、帝大創設期の名総長である。
浜尾が慈母のごとき人だったのに対して、山川は慈父のような人物だった。
こんな逸話がある。
山川は伊藤博文をはじめとする当時の高官の品行を難じて、つつしみをもてと公言した。
やがてこの発言が山川に進退問題にさえなった。
しかし山川はさらに公言した。
重臣にして素行に何ら疚しいことがないというなら、そういえ、余は事実を列挙して答える、
と、山川は一歩も引かなかった。
それもそのはず、山川は幼少のころ、会津藩白虎隊士だった。
「薩摩の芋侍め来たれ」
という気迫で篭城し、辛酸をなめ、生死をさまよった。
多くの同胞を無念のうちに失った。

山川の品格は、こうした激しさと悲しみのなかで培われた。
だからこそ本書は、全体の三分の一ほどを会津戦争までに当てている。
青瓢箪といわれ、勇気にかけた健次郎が逞しく成長していく姿が、生き生きと描かれている。
落城後、不思議な縁で長州の奥平謙輔にひろわれ、学問の道の手ほどきをうける。
苦難が付きまとったが、要所要所で援助者もあらわれる。

エール大学で物理学をん学んだ。
この時もアメリカ人の援助者があらわれる。
学士号を取得し、帰国後、東京開成学校、東京大学、帝国大学で教鞭をとる。
東京帝大総長はもとより、明治専門学校(九州工大の前身校)などの開設にかかわった。

山川が後進の育成に熱心だったのは、朝敵という汚名にさらされる会津人でありながらも
不思議な縁で実に多くの人々の援助によって
学問を成し遂げることができたことによる。

山川に限らず今日あるのは、多くの人々からの
無償の愛と援助の賜物である。

会津の悲惨な戦争で多くの同胞が死んでいった悲しみの記憶とともに
生きた山川には、人の恩がことのほか鋭く自覚化された。
受恩と悲しみの深い記憶と自覚こそが、よく生きる力とすぐれた品格の源泉であることを教えてくれる好著である。


星より
身にあまる書評をいただき感激しております。
ありがとうございます。
月末、新たな気持ちで長州萩に出かけてきます。




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2003年11月1日(土) 日本人狩リ
私は中国に毎年、出かけていますが、 今回に日本人狩リ、悪いいたずら
ではありましたが、なぜここまでの暴動になったのでしょうか。
日本人に対する反発が強まっている事が背景にあると思います。

昨今の日本人は傍若無人だし、
他人に対する配慮はあまりにもなさすぎます。
タバコは捨てる、ゴミをちらかす。
マナーは最悪です。
そいう態度が外国での無神経な今回のようなショウに
つながったのではないでしょうか。

この大学では、普段から何か問題があったかも知れません。

もう一つ、中国の人々が苛立っている背景もあるように思います。
中国内部の経済格差が広がり、その不満が日本に向けられた
一面もあると思うのです。

その証拠に、日本人だという理由で殴れれた学生もいるわけで、
日中関係の前途が心配です。

日本人に対する世界の目は甘くはありません。
とにか他国に行っているわけですから
旅行者といえども
慎重な行動が大事です。



ヘッドライン
「日本人狩り」で2人負傷=留学生寮に乱入−中国・西安
 【北京31日時事】中国陝西省西安市の西北大学で29日夜、日本人の留学生と教師がわいせつな踊りを披露したことに対し、数百人の中国人学生がデモ行進などで抗議した事件で、日本人留学生2人が暴行を受けて負傷したことが31日、日本大使館の調べで分かった。
 抗議行動は30日に発生。大使館によると、一部の中国人学生は「日本人狩り」のため留学生寮に乱入し、日本人男女各1人が軽傷を負ったほか、複数の部屋が荒らされた。問題となったパフォーマンスに関係のない日本人 も襲撃の対象になったという。(時事通信)


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