星亮一 今日の一言

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2011年4月30日(土) 原発、津波
財源なければ「絵に描いた餅」=6月提言に明記を―宮城県知事
時事通信 4月30日(土)16時53分配信
 政府の復興構想会議の委員を務める村井嘉浩宮城県知事は30日、都内で時事通信のインタビューに応じ、同会議が6月末に取りまとめる第1次提言について、「後ろ盾になるもの(財源)が何もないならば、絵に描いた餅にしかならない。施策と財源はセットで考えていくべきだ」と述べ、復興財源を明記すべきだとの考えを明らかにした。
 同会議の五百旗頭真議長が初会合で、「震災復興税」の創設を提起したのを受け、村井知事は第2回会合で消費増税による「災害対策税」創設を提言。しかし、他の委員から財源論の先行に異論が出たため、後回しにすることになった。
 村井知事は「財源論抜きの議論はナンセンスだ」と批判。民主党内で増税論議への反発が出ていることにも触れ「だからこそ復興会議で方針を示すべきで、それが錦の御旗になる。そこを曖昧にして党に投げると、絶対にまとまらない」と述べ、復興会議が増税も含めた財源の論議を主導すべきだと訴えた。 :ローカル線 沿岸部復旧見通し立たず
毎日新聞


5都県23人の母乳「乳児・母体とも影響なし」
読売新聞 4月30日(土)20時14分配信

 厚生労働省は30日、福島第一原発の事故を受け、初めて実施した母乳に含まれる放射性物質の検査結果を発表した。

 授乳中の母親23人のうち7人分から微量を検出したが、厚労省は「乳児、母体とも健康には影響がない量で、普段通りの生活で問題ない」としている。

 4月24、25日に福島、茨城、千葉、埼玉、東京の5都県計23人から提供された母乳を調べた。母乳には暫定規制値がないが、放射性ヨウ素は、飲料水や牛乳の乳児用規制値(1キロ・グラム当たり100ベクレル)を、放射性セシウムは大人まで共通の規制値(同200ベクレル)を安全性の目安とした。

 結果、7人から放射性ヨウ素が2・2〜8・0ベクレル、うち1人から同セシウムも2・4ベクレル検出された。原発事故の影響とみられるが、いずれも安全性の目安を大きく下回った。 最終更新:4月30日(土)20時14分

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駅舎が流出したJR志津川駅=宮城県南三陸町で2011年4月20日、高橋克哉撮影
 東日本大震災で運休した東北新幹線や東北線など鉄道本線や内陸部の路線が相次いで復旧する中、津波被害を受けた沿岸部を走るローカル線の完全復旧の見通しは立たない。とりわけ気仙沼線は壊滅的な状況。JR東日本は22日、宮城県など、津波被害を受けた7路線を「必ず復旧させる」として、被災地の街再生に合わせ気仙沼線の一部ルート変更に向けた協議を開始した。沿線住民は一日も早い全面復旧を求めるが、道のりは遠そうだ。

 気仙沼線は、内陸部の前谷地(石巻市)−柳津(登米市)間(18キロ)が今月末に復旧を見込んでいる。しかし、残る柳津−気仙沼間55キロにある9駅は津波で流失。線路や橋が流失したり、盛り土が崩壊した箇所は250カ所に及ぶ。

 このうち南三陸町の中心部にある志津川駅では駅舎が消えた。地上約10メートルの高さに残るホーム上には大粒の養殖カキが散乱し、線路と思われる鉄塊は50メートル西の道端に残る。10キロ北東の歌津駅(同町)周辺は干潟のような状態で、鉄道の痕跡は見当たらない。

 志津川駅の前で、同町出身で千葉県市川市の会社員、須藤秀明さん(42)がぼうぜんと立ち尽くしていた。須藤さんにとって同駅の手前で現れるリアス式海岸の風景は「都会の喧騒(けんそう)を離れて故郷に帰ってきた」と実感できる瞬間だった。「できれば元の気仙沼線を復活させてほしい」と願う。

 ただ、宮城県は津波被害を受けた沿岸自治体に対し、浸水地域に住居を再建しないような街づくりを勧めている。県都市計画課の担当者は「居住地の高台移転に伴い、ローカル線の路線を動かすことも視野に入れなければならない」と話す。

 ルート変更案に対する須藤さんの心境は複雑だ。「先祖から受け継いだ土地を手放すことを懸念する人もいる。市街地の高台移転と気仙沼線の復旧がセットなら相当な時間が必要だろう」

 一方、仙台市と石巻市を結ぶ仙石線は19日までにあおば通(仙台市)−東塩釜(塩釜市)間(17キロ)が復旧。残る石巻駅まで34キロのうち390カ所で線路流失や電柱倒壊があり、復旧が難航していたが、在日米軍が自衛隊とともに21日から2日間、野蒜(のびる)駅(東松島市)で復旧作戦「ソウル トレイン」を展開した。当初は隣の陸前小野駅とともに9日間の予定を大幅に短縮して復旧させた。

 完全復旧が見えない気仙沼線沿線の住民は「(仙石線のように)自衛隊や米軍の支援が来てくれれば」と期待するが実現は難しい。このため、気仙沼地区では宮城交通(仙台市)が住民らの足を確保しようと臨時バスの運行を始めた。

 鉄道の長期間運休は存在意義そのものを低下させかねず、JRや沿線自治体の苦悩は深い。【高橋克哉】・松島の遊覧船、運航再開
読売新聞 4月30日(土)5時56分配信

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営業を再開し、島々の間を巡る松島の観光遊覧船(29日午後、読売ヘリから)=上甲鉄撮影
 日本三景の宮城県・松島で29日、東日本大震災で休止していた松島湾の遊覧船の運航が再開され、観光客ら約320人が島巡りを楽しんだ。

 運航する松島島巡り観光船企業組合によると、津波で湾の浮桟橋4基が流され、遊覧用の小型船26隻が流失するなどし、被害額は約1億円に上った。大震災翌日から職員らが休むことなく復旧にあたり、連休初日の再開に何とか間に合った。

 伊藤章理事長は「復興の火付け役になれば」と期待をかけている。

 同県石巻市の親類宅を訪れた後、乗船した埼玉県日高市の主婦(47)は「(運航再開をきっかけに)町が再び活気づいてほしい」と話していた。の酒 全国が応援 風評被害一転、人気V字回復
河北新報 4月30日(土)6時13分配信

 福島県産の日本酒の人気が急回復している。福島第1原発事故による風評被害や物流中断の影響で、3月は売り上げが落ち込んだが、4月になって首都圏を中心に全国から注文が増加した。「福島の酒を飲んで応援したい」という顧客が多いためで、各酒造会社は「4月の売上げは昨年を上回る勢い」と話している。

 大七酒造(二本松市)の倉庫には一升瓶6本入りのケースが山積み。大型トラックで連日、全国に出荷している。
 担当者は「震災前より多いくらいだ」と出荷に追われる。3月の売上高は前年同月比で2割減だったが、4月は上回る見込みだ。太田英晴社長は「首都圏だけでなく、取引がなかった地方も含め全国から注文が相次いでいる」と話す。
 栄川酒造(磐梯町)も3月は前年比3割減だったが、4月は一転して好調。同社は「東北の酒を応援しようと、ここ1週間ぐらいで注文が急増した」と言う。
 独自の義援金シールを貼り、売り上げの一部を被災者に贈ることも決めた。担当者は「注目されるのはありがたいこと。一過性のブームに終わらせないようにしたい」と意気込む。
 県内の酒造業界には4月上旬まで、原発事故による風評被害の危機感が広がっていた。県酒造協同組合は、浜通り、中通り、会津の3地方から日本酒を1本ずつ選んで検査し、放射性物質が検出されないことを公表するほどだった。
 人気のV字回復について、酒卸大手の日本酒類販売(東京)は「被災した東北3県の地酒に、全国が注目している。これまで出荷が少なかった西日本でもキャンペーンが盛んになっている」と説明する。
 原発事故は収束せず、多くの県民が避難したままで、県内消費は冷え込んでいる。末広酒造(会津若松市)は「県内の売り上げ減を、首都圏などの注文で補っている状況」と話す。
 県酒造協同組合は「出荷先が県内中心の酒造会社も多い。本格的な回復のためには、足元の復興が不可欠だ」と地元にも期待している。
(熊谷吉信) ダライ・ラマ、護国寺で震災被害者供養の法要

東日本大震災の「四十九日法要」を行うダライ・ラマ14世(29日、東京都文京区の護国寺で) チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が29日、東京都文京区の護国寺で、東日本大震災の犠牲者を供養する「四十九日法要」を行った。

 チベット僧や宗派を超えて集まった日本の僧侶ら約60人が慰霊と復興への祈りをささげ、大相撲の横綱白鵬ら約4000人が参列した。

 法要を終えたダライ・ラマは「被災地の方々はひどい苦しみを味わった。祈りが少しでも慰めになれば」と語った。ダライ・ラマは講演などのため米国に向かう途中で、28日に来日した。

読売新聞  2011年4月29日
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宮城県沖の海底地盤、50mずれて7m隆起

. 巨大地震
 東日本大震災で、宮城県沖約200キロの日本海溝付近の海底地盤が南東に約50メートル移動、約7メートル隆起していたことが、海洋研究開発機構の深海調査でわかった。

移動量としては、これまでの観測で最大という。

 同機構は3月下旬、深海調査研究船「かいれい」を使い、同海溝付近で地震に伴う海底地盤の変化を調べ、1999年の調査時のデータと比較した。移動した部分は、幅40キロにわたっていた。こうした海溝付近の大きな動きが、破格の巨大津波を生んだとみられている。

 海溝の最深部(深さ約7600メートル)では、陸側の地盤が幅約1500メートルにわたって崩れた跡も見つかった。今回の地震で海底地滑りが起きた証拠とみられ、同機構の冨士原敏也技術研究主任は「局所的な地滑りとみられるが、日本海溝にある過去の海底地滑りと比べても大きい」としている。

読売新聞  2011年4月29日
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東日本大震災:旧有備館を無料公開 大崎市教委、来月3日から 復元の力に /宮城

 大崎市教育委員会は東日本大震災で主屋が倒壊した国史跡・名勝「旧有備館・庭園」を5月3日から市民に無料公開する。6月末までの見込みで、貴重な文化財の現状を見てもらい、市民・行政一体で復元を進めるエネルギーにしたい考えだ。

 主屋は08年6月の岩手・宮城内陸地震で傾き、内部を立ち入り禁止にして倒壊防止措置を取った。今年度から5年がかりで解体修理に入る計画だったが、巨大地震で倒壊した。主屋はブルーシートの覆いから、かやぶき屋根が見えるだけで畳敷きの和室や廊下の被害状況は不明。主屋に隣接する付属屋は壁が崩落し、回遊式庭園は地面に亀裂が入るなどの被害を受けた。

 公開部分は庭園部に制限するが、池越しに主屋や付属屋を望める。公開期間中は無休の予定。一方、市教委は県や文化庁と連携し7月から主屋の解体工事に入る方針。主屋の柱や板材がどの程度使えるか、耐震補強をどうするかなどについて改めて調査する必要があり、復元終了時期は未定。

 旧有備館の主屋は江戸前期の1677年、岩出山伊達家の隠居所として建設された。幕末には同家の家臣子弟の学問所として利用され、江戸期の郷域の教育水準を実証する史跡として知られる。庭園は18世紀前半に整備された。【小原博人】

毎日新聞  2011年4月29日
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アマゾンベストセラー、 2011年4月30日
明治・大正
189.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
26. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
41. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
42. 大鳥圭介―幕府歩兵奉行、連戦連敗の勝者 (中公新書) 星 亮一 (単行本 - 2011/4)
106. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
120. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
134. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)
147. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
155. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
180. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
210. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一
239. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
242. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
264. 二本松少年隊のすべて 星 亮一 (単行本 - 2009/1)
280. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2002/8)


泣かない事が強いんじゃなくて
涙を虹に変えるのが勇気
君しかできない事がある
君しか見れない夢がある絶対!
(TUBE 歌「涙を虹に」より)


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michiko@patedison.co.jp (^_^)
  戊辰戦争研究会!
http://boshinken.info
  みちこの幕末日記!
http://blog.patedison.co.jp/openblog/
  そうだったのね、日本史!┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆ ALIVE-news ◆原発警戒区域の家畜ニュース(続)┃2011.4.29
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

26日にお知らせした、原発警戒区域内に残された畜産動物の現状
を伝えるニュースの続きです。

◎YouTube:
福島農家の苦悩...警戒区域に"残された家畜":
http://www.youtube.com/watch?v=lr6oZTswEn4


【原発避難エリア置き去り家畜餓死「牛4000頭、豚3万頭」】
J-CASTテレビウォッチ:2011/4/26 12:49
http://www.j-cast.com/tv/2011/04/26094143.html


【福島第1原発の半径20km圏内の警戒区域内で残された家畜の様子をとらえた映像入手】
FNNニュース:(2011/04/25)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00198154.html
4月15日、警戒区域内での家畜の様子を撮影した奈良・新庄動物病院の
今本成樹院長のコメントあり。
原発から半径20kmの警戒区域内には、およそ4,000頭の牛が飼育
されていた。福島県はすでに、栄養不足などで死んだ牛について
は消石灰で消毒、また、衰弱した牛は、飼い主の同意を得たうえ
で安楽死させる方針。
また、区域内では野放しになっている牛も多くあり、これらの牛
については、1度捕獲をして、飼い主を含めて相談したうえで、
今後の対応を検討するとしている。


【家畜殺処分、やりきれぬ酪農家 「何でこんなことに」「何代もかけた財産」】
MSN産経ニュース:2011.4.26
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110426/dst11042613040020-n1.htm

【警戒区域で家畜殺処分「豚、何とか助けたい」 農家、世話できず】
毎日jp(毎日新聞):2011年4月26日
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110426ddm041040187000c.html

【枝野長官会見(1)原発補償「売れるはずの家畜は補償対象になる」】
MSN産経ニュース:2011.4.25
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110425/plc11042518360017-n1.htm

【福島原発「警戒区域内の弱った家畜」自治体が殺処分】
J-CASTテレビウォッチ:2011/4/26 16:38
http://www.j-cast.com/tv/2011/04/26094147.html

【被災地の家畜受け入れ 県が対策会議 徳島県】
徳島新聞:2011/4/27
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2011/04/2011_130386863135.html

※転送・転載可です。転載・転送される場合は
[ALIVE-news]より転載と明記してく
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2011年4月29日(金) 原発,津波
菅首相「原発賠償、最後まで国が面倒見る」
読売新聞 4月29日(金)11時14分配信
 菅首相は29日午前の衆院予算委員会で、東京電力福島第一原子力発電所の事故について、「一義的には東電に責任があることは言うまでもないが、原発を推進する立場で取り組んできた国の責任も免れるものでない」と述べ、国の責任を認めた。

 そのうえで、地域住民や農業、漁業の被害について「国としてしっかり補償する責任がある」と明言。さらに、事故の早期収拾と補償に関し、「最後の最後まで国が面倒を見るという姿勢で臨みたい」と強調した。民主党の渡部恒三氏の質問に答えた。
最終更新:4月29日(金)11時14分
、免責あり得る=報酬半減は「大変厳しい」―東電社長
時事通信 4月28日(木)16時41分配信

 東京電力の清水正孝社長は28日、福島第1原発事故の被害補償に関し、巨大災害の場合は電力会社の責任を免除する原子力損害賠償法の規定について「私どもとして、そういう理解があり得ると考えている」と述べ、東日本大震災による大津波が免責理由に該当する可能性があるとの認識を表明した。都内の本社で記者団に語った。
 また、役員報酬の50%カットを決めた東電の姿勢を海江田万里経済産業相が生ぬるいと批判したことに対し、「大変厳しい(リストラ策)と考えている」と反論。ただ、今後の対応は「未定」として、さらなる減額などに含みを持たせた連休中、ボランティア3倍か…受け入れ中断も
読売新聞 4月29日(金)3時3分配信

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読売新聞
 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島県で活動するボランティアは、発生以来、延べ13万人を超え、大型連休中には1日あたり約3倍となる8000人が被災地で活動する見込みであることが28日、読売新聞の調べでわかった。

 ただ、連休中のボランティアの急激な増員で受け入れ態勢がとれず、交通の混乱も予測されるため、急きょ受け入れの一時中止を決めた自治体もある。ボランティアの調整にあたる各県の社会福祉協議会は「出発前に現地の状況を確認してほしい」と呼びかけている。

 内閣官房震災ボランティア連携室によると、災害ボランティアセンターは各県に1か所置かれているほか、市町村ごとの設置数は、岩手県20、宮城県17、福島県29の計66となっている。 最終更新:4月29日(金)3時3分------------------------------------------------------------------------------
「ふるさと返せ」南相馬避難者に東電謝罪 取手

東京電力茨城支店(荒木寛支店長)は27日、福島第1原発事故で取手市白山の取手競輪場選手宿舎などに避難している福島県南相馬市の被災者に、損害賠償の仮払いについて説明会を開いた。

同支店が半径20キロ圏内と30キロ圏内を含む同市からの避難者に、仮払いの説明をしたのは県内初。取手市内への避難者のうち約50世帯に申請書を配布しており、受け付けを残すのみとなっている。

この日は、受け付け処理を早くしようと、社員約40人が対応。冒頭、荒木支店長が「ご迷惑、ご不便をおかけして申し訳ない」と頭を下げた。会場からは「想定外で対応できない危険な原発を、なぜ稼働させた」「謝らなくてもいいから、ふるさとを返せ」「避難所を転々としなければならない気持ちを分かって」など悲痛な訴えが相次いだ。荒木支店長は「皆さんの気持ちを本社に確実に伝える」と約束した。

茨城新聞  2011年4月28日
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歳三の直筆書簡公開

地元・日野で幕末の緊迫伝える
 幕末に活躍した新選組副長土方歳三の命日を5月11日に控え、出身地の日野市では大型連休中、新選組に関する様々な催しが行われる。恒例の「ひの新選組まつり」は東日本大震災の影響で中止となったが、幕末ファンをうならせるイベントが目白押しだ。幕末の雰囲気を伝える書簡も公開される。

  「佐藤彦五郎新選組資料館」(日野本町)では、歳三の直筆書簡として知られる歴史資料が期間限定で公開されている。

公開されている歳三直筆の書簡を持つ佐藤館長 同館は歳三の義兄である佐藤彦五郎の直系子孫、佐藤福子さん(54)が館長を務める民間の歴史資料館。今回公開しているのは、歳三が彦五郎に送った1通の書簡。差出人や日付などの部分は切り取られているが、署名のある別の書簡と筆跡が似ており、歳三の直筆と特定されている。佐藤館長によると、歴史ファンにはその存在は知られていたが、現物が公開されるのは初めてという。

 書簡の内容から、歳三が隊士を募集するために帰郷し、再び京都へ戻る途中だった慶応3(1867)年11月1日に、彦五郎に宛てたものとわかる。書簡には「京師表時勢柄追々切迫之由」と記され、15代将軍・徳川慶喜が「大政奉還」を行った直後の、京都の政治情勢の緊迫ぶりが伝えられている。

 この書簡は佐藤家の墓所がある近くの大昌寺に奉納されていたもので、30年ぶりに返還された。「歴史上の大事件をうかがわせる文字を見て、身震いを感じた」という佐藤館長は「この頃の歳三は出世しており、以前の書簡と比べると筆跡に余裕を感じる。歴史の生々しい記録をぜひ見てもらいたい」と話している。

 展示期間中の開館日は4月30、5月1、7、8、15の5日間。入館料は500円(小中学生300円)で、30日分は義援金として東日本大震災の被災地へ送る。7、8日には洋装した歳三の写真が展示される。問い合わせは同館((電)042・581・0370)へ。

◆愛刀展示 新撰組ファンの集いも

 「土方歳三資料館」(石田)では、歳三の愛刀「和泉守(いずみのかみ)兼定(かねさだ)」を公開。例年命日の前後に特別展示している。

 兼定は美濃国(現岐阜県)の刀工で、歳三の刀は11代目の作。司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」にも登場し、愛刀として広く知られる。

 展示中の開館は4月30、5月1〜3、7、8、15日。入館料は500円(小中学生300円)。問い合わせは同館((電)042・581・1493)へ。

 歴史が結ぶ縁を被災地支援につなげるのは「日野新選組同好会」。5月7日、高幡不動尊(高幡)で岩手県宮古市を支援する「ファンの集い」を開く。

 宮古市は歳三ら旧幕府軍が新政府軍を奇襲した「宮古湾海戦」(1869年)の舞台。同会は同市関係者を日野に招いて、3月12日に例会を予定していた。震災後、「新選組にゆかりのある仲間として、被災地を応援したい」として集いを企画した。

 新選組に関する著作のある横田淳さんが宮古湾海戦をテーマに講演するほか、チャリティーオークションが行われる。隊士が使ったとされる鎖かたびら、NHK大河ドラマ「新選組!」出演者のサイン入りDVDなどが出品される。

 参加無料。会場で義援金を募り、宮古市社会福祉協議会などに送る。問い合わせは同会((電)042・592・2256)へ。

読売新聞  2011年4月28日
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4号機、燃料溶融寸前だった…偶然水流入し回避

. 福島原発

 東京電力福島第一原子力発電所4号機で3月15日に発生した火災に伴う爆発の際、使用済み核燃料一時貯蔵プールに、爆発の衝撃で隣接する場所から水が偶然流れ込み、プール内にあった核燃料の過熱を食い止めた可能性があることが、東電の調査でわかった。

 過熱が続いていれば核燃料が溶融し、現状を大幅に上回る放射性物質が放出される最悪の事態もあり得たとしている。

 同原発は、3月11日の東日本大震災で津波に襲われ、外部電源が途絶。4号機の燃料プールへの冷却水注入も止まった。東電は現在、プールから1日約70トンの水が蒸発しているとみて、生コン圧送機で注水しているが、水位は計算通り上がっていない。東電はプールから水が漏れている疑いもあるとして調べたものの、原子炉建屋下部への漏水は確認されていない。

 爆発は原子炉建屋の側壁が崩落するほど激しく、水素爆発が起きたとみられる。水の漏出先として東電が有力視しているのは、可動式のゲートを挟んでプールに隣接する「原子炉ウェル」。ゲートは爆発で破損し、水は原子炉ウェル側に漏れている可能性が高いという。

読売新聞  2011年4月28日
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自分の土地の昔は何?…震災で古地図閲覧急増

 さいたま市の埼玉県立浦和図書館で、これまで一部の愛好家にしか関心を持たれてこなかった明治初期の古地図を閲覧する利用者が急増し、関係者を驚かせている。

 同県久喜市南栗橋地区で起きた液状化現象がきっかけで、「自分の住む土地が昔、何に使われていたのか調べたい」という問い合わせも相次いでいるという。

 同図書館には、約2100冊の古い住宅地図や、地形図500枚以上が収蔵され、中には、明治13〜19年(1880〜1886年)の関東地方を扱った「迅速測図」の復刻版がある。日本軍がフランス式の測量方法を使って初めて作製した2万分の1の正確な地図で、沼や川、水田、住宅など土地の用途が水彩で色分けされ、風景の挿絵も描かれている。

 明治16年の迅速測図を見ると、液状化現象の起きた久喜市南栗橋地区周辺は、水田を示す黄色に塗られた部分が多い。一部に「葦(あし)」の文字が記入され、水色に塗られた地域もある。その後の住宅地図からも、区画整理で宅地化が始まった昭和58年頃までは、水田が多かったことが分かる。

 浦和図書館には震災後、男性利用者が「久喜市内の歴史が知りたい」と明治期までの地図を調べたほか、電話での問い合わせも増えているという。「古い住宅地図がこんなに一般の利用客からも見たいと言われるのは初めて」と司書の飯村はるかさん(42)も驚いている。

 館側もこうした要望に応え、震災関連資料を2階ロビーにまとめた。古地図の他にも、液状化しやすいエリアや活断層を示した地図、ボーリング調査で分かった地層について取り上げた本など約70点も展示されている。5月8日まで。

 埼玉大の桑野二郎教授(地盤工学)は「地盤は今の住宅地図だけみても分からないことが多い。古い地図は昔の地形がわかり、地盤の参考になる」と話す。

読売新聞  2011年4月28日
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坂田家:国登録有形文化財、あすから初公開 主屋や歴史的資料も−−五泉 /新潟

 国の登録有形文化財に指定された五泉市土堀にある坂田家の主屋などが29日から3日間、初公開される=写真・日報連会員の比企一夫さん撮影。

 坂田家は、幕末に庄屋や藩の御用を務めた旧家。約300平方メートルの主屋は戦後に一部が改築されたが、中心になる奥座敷や茶の間などは、江戸末期の遺構を今に伝える建築物という。

 公開されるのは、約6600平方メートルの敷地と建物群の外観と、主屋の内部など。坂田家が保存する歴史的資料や美術品なども公開する。

 また、登録に向けて事前調査などに全面協力してきたNPO法人五泉トゲソの会の「トゲソ(イバラトミヨ)観察会」が29日午前9時半から同所で開かれる。問い合わせは事務局の中村さん(090・2235・3936)。

毎日新聞   2011年4月28日
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アマゾンベストセラー、 2011年4月29日
明治・大正
156.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
28. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (2008/1/10)
42. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
91. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
105. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
108. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一
133. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
139. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
163. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
171. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)
190. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一

216. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
229. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
238. 二本松少年隊のすべて 星 亮一 (単行本 - 2009/1)
251. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2002/8)
359. 幕末史―激闘!薩摩・長州・会津 星 亮一 (単行本 - 2008/3)
362. 白虎隊と二本松少年隊―幕末を駆け抜けた若... 星 亮一 (単行本 - 2007/4)


見上げてごらん夜の星を
ボクらのように名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる
(坂本九  歌「見上げてごらん夜の星を」より)



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2011年4月28日(木) 原発、津波
四十九日、悲しみ癒えず=大川小で合同供養式―「助けられなくてごめん」・宮城
時事通信 4月28日(木)12時59分配信
 東日本大震災で、全校児童108人のうち74人が死亡または行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の合同供養式が、四十九日に当たる28日、市内の別の小学校で営まれた。遺族や学校職員のほか、亀山紘石巻市長や、遺体の捜索に関わった地元消防団など300人以上が参列。死亡、不明の教職員10人の供養も併せて行った。
 会場となった同市の飯野川第二小学校の体育館には式の1時間以上前から、花束を抱えた遺族が続々と集まり、警察官や自衛隊員も神妙な面持ちで中に入った。祭壇には84人の写真が飾られ、参列者が早すぎる死を悼んだ。
 参列者によると、式の冒頭、武山剛PTA会長が「まだ見つかっていない人を最後まで捜したい」とあいさつし、遺体を捜索した警察や自衛隊、消防団に謝辞を述べた。大川小の近くにある寺の住職らの読経に続き、保護者代表が「助けられなくてごめんね」と犠牲者にお別れの言葉を掛けた。 
3分野に再編、組織統廃合は見送りへ
読売新聞 4月28日(木)7時32分配信

拡大写真
読売新聞
 政府は27日、東日本大震災に対応するために設置した組織を、「地震・津波」「原子力発電所事故」「復興」の3分野に再編した上、一部は名称を変更して下部組織であることを明確にする方針を固めた。

 震災関連組織が20近くも乱立し、「指揮命令系統が見えない」との批判を受けた措置だが、組織の廃止・統合は見送られる見通しで、形ばかりの再編に終わる可能性がある。

 具体的には、現在ある六つの本部のうち、「緊急災害対策本部」と「原子力災害対策本部」を存続させる一方、「被災者生活支援特別対策本部」など4本部は「チーム」などに名称を変更する。

 復興に関しては、全閣僚が参加する「復興本部」(仮称)を新設してこの分野の中心組織とする方針だが、菅首相が野党も含めた「復興実施本部」構想を持ち出したため、流動的だ。
最終更新:4月28日(木)7時32分
1原発 警戒区域に住民45人 避難生活不安理由に
毎日新聞 4月28日(木)2時35分配信

 福島第1原発事故の影響で、原発の半径20キロ圏への立ち入りを禁じる「警戒区域」が指定された22日以降も、圏内に少なくとも45人(26日現在)の住民が避難せずにとどまっていることが毎日新聞の取材で分かった。生活に不安を感じ、避難を拒否している住民がほとんどを占め、自治体側の説得にも応じていない。「このままでは餓死者が出かねない」と懸念する声も出始めている。

【建設中の貴重な写真も】福島第1原子力発電所の歴史

 20キロ圏に含まれる地域を持つ9市町村に取材したところ、南相馬市の8世帯13人▽田村市の3世帯7人▽富岡町の7世帯8人▽楢葉町の11世帯15人▽川内村の2世帯2人−−の31世帯45人がとどまっている。警戒区域のある浪江町と、双葉町は住民が全国に避難しているため「圏内に残る町民の数などはまったく把握できていない」という。全域が警戒区域の大熊町、一部が対象の葛尾村は住民全員が避難している。

 川内村では、57歳と83歳の独居女性がいずれも避難を拒否し、警戒区域がスタートした22日も村職員が説得を試みたが、応じなかったという。餓死しないよう週1度食料を届けている。

 田村市の7人もすべて避難拒否だ。50〜80代の男女5人が住む家は「身内の具合が悪くて看病しなくてはならない」と話しているという。【神保圭作】

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時間止まったまま」=喪失感に苦しむ遺族―大川小
時事通信 4月28日(木)4時13分配信

 「私らにとっては、あの日から時間が止まっているんです」。校舎もろとも津波にのまれ、がれきの撤去作業が続く宮城県石巻市の大川小学校。多くの遺族は今も心に開いた穴を埋められず、苦しみ続けている。
 2児を失った福田桂太郎さん(42)は「テレビでは復興なんて言ってるけど、そんな気分にはとてもなれない。あるのは喪失感だけ」と、悲痛な声を絞り出した。3年生だった長男昌明君(9)は、好きな食べ物も「おいしいから」と家族に譲るような優しい性格。ぜんそくを克服し、2年生のマラソン大会では1等賞を取った。
 小学6年だった理沙さん(12)の遺体はすぐに見つかったが、昌明君は四十九日に合わせるように前日の27日に発見された。「良かったんです、見つかって」。福田さんは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
 今野幸一郎さん(61)は3人の孫を亡くした。趣味でみそやキムチを作っていた自宅近くの作業場は、子供たちの格好の遊び場。学校や幼稚園が終わると、笑い声が響いた。「じいじのキムチが一番いい」。3年生だった一番上の凜君(9)は、給食の出ない日はご飯とキムチだけをお弁当に持って行くほど気に入っていた。
 休みの日には自転車の乗り方を教えたり、一緒に映画を見たりした。「かき氷の機械を買ってあげると、妹や弟に作ってあげていました」。今野さんは優しく笑う。その妹(6)と弟(3)は、凜君を迎えに学校へ車で向かった母親(30)と一緒に遺体で見つかった。
 震災後、子供の声が消え、静まりかえった自宅にいると、酒を飲まずには寝付けなくなった。「昼間は仲間がいるからいい。でも昼は短くて、夜がとっても長いんだ…」。今も、自宅からはしゃぎながら作業場に歩いて来る3人の姿が目に浮かぶという。 

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“深い爪痕”震災から1カ月半 被災地をヘリで撮影

福島民友新聞社は26日、東日本大震災の津波や地震で大きな被害を受けた県内の被災地の現状を、ヘリコプターで上空から撮影した。
 地震、津波、原発事故と本県に大打撃をもたらした東日本大震災から1カ月半。上空から見た被災地は、がれきが撤去された後の土色と、難を逃れた家屋の屋根が対称的に広がり、傷痕の深さを物語る一方、収束しない原発事故の中、復旧へかける「ふくしま」の小さいながらも確実な一歩を感じさせた。
 ヘリは福島空港を出発。大量の水が流れ出た痕跡が今なお生々しい須賀川市長沼の藤沼湖から田村市西部を通り、浜通りへ向かった。緑がまぶしい阿武隈山系。滝桜をはじめ例年同様、咲き誇る桜が所々ではっきりと見える。
 新地町に近づくと窓越しに二つの町並みが現れた。西側を臨む左側の窓からは山の緑と点在する建物。東の太平洋側を臨む右側には壊滅した町。がれきを撤去した地域は土色に、あぜ道が途切れた田んぼは冠水したまま、黒っぽい。
 相馬市尾浜、松川浦地区でもがれき撤去が進んでいることが見て取れた。いわき市平薄磯では、海から白波が寄せる。幾重にもなる白波はあの日、黒い大きな塊となって街を襲った。
 沿岸部の甚大な被害範囲と比べ小粒な重機の動きは、小さいながらも復旧への確実な進捗(しんちょく)を感じさせた。

福島民友 2011年4月27日 
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専門家派遣遅れ「本当に失敗だった」班目氏反省

. 福島原発
 内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長は27日、衆院決算行政監視委員会に参考人として出席し、東京電力福島第一原子力発電所の事故発生後、原子力安全の専門家の現地派遣が遅れたことを認めたうえで、「本当に失敗だったと反省しております」と述べた。

 国の防災基本計画では、原子力災害の発生時には、同委の「緊急事態応急対策調査委員」ら専門家を現地に派遣すると定めている。しかし、この日の同委員会で、班目委員長は、地震発生直後に現地に派遣したのは事務職員1人だけだったと説明。結果的に、安全委が政府の現地対策本部(福島市)に専門家2人を派遣したのは4月17日で、班目委員長は「大変遅くなってしまった」と対応の遅れを認めた。

読売新聞  2011年4月27日
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東日本大震災:国の地震・津波対策見直しへ 中央防災会議

中央防災会議であいさつする菅直人首相(中央)と枝野幸男官房長官(左)、松本龍防災担当相=首相官邸で2011年4月27日午後5時21分、藤井太郎撮影 政府の中央防災会議(会長・菅直人首相)が27日、東日本大震災後初めて開かれ、被害状況などを分析して今後の地震・津波対策を検討する専門調査会の設置を決めた。秋ごろまでに対策の方向性を定め、国の防災基本計画に反映させるなど、国の地震・津波対策を抜本的に見直す。既に個別に地震対策大綱が作られている東海、東南海・南海、首都直下地震など5地震の対策も見直す見通しだ。

 国の地震対策はこれまで、最大でもマグニチュード(M)8クラスの地震が前提。大震災はM9.0で想定外の津波が襲い、想定を上回る被害が出た。教訓を生かす必要があるとして、専門調査会の設置を決めた。

 専門調査会は、理学や工学、社会科学などの専門家らで構成。地震と津波の発生メカニズムや被害を分析し、地震対策大綱を作る際に行ってきた地震規模推定や被害想定の手法を見直す。第1回会合を5月中に開き、月1〜2回のペースで集まって秋までに意見を取りまとめる。

 まとめた意見は、防災基本計画の主に津波対策部分の見直しに生かすほか、必要があれば▽東海▽東南海・南海▽首都直下▽日本海溝・千島海溝周辺海溝型▽中部圏・近畿圏直下−−の5地震の被害想定や対策大綱の見直しにつなげる。

 中央防災会議後に会見した松本龍防災担当相は「今回の津波の高さは想定できなかった。なぜ想定できなかったのかなどについて、専門調査会で議論してほしい」と話した。【飯田和樹】

毎日新聞  2011年4月27日
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明治・大正
106.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
26. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
45. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
86. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
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172. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一
179. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
196. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)

210. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
217. 二本松少年隊のすべて 星 亮一 (単行本 - 2009/1)
230. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2002/8)
268. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)
324. 白虎隊と二本松少年隊―幕末を駆け抜けた若... 星 亮一 (単行本 - 2007/4)
377. 戊辰戦争を歩く―幕末維新歴史探訪の旅 星 亮一、 戊辰戦争研究会 (2010/2/10)


ひとりになっても歩くんだ 誰もいなくなってそれでも
ふるえを忘れないこの命は希望を刻んで進むんだ
(麻枝准 歌「LiaLife is like a Melody 」より)


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2011年4月27日(水) 原発、津波
ロシア大統領「情報開示が国の義務」、チェルノブイリ事故25年で
ロイター 4月27日(水)8時20分配信


拡大写真
 4月26日、ロシアのメドベージェフ大統領(左)は、チェルノブイリ原発で開かれた式典で、原発の安全性に関する新しい国際ルールを作る必要性があると訴えた。写真右はウクライナのヤヌコビッチ大統領(2011年 ロイター/Gleb Garanich)
 [チェルノブイリ(ウクライナ) 26日 ロイター] 原子力発電所事故として史上最悪の惨事となった旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故から25年を迎えた26日、同原発で式典が開かれ、ロシアのメドベージェフ大統領が、原発の安全性に関する新しい国際ルールを作る必要性があると訴えた。

 ウクライナのヤヌコビッチ大統領らとともに式典に参加したメドベージェフ大統領は、事故当時、情報が数日間伏せられていたことに触れ、「真実を国民に知らせることが国の義務だ。ソ連が常に正しく対応したわけではないということを認識する必要がある」と発言。

 また、東日本大震災を受けた福島第1原発での事故も合わせ、原子力エネルギーを平和的に利用するための新たな基準作りが重要になっていると指摘。「必要な開発とともに、世界規模の壊滅的被害の防止を確実にするため、(世界の)指導者たちに提案を送った」と述べた。

 1986年のチェルノブイリ事故では、原発から最も近い村の住民数万人が避難を余儀なくされ、30キロ圏内は現在も立ち入りが制限されている。

ロシア>原発安全利用で提案 「福島事故を考察」
毎日新聞 4月27日(水)9時44分配信

 【モスクワ大前仁】ロシア大統領府は26日、メドベージェフ大統領が国際社会に対して呼びかけた原発の安全利用に関する提案の概要を明らかにした。同府は「福島第1原発事故の結果を考察した」うえで提案をまとめており、安全利用に関する国際協定の締結や、国際原子力機関(IAEA)における規則の追加を呼びかけている。

 提案は▽原発利用国が事故時に迅速に対応する責任を厳格化▽利用国や国際機関の間で、事故に備えた規定を新設▽地震の起きやすい地帯などで原発を新設する際の基準の厳格化▽情報公開基準の設定−−などを求める内容。メドベージェフ大統領は5月26日からフランス・ドービルで開かれる主要8カ国(G8)首脳会議で正式提案する考えを示している。

 ロシア大統領府は今回の概要について、IAEA、G8各国、インドや中国など新興経済5カ国で形成するBRICSの参加国、旧ソ連諸国による独立国家共同体(CIS)の構成国へ伝えたという。

 国営原子力企業ロスアトムによると、ロシアは国内で10基、国外で7基の原発を建設中。国内のインフラ整備のために原発建設を進めるとともに、原発輸出を経済外交の柱に据えている。このため福島原発事故の影響を受けて、国内外で反原発の機運が拡大する前に、安全利用の厳格化をアピールする狙いがありそうだ。

【関連記事】
がれき受け入れに波紋 「放射能怖い」愛知で苦情殺到

次々に運び込まれ、積み上げられるがれきの山=宮城県亘理町で(星野大輔撮影)

 東日本大震災で発生した大量のがれき処理をめぐり、受け入れを表明した愛知県の大村秀章知事の発言が波紋を広げている。県庁には25日、放射性物質の付着や風評被害を恐れる市民から苦情が殺到。中部地方の各県も基本的に受け入れる方針で、波紋はさらに広がる可能性もある。専門家は処理に関する情報開示の必要性を指摘する。

 「放射能ごみを持ち込むな」「農産物への風評被害が広がるじゃないか」。電話口から怒気を含んだ声が響いた。この日朝から、愛知県資源循環推進課の電話は鳴りっぱなし。「放射能に汚染されたごみが持ち込まれることはない」と職員は説明を繰り返した。

 発端は22日、宮城県を訪れた大村知事が、村井嘉浩知事との会談で「(がれきなどの廃棄物処理に)最大限協力する」と表明。知事発言を報道などで知った市民から苦情が相次いだ。

 そもそも県は、放射能に汚染されたがれきの受け入れを想定していない。廃棄物処理法では放射能汚染物は対象外で、処理が許されないからだ。大村知事も25日の会見で「放射性物質を含んだがれきが流通するわけはない」と強調した。

 被災地の復旧には、がれき撤去が緊急の課題だ。環境省の推計では岩手、宮城、福島3県のがれきの総量は2千万〜2500万トンに上る。3県内で出るごみ量の数十年分に相当する。

 このため環境省は各都道府県を通じ、市町村や一部事務組合にがれきの処理の受け入れが可能かを照会。30都道府県で受け入れが可能との回答が寄せられた。

 中部の各県も「お互いさま。全力でお手伝いさせていだく」(三重)、「全国で引き受けないとさばけない量なので協力したい」(長野)などと基本的に協力する姿勢。本紙のまとめでは、愛知、岐阜、三重の3県で年23万トンの受け入れ処理が可能だ。

 ただ、環境省はがれきの搬出方法や割当量を示していない。自治体からは「住民理解を得られるよう、国にはきちんとした説明を求めたい」(福井)、「どういう形でごみを搬出し、受け入れを求めるのか示してほしい」(岐阜)との声も出る。

 いち早く受け入れを表明した川崎市には、1週間で2千件を超える苦情が寄せられた。環境省廃棄物対策課の担当者は「原発周辺の汚染が懸念されるがれきを搬出するわけではない」と理解を求め、放射線量などの調査をしたうえで処理を依頼する方針だ。

 昇秀樹名城大教授(地方自治)は「被災地だけで廃棄物を処理するのは困難で、他地域が協力をするのは当然」と指摘。その上で「受け入れる地域の住民が、放射能を心配する感情は理解できる。風評被害の拡大を防ぐためにも、国は汚染が基準値以下であることを文書で明確に示すべきだ」と話す。

中日新聞 2011年4月26日 
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チェルノブイリ25年 教訓を福島に生かせ

 1986年に旧ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で起こった最悪の爆発事故から、きょう26日で25年となる。放射性物質による汚染で、原発から30キロ圏内は今も立ち入り禁止区域だ。事故の影響は長く続く。福島第1原発もチェルノブイリ事故を重い教訓と受け止め、廃炉までの道筋を探りたい。

  チェルノブイリ原発事故は、4号機の非常用電源をテストする過程で発生した。テストが終わって原子炉を安全停止させようと、運転員が制御棒の一斉挿入ボタンを押した途端に、原子炉が暴走し、数度の爆発が起こった。

  爆発と火災で、大量の放射性物質が周辺に放出された。原発から半径4、5キロのプリピャチ市は原発関係者ら約4万5千人が住んでいた。同市民は事故の翌日になって、避難を指示された。同市以外の半径30キロ圏の住民約9万人の避難決定は、事故から6日後だった。農村などは避難に手間取り、完了したのは10日後である。

  ソ連政府は事故から4カ月後に国際原子力機関(IAEA)に事故報告書を出した。消火に当たった消防士と原発職員31人が死亡したが、30キロ圏から避難した住民13万5千人は放射線障害は認められない、というものだった。

  ソ連国内の放射性物質による汚染状況が新聞などに公表されたのは、事故から3年後である。セシウムによる汚染地域は30キロ圏どころか、300〜600キロ範囲に不規則に広がっていた。今もウクライナやベラルーシ、ロシアで多くの住民に、小児甲状腺がんや白血病などの健康被害が現れている。

  福島第1原発では、水素爆発はあっても、チェルノブイリのような炉心の爆発はない。多数の死者も出ていない。しかし、事故の原子炉は4基と多く、大気中に放出された放射性物質はチェルノブイリの10分の1以下とはいえ、漏れ続けている。

  チェルノブイリ原発では、事故から半年後に「石棺」と呼ばれるコンクリート製の防御壁で4号機を覆った。東京電力は福島第1原発の事故収束に向けて、6〜9カ月をめどに原子炉を安定した冷温停止に持って行く工程表を発表した。しかし、チェルノブイリのようにコンクリートで建造物を覆うのは、中期目標でずっと先である。

  チェルノブイリの石棺は突貫工事だったため、耐用年数は約30年。今もひび割れがし、危険な状態という。新たに金属シールドで覆う案が浮上している。福島では、最初から耐用性に優れた覆いを設計したい。

  収束見通しでは、チェルノブイリよりましな状況とはいえないのである。長期的な被ばくによる健康障害が発生しないよう、しっかり監視していかなければならない。周辺地域の汚染地図を公開し、住民の定期的な健康診断を実施していきたい。

 ウクライナでは今も農作物や牛乳などから高濃度のセシウムが検出され、住民の健康被害が心配されている。土壌の浄化を図るために、日本のNPO法人が「菜の花プロジェクト」を行っている。

  菜種は土中のセシウムやストロンチウムを茎に吸い上げる性質がある。福島でもこの方法は有効ではないか。すぐにでも原発周辺に試験的に菜種をまいて、効果を調べてもらいたい。(園田 寛)

佐賀新聞  2011年4月26日
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東日本大震災 チェルノブイリ/「不都合な真実」に向き合え
 「そこはキノコが豊富にあり、魚は餌を付けなくても針にかかるくらいいて、どこを歩いても赤い野いちごの実がなっていた」(『チェルノブイリ・ルポルタージュ』文・ウラジーミル・ヤボリフスキー)
 原子力発電史上、最悪の旧ソ連(現ウクライナ)チェルノブイリ原発事故から26日で25年を迎えた。
 バスで集団避難する住民、崩落した原子炉建屋、防護服に身を包んだ作業員…。ルポルタージュには、私たちが目にしているのと同じ光景を切り取った写真が収められている。
 東京電力福島第1原発事故は収束のめどが立たない。安全神話が崩れた今、私たちがすべきことは歴史を直視し、過去の経験に学ぶことだ。
 「対岸の火事」。チェルノブイリ事故に対する当時のわが国の反応だ。電気事業連合会は原子炉の安全設計上の問題や運転員の規則違反などを指摘した上で、事故原因を「安全文化の欠如」と決めつけた。
 にもかかわらず、事故は「原発先進国」であるはずの日本で現実に起きた。しかも、国際的な事故評価の尺度でチェルノブイリと同じ最悪のレベル7という形で。
 無論、二つの事故を同列に論じることはできない。チェルノブイリは原子炉自体が爆発したが、福島では圧力容器は破壊されていない。原子力安全・保安院は、放出された放射性物質の量がチェルノブイリの10%程度であることも「違い」に挙げる。
 だが、福島では高濃度汚染水が大量に海に流出。専門家は食物連鎖による生物の放射性物質濃縮の可能性を指摘している。そもそも福島では4基もがダメージを受け、しかも事故対策は遅々として進まない。
 東電は原子炉を安定状態に持ち込む工程表を発表した。仮にそれが成就したとしても、廃炉に向けた中長期の闘いが待っている。
 チェルノブイリでは、現在でも安全管理などのため約7千人が働く。爆発事故を起こした4号機はコンクリート製の「石棺」で覆われているが、老朽化が激しく、新たな覆いを早急に造る必要がある。
 福島では廃炉と汚染除去に100年―。英科学誌ネイチャーがそんな専門家の見方を紹介した。長い消耗戦を覚悟しなくてはならないのだ。
 何より心配なのは健康への影響だ。チェルノブイリ事故について世界保健機関(WHO)の下部組織は、がんによる死者数が計40カ国で2065年までに約1万6千人に達する恐れがあるとしている。
 国は事故後、「直ちに健康に影響を及ぼすとは考えられない」との説明を繰り返しているが、住民は不安を払(ふっ)拭(しょく)できずにいる。健康調査も長期にわたることは避けられない。
 「福島の場合、テクノロジーへの過信があったと思う」。フランスの原子力専門家の見方だ。四半世紀前の「不都合な真実」は、いったんは黙殺された。それを謙虚に受け止めることが、全ての議論の出発点になる。

河北新報社  2011年4月26日
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アマゾンベストセラー、 2011年4月27日
明治・大正
97.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
31. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
38. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
90. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (2004/3)
107. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
126. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
136. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
167. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
169. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
183. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
194. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)

202. 二本松少年隊のすべて 星 亮一 (単行本 - 2009/1)
213. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (2002/8)
250. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)
303. 幕末史―激闘!薩摩・長州・会津 星 亮一 (単行本 - 2008/3)
342. 戊辰戦争を歩く―幕末維新歴史探訪の旅 星 亮一、 戊辰戦争研究会 (2010/2/10)
350. 新版 白虎隊と二本松少年隊 星 亮一 (単行本(ソフトカバー) - 2010/1/28)


涙をこえてゆこう
なくした過去になくよりは
涙をこえてゆこう
輝くあした見つめて
(かぜ耕市:作詞  中村八大:作曲「涙をこえて」)


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2011年4月26日(火) 原発、津波
飯舘村長、「県外避難」に難色=福山副長官と会談
時事通信 4月26日(火)16時23分配信
 福島第1原発事故を受けて全域が「計画的避難区域」に指定された福島県飯舘村の菅野典雄村長は26日、首相官邸で福山哲郎官房副長官と会い、住民の避難先の早期確保などを要望した。福山副長官は県外への避難を提案したが、菅野氏は難色を示した。
 会談で福山副長官は、飯舘村民の避難先として県外の数カ所を検討していると説明。これに対し、菅野氏は「仕事や生活を捨てて(県外に)行くとは言えない」と主張し、県内の近隣とするよう求めた。 、福島の牛伴い抗議「早く賠償を」
読売新聞 4月26日(火)13時56分配信
 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、周辺の農産物から食品衛生法の暫定規制値を超える放射性物質が検出されたことなどを受け、農民運動全国連合会などが26日、東京・内幸町の東電本店前に福島県の肉牛や乳牛を伴って抗議に訪れ、早期の賠償を求めた。

 福島県の約160人を中心に、宮城、岩手や群馬などの農家や酪農家ら約250人が集まった。「協力要員」として、福島県田村市の肉牛、千葉県睦沢町の乳牛を連れ、出荷停止となった茨城県稲敷市産のほうれん草約100キロも持参した。

 同連合会常任委員の斎藤敏之さん(61)は「農家はもはや精神的にも経済的にも限界。すみやかな賠償を強く求めたい」と話した。
最終更新:4月26日(火)13時56分


マークT」の正体

東京電力福島第1〜5号機原子炉の格納容器は、米ゼネラル・エレクトリック(GE)が開発した「マークT」。その安全分野の責任者だった元GE技術者は1970年代半ばに圧力強度の欠点などを指摘、稼動停止まで訴えていた。

 「マークTは小さくて中が狭い、コンパクトなのでコストはかからないが、圧力の耐性が低く、冷却機能の停止などで容器内の圧力が増せば、爆発の可能性も高い」

 サンフランシスコ市から南へ車で焼く2時間。アプトス市の太平洋を望む自宅で、元GEの技術者デール・プライデンバウさん(79)はマークTの欠点を挙げた。

 ブライデンバウさんによると、マークTの欠点はその小ささだ。容積(圧力抑制プール含む)は後継型のマークVと比べ4分の1ほど。圧力に弱いだけでなく、狭い容器内に冷却水などの配管や配電が複雑に組み込まれている。そのためメンテナンスが難しく、事故が起きれば、現場に近づくことも困難で対処できないという。

 ブライデンバウさんは、世界中のマークT約20基の安全性や発電効率を点検、改良する部署の責任者だった75年、その欠点に気づいた。社内だけでなく、米原子力規制委員会(NRC )と電気事業者にもその事実を知らせ、稼動停止を進言していた。-緊急情報(政府筋からの最新情報)

情報が錯綜している中、本日午後6時、民主党の動物愛護行政のキーパーソン
城島光力先生に20キロ警戒区域の残留動物問題について1問1答させていただきました。
以下、要点を簡単にまとめました。
現段階での最も正確な政府筋の情報としてお知らせします。

質問1 警戒区域への飼い主等の立ち入り許可の権限はどこにあるのか?
答え  原子力・安全保安院に権限がある。 市町村の権限で立ち入りを許可することはありえない。

質問2 圏内に残っている家畜は全て処分するのか?
答え 今も引き受けてくれるところとの調整をしている。

質問3 処分となる家畜の処分方法は本当に「安楽死」なのか?
答え  本当に『安楽死」である。(※城島先生ご自身が獣医師です)

質問4 犬猫等のペットはどうやって救出するのか?
答え  一時帰宅の時に自衛隊にペット用の車両を1台出してもらうように要望している。が自衛隊がそうしてくれるかどうかはまだ不明。

質問5 ペットを連れ出すために飼い主や愛護団体が入ることについて
答え  一時帰宅が終わったら、自衛隊以外の人間の立ち入りは完全にできなくなる見通し

質問6 緊急時災害動物救援本部は警戒区域残留動物については何をするのか?
答え  圏外に出す家畜及び、(一時帰宅時に連れて帰れたとしたら)ペットの除染

知人の獣医によりますと、畜産動物牛などは一般に安楽死はおこなわれないのだそうです。
大きな個体ですから、薬の費用がかかるというようなことが理由のようです。
実際の方法をききましたがとても耐えがたい方法でした。今、行われる方法について国民の声で確認し、政府による動物虐待を阻止したいものです。

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<東日本大震災>発生30分「震度5弱以上」7回だった

 気象庁は25日、東日本大震災発生(3月11日午後2時46分)から30分間に、最大震度5弱以上の余震が7回起きていたことが分かったと発表した。同じ時間帯に静岡県伊豆地方で5弱以上の地震が発生していたことも判明。わずか30分間に5弱以上の地震が計8回起こっていたことになる。これまでの発表では5弱以上は30分間に2回だったが、地震が多発したために解析に時間がかかったという。

 気象庁が発表していた30分間の5弱以上の余震は、三陸沖で発生した地震(午後3時6分ごろ)と、茨城県沖で発生した地震(同15分ごろ)。だが、記録を精査した結果、福島県沖で午後2時51〜58分の間に3回、同3時12分に1回の発生を確認した。また、判明していた2回の余震のうち、3時6分ごろの地震は、岩手県沖で同6分と8分に発生した2回の地震と、静岡県伊豆地方で同8分に発生した地震に分離できたという。

 このほか、同15分の茨城県沖の地震の最大震度は従来の6弱より大きい6強(茨城県鉾田市)で、5弱以上の観測点数は当初の72地点の倍以上の154地点だったことも分かった。気象庁地震津波監視課は「本震の強い揺れが継続している状態で地震が起こったり、同時多発的に地震が起こったため、初期段階では正確に把握できなかった」と話している。【飯田和樹】

毎日新聞  2011年4月25日 
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共産「警鐘に耳貸さなかった」東電・政権を批判

. 福島原発
 「国会でのわが党の指摘に耳を貸さなかった東電、歴代自民党政権の責任は大きい――」

共産党の井上哲士参院議員は25日の参院決算委員会で、東京電力福島第一原子力発電所事故に関連し、同党が炉心溶融も想定した対策の必要性を訴えるなど、国会で長年、原発の危険性について警鐘を鳴らしてきたことを強調。そのうえで、「(原発)安全神話のもと、重大事故への構えも備えもなかったことが深刻な事態を作り出した」と歴代政権や東電の対応を批判した。

 民主党政権にも矛先を向け、「安全神話を受け継いだ責任も当然問われるのに、真剣な反省があるのか」と訴えた。

 これに対し、参考人として出席した内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長は「事故を防げなかったことを深く反省する」と終始、平身低頭だった。
読売新聞  2011年4月25日
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先人の知恵浸水防ぐ 宮城県南「浜街道」

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南の沿岸部で、津波の浸水が江戸時代の街道と宿場町の手前で止まっていたことが、東北大東北アジア研究センターの平川新教授(江戸時代史)らのグループの調査で分かった。平川教授は「過去の津波の浸水域を避けて、街道が整備された可能性が高い。自然と共存するための先人の知恵ではないか」としている。

 グループは震災後の国土地理院の航空写真を基に津波浸水域図を作製し、旧街道や宿場町の地図と照合した=地図=。現在の岩沼市にあった「岩沼宿」から水戸へと続いていた、太平洋岸の主要街道「浜街道」に着目。岩沼宿から宮城県山元町の「坂元宿」までの街道と宿場の大部分が、浸水域からわずかに内陸部に位置し、被害を免れていた。
 浜街道周辺はほぼ400年おきに津波に襲われている。1611年には慶長三陸津波が発生し、仙台藩領内でも1783人が亡くなったという記録が残る。
 街道や宿場は交通や流通の結節点として、人が密集する地域の要衝。平川教授は「慶長津波を受けて、街道や宿場を今の位置にした可能性もある」との見方を示す。
 仙台以北の沿岸部についても今後、詳しく分析する考え。
 平川教授は「明治以降の近代化や宅地開発などで、津波経験の記憶は薄れてしまった。先人が自然災害の教訓をどう生かしていたかを丹念に調べ、今後の復旧に生かすべきだ」と話している。(菊池春子)

河北新報社  2011年4月25日
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「最後に腹いっぱい餌を…」殺処分に養豚農家悲嘆
 福島第1原発事故によって無人の地になった20キロ圏内で、餓死しそうになっている家畜の殺処分が24日決まった。家畜の世話をしようと、避難先から通っていた多くの住民も、22日に警戒区域になり立ち入りはできなくなった。南相馬市小高区飯崎で約48年間、養豚業を営む前田光雄さん(64)は「餌をあげることができないなら、安楽死もやむを得ないのかもしれない。ただせめて、腹いっぱい食わせてからにしてほしい」と声を振り絞った。

 豚約3000匹を飼育する前田さん。「前田美豚(びとん)」の名で知られ、福島県内のレストランなどで提供されているという。原発事故が起きたのは、種豚を増やし規模を拡大した直後。前田さんは3月12日、家族6人で福島市に避難した。
 豚を連れてくるわけにはいかなかった。だが、死なせるわけにもいかない。「豚が死ねば自分も死ぬことになる」。心配する家族を押し切って小高区に通い、豚の世話を続けた。
 しかし、避難区域から警戒区域になって立ち入りが全面禁止され、餌を与えることは不可能になった。最後に訪れたのは警戒区域指定の前日、21日だった。
 豚は空腹を訴え、騒いでいた。豚舎は掃除もできず不衛生な状態で、既に死んでいる豚もいたが、そのまま置いてくるしかなかったという。
 前田さんはともに生きてきた豚を思い、「死ぬか生きるかの境目にいる。もう餓死するだけ。とにかく餌をあげたい」と漏らす一方で、複雑な心境も語った。
 「家族も無事だったし、従業員の生活もかかっている。今は気持ちを切り替えないと。原発を恨んでも仕方ない」
(菊地奈保子)
河北新報社  2011年4月25日
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M9級・超巨大地震!2000年前、巨大津波か
高知大学の岡村真教授(地震地質学)らが、高知県土佐市の2000年前の地層から、厚さ50センチに及ぶ津波堆積物を見つけた。

 高さ10メートル超となった東日本大震災の津波でも、堆積物の厚さは5〜7センチ程度。専門家はマグニチュード9級の超巨大地震による津波である可能性をあげ、その再来もあり得ると指摘している。

 駿河湾―四国沖では、海のプレート(岩板)が陸のプレートの下に沈み込む境界(南海トラフ)で、東日本大震災のような巨大地震が300〜350年周期で起き、大きな津波も発生している。

 今回、50センチの堆積物(砂の層)が見つかったのは、現在の海岸から約400メートル内陸にある蟹ヶ池。岡村教授らが約30か所で池の底を調べた結果、東日本大震災以前では、最大級とされる宝永地震(1707年)の津波堆積物も見つかった。厚さは15センチ程度だったが、この時、蟹ヶ池近くの寺を襲った津波は高さ25メートルだったことが分かっている。

読売新聞  2011年4月25日
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会津高生徒が気迫の舞 白虎隊墓前春季祭礼 
 白虎隊墓前春季祭礼は24日、会津若松市の飯盛山にある白虎隊士の墓前で行われた。
 主催する会津弔霊義会の芳賀公平理事長が祭文を読み上げ、関係者が玉ぐしをささげた。
詩吟の奉納に続き、会津高剣舞委員会の生徒が白虎隊が自害するまでを表した剣舞を奉納した。
 生徒は刀を手に気迫あふれる舞を繰り広げ、歴史愛好家らが見入っていた。

福島民報  2011年4月25日
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アマゾンベストセラー、 2011年4月26日
明治・大正
65.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
31. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
39. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
73. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一
84. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)

107. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
121. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
153. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
166. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
176. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
191. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2002/8)

222. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)
245. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
277. 幕末史―激闘!薩摩・長州・会津 星 亮一 (単行本 - 2008/3)
307. 戊辰戦争を歩く―幕末維新歴史探訪の旅 星 亮一、 戊辰戦争研究会 (2010/2/10)
312. 新版 白虎隊と二本松少年隊 星 亮一 (単行本(ソフトカバー) - 2010/1/28)
327. 二本松少年隊のすべて 星 亮一 (単行本 - 2009/1)


届け あるがままの心の声 何度でも
響かせるんだ
願いは消えず 限りない愛へ踏み出す旅路
悲しみを乗り越えて また一つ刻む歴史
魂は繰り返す 果てしない
(ゆず 歌「 慈愛への旅路」より)


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 だが当時のGEの上司は「停止すれば、GE の原発事業は終わる」として聞き入れなかった。76年1月に同州サンノゼ市で開かれたマークTを所有する電気事業者の会合は「事故の確率は低く、稼動停止には時間もコストもかかる」として継続を決め、NRCに報告した。

 ブラウイデンバウさんは76年、継続方針を変えないGEの姿勢に納得できず、24年間勤めた会社を仲間2人とともに去った。退職後はマークTの欠点について米議会で証言するなど、原発コンサルタントとしてその安全性に注意を促してきた。

――――――4月20日付け 北海道新聞 参照―――――

 孫 正義氏が原発廃止の旗を掲げているが、考慮するに充分な資料だ。


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2011年4月25日(月) 原発、津波
三陸道大渋滞「迂回して」 宮城県警が呼び掛け
河北新報 4月25日(月)6時13分配信
 東日本大震災の被災地を往来する復旧・復興関連の車が集中するなどして三陸自動車道で朝夕、激しい渋滞が発生している。宮城県警は、国道45号や県道仙台松島線などを迂回(うかい)するよう呼び掛けている。
 県警交通規制課によると、三陸道は石巻市、気仙沼市、南三陸町などの被災地に向かう車で下り線は午前7時ごろから正午ごろにかけ、石巻港インターチェンジ(IC)を先頭に松島海岸IC付近まで約24キロが渋滞。上り線は午後3時ごろから午後7時ごろまで、松島北IC付近を先頭に約10キロの渋滞が発生している。
 県警は渋滞の原因について(1)路面に亀裂や段差があり、最高速度50キロの交通規制を実施中(2)物資輸送の大型車両が低速で走行(3)復旧・復興関連の車両が同じ時間帯に集中(4)本線料金所や車線合流部などでの混雑―を挙げる。
 県警は「時間に余裕を持ち、車間距離を十分に取って走行してほしい。不要不急の車は被災地への通行は控えてほしい」と話している。



福島第1原発>敷地内の汚染地図公表
毎日新聞 4月24日(日)21時0分配信


福島第1原発の主な地点の放射線量※数字はミリシーベルト/時。東電のデータから、4月23日午後5時20分現在
 東京電力は24日、福島第1原発1〜4号機の建屋周辺約150地点の1時間当たりの放射線量を記録した汚染度マップ(23日午後5時20分現在)を公表した。作業員の限度以上の被ばくを防ぐため、3月22日から作製。空間の放射線量では、2号機原子炉建屋西側のがれきが散らかっていた場所が70ミリシーベルトと最大だった。

【図説 連日更新】全都道府県の最新の放射線量など

 空間放射線量は原子炉建屋付近が比較的高く、1号機10〜40ミリシーベルト▽2号機3〜70ミリシーベルト▽3号機3〜60ミリシーベルト▽4号機0.4〜1.1ミリシーベルト。タービン建屋付近は3号機付近が3.5〜20ミリシーベルトだったが、ほかでは数ミリシーベルトだった。

 1号機と3号機の原子炉建屋付近では数カ所でがれきの線量も測定。20日に3号機付近で見つかった900ミリシーベルトが最大で、その近くに300ミリシーベルトのがれきもあった。2号機のトレンチ(トンネル)にある高濃度の放射性物質を含む汚染水を集中廃棄物処理施設(集中環境施設)へ移送する配管の表面は、75〜160ミリシーベルトだった。

 東電は「現在の線量が作業の工程を大きく左右するものではない」と話している。【奥山智己】


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震災の死亡・不明2万6299人 警察庁まとめ

 東日本大震災の死者は24日午後4時の警察庁のまとめで、12都道県で1万4300人、行方不明者は6県で1万1999人となった。死者・不明者は計2万6299人。

 被害が大きかった3県の死者は、宮城8644人、岩手4154人、福島1439人。不明者は宮城6913人、岩手3514人、福島1568人。

 原発事故の影響などによる避難も含め、18都道県に設置された約2500カ所の避難所に13万1千人近くが身を寄せている。

共同通信  2011年4月24日 
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祖先の教えが吉浜救う 大船渡、過去の被災で徹底

 東日本大震災で大きな被害を受けた大船渡市三陸町で、過去の大津波を教訓にした高台移住により難を逃れた地域がある。海抜20メートルほどの県道沿いに住宅が集まり、低地に水田が広がる吉浜地区だ。

 「この県道が安全の目安になっている」。地元の歴史を研究している木村正継さん(64)は、吉浜地区の海沿いを走る県道250号を誇らしげに見上げた。

 吉浜地区は今回の震災で、1人が行方不明、住宅4戸が全壊・流失した。中心部には高さ10メートル以上の津波が襲来したとみられるが、被害は県道より低い場所に集中した。

 「吉浜では県道より低地に家を建てないのが暗黙のルールになっている」と木村さん。被災した祖先の教えが今も脈々と受け継がれている。

 高台への集団移転が進んだきっかけは明治、昭和の大津波だ。町史によると、吉浜地区では1896(明治29)年の明治三陸大津波で全人口の約2割に当たる204人が死亡。1933(昭和8)年の昭和三陸大津波では、17人が死亡・行方不明となった。

 大津波のたびに住民は高地への集団移転を繰り返してきた。山を切り崩して宅地を造成し、低地の集落跡地を水田として活用。現在の県道の基となる村道も高地に整備した。

 高地に住居を構え、低地で農業や漁業を営むまちづくりは、沿岸部の将来像を描く県の復興委員会で議論されている「職住分離」とも重なる。

 明治の大津波で家族や住まいを失い、昭和の大津波後に高台移転を進めた当時の柏崎丑太郎村長。高台移転には反発もあったというが、柏崎村長の孫のナカさん(95)は「津波の怖さを知っていたからこそ、信念を持って推し進めたのだろう」と振り返る。

岩手日報    2011年4月24日
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あの時。何を、どうすれば… 石巻・大川小、児童74人死亡・不明

津波に襲われ、多くの児童や教職員が犠牲になった大川小周辺。中央左が校舎・体育館、右上が新北上大橋。津波を避けようと、子どもたちは学校裏手の山裾を歩いて大橋のたもとを目指した=8日、石巻市釜谷


 東日本大震災で、石巻市の大川小は全校児童108人のうち65人が死亡し、9人が行方不明(22日現在)になった。大津波が引き起こした過酷な現実が、親たちに重くのしかかる。教職員も10人が死亡・行方不明に。学校であの時、何が起きていたのか。備えは十分だったのか。(佐藤崇、成田浩二)

 3月11日午後2時46分、5年生の教室では帰りの会が終わろうとしていた。「さようなら」。みんなで声を合わせた瞬間、強い揺れが襲った。急いで机の下に隠れ、全員が校庭に避難した。
 男子児童の母親(40)は、下校を待つため校庭近くに車を止めていた。携帯電話に緊急地震速報のメールが来た。車の外に出ると、立っていられないほどの揺れ。子どもたちが校舎を出てくるのを見て校庭に入った。点呼が始まる。子どもたちの表情は硬かった。
 近所のおばあさんが避難してきた。暖を取るため火をたこうとしていた先生の姿も覚えている。
 「津波だっつうど。なんぼでも高い所に逃げろ」。しばらくして校庭にいた年配の男性の声が聞こえた。母親は「山育ちの自分は、余震で建物が崩れることしか頭にない。誰も逃げようともせず、男性の話も立ち話程度にしか感じなかった」と振り返る。
 それでも「高い所」という言葉は耳に残った。子どもを連れて学校を離れ、津波に追い立てられるように車で峠方面に逃げた。
 別の母親(37)が車で学校に着いたのは午後3時15分ごろだった。「しばらくは校庭にいた方が安全。道路が壊れているかもしれない」。教師はそう助言したが「とにかく自宅に帰ろう」と子ども2人を連れ、5分ほどで学校を後にした。
 大津波警報が発令されたのは地震の3分後。市教委によると、校庭にいる間、学校は避難先を検討していた。学校にいた教職員11人のうち唯一、助かった男性教諭らからの聞き取りを基にした説明だ。
 学校は、裏山は倒木の危険性、校舎は余震で物が落下する恐れがあると判断したという。最終的に目指したのが、約200メートルほど離れた新北上大橋のたもとの交差点。校庭より6、7メートル高く「三角地帯」と呼ばれる場所だった。
 5年生の男子児童(11)は、1、2年生が手をつないで歩いていたのを記憶している。前方の大橋付近で水しぶきが上がり、波が向かってきた。みんな逃げようとしたが、一気に水をかぶった。
 津波に流されながら必死にすぐそばの山に上がろうとした。雪のためか、周りの友達も足が滑ってなかなか上がれない。「もう駄目だ」。生えていた木につかまると、何かが目にぶつかった。気が付くと斜面に体半分が埋まっていた。同級生が引きずり出してくれた。
 男子児童と同級生は、津波が襲う直前まで三角地帯で車両の誘導に当たり、山に逃げ込んだ市職員の佐藤幸徳さん(51)に保護された。
 住民ら16人でたき火を囲み、明け方を待った。子どもは中学生1人を含め4人。「寝たら死ぬぞ」。大人は声をかけたが、疲れた子どもたちは寒さに震えながら、何度となく短い眠りに落ちた。

河北新報社  2011年4月24日
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31. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
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63. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (2004/3)
73. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
91. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)

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295. 二本松少年隊のすべて 星 亮一 (単行本 - 2009/1)
324. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)




どんなに苦しい時も
君は笑っているから
くじけそうになりかけても
頑張れる気がしたよ
(森山直太朗   歌「さくら」より)


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2011年4月24日(日) 原発、津波
被災地の観光施設、徐々に再開=福島はめど立たず―東北3県
時事通信 4月24日(日)15時26分配信
 東日本大震災で浸水などの被害を受けた宮城県や岩手県の観光施設が、5月の大型連休を前に再開しつつある。両県では既に7割以上の宿泊施設が営業を再開し、全国から200万人以上が足を運ぶ8月の仙台七夕まつり(仙台市)の開催も決まった。一方、福島県では原発事故の影響で、県西部の会津地方でも観光産業は厳しい状況に置かれている。
 仙台市の遊園地「八木山ベニーランド」は4月中旬に約1カ月ぶりに開園、約500人が来場した。福島県相馬市から来た松本親さん(37)は「地元は放射能で危ないので、子供が遊べる場所を探して来た」と娘の手を取りながら、ほっとした様子で話した。
 日本三景の一つ松島では、水族館に続き、遊覧船や土産物店も順次再開する見通し。東北新幹線も29日には全線で運転を再開する。環境は整いつつあるが、県内の沿岸部は軒並み被害を受けており、松島公園管理事務所は「松島も観光できる状態ではないと思われる恐れがある。どこまで客足が戻るのか」と不安を募らせる。
 岩手県では、日本三大鍾乳洞の一つ、龍泉洞(岩泉町)の地底湖が地震の影響で白く濁ったまま。「『世界有数の透明度』とうたっていただけに再開はためらわれた」(管理事務所)が、周辺の宿泊施設などへの影響を考え、27日のオープンを決めた。
 一方、福島県の施設は閑古鳥が鳴く。被害が限定的だった会津地方の観光施設では、宿泊のキャンセルが相次いだ。福島県観光交流課は「原発事故も収束しておらず、観光においでくださいという雰囲気ではない」と言葉少な。沿岸に立つ水族館「アクアマリンふくしま」では津波による停電で大量の魚が死んでしまい、再開には時間がかかりそうだ。 


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家畜、所有者同意で殺処分も 25日から緊急的措置
産経新聞 4月24日(日)13時15分配信


 福島県は24日、東京電力福島第1原子力発電所周辺の立ち入り禁止の警戒区域内に残されたり、放牧されたままになっている牛や馬などの家畜について、所有者の同意があれば殺処分を含む「緊急的措置」を行うことを決めた。

【フォト】首相は「歩く風評被害」…軽はずみな発言続ける

 区域内の衛生管理などが目的。25日から県内の家畜保健衛生事務所の獣医師らがチームを組み、放射線量が高い大熊、双葉、浪江町を除く6市町村に順次立ち入る。

 死亡した家畜に消石灰をまき、ブルーシートで覆うほか、ひん死状態や放置された家畜は、所有者の同意が得られれば殺処分する。健康な家畜は畜舎に戻すなどするが、国の方針が出ていないため、域外への搬出は難しいという。

 県によると、警戒区域内には東日本大震災の発生前、牛4000頭、豚3万頭、ニワトリ63万羽、馬100頭がいたという。

 初日の25日は、南相馬市小高区が対象。獣医師など数名が2班に分かれ、防護着着用で作業に着手する。
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【科学技術立国のおごり】日本人とは何か 大震災論じる世界 


 千年に一度という大地震・津波と原発事故。歴史上例がない災いに「我慢」の精神で立ち向かう日本人。東と西、伝統と超近代が交錯する日本とは何か、どうこの大災害を乗り越えるのか。世界の知識人はかき立てられたように日本を論じている。

 ▽破壊と復興の国
 東日本大震災は、日本や日本人の特性を世界に強く印象付けた。それは3月11日の地震発生直後にフランスの政治学者ドミニク・モイジが言った「自然に挑戦する日本」「破壊と復興」を繰り返す日本の特殊性だ。
 モイジは繰り返し訪れる破壊を乗り越える力に、「西欧文明にはない集団的な規律、運命とそれへの抵抗、他者への配慮を合わせたユニークな遺伝子配列を日本人は持つのか」と驚いている。唯一の被爆国であり戦争の壊滅の末に、よみがえった日本、先進技術を誇りながらも自然の猛威にさらされる日本を神秘性を持って見つめる。
 ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダは「理解を超えた自然の力は、(日本)民族の運命」であり、「日本を強くしてきた」と語った。大きな影響力を持つ英経済コラムニストのマーティン・ウルフは「悲劇に鍛えられた文明があるとすれば、それは日本だ。日本人は(悲劇を)乗り越える」と書いた。

 ▽我慢し過ぎ?
 地震から1カ月の4月11日、米首都ワシントンの大聖堂で開かれた「日本のための祈り」では、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が紹介された。英語で朗読された一節「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という他者優先の思想は、米社会には新鮮だろう。
 我慢を歴史的に掘り起こしたのが、米小説家のポール・セローだ。危険を冒し原発の冷却作業に当たる技術者は、南朝軍の楠木正行が圧倒的な戦力の足利軍と交えた1348年の「四条畷の戦」を日本人が今も美化するのを思い出させると言う。歴史的な惨禍が続く日本で、「サムライ精神」は固有の美学として生き続けていると見る。
 だが、欧米がたたえる日本らしさは原発事故では逆効果となった。フランスの経済思想家ジャック・アタリは、日本人の「プライドと傲慢(ごうまん)、秘密好き」は事故の深刻さを隠したと批判、原発情報を公開し事故処理で国際的な支援を受け入れても「恥ではないのだ」と呼び掛けた。日本人よ我慢するなというわけだ。
 美徳である服従心は政府や事故を起こした東京電力に「大失敗しても猛烈な抗議や社会不安を招かない」(英誌エコノミスト)安心感を与え、今回の事故の遠因となったし、再発防止や復興でも弱さにつながるとの懸念も国際メディアは伝え出した。

 ▽ロボット国がなぜ
 科学技術先進国で起きた安全神話の崩壊に世界はショックを受けた。
 大量の放射線を浴びる危険な原発内の事故処理は日本が世界に誇るロボット技術を活用したい、と誰しも思う。米紙ワシントン・ポストは「ロボットで知られる日本だが、原発で役立たず」との見出しの記事で、日本のロボットは「話し、踊り、バイオリンまで弾く」が、原発災害は想定外だと嘆いた。米、ドイツ、フランスには原発災害で活動するロボットが開発されているという。
 米紙ウォールストリート・ジャーナル元発行人のゴードン・クロビッツは先進国日本で起きたこの災害の教訓は、「複雑なシステムが何を起こすかを予想する知識を人間は持っていない」ことだと述べ科学技術立国のおごりを指摘。「最新技術を使いながらもその不確実性を知る」必要があると論じた。

 ▽改革は下から
 世界のもう一つの関心は日本が変わるかだ。高齢化、赤字、中国の「脅威」を抱え、大震災前から変革は必要だった。
 米国の日本歴史研究家マイケル・オースリンはこれまで日本人は統治を何でも受け入れてきたのではなく、江戸期の百姓一揆を例に、有事に無能な政治は大衆の突き上げに遭ってきたと指摘した。
 米政治評論家E・J・ディオンヌは、日本で始まった自発的な団結の動きや独創的な被災者支援に着目し、「改革とは上からではなくて、下から起きるものだ」と断言、民衆主導の変革の到来を予想している。(敬称略 共同通信編集委員 杉田弘毅)

47トピックス  2011年4月23日 
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修学旅行先「会津」回避 宮城の小中校で変更相次ぐ


 春の修学旅行シーズンを控え、宮城県内の小中学校が日程や行き先の再検討に追われている。学校や家庭に東日本大震災の爪痕が深いためで、甚大な津波被害を受けた沿岸部の一部学校は実施を延期した。福島第1原発事故の長期化が影響し、仙台市内を中心に福島県会津地方だった行き先を変更する動きも目立っている。

 各市町村教委によると、修学旅行の行き先は小学校が福島県会津地方、中学校は東京が大半を占める。
 学区が大きな津波被害を受けた石巻市門脇中は、5月に予定していた関東方面への修学旅行を秋に延期した。平塚隆教頭は「旅行費用は積み立てを済ませており、実施する方向だ。家庭によって事情が異なる。保護者の意向を聞く機会を設けたい」と言う。
 石巻市の小学校の修学旅行は例年、5月下旬〜6月中がピーク。市教委学校教育課は「被害の大きい学校は、秋以降に延期するか、場合によっては中止もあるかもしれない」と話す。

 気仙沼市面瀬小は6月に福島県会津地方への旅行を計画していたが、9月に延期した。行き先も岩手か秋田に変える。熊谷俊一教頭は「津波で家が流された児童もいるが、思い出深い学校生活を送らせたい。福島を避けるのは、万一を考えてのこと」と説明する。
 仙台市立小学校では、会津地方だった行き先を変更する動きが加速している。市教委の22日までの集計によると、85校が会津地方を行き先にしており、うち83校が変更したか、変更を検討中という。
 鶴谷小(宮城野区)は5月下旬に予定していた会津地方への旅行を盛岡市などに変えた。瀬戸幸子校長は「風評と分かっていても、福島と聞くだけで心配する保護者がいる。会津は毎回児童を温かく受け入れてくれた。こんなときにお返しできず申し訳ない」と苦しい胸の内を語る。
 岩手行きを決めた北仙台小(青葉区)の星俊行教頭は「子どもの安全を考え、保護者全員の理解を得るのも難しいと判断した」と指摘。立町小(同)は具体的な計画を立てる時期にJR東北新幹線の再開見通しが立たず、時期を10月に遅らせ、行き先も岩手にした。
 深刻化する会津観光への風評被害について、菅家一郎会津若松市長は「非常に残念。最近、栃木県の中学生を受け入れたばかりで放射線量も安全レベルと証明されている」と危機感を募らせる。
 菅家市長は会津若松市と仙台市はともに、福島第1原発から100キロ前後の距離にあることを指摘。「積極的に情報を提供するので、ぜひ会津を訪れ、応援してほしい」と話している。(佐藤素子、上村千春)

河北新報    2011年4月23日
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アマゾンベストセラー、 2011年4月24日
明治・大正
267.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
31. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
37. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
56. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (2004/3)
78. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
90. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
93. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)

130. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
138. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
150. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (2002/8)
183. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)
184. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)

233. 幕末史―激闘!薩摩・長州・会津 星 亮一 (単行本 - 2008/3)
267. 新版 白虎隊と二本松少年隊 星 亮一 (単行本(ソフトカバー) - 2010/1/28)
280. 二本松少年隊のすべて 星 亮一 (単行本 - 2009/1)
303. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)


さあ行くんだ その顔を上げて
新しい風に心を洗おう
あの人はもう 思い出だけど
君を遠くで 見つめてる
(ゴダイゴ  歌「銀河鉄道999」)


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****************岩手・大船渡市の津波被害 2011年3月11日の地震による大津波で壊滅的な被害。22日に大船渡港の利用が再開し、仮設住宅の建設も始まる。[関連情報]
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大勢の参列者が集まった社会福祉法人三陸福祉会東日本大震災犠牲者合同慰霊祭=岩手県大船渡市で2011年4月23日午前11時18分、三浦博之撮影(毎日新聞)
東日本大震災 懸命の避難途中に悲劇…大船渡の特養施設 東日本大震災で津波の被害を受けた岩手県大船渡市三陸町の老人福祉施設「さんりくの園」は、特別養護老人ホームとデイサービス利用者の80代前後の計56人が死亡または行方不明となったほか、職員1人が死亡した。犠牲者のほとんどは寝たきりや車椅子利用者。中庭に集まった後、高台への避難途中に流されたという。運営する社会福祉法人の佐藤敬一郎理事長は23日、市内であった慰霊祭で「心からおわび申し上げる」と陳謝した。【青島顕】(毎日新聞)
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「浜岡6号機の新設認められない」 と川勝知事

 川勝平太知事は22日、東日本大震災による東京電力福島第1原発事故を受け、中部電力が経済産業省に提出した浜岡原発(御前崎市佐倉)の緊急安全対策について静岡新聞社の取材に応じ、「高さ十数メートル以上の防波壁で津波を防ぐと説明しているが、どれだけ有効なのか分からない」と疑問視。1、2号機の廃炉と6号機新設のリプレース(置き換え)計画について「1、2号機の燃料プールに保管されている使用済み燃料の安全対策に懸念がある」とも指摘し、「6号機の新設は認められない」とした。
 中電の緊急安全対策に川勝知事が疑問を呈したことで、浜岡原発のリプレース計画は抜本的見直しを迫られるのは必至の状況となった。
 知事は「海に近い低地にある原発は、津波対策の観点に立てば、今後も国民の不安を払拭(ふっしょく)できるとは到底思えない。(払拭できないなら)廃炉にせざるを得ない。その意味で、国のエネルギー政策はおのずと脱原発に進む」と説明。エネルギー政策の転換を踏まえた“脱原発”の視点で、国は電源政策を推進すべきとの立場を強調した。
 知事は、水野明久中電社長が福島第1原発での事故を受けた記者会見で、6号機の着工を1年先送りする方針を表明したことに「なぜ1年間の延期なのか分からない」と不快感をあらわにした。4号機で予定されているプルサーマル計画についても「浜岡原発全体の安全確保が先でプルサーマルは難しい」とした。
 一方で知事は、東北電力女川原発(宮城県)が東日本大震災で深刻なダメージを回避したことを例に、「科学的知見に基づく耐震対策は信頼する。国民は原発と共存するしかなく、不信の連鎖は避けたい」と述べた。

直接把握していない
 中部電力広報の話 知事の考えを直接把握していないので、現段階でのコメントは差し控えたい。今後、内容を確認して対応していく。

 浜岡原発のリプレース計画とプルサーマル計画 リプレースは老朽化した1、2号機を廃炉にして、最新鋭の6号機に置き換える計画。中電は当初、2015年の6号機建設開始を目指していたが、福島原発の事故を受けて着工を1年先送りする意向を示している。1、2号機は国の認可を受け、廃炉作業を進めている。使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを発電に再利用するプルサーマルは、4号機で10年度開始予定だったが、県や地元市が求めている新指針に基づく耐震安全性の確認作業が遅れ、実施が延期されている。

静岡新聞   2011年4月23日
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2011年4月23日(土) 原発、津波、ペットつれ出し、よかった
東日本大震災>福島から避難の児童 いじめられけが 長岡
 東日本大震災で、福島県から新潟県長岡市に避難した小学6年の男子児童(11)が、同級生にいじめられ、けがをして入院したことが23日、分かった。

 市教委などによると、児童は震災後に長岡市に避難し、市内の小学校に転校して7日の始業式から登校。19日午前中に同級生に腹をけられるなどして、20日の授業中に嘔吐(おうと)するなどしたため、市内の病院に入院した。腹部の打撲という。

 学校側は21日にPTA総会を開き、保護者らに説明。市教委によると、いじめの原因は、大震災や東京電力福島第1原発の事故による放射能の影響とは無関係という。

 市教委学校教育課は「避難してきた児童を温かく迎えようとしていた中で、つらい思いをさせて大変申し訳ない」としている。【岡村昌彦】

毎日新聞 4月23日(土)12時35分配信
----------------------------------------で環境省、ペット連れ出しを検討
 福島第1原発から20キロ圏内の警戒区域設定を受けて環境省は21日、取り残されている犬や猫などペットの連れ出しなどについて対応を検討していることを明らかにした。

 近藤昭一環境副大臣は同日の記者会見で「連れ出しは(住民の一時帰宅と)同時になるか少し後になるのか、順調に進むよう調整したい。命に関わることなので早めにやりたい」と話した。福島県によると、20キロ圏内にかかる9市町村で、狂犬病予防法に基づき登録されている飼い犬は約5千頭いるが、実際にどれくらい取り残されているかは不明という。

 環境省は、ペットを連れ出せた際の具体的な対応策を日本獣医師会や動物愛護団体などでつくる「緊急災害時動物救援本部」と協議。除染のほか、避難先で飼育できない住民のため、保護先の確保などについても検討を進めている。

産経新聞  2011年4月21日 23:48



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  20キロ圏内の家畜、全額補償へ 農水省方針 2011年4月21日18時21分   朝日新聞
 福島第一原発から半径20キロ圏内の避難指示区域にいる家畜について、農林水産省は畜産農家に対し、評価額全額の補償請求を認める方針を決めた。東京電力と政府で賠償を検討する。

 農水省によると、20キロ圏内には牛農家280戸で計3385頭、豚が8戸で計3万1486頭、鶏が17戸で計63万3千羽いる。

 原発事故で3月11、12日に避難指示が出された際、家畜をそのままにして離れた農家が多かった。1カ月以上たち、出入りして世話をしている農家を除き、畜舎内で餓死している家畜が大半とみられる。畜舎外に放たれた家畜も生息環境は厳しいうえ、放射性物質の汚染で今後の出荷は困難な可能性が高い。

 このため農水省は、この事態は原子力災害対策特別措置法に基づく指示で生じたとして、家畜の全額補償が適切と判断した。

 農水省は近く設定される予定の「計画的避難区域」や「緊急時避難準備区域」について、家畜を福島県外などに移動させる方針を決めている。だが受け入れ先の決定は困難とみられる。(大谷聡)
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-島の言い伝え、命救った」=1142年前の大津波―石碑建て継承・宮城
時事通信 4月23日(土)5時31分配信

 両岸から大津波が押し寄せ、島の中央でぶつかった―。日本三景「松島」の東端にある宮城県東松島市の宮戸島。平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋岸で起きた大地震「貞観地震」をめぐり、島民の間にはこんな言い伝えが残されている。
 ぶつかったとされる場所(標高約10メートル)には石碑が建っており、そこより下は危険とされていた。東日本大震災で約1000人の島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難。津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまった。「先人の言い伝えが命を救った」。近くに住む観音寺住職の渡辺照悟さん(80)はしみじみと語った。
 複数の島民によると、貞観地震では津波で多くの人が命を落としたとみられ、言い伝えは島民の間に浸透。大きな地震が起きると高台に逃げる習慣が身に付いていた。周辺の地名は「二ツ橋」とされており、「二つの津波がぶつかる姿を橋に見立てたのでは」と指摘する声もある。
 今回の津波で多くの犠牲者を出した近くの同市野蒜でも似たような話があった。カキ養殖業高橋勲さん(68)は1960年のチリ地震の際、潮が大きく引いた浜でピチピチと跳ねる魚を発見。手ですくおうとしていたところ、1896年の明治三陸地震の津波を知る長老が「大津波の前兆だ。早く逃げろ」と叫び、助かった。
 高橋さんは「海辺の言い伝えを知っていた漁師は今回も助かった」と振り返る。渡辺さんは「経験を後世に残すため、『平成の石碑』を並べて建てようか」と話した。 

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【原発作業員】疲れ、廊下で仮眠 ロビーにあふれる作業員 Jヴィレッジを取材

 「第1原発行きのバスが出まーす」。拡声器を通した声がロビーに響く。防護服を着て乗り込む人。すぐ脇の廊下で横になって仮眠する人。壁に張られた予定表や線量に関する注意書き。東京電力福島第1原発事故の対応拠点として、作業員と自衛隊員でごった返す「Jヴィレッジ」(福島県広野町など)を共同通信が取材した。

 第1原発から20キロ圏が警戒区域に設定される直前の21日朝、いわき市からJヴィレッジに向かう国道6号は作業着姿の男性たちを乗せたバスやワゴン車で混雑していた。20キロ地点に設けられた警察の検問を通り、Jヴィレッジに入る。

 玄関先には、防護服やヘルメット、手袋などが入った段ボール箱がうずたかく積まれていた。1階ロビーに足を踏み入れると、人、人、人。ぶつからないように気を使う。ロビー、廊下には防護服を着たまま疲れて倒れ込んでいる作業員も。こんなに雑然とした中でも、寝息を立てていた。
 壁を見ると、第1原発敷地内の放射線量に関する最新情報が。「落下ガレキ 雰囲気20 表面40」「ゾウ周辺 20〜30」。単位はいずれもミリシーベルト。原子炉建屋の周辺、取水口付近…いずれも高い線量だ。

 それにしても「ゾウ」とは…。「以前はキリンだったけど、今じゃゾウ、シマウマもあるよ」と、近くの作業員。原子炉建屋に放水する生コン圧送機を、大きさや形に合わせてそう呼んでいるらしい。
 Jヴィレッジからは各地に向けて作業員らを運ぶ定期バスが出ている。乗車管理をする人たちの中には東電の女性社員もいた。第1、第2原発に向かうバス、近隣宿舎に帰るバス。東京直行便もあった。中でも、第1原発行きのバスに並ぶ作業員の顔は、心なしかこわばっているよう。
 「バスの中では窓を開けない」。ロビーの真ん中に立て看板。移動の際の格好についての記載も。防護服、ゴム手袋、全面マスク、靴カバー。雨の日の外作業はアノラックを着用のこと。

 昼食時。3階の講堂は東電社員や作業員の食事場所だ。仕出し弁当やカップ麺を黙々と口に運ぶ。廊下や階段では講堂からあふれた人たちが座って食事をしていた。
 施設では多くの自衛隊員が行き交う。がれき除去のために出動した戦車隊の待機所や、横田基地から来た米軍消防車運用チームの控室もあった。

 サッカー場の一部は、第1、第2原発への補給施設へと様変わり。作業員の一人は、レトルト食品や電子レンジで温めるパックご飯などが山積みになった補給施設前で「一時より、食事はだいぶ良くなりましたよ」と話した。(共同通信)

共同通信  2011年4月22日 
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福島影響?原発論議なし 青森・東通村議選

 原発が立地する青森県東通村の村議選(24日投票)が静かに進んでいる。福島第1原発事故で原発の安全性が深刻な問題になっているが、東日本大震災に伴う自粛ムードもあって表立った原発への主張はなく、盛り上がりを欠いたまま終盤戦を迎えている。

 同村は建設中の東京電力の原発1基と、既に立地し現在は定期検査中の東北電力の1基を抱える。村議選は定数14に対し16人が立候補した。うち現職12人は選挙カーを走らせず、街頭での訴えも自粛。現職、新人、元議員の計4陣営は街頭演説などに取り組む。
 村にとって原子力との共存は、1965年に村議会が原発誘致決議を可決して以来の基本政策。運動自粛についてある現職陣営の幹部は「原発との共存をことさらに強調すれば、観光や海産物に対する風評被害を招く」と語る。
 表立った支持拡大を控える各候補も、原発事故の影響を深刻に受け止めている。別の現職は雇用減などの不安が寄せられていることを指摘し、「支持者を集めて説明している」と話す。
 活発化しない原発論議に、ある新人候補者は「原発を取り巻く国の状況が変わりつつあるのに、選挙で原子力政策が語られないのはおかしい」と強調している。(菅谷仁)

河北新報社   2011年4月22日 
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首都圏、地震起きやすい状態…東大地震研が解析

. 巨大地震
 東日本大震災で起きた地殻変動の影響で、首都圏の広い範囲の地盤に力が加わり、地震が起きやすい状態になっているとの解析結果を、東京大地震研究所のグループが22日、発表した。

解析結果は、大震災後に発生した地震の分布ともほぼ一致している。同研究所では、国の地震調査委員会が今後30年間に70%の確率で起きると予測しているマグニチュード7級の南関東の地震が誘発される可能性があるとして、注意を呼びかけている。

 同研究所の石辺岳男・特任研究員らは、首都圏で過去24年間に起きた約3万の地震で破壊された領域が、東日本大震災でどのような影響を受けるかを解析した。その結果、地震が起きやすくなる力が働く領域は約1万7000で、起きにくくなる領域の約7000よりも多いことが分かった。

 震源が30キロよりも浅い地震は伊豆・箱根を含む静岡県東部から神奈川県西部で、30キロよりも深い地震は茨城県南西部、および東京湾北部から銚子に至る範囲で起きやすくなっていることが判明した。

読売新聞 2011年4月22日 
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 安政東海地震を克明に 蒲原、当時の日記に注目

 東日本大震災を受け、東海地震への警戒感が県民の間に強まる中、江戸後期に発生した安政東海地震での蒲原宿の被害状況を詳しく記した当時の日記に注目が集まっている。日記を保管し、安政地震にも耐えた蔵を改装した「木屋江戸資料館」(静岡市清水区蒲原)の渡辺俊介代表は「蒲原は安政地震で富士川右岸が隆起するなど大きな影響があった土地。歴史から学べることは多いのでは」と話す。

 日記は渡辺代表の先祖で、江戸時代に蒲原宿で名主や郡中総代を務めた19代目守亮(1811〜1858年)が記した。守亮は詳細な日記を残し、江戸後期の宿場の様子を伝える貴重な史料として知られている。

 安政東海地震が起きた嘉永7年11月4日(1854年12月23日)の日記は「五ツ半(午前9時前後)頃、地震ゆり出す」「我居宅皆潰(つぶ)れ」などと書かれ、宿の至る所で家屋が倒壊したことを伝えている。「田畑水を吹き出す 砂石を吹き出す」など地盤への影響をうかがわせる様子や宿の西側の多くが火災になったことも記されている。さらに、大きな地震が安政4年(1857年)にも起きたことや地震後、大雨で山崩れが頻発した様子も記録している。

 渡辺和子館長は「守亮は後世に伝えようと、日記以外にもさまざまな文章を残している。大切な記録を生かしていきたい」と語る。
 同資料館は雨天の日をのぞいた土、日曜、祝日のみ、一般公開している。

静岡新聞   2011年4月22日 
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桜田門外の変の記述も、日記刊行 秋田藩家老が記す、公文書館翻刻

 県公文書館は、幕末期に秋田藩の家老を務めた宇都宮孟綱(たけつな)(1801—91年)の日記「宇都宮孟綱日記」第6巻を刊行した。1858(安政5)年5月から60(万延元)年12月までの16冊を翻刻し収録。

 1858年当時、藩政の中心として秋田と江戸を行き来していた孟綱は、13代将軍徳川家定の死去や14代家茂の将軍就任、日米修好通商条約調印などについて記述。安政の大獄で処罰された大名についても触れている。

 60(安政7)年3月3日に起こった桜田門外の変については、事件後に秋田で報告を受け「天下の形勢がどのようになるのか、薄氷を踏む思いだ」と、世相の先行きに不安を抱いていたとみられる感想を記している。

 定価5千円(税込み)。問い合わせは秋田活版印刷TEL018・888・3500

秋田魁新報社    2011年4月22日 
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アマゾンベストセラー、 2011年4月23日
明治・大正
256.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)
幕末維新
27. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
54. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
64. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2004/3)
82. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
104. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
115. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
125. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
162. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)
163. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
223. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2002/8)
276. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)
358. 龍馬の流儀―幕末を駆け抜けたヒーローの履歴書 星 亮一 (単行本 - 2010/3)



世界中に定められた どんな記念日なんかより
あなたが生きている今日は どんなに素晴らしいだろう
世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより
あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう
(ブルーハーツ 歌「トレイントレイン」 )


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フクシマ 苦悩の地はいま】 南相馬市長の訴え 「国もマスコミも、とにかく現場をみて」
J-CASTニュース 4月21日(木)11時52分配信

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原発から20キロ地点となる福島県南相馬市の道路を封鎖する警察官
 福島県南相馬市を南北にはしる国道6号沿いの「原発から20キロ圏」を警備していたのは、東京の警視庁からの応援組だった。「立ち入り禁止」の立て看板の横には電光掲示板もあり、赤字の「通行止」の文字が点滅していた。

 近付いてきた警察官2人がつけていたのは、防護マスクではなく、普通のマスクだった。ここは、避難指示区域の20キロ圏ラインからどれくらい離れているのかと質問すると、「ここがまさに20キロです」と警察官の1人がこたえた。

■「中に入らないのも復興支援のうち」

 2011年4月19日昼過ぎ、小雨の中、警察車両のバンと「青バス」各1台が1車線を完全に塞ぎ、残る1車線は赤い三角コーンを並べ、関係車両の通行を調整していた。

 警察官は「法律的に強制的に(20キロ圏の)中に入らせない、というわけではないのですが、中に入らないのも復興支援のうち、ということでご理解下さい」と説明した。「心臓病の薬が切れそうで、新しく手に入らない。家に置いてきた薬をとりに行きたい」。こんなケースだと20キロ圏内入りを認められる場合もあるが、それは例外だそうだ。

 警備地点は、国道6号と細い道の交差点のすぐ奥だ。細い道を右折して数十メートル進むとまた細い道との交差点があり、そこでも警察車両1台が20キロ圏側へ進入できないよう警備していた。

 南相馬市は、福島第1原発の北部にあたり、20キロ圏内の避難指示区域、20−30キロ圏の屋内退避区域(うち一部は新たに計画的避難区域、残りの大半は緊急時避難準備区域へ移行見込み)、30キロ圏外と分断されている。

■コンビニ営業時間は10時から20時まで

 「放射線量が高く、危険なのではないか」との「風評被害」から一時、市内へ物資を運ぶ車両が激減した。桜井勝延市長(55)がユーチューブの動画に登場し、物流関係者もマスコミも市内へ入ってこないと窮状を訴え、国境も越えて高い注目を集めた。

 また、原発だけでなく、沿岸部は大規模な津波被害を受けた。いわば二重の苦しみを味わっているわけだ。市によると4月19日朝現在で、死者485人、不明者989人。

 市役所は、屋内退避地区にある。4月19日午後市役所1階で、視察に出る途中の防災服姿の桜井市長は、「今晩は隣の飯舘村で泊まる予定」と説明する記者に、「そりゃだめだあ。南相馬で泊まらんと」と冗談めかして話し、車に乗り込んだ。続きは、阿部貞康・市長公室次長兼秘書課長(56)が説明した。

 阿部次長によると、物流は4月に入ってやや改善し、20-30キロ圏の屋内退避区域では、コンビニエンス・ストアや飲食店の一部が営業を始めた。しかし、まだ大手スーパーは開いておらず、新聞も配達されない区域が結構ある。

 市内を車で走ると、屋内退避地区では、コンビニや牛丼チェーン店、ガソリンスタンドで営業している店も少なくはない。しかし、休業中の店舗も目立つ。

 コンビニの品揃えも店によりまちまちで、2リットル入りミネラルウォーターやカップ麺、おにぎり、缶ビールも比較的豊富な店もあれば、2リットル入りミネラルウォーターが売り切れ、パン・菓子類がほとんどないところもあった。

 数件のコンビニに話をきいた。営業を再開したのはどこも10日ほど前。営業時間は「10時から20時まで」と限定している。ちなみに、首都圏で一時品不足になったヨーグルトは、南相馬市でもあまり見当たらなかった。ただし、隣の飯舘村や福島市の福島駅周辺のコンビニでは、数種類のヨーグルトが潤沢にあった。

 政府は4月22日、避難指示が出ている、福島第1原発から半径20キロメートル圏内を、立ち入りを原則禁じる「警戒区域」とする。 阿部次長は、マスコミに対し「政府が決定した事項なのか、それとも数ある検討案のひとつなのか、勿論峻別して報道されているとは思うが、より分かりやすく、まだ方針なのか決定事項なのかを明確に報道して頂けると、市民が混乱することが減ると思う」と注文をつけた。

■大手全国紙のうち2社はほとんど電話取材

 市役所3階の記者室を約2時間の間隔をあけて2回のぞいてみた。いずれも電気は消え、記者の姿はなく、2つある作業机と2つのテーブルの上にはパソコンなどもなかった。ある市職員によると、原発事故後、大手全国紙のうち2社は「市役所に記者が来たことは、あるにはあるがほとんど電話取材」、もう1社は「たまに来ている」そうだ。地元紙は頻繁に姿を見せている。

 市役所1階は、被災証明などを取りに来た市民らがひっきりなしに出たり入ったりしていた。マスク姿の人の割合は、特別目立つというほどでもない。ある女性(61)は、一時福島市へ避難したが、「南相馬より(50キロ以上離れた)福島市の方が発表される放射線量の数字がなぜか高くて…」という理由からほどなく自宅へ戻ってきた。物資の状態については、「市外への買出しに行かなくても何とかなっている」という。市によると、人口7万1000人のうち、現在は約3万5000人が市内にいる。

 視察から市役所へ戻った桜井市長にあらためて話を聞くと、市長は「国関係者もマスコミも、とにかく現地をみてほしい。現場の実情を認識し、事態は毎日のように変わっているということも知ってほしい」と静かに話した。

 南相馬市などから避難した子どもたちが、避難先で「放射能がうつる」などと非科学的な差別を受けている実情もあると指摘し、「悲しくなります。こうしたことが起きないよう、何ができるのか、何をすべきなのか、多くの人に考えてほしい」とも訴えた。(文・J-CASTニュース編集部、写真・会田法行)
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2011年4月22日(金) 原発、津波
福島第1原発:知事「再稼働ありえぬ」 謝罪の東電社長に


福島県の佐藤知事(右)と面会し、福島第1原発の事故について謝罪する東電の清水社長=福島県庁で2011年4月22日午前10時、須賀川理撮影
 東京電力の清水正孝社長は22日午前、福島第1原発の事故後初めて、福島県庁で佐藤雄平知事に面会し「甚大な被害をもたらし、深くおわびしたい。『築城十年落城一日』を肝に銘じて取り組んできたが痛恨の極み」と謝罪した。佐藤知事は険しい表情で「県民は不安でいっぱい。補償問題にしっかり取り組んでほしい」と求めた。

 また、佐藤知事は県民が風評被害や避難生活を強いられていると訴えて「言っておくが(福島第1、第2原発の)再稼働はありえない」と断言した。

 清水社長は11日も福島県を訪れたが、佐藤知事は「事故収束に全力を注ぐべきだ」と面会を拒否した。今回は17日に東電が原発事故収束に向けた工程表を発表したため「実行を約束してもらえるということで謝罪を受けることにした」という。

 会談は約15分間。清水社長には、武藤栄副社長(原子力・立地本部長)らが同行した。

 清水社長は午後、会津若松市、郡山市、会津美里町(原発がある大熊町、富岡町、楢葉町が住民と役場機能を移転させた地域)をそれぞれ訪問し、町長や避難者に謝罪する。【種市房子】>


「津波てんでんこ」か集団避難か 陸前高田
毎日新聞 4月22日(金)12時3分配信

住民が避難した気仙成田山から見下ろす市街地。津波は目前まで迫った=岩手県陸前高田市気仙町町裏で2011年4月21日、酒井祥宏撮影
 震災被災地の岩手県陸前高田市で、多くの区長や町内会長が死亡・行方不明になっていることがわかった。市が3月末時点で集計したところ、区長だけで計13人に上った。市沿岸部は全町内会で自主防災組織が結成されており、高齢者らの逃げ遅れがないよう点呼や避難誘導に当たるうちに津波に流されたとみられる。「津波てんでんこ」の言い伝えが残る同地で、地域が災害弱者を守る難しさが改めて浮き彫りになっている。【長野宏美、酒井祥宏】

 陸前高田市によると、市内は105の行政区があるが、区長が死亡・行方不明になったのは沿岸部や川沿いなどの区。このほか住民の証言によると、行政区とエリアが異なる町内会でも、複数の町内会長が死亡・不明になっているが、詳細はわかっていない。

 地震が発生してから津波が市街地に流れ込むまで約37分間あり、この時の行動が生死を分けた。同市高田町に住んでいた山口晃司さん(76)の地元では災害発生時、住民がいったん「森の前会館」に集合し、点呼をとる手順になっていた。しかし「町内会長が津波にのまれたと聞いた。まじめに点呼をとって次の行動に備えていたと思う」(山口さん)という。

 山口さん自身は地震発生後、高台に避難する住民たちにつられて後を追い、津波の難を逃れた。「点呼は高齢者や子どもに逃げ遅れがないか確認するためで大事なことだが、一般の災害には良くても、津波には当てはまらない」と言う。

 同市気仙町の荒町地区では約65軒のうち、津波で坂の上の2軒しか残らなかった。地震発生後、住民たちはいったん平屋の公民館に避難したが「津波の危険がある」と高台にある寺院、気仙成田山へ向かうことになった。

 「みんな、こっちに避難して!」。農林業の佐藤直志さん(77)は、消防団員だった長男昇一さん(47)の叫び声を覚えている。住民たちを気仙成田山へ誘導した町内会長と昇一さんは再び公民館に戻り、足の悪い高齢女性を背負って再び寺に向かった。佐藤さんはその様子を高台から見ていたが「津波にあっという間に追いつかれてしまった」。ぼうぜんと濁流を見送るしかなかった。

 ◇高齢化進みルール化

 古くから「津波てんでんこ」と語り継がれる三陸地方だが、住民の高齢化が進むにつれ、災害時の集団避難が各地域でルール化したとみられる。陸前高田市によると、市内116町内会の8割以上が自主防災組織を作り、特に沿岸部は全町内会が結成していた。

 今回被災した住民からは「やはり『津波てんでんこ』は正しかった」との声も聞かれるが、佐藤さんたちと気仙成田山に避難した熊谷和子さん(72)は言う。「一人で逃げられない人を取り残すわけにはいかない。集団行動が間違っていたとは思えない」

 ◇ことば 津波てんでんこ

 津波が来る時は家族にも構わず、てんでんばらばらになって必死に逃げろという教訓。過去に何度も津波被害に遭っている三陸地方に言い伝えられている。
・南相馬市長ら選ばれる=「影響力ある100人」―米タイム誌
時事通信 4月22日(金)6時8分配信
 【ニューヨーク時事】米誌タイムは21日、毎年恒例の「世界で最も影響力ある100人」を発表し、東日本大震災の被災地、福島県南相馬市から動画共有サイト「ユーチューブ」を通じて住民の窮状を訴えた桜井勝延市長がその一人に選ばれた。
 桜井市長は動画で「(福島第1原発事故で)屋内退避措置の中にいる市民は兵糧攻め的な状況に置かれている。ご支援をお願いしたい」と呼び掛けた。同誌は「彼の訴えは世界中で反響を呼び、能率の良さで知られる国が弱い立場の市民の力になれなかった現実を多くの人に考えさせた」と指摘した。
 また、宮城県南三陸町の公立志津川病院で、津波が迫る中、入院患者を階上に避難させ、診療を続けた医師、菅野武さんも選出された。
 このほか、オバマ米大統領や、内部告発サイト「ウィキリークス」創始者ジュリアン・アサンジ氏、リビア最高指導者カダフィ大佐の次男セイフイスラム氏らも名を連ねた。 
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東電社長、知事に直接謝罪=福島原発事故後初めて
時事通信 4月22日(金)10時13分配信
 東京電力の清水正孝社長は22日午前、福島県庁に佐藤雄平知事を訪ね、福島第1原発の放射能漏れ事故について「大変なご迷惑をお掛けしていることを深くおわびする」と謝罪した。事故後、清水社長が知事と面会したのは初めて。これまでも知事に直接会って謝罪したい意思を示してきたが、面会を断られたり、不在だったりしたため会うことができなかった。
 同日午後には、原発から20キロ圏内の富岡町の住民らが避難している郡山市の避難所を訪問し、初めて原発周辺の住民に直接謝罪する。 

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福島ナンバー拒否、教室で陰口…風評被害に苦悩

 東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故で、福島県から県外へ避難してきた住民らが、心ない仕打ちを受けるケースが相次いでいる。
長期にわたる避難生活を強いられている被災者が「人への風評被害」にも苦しめられる事態に、識者は「科学的に全く根拠のない風評被害だ」と冷静な対応を求めている。

「福島県から来たことを隠しますか」。福島県南相馬市の男子児童は千葉県内の小学校への転入手続きで、教師からこう聞かれた。母親は意味がよく分からずに「隠さなくていい」と答えた。男児の席は教卓の前で左右は空席になっていた。

日本弁護士連合会によると、母親は弁護士に相談し、「原発事故による一時転入なので学校に改善を求めると子供が居づらくなる」と話したという。
南相馬市から群馬県へ避難した小学生の女子児童は、「福島県から来た」とクラスの子供から避けられたり、陰口を言われたりして不登校になった。
千葉県船橋市教委は、南相馬市から来た小学生の兄弟が嫌がらせを受けたとする連絡があり、「子供たちに避難者の気持ちを考えるよう指導するように」と小中学校に通知を出した。

福島県いわき市の運送会社は、「放射能の問題があるので、いわきナンバーで来ないでほしい」という取引先の依頼を断れず、東京都や埼玉県でトラックを借り、荷物を積み替えている。社長(61)は「取引先から『いわき』ナンバーで来るなと言われたら従わざるを得ない。何とも理不尽だ」とため息をつく。

福島県田村市に工場を持つ埼玉県の会社は、福島ナンバーの車に乗った社員が首都圏のガソリンスタンドなどで利用を拒否され、埼玉県内ナンバーを使うよう指示した。

読売新聞 2011年4月21日 
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宮古、潮位下がった後に大津波 時速115キロの猛スピード

 東日本大震災で岩手県宮古市の重茂(おもえ)半島を襲った津波は、上昇した潮位がいったん下がった後、高い波が時速約115キロの猛スピードで押し寄せていたことが21日までに、岩手県立博物館(盛岡市)の大石雅之首席専門学芸員が入手した連続写真の分析で分かった。

 大石さんは「大震災では、津波が一度引いた際に自宅に貴重品を取りに帰ったり、漁港の船に戻ったりした人が犠牲になった。一連の写真は、この実態を裏付ける資料」としている。

 写真は大震災当日の3月11日、重茂半島の川代地区の漁港を撮った67枚。地元の植物研究家大上幹彦さんがデジタルカメラで撮影した。

 地震発生から約23分後の午後3時9分ごろから潮位が上がり始め、同12分に漁港の防波堤が水没したが、同16分には水位が下がって再び防波堤が姿を見せている。

 しかし、地震発生32分後の同18分、約800メートル沖の岬の部分に白波が現れ潮位が再び上昇。津波が猛スピードで岸に到達した。津波が岬から海岸に達するまで約25秒なので、速度は時速約115キロになる。

 津波は繰り返し押し寄せ、水深が浅くなると速度が遅くなるため、前の波に後ろからの波が追いついて折り重なり急激に高くなるという。

 重茂半島の姉吉地区では、陸地の斜面をさかのぼった津波の高さ(遡上高)が過去最大規模の38・9メートルに達している。

共同通信  2011年4月21日 
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死亡・不明2万7601人 東日本大震災

がれきの中で進められる電話線の復旧工事=20日、岩手県大槌町
 東日本大震災の死者は21日午後3時の警察庁のまとめで、12都道県で1万4094人、行方不明者は6県で1万3507人となった。死者・不明者は計2万7601人。

 被害が大きかった3県の死者は、宮城8541人、岩手4068人、福島1422人。不明者は宮城7785人、岩手3759人、福島1959人。

 原発事故の影響などによる避難も含め、18都道県に設置された約2500カ所の避難所に約13万3千人が身を寄せている。
共同通信   2011年4月21日 
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福島第1原発:県産野菜がネットで大人気

 福島県の農家が福島第1原子力発電所の事故の影響で風評被害に悩むなか、全国の消費者がインターネットを通じ福島産の農産物を直接購入する動きが広がっている。JA全農福島のネット販売は、米や野菜、農産物加工品など約20品目すべてが例年以上の注文を受け、中には品切れになった商品も。市場を介した小売りは値崩れする傾向にあり、価格に変化がないネット販売が地元農家の心強い味方になりつつある。

 ◇ジュース品切れ トマト取り扱い3倍
 JA全農福島によると、ネット販売している果汁ジュース「福島桃の恵み」が19日、品切れになった。例年、夏に収穫して9月から製造を始めるが、4月の段階で売り切れたのは過去に例がない早さで、ほかに在庫がないかを確認している。

 また、水耕栽培のトマトを販売するいわき市の「とまとランドいわき」では、ネット販売の取扱件数が例年の約3倍になっている。原発事故の前後で、価格は変わっていない。市場や仲卸業者を介した販売が例年の半額以下で取引されている状況と対照的だ。

 とまとランドいわきは原発から約35キロの地域にあるが、すべてがハウス栽培のため、自主的に検査した放射線量にも問題はみられなかったという。

 事故直後、35人の全従業員はいったん退避し、3月17日から営業再開したが、市場や仲卸業者から出荷を断られる状態が1週間続いた。

 ◇激励メール・手紙800通
 だが、その間に苦境を知った各地の消費者からの注文が次第に増え、今では3割がネットによる直接販売が占めるようになった。「風評に負けずにこれからもおいしいトマトを作ってください」などと激励するメールや手紙も約800通寄せられているという。

 元木寛専務は「消費者からの応援で何とか経営できている。ありがたい。でも、やはりメーンであるスーパーや小売店でも適正価格で売ってほしい。『福島産』というだけで安く売られる状況は厳しい」と話している。【袴田貴行】

毎日新聞 2011年4月21日 
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アマゾンベストセラー、 2011年4月22日
明治・大正
232.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)
幕末維新
24. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
54. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2004/3)
61. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
74. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
93. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
111. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
145. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
149. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)
150. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
162. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
206. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一
258. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)
329. 龍馬の流儀―幕末を駆け抜けたヒーローの履歴書 星 亮一 (単行本 - 2010/3)
363. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)



そんな気にしないで 顔上げて
大丈夫 前見て前見て 歩きだそう
生きてく力が出ないとき
そんな時 明日を信じて頑張るよ
(B-DASH 歌「情熱たましい」)


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2011年4月21日(木) 津波、原発「早く帰らせてくれ」…避難所で首相に怒号
読売新聞 4月21日(木)13時26分配信

 菅首相は21日、福島県の佐藤雄平知事と会談後、福島第一原発周辺の住民らが避難する同県田村市の市総合体育館を訪れた。

 菅首相が姿を現すと、約50人の避難者からは「早く原発を抑えてくれ」「早く、うちへ帰らせてくれ」と怒号が上がった。

 避難住民の一人、同県葛尾村の東海林みゆきさん(51)は、菅首相の去り際に「早く家に帰らせて」と窮状を訴えた。首相は「全力を尽くします」と応じたという。東海林さんは「どんな思いで生活しているか、わかってほしかった」と声を詰まらせた。

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海に流れた汚染水、総量で4700兆ベクレル
読売新聞 4月21日(木)12時2分配信
 東京電力は21日、福島第一原子力発電所2号機の取水口付近から海に流出した高濃度汚染水の総量に関する推計を発表した。

 推計によると、今月1日から、固化剤の注入などによって流出が止まった6日までに約520トンが海に流れ込んだ。汚染水に含まれていた放射性物質の総量は、ヨウ素やセシウムなどの合計で約4700テラ・ベクレル(テラは1兆)に上った。

 4、5日に集中廃棄物処理施設などから海に緊急放出された低濃度汚染水約1万トンの放射性物質の総量は0・15テラ・ベクレル。今回の量は約3万1000倍になる。

 東電は、1日以前に付近を見回った作業員が水音を聞いていないことから、流出が始まったのは1日の昼頃と判断した。放出された放射性物質の内訳は、ヨウ素131が2800テラ・ベクレル、セシウム134と137がそれぞれ940テラ・ベクレル。、58%に低下=日本は39%―世論調査


時事通信 4月21日(木)8時51分配信
 【パリ時事】フランス人の58%が原子力発電に賛成しているものの、その割合は東日本大震災前の66%から低下したとする世論調査が20日、同国テレビで公表された。電力供給の約8割を原発に依存する「原発大国」フランスだが、福島第1原発の事故を受け、信頼が揺らいだ。
 AFP通信によれば、調査は事故後に47カ国で実施された。原発への支持率が最も高かったのは中国で、70%。韓国が64%、ナイジェリアが63%、ブルガリアとチェコが各61%でこれに続く。
 原発反対はオーストリアの90%を筆頭に、89%のギリシャ、80%のグルジアなどが高率。原発計画の無期限凍結を決めたイタリアは75%、反原発を掲げる「緑の党」が支持を伸ばしているドイツでも73%が反対と回答した。
 日本では事故前に62%だった原発支持が39%にまで急低下。米国は支持が47%、ロシアは52%と、賛否が拮抗(きっこう)している。

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菅総理福島入り、知事と会談=原発の避難所も訪問
時事通信 4月21日(木)9時51分配信

 菅直人首相は21日午前、自衛隊ヘリで福島市入りし、福島県庁で佐藤雄平知事と会談した。東京電力福島第1原発から20キロ圏内の避難区域を、法的に立ち入りを禁じる警戒区域に指定する方針を伝達。原発周辺住民が避難している施設も視察し、午後に帰京する。
 立ち入り禁止措置は、貴重品などを取りに避難区域の自宅に戻る住民が相次いだため、安全確保の面から県が国に要請していた。政府は22日にも指定する方向で調整中だ。首相は、住民が強く希望している一時帰宅の準備状況も説明する。
 知事との会談後、首相は、第1原発がある大熊町の住民らが避難生活を送る田村市内の体育館や、第2原発を抱える富岡町と同町に隣接する川内村がともに役場機能を置く郡山市の多目的施設「ビッグパレットふくしま」を訪問。避難住民の要望を直接聞き、原発事故の収束を急ぐ方針を伝える。 

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-住民4割が避難先不明…役場移転の8町村
読売新聞 4月21日(木)3時7分配信

拡大写真
読売新聞
 東京電力福島第一原子力発電所(福島県大熊町、双葉町)の事故に伴い、避難指示や屋内退避の区域にあった役場の機能を移転させた福島県内の8町村では、人口の4割近くの住民の所在が確認できていないことが20日、読売新聞の調べでわかった。

 県外の親戚や知人宅などに身を寄せているケースが多いとみられ、各町村では「このままでは義援金や住民サービスを受けられなくなる」として連絡するよう呼びかけている。

 福島県などによると、8町村の人口は計約7万3000人だが、8町村が把握しているのは約4万7000人で、約2万6000人の所在がつかめていない。

 楢葉町は、約100キロ離れた同県会津美里町に役場機能を移し、町民の多くも同町といわき市に避難。町職員は避難所の名簿などを基に所在確認に追われているが、人手が足りず、人口の半数近い3500人の所在がわからない。「県外に自主避難している場合、把握は難しい」という。
最終更新:4月21日(木)3時7分

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ソフトバンク孫社長 「自然エネルギー財団」設立へ 科学者100人集めて政府に提言
産経新聞 4月20日(水)17時49分配信

 ソフトバンクの孫正義社長は20日、太陽電池など環境エネルギーの普及を促進するため、「自然エネルギー財団」を設置すると発表した。世界中の科学者ら約100人に参加を促し、政府への政策提言などを行うという。

 同日午後、開かれた民主党の復興ビジョン会合で明らかにした。

 孫社長は福島第1原発の事故を受け、自然エネルギーへの転換を主張。東日本大震災の被災地域を中心に「東日本ソーラーベルト」を作る構想などを提案したほか、普及促進策として自然エネルギーで発電された電力の全量買い取り制度の導入も求めた。

 孫社長は「太陽電池の輸出国として世界最大のソーラーベルトを作ろう。もう一度日は昇る。希望あふれるビジョンを作ろう」と語った。

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毎日新聞


-孫正義氏:脱原発の財団設立 10億円を拠出し政策提言へ

ソフトバンクの孫正義社長 ソフトバンクの孫正義社長は20日、民主党の東日本大震災復興ビジョン検討チームの会合に出席し、原発依存から脱して自然エネルギーによる発電を推進するための政策提言を行う「自然エネルギー財団」を設立することを明らかにした。

 孫氏によると、社長を離れた個人の立場で財団に少なくとも10億円を拠出する。

 孫氏は会合で、津波による甚大な被害を受けた地域の復興計画として、太陽光と風力による発電設備を大々的に整備する「東日本ソーラーベルト構想」を提案。自然エネルギーで発電された電力の買い取り制度の大幅拡充も求めた。

 孫氏は財団設立に関して「原発事故で多くの国民が不安を抱いている。安心、安全な自然エネルギーを日本にもっと増やせるように、世界の科学者100人くらいの英知を集めたい」と説明した。財団は数カ月以内に設立する。

 財団は、太陽光、風力、地熱発電などの研究に取り組む各国の科学者や企業の研究成果を収集・発信するとともに、政府に対して自然エネルギー普及に向けた提言をしていく。

 2011年4月20日 

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3800人の行方なおつかめず 県内、がれきで捜索難航

 県内は19日の県まとめで、東日本大震災の死者が4千人を超えた一方、ほぼ同数の約3800人の行方が今も分かっていない。がれきに阻まれる捜索は陸海ともに難航し、遺体の発見は一日数十人ペースに落ちている。「海に流されたのではないか」と危惧する家族。一方で、行方不明者の集計方法は自治体ごと統一されておらず、人的被害の全容はなかなか明らかにならないことも課題となっている。

 ガシャ、ガシャン。倒壊した家屋や折れた電柱が大きな音を立てて撤去されていく。「陸で見つかれば、まだまし。海だといつ見つかるか分からない」。約1千人の行方不明者がいる大槌町に茨城県つくば市から母を捜しに来た山瀬明子さん(41)は、実家のある吉里吉里地区の捜索を固唾(かたず)を飲んで見守った。

 母の石川静子さん(72)は長男と2人暮らし。20年ほど前に夫に先立たれ、女手一つで子どもを育て上げたしっかり者。面倒見のいい性格が災いしたのか「知人を捜していて津波にのまれたらしい」と避難者から聞いた。

 だが、釜石市と大槌町の遺体安置所を回っても姿は見当たらない。山瀬さんは「亡くなっているなら見つけてあげないと気持ちの収まりどころがない」と表情に焦りが浮かぶ。

 家族を捜す悲痛な思いは震災当初から変わないが、捜索も苦戦が続く。震災発生から1週間で収容した遺体は一日130〜600人だった。県によると19日は前日比で28人増えるにとどまり、ここ1週間は同様の数となっている。

 がれき下の捜索は、広範囲にわたる撤去作業が前提で時間がかかる。陸上の捜索に当たっている自衛官の中には「海にも多くの遺体があるのでは」という声がある。一方、ある潜水士は海底のがれきに阻まれ、発見した遺体にたどり着けなかった時もあったという。

 懸命の捜索が続く中、自治体も行方不明者の把握に頭を悩ませている。県によると、県内の行方不明者は19日現在3822人。厳密には「少なくとも」のただし書きがつく。

 庁舎が被災した陸前高田市は捜索願のない人は行方不明に含まれない。一家全員が被災し届け出が困難となっているケースも想定される。住民基本台帳で確認しながらも、被災地を離れて生活するなど安否確認が難しくなって、全容をつかみ切れていない自治体もある。

【写真=懸命に行方不明者を捜す捜索隊。県内ではいまだ約4千人が見つかっていない=大槌町吉里吉里】

岩手日報  2011年4月20日 



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つくば市、放射線検査を要求 福島の転入者、抗議で撤回

福島第1原発事故などにより福島県から避難してつくば市に転入する人に対し、市が放射能汚染の有無を調べるスクリーニング検査を受けた証明書の提示を求めていたことが19日、分かった。転入者からの抗議を受け今月11日から証明書の提示は求めていない。

市によると、市市民課は3月17日、福島県から転入手続きに訪れた人に対しては証明書の提示を求めるよう担当する窓口職員に通知。検査を実施していない場合は、土浦保健所(土浦市)や市消防本部などで検査の実施を促していた。

今月11日、宮城県仙台市から転居してきた男性(33)が市の大穂窓口センターを訪れた際、女性職員が通知の内容を勘違いして証明書の提示を求め、男性が抗議して問題が明るみとなった。

市原健一市長は「検査は強制ではなく、避難者や市民の不安を取り除くために実施した。誤解を与える結果となり、配慮が足りなかった」と語った。市は震災後、福島県からの避難者をつくば国際会議場や洞峰公園で最大約600人受け入れるなど被災者を支援してきた。

茨城新聞  2011年4月20日 
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原発周辺住民15万人、政府が被ばく量調査へ

. 福島原発
 細川厚生労働相は20日の衆院厚生労働委員会で、東京電力福島第一原子力発電所の事故対策として、同原発周辺住民を対象に被曝(ひばく)量などを調べる健康診断を行う方針を表明した。

政府は対象となる住民を、〈1〉避難指示が出ている20キロ・メートル圏内〈2〉政府が指定する予定の20キロ・メートル圏外の「計画的避難区域」や「緊急時避難準備区域」――の計約15万人とする方向で具体的な実施方法の調整を進めている。

 細川氏は同委で被曝量調査の必要性について、「住民の健康管理と、今後どのような形で避難地域を決めていくかということで大変大事なことだ」と指摘した。実施時期については「内閣府と経済産業省、文部科学省、放射線医学総合研究所などと協議を進めており、早急に結論を出す」と述べた。

読売新聞   2011年4月20日 
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4月20日付 よみうり寸評
 震災死者の92%は水死。警察庁発表の検視結果は「津波さえなければ」という多くの思いを裏付けた◆うち身元が判明した人の65%が60歳以上。ほとんどの犠牲者が津波で死亡、多くの高齢者が逃げ遅れたことをうかがわせる。歴史的に津波を何度も体験、意識も高い三陸沿岸だが残念だ◆新たな体験で新たな防災対策を打ち立てよう。早く高い所へ逃げる。個人レベルではこの素朴な反応を日ごろから心がけておきたい。〈津波てんでんこ〉という故知もその一つの表現だろう◆巨大地震に大津波の追い打ちが今回の震災の象徴だが、これに原発事故、さらに風評を加えて、被害は〈四重苦〉と言える。加えての二つは明らかに人災だ◆風評はとくに個人の判断、心構え、性向などで大きく左右される。いらざる買い占めの一方で、危険でもない野菜や魚まで誤った産地の先入観で買い控える◆福島県民が旅館やホテルの予約を断られた。県外へ避難した子が放射能を理由にいじめられた。〈一犬虚に吠(ほ)えれば万犬吠える〉。

読売新聞 2011年4月20日
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アマゾンベストセラー、 2011年4月21日
明治・大正
201.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
33. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
49. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
59. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (2004/3)
80. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
93. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
100. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)

128. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一
132. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
186. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一
235. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)
241. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)
286. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
306. 龍馬の流儀―幕末を駆け抜けたヒーローの履歴書 星 亮一 (単行本 - 2010/3)
332. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)


落ち込んでる君に かける言葉見つからない
考えてみたところで 君の気持ち分かるはずもなく
頑張れって言ったって 気休めにもなりゃしない
だけど今は声を枯らして願いをかけたら
少しでも力になれると思うから

(西田遼二  歌 「君に幸あれ」)


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東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県北沿岸部のJR気仙沼線(72.8キロ)の復旧の見通しが立たず、沿線住民に不安が広がっている。とりわけ気仙沼線が唯一の鉄道だった南三陸町では、代替バスなどがないうえ多くの住民が津波で車を流されたこともあり、通院や通学への深刻な影響が出始めている。「町は『陸の孤島』になってしまうのか」。交通弱者である高齢者や子供を中心に、地域の「足」の回復を望む声は根強い。(佐藤裕介)(産経新聞)
[記事全文]
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2011年4月20日(水) 地震、津波
原発賠償、国が数兆円規模の公的資金を用意
読売新聞 4月20日(水)3時3分配信

 東京電力福島第一原子力発電所の事故の賠償策を巡り、政府と東京電力が新設を検討している「原発賠償機構(仮称)」の詳細が19日、明らかになった。

 国が賠償原資として数兆円規模の公的資金を用意し、十分な支払い能力を持たせる。東電は、賠償金が巨額になった場合に機構から資金を調達して被災者に支払い、その後の長期間、機構に返済し続ける。国は、東電の返済が滞らないよう、事実上の公的管理下に置いて経営を監視する方針だ。

 関係者によると、財務、経済産業、文部科学の各省と、東電などが賠償策の最終調整に入っている。

 賠償機構は、今回の原発事故の賠償金をためておく「特別勘定」と、将来の原発事故に備えて電力各社が拠出する「一般勘定」を設ける。

 国が数兆円を用意するのは「特別勘定」で、交付国債を機構に交付し、必要な時に必要な額を現金化できるように準備しておく。 <東日本大震災>「お父さん、ありがとう」妻の声津波に消え
毎日新聞 4月20日(水)10時16分配信
 東日本大震災の津波で数百人の行方不明者が出たにもかかわらず、福島第1原発の事故に伴う避難指示で1カ月以上捜索が実施されなかった福島県浪江町請戸(うけど)地区。津波に遭い、九死に一生を得た男性の耳には、自分への感謝の言葉とともに波間に消えた妻の声が残る。「一刻も早く見つけてほしい」。男性は14日に始まった捜索の行方を祈るように待ち続けている。

 「真っ黒い波が数十メートルの高さに立ち上がり、一気に倒れてきた」。海岸から数百メートル先に住む無職、熊川勝さん(73)は目前に迫る大波に度肝を抜かれた。妻洋子さん(73)の手を引いて2階に駆け上がったが水位はみるみる上がり、洋子さんを抱えて顔を出すのがやっとになった。死を覚悟し「これまで、ありがとな」と呼び掛けると、洋子さんはうなずいて唇を動かした。「お父さん、ありがとう」

 もう一度、熊川さんが「2人で孫3人の名前を呼んで終わりにしよう」と声を掛けた直後に強い衝撃があり、洋子さんが沈んだ。必死で手をたぐったが、渦巻く波に引き込まれていった。熊川さんは着ていたジャンパーが偶然浮袋代わりになり、天井と屋根の隙間(すきま)で息ができた。引き波で家ごと沖に向かって流されかかったが、橋桁に飛び移って助かった。その間、ずっと洋子さんの名を叫び続けた。

 その後、身を寄せた県内の親族宅も原発事故の深刻化でいられなくなり、横浜市の長女(42)の元へ。だが、原発から約5キロの請戸地区には捜索が入らないままで「原発内で(復旧の)作業している人もいるのに、何で警察も自衛隊も助けに行かねんだ」。もどかしさが募った。

 今月14日。警察の捜索がようやく始まり、熊川さんはすぐ福島に戻った。洋子さんが最後までつかんでいたジャンパーを着て、日々、遺体安置所や遺留品写真の掲示所を回る。もし、捜索が打ち切られたら自分で捜しに行くつもりだ。「女房は『金婚式の時は、日光の紅葉を見たい』と楽しみにしていた。秋には骨つぼ抱いて紅葉見に行ぐんだ」【大場弘行】




1原発に調査団派遣へ=工程表を評価―IAEA
時事通信 4月20日(水)6時55分配信

 【ベルリン時事】国際原子力機関(IAEA)のフローリー事務次長は19日、ウィーンの本部で記者会見し、事故を起こした福島第1原発の状況を調べるため、日本側の要請に応じて専門家で構成する調査団を派遣し、現地調査を実施する方針を明らかにした。
 調査団は原発の安全性を協議する6月20〜24日の閣僚級会合の前に派遣する。具体的な日程は日本側と調整中。福島第1原発だけでなく、福島第2原発や宮城県の女川原発も調べ、日本側に今後の取り組みを提唱する。
 IAEAは2007年の新潟県中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発にも調査団を派遣した。
 フローリー事務次長は、東京電力が事故収束に向けた工程表を発表したことについて、「前向きな措置」と評価。工程表通りに進めば「放射性物質の放出量はどんどん減っていく」と述べ、最終的な総放出量は現在とほとんど変わらないとの見方を示した。 

<東日本大震災>先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず

 東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400〜500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。

 国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津波を想定して道を敷いた可能性は高い」と指摘する。

 同平野は明治以降も繰り返し津波に見舞われた三陸海岸と比べ、津波被害の頻度が少ないとされる。慶長津波の浸水域は明らかになっていないが、内陸約4キロの山のふもとまで船が漂流したとの記録がある。東北大の別の研究チームによれば、今回の津波は海岸線から最大5キロ程度に達し、平安時代の貞観地震(869年)の浸水域をやや上回った。

 平川教授は「残念ながら明治以降の開発において、津波の経験は失われた。復興のまちづくりは災害の歴史を重視して取り組んでほしい」と話している。【八田浩輔】

毎日新聞  2011年4月19日 
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2011年4月19日(火)
「震災に負けるな」水戸の街にポスターや横断幕続々

仕掛け人「市民励ましたい」

東日本大震災から1カ月余り。いまだに余震が頻発し、県民の心を不安で揺さぶる。そんな中「震災に負けるな」「頑張ろう」と市民を勇気づけるメッセージが、震災数日後から道路沿いの店舗などに掲げられている。“仕掛け人”たちに共通するのは「自分たちが元気になって、市民を励ましたい」という前向きな思いだ。水戸の街でそんなメッセージを拾った。

震災から約2週間後の3月24日と約1カ月後の9、10の両日、水戸市内の商店街を歩いた。目に付くのは各店舗がそれぞれ工夫を凝らした文言。筆書きからカラフルに装飾されたもの、横断幕まで力作がそろい、熱い思いが伝わってくる。

「がんばろう日本 みんなで助け合い、力を合わせて、元気な街をとり戻しましょう」。同市泉町1丁目の花屋「トツカフローリスト」では、先月16日ごろからボードを店頭に置いた。「花を大事にしてくれる人に感謝の気持ちを込めた」。同店の代表取締役、高岡裕子さん(41)は話す。

同店も震災で大きな被害を受けた。入荷直後に被災したため、花を来店者に配ったという。「正直、欲しい人はいないと思った」が、来店者に好評で、涙を流して喜んだ人もいた。「花で心が癒やされることを知った。花屋でよかった」

同市泉町2丁目の郷土料理店「山翠」では、書体のメッセージが力強い。「震災に負けるな。頑張ろう水戸」。女将の高野貴美子さん(49)は「大変なときだからこそ、温かくおいしい食べ物を提供し、皆さんを元気づけたい」と心を新たにしたという。筆で書かれたメッセージは娘に書いてもらった。「皆さんに元気になってもらうには、自分たちが元気にならなければ」。思いを込めて店に掲げた。

JR水戸駅北口付近の水戸市駅前商店会は、銀杏坂商店会と協力して「水戸のみんな頑張ろう」とのメッセージを各店舗に張った。同商店会長の砂押憲正さん(63)は「地元が元気でやっているとアピールしたい」と意気込む。

震災後、市内を訪れる人は多くない。節電のためネオン点灯も極力控えている。だが「皆が大変なときだからこそ、きちんとしないと。駅前にもっと人通りと活気を戻したい」。

銀杏坂商店会長の榊原厳典さん(57)は「自分の気持ちを奮い立たせたかった」と提案した砂押さんや、協力してくれた商店会の人たちに感謝。「ネオンは暗くても、人の心の明るさは消えてない。落ち込んでいる近隣の人に頑張っていると伝えたい」と力強く話した。

茨城新聞  2011年4月19日 
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▽ 地震は予知できないのか
          
 先週47NEWSで一番読まれた記事は、米国出身のロバート・ゲラー東大教授(地震学)が「地震は予知出来ない。日本政府は不毛な地震予知を即刻やめるべきだ」と提言した、というニュースだった。記事が公開された当日の4月14日だけでヒット数が20万を超え、通算ランキングで30位以内に入った。
 言うまでもなく、大地震やそれに伴う大津波が事前に予知できていれば東日本大震災のような甚大な被害は避けられたかもしれない。原子力発電所の立地や建設の計画策定に際しても十分な備えをとることが出来ていたかもしれない。予知ができるか、できないのかは地震多発国に住んでいるわれわれとしては関心を持たざるをえない。
 ゲラー教授の提言は世界的に権威がある英科学雑誌ネイチャー(電子版)に掲載された。
 教授は、いつ(日時)、どこで(震源地)、どれくらいの規模(マグニチュード=M)で地震が起きるかを科学的に予見することは現在の地震学では不可能だ、と断定している。予知できるためには地震が起きる前に何らかの前兆現象をとらえる必要があるが、「近代的な測定技術では(前兆現象を把握できる方法論は)見つかっていない」、と指摘。日本国内では1979年以降、10人以上の死者がでた地震は発生する確率が低いとされていた地域で発生している、と分析している。
 そしてM8クラスの東海・東南海・南海地震を想定した地震予知は方法論に欠陥があるとして、政府の地震予知対策の根拠になっている78年の大規模地震対策特別措置法を廃止すべきだ、と訴えている。
 教授によると、60年代にプレートテクトニクス理論が普及すると、70年代には同理論に基づいて地震予知が出来るのではないか、と数多くの科学者が研究に取り組んだ。しかし有効な方法論が確立しないまま、現在では大半が手を引き、研究を続けているのは日本の学者だけなのだそうだ。
 もちろん教授は、予知が出来ないのだから事前の予防対策を講じなくてもよい、と言っているわけではない。1896年に起きた明治三陸地震は最大38メートルの津波が来襲し、869年の貞観地震でもそれに近い津波が襲った記録があるのだから、今回の大震災が「想定外」だったとは言えないはずであり、福島第1原発を設計する段階でそれなりの対策が立てられていてしかるべきだった、とも述べている。予知は出来なくても備えは必要だし、予防は出来る、ということのようだ。
 筆者は専門家ではないから、ゲラー教授の言うことが正しいのかどうか、にわかに判断はつきかねる。地震の発生確率についても実はよく理解できない。例えば、今回の大震災が起きる前、次の宮城県沖地震は今後30年以内に99%の確率で発生する、といわれていた。結果から見れば、この予測は外れてはいなかった。
 ならば当たっていたのか、ということになると、うなずくにはためらいが生じる。被害の甚大さに対して、数字のあいまいさが釣り合わないのだ。
 予知は出来ない、と断言されるのも困惑するが、30年というこれほど大ざっぱな数字をあげて「当たっていた」と言われても挨拶に困る。なんとかして欲しいものだ。(今井 克) 

47NEWS 2011年4月19日 
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明治・大正
186.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
32. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
43. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
73. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (2004/3)
76. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
84. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
94. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
115. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
164. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (2002/8)
192. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一
211. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)
216. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)
257. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
274. 龍馬の流儀―幕末を駆け抜けたヒーローの履歴書 星 亮一 (単行本 - 2010/3)
299. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)
366. 会津藩 斗南へ―誇り高き魂の軌跡 星 亮一 (単行本 - 2009/8)



星が顔を出し あなたが眠る頃

同じ空の下 願う人がいる

明日もあなたが 笑っていられますようにって

見守っているよ 遠い場所から

みんな空の下

(絢香 歌「みんな空の下」)





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2011年4月19日(火) 原発、津波
福島第一原発2号機、高湿度で作業困難か
産経新聞 4月19日(火)13時9分配信
 東京電力は19日、ロボットを遠隔操作して2号機の原子炉建屋内を調査した結果を発表した。建屋の二重扉周辺の放射線量は毎時4・1ミリシーベルト。湿度が94〜99%と高く、ロボットのカメラが曇ったため、扉周辺よりも奥の調査は断念した。

 東電は「湿度が高いと視界が狭くなるため、全面マスクを着用しての作業が困難」とし、2号機の建屋内に人が入って作業を行うためには、換気などの対策が必要との認識を示した。

 調査は18日に米アイロボット社製の「パックボット」2台を使って約50分間にわたって実施した。建屋内の温度は34〜41度、酸素濃度は19〜20%だった。

 2号機の圧力抑制室は損傷し、高濃度の放射性物質で汚染された水の漏出源とみられている。圧力抑制室にたまった水の温度は約80度で、ここから出た水蒸気が建屋内に充満している可能性がある。


仙台平野に巨大津波」16年前に警告本 仙台の郷土史家

飯沼勇義さん



飯沼さんによると、慶長津波でタコとともに打ち上げられたとされる薬師像をまつる蛸薬師=仙台市太白区長町4丁目



 「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と16年前に警告を発していた郷土史家がいる。津波の歴史を研究し、対策の充実を訴えていた仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。東日本大震災の大津波を目の当たりにし、「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。

 飯沼さんは元公立学校教諭。教壇に立つ傍ら歴史書をひもとき、仙台平野を襲った過去の巨大津波を研究してきた。
 869年の貞観津波は国府多賀城の城下を襲い、多数の溺死者を出した。1611年の慶長津波でも仙台平野は一帯が冠水。津波は現在の太白区長町4丁目周辺にまで押し寄せ、薬師如来をまつる「蛸薬師」の由来にもなった。
 飯沼さんは「仙台平野は180〜200年の周期で大津波が起きている。次の大津波は、いつ来てもおかしくない」と警告していた。
 1994年に宮城県と仙台市に対し、3階以上の鉄筋コンクリートビルの建設、防潮林の充実など対策を講じるよう陳情。95年には「仙台平野の歴史津波 巨大津波が仙台平野を襲う!」(宝文堂)を出版した。
 飯沼さんは「津波被害が出るのはリアス式の三陸沿岸で仙台の沿岸に大きな津波は来ない、という根拠のない安心感が、行政にも住民にもあった」と振り返る。
 震災後、飯沼さんが出版した本は再評価され、インターネットには「津波を予言した内容」という書き込みも見られる。
 飯沼さんが暮らす宮城野区蒲生のアパートも津波で壊滅的な被害を受けた。身を寄せる避難所で飯沼さんは「歴史は繰り返す。震災を教訓に、津波対策や避難誘導のシステムを早急に構築するべきだ」と語っている。(神田一道)



帰国へ=原発事故、危機回避と判断
時事通信 4月19日(火)11時38分配信
 東京電力福島第1原発の事故対応のため派遣された米海兵隊の特殊兵器対処部隊「CBIRF(シーバーフ)」が来週にも米国に帰国することが19日、分かった。当面、危機的な事態は回避されたと判断しているためだ。
 北沢俊美防衛相は同日午前の記者会見で「東京電力の(事故収束に向けた)工程表も出た中で、CBIRFは米国にとっても貴重な存在だから見通しが立てば帰る」と指摘。また防衛相は、CBIRFの活動拠点の米軍横田基地(東京都)を訪問し、謝意を示す意向を明らかにした。22日か23日に訪れる方向で調整している。
 CBIRFは放射能や生物・化学兵器などへの対処を専門とする部隊で、2日に第1陣が来日。約150人が横田基地で、自衛隊と除染活動などの訓練を行っている。 
つくば市、福島からの転入者に放射能検査要求
読売新聞 4月19日(火)3時7分配信
 茨城県つくば市が、東京電力福島第一原発の事故で福島県から避難して転入する人たちに、放射能汚染の有無を確認する検査を受けた証明書の提示を求めていたことが18日、わかった。

 市側は「市民に無用な不安を与えない目的だった」としているが、転入者からの抗議を受け、検査を求めないことにした。

 つくば市によると、市民課長名で3月17日、福島からの転入者にスクリーニング検査を求めることに決め、担当する窓口へ通知した。窓口の担当職員が、転入者に消防本部や保健所で検査を受け、証明書をもらうように指示するなどしていたという。原発事故が起きてから、つくば市には福島県いわき市などからの住民が避難している。

 今月11日、つくば市内の研究機関に就職するため仙台市から転居してきた男性(33)が証明書の提示を求められ、このことを茨城県に訴えたことから問題が発覚した。つくば市の岡田久司副市長は、「放射能汚染について、誤解があったと認めざるを得ない」と釈明した。
最終更新:4月19日(火)3時7分
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原発工程表、どういう根拠?作業員が達成に疑問
 福島第一原発で連日、修復作業にあたる作業員からは、工程表の目標達成を危ぶむ声が出ている。

 ある協力会社の30歳代の男性は「3か月で放射線量が減少傾向になるとは思えない」と話す。男性は17日も作業にあたったが、原子炉建屋の周辺では依然として放射線量が高く、作業は長い人でも数時間しか行えないという。

 男性によると、マスクを装着し、防護服を着るため、作業員の中には、脱水症状を訴える人が出ている。雨が降れば防護服の上にビニール製のかっぱも着る。「梅雨になれば作業効率が落ちるし、熱中症も心配。東電はどういう根拠で期間を示したのか」と疑問を示した。

 夫が同原発で下請け作業員として働いている女性(61)は、「ずいぶん長くかかるんですね」と表情を曇らせた。夫は事故以来、2週間に1回程度、避難所に帰ってくるだけ。「戻ると、ぐったりして寝てばかりいる。体重も減ったようで、こんな生活が何か月も続くのかと思うと、体が心配です」と案じていた。

読売新聞  2011年4月18日 
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5強以上の余震確率、10% 回数減少も「いまだ活発」

 気象庁は18日、東日本大震災に伴う震度5強以上の余震が、3日間以内に発生する確率を10%と発表した。21日から3日間以内も10%。いずれも12日の前回発表の数値と変わらなかった。震災前の平常時の約50倍の確率となる。

 同庁によると、余震は多い時期と少ない時期を繰り返しながら徐々に回数が減少しているが「いまだ活発な状況」としている。発生確率も当面は10%程度の状態が続く見通し。

 余震以外の地震活動も活発で、17日未明には新潟県中越地方で震度5弱の、16日午前には茨城県南部で震度5強の地震が発生。気象庁は「油断せずに強い揺れや津波などに注意してほしい」と呼び掛けている。

 同庁は18〜23日の6日間にマグニチュード(M)5以上の余震が起きる回数は10〜20回程度、多い場合は50回程度と予想。震源に近い場所などでは震度6弱から6強の恐れもあり、海域で起きた場合は津波の可能性もあるという。

共同通信  2011年4月18日 
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アマゾンベストセラー、 2011年4月19日
明治・大正
156.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
38. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
48. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
62. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一
82. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
99. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
142. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2002/8)
155. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
166. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
185. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)
190. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)
227. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
265. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)
323. 会津藩 斗南へ―誇り高き魂の軌跡 星 亮一 (単行本 - 2009/8)
347. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
352. 幕末史―激闘!薩摩・長州・会津 星 亮一 (単行本 - 2008/3)


前を向いてしがみついて
何度でも何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ
きみの名前 声が涸れるまで
(DREAMS COME TRUE 歌「何度でも」)


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2011年4月18日(月) 原発、津波
福島第1原発>東電社長、初動遅れ釈明…参院予算委
毎日新聞 4月18日(月)20時0分配信


参院予算委で福島瑞穂社民党党首の質問にこたえる東京電力の清水正孝社長=国会内で2011年4月18日午後5時16分、藤井太郎撮影
 東京電力の清水正孝社長は18日、参院予算委員会に参考人として出席し、福島第1原発事故への初動対応で、原子炉格納容器の内部圧力を下げる「ベント」作業が遅れ、事故が悪化したとの指摘に対し、「暗闇の中で作業を強いられ、通信機能も喪失して連絡が困難だった」と説明。放射能漏れを謝罪した上で「電源が喪失し、放射線量も高い厳しい状況だった。作業員が交代で作業するが、現場の線量の確認や被ばく評価などに時間がかかった」と釈明した。

 清水社長が国会で答弁したのは事故後初めて。菅直人首相の同原発視察が作業を遅らせたとの見方については「特に影響はない」との認識を示した。

 津波対策が不十分だったとの指摘に対しては、「14〜15メートルの津波は想定できず、そういう意味では甘かった」と認めた。ただ、東電の責任については「土木学会の基準に基づいて対応してきた」と従来の見解を繰り返した。【山本明彦】

参院集中審議】首相「被災者の生活再建、最後まで支える」 野党は原発対応を追及

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産経新聞 4月18日(月)11時28分配信

拡大写真
参院予算委員会で民主党の藤原良信氏の質問に答える菅直人首相=18日午前、国会・参院第一委員会室(酒巻俊介撮影)(写真:産経新聞)
 参院予算委員会は18日午前、菅直人首相と海江田万里経済産業相ら関係閣僚が出席し、東日本大震災に関する集中審議を行った。首相は「最後まで被災者の生活再建に向けて、支えていくのが政治の役割だ。全身全霊、持てる力を全て出し切って取り組む」と改めて決意を示した。

【写真】食のパフォーマンス解禁 キュウリを食べる菅首相

 これまでの政府の対応について首相は「百パーセントとは言わないが、関係者が全力を挙げており、政府全体としては一定の評価をいただいている」と述べ、的確性を強調した。

 東京電力福島第1原発事故を受けた今後の原子力政策については「安全性を大事にしながら原発を肯定してきたが、従来の先入観を白紙に戻して事故を検証する必要がある」と述べ、将来的な見直しを示唆した。

 民主党の藤原良信、武内則男両氏の質問に答えた。

 この後、自民党の脇雅史氏が参考人として出席する東電の清水正孝社長に原発事故の初動対応を問題視する立場から事実関係を確認。同党の愛知治郎氏は松本健一内閣官房参与が福島第1原発周辺での居住は長期間困難になるとの認識を首相から示されたと発言し、直後に撤回した問題の真偽をただす。

 このほか自民党の岩城光英、公明党の加藤修一、みんなの党の小野次郎、共産党の大門実紀史、たちあがれ日本の片山虎之助、社民党の福島瑞穂の各氏が質問する。
<福島第1原発>「信用できるのか」 東電工程表に疑心暗鬼 「思ったより長い」「発表は単なる目安なのでは」……。東京電力が福島第1原発事故収束までの「道筋」を示した17日の記者会見。既に原発周辺から避難したり、避難を指示される恐れのある「計画的避難区域」に住む住民たちは、事故から1カ月以上たって聞かされた日程に複雑な表情を見せた。不便な生活への怒り、将来の不安、そして東電への疑心暗鬼。さまざまな感情を抱きながら、発表を受け止めた。【河津啓介、和田武士、荻野公一、町田結子】(毎日新聞)
[記事全文]

・ 原発収束工程表示したが…「東電・政府 信頼できない」 - 産経新聞(4月17日)
・ 福島第1原発 放射線抑制6〜9カ月 年内避難解除困難に - 毎日新聞(4月17日)

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アウターライズ地震:発生の懸念、小さな揺れで大津波も

アウターライズ地震発生のメカニズム 東日本大震災後、各地で地震活動が活発化する中、震源域東側の太平洋プレートの内部で、大規模な「アウターライズ地震」の発生が懸念されている。マグニチュード(M)9.0の巨大地震の影響で、太平洋プレートに大きな力がかかっているため。過去には最初の大地震の2カ月後に発生した例もあり、気象庁は「発生すれば大津波警報を出すようなケースも考えられる」と話している。【飯田和樹】

 アウターライズ地震は、陸のプレートの下に海側のプレートが沈み込む境界面で起きる東日本大震災のような地震の発生後、境界面より外側の地域で発生する地震を指す。プレート境界面の破壊後、海側のプレートの浅い部分に引き延ばそうとする力が働くため、プレート内部で正断層型の地震が発生する。

 気象庁地震予知情報課によると、明治三陸地震(1896年、M8.2)の37年後に発生した昭和三陸地震(1933年、M8.1)や、06年11月の千島列島沖地震(M7.9)の約2カ月後に発生した地震(M8.2)がこのタイプ。04年のスマトラ沖大地震などでも、規模は小さいが同じメカニズムの地震が発生したという。

 同課によると、東日本大震災発生から約40分後の午後3時25分に発生したM7.5の余震や3月22日に発生したM6.7の余震は、アウターライズ地震の一種と考えられる。アウターライズ地震は陸から離れた場所で起きるため、陸での揺れは小さくなりがちだが、津波を起こしやすいという特徴がある。昭和三陸地震は最大震度5だったが、沿岸には大津波が押し寄せた。

 同課は「M8級の大規模なアウターライズ地震の場合、震度4や5弱でも6〜10メートル以上の津波が起きる場合があり、大津波警報を発表する可能性がある。揺れが小さいからといって油断せず、警報が発表されたらすぐに避難してほしい」と話している。

毎日新聞  2011年4月17日 
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加賀藩の底力学ぶ 「金沢学」スタート
加賀の知の系譜をひもといたパネル討論=北國新聞20階ホール
 金大と北國新聞社が連携して取り組む市民公開講座「金沢学」の2011年度第1回は16日、金沢市の北國新聞20階ホールで開かれ、前県立歴史博物館長の徳田寿秋氏らによる講演とパネル討論が行われた。幕末維新期にいち早く海外に渡った加賀藩士に光が当てられ、参加者は学者や思想家など優秀な人材を次々と輩出した加賀藩の底力に理解を深めた。
 徳田氏は「海を渡ったサムライたち〜加賀藩における渡航者群像」をテーマに講演し、幕末から明治初頭にかけて佐野鼎(かなえ)や清水誠ら米国や欧州を訪ねた加賀藩士が19人いたことを説明した。「彼らが西欧で見聞きしたことを金沢に戻って伝えたことが、廃藩置県後に、この地域から素晴らしい人材が生まれる原動力になった」と述べ、19人の功績を再評価し、若者に伝えて地域に誇りを持たせることが大切だと強調した。

 続くパネル討論では、金沢ふるさと偉人館の松田章一館長が、明治維新後、人々の関心は欧米の文明をいかに活用するかにあったと指摘し「加賀藩は政治のバスには乗り遅れたが、文明を学ぶバスは最先端を走っていたといえる」と強調した。

 県立歴史博物館の本康宏史学芸課長は、加賀藩が薩摩藩や長州藩と同じく多くの偉人を輩出できた背景について「新しい学問を取り入れたり、人材を育成したりと、近代化に向けたポテンシャルや意識の高い藩であり、それを支える財力もあった」と解説した。

北國新聞  2011年4月17日 
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新選組隊士歩いた中山道踏破 埼玉の女性、

近藤勇らが江戸から京都にのぼった行程にならい、東京から京都まで中山道を歩いて踏破した石上彩さん(中央)=京都市中京区 新選組を立ち上げる近藤勇らが歩いて上京した中山道を、埼玉県の石上彩さん(29)が歩き、10日に京都市に到着した。石上さんは近藤が宗家の天然理心流を学んでおり、ゆかりの深い京都市中京区での同流のけいこで木刀を振った。

 石上さんは、新選組研究家を目指している。148年前に隊士が出発した同じ日の3月26日に東京を出発、交代で同行した道場仲間と雪道や峠を越え、約530キロを踏破した。

 石上さんは「京都に来て、死ぬ覚悟だった隊士を思うと気が引き締まった。多くの人のおかげで頑張れた」と喜んだ。

京都新聞   2011年4月10日
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明治・大正
152.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
35. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
41. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
52. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (2004/3)
69. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
86. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
115. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
121. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (2002/8)
137. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
166. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)
202. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
236. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)
274. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
295. 会津藩 斗南へ―誇り高き魂の軌跡 星 亮一 (単行本 - 2009/8)
312. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
315. 幕末史―激闘!薩摩・長州・会津 星 亮一 (単行本 - 2008/3)
326. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)


もう駄目だと全てが嫌になって逃げ出そうとした時も
想い出せばこうしてたくさんの支えの中で歩いて来た
悲しみや苦しみの先にそれぞれの光がある
さあ行こう 振り返らず走り出せばいい
(ゆず  歌「栄光の架橋」より)


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2011年4月17日(日) 原発、津波
放射能大幅減に6〜9カ月=爆発防止、高濃度汚染水が課題―福島原発、東電見通し
時事通信 4月17日(日)15時30分配信
 東京電力は17日、福島第1原発事故の収束に向けた作業を2段階で行うと発表した。放射線量が着実に減少傾向となる「ステップ1」に3カ月程度、放射性物質の放出が管理され、線量が大幅に抑えられている「ステップ2」は3〜6カ月程度を目安としており、終了まで計6〜9カ月程度かかる見通し。
 同社は、当面の取り組みとして(1)原子炉や使用済み核燃料プールの冷却(2)放射性物質の抑制(3)モニタリング・除染の3分野を挙げた。
 その上でステップ1の達成に向け、1〜3号機の原子炉で水素爆発を起こさないこと、2号機の高濃度汚染水を敷地外に放出しないことの2点の克服が特に重要とした。同社の武藤栄副社長は、高濃度汚染水について「(海などに)とにかく絶対に出さないようにする」と述べた。 
「半年から9カ月程度か」第1原発の収束見通し
産経新聞 4月17日(日)13時1分配信
 
ーーーーーーーーーー


福島県内を訪問している枝野幸男官房長官は17日午前、南相馬市役所で桜井勝延市長と会談し、東京電力が同日午後に発表する予定の福島第1原発事故に関する収束見通しについて、「半年とか9カ月とか、そういう程度の見通しが示されるのではないか」と述べた。会談後、桜井市長が明らかにした、17日に福島入り=原発20キロ圏内も視察
時事通信 4月16日(土)19時41分配信

 枝野幸男官房長官は17日、放射能漏れ事故を起こした福島第1原発を抱える福島県内を訪れ、関係自治体の首長らと意見交換する。原発の半径20キロ圏内にも入り、行方不明者の捜索状況を視察する。
 枝野長官はヘリコプターで福島県に入り、県庁で佐藤雄平知事と面会。この後、原発から半径20キロ圏外で全域または一部が新たに「計画的避難区域」に設定される飯舘、川俣町、南相馬市を訪問し、区域設定に至った経緯や今後の対応を各首長に説明、住民避難への理解を求める。
 第1原発から20キロ圏内では、行方不明者の捜索に当たる自衛隊、警察などの関係者を激励。同日夕に帰京する--「生きがい奪われた」「計画的避難区域」福島・飯舘村の苦難
産経新聞 4月17日(日)7時56分配信
 緑が芽吹き、道端にはタンポポが咲く。冬が終わり、ようやく待ち望んだ季節が来たはずだった。高校時代まで過ごした村の風景は、いつもと変わらない春。だが、いつもとは違う。記者の故郷である福島県飯舘村から報告する。(大渡美咲)

 東京電力福島第1原子力発電所から北西に半径30〜50キロ圏にある村は、一部が屋内退避区域の20〜30キロ圏に入り、自主避難などを行っていたが、高い放射線量の数値が続いているため、政府が1カ月をめどに避難を要請する「計画的避難区域」に指定する方針を固めた。水道水の飲用規制、農作物の作付けの規制など、苦難が次々と襲いかかってきた。

 ◆深呼吸できるか

 「この村で深呼吸できますか」。16日、計画的避難の説明に訪れた福山哲郎内閣官房副長官に農家の男性は問いただした。報道陣が会場からの退出を求められた時には「生の声を聞かせてやれ」と怒号が飛び、説明会は2時間半に及んだ。

 農業や畜産は、豊かな土と水と空気で育まれてきた。自然とともに生きてきた村の生活が、根本から崩れ去ろうとしている。だからこそ、多くの村民が「飯舘村を離れるわけにはいかねえ」と口にする。

 過疎化でも市町村合併に参加することなく、「自主自立の村作り」を掲げ、村おこしに励んできた。しかし、この未曽有の危機に、村民約6200人、それぞれが不安を抱えている。

 父(60)は昨年、長年の夢だった農業に本格的に取り組みはじめた。昨年の経験から今年は、改良した作物を作ることを楽しみにしていた。それなのに田植えの準備もできず、外に出ることもままならず、家の掃除ばかりの日々を送っている。

 野菜直売所「みちくさ」は収穫の時期を迎えているのに、シャッターが閉ざされたまま。運営者の一人、本田美代子さん(79)は「自分で作った野菜を自分で売る。お金ではない、楽しみ、生きがいを奪われた」。

 ◆外で遊びたい

 佐藤優菜ちゃん(9)ら3姉妹は、「放射能があるから外に出ちゃだめなんだよ」と、家の中で絵を描いたり、かくれんぼをして遊んでいる。学校も始まらず、友達とも会えない。快晴の空を見て「外で遊びたいな」と寂しそうな顔をする。

 100歳を超えた男性は計画的避難が発表された日、「長生きはするもんじゃない」と家族に告げ、足手まといになると思い詰めた末に自ら命を絶った。村の幹部は「冷害、大火災、村の危機はたくさんあったが、今度ばかりは乗り切れる気がしない」と弱音を吐く。

 1年でも手入れをしなければ、田畑は荒れる。見た目には何ら変わりない、普段通りの景色がよけいむなしさを募らせる。「10年、20年」となれば、元の美しい田園風景に戻すのは難しい。

 「こんな小さな村なくなっても誰も気にしねぇよ。国の人もみんなそう思ってんだべ」と男性はつぶやいた。

 店は少ない。夜は暗い。コンビニも1軒だけ。電車も走っていない。子供のころは不便に感じていたが、広い空が近く、穏やかな空気が流れている村に、毎年夏は帰郷していた。今年の夏も帰れるだろうか。




仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激

 【ワシントン=山田哲朗】東日本大震災で水没した仙台空港の復旧を支援した米空軍第353特殊部隊のロバート・トス司令が15日、沖縄県嘉手納基地とワシントンを結んだ電話記者会見で、被災者が海岸に「ARIGATO」の文字を作って米軍に感謝を表してくれたと明らかにした。

 トス司令が上空から見た文字は、長さ6〜9メートルのマツの木を並べて作ったものだったという。同部隊は自衛隊と共に滑走路のがれき撤去や臨時の航空管制などにあたり、輸送機で水や食料も運搬した。

 トス司令は支援を振り返って、「驚いたのは自分たちも被災しながら日夜、復旧に努める日本人の姿だった。ありがとうは日本の人々に送りたい」と話した。

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読売新聞  2011年4月16日 どうする賠償、数兆円 電力料金値上げ/増税/他社分担/東電国有化
産経新聞 4月16日(土)7時57分配信
 東京電力福島第1原子力発電所事故の賠償問題で、政府と東電は数兆円に上るとの見方がある巨額の賠償資金の捻出方法の検討を進める。ただ、巨額な賠償金に東電だけで対応するのは難しく、政府の支援に加え、他の電力会社も負担する案や電力料金の引き上げで対応するなど多数の案が浮上している。東電の一時国有化や分割もくすぶっており、難航は必至だ。

 ◆免責否定

 「損害賠償の一義的責任は東電にある」。15日開かれた経済被害対応本部の初会合で、本部長を務める海江田万里経済産業相は、改めてこう強調した。

 現行の「原子力損害賠償法(原賠法)」では、地震や津波が原因の場合、原発1カ所当たり1200億円まで国が拠出できる。電力会社から原発1カ所当たり毎年3600万円を徴収している補償料に基づく「保険金」だ。戦争などの社会的動乱が理由の場合、免責で国が全額を負担することもできるが、政府は東電への適用を否定している。

 保険金の超過分は原則として東電が負担することになるが、将来の利益や電力料金の値上げを含めても長期にわたり分割で拠出せざるを得ない。このため、政府の肩代わりなどの支援は不可避だ。

 政府内で検討されているのが、原発の受益者という観点から、他の電力会社にも負担を求める案だ。原発を持つ8社が原子炉の基数などに応じて資金を出す共済制度の創設のほか、東電が設立する基金への拠出などが浮上している。これに対し、業界では「他社の賠償を負担すれば、株主代表訴訟を起こされかねない」と否定的な声が多い。

 また電力各社に課している「電源開発促進税」の増税も検討されている。ただ共済や基金も含め電力各社の負担が増えれば、料金に上乗せされ、結局、国民に負担が及ぶことになる。

 ◆議論錯綜

 政府・与党内でくすぶり続けているのが、東電の一時国有化だ。破綻した金融機関と同様に、政府が資本注入を行い、その資金を賠償に充てる案だ。しかし、東電が注入資金を返済できないと、国民負担に直結するほか、民間事業への国の関与に経済界が強く反発している。

 海江田経産相も15日、「事業体として存続し、電力供給の責任を負ってもらう」と述べ、東電の国有化を否定した。

 このため、電力供給を担う会社と、国が関与し原発事故処理や賠償問題を担当する会社に分割する案のほか、政府保証をつけた公的機関が、市場などから資金を調達し賠償に充てる案が取り沙汰されている。

 政府や与党、経済界の複雑な思惑がからみ、議論も錯綜(さくそう)しているのが実情だ。
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<東日本大震災>カンボジア・地雷原の村から義援金とお守り

 カンボジアの地雷原の村から義援金が届いた−−。内戦による多くの地雷が残るカンボジアで、綿の栽培や加工によって細々と暮らす人たちから、東日本大震災の被災地への義援金とお守りが届いた。彼らの綿製品作りを支援する日本のNPO法人は「額は少ないかもしれないが、貧しい彼らにとっては大変なお金。苦しい中、日本のことを思ってくれる気持ちに感激した。彼らの思いを被災地に届けたい」と話す。

 義援金を寄せたのは、カンボジアの北西に位置する地雷原の村やプノンペン近郊で、綿を有機栽培し、ストールなどに加工している人たち。多くは、地雷被害で足などを失い、経済的に困窮していた。日本のNPO法人「地雷原を綿畑に!」が09年ごろから彼らを支援、綿製品作りを通じ、徐々に収入が得られるようになっていた。

 義援金は、綿製品作りにかかわる約30人の工賃や染め賃1カ月分など計8万円。カンボジアの貧しい地域の1家族の年収約7万円を超える額だ。プノンペン近郊に住む女性たちは、近くの寺院に通って被災地の人々への祈りをささげているという。地雷原の村に住む人からは「今回の地震と津波で、日本の多くの方が亡くなり、被災されたことに、地雷被害者メンバーはショックと悲しみに包まれています。どうか私たちに、皆様の苦しみを分かち合わせてください」とのメッセージも届いた。

 NPO法人の石井麻木代表は「日本からの支援を受けていた人たちが、逆に支援を申し出てくれた。彼らが深く考えた末の思いやりと考え、義援金を受け取ることにした。彼らのことを誇りに思う」と話す。【永山悦子】

毎日新聞  2011年4月16日 
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3・11津波、貞観地震しのぐ…浸水域も高さも

 東日本大震災のマグニチュード(M)9・0の地震で起きた津波は、仙台平野の海岸線から5〜5・5キロ・メートルにまで達し、過去最大級だった「貞観地震」(869年)の大津波を超えていたことが、東北大学災害制御研究センターの調査でわかった。

 同センターの菅原大助博士研究員らは仙台市内の約300地点を調査。海岸から5キロ・メートル以上離れた4地点でも水田のわらや漂流物のごみなどを確認した。

 貞観地震の頃の海岸線は現在より約1キロ・メートルほど内陸側で、津波は海岸線から3〜4キロ・メートルまで押し寄せたことがわかっている。

 また、コンピューターで貞観地震の大津波と、今回の津波を再現したところ、貞観の津波の高さは海岸線から1・5〜3・4キロ・メートルで約2・5メートルだったのに対し、今回は海岸から2〜3キロ・メートルで高さ約2・8メートルと推定され、高さでも貞観を上回っていた。

読売新聞  2011年4月16日   
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アマゾンベストセラー、 2011年4月17日
明治・大正
97.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
32. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (2008/1/10)
42. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
55. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一
57. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
98. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
106. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一
109. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
124. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
183. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
214. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)
252. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
283. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
288. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)
289. 最後の幕臣 小栗上野介 (ちくま文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/8/6)
329. 会津維新銘々伝---歴史の敗者が立ち上がる時 星 亮一 (単行本 - 2010/3/11)



生きていく勇気見せて 君を信じてる
きらきら光るその頬に 金色の日々が 待ってる
(坂本真綾 Hello )


***************** ***
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  戊辰戦争研究会!
http://boshinken.info
  みちこの幕末日記!
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  そうだったのね、日本史!
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***************** ***<東日本大震災>大槌高再開遠く、仮設住

宅建設進まず 岩手
毎日新聞 4月15日(金)13時16分配信

 岩手県大槌町で仮設住宅の建設計画が進まず、避難所となっている県立大槌高校の再開に影響を及ぼしている。校内の避難者約450人のうち教室などにいる約200人に退去してもらう必要があるが、意向調査をすると、大半は自宅が壊れて行き場がなく、引き続き同校での生活を望んでいることが分かった。周辺自治体に比べ仮設住宅の整備が遅れていることに、避難者は焦りも口にし始めた。打開策が見いだせないまま始業式の20日が迫っている。

 大槌町は仮設住宅2000戸の建設を掲げるが、着工のメドが立っているのは202戸だけ。山がちで平地が少なく、適地の選定や資材の調達が難航しているためだ。

 町は4月9日、大槌高の教室や体育館などで暮らす避難者に「避難所再編にかかる調査」を実施。同校を含む避難所3カ所と自宅のうち、どれを希望するか第2希望まで記入してもらう内容で、16日までに移動を完了する予定と説明している。自宅の損壊状況を尋ねる調査も行ったところ、大半は自宅が住める状態でなく、同校での避難継続を希望したという。

 大槌高で生活する主婦(75)は孫1人が同校に通い、もう1人も今春入学予定。「孫を思うと早く勉強させてやりたいが、住む場所がない。退去を求められることに焦りを感じる」と話す。【苅田伸宏、山川淳平、高木香奈】


***************** ***


謹啓 春暖の候いかがお過ごしですか。大変ご無沙汰しております。
 東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。今後の震災復興
につきまして、就業の場の確保を中心に提言など力を尽くして参りたいと思います。
 このたびは、相原正明行政文化小園ホームページにアップしました講演会などに
つきましてお知らせ致します。
 ご自愛とご活躍をお祈りいたします。                敬具

 ☆講演会のご案内

  日 時: 平成23年4月24日(日)午後3時30分から同45分まで

  場 所: プラザイン水沢(奥州市水沢区佐倉河字後田29 
              電話0197-25-8811)

  講 師: 安藤 厚(あつし) 氏      
       略歴:県国際交流協会理事長、県ユネスコ協会連盟会長、
元県教育委員長、元県立盛岡一高校長ほか。
  演 題: 司馬遼太郎の『坂の上の雲』に見る日本人・日本文化

  参加資格等: 無料でどなたでも参加できます。当日参加も可能ですが、
        会場整理の都合上、できるだけ事前にご一報ください。


 ☆いわて平成松下村塾から

  いわて未来政策・政経研究会主宰のいわて平成松下村塾がいよいよ7月から
  スタートします。4月24日には、入卒塾式を含む講義等日程・カリキュラム
  が発表されます。詳しくは次のホームページまで。
   http://www1.ocn.ne.jp/~imsskken/


△top
2011年4月16日(土) 三陸取材
宮古、釜石、山田町、大船渡を取材、今日、陸前高田、気仙沼、南三陸、石巻を見て、郡山に帰ります。相当、疲れました。--------------------------------------------------------------------------------------
すべての遺体、家族に…歯科医ら黙々と身元確認

身元確認作業を終え、医院に戻ってきた三宅さん。医院前には、水浸しになった機材が山積みになっている(4日、宮城県石巻市で)
 犠牲者が1万3000人を超えた東日本大震災では、遺体の身元の特定に協力するため、地元や全国各地から延べ約1500人の歯科医師が作業に参加している。

 経営する歯科医院が被災した人もいるほか、中には慣れない作業が精神的な負担となり、体調を崩す人もいる。歯科医たちは「すべての遺体を家族の元に返したい」と、黙々と身元確認を続けている。

「口の中を見せていただきます」。宮城県石巻市の歯科医、三宅宏之さん(39)は、遺体の口を確認する前、いつも心の中でこうつぶやきながら手を合わせる。

 三宅さんは、震災発生4日目の先月14日から、同市の遺体安置所となっている旧石巻青果花き地方卸売市場で作業に従事しており、これまでに約800体の遺体を扱った。作業は歯科医3人1組で、運び込まれた遺体の歯並びや治療痕などを記録する。その記録は、遺体発見時の状況や所持品、身体的特徴などと共にファイルにまとめられ、行方不明者を捜す家族が訪れた際の身元確認の資料として使われる。

 場内は、電気が復旧しておらず、昼でも薄暗いまま。震災ひと月を過ぎても犠牲者の搬入は続く。4月中旬現在も数百の遺体が安置されており、肉親を捜す家族が頻繁に訪れる。

 家族が遺体に対面する時は作業を中断する。幼い娘の遺体を確認した母親が、冷たくなった体を温めるように半日抱きしめ続ける姿を目の当たりにしたこともあった。三宅さんにも5歳、8歳、10歳の3人の娘がおり、母親の悲しみが痛いほど伝わってきた。

読売新聞  2011年4月15日 
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宮古の津波38・9m 明治三陸抜き最大規模

 津波が乗り越えた、10メートルの防潮堤。津波は奥から押し寄せ、右下には破壊された民家の残骸が残る=6日、岩手県宮古市田老地区
 東日本大震災で津波被害を受けた岩手県宮古市で、陸地をさかのぼった津波の高さ「遡上高」が38・9メートルに達したことが15日までに、東京海洋大学の調査で分かった。

 明治三陸地震(1896年)により同県大船渡市で確認された38・2メートルを上回り、国内最大規模の津波。東日本大震災ではこれまでに、宮古市の田老地区で37・9メートルの遡上高が確認されている。

毎日新聞  2011年4月15日 
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日米“ヒバクシャ”「協力し核廃絶を」 市民も交え意見交換

 核実験被害者らでつくる「米国被ばく退役軍人の会」のリチャード・エリット会長(75)ら3人と被爆者や市民が14日、長崎市内で意見交換し、交流を深めた。

 平和団体の代表者らが発起人となった「アメリカの核被害者を招く実行委」主催。10歳の時に爆心地から800メートル付近の防空壕(ごう)内で被爆した下平作江さん(76)は、自身の体験を生々しく語り「核と人間は共存できない。長崎を最後の被爆地にしましょう」と訴えた。

 県被爆二世の会の丸尾育朗会長(63)は、被爆者の子どもが抱えている健康被害について説明。「不安は一生消えない。国に救済を求めるため、今後も被爆者と一緒に闘っていく」と宣言するなど直接被爆者以外が抱える問題も紹介した。

 米国被ばく退役軍人の会の3人はメモを取りながら興味深く聞き入った。エリット会長は「事実を学ぶことができて感謝している。ともに世界に働き掛け、この問題を正していきたい」と話し、日米の“ヒバクシャ”で協力し合って核廃絶を進めていくことを確認した。 。」

長崎新聞  2011年4月15日   
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大坂城に「武器工場跡」…豊臣方 刀など製造か

 大阪市中央区の大坂城跡の南側で、豊臣後期(1598年〜1615年)の大規模な鍛冶工房跡が出土し、市博物館協会大阪文化財研究所などが14日、発表した。工房は、豊臣家が滅亡した大坂夏の陣(1615年)の前まで使われており、同研究所は「合戦に備え、堀を掘るための鍬(くわ)の刃先や、刀などの鉄製品を製造していた可能性があり、当時の緊迫した様子がうかがえる」としている。

 工房跡は、天守閣の南約800メートルで出土。東西15メートル、南北4〜5メートルの範囲で、内部は東西3区画に分かれ、1区画当たり2基ずつ、直径50センチ〜1メートルの穴状の炉跡が確認された。うち三つの炉には、ふいごから送り込む風の吹き出し口である土製の「羽口(はぐち)」が設置された状態で残っており、工人の配置や作業工程を知る手がかりとなる。

 長さ1メートル、幅20センチ、深さ20センチの木枠で囲んだ跡も見つかり、中に粉末状の鉄を含んだ砂が詰まっていた。熱した鉄を急激に冷やして硬くする「焼き入れ」のための水槽と考えられ、形状から、刀など長さのある製品をつくっていたらしい。木製の鍬の先端や、送風管として使われたとみられる竹筒なども見つかった。

 工房跡が見つかったのは、豊臣秀吉が晩年、敵の攻撃に備え、防御を固めるために築造を命じた大坂城の外郭「三の丸」の推定範囲内で、軍事的に重要な場所だった。工房は周辺に屋敷を構えていた豊臣方の大名によって設置された可能性もあるという。

 竹筒や鍬などの出土品は16、17の両日、同区の大阪歴史博物館1階エントランスで一般公開される。観覧無料。

読売新聞   2011年4月15日
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アマゾンベストセラー、 2011年4月16日
明治・大正
327.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
36. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
60. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一
71. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
74. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (2008/1/10)
102. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
151. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
170. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一
222. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一
254. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
258. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)


明日があること 生きているってこと
それは奇蹟なんだ
今ここに生まれて步きだす未来を
共に信じ生きてゆこう
(Kiroro 歌「幸福的種子」)

戊辰戦争研究会



----------震源域東側でM8級、早ければ1か月内…専門家

 東日本大震災の震源域の東側で、マグニチュード(M)8級の巨大地震が発生する可能性が高いとして、複数の研究機関が分析を進めている。

 日本海溝の東側で海のプレート(岩板)が引っ張られる力が強くなっているためで、早ければ1か月以内に津波を伴う地震が再来する危険がある。M9・0の東日本大震災は、押し合っていた海のプレートと陸のプレートの境界面が破壊されて起きた。そのため周辺の地殻にかかる力が変化し、東日本全体で地震が誘発されている。

 京都大防災研究所の遠田晋次准教授(地震地質学)は全地球測位システム(GPS)の測定データから、海のプレート内部で引っ張られる力が強くなっていることを突き止めた。明治三陸地震(1896年)の37年後、昭和三陸地震を起こしたメカニズムと共通しているという。「今、昭和三陸規模の地震が起きると、仙台市で10メートルの津波が押し寄せる計算になる」と言う。

読売新聞    2011年4月14日


皆様方へ                                 (BCCでお送りしました)
                                      日本一のふるさとを創る会
                                      福島市 小林富久壽 拝
福島原発事故の真実を知る緊急講演会

原発は絶対に安全だー。テレビ・新聞を何十年も信用していました。しかし空前の原発事故が起きました。

福島原発の事故はチェリノブイリとは違うー。3・11以来、マスメディアはそう叫び、解説していました。

でも世界最悪のチェリノブイリ並みの危険に達しました。

安心・安全を解説される東大の学者先生。実は東電から大変な資金が研究協力として流れて

いるそうです。

安心・安全を語られる高名なジャーナリスト。官房機密費をいっぱいもらいながら口を拭っている方

も少なくないとか。

マスメディアは軒並み、放射能汚染ならぬ、広告費という金銭汚染で機能不全に陥って

いないでしょうか。大本営発表をたれ流した戦中の新聞・ラジオと根本的違いはあるのですか。


そこでこの方々ならばまず信頼できる、そんなNPOに急きょ、ご講演をお願いをすることになりました。

NPOチェリノブイリ救援・中部の河田昌東理事ら11人の理事らです。約20年にわたり、現地に

赴き、放射能汚染土の浄化、癌などの医療に実践・研究されている方々です。

医師もご講演のメンバーとして参加される予定です。

講演会にはどなたでも参加できます。性別・思想・肩書・貧富・年齢・家柄は全く問いません。

原発放射能が心配だ、今後どうなるんだろうー。その1点について知りたいと言う講演会です。

講演会の模様は動画のUSTで全国、世界に中継・録画の予定です。
URLはhttp://ustre.am/x4v0です。

連絡員=小林富久壽090−2606−8034☆引地富美子090−6852−0235☆
林由美子090−2607−4101

講演会は☆日時=4月20日(水)午後6時半☆会場=福島市黒岩 福島県青少年会館
(024−546−8311)☆定員=150人☆入場料=500円。

日本一のふるさとを創る会
小林富久壽電話&fax025−549−3443
HPプロジェクトふくじゅ http://www18.ocn.ne.jp/~kurinton/
ツイッター @fukuju_k





社説:震災後 地震国の原発 政策の大転換を図れ
 いつ、どこで、どれほど大きな地震や津波が起きても不思議はない。しかも、それを予測するすべを私たちは持たない。

 日本列島の現実を改めて思い知らされる1カ月だった。

 予測不能な大地震だけでも日本が抱える大きなリスクである。その海岸沿いに54基の原発が建ち並ぶ。地震と原発の共存がいかにむずかしいか。警告は何度も発せられてきた。

 石橋克彦・神戸大名誉教授のように「原発震災」という言葉で惨事を予見してきた科学者もいる。しかし、電力会社も政府も「少数派」として退けてきた。その帰結が今、私たちが直面する東京電力福島第1原発の深刻な事故である。

 ◇「想定外」許されぬ
 大地震がもたらした地殻のゆがみは各地に影響を与えている。今後の地震活動は、予断を許さない。

 地震国日本は原発と共存できるのか。真摯(しんし)に検証した上で、早急に打つべき手を打ちながら、原発政策の大転換を図るしかない。

 まず、誰もが問題だと思うのは津波対策の不備だ。06年に改定された原発耐震指針に盛り込まれているが、扱いは非常に軽い。新指針に基づく再点検も後回しにされ、東電は点検を終えていない。

 一方で、東海第2原発のように新潟県中越沖地震の後に津波対策を一部強化していたところもある。「想定外の津波」という言葉で事故を総括することは許されない。

 事故対応にも疑問は多い。79年の米スリーマイル島原発事故をきっかけに、設計の想定を超える事態への対応として「過酷事故対策」が日本でも用意された。

 ところが、今回のようにすべての電源が失われ、原子炉が長期間にわたって冷却不能に陥った場合の具体的備えが東電にはなかった。

 事故対応には初動が何より大事だ。にもかかわらず、電源車の用意や、原子炉の換気、海水注入などに手間取った。過酷事故対策を運用する準備があったとは思えない。

 当面の課題は、全国の原発で電源確保を確実にすることだ。津波対策や耐震強化の見直しも急がねばならない。

 国の規制や監視体制も改革を迫られている。監督官庁である原子力安全・保安院が原発推進の立場にある経済産業省に属する矛盾はこれまでも指摘してきた。今回の対応にもその矛盾を感じる。原子力安全委の存在意義も問われている。完全に独立した規制機関を再構築すべきだ。

 ただし、こうした「手当て」を施して良しとするわけにはいかない。

 事故発生後、原子力安全委の班目春樹委員長は「割り切らなければ原発は設計できないが、割り切り方が正しくなかった」と述べた。安全委員長の発言として納得できないが、それに加えて疑問が浮かぶ。

 割り切り方を間違えなければ大事故は起きないのか。安全規制を厳しくし、設備や緊急時の対応策を整えれば、事足りるのかという点だ。

 これまで、電力会社も政府も、原発は安全装置を何重にも重ねた「多重防護」に守られ、安全だと強調してきた。しかし、今回の事故で多重防護のもろさがわかった。どこまで安全装置を重ねても絶対の安全はなく、過酷事故対策も事故を収拾できなかったというのが現実だ。

 ◇依存度下げる決意を
 リスクがあるのは飛行機や列車も同じだという議論もあるだろう。しかし、原発は大事故の影響があまりに大きく、長期に及ぶ。地震国であるという日本の特性も無視できない。予測不能な地震と原発の掛け算のようなリスクを、このまま許容できるとは思えない。

 大震災の影響を考えれば、女川原発など被災した原発の再開も非常に慎重に考えざるをえない。今後の原発の新設は事実上不可能だろう。

 こうした現実を踏まえ、大災害を転機に、長期的な視点で原発からの脱却を進めたい。既存の原発を一度に廃止することは現実的ではないが、危険度に応じて閉鎖の優先順位をつけ、依存度を減らしていきたい。

 第一に考えるべきは浜岡原発だ。近い将来、必ず起きると考えられる東海地震の震源域の真上に建っている。今回、複数の震源が連動して巨大地震を起こした。東海・東南海・南海が連動して巨大地震・大津波を起こす恐れは見過ごせない。

 老朽化した原発も危険度は高い。原発の安全性の知識も地震の知識も進展している。古い原発にはその知識を反映しにくい。

 日本は電力の3割を原発に依存してきた。安定した電源として擁護論は強い。原発なくして日本の経済が成り立たないのではないかという懸念もある。

 しかし、経済と安全をてんびんにかけた結果としての原発震災を直視したい。最終的には国民の判断ではあるが、原子力による電源に頼らなくても、豊かに暮らすための知恵を絞りたい。

 そのためには、温暖化対策で注目された再生可能エネルギーの促進や低エネルギー社会の実現がひとつの鍵となるはずだ。地震国日本に適した電源と、それに基づく暮らし方を、今こそ探っていく時だ。

毎日新聞 2011年4月15日 
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2011年4月15日(金) 原発、津波
社説:震災後 地震国の原発 政策の大転換を図れ
 いつ、どこで、どれほど大きな地震や津波が起きても不思議はない。しかも、それを予測するすべを私たちは持たない。

 日本列島の現実を改めて思い知らされる1カ月だった。

 予測不能な大地震だけでも日本が抱える大きなリスクである。その海岸沿いに54基の原発が建ち並ぶ。地震と原発の共存がいかにむずかしいか。警告は何度も発せられてきた。

 石橋克彦・神戸大名誉教授のように「原発震災」という言葉で惨事を予見してきた科学者もいる。しかし、電力会社も政府も「少数派」として退けてきた。その帰結が今、私たちが直面する東京電力福島第1原発の深刻な事故である。

 ◇「想定外」許されぬ
 大地震がもたらした地殻のゆがみは各地に影響を与えている。今後の地震活動は、予断を許さない。

 地震国日本は原発と共存できるのか。真摯(しんし)に検証した上で、早急に打つべき手を打ちながら、原発政策の大転換を図るしかない。

 まず、誰もが問題だと思うのは津波対策の不備だ。06年に改定された原発耐震指針に盛り込まれているが、扱いは非常に軽い。新指針に基づく再点検も後回しにされ、東電は点検を終えていない。

 一方で、東海第2原発のように新潟県中越沖地震の後に津波対策を一部強化していたところもある。「想定外の津波」という言葉で事故を総括することは許されない。

 事故対応にも疑問は多い。79年の米スリーマイル島原発事故をきっかけに、設計の想定を超える事態への対応として「過酷事故対策」が日本でも用意された。

 ところが、今回のようにすべての電源が失われ、原子炉が長期間にわたって冷却不能に陥った場合の具体的備えが東電にはなかった。

 事故対応には初動が何より大事だ。にもかかわらず、電源車の用意や、原子炉の換気、海水注入などに手間取った。過酷事故対策を運用する準備があったとは思えない。

 当面の課題は、全国の原発で電源確保を確実にすることだ。津波対策や耐震強化の見直しも急がねばならない。

 国の規制や監視体制も改革を迫られている。監督官庁である原子力安全・保安院が原発推進の立場にある経済産業省に属する矛盾はこれまでも指摘してきた。今回の対応にもその矛盾を感じる。原子力安全委の存在意義も問われている。完全に独立した規制機関を再構築すべきだ。

 ただし、こうした「手当て」を施して良しとするわけにはいかない。

 事故発生後、原子力安全委の班目春樹委員長は「割り切らなければ原発は設計できないが、割り切り方が正しくなかった」と述べた。安全委員長の発言として納得できないが、それに加えて疑問が浮かぶ。

 割り切り方を間違えなければ大事故は起きないのか。安全規制を厳しくし、設備や緊急時の対応策を整えれば、事足りるのかという点だ。

 これまで、電力会社も政府も、原発は安全装置を何重にも重ねた「多重防護」に守られ、安全だと強調してきた。しかし、今回の事故で多重防護のもろさがわかった。どこまで安全装置を重ねても絶対の安全はなく、過酷事故対策も事故を収拾できなかったというのが現実だ。

 ◇依存度下げる決意を
 リスクがあるのは飛行機や列車も同じだという議論もあるだろう。しかし、原発は大事故の影響があまりに大きく、長期に及ぶ。地震国であるという日本の特性も無視できない。予測不能な地震と原発の掛け算のようなリスクを、このまま許容できるとは思えない。

 大震災の影響を考えれば、女川原発など被災した原発の再開も非常に慎重に考えざるをえない。今後の原発の新設は事実上不可能だろう。

 こうした現実を踏まえ、大災害を転機に、長期的な視点で原発からの脱却を進めたい。既存の原発を一度に廃止することは現実的ではないが、危険度に応じて閉鎖の優先順位をつけ、依存度を減らしていきたい。

 第一に考えるべきは浜岡原発だ。近い将来、必ず起きると考えられる東海地震の震源域の真上に建っている。今回、複数の震源が連動して巨大地震を起こした。東海・東南海・南海が連動して巨大地震・大津波を起こす恐れは見過ごせない。

 老朽化した原発も危険度は高い。原発の安全性の知識も地震の知識も進展している。古い原発にはその知識を反映しにくい。

 日本は電力の3割を原発に依存してきた。安定した電源として擁護論は強い。原発なくして日本の経済が成り立たないのではないかという懸念もある。

 しかし、経済と安全をてんびんにかけた結果としての原発震災を直視したい。最終的には国民の判断ではあるが、原子力による電源に頼らなくても、豊かに暮らすための知恵を絞りたい。

 そのためには、温暖化対策で注目された再生可能エネルギーの促進や低エネルギー社会の実現がひとつの鍵となるはずだ。地震国日本に適した電源と、それに基づく暮らし方を、今こそ探っていく時だ。

毎日新聞 2011年4月15日 
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<福島第1原発>綱渡りの汚染水処理 移送先確保急ぐ
毎日新聞 4月15日(金)20時20分配信

 福島第1原発事故で東京電力は15日、2号機のトレンチ(トンネル)にある高濃度の放射性物質汚染水の移送を中断した結果、いったん下がった水位が元にほぼ戻ったと発表した。水位上昇が続くと、汚染水が海にあふれる可能性がある。東電は移送先の確保を急いでいるが、防水措置などに時間がかかり、汚染水問題は綱渡りを余儀なくされている。

 2号機では、原子炉由来の高濃度汚染水が、タービン建屋(約2万トン)を通じてトレンチに流れ込み、さらに先のピット(立て坑)の亀裂から海に流出。止水工事の結果、トレンチ内の水位は7日午前7時までの24時間で約5センチ上昇し、別の場所へ移す必要が出た。

 最初の移送先は復水器(約3000トン)で、12〜13日に660トンを運び、地表面からの水位は6〜8センチ下がった。しかし残り2000トン以上あるはずの容量がほとんどないことが判明。14日以降、移送を取りやめた結果、15日朝は移送前より1センチ高い90センチになった。

 これ以外の移送先には集中廃棄物処理施設(集中環境施設、約3万トン)があり、受け入れ準備が整うのは「当初は12日ぐらいがめど」(海江田万里経済産業相)だった。しかし地震による亀裂をコンクリートでふさぐなどの防水措置に時間がかかり、東電によると来週初めの見通しだ。

 第1原発全体の汚染水の貯蔵には、新たな仮設タンク1万2000トン分を4月中に設置予定で、既に1000トン分を据えつけた。だが配管工事などが必要で、汚染水は移送先が一時的にない状態だ。東電は「トレンチの水位の上昇社説:震災後 地震国の原発 政策の大転換を図れ
 いつ、どこで、どれほど大きな地震や津波が起きても不思議はない。しかも、それを予測するすべを私たちは持たない。

 日本列島の現実を改めて思い知らされる1カ月だった。

 予測不能な大地震だけでも日本が抱える大きなリスクである。その海岸沿いに54基の原発が建ち並ぶ。地震と原発の共存がいかにむずかしいか。警告は何度も発せられてきた。

 石橋克彦・神戸大名誉教授のように「原発震災」という言葉で惨事を予見してきた科学者もいる。しかし、電力会社も政府も「少数派」として退けてきた。その帰結が今、私たちが直面する東京電力福島第1原発の深刻な事故である。

 ◇「想定外」許されぬ
 大地震がもたらした地殻のゆがみは各地に影響を与えている。今後の地震活動は、予断を許さない。

 地震国日本は原発と共存できるのか。真摯(しんし)に検証した上で、早急に打つべき手を打ちながら、原発政策の大転換を図るしかない。

 まず、誰もが問題だと思うのは津波対策の不備だ。06年に改定された原発耐震指針に盛り込まれているが、扱いは非常に軽い。新指針に基づく再点検も後回しにされ、東電は点検を終えていない。

 一方で、東海第2原発のように新潟県中越沖地震の後に津波対策を一部強化していたところもある。「想定外の津波」という言葉で事故を総括することは許されない。

 事故対応にも疑問は多い。79年の米スリーマイル島原発事故をきっかけに、設計の想定を超える事態への対応として「過酷事故対策」が日本でも用意された。

 ところが、今回のようにすべての電源が失われ、原子炉が長期間にわたって冷却不能に陥った場合の具体的備えが東電にはなかった。

 事故対応には初動が何より大事だ。にもかかわらず、電源車の用意や、原子炉の換気、海水注入などに手間取った。過酷事故対策を運用する準備があったとは思えない。

 当面の課題は、全国の原発で電源確保を確実にすることだ。津波対策や耐震強化の見直しも急がねばならない。

 国の規制や監視体制も改革を迫られている。監督官庁である原子力安全・保安院が原発推進の立場にある経済産業省に属する矛盾はこれまでも指摘してきた。今回の対応にもその矛盾を感じる。原子力安全委の存在意義も問われている。完全に独立した規制機関を再構築すべきだ。

 ただし、こうした「手当て」を施して良しとするわけにはいかない。

 事故発生後、原子力安全委の班目春樹委員長は「割り切らなければ原発は設計できないが、割り切り方が正しくなかった」と述べた。安全委員長の発言として納得できないが、それに加えて疑問が浮かぶ。

 割り切り方を間違えなければ大事故は起きないのか。安全規制を厳しくし、設備や緊急時の対応策を整えれば、事足りるのかという点だ。

 これまで、電力会社も政府も、原発は安全装置を何重にも重ねた「多重防護」に守られ、安全だと強調してきた。しかし、今回の事故で多重防護のもろさがわかった。どこまで安全装置を重ねても絶対の安全はなく、過酷事故対策も事故を収拾できなかったというのが現実だ。

 ◇依存度下げる決意を
 リスクがあるのは飛行機や列車も同じだという議論もあるだろう。しかし、原発は大事故の影響があまりに大きく、長期に及ぶ。地震国であるという日本の特性も無視できない。予測不能な地震と原発の掛け算のようなリスクを、このまま許容できるとは思えない。

 大震災の影響を考えれば、女川原発など被災した原発の再開も非常に慎重に考えざるをえない。今後の原発の新設は事実上不可能だろう。

 こうした現実を踏まえ、大災害を転機に、長期的な視点で原発からの脱却を進めたい。既存の原発を一度に廃止することは現実的ではないが、危険度に応じて閉鎖の優先順位をつけ、依存度を減らしていきたい。

 第一に考えるべきは浜岡原発だ。近い将来、必ず起きると考えられる東海地震の震源域の真上に建っている。今回、複数の震源が連動して巨大地震を起こした。東海・東南海・南海が連動して巨大地震・大津波を起こす恐れは見過ごせない。

 老朽化した原発も危険度は高い。原発の安全性の知識も地震の知識も進展している。古い原発にはその知識を反映しにくい。

 日本は電力の3割を原発に依存してきた。安定した電源として擁護論は強い。原発なくして日本の経済が成り立たないのではないかという懸念もある。

 しかし、経済と安全をてんびんにかけた結果としての原発震災を直視したい。最終的には国民の判断ではあるが、原子力による電源に頼らなくても、豊かに暮らすための知恵を絞りたい。

 そのためには、温暖化対策で注目された再生可能エネルギーの促進や低エネルギー社会の実現がひとつの鍵となるはずだ。地震国日本に適した電源と、それに基づく暮らし方を、今こそ探っていく時だ。

毎日新聞 2011年4月15日 
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大震災の津波、宮古で38・9m…明治三陸上回る
読売新聞 4月15日(金)12時2分配信

 東日本大震災の津波が、岩手県宮古市の重茂(おもえ)半島で38・9メートルの高さまで達していたことが、東京海洋大学の岡安章夫教授の調査で分かった。

 岸から400メートル離れた同半島の姉吉漁港近くの山の斜面で、津波によって木が倒れていることを発見した。

 斜面を駆け上がった津波の遡上(そじょう)高として、明治三陸地震(1896年)の記録を初めて抜いた。明治三陸地震では、同県大船渡市の綾里(りょうり)地区の38・2メートルが最大記録。東日本大震災では、宮古市田老(たろう)地区の小堀内漁港近くでも37・9メートルの遡上高が確認されている。 皆様方へ                                 (BCCでお送りしました)

国難の春

そんな中、「くるくるネットスクール」を開設します。全国に誇る無料コミュニティーバスが走る

福島市・蓬莱団地で立ち上げます。4月17日(日)午前10時からくるくるバス事務所

(024−548−3088)で開校、すぐに1回目の学習会を開きます。1回2時間で

全4回で1コース終了です。全コースでお一人3000円です。

1クラス5人、会場費としてお一人200円を学習会ごとに別にいただきます。

毎週日曜日に開き、「午前10時クラス」「午後1時クラス」の2つの学習を楽しみます。


落ちこぼれ・いじめなし、助け合い・教え合い、うきうきお勉強会ーを実践します。

カンニング大歓迎です。マンツーマンに近い学習にするため1クラスは5人以下に抑えました。

笑いの中でマスター出来ることを目指します。

生徒さんは、ノートパソコンと携帯電話を持参していただくとありがたいです。携帯だけでもOKです。

第1コース全4回は「ツイッターをマスター、わくわく生活を!」です。

その後はフェースブック、ユーストリームの動画などを考えています。ユーストで福島を世界に

発信することも可能です。悲惨な福島の春ですが夢は広がります。

福島をネット先進地にをスローガンの「くるくるネットスクール」の会長は福田順一氏(ハッピーケア社長)です。

副会長は秋山時夫氏(FTV専務、蓬莱町)大沼輝彦氏(NTT福島部長、さくら台団地)

高橋実氏(風の谷社長、清水町)冨田健一郎氏(元伊達町長、伊達市)らです。

校長は渡部直紀氏(システムコーデネーター)事務局長は小林悦子氏(くるくるバス代表)、

用務員は小林富久壽です。

ツイッターの学習は2クラスともあっという間にふさがり、第2期の申し込みが相次いでいます。

                                      小林富久壽 拝



東日本大震災復興構想会議であいさつする(左から)梅原猛特別顧問と御厨貴議長代理、五百旗頭真議長、菅直人首相=首相官邸で2011年4月14日午後2時22分、藤井太郎撮影(毎日新聞) 東電社長「柏崎刈羽3号機、年内に…」地元反発
読売新聞 4月14日(木)20時11分配信

東日本大震災 復興構想会議 原発除外に異論が噴出 「全国民の英知を結集する」として菅直人首相が発足させた東日本大震災復興構想会議(議長・五百旗頭真防衛大学校長)の議論が14日始まった。6月末をめどに第1次提言をまとめることを確認したが、首相が議論の対象から原発問題を外すよう指示したのに対し哲学者の梅原猛特別顧問らから異論が噴出。震災発生後の本部・会議の乱立や政治主導の政権運営に疑念を呈する発言も相次ぎ、復興構想の具体化に不安を残すスタートとなった。【平田崇浩】(毎日新聞)
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<福島第1原発>10キロ圏内を捜索 10遺体を発見

 深刻な放射性物質放出事故のため、行方不明者の捜索がほとんど手つかずだった東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)から半径10キロ圏内で14日、県警による本格的な捜索が始まった。初日は遺体10体を発見して、7遺体を収容した。高い放射線量が検出された遺体はなかったという。

【福島第1原発】見えぬ恐怖 20キロ圏内捜索に同行

 県警はまず、原発の北約7キロで津波被害が大きい浪江町請戸(うけど)地区に機動隊員ら約300人を集中投入。隊員は白い防護服に身を包み、放射線の計測器の値に注意しながら慎重に捜索した。

 県災害対策本部によると、13日までに同町の死者は3人、行方不明者は183人とされていた。請戸地区では住宅など630棟のうち約9割が倒壊。がれきは津波に襲われた時のまま、沿岸部に散乱していた。

 捜索の実施期間は未定。強い雨が降れば隊員の被ばく量が増える危険があるため中止する。【金寿英】

毎日新聞   2011年4月14日 
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東日本大震災:地盤沈下 最大は陸前高田市の84センチ

がれきの撤去作業が進む岩手県陸前高田市の被災地=2011年4月13日、佐藤泰則撮影 国土地理院は14日、東日本大震災に伴って岩手、宮城、福島の3県で生じた地盤沈下の調査結果を公表した。調査した全28地点で地盤沈下が確認され、最大は岩手県陸前高田市で84センチを記録した。

 地理院は先月、東南東に5.3メートル動いた牡鹿半島(宮城県)で1.2メートル沈下したと発表しているが、今回の調査は、大震災の規模の大きさを改めて示した。

 調査は、GPS(全地球測位システム)を使い、震災前と今月5〜10日の標高を比べた。誤差は10センチ以内という。陸前高田市以外では宮城県石巻市の78センチ、同県気仙沼市の74センチ、岩手県大船渡市の73センチと続き、両県境の地域で大きく沈下している。

 地理院は今後、誤差0.1ミリ以下の精度で、茨城県を含む4県での精密測量を実施する。【安味伸一】

毎日新聞  2011年4月14日 東京電力の清水正孝社長は13日の記者会見で、2007年の新潟県中越沖地震で被災した柏崎刈羽原子力発電所(新潟県柏崎市、刈羽村、全7基)で今も停止中の2〜4号機のうち、3号機について、「運転再開に向けてできるだけ早く、年内には手続きに入りたい」と発言した。

 これに対し、柏崎市の会田洋市長は14日、報道陣に「福島第一原発の状況が収束していない状況で、そうした発言がなされることは理解できないし、驚いている」と反発。「原発の安全性について国から新しい方針が示されないと、運転再開は難しい」と否定的な考えを明らかにした。 最終更新:4月15日(金)1時53分
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明治・大正
347.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
38. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
62. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
67. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (2004/3)
85. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
130. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
141. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
149. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一
198. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一
232. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
235. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)


もう泣かない もう負けない
想い出を超えられる明日があるから
(平原綾香  歌「明日」より)


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2011年4月14日(木) 原発、地震
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<東日本大震災>電気・水なし、栄養不足も 避難所で格差

長期にわたり避難所生活を続ける被災者=宮城県石巻市の石巻中で2011年4月13日午後2時41分、手塚耕一郎撮影
 未曽有の被害をもたらした東日本大震災。避難者100人を対象にした毎日新聞のアンケートからは、今後の生活設計を描けない避難者たちの苦悩が浮かぶ。自宅の再建や生計の維持など不安は尽きないが、多くの人は元の生活に戻れる日を信じ、避難生活を過ごしている。

<東日本大震災>「放射能怖い」福島からの避難児童に偏見

 原発事故で被ばくを恐れ福島県から避難してきた子供が「放射能怖い」と偏見を持たれるケースがあるとして、千葉県船橋市教委が全市立小中学校長らに配慮するよう異例の指導を行っていたことが分かった。福島県南相馬市から船橋市へ避難した小学生の兄弟の事例では、公園で遊んでいると地元の子供から露骨に避けられたという。兄弟は深く傷つき、両親らは別の場所へ再び避難した。大震災から1カ月たつが、福島第1原発の深刻な事態が収まる見通しは立っていない。知識の欠如に基づく差別や偏見が広がることを専門家は懸念している。【味澤由妃】

 南相馬市の小学生の兄弟のケースは、避難者の受け入れ活動に熱心な船橋市議の一人が把握し、市教委に指摘した。市議によると兄弟は小5と小1で、両親と祖父母の6人で震災直後船橋市内の親類宅に身を寄せ、4月に市内の小学校に転校、入学する予定だった。

 兄弟は3月中旬、市内の公園で遊んでいると、方言を耳にした地元の子供たちから「どこから来たの?」と聞かれた。兄弟が「福島から」と答えると、みな「放射線がうつる」「わー」と叫び、逃げていった。兄弟は泣きながら親類宅に戻り、両親らは相談。「嫌がる子供を我慢させてまで千葉にいる必要はない」と考え、福島市へ再び避難した。

 福島県から県内に避難し、この家族をよく知る男性は「タクシーの乗車や病院での診察を拒否された知人もいるようだ。大人たちでもこうなのだから、子供たちの反応も仕方がない。でも、当事者の子供はつらいだろう」と話す。

 市議の指摘を受け、船橋市教委は3月28日「(放射能への)大人の不安が子どもたちにも影響を与え、冷静な対応がとれなくなることが危惧される」として、避難児童に「思いやりをもって接し、温かく迎える」「避難者の不安な気持ちを考え言動に注意する」よう市立小中学校長らに通知した。

 市教委によると今月から市内の学校へ通う被災者・避難者の子供は43人で、うち38人は福島県出身という。

 避難児童を多数受け入れる市立行田西小学校の中村俊一校長は、「温かく迎えるのは言われなくても当たり前のこと」と強調。「放射能を巡る偏見や方言で児童を傷つけることがないよう注意深く見守ろうと、教職員に何度も話している。始業式や入学式で『いつか古里に帰れる日が来るでしょう。その時に船橋に来て良かった、友達ができて良かったと思ってもらえるよう仲良くしてください』と呼びかけた」と話す。

 市教委に指摘した市議は「話を聞き、心がさみしくなった。船橋の子供たちにはいつも『思いやりのある人になってほしい』と言っている」と話す。

   ◇  ◇

 千葉市稲毛区の放射線医学総合研究所(放医研)は福島第1原発事故直後の3月14日、放射線や被ばくを巡る電話相談窓口を開設。研究員や退職者6人が朝から深夜まで応対している。相談は主に首都圏から寄せられ、すでに6000件を超えている。

 震災直後は「原発近くに住む親類を家で受け入れたいが、自分の子に影響はないか」という内容が多かった。その後、避難者の数が増えると「アパートの入居で難色を示された」「福祉施設や病院で被ばく線量を調べるスクリーニング検査の証明書の提出を求められた」などの相談が急増した。

 今回の船橋のケースも踏まえ、放医研の柿沼志津子博士は「大人をまず教育したい。受け入れる側が心配すべきことは何もありません。むしろ心配しすぎる方が体に悪い」と指摘。「放射線について正確な知識に基づき、『正しく怖がる』ことが大切です。もっと勉強してほしいし、私たちも理解を深めてもらえるよう努力しなければならない」と話す。放医研は相談窓口(電話043・290・4003)を当面続けるという。

毎日新聞   2011年4月13日 
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沿岸を無人で漂流する「迷い船」360隻

震災後に、関東から東北にかけての沿岸で発見された漁船やクルーザーボートなどの「迷い船」は、海上保安庁によると、10日現在で計360隻に上る。だが、見つかっても所有者の手に移らないのが現状だ。

 釜石や宮城などの各海上保安部は3月12日から連日、巡視艇やヘリで沿岸パトロールを続けている。360隻にはいずれも船員がおらず、所有者割り出しにつながる船名や登録番号が船体から確認できたのは236隻。残りは転覆などで確認できなかった。

 人命救助を優先し、新たな船発見に力を注ぐため、港まで引航したのは42隻、うち所有者に引き渡せたのは5隻にとどまる。42隻以外は海に漂ったまま。ほかの船舶には危険だが、「安全航行のための注意喚起をするしかない」という。

 同庁は、引航した船は所有者に引き渡す方針だが、所有者を捜す作業が追いつかず、分かっても「被災されたのか、連絡が付かない」(総務部)場合もある。

 釜石海保は津波で事務所が破壊され、職員全員が巡視船で業務にあたっている。引地三郎次長は「こちらも震災で混乱している中、捜索と所有者割り出しを同時並行で進めるのは困難」と説明する。

 一方、港内に沈没した漁船の処理も課題だ。航行する船の底が接触しないよう撤去する必要があるが、船がどれだけ沈んでいるのかも不明だ。宮城県気仙沼市では、専門業者が20日頃から沈没船の場所を調べるが、多くの自治体では見通しもたっていない。

 大船渡市漁協では2000隻以上の漁船が流された。陸に打ち上げられたり、大船渡湾内に浮かんだりしていた約200隻が回収されたのみで、未発見の一部は湾外に流されたとみられる。岩脇洋一組合長は「漁師が船を失えば死活問題。漂流する船は修理すれば、また使えるかもしれない。少しでも発見してくれるとありがたい」と話している。

読売新聞   2011年4月13日 
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 よみうり寸評

 史上最悪の「レベル7」――東電福島第一原発の事故の国際評価尺度がチェルノブイリに並んだ。事故発生直後の「4」が3月18日に「5」、それがきのう「7」に◆こう発表しておいて、原子炉が爆発、作業員28人が死亡したチェルノブイリと福島とでは大違いと政府は火消しに大わらわ◆それは理解するが、〈チェルノブイリと同レベル〉は独り歩きする。深刻度評価を小出しに広げた印象。これがよろしくない。発表が遅すぎた。また後手に回ったといわれても仕方がない。同じこの日に菅首相の記者会見、釈明に追われたのも間が悪い◆「国民の皆さんに必要な情報はしっかり提供している」と首相。「しっかり」を首相はよく言うが、本当に「しっかり」だと思う人は多くはない◆「東電に今後の見通しを示すよう指示した」とも述べたが、人ごとのようにも聞こえる。その見通しなしに「一歩一歩安定化」と言われても素直にはうなずけない◆会見に具体的な話は乏しく、復興へ奮い立たせるような迫力もなかった。

読売新聞    2011年4月13日



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明治・大正
317.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
45. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
52. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
59. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (2004/3)
80. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
117. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
127. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
133. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (2002/8)
185. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一
221. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
223. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)


永遠の桜の木になろう
スタートの目印になるように
花弁のすべてが散っても
枝が両手広げながら待っている
(秋元康  「桜の木になろう」)



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避難所生活が1カ月を超え、アンケートからは物資不足の状況が解消しつつある一方、避難所によって生活格差が生じ始めていることもうかがえる。

◇いまだ「何日かに1食」「全くない」

温かい食事を3食取れているとの回答は7割近くあり「全国から食糧、衣類の支援を受け、本当にありがたい」など支援の広がりに感謝する声が目立った。だが「何日かに1食」と「全くない」が依然として計6人。福島県いわき市の避難所にいる船員、猪狩光男さん(64)は「食事はいつもパン」。宮城県石巻市の水産加工業、藤原勝正さん(60)も「野菜が少ない」と栄養不足を訴えた。

生活格差を懸念する意見も目につく。岩手県陸前高田市の公民館に避難するクリーニング業、石川久美子さん(61)は「小さな避難所なので中心部の大きな避難所に比べ復旧が遅い」と回答。今も明かりはロウソクや懐中電灯で、調理も沢水を使うという。宮城県南三陸町の避難所にいる漁協職員、三浦幸子さん(59)は「電気がない。水がない。川の冷たい水で洗濯せざるを得ない」と答えた。

高齢者など要援護者のケアも十分でない。岩手県宮古市の無職、大沢恵美子さん(62)は車椅子の姑(しゅうとめ)と宮古市内の体育館で避難生活を送る。体育館2階ギャラリーに更衣室ができたが、姑は利用が難しい。周囲の避難者が介護に協力してくれているのが救いという。

福島県会津若松市に避難している同県南相馬市の商店経営、佐藤トキ子さん(68)は入院中の夫が新潟県の病院へ転院した。「原発の問題が長引けば、病院との往復交通費や医療費などさまざまな問題が生じる」と話した。

◇「情報」ほしい

今一番ほしいもので「情報」と回答した人も多かった。陸前高田市の避難所にいるカキ養殖業、佐藤一男さん(45)は「薬の有無や病院の診察情報など不確実な情報が多い。仮設住宅の申し込み状況など次につながる情報を得ることで不安は少なくなる」と答えた。

毎日新聞    2011年4月13日
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原発10キロ圏の捜索開始へ=300人態勢で福島県警

 福島県警は13日、福島第1原発から半径10キロ圏内で14日以降、機動隊ら300人態勢で行方不明者を捜索すると発表した。同圏内の大規模捜索は、巨大津波に伴う原発事故後初めて。

県警は同日午前10時ごろ、同県浪江町の請戸漁港付近で捜索を開始。捜索班約260人のほか、放射線量を計測するモニタリング班なども加わる。発見した遺体の放射線量が高い場合は、水で洗い流すなどの除染を行い、収容する。
原発から約7キロ離れた請戸漁港近くはほぼ壊滅状態で、県警は、相当数の遺体が残されている可能性があるとしている。
 
時事通信社    2011年4月13日

震源域東側でM8級、早ければ1か月内…専門家

 東日本大震災の震源域の東側で、マグニチュード(M)8級の巨大地震が発生する可能性が高いとして、複数の研究機関が分析を進めている。

 日本海溝の東側で海のプレート(岩板)が引っ張られる力が強くなっているためで、早ければ1か月以内に津波を伴う地震が再来する危険がある。M9・0の東日本大震災は、押し合っていた海のプレートと陸のプレートの境界面が破壊されて起きた。そのため周辺の地殻にかかる力が変化し、東日本全体で地震が誘発されている。

 京都大防災研究所の遠田晋次准教授(地震地質学)は全地球測位システム(GPS)の測定データから、海のプレート内部で引っ張られる力が強くなっていることを突き止めた。明治三陸地震(1896年)の37年後、昭和三陸地震を起こしたメカニズムと共通しているという。「今、昭和三陸規模の地震が起きると、仙台市で10メートルの津波が押し寄せる計算になる」と言う。

読売新聞    2011年4月14日

「子供が心配」福島ごみ処理支援で川崎市に苦情2千件超

 川崎市の阿部孝夫市長が東日本大震災で被災した福島県を訪問し、がれきなどの災害廃棄物処理の協力を申し出たことに対し、2000件を超える苦情が市に寄せられていることが13日、明らかになった。

 阿部市長は7日、福島県庁で佐藤雄平知事と会談。被災地支援の一環として「津波で残ったがれきなど粗大ごみを川崎まで運び、処理したい」と申し出た。このことが新聞などで報じられた8日以降、川崎市のごみ処理を担当する処理計画課などに「放射能に汚染されたものを持ってくるな」「子供が心配」といった苦情の電話やメールが殺到。中には阿部市長が福島市出身であることを挙げ、「売名行為だ。福島に銅像を建てたいだけだろう」というものもあったという。

 川崎市は「放射能を帯びた廃棄物は移動が禁止されているため、市で処理することはない」と説明。市のホームページでも安全性や理解を呼びかけている。

産経新聞4月14日(木)9時7分
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<福島第1原発>避難苦? 飯舘村102歳男性が自殺

 東京電力福島第1原発事故で避難することになった福島県飯舘村の102歳の男性が同村内で自殺していたことが13日、地元関係者の話で分かった。

 関係者によると、死亡したのは12日。長男夫婦と3人で住んでおり、避難の話し合いをしていたさなかだった。自宅を離れることを苦にしたとみられるという。

 同村は原発事故の影響で放射線の数値が高く、政府が「計画的避難区域」に指定する方針の地域。【金寿英】

毎日新聞 4月14日(木)


                                     福島市 フリーライター小林富久壽 拝
                                         090−2606−8034

動画(UST)による福島報告第2弾は今日13日(水)午後6時ごろから中継します。録画でも観ることが

出来ます。URLのhttp://bit.ly/glt2tTから楽しむことが可能です。

会場は福島大学の食堂です。福大の体育館では南相馬市からの避難民約70人が

生活しています。NPOふくかんネットが韓国料理を作り、提供します。


福島報告のメーンは、夕食の後の「福島の歌の女王」の愛称がある

本田知美さん母娘の歌とトークです。

知美さんは知恵遅れです。小学校に入学と同時にいじめに遭いました。言葉のいじめは

もとより、あらゆる嫌がらせ、肉体的いじめを受けました。死のうと何度、腕の血管を

切ったことか。登校も拒否、引きこもったことも少なくありません。


娘の苦悩に母親も体調を壊しました。乳がんになったのです。娘を何とか救いたい。

そう願いながらも、娘からの「何で、身障者の私を生んだの」との言葉がぐさりと

体にささりました。母の病状は悪化する一方でした。母親の妹さんも乳がんで、

母親が発病した2年前に亡くなっています。

母親は、亡くなった自分の妹に毎日、懸命に祈りました。

「早く、私を迎えに来てほしい!迎えに来て!」。


娘が小学6年生のある日、母親は、自宅の知美さんの机の中を見ました。

そこには知美さんが描いた絵と詩がいっぱいありました。


いつまでもお母さんにあたることは出来ない。母は癌でも苦しんでいる。

苦悩、絶望、地獄‥。現実の社会から逃れるため絵と詩に心の安らぎを

求めていたのです。絵と詩に逃避していたのです。


「知美は、こんなに苦しんでいたの!私以上に知美は悩んでいた。

済まなかった、知美ちゃん!」。


絵と詩に加え、知美さんは歌も上手でした。音符は読めません。しかしどんな歌でも1度聴けば

すぐに歌えます。天与の才能です。きれいな声、それにポイム。作曲もします。


今夜13日の歌とトークは、知美さん母娘の人生の歌でもあります。避難民の悩みともダブル面も

少なくありません。

少しでも避難されている方々の癒しになれば、そして勇気と元気を与えることができれば‥。

知美さん母娘は、これまでの半生の全てを、この夜の歌とトークにかけます。

是非、URLのhttp://bit.ly/glt2tTをお願いします。動画でもOKです。


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2011年4月13日(水) 原発、津波
原発周辺「20年住めない」と菅首相=内陸に移住、10万人規模の宅地造成
時事通信 4月13日(水)15時51分配信
 菅直人首相は13日、松本健一内閣官房参与と首相官邸で会い、放射能漏れ事故を起こした福島第1原発周辺の避難区域について「そこに当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる」との認識を示した。松本氏が会談後、記者団に明らかにした。
 松本氏は、避難区域などに住んでいた住民の移住先について、福島県の内陸部に5万〜10万人規模の環境に配慮したエコタウンをつくることを提案。首相は賛意を示し、「中心部はドイツの田園都市などをモデルにしながら再建を考えていかなければならない」と語った。 
国は事故を過小評価」専門家から批判の声も
読売新聞 4月12日(火)20時20分配信

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 福島第一原子力発電所の事故の国による評価は、事故発生直後の「4」が3月18日に「5」に、そして20日以上たった4月12日になって最悪の「7」に変わった。

 専門家からは「国は事故を過小評価しようとしてきたのではないか」との批判の声も上がっている。

 原子力安全委員会によると、外部に出た放射性物質の大半は、1〜4号機で水素爆発や火災などのトラブルが相次いでいた3月15日頃までに放出されていた。15〜16日にかけ、放射性物質の放出総量が跳ね上がっており、安全委は2号機の圧力抑制室が15日に損傷し、大量の放射性物質が放出された結果と見ている。<福島第1原発>事故賠償補償料足りず 差額、国民負担に
毎日新聞 4月13日(水)2時36分配信

 原発事故の損害賠償制度を定めた原子力損害賠償法(原賠法)に基づき、電力会社が毎年国に納めた補償料が、1962年の制度開始から2010年度まで累計で約150億円しかないことが12日、分かった。東京電力福島第1原発事故で、国は最低でも1200億円を支払う必要があるが、これまで受け取った補償料では足りず、不足分は国民負担で賄うしかない。現行制度では大規模事故への備えが十分ではないため、政府は賠償措置額の増額や補償料率の引き上げなど制度を見直す方向で検討する。

 原賠法では、原子力施設ごとに、事故時に国が支払う上限額が「賠償措置額」として決められている。同法が初めて適用された99年の東海村臨界事故では、約154億円の賠償金のうち、核燃料加工会社の賠償措置額10億円が国から支払われた。発電所の賠償措置額は1カ所当たり1200億円で、今回の事故で福島第1原発と同第2原発が賠償の対象になれば、国の負担は最大2400億円に膨らむ。

 原発の賠償措置額は当初は50億円だったが、法改正で段階的に引き上げられ、09年の改正(10年1月施行)では、東海村事故を受けて600億円から1200億円に倍増した。ただ、措置額を引き上げると、保険料に相当する電力会社の補償料負担も重くなるため、09年改正では補償料率を「賠償措置額の1万分の5」から「1万分の3」に引き下げ、電力会社の負担を2割増に抑えた。

 福島第1・第2、柏崎刈羽の3発電所を運転する東電の納付額は現在、年間1億数千万円、他の電力会社からの分も含めると、年間の補償料総額は8億〜9億円とみられる。補償料は別会計で積み立てられる保険のような仕組みではなく、政府の一般会計に入れられているため、支払いも一般会計から出すことになる。

 これまで補償料率は「今回のような大規模の原発災害を想定せずに設定していた」(文部科学省幹部)。今回の事故で「原発のリスクに比べ、電力会社の負担が低すぎる」との意見が強まっており、賠償措置額や補償料率など、制度の抜本的見直しは不可避だ。ただし、電力会社の負担増は電気料金に跳ね返るため、政府は消費者の負担との兼ね合いもにらみながら議論を進める。【永井大介】

 【ことば】原子力損害賠償法

 原子力事故時の損害賠償の枠組みを定めており、電力会社は国が支払う賠償措置額の一定割合を「補償料」として国に納める。補償料率は損失の発生見込みなどを基に算定し、09年の改正では、民間保険で保険料率が低下傾向にあることを反映して料率を引き下げた。事故で賠償が必要になる可能性は極めて低いとの見方から、補償料は国の一般会計に入れられて使われている。

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最終更新:4月13日(水)2時36分

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賠償範囲や金額で指針 原発事故で政府が審査会設置(産経新聞) 11日(月)20時51分
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 当時、すでにフランス原子力安全局は「6」、米民間機関「科学国際安全保障研究所」も「6または7」との見解を示していたが、保安院は「健康にかかわるものでない」として見直す姿勢は見せなかった。

 しかし、18日には国際世論に押されるように「5」に変更した。保安院の西山英彦審議官は「圧力や温度などが大きく変動し、評価が難しかった」と弁明。その後は「6にするには早い」と繰り返してきた。 最終更新:4月12日(火)20時20分

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原発事故の賠償、他電力会社も負担…原案
読売新聞 4月13日(水)3時18分配信



読売新聞
 東京電力の福島第一原子力発電所の事故による被災者に対する賠償策の原案が12日、明らかになった。

 米スリーマイル島の原発事故の賠償制度を参考に、東電以外の電力各社も加わった「共済制度」の仕組みを創設する。各社には保有する原発1基あたり300億〜500億円の負担を求める案を軸に検討する。東電の負担額は2兆〜3・8兆円とし、電力各社の支払い上限を超える部分は政府が全面支援する。賠償制度の実現に向け、政府は特別立法の制定も視野に入れる。

 政府と東電は近く賠償案の本格検討に入る。原案では東電は同社の毎年の利益から1000億〜2000億円を15年間払うほか、保有する原発17基分の負担金5100億〜8500億円程度を支払う。東電以外の電力各社も国内に37基の原発を保有しており、基数に応じて負担金を拠出する。電力9社の合計は1・1兆〜1・8兆円程度となる。 最終更新:4月13日(水)3時18分

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越山若水   

 哲学や宗教で「二人称の死」という言葉がある。夫婦や親子、兄弟、さらに恋人や友人など親しい人の死を意味する。一人称は自分自身、三人称は直接関係のない人▼中で最も悲しい体験が「二人称の死」である。自分の死は認知できないし、他人の死には思いが及びにくい。しかし一緒に暮らし心を通じ合った人の死は重い▼2万7千人近くの死者・行方不明者を出した東日本大震災。想像を絶する犠牲者の多さに日本中が愕然(がくぜん)とし、列島は「二人称の死」に直面したような深い悲しみに包まれた▼残された遺族の胸中とは比べようもないが、人間は動物と違い面識のない人の死を悼む優しさがある。それを「二・五人称の死」と名付けた人もいる▼大震災からきのうで1カ月。被災地では発生時刻の午後2時46分、犠牲者に黙とうをささげた。全国でも祈りの時間を共有し同朋の「二人称の死」を受け止めた。もちろん「がんばろう東北」の思いを込めて。

福井新聞    2011年4月12日 
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明窓 : 3回目の敗戦

 東日本を襲った巨大地震と大津波、その上に福島原発の放射能漏れ事故。日本はかつて経験したことのない大災害、国難に遭遇している。堺屋太一さんは19世紀以降の日本にとって、大震災は3回目の「敗戦」だという▼1回目の敗戦は幕末。薩英戦争や下関戦争で手痛い打撃を受け、一気に明治維新へと突き進んだ。2回目は言うまでもなく、太平洋戦争の敗戦。いずれも社会思想や仕組みを大転換するきっかけとなり、新国家の建設につながった▼今度の大震災が3回目の敗戦かどうかは別にし、社会のありようを変える転轍機(てんてつき)となるのは確かだろう。一例が電力不足。現代日本では「空気と水と電気」はあって当たり前。だが空気と水は汚染し、電気は十分に使えなくなった▼福島原発の爆発事故で首都・東京を中心とした電力不足は当分解消されそうにない。電力消費がピークを迎える夏場には1000万キロワットの電力不足が見込まれ、産業活動や社会生活への大打撃が予想される。まるで終戦直後のようだ▼緊急事態に直面し、政府は電力使用制限令の発動やサマータイムの導入、夏休みの延長と分散化など対策を総動員して危機を乗り切る構えだ。それには首相の強い指導力がいる。国民の協力もいる。日本人の力量が試されている▼ともあれ戦後という時代が終わり「災後」が始まった。戦後を象徴する経済成長神話は過去の話。1000年に1度という大災害を経験した日本は新たな国づくりを迫られている。今は生みの苦しみと理解する。(三)

山陰中央新報    2011年4月12日 
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アマゾンベストセラー、 2011年4月13日
明治・大正
346.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
39. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
67. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
79. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (2004/3)
101. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
120. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
165. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
169. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
194. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
208. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (2002/8)
324. 新版 白虎隊と二本松少年隊 星 亮一 (単行本(ソフトカバー) - 2010/1/28)
348. 至誠の人 松平容保 星 亮一 (単行本 - 1993/6)



涙があるからこそ 私は前へ進めるのだ
(ガンジー)


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  そうだったのね、日本史!
http://www.nihonnshi.com/
***************** ***福島第1原発の半径20km圏内の避難地区では乳用牛870頭、肉用牛2,500頭、豚3万頭、鶏63万羽が飼育されている。さらに30km圏内全体では、鶏は190万羽、肉用牛1万2千頭(繁殖牛中心)、豚が3万9千頭が飼育されている。
特に20km圏内に飼養されていた家畜は住民が避難しているため家畜への水・飼料も供給できず、また立ち入ることができないため、残された家畜がどの程度死亡しているか確認できない状況。
家畜改良センターから公共牧場への移動申し出あり。が、現地では人命優先で手が回らない。原子力安全保安院から出荷制限がかけられた原乳や野菜については移動させず、その場で処理するよう指導されているため、区域内にある家畜を圏外などに移動させること自体が難しい状況。
このため農水省は、半径30km圏周辺に粗飼料のストックポイントを置いて、屋内退避圏内にある畜産農家が使えるよう何らかの対策を検討している。(報道情報 3月28日)

これが本当だとすると、20km圏内で牛3千・豚3万頭(20-30km圏内で牛1万・豚9千頭)(鶏は60万+130万羽)ということになります。

上記HPには他にも農家と家畜の被災について詳しい情報がたくさん載っています。
例えば、
・飼料メーカー工場の多くが海岸沿いにあるため被災し、被災地及び東北全域で深刻な飼料不足に陥っている。
・鶏は餓え(飼料不足)と寒さ(燃料不足)で数十万羽単位で死亡している。
・停電の影響で自動給餌システム動かず

また畜産農家向けの情報も載ってますので、農家の方は覗いてみてください。
(以下抜粋)
独立行政法人家畜改良センター(理事長 矢野秀雄)では、東北地方太平洋沖地震で被災された畜産農家を支援するため、ラップサイレージなどの粗飼料を無償で提供する用意があることを青森県、岩手県及び福島県に申し出ましたことをお知らせします。なお、現在のところ支援可能と考えられる数量は、乾草100t程度、牧草サイレージ500t程度です。
お問い合わせ先
『日本の食卓 改良と技術で守ります』〜小さなタネから 大きなウシまで〜
独立行政法人家畜改良センター
企画調整部 企画調整課 担当者:松本、成田
電 話:0248−25−6162 FAX:0248−25−3982

それから福島から家畜の移動制限がかかっている件について、農水省に問い合わせたところ、
近く何らかの結論を出すべく検討中、とのことでした。

4/11付けでALIVE(地球生物会議)から要望書が出ています。
まだ意見を送られてない方は参考にしてみてください。
福島原発避難地域の飼育動物に関する要望
http://www.alive-net.net/companion-animal/saigai/youbou20110411.htm



東日本大震災 殉職の父と同じ志胸に 岩手の新人記者
 目の前で困っている人を助けたい−−。亡父と同じ志を胸に、被災地で歩み始めた新聞記者がいる。岩手県大船渡市などで発行する地元紙「東海新報」の高橋信(しん)記者(23)。この仕事を勧めてくれた父俊一さん(60)は県警大船渡署高田幹部交番所長として、住民の避難誘導を続け津波にさらわれた。入社早々、取材先の同署で知った父の殉職。だが避難所を回れば不自由な生活を強いられた被災者がいる。「その声を書くことが今自分にできることです」【工藤哲】(毎日新聞
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2011年4月12日(火) 原発、津波
原発「レベル7」「極めて重く受け止める」東電・清水社長が声明
産経新聞 4月12日(火)16時54分配信


福島第1原発4号機の原子炉建屋。無人ヘリで撮影された=4月10日(東京電力提供)(写真:産経新聞)
 東京電力の清水正孝社長は12日、政府が同日、福島第1原子力発電所の事故について、国際的な評価に基づく事故評価を最悪の「レベル7」に引き上げたことに対し「極めて重く受け止めている」との声明を発表した。

[フォト] 福島知事は面会拒否 清水社長は名刺も直接渡せず「残念」

 このなかで清水社長は「発電所の周辺住民をはじめ、県民、社会に心配とご迷惑をおかけして心より深くお詫び申し上げる」と謝罪。「原子炉の冷却、放射性質の飛散防止を鋭意進め、事態の収束に向け全力をあげて取り組む」としている。


【関連記事】
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レベル7…史上最悪のチェルノブイリ原発事故 25年経て消えぬ不安
顔も見たくない「どの面下げて来た!」 東電社長に憤る福島県民
1カ月後の「レベル7」に米紙、政府対応を批判
中国など海外でも速報「チェルノブイリと同海外
海外総合中国韓国震災復興、協力の具体策提言へ=日本経団連と米シンクタンク
時事通信 4月12日(火)5時39分配信

 【ワシントン時事】米有力シンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」は11日、日本経団連と共同で、大震災に見舞われた日本の再建に向けた日米協力の具体策について提言する有識者会議「復興と未来のための日米パートナーシップ」を設置すると発表した。20日に初会合を開く。
 米航空宇宙・防衛最大手ボーイング社のマクナニー会長兼最高経営責任者(CEO)が座長を務め、アーミテージ元国務副長官、ハムレCSIS所長ら知日派の大物が加わる。キャンベル国務次官補(東アジア・太平洋担当)もオブザーバー参加する。
 当面は災害救助・防災、マクロ経済・財政、エネルギー、同盟に基づく協力など6分野で議論を進め、今秋に報告書をまとめる。 

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福島第1原発:牛を置いていけぬ…計画的避難区域指定
毎日新聞

被ばくを避けるため、牛舎内につないでいる牛を見守る山田さん=福島県飯舘村で2011年4月11日午後2時36分、内橋寿明撮影

企業向けの説明会で避難指示への理解を求める菅野典雄村長(右)=飯舘村役場で2011年4月11日午後2時33分、渡辺暢撮影 福島第1原子力発電所の事故を受け政府が11日、放射線の影響が大きいとされる自治体や地域を新たに「計画的避難区域」として指定したことに対し、自治体や住民には戸惑いや不安が広がった。福島県飯舘村は同日、企業や自治会向けの説明会を急きょ開催。参加者からは補償などに関する質問が相次ぎ、村内の畜産農家からは家畜を放置できないと悲痛な声が上がる。「緊急時避難準備区域」に指定された自治体や住民にも困惑の色が広がり、長引く原発事故に周辺住民は二重三重に翻弄(ほんろう)されている。

 ◇「通って世話したい」…飯舘
 飯舘村で和牛の畜産と農業を営む山田長清さん(60)方では福島第1原発の水素爆発以来、競りに出す予定の子牛13頭は被ばくを避けるため、ずっと牛舎内につないだまま。以前のように牧草地に放されることもない子牛たちは「モー」と悲しげな声を上げている。

 「生き物を置いて行けないよ。補償内容も決まっていないし」と山田さん。「避難するならできるだけ近くにして、通って世話したい」と望んでいる。

 母牛を売ってくれた宮崎県の畜産農家は、震災や原発事故の影響を気遣ってか、水やカップめんなどの食糧を大量に送ってくれた。「『しっかり育ててくれ』というメッセージだと思う」

 飯舘村の子牛が高値で競り落とされるのは「何十年にもわたって信頼を積み重ねてきたからだ」と自負する。「お金だけで解決できる問題じゃねえ」。山田さんはそう語り、子牛たちの頭をなでた。

 だが、餌の牧草は2カ月分しか残っていない。放射性物質の影響で牧草を収穫できなければ、牛は餓死してしまう。

 毎年、米15トンと葉タバコ750キロも生産しているが、いずれも今年は作付け制限されることがほぼ決まっている。自家用の米の備蓄も夏には底をつきそうだ。

 「避難しても、どうやって生活すればいいのか」と困惑する。

 原発事故収束の見通しが立たない現状では村の若者たちも出ていってしまうかもしれない。

 農業と畜産で成り立ってきた村なのに、「避難指示が解除になっても、村は荒れ地だらけになるのでは」と行く末を案じる。

 これまでの生涯を村で過ごしてきた母トシ子さん(80)は、人生で初めて飲んだという水のペットボトルを手に「戦時中だって外出ぐらいできたのに。おらはここで死にてえ。放射能はたくさん浴びてっから、もうあきらめたよ」とつぶやいた。【内橋寿明】

 ◇「なぜ今なのか」…憤る住民
 飯舘村での説明会で菅野典雄村長は冒頭、10日に国から説明があったことを明らかにした。その上で「(全村避難は)絶対避けたかったが、安全を守るのが第一。大変残念だが村から少し離れていただかざるをえない」と理解を求めた。

 村内の機械加工会社社長、林和伯さん(67)は「避難指示くらいなら出ないつもりだ」という。地震後しばらく休業していたが、「することがないと精神的に参ってしまう」との従業員の声を受け先月19日に操業を再開。「放射線量だって『高い』じゃなくて『前より低い』と考えてやってきた。何で(避難指示発表が)今なのか」と憤る。

 縫製工場経営の男性は「機械を持ち出しても人がついてこなければどうしようもない」。30人近い従業員の中には村外への避難者も出始めた。村での女性の働き口として重宝されている工場だが、風評被害の影響も出始めている。「これから従業員に説明するが、『最悪の場合、廃業』と言わざるをえない」と表情を曇らせた。【渡辺暢】

 ◇ほぼ全員がすでに避難…葛尾
 福島第1原発から20〜30キロ圏内にある福島県葛尾(かつらお)村では3月14日に全村の自主避難を決め、村民約1600人のほとんどが村外や県外に避難している。役場機能も原発から100キロ以上離れた会津坂下町に置いている。

 松本允秀(まさひで)村長は「国から具体的な話はまだない」とした上で「既にほぼ全員が村を出ており、大きな混乱は起きないと思う。仕事で日中だけ村に帰る人も、(避難指示が出るまでに)1カ月程度あれば戻らなくて済むように準備できるのではないか」と話した。【花牟礼紀仁】


「国に裏切られた」 計画避難に住民ら怒り 「何で今さら」。福島第1原発事故で11日、政府が新たに「計画的避難区域」の対象にすると発表した福島県の飯舘村や葛尾村、浪江町の全域と川俣町と南相馬市の一部。住民らはこれまで高い放射線量の中で不安な生活を続けていた。(産経新聞)
[記事全文]

・ 戸惑う飯館村「説明もなく“急に逃げろ”とはどういうことか」 - スポニチアネックス(4月11日)

歯科医“卵”遺体検視に「涙止まらない」

 東日本大震災では、身元特定のための歯型を記録する歯科医が足りないため、歯科医師免許を持つ大学院生らが現地入りし、検視業務に協力している。約70体の検視を行ったのは、東北大学大学院歯学研究科の新谷聡さん(35)だ。

「自分が記録することで、一人でもご家族の元に帰れればいい。今やらなくていつやるんだと思った」

研修だけで実際の検視経験はなかったが、大学が呼び掛けた募集に応じ、院生や教員ら約70人が派遣された。
 宮城県南三陸町を訪れたのは地震4日後の先月15日。初めて約10人の検視を行った。遺体の脇に四つんばいになり、器具で口を開け、小型の鏡を使って歯並びや治療痕などをデンタルチャートと呼ばれる用紙に記録していく。終わった時には5時間が経過していた。

「とにかく必死で、何も考える余裕はなかった」という。
 同県利府町では、1日で約60体を検視した。津波で流されたため損傷の激しい遺体が多く、乳児を抱いたままの女性もいた。「小さな子供の遺体が並んでいるのを目にした途端、涙が止まらなくなった。津波に人がのまれる夢をよく見るようになった」とうつむいた。

 19歳の時、阪神大震災で神戸市内の母親の実家が被災。浪人生で何もできない自分に無力さを感じた。「やっと苦しんでいる人の役に立てると思った」。今後も避難者の往診や介護に携わりたいと考えているという。

 全員が現役歯科医師という4人組覆面ボーカルグループ、GReeeeNのリーダーで福島県郡山市在住のHIDE(31)も検視に携わると報じられているが、依然、家族の安否が不明な被災者にとっては、今後、身元を特定するためにも貴重な情報となる。

夕刊フジ      2011年4月11日 
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幕末維新
36. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
62. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2004/3)
81. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
88. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
150. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
154. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
166. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
175. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
189. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2002/8)
289. 新版 白虎隊と二本松少年隊 星 亮一 (単行本2010/1/28)
311. 至誠の人 松平容保 星 亮一 (単行本 - 1993/6)
323. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)
338. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一
343. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)


人間は何万年も あした生きるために今日を生きてきた
(手塚治虫)


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戊辰戦争研究会

歴史と科学 Name:永山弥一郎 2011/04/09(土) 15:59 

今回の大震災で、今尚懸念が残る福島原発。
原発事業を推進させた当時の科学者、行政、産業界など
は、「阿吽」でコストを優先させたとか…。
活断層などの研究者が、869年の「貞観地震の大津波」
などを想定しての質問にも(Ex.完全電源喪失など)彼らは
「割切りでないと物は造れず前に進めない…」などと
愚にも付かぬ返答をしている。彼らの視点は「人間不在」。
歴史からは何も学んでいない。

上記のような答弁であるなら、原発は日本から引退していただきたい。
「歴史」の中から「未来」を読み取れないのなら、お引き取り願いたい。

寺田寅彦さんは、
「日本列島は、吊り橋の上に載っているようなもの…」
と例えておられました。彼の随筆中、「天災と国防」の
項では、言言肺腑を衝く心地です。
日本の科学者は是非彼の随筆を「バイブル」にして
頂きたいと強く感じました。

山紫水明の日本が「放射能」という魔物に汚染された
悔しさは消しようもありません。
日本国中、とりわけ福島県は今人災に泣いています。
県民の方々の切歯、いかばかりかと…、言葉が
ありません。





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2011年4月11日(月) 原発、津波
-発生1カ月、鎮魂の祈り=死者・不明2万7621人―東日本大震災、復興険しく
時事通信 4月11日(月)5時15分配信

 国内観測史上最大のマグニチュード9.0を記録した東日本大震災は11日、発生から1カ月を迎えた。津波で甚大な被害を受けた福島第1原発は放射能漏れ事故が起き、危機的状況が続く。死者・行方不明者は2万7621人で、さらに増える見通し。避難者数は依然15万人を超える。
 被害の全容は把握できず、復興の道のりも険しい。東北地方を中心にした被災地ではこの日、避難所や職場、学校で黙とう。国内各地でも鎮魂の祈りがささげられる。
 警察庁の10日午後7時現在のまとめによると、死者は1万3013人、行方不明者は1万4608人。18都道県の約2360カ所で、約15万1000人が避難生活を強いられている。
 死者は宮城県7929人、岩手県3811人、福島県1211人など12都道県に及ぶ。同庁が把握している行方不明者は宮城県6460人、岩手県4721人、福島県3423人など6県にわたっている。
 しかし、岩手、宮城、福島3県の多くの自治体は被害を調査中。特に原発事故に伴う福島県の避難指示圏内はほぼ手つかずの状況だ。 



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原発事故、見えぬ将来 “漂流”続く福島の

 東京電力福島第1原発の事故で、福島県浜通り地方の多くの住民が避難生活を余儀なくされている。第1原発が立地する双葉町の住民は埼玉県に移り、第2原発立地町の富岡町の住民は郡山市に身を寄せる。ともに役場機能も避難先に移った。いつになったら戻れるのか。不安を抱えながら、慣れない土地での暮らしが続く。

◎双葉→県内転々→埼玉 難しい「地域」の維持

 「本当は、双葉でのびのびと学校生活を送らせたかったけど…」
 8日にあった埼玉県加須市騎西小の入学式。新入生の次女実加ちゃん(6)の姿を、母親の菊池郁子さん(38)は複雑な心持ちで見守った。
 この1カ月、家族7人で5カ所の避難所を経験した。
 震災当日の3月11日は地元、福島県双葉町内の避難所に向かい、翌日は北隣の浪江町へ。さらに県内の川俣町、さいたまスーパーアリーナ(さいたま市)を経て、今は加須市の旧県立騎西高校舎で暮らす。
 何の荷物も持たずに逃げた。実加ちゃんは支援物資のランドセルを背負い、騎西小PTAから借りたワンピースを着て、式に出席した。
 「2、3日すれば家に戻れると思った。知らない土地の暮らしは不安が大きくて」と郁子さんは嘆く。
 双葉町は3月12日、原発事故による避難指示によって、約40キロ北西の川俣町に役場機能ごと集団移転した。事故の状況が悪化したために、役場機能はさらに、さいたまスーパーアリーナ、旧騎西高へと移り続けた。
 家族6人で旧騎西高に避難している渡辺博樹さん(30)は5年ほど前から、東京電力の協力企業で働いてきた。自宅は原発からわずか3キロほどしか離れていない。
 着の身着のまま逃げたため、渡辺さんの手元にあるのは運転免許証ぐらい。「財布も置いてきた。お金は全くない」と漏らす。
 「しばらく帰れない」と渡辺さんは今、生活拠点を埼玉県内に移すことを考えている。
 3人の子どもの小学校や幼稚園での生活が落ち着いたら、ハローワークで職探しをするつもりだという。「収入がないまま、いつまでも好意に甘えているわけにはいかないから」
 先月末、旧騎西高に移った双葉町民は約1200人。今月に入ってから新たに約200人が合流し、校舎内で共同生活を送る。
 双葉町は、旧騎西高の避難者も含めて約4000人の所在は確認しているが、残り2900人はどこにいるのか分からない。事故の長期化につれ、地域コミュニティーの維持はさらに難しくなっていく。
 町民離散という、思いもよらなかった現実を前に、井戸川克隆町長が話す。「町民の現状把握には限界がある。連絡を待つしかない。これから避難先などに定着し、町民でなくなってしまう人も出てくるだろう」
(大橋大介)

◎富岡→川内、郡山 自立への道のり遠く

 これから自立していけるのだろうか。何十回、何百回と繰り返し考えても、解決策は出てこない。
 郡山市の福島県産業交流館「ビッグパレットふくしま」に避難している富岡町の畳店経営岡田好秀さん(55)は、展望が開けない生活にいら立ちを募らせる。「ここにいると、買い物がてらの散歩ぐらいしか、することがない」
 震災が起きた3月11日、結婚を控えた長女美沙希さん(26)の引っ越しを手伝うため、妻美也子さん(54)らとともに茨城県にいた。翌12日の朝、福島第1原発の事故によって、富岡町の住民の多くは役場機能とともに西隣の川内村へ避難した。
 川内村で父親の好光さん(79)と合流、自宅は無事だったと聞かされた。16日には郡山市へ。ビッグパレットでは今、町民(約1万6000人)の1割近い1300人が避難生活を送る。役場機能もある。
 原発事故がいつ終わるのか、見通しは立たない。富岡町に戻れるのは何カ月、何年先になるのかも分からない。避難所の中では「ずっとここにいればいい」と、あきらめにも似た雰囲気が漂う。
 だが、岡田さんが望むのは自立だ。避難生活が長引き、無気力になっていくことが怖い。「アパートでも借り、当てはないけど、仕事を探したい」。切実にそう思う。
 収入の道は絶たれ、これまでの蓄えを切り崩すばかり。避難所で暮らしていても出費は伴う。支給される食事だけでなく、別におかずなども買って食べたい。洗濯はコインランドリー。店を立て直す資金も残しておかないとならない。
 そう思うと、これから本当に生活を立て直すことができるかどうか、遠い道のりに思えてくる。
 行政への不満も募ってきた。福島県は1泊5000円の料金を負担し、原発から遠い会津地方の旅館に滞在してもらう考えを示している。
 「1カ月なら、1人15万円。それを毎月支給してくれるのであれば、生活再建へ踏み出せるかもしれない。仮設住宅の建設に何カ月かかるか分からないし…。早く生活資金を配分することが必要なのではないか」
 原発から30キロ圏内の各世帯に35万円の義援金が配分されることになった。「でも、あくまで一時金。長期的な生活の保証を得ることはできないのだろうか」と表情は浮かない。
 津波で家を失ったわけではない。帰る家はある。「それなのに、逃げることしかできない」と不満をぶつける。(太楽裕克)

河北新報社    2011年4月10日  
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安積歴史博物館の壁崩落 国重文 補修費は数億円か 

 福島県郡山市の安積高にある国指定重要文化財「安積歴史博物館(旧福島県尋常中学校本館)」が東日本大震災で被災し、館内のしっくいの壁が広範囲にわたって崩落するなど甚大な被害を受けたことが9日までに分かった。関係者によると「補修費は億単位に上る可能性もある」としている。
 震度6弱の強い揺れの影響で、2階の講堂や廊下、教室(展示室)のしっくいの壁は粉々に崩れ落ちた。二本松市出身の世界的歴史学者・朝河貫一博士の展示室も資料の陳列ケースが壊れ、棚が倒れた。外壁は無事だが、礎石がずれ、窓ガラスが割れた。状況報告を受けた文化庁が近く調査に訪れる。
 同館は安積高の前身で、明治22年に福島市から移転した。昭和52年に明治期の代表的な洋風建築として国の重要文化財に指定され、同53年に改修した。講演会や演奏会に利用されているほか、歴史の重みを感じさせる建物はNHKドラマ「坂の上の雲」のロケに使用され、全国から注目を集めた。
 運営する財団法人安積歴史博物館の阿部紘和事務局長は「復旧には1〜3年を要するかもしれない。郡山を代表する建物だけに、何とかしなければ…」と話す。母校の危機を聞き付けた同窓生からは善意の寄付が寄せられている。
 同市を代表する近代建築である国登録有形文化財の郡山市公会堂、県郡山合同庁舎(旧郡山市役所)には目立った被害はなかった。
 県内の文化財の被害状況も明らかになってきた。いわき市平の国指定重要文化財・飯野八幡宮は昨年6月に保存修理工事を終えたばかりの宝蔵(ほうぞう)の壁や、東西の鳥居に亀裂が入ったという。
 猪苗代町では、国指定重要文化財・天鏡閣も建物の壁に亀裂が入り、館内の窓ガラスがひび割れたりした。特にガラスは明治時代のガラス板が損傷した所もあった。さらに、財団法人会津民俗館内にある国指定重要文化財・旧馬場家住宅や県指定重要文化財・旧佐々木家住宅も建物全体がゆがむなどした。
 伊達市では、県指定史跡名勝・梁川城跡の石垣が崩れたり、県指定重要文化財の旧亀岡邸の壁にひびが入るなどしている。国史跡名勝・霊山では倒木や一部落石などがあるという。桑折町は、国指定重要文化財・旧伊達郡役所の壁が破損するなどした。
 国見町は、国登録有形文化財の奥山家住宅主館・洋館は壁が落ち、一部が倒壊。県指定重要文化財・旧佐藤家住宅も一部壁が崩落した。石川町の県指定文化財・悪戸古墳群一号墳も一部が崩壊した。三春町では三春藩主秋田家の菩提(ぼだい)寺の高乾院・秋田家墓所で墓石が数カ所倒壊するなどしている。

福島民報     2011年4月10日 
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37. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
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91. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2004/3)
132. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
137. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
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166. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (2002/8)
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300. 敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1990/4)
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306. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
333. 二本松少年隊のすべて 星 亮一 (単行本 - 2009/1)


人を信じよ しかしその百倍も自らを信じよ



東電の清水社長、福島県を訪問し謝罪へ
読売新聞 4月11日(月)0時53分配信

 東京電力は10日夜、東日本大震災から1か月となる11日に、清水正孝社長が福島第一原子力発電所がある福島県への訪問を調整していることを明らかにした。

 清水社長は福島県に行き、原発事故で大きな迷惑や苦労をかけている県民に謝罪の気持ちを伝える意向という。

 清水社長は福島第一原発の事故後、福島県の佐藤雄平知事に謝罪訪問を申し入れたが断られている。清水社長が公の場に姿を見せるのは3月13日の記者会見以来。29日に体調不良で入院し、4月7日に業務に復帰していた。 最終更新:4月11日(月)0時53分


(手塚 治虫)



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所在確認いまだ6割 福島第1原発30キロ圏8町村
河北新報 4月11日(月)6時12分配信

 福島第1原発から30キロ圏内(避難、屋内退避)にある福島県双葉郡の8町村の住民計7万3986人のうち、所在が確認できたのは約6割の4万4790人(8日現在)にとどまっていることが、10日までの県の集計で分かった。

 所在確認できた住民の割合(確認率)を町村別にみると、大熊(33%)、浪江(37%)の両町が特に低い。県災害対策本部は「両町は早い時期に、自主的に避難した人が多かったのではないか」と分析している。

 このほかの町村は、高い順に葛尾村99%、川内村98%、広野町90%、楢葉町85%、富岡町76%と続き、多くの住民とともに埼玉県加須市に役場機能を移転した双葉町は67%だった。

 8町村で所在が確認されていないのは2万9196人で、県によると、死者41人、行方不明者229人(10日現在)も含まれているという。

 双葉郡に接し、一部が30キロ圏内になる南相馬市の集計はないが、県は人口約7万人のうち、約2万人が市内に残り、1万数千人が県内外に避難していると推計。約半数の確認ができていないとみている。県災害対策本部は「所在確認は、行政機能を回復するための基本となるもの。さらに確認作業を進めたい」と話す。

 県は、避難者の所在確認を自治体に代わって行うコールセンターを開設している。連絡先は0120(006)865。午前8時〜午後10時。 最終更新:4月11日(月)6時12分

民主敗北、政権に打撃=小沢氏系に「菅降ろし」の声も【統一選】
時事通信 4月11日(月)0時52分配信
 10日の統一地方選前半戦で、民主党は自民党との対決型選挙となった知事選などで相次いで敗北、菅政権にとっては手痛い打撃となった。民主党幹部は「厳しい結果だ」と深刻に受け止めている。東日本大震災や福島第1原発事故の対応が長期化する中、直ちに菅直人首相の進退に発展する可能性は低いが、民主党の小沢一郎元代表に近い議員からは、首相や岡田克也幹事長の責任を問う声も出ている。
 民主党の岡田幹事長は11日未明、選挙結果について「非常に残念だ」と肩を落としたが、自らの引責辞任は否定した。一方、自民党の石原伸晃幹事長は10日夜、「国民は、菅政権にハンドリングを任せて大丈夫か、ということを示したのではないか」との見方を表明。公明党の山口那津男代表は「菅政権は国民の評価を得られなかった。震災に対する評価が今回の選挙に表れている」と指摘した。
 民主党は12都道県知事選のうち、自民党推薦候補と対決した北海道、三重両知事選で敗北。首相のお膝元の東京都知事選は自主投票で不戦敗となった。党執行部は「国政と地方選とは別」(党幹部)としているが、昨年9月の菅改造内閣発足後、主要な地方選では敗北が続き、大震災や原発事故の対応でも指導力不足と批判され、小沢氏系議員からは「最低でも幹事長の責任は免れない」「首相を降ろすしかない」などと悲痛な声が出ている。
 ただ、今は被災地の復旧・復興対策が急務で、「菅降ろし」には動きにくい状況だ。民主党ベテラン議員は「復旧・復興のための2011年度第1次補正予算の成立までは菅政権で可能だが、その後の第2次補正成立まで乗り切れるかどうか」との見方を示す。党幹部の1人も「すぐに首相に『辞めろ』とはならないだろうが、じわりと選挙の影響は出てくる」と語った。(続)

宮城県、復興基本方針固まる 高所移住・漁港集約盛る
河北新報 4月11日(月)6時12分配信
 宮城県は10日、震災復興基本方針(素案)を固めた。基本理念を「壊滅的被害から復興モデルを構築する」と宣言。大津波でも被害に遭わないまちづくりを目指して、住宅や公共施設は高所への移転を誘導する。水産業の再生には漁港の集約再編、集積拠点の再構築などを盛り込んだ。

 復興は2020年度までのおおむね10年間で達成する。13年度までの3年間は「復旧期」、17年度までの4年間は「再生期」、最後の3年間は「発展期」と位置付けた。再生期までに、震災前の姿に戻す。

 道路は、高盛り土の仙台東部道路が大津波を止めた効果を踏まえ、沿岸部の幹線道路のうち可能な区間について高盛り土構造の防災道路に転換できるかどうか検討する。

 海岸や河川は、背後地への防潮林整備と堤防幅の拡張を視野に、新たな発想の海岸保全施設を考える。施設復旧は原状回復にとどめず、被災しても一定の機能が維持できる構造に配慮する。

 水産業は強い経営体づくりが主眼。家族経営は共同組織化し、「漁業会社」設立など新たな経営方式を導入する。農業は震災前の土地利用と営農計画を見直し、稲作から施設園芸への転換や畜産の生産拡大を進める。

 被災企業の操業再開は、仮設事務所の提供などで支援する。被害の少ない内陸部に立地する自動車関連産業、高度電子機械産業の早期復旧を図り、東北のものづくり産業の復興をけん引する。

 基本方針には当面の対応も盛り込んだ。
 被災者の心のケアのため、仮設住宅にはコミュニティースペースを用意する。住宅、雇用など生活支援全般に関する相談窓口を全市町村に開設。震災による離職者を雇用した事業主への奨励金制度の創設も検討する。復興財源は、災害復興交付金や地方交付税を見込み、国に支援を求める。県予算は復興事業に徹し、みやぎ発展税や環境税、産業廃棄物税の収入も課税目的に合わせ、復興関連の事業に充当して


政府が福島・飯舘村に全員避難を要請 「1カ月以内」めどに
2011.4.11 12:07

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福島第一原発から約38キロの福島県飯舘村飯樋幼稚園の校庭で放射線計測を行う県担当者 =5日、福島県飯舘村(大山文兄撮影)

 東京電力福島第1原発の事故で、高い放射線量の数値が続いている福島県飯舘村に対し、政府が避難指示区域の拡大に備え、期間を設けて計画的に村民を避難させるよう要請したことが11日、分かった。飯舘村が明らかにした。

 門馬伸市副村長は村議会災害対策特別委員会で「原則(村民)全員に避難してもらう。国は1カ月以内を目安に避難させてほしいとしている」と話した。

 同村は東京電力福島第1原発から北西に半径30〜50キロ圏にあるが、一部が屋内退避区域の20〜30キロ圏に入っている。村内の小中学校校庭の放射線量調査で最も高いところで毎時18・2マイクロシーベルトを記録するなど、周辺より高い数値が出ていた。


東電社長、午後福島へ…知事面会は拒否される
読売新聞 4月11日(月)8時40分配信
 東京電力は11日、東日本大震災から1か月となる同日午後、清水正孝社長が福島県庁内にある緊急事態対策拠点「福島オフサイトセンター」を訪ね、福島第一原子力発電所の事故について県職員らにおわびすると発表した。

 清水社長が公の場に姿を現すのは3月13日以来で、原発事故後に清水社長が同県庁を訪問するのは初めて。東電は佐藤雄平知事との面会も求めたが、県側から拒否された。

 清水社長は3月中にも佐藤知事に謝罪訪問の申し入れを行ったが、佐藤知事は「県民の不安、怒り、憤りは極限に達し、おわびを受ける状況にない」として、おわびよりも事態の収拾にあたるよう拒否していた。

 同センターは、原発の緊急事態の対応拠点となる国の施設で、当初、福島県大熊町にあった。震災直後は現地災害対策本部が設置されていたが、被災で電気系統などが機能不全に陥り、同本部は3月14日に福島県庁に移されている。
最終更新:4月11日(月)11時39分

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2011年4月10日(日) 原発、津波
<福島第1原発>20キロ圏を警戒区域に 政府が設定方針
毎日新聞 4月10日(日)21時46分配信

 政府は10日、福島第1原発事故で避難指示を出している半径20キロ圏内について、立ち入り禁止や退去命令を出すことができる「警戒区域」とする方針を固めた。福山哲郎官房副長官が同日、福島県を訪れ地元自治体との調整に入った。避難住民が今後一時帰宅する際には、退去を拒む人が出る事態も想定される。住民の安全確保のために政府や自治体の指示に従ってもらうには、法的根拠を整える必要があると判断した。

 福山氏は同日のフジテレビの番組で「20キロ圏内には放射性物質がある。一時帰宅後の(住民の)除染措置の計画をしっかり立てるため、それぞれの自治体と相談して警戒区域に設定する必要があるという認識だ」と語った。

 枝野幸男官房長官は警戒区域の設定と一時帰宅の時期に関し「今、最終段階の詰めをしている。(段取りの発表は)そう遠くない時期と思っている」と首相官邸で記者団に語った。20キロ圏外が警戒区域に含まれる可能性については「どういった範囲をどうするのかという詰めをしている」と述べるにとどめた。

 警戒区域は災害対策基本法に基づき、市町村長が設定する。今回の避難指示は政府が決めたため、首相が原子力災害対策特別措置法によって市町村長に指示する形を取る。警戒区域が設定されると、防災関係者ら以外の立ち入りが禁止され、退去を命じることができる。

 また、福山氏は一時帰宅の方法について「何日も戻れるのではない。防護服を着て、警察や自衛隊の協力を得ながら、重要なものを取りに帰るために1、2時間戻っていただく」と説明した。また、「30キロ圏外でも(放射)線量が上がっている地域がある」と指摘し、避難指示を拡大する際に、放射線の測定結果に基づき、30キロ圏外にも及ぶ可能性を示唆した。【吉永康朗】

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最終更新:4月10日(日)22時6分

原発危機に初動から後手の政府、いらだつ米
読売新聞 4月10日(日)3時14分配信

 2011年3月11日、マグニチュード9・0の巨大地震と大津波が襲った東日本大震災が発生して11日で1か月を迎える。

 原子力発電所事故を引き起こした複合危機は、日本国内だけでなく、国際的な問題にも発展している。原発事故では危機管理対応の空白が浮かび上がり、米国の苛立(いらだ)ちを増幅させた。

 大震災から一夜明け、東京電力福島第一原発の危機的状況が明らかになった3月12日午前9時前、米太平洋軍のウィラード司令官は、折木良一統合幕僚長に電話し、情報開示を求めた。

 「ワシントンから原発の情報提供を求めるよう言われた。フクシマは安全か?」

 しかし、自衛隊にも詳しい情報はなく、折木は「専門家が情報分析中だ。結果が出れば提供する」と答えるしかなかった。同日未明、1号機の格納容器圧力が異常上昇し、原子炉は危険な状態に陥っていた。ウィラードが心配したように同日午後、1号機原子炉建屋は水素爆発し、白煙が上がった。国内外に衝撃が走った。

 「米国の原子力の専門家を支援に当たらせる。首相官邸に常駐させたい」

 この日以降、ルース米駐日大使は枝野官房長官らに何度も電話をかけたが、枝野は「協力はありがたくお願いしたい。ただ、官邸の中に入るのは勘弁してほしい」と条件もつけた。 最終更新:4月10日(日)3時14



福島第1原発事故 政府は福島第1、第2原発について原子力災害緊急事態を宣言した。[関連情報]
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福島第一原発1〜3号機の放射性ヨウ素の量(朝日新聞)
放射能の大半、なお原子炉内に 漏出は1割以下か 東京電力福島第一原発の1〜3号機の建屋外へこれまでに漏れた放射能の量は、原子炉内にあった総量の1割に満たない福島第1原発 「浸水5メートル」 復水器は排水作業完了
毎日新聞 4月9日(土)21時54分配信

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福島第1原発に津波が押し寄せた瞬間。協力会社の社員が南側から撮影=東京電力提供
 東京電力は9日、東日本大震災による福島第1、第2原発の津波の被害調査結果を公表した。第1原発では、原子炉建屋などの主要部分がほぼ全域で深さ4〜5メートル浸水していた。

【動画】作業員が撮影した最大15mの津波

 第1原発を襲った津波の第1波は地震発生41分後の3月11日午後3時27分、第2波はその8分後の3時35分ごろ。東電は震災前、5.7メートルの津波を想定していたが、それを大幅に上回る14〜15メートルだったとしている。同原発1〜4号機の敷地の高さは海面から約10メートルで、それを超えた約4〜5メートル分の深さでほぼ全域が浸水。建屋2階まで水に襲われ、海水の取水ポンプなど周辺の機器などが被災した。被害が少なかった5、6号機は敷地の高さが13メートルあり浸水は最大1メートルだった。

 大きな被害のなかった福島第2原発でも津波は想定(5.2メートル)を超え、1号機南側で同じ14〜15メートルの高さだった。しかし、原子炉建屋など主要部は、海面から高さ12メートルで手前が階段状の地盤になっていたため、浸水は1号機南側で最大深さ2〜3メートル、2〜4号機で30〜40センチにとどまった。敷地の高さの違いについて、東電は「原子炉建屋が立地する岩盤の高さが違うため」と説明した。

 一方、東電は9日、福島第1原発2号機のタービン建屋地下などで見つかった非常に高濃度の放射性汚染水を復水器(容量約3000トン)に移すため、復水器内の水を復水貯蔵タンクに移す「玉突き作戦」を終えた。10日にも汚染水を復水器に移送する予定で、作業を円滑にするためにタービン建屋を貫通する穴を開けた。

 また、2号機の高濃度汚染水を収容するために続けてきた、集中環境施設内の比較的低レベルの汚染水の海への放水量は7700トンに達した。

 このほか、9日には2号機の取水口付近から一時、海に流出した高濃度汚染水の対策では、汚染水の拡散防止のため、取水口の七つの門すべてに鉄板をはめて閉じる作業に着手した。【山田大輔、江口一、藤野基文】
最終更新:4月9日(土)22時32分

可能性が高い。格納容器が壊れて内部に残る放射能が放出されると、さらに広範囲で汚染が深刻になる恐れがある。専門家は、炉心に冷却水を循環させる継続冷却システムの


「すべて見直す必要ある」=原発安全対策で不備認める―保安院
時事通信 4月9日(土)18時50分配信

 「絶対大丈夫と信じていたが、こういう事態になった」。経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は9日午前、記者会見し、原発の安全対策に不備があったことを認め、根本的に見直す方針を明らかにした。
 西山審議官は福島第1原発事故について、「多重防護、5重の壁など絶対大丈夫と言ってきたことについて、信じてやってきたが、こういう事態になった」と反省。その上で「今回の経験を踏まえ、これまでのことにとらわれず、すべてのことについて見直す必要がある」と述べた。
 保安院が同日、原発を保有するすべての電気事業者に対し、原子炉が運転停止中でも、2台以上の非常用ディーゼル発電機を確保するよう指示したことに関連し、記者からの質問に答えた。
 さらに同審議官は同日午後の会見で、非常用電源の確保など緊急対策の実施後、技術的な面を中心に安全対策の見直しを進める考えを示唆。「絶対安全の意味が変わってきた。今回の津波なども想定した上で、絶対安全を目指さないといけない時代が来たと思う」と話した。 

確立を最優先にすべきだと訴えている。(朝日新聞)

飯舘村のコメ作付け、今季は困難…村長見通し
読売新聞 4月9日(土)19時40分配信

 水田の土壌から高い値の放射性物質が検出された福島県飯舘(いいたて)村の菅野典雄村長は9日、記者団に対して、「今年はコメを作ることにはならないのではないか」と述べ、今季のコメの作付けは困難との見通しを示した。

 視察に訪れた鹿野農相に対しては、放射性物質を吸収しにくい作物や土壌改良の手法を示すよう要請した。

 これに対し、鹿野農相は「一定の期間で結論を出したい」と検討を急ぐ考えを伝え、農家への補償についても「万全を期す」と強調した。

 政府は、水田の土壌について、1キロ・グラムあたり5000ベクレルを超える放射性セシウムが検出された場合、コメの作付けを制限する方針だ。福島県が6日に公表した土壌調査結果では、飯舘村の水田からは1万5031ベクレルが検出されている。 最終更新:4月9日(土)19時40分

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ほかの土地に移りたい3割超・津波のまちでは4割超
産経新聞 4月9日(土)18時53分配信

 死者、行方不明者が合計で2万7千人を超えた東日本大震災は11日で発生から1カ月を迎える。産経新聞社は被災地域の復興に詳しい大阪市立大学の宮野道雄副学長の協力を得て岩手県と宮城県の主に津波被害にあった被災者102人にアンケートを実施した。回答者の6割以上の自宅が流失か全壊、全体の3割以上が「土地を離れたい」と望んでいることが判明した。その理由の大半は「津波の恐怖から逃れたい」だった。

 調査は3月25〜30日、岩手県宮古市田老地区と仙台市若林、宮城野両区、宮城県女川町の避難所で、被災者に聞き取りを実施。いずれも津波被害地域で、特に田老は過去の教訓から高さ10メートルになる国内屈指の防潮堤を築いたが防潮堤を越えて波が押し寄せ多大な被害が出た。田老42人、仙台49人、女川11人の男女102人から回答を得た。

 調査によると、回答者の家屋の被害程度は「全壊」または「津波による流失」が68人(66・7%)で、「半壊」や「一部損壊」、「水損」を含めると96・0%が被害を受けた。家族が死亡・行方不明の人は23人(22・5%)だった。

 「将来、この土地を離れ他の土地に住みたいか」という問いに、「離れたい」との回答が全体の32・9%。田老は45・2%で、仙台・女川の23・6%を上回った。田老では女性の半数以上の56・5%が高台や市街地への転居を望んだが、男性は33・3%にとどまった。年齢別では若い世代ほど、土地から離れたい人の割合が多かった。

 一方、「離れたくない」と答えたのは全体の42・3%。田老で40・5%、仙台・女川では43・6%で、4割程度の人が慣れ親しんだ土地への愛着を示した。

 産経新聞社が平成7年1月の阪神大震災の発生1カ月後で行った避難所アンケートでは、310世帯の88%が「神戸を離れたくない」と回答していた。

 宮野副学長は「土地から離れたいという人がこれほど多いのは意外」と述べ、「被災後間もなくの調査で、特に田老は、防潮堤を越えて襲ってきた津波への恐怖が影響している可能性がある」と分析した。阪神との違いについて「阪神の場合は、地震動による家屋倒壊が主で東日本大震災の津波被害とは形態が違う。津波への恐怖と、住宅や町が跡形もなく流されてしまったことによる絶望感が大きいのではないか。調査を参考にして津波被災地の復興する方策について考えていきたい」としている。--------------------------------------------------------------------
小女子           卓上四季

クジラやウミガメはもとより、サバ、イワシ、エビ、カニ…海藻のノリやワカメまで。全国には千基を超える水生生物の供養碑があるそうだ。東海大海洋学部准教授の田口理恵さんが、月刊誌「望星」4月号で日本固有の魚霊供養文化を紹介している
▼供養の思いはさまざまだ。制御できない海への畏敬の念。安全や豊漁の祈願。ないがしろにすると罰があたるという漠然とした気持ち。自然と真摯(しんし)に向き合って暮らす人々の心が集約されているという▼<海の魚はかわいそう。/(中略)なんにも世話にならないし/いたずら一つしないのに/こうしてわたしに食べられる。/ほんとに魚はかわいそう。>(「お魚」)。金子みすゞの詩には、魚霊供養に通ずる祈りがある▼茨城県北部の近海でとれたコウナゴ(イカナゴの稚魚)から放射性のヨウ素やセシウムが検出された。漢字で<小女子(こうなご)>と書く。銀白色に透き通った、春を告げる美しい小魚だ▼しらす干しやつくだ煮にしておいしい。旬の漁を禁じられた地元漁師の無念と怒りはいかばかりか。有毒ガス察知のため籠に入れられた「坑道のカナリア」を思う。環境の異変は、小さくかれんな生き物たちの身にいち早く及ぶ▼「(命を)いただきます」と礼を尽くして食べる行為は供養によって許されもしよう。が、放射性物質で汚した幾多の命に赦免を請う言葉を不明にして知らない。

北海道新聞    2011年4月7日  
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津波から命救った教師の機転 陸前高田の気仙小
 
 先生に命をもらった―。東日本大震災で被災した陸前高田市の気仙小の全児童92人が、教師たちの機転で津波から逃れた。命を救った瞬時の判断に保護者や児童からは感謝の声が上がっている。

 3月11日午後、激しい揺れが教室を襲った。児童たちは避難訓練通りに机の下に身を隠した後、上履きのまま校庭に整列した。海岸から約2キロ離れ、地域の一時避難所に指定されている気仙小。地域住民も集まり、避難は無事終わったかのようだった。

 教師たちが一安心して児童の点呼などをしている時だった。普段は静かにしていないと聞こえない防災無線から、かすかな音が響いた。「津波が堤防を越えました」。学校は堤防から約500メートルの地点。

 「まずい…。逃げろ」。非常事態を察し、すぐさま学校の裏山に児童を誘導した。山には竹やぶが茂っていたため、比較的体格がいい高学年を先に登らせて低学年のための道をつくらせた。

 何が起きたか分からずに目を赤くして登る児童の後ろから、「振り向くな」「上がれ」と叫び続けた。大谷蓮斗君(当時5年)は「怖かったけど先生が『大丈夫だ』って背中を押してくれた。とても心強かった」と振り返る。

 校庭から12メートルほど高台に移って約1分後、ごう音と共に「茶色の水壁」が姿を現した。3階建ての校舎はのみ込まれ、逃げ遅れた人や家は流された。

 佐々木歩実さん(当時3年)は「上がれと言われ、夢中で逃げた。お母さんに会えて良かった」、母の光代さん(50)は「先生に守ってもらった命。感謝してもしきれない」と頭を下げた。

 教師たちは震災後も数日間、被災した自宅にも戻らず、児童の健康管理や精神状態を考えて避難所で過ごしたという。

 当時6年の担任だった菅野一孝教諭(44)は「とにかく何も考えず行動した。児童が助かって本当によかった」と胸をなで下ろした。

 今春退職した菅野祥一郎前校長(60)は「少しでも声掛けが遅れていたら駄目だった。先生も児童もみんな頑張った」と目を細めた。

岩手日報     2011年4月9日 
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アマゾンベストセラー、 2011年4月10日
明治・大正
346.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
33. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
63. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
78. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (2004/3)
95. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
114. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009)
123. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
139. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
154. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (2002/8)
248. 新版 白虎隊と二本松少年隊 星 亮一 (単行本- 2010/1/28)
277. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)
284. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一
285. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
336. 龍馬が望まなかった戊辰戦争 (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2009/11/7)
378. 会津戦争全史 (講談社選書メチエ) 星 亮一 (単行本 - 2005/10/7)
401. 戊辰戦争を歩く―幕末維新歴史探訪の旅 星 亮一、 戊辰戦争研究会 (2010/2/10)
425. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
438. 龍馬の流儀―幕末を駆け抜けたヒーローの履歴書 星 亮一 (単行本 - 2010/3)
442. 白虎隊と二本松少年隊―幕末を駆け抜けた若... 星 亮一 (単行本 - 2007/4)
449. 会津と長州、幕末維新の光と闇 星 亮一 (単行本 - 2009/3/19)
454. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)


心配ないからね 君の想いが
誰かにとどく明日がきっとある
どんなに困難でくじけそうでも
信じることを決してやめないで
(KAN 歌「 愛は勝つ 」より)


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2011年4月9日(土) 原発、津波
「高台へ避難中に津波」=被害状況で保護者説明会―児童74人死亡・不明の大川小
時事通信 4月9日(土)20時27分配信

 東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の校長らが9日夜、同市内の別の小学校で、被災当時の状況に関する保護者説明会を開催した。市教委によると、児童の多くは教職員らとともに学校から高台へ避難中に津波に巻き込まれたという。
 保護者からは「助かる方法は他になかったのか」などと学校側の対応を批判する発言が相次いだといい、当初の予定時間を上回る1時間半に及んだ。
 説明会は、保護者から「当時の状況を知りたい」との要望が相次いだことを受け開かれた。報道陣には非公開で行われ、保護者ら97人が出席した。
 市教委によると、冒頭に黙とうした後、今野慶正教育長代行が「安全であるはずの学校で多くの尊い命が失われたことに、心よりお悔やみ申し上げる」とあいさつ。その後、大川小の柏葉照幸校長や、現場にいた教職員で唯一生還した40代の男性教諭が当時の状況を説明した。
 3月11日の大地震発生直後、同校教諭は児童に校庭への避難を指示し、誘導点呼を行った。その後、迎えに来た保護者に児童を引き渡している途中、津波の危険があると判断。地域住民と教頭らが相談の上、高台となっている新北上大橋傍らの三角地帯に避難することを決めた。津波は三角地帯への移動中に児童や教職員を襲った。
 学校のすぐ裏に山があるが、地震による倒木の危険があったため、避難場所に適さないと判断されたという。
 保護者の一人は終了後、「納得のいく説明ではなかった」と肩を落とした。
 市教委は今後、児童らからの聞き取りも行った上で、改めて詳細について記者会見するとしている。 


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原発被災地域、3万人以上が所在不明=全県では倍にも―福島
時事通信 4月9日(土)15時58分配信
 福島県は9日、福島第1原発の放射能漏れ事故で避難指示が出ている双葉郡の8町村の住民約7万2000人のうち、半分近い約3万2000人の所在を把握できていないことを明らかにした。
 県幹部によると、東日本大震災と原発事故を受けて避難し、行政側で行方がつかめていない人は、全県ではこの倍近くに上る可能性があるという。ほとんどが親戚や知人を頼るなどして県外に自主避難しているとみられる。
 県では、義援金の分配も見据え、「双葉郡支援センター」を設置。フリーダイヤル(0120)006865で同郡住民の所在情報提供を呼び掛けている。 の日本食品禁輸措置、12都県に拡大
読売新聞 4月9日(土)11時5分配信
 【北京=関泰晴】中国国営新華社通信は9日、国家品質監督検査検疫総局が、福島第一原発からの放射性物質流出の対策を強化する必要があるとして、これまでの福島、栃木、群馬、茨城、千葉の5県に加え、新たに宮城、山形、新潟、長野、山梨、埼玉の6県と東京都で生産された食品や食用農産物、飼料の輸入を8日付で禁止したと報じた。

 12都県以外の産地からの食品輸入についても、日本政府による放射性物質検査の合格証や原産地証明の提出を義務付けた。輸入後、中国各地の検疫当局による検査で不合格の場合は公表するとした。日本製食品の輸入業者などに対しても、原産地や販売記録の管理を厳格化するよう指導した。、国は「考慮する必要はない」と解説
読売新聞 4月9日(土)8時33分配信
 国や電力会社は、原子炉制御の“命綱”ともいえる電源を、どう位置づけてきたのだろうか。

 規制当局である内閣府の原子力安全委員会は、1990年に定めた発電用軽水炉の安全設計審査指針の解説に、長時間の全電源喪失について「考慮する必要はない」と明記している。

 理由は「送電線の復旧または非常用交流電源設備(非常用ディーゼル発電機)の修復が期待できるため」としており、国は外部電源を失ってもすぐに非常用発電機が作動すると想定してきた。

 各原発は、同指針に基づいて設計されており、非常用電源を含むすべての電源喪失に対して万全の備えをしてきたとは言い難い。東北電力関係者は「外部送電線など電源確保の方法はたくさんあると考え、これまでは全電源喪失は想定していなかった」と話す。東京電力は急きょ、11日に柏崎刈羽原発で全電源喪失などを想定した訓練を行うことにした。100%損傷を想定=米国の80キロ避難勧告
時事通信 4月9日(土)5時55分配信

 【ワシントン時事】米政府が福島第1原発事故を受けて発した同原発の半径80キロ圏内に在住する米国民への避難勧告は、放射線量の実測データではなく「2号機の核燃料が100%損傷した」との想定に基づいたものだったことが8日までに分かった。ロイター通信などが報じた。
 それによると、米原子力規制委員会(NRC)の幹部は7日、外部の専門家で構成される諮問委員会で、80キロという距離は「福島第1原発2号機の核燃料が100%損傷し、放射性物質が16時間放出される」と仮定し、コンピューターを使って算定したと述べた。幹部は「日本政府は実測データを保有していたかもしれないが、われわれは持っていなかった」と説明した。
 避難勧告は3月16日、NRCの指針に基づきルース駐日米大使が出した。日本政府は当時、半径20キロ圏内の住民に避難、20〜30キロ圏内の住民に屋内退避を指示していたため、日米両政府の対応の違いが論議の的になっていた.



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解き放ち
                   
 東日本大震災の当日、県立宮城県農業高校で津波にさらわれた実習用の乳牛34頭のうち、14頭が生き延びて戻って来た、という報道があった。
 それによると、3月11日、同校の実習助手(36)と生徒約10人が牛舎で実習していた。津波警報が出るといったん校舎に避難。「牛を助けなければ」と引き返して牛の首輪を外した。近くの高台のやぐらに逃れた実習助手と生徒は牛たちが濁流に飲まれて苦しそうに顔だけ出してもがくのが見えた。
 ところが、この日の晩のうちに5、6頭が帰って来た。さらに2日後に数頭が戻った。実習助手が1頭1頭抱きしめると顔をなめてくれた。
 生存をあきらめていた学校関係者は「よく生きていてくれた」と喜び、牛と一緒に学校の再生を誓っている、という。
 江戸時代、火事や嵐で牢獄に危険が迫ると「解き放ち」ということが行われた。獄内の囚人を解放して自力で避難させ、後日殊勝に出頭すれば罪一等を減じ、そのまま逃亡すれば捕まえて極刑に処した。
 農業高校の牛舎はもちろん牢獄ではないが、大津波を生き延びて飼い主の元に帰る牛たちはけなげで心を揺さぶられる。
 幕末の侠客、浅草の新門辰五郎も若い頃、石川島の人足寄場に収容されていた時に大火事が迫り、解き放ちになったことがある。この時辰五郎は逃げもせずに火に立ち向かい、同囚数十人を束ねて延焼を食い止めて名を上げた。後に大親分になった辰五郎は15代将軍徳川慶喜の京都での護衛を務めることになる。
 解き放ちも、農業高校に戻った牛たちや新門辰五郎の活躍などの感動エピソードばかりではない。
 大震災の影響で福島地検が処分保留で釈放した容疑者31人のうち、1人が別件で再逮捕された、というニュースがあった。最初は福島市内のコンビニ事務室から現金を盗んだ容疑で逮捕された38歳の女は、震災後、処分保留のまま釈放された。
 地検は、ライフラインが止まり、捜査の継続が困難になった、などの理由で釈放したと説明している。逮捕された段階では、まだ容疑者で犯人と決まったわけではなく、勾留の期限もあり、いつまでも身柄を拘束できるわけではない。釈放はやむを得ない判断だったのかもしれない。現代の解き放ちと言える。
 女は自由の身になると、今度は4月2日に同市内の別のコンビニ事務室に侵入して現行犯逮捕された。けなげでも殊勝でもない。地検の方はといえば、せっかく捕まえた泥棒を逃がしてやって、罪を重ねさせる結果になった。後ろ足で砂をかけられた気分ではないか。(今井 克)

47NEWS 2011年4月8日 
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東日本大震災:今こそ、武者魂 国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」、愛馬減り危機

 ◇「一騎になっても」
 東日本大震災の影響で、7月23〜25日に予定されていた国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の開催が危ぶまれている。舞台となる福島県・相馬地方が被災し、多くの「騎馬武者」が愛馬を喪失。東京電力福島第1原子力発電所の放射性物質漏えい事故で、主要会場が屋内退避区域(原発から半径20〜30キロ)となった。1000年の歴史を誇る文化財の最大の危機。武者たちは「一騎となろうとも伝統を守ることが地域復興への貢献」とくつわを並べ、出陣への方策を練っている。【高橋昌紀、中島和哉】

 4本の脚に痛々しい傷がある白馬が、寄り添うように頭を近づけてきた。福島県南相馬市原町区の厩舎(きゅうしゃ)。「馬主仲間から預かった大事な『家族』です。野馬追に何とか出場させてやりたい」。乗馬クラブ経営の大滝康正さん(59)が優しいまなざしを注いだ。

 その馬が傷を負ったのは、震災直後の津波に流されたためだ。飼い主の稲田一哉さん(37)が見つけ出した時、海水を飲んで腹が膨れ、脚から流血していた。稲田さんの厩舎も流され、大滝さんが友人の“宝”を介抱することになった。

 大滝さんの厩舎は、屋内退避区域にある。所有する計13頭のうち、7頭を県外避難させており、いつ避難指示が出るかは分からない。大滝さんは「馬と共に相馬の男も女も生きてきた。馬専用の輸送車を準備し、もしもの時に備えています」と話す。

 相馬地方の5地区の武者でつくる「五郷騎馬会」(高田正雄会長)によると、震災前には240頭ほどの馬がいたが、現在は100頭ほどに減っている。地震による直接被害のほか、生き残った馬も飼料不足や厩舎の損壊などが原因で県外に移送されたり、売却されたりした。なかには放れ駒となり、飢餓状態で徘徊(はいかい)中に保護されたケースもあった。

 特に南部の2地区は原発の放射性物質漏れによる避難指示(原発から半径20キロ以内)を受けた。馬を移動させる手段がないため「泣く泣く、厩舎に置き去りにした馬主もいる」(騎馬会)という。馬主自身が家族や家を失うなど、困難な状況にある。

 さらに、甲冑(かっちゅう)競馬や神旗争奪戦などの主要会場となる雲雀ケ原祭場地(南相馬市)が、屋内退避区域に含まれている。原発事故は収束のめどが立っておらず、代替会場の確保も難しいとみられる。

 一方で、外部からの支援の輪は着実に広がっている。全国乗馬倶楽部振興協会(東京)などは飼料を提供し、栃木や群馬など県外の厩舎などが馬の一時避難を引き受けている。騎馬会の高田会長は「危機の時こそ、武士(もののふ)の意地を示し、祭りでお返しをしたい」と話した。

 政府は7日、南相馬市の屋内退避を避難指示に切り替える可能性を示した。しかし、騎馬会では野馬追を開催する方向で、事務局の市などと協議を進める方針だ。同会は馬場が必要な神旗争奪戦などは開催困難だが、騎馬行列などの行事は可能とみている。今月下旬までに幹部役員らを招集し、一定の方向性を決めたいという。

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 ■ことば

 ◇相馬野馬追
 地方豪族・相馬氏の祖とされる平安時代中期の武将、平将門の軍事訓練が起源といわれる祭り。地元3神社の神事としても伝承される。1978年に国の重要無形民俗文化財に指定された。南相馬市を中心に例年、500騎ほどが参加。3日間の日程で、武者行列や神旗を奪い合う「神旗争奪戦」、奉納用の馬を素手で捕らえる「野馬懸(かけ)」などが繰り広げられる。

毎日新聞  2011年4月8日 東京夕刊
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アマゾンベストセラー、 2011年4月9日
明治・大正
335.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
34. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
50. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
69. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2004/3)
85. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
108. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
121. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
178. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
250. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)
257. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一
258. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
279. 会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2002/8)
296. 龍馬が望まなかった戊辰戦争 (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2009/11/7)
340. 会津戦争全史 (講談社選書メチエ) 星 亮一 (単行本(ソフトカバー) - 2005/10/7)
368. 戊辰戦争を歩く―幕末維新歴史探訪の旅 星 亮一、 戊辰戦争研究会 (2010/2/10)


苦しいことに つまずく時も
きっと 上手に 越えて行ける
切なく残る痛みは
繰り返すたびに 薄れていく
あなたの夢を あきらめないで
あなたが選ぶ全てのものを
遠くにいて信じている
(岡村孝子 歌「夢をあきらめないで」より)



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  戊辰戦争研究会!
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原発避難区域のびっくりする映像。

http://www.youtube.com/watch?v=mHWvbisFg0I&feature=player_embedded石巻・大川小の悲劇、被災時の詳細明らかに
読売新聞 4月9日(土)14時42分配信

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多くの児童が北上川(上)を逆流した津波に襲われて亡くなった大川小(9日午前、宮城県石巻市で)=冨田大介撮影
 東日本大震災で全校児童108人のうち7割が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小で、被災時の状況が目撃者の証言などから明らかになった。

 児童は集団で高台へ避難する途中、すぐそばを流れる北上川からあふれた津波にのみ込まれた。当時の様子が知りたいという保護者の要望に応えて学校側は9日夜、説明の場を設ける。

          ◇河口から4キロ◇

 大川小は東北最大の大河、北上川右岸の釜谷地区にあり、太平洋に北上川が注ぐ追波湾の河口から4キロ上流に位置する。同県教委によると大川小の児童は56人が死亡、18人が行方不明。また教諭については当時、校内にいた11人のうち9人が死亡、1人が行方不明になった。校長は震災当時、外出して不在だった。

 保護者や住民らの証言では、児童は11日午後2時46分の地震直後、教諭らの誘導で校舎から校庭へ移動した。ヘルメット姿や上履きのままの子もいた。保護者の迎えの車が5、6台来ており、「早く帰りたい」と、泣きながら母親にしがみつく子もいた。

 同49分、大津波警報が出た。教諭らは校庭で対応を検討。校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあった。学校南側の裏山は急斜面で足場が悪い。そうした状況から、約200メートル西側にある新北上大橋のたもとを目指すことになった。そこは周囲の堤防より小高くなっていた。市の防災マニュアルは、津波対策を「高台に上る」とだけ記しており、具体的な避難場所の選択は各校に委ねられていた。

          ◇想定外◇ 

 午後3時10分過ぎ、現場に居合わせた男性(70)は、児童らが列を作って校庭から歩き出すのを目撃した。「教諭に先導され、おびえた様子で目の前を通り過ぎた」

 その直後だった。「ゴーッ」とすさまじい音がした。男性は児童らとは逆方向に走り出した。堤防を乗り越えて北上川からあふれ出した巨大な波が、学校を含む地区全体に襲いかかった。住民や男性の証言を総合すると、津波は児童の列を前方からのみ込んでいったという。列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて男性と同様に裏山を駆け上がるなどし、一部は助かった。

 宮城県沖で二つの断層が連動した地震が発生した場合を想定した津波浸水予測によると、河口付近の高さ5〜10メートルに対し、小学校周辺は1メートル未満。だが、今回の津波は2階建ての同校校舎の屋根まで乗り越え、裏山のふもとから約10メートルも駆け上がった。また児童らが避難しようとした新北上大橋のたもとでも、電柱や街灯がなぎ倒されるなど津波の被害を受けた。

 「ここまで来るとは誰も思わなかった」。同地区の住民は口をそろえる。同市河北総合支所によると、防災無線の避難呼びかけは一度きり。同支所によると、釜谷地区全体での死者・行方不明者は住民の約4割の189人。津波を見ようと堤防に行ってさらわれたり、自宅にとどまり犠牲になった人も多かったという。

          ◇保護者の思い◇

 県教委によると地震と津波で死亡した同県の小学生は127人で、4割以上が大川小の児童だ。8日には行方不明児童の1人とみられる遺体が見つかった。学校の周辺は今も我が子の手がかりを追い求める親の姿が絶えない。「当時の状況を知りたい」という保護者らの思いは切実だ。

 3年生の孫を亡くした男性(61)は遺体発見まで3週間を要した。「せめて何年生が、どの方角に逃げたのかだけでも知りたい。捜索にもある程度の目星が必要。みんな早く見つけてやりたい一心なんです」と語る。

 関係者から避難状況を聞き取った同市教委は「想像を絶する大津波だった。学校の判断は致し方なかったと思う」とする。市教委によると、校長が9日夜、生還した教諭から状況を聞き取った結果を保護者に伝えるという。(佐々木栄、羽尻拓史、石坂麻子) 日本大震災 親子2人で漁船生活 新たな津波に備え
毎日新聞 4月9日(土)12時29分配信

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「海の怖さは知っているが、豊かさも知っている」。仲間との漁再開を夢見て明かりを照らし続ける佐々木毅さん=岩手県大槌町赤浜地区の港で2011年4月8日、山川淳平撮影


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 岩手県大槌町赤浜地区の漁港で、漁船の中で親子2人だけで避難生活を送る漁師がいる。第5金勢丸の船長、佐々木毅さん(72)と長男逸良(いつりょう)さん(48)。震災時は船を沖に出し津波の難を逃れた。新たな津波に備えていつでも出港できるよう待機しており、「船を失った漁師仲間の希望の光にしたい」と深夜まで船の明かりをともす。

【写真で見る】被災地の今

 3月11日、港近くの自宅でくつろいでいると、大きな揺れに襲われた。同居する妻洋子さん(72)と逸良さん夫妻は外出中だった。自転車で港に向かい海を見ると、かつてないほど潮が引いていた。

 「でかい波が来る」。船に乗り込み、約1.5キロ沖へ走らせた。津波が沿岸近くまで押し寄せる前に沖に出た方が影響を受けにくく、岸壁に打ち付けられることもないと判断したからだ。港付近を見ると、うねった波が地面ごと街を削り取っていくのが見えた。転覆したり、沖へ流されていく船もあった。間一髪のところだった。

 翌朝、海面に浮かぶがれきをよけて帰港すると、町は壊滅していた。「船内のテレビでは(大槌町の)津波のことは放送されていなかったからたまげた」。家族は高台に逃げ無事だったが、自宅や車は流されていた。

 その日から、避難所では寝泊まりしていない。20年以上も苦労を共にした船を津波から守るため、逸良さんと船内で過ごしている。昼ごろから洋子さんがいる避難所の手伝いや自宅の片づけに出かけるが、夕方には船内に戻る。今月7日深夜に起きた余震の際は、浅瀬に乗り上げるような鈍い音で地震に気づき、エンジンをかけて津波の警戒を続けた。

 漁師仲間らがいる高台の避難所からは、夜になると佐々木さんの船の明かりがはっきりと見える。佐々木さんは言う。「船を失った仲間にこの明かりを見てもらい、勇気づけたい。必ずみんなで一緒に漁に復帰するんだ」【山川淳平】一時帰宅は数時間=原発避難者、時期は未定―海江田経産相
時事通信 4月9日(土)13時22分配信
 海江田万里経済産業相は9日、福島第1原発の事故で避難指示が出ている半径20キロ圏内の住民の一時帰宅は数時間程度にとどまるとの見通しを示した。福島市内で佐藤雄平知事と会談後、記者団に語った。
 海江田氏は「(避難者の間で)家に1泊できるのではないかと期待が膨らんだのは事実だが、あくまで数時間。必要不可欠なものだけを取ってくることになる」と述べた。
 実現時期については「人繰りもあるし、車の手当てもしなければならない。(震災1カ月の)11日から始まるということではないが、できるだけ早くしなければならない」と指摘。自民党の額賀福志郎元財務相との6日の会談で、11日からの実施を表明したと報じられたことについては「そんなことは言っていない」と否定した。 
皆様方へ                                      
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 (BCCでお送りしました)

                                            福島市 フリーライター・小林富久壽 拝
                                               090−2606−8034
国難の春


福島原発の巨大事故はマスメディアで連日、洪水のように流されています。

でも真実、実態はどの程度、報道されているのか?国民に真実は伝えられているのでしょうか?

大手メディアの朝日、NHKは原発20ー30`圏の南相馬市から姿を消しました。

実態が報道されるはずはありません。


ならば地元の元地方紙記者として老骨に鞭打ち、自分で報道をするしかありません。第1弾は

USTの動画による南相馬市の桜井勝延市長の1時間インタビューです。大津波で破壊

された浜沿いの惨状も1部、後日、お伝えする予定です。

マスメディアでは報道出来ない内容をお送りします。放送日は明日日曜の10日(日)午後2時からです。

「そんなことが起きているのか」「まさか?」。驚くような事実が相次ぐかと思います。

ご覧いただければ幸いです。アーカイブも載せます。

URLはhttp://bit.ly/glt2tTです。クリックして下さい。

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2011年4月8日(金) 原発、津波
福島第1原発「廃炉に10年」 東芝がロードマップを提出
産経新聞 4月8日(金)11時56分配信
 福島第1原子力発電所の原子炉を製造した東芝が米原子力企業3社と共同で、同原発1〜4号機の廃炉に向けたロードマップ(工程表)を東京電力と経済産業省に提出したことが8日、分かった。今後5年をめどに原子炉圧力容器内の燃料棒や貯蔵プール内の使用済み燃料を撤去。10年後にはすべての機器や関連設備も撤去し、更地にする。

 こうした工程表は、日立製作所と米ゼネラル・エレクトリック(GE)のグループも提出する見通しだ。

 東芝の工程表は、米スリーマイル島原発事故の廃炉作業にあたった経験を持つ米ウエスチングハウス、同ショー・グループ、同バブコック・アンド・ウィルコックス(B&W)の3社と共同で作成した。福島の場合、事故発生から半年後には原子炉内が冷温状態で安定化すると想定。この間、ロボットを使って建屋内のがれきを撤去し、廃炉に向けた作業環境を整える。

 5年後には燃料棒や使用済み燃料を撤去し、別の容器に密閉して冷却保存。10年後には機器や建屋の撤去も終える考えだ。

 ただ現時点では、福島第1原発の原子炉内の状況が詳しく把握できておらず、工程表は「あくまでも技術的な提案」(東芝)。状況の推移を見極めながら、スケジュールを改訂する。

 一方、日立とGEのグループも「(原子炉)安定化後の長期的なプランを検討中」(日立の中西宏明社長)としており、近く工程表を提出する考えだ。」汚染水放出で広がる怒りと不安
産経新聞 4月6日(水)21時9分配信

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止水剤注入後の海へ流出している汚染水の状況=4月5日(東京電力提供)(写真:産経新聞)
 「死活問題だ」「風評被害はいつまで続くのか」。6日、低濃度の放射性物質(放射能)の汚染水放出を受け、東京電力本店などを訪れ、強い怒りと補償要求を突きつけた全国漁業協同組合連合会。謝罪の言葉と補償の意向は示されたが、すでに風評被害は表面化し、漁業関係者の怒りと不安は広がる一方だ。

【フォト】止まらぬ汚染水 魚に影響は?

 「海に汚染水を流すとは許し難い行為。海水汚染のイメージは茨城の漁業の死活問題だ」。茨城県の11漁協でつくる茨城沿海地区漁業協同組合連合会の今橋一也専務理事は語気を強めた。

 放出の影響について、東電は成人が近くの魚や海藻を毎日食べて受ける放射線量は年間0.6ミリシーベルトで、自然界からの放射線量の4分の1と説明しているが、北茨城市の沖合では4日に取れたコウナゴから放射性セシウムの暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を上回る数値が検出され、出荷停止に追い込まれたばかり。

 同市の平潟漁協では5日に震災後初めて底引き網漁を行ったが、基準値に満たない魚も風評被害が懸念され、買い控えが目立った。「ヒラメが2キロ500円程度まで落ち込むなど、いずれも震災前の4分の1程度に暴落した」(同漁協)といい、汚染水の放出が風評被害を加速させている。

 敬遠の動きは広がり、5日には、同県神栖市のはさき漁協に所属する底引き網漁船の水揚げが千葉県の銚子港で拒否された。

 はさき漁協では被災を免れた約30の小型船がハマグリやシラス漁に向けて準備を進めていた矢先だった。漁協関係者は「日本を代表する市場で拒否されたこと自体が風評被害だ」とやり場のない怒りを口にする。

 飲食店への影響も出始めている。水戸市のすし店の従業員は「震災でお客が減った上、今回の汚染水の放出で客足がぱたりと止まった」。都内のすし店主も「震災後、客が1割ほど減っており、会話でも原発からの汚染水放出を気にしている人が少なくない」と不安そうに話した。に復旧の兆し=IAEA
時事通信 4月8日(金)6時25分配信
 【ベルリン時事】国際原子力機関(IAEA)のフローリー事務次長は7日、ウィーンの本部で記者会見し、福島第1原発の状況について、「依然として非常に深刻」との見方を示しながらも、「電力や設備に復旧の兆しが見られる」と語った。
 同事務次長はまた、日本に派遣した原子炉の専門家2人が同原発を訪れたことを明らかにした。
 日本側の対応が遅れたため、被害が拡大したとの批判に関しては、「前例とは比較できない規模の事例であり、対応が迅速だったか、緩慢だったかは判断できない」と述べるにとどまった。 

余震


避難所となっている安渡寺では、津波で自宅を流され避難生活を送る県立大槌高1年、小国琢さん(15)が「前の地震より強く感じた」と震える声で話した。

【写真】「ドンドンドンと激しい揺れ」仙台のマンション

 小国さんによると、寺には60〜70人が起居。消灯時間を過ぎ、避難者らは全員寝ていたという。

 地震発生で寺はみしみしと音を立てて大きく揺れた。同時に周囲の暗闇から「キャー」という女性の悲鳴や「怖い」という声が聞こえたという。

 小国さんも天井の落下に備えて布団にもぐり込んだ。揺れが収まり、ろうそくに火を灯して周囲を確認したところ、寺の天井や壁などに損傷はなかった。避難者らはラジオで津波の大きさを確認した後、再び布団に戻ったという。

 小国さんは「ラジオで津波がそれほど大きくないと分かり、みんなほっとした様子だった。避難所は落ち着いています」と話した。

 一方、震度6強を観測した仙台市宮城野区では、避難所となっている幸町小学校も地震発生直後に停電となった。校内が真っ暗となり、職員室に詰めていた男性は「今は現状を把握するので手一杯」と混乱した様子で話した。


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最終更新:4月8日(金)4時48分

震度6弱の岩手、高速道路に段差
TBS系(JNN) 4月8日(金)7時9分配信

 岩手県警によりますと、この地震で倒れてきたタンスで頭を打ったり、避難中に階段を踏み外したりして、少なくとも4人がけがをしたということです。

 また、県内全域で停電が発生。一時、津波注意報も出され、東日本大震災後、避難生活を送っている人たちは不安そうな表情を浮かべていました。

 道路関係では奥州市の国道4号の2か所で段差が生じ、付近が一時通行止めになりました。

 東北自動車道は平泉前沢IC付近で段差が生じているということで、水沢ICより南の区間で通行止めが続いています。

 また、大船渡市の民家では火災が発生。停電のため、使っていたロウソクが倒れたことが原因と見られています。この火災によるけが人はいませんでした。(08日06:32)最
避難所に悲鳴、逃げる車「津波怖い」(1/2ページ)2011年4月8日1時43分



東日本大震災で津波被害を受けた仙台市若林区避難所では、多くの人が不安そうにテレビを見つめていた=8日午前0時6分、高橋雄大撮影

東日本大震災で津波被害を受けた仙台市若林区の避難所では、多くの人が不安そうにテレビを見つめていた=8日午前0時15分、高橋雄大撮影

東日本大震災で津波被害を受けた仙台市若林区の避難所では、多くの人が不安そうにテレビを見つめていた=8日午前0時15分、高橋雄大撮影
 東日本大震災から28日目。7日深夜、最も強い揺れの余震が東北地方を襲い、津波警報も出された。岩手、青森、山形、秋田の東北4県が全域停電。被災者に、あの日の記憶がよみがえった。

 仙台市では、ゴーッという音がして激しい揺れが続いた。

 避難所になっている同市若林区の体育館では、多くの人が就寝中だった。避難しているタクシー運転手、幌村勝四郎さん(51)によると、揺れで悲鳴があがった。窓ガラスが割れ、飛び散った。すぐに全員が外に出て、ラジオを聞きながら揺れがおさまるのを待った。避難所の外からも、車で人が集まり始めた。

 同市宮城野区の東北厚生年金病院には、地震でけがをしたという市民が約20人ほど来た。人工呼吸器を付けた在宅患者も来院。停電で呼吸器が使えなくなったとみられる。病院側は急きょ医師約10人を呼び出して対応した。

 同市太白区の宮城社会保険病院にも、近所の人たち約400人が避難してきた。市内が停電したため、明かりのついている病院に集まってきたらしい。

 3月11日の地震と津波で多数の死者が出た宮城県山元町では、消防車がサイレンを鳴らしながら津波警報を広報した。町の防災無線は全て壊れており、南北に広がる堤防も壊れている。

 同県塩釜市でも高台へ避難するようにという放送が流れた。JR塩釜駅前に住む小幡忠義さんは「外へ逃げたが、揺れで歩くのがやっとだった。高台へ逃げようとする車で一時は騒然となった」と話した。

 同県東松島市の鷹来の森運動公園へ向かう道は、避難する車で渋滞した。自家用車でやってきた男性は「2キロほどの道のりに30分かかった。数百台が駐車場に押しかけ、入りきれず路上に並んでいる車もある。津波が怖い」と話した。

:避難所防災無線東日本大震災津波警報栗原市
関連リンク宮城県北部で震度6強 東北4県、けが人多数(4/8)青森・秋田・岩手県内全域で停電 宮城県沖地震(4/8)東北道と磐越道、一部通行止め 宮城県沖地震(4/8)「地震、3・11の余震だろう」 東大地震研教授(4/8)特集:東日本大震災「被ばく量、言えない」東電社員 原発敷地内に1カ月

東京電力福島第1原発の免震重要棟2階にある緊急時対策室(東京電力ホームページから)
 相次ぐ事故により深刻な状況が続く東京電力福島第1原発で、震災発生から長く敷地内にとどまっている第1原発企画広報グループの村田泰樹さん(44)が6日、共同通信の電話取材に応じ、施設の状況などを語った。しかし約1カ月にわたって累積された被ばく線量については「言えない」と口を閉ざした。

 村田さんは震災が起きた3月11日から、第1原発敷地内にある「免震重要棟」と呼ばれる2階建ての中にいる。数少ない窓は鉛の板でふさがれた。窓から施設内に放射線が入るのを防ぐためだ。

 玄関前には、作業員が防護服を脱ぐためのプレハブ建屋を新設。毎日、夕方にはここで一度に20〜30人が防護服を脱ぎ、肌着姿で免震棟玄関に。顔や体に放射性物質が付着していれば、玄関で除染作業が行われる。

 免震棟付近では一時、毎時約3千マイクロシーベルトの高レベル放射線が検知されたこともあり、線量管理は厳重。しかし村田さん自身に累積された被ばく線量については、何度尋ねても「言えません。個人情報でもありますし…」と繰り返した。

 免震棟2階の「緊急時対策室」では吉田昌郎所長ら第1原発幹部が、東電本店と24時間つながっている大型テレビ会議システムを使い、作業の進捗状況などを伝えている。テレビは数台あり、東電関連のニュースがある時だけは音量を上げる。国内外の反応もインターネットで把握している。

 食料は約20キロ離れた事故対応拠点「Jヴィレッジ」からトラックで運び込まれる。村田さんが免震棟の外に出るのは、トラックが到着して荷物を降ろす時だけだ。

 震災からしばらくの間はクラッカーや非常用乾燥米など1日2食だったが、今は菓子パンやバランス栄養食品、ソーセージも届き、1日3食となった。6日の昼食用として免震棟に用意されたのは約700人分。トイレは水を流せるが、上水ではないため手洗いには使えない。

 村田さんは最近、5日連続で働くと1日休みが取れるようになった。妻と小学3年の長男が避難している首都圏の実家まで会いに行き、また免震棟に戻るのだという。

共同通信 2011年4月7日 
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「津波に耐えられるように」漁村を高層化…農水省が復興案
スポーツ報知 4月8日(金)8時3分配信

 東日本大震災による巨大津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸などの漁村の復興に向けた農水省の計画案が7日、明らかになった。漁港の中核施設である魚市場の高層建築化、かさ上げした地盤への水産物加工場の集約、住宅の高台への移転など、大規模な地震や津波に耐えられるように漁村を高層化する。住民の理解、巨額費用など課題山積だが、対策を「応急→復旧→復興」と3段階に分け、3〜5年がけの長期計画で津波対策を進める。

 無残に流される巨大漁船、倒壊した防波堤…。地震による大津波で壊滅的な打撃を受けた港町の復興プランは、漁村の高層化だ。

 計画案は、防災対策の拡充に加え、漁港の機能強化を図る。魚市場などの建物は地震や津波に耐えられるよう耐震性を高めて高層化し、上層階は住宅などに活用する。魚市場周辺の地盤をこれまでよりかさ上げし、加工場などを集め、効率的な流通態勢も構築する。

 さらに、風力、太陽光、バイオマスなど自然エネルギーを使った発電を導入し「エコタウン化」を推進。従来、漁港の近くに住んでいた漁業者らを高台への避難させ、そこから漁港に通うことで安全性を確保する。

 再建の過程を〈1〉がれきの撤去など「応急対策」に3か月〈2〉漁港、漁船や漁場の「復旧対策」に1〜3年〈3〉地盤や建物の整備など「復興対策」は3〜5年―と3段階に分け、漁業・食料生産基地として再整備する。農水省は8月末までに基本計画を策定し、9月以降、実施に移していく方針だ。

 岩手県の沿岸12市町村の漁港では、防波堤100か所以上が倒壊。県内で操業していた漁船約1万4000隻の3分の1以上が流出、損壊した。

 カツオなどの水揚げが全国1、2を争う宮城県気仙沼は、地震で市場自体が約1メートル沈下、満潮時に冠水する恐れもある。マグロ漁船約15隻が陸を駆け上がり、道や宅地に転がった。同県の女川原子力発電所では13メートルの津波を観測、安全上の問題は起きなかったとはいえ、津波の威力は想像をはるかに超えていた。

 津波被害を回避、軽減するための漁村高層化計画。漁業者ら地域住民の暮らしや仕事の仕方が変わる可能性があり、計画実現には政府の十分な説明が必要となる。事業費も巨額となり課題は山積みだが、完全な復興のためには原発ニュースの読み方(8) 小さな疑問の続き。

▼ 野菜を洗えば、放射線は安心?
放射性物質の付着した野菜。一般に流通することはないので、気にする必要はないのだろうが、もしそういった野菜があった場合には、今の段階では野菜の表面に付着している放射性物質がほとんどであると考えられる。これは、水で洗い流すことができる。逆に茹でたり焼いたりしても放射性物質は減らないため、付着したものを取り除くのが重要である。ちなみに、基準値は一年間毎日食べ続けて危険かどうかを決めているため、1度や2度食べた程度であれば、大きな問題にはならない。
 吸い込んで体内に入ってしまった放射性物質(内部被ばく)とそれ以外の放射性物質(外部被ばく)の対処法や危険度は異なるので、注意してほしい。ちなみに体に付着したような放射性物質も基本的には洗い流すことが最も有効で、洗い流せばその危険性を減らすことができる。
 放射性物質は体内に取り込まない方がよいが、ヨウ素もセシウムも一時的に微量な摂取であれば、代謝によって数十日でほとんどが体外へ排出されるといわれている。

▼ 魚の放射性物質

 今、放射性物質を含む水が海へ流出しており、原発付近では高い放射性物質の濃度が検出されている。この放射性物質の海産物への影響が懸念される。
 海産物での、有害物質の問題でよく話題にあがる生体濃縮という現象がある。プランクトン→小型の魚→大型の魚といった、食物連鎖を通じて、有害物質がどんどん濃く、濃縮されてしまうという現象だ。水銀や農薬のDDTといったものでは、その濃縮係数は500倍〜数万倍にまでなる。濃縮係数とは、生物中の濃度を海水中の濃度で割ったものである。
 しかし現在、放射性物質汚染で問題となっている放射性物質のヨウ素とセシウムは、こうした生体濃縮はほとんどないという。生物によって代謝などの仕組みが違うこともあるので、全ての海生生物にいえるわけではないと考えられるが、一般に食べる魚では、“食物連鎖による”生体濃縮は認められていない。
 特に半減期が長く問題となるセシウムに関して言えば、生体内でカリウムと同じような働きをすることが分かっており、特定の臓器に蓄積することもない。海水から魚にセシウムが取り込まれても、尿などで体外に排泄される。
 このように海生生物は放射性物質を排出するので、その濃度は海水中の濃度に依存する。生体内の濃度は海水よりは高く、海水の5倍から100倍程度になるが、大型の魚であっても、小型の魚であってもその濃度に水銀・DDTなどに比べて大きな変化はないということだ。
 海は広く大量の水があることから、拡散も期待される。内部被ばくの健康への影響はあなどってはならないので、注意深く今後の汚染状況を見守る必要はあるが、海産物が全く食べられなくなるほどの汚染は、今はないようだ。

47NEWS 2011年4月7日 
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「復興の玉子」に…三陸の銘菓、工場再稼働

三陸地方の銘菓「かもめの玉子」で知られる岩手県大船渡市の「さいとう製菓」が7日、東日本大震災の影響で止まっていた工場を再稼働した。

 原材料の確保にめどがついたためで、鶏卵の納入量が安定する20日頃には「かもめの玉子」の生産も始める。

 同社は、津波で沿岸部の本社と直営店5店が流される被害を受けた。工場も、同市沿岸部の1工場が流されたが、高台の中井工場(同市赤崎町)など2工場に大きな被害はなく、従業員約250人は全員無事だった。

 6日には原材料の鶏卵などを確保。全売り上げの9割近くを生産する中井工場で製造ラインを試運転し、異常がないことを確認した。

 7日に生産を始めたのは、首都圏向けに販売している関連商品「ごまたまご」。鶏卵は、現在は1日おきにしか入手できないなど原材料確保は不安定な状況だが、20日頃には震災前と同様、1日200〜300キロ・グラムが入荷できる見込みという。斉藤俊明社長は「経済が活性化しないと東北も復活できない。本格的な操業を目指し、『復興の玉子』を作っていきたい」と意気込んでいる。

読売新聞 2011年4月7日
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アマゾンベストセラー、 2011年4月8日
明治・大正
333.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
33. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
40. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
78. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
84. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一
94. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
100. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
164. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
226. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)
233. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一
234. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
272. 龍馬が望まなかった戊辰戦争 (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2009/11/7)
311. 会津戦争全史 (講談社選書メチエ) 星 亮一 (単行本- 2005/10/7)
341. 戊辰戦争を歩く―幕末維新歴史探訪の旅 星 亮一、 戊辰戦争研究会 (2010/2/10)
369. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)


涙の数だけ強くなれるよ
見るものすべてに おびえないで
明日は来るよ 君のために
(岡本真夜 歌「TOMORROW」より)


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2011年4月7日(木) 原発、津波
今日、南相馬に取材に行ってきました

福島第1原発 枝野長官、不手際「反省」…汚染水放出
毎日新聞 4月6日(水)21時43分配信

拡大写真
会見冒頭に発言する枝野幸男官房長官=首相官邸で2011年4月6日午後4時40分、藤井太郎撮影
 枝野幸男官房長官は6日の記者会見で、東京電力が福島第1原発の低レベルの放射能汚染水を海に放出した際、国内外への連絡が不十分だったとの批判を受け「早い段階から政府内で準備を進め、関係省庁や各国との事前の相談や報告の手配がどうなっているか、私が指示すべきだったと反省している」と陳謝した。海洋汚染の拡大を阻止する狙いだったが、方針決定で総合調整を担う首相官邸の不手際を認めた形だ。【影山哲也、野口武則】

 枝野氏は6日の会見で「高濃度の(汚染)水をキープする(ためておく)場所を確保しないと、今後も(海に)流れ続けかねないという強い危機感があり、丁寧な手順を怠ってしまった」「より丁寧な説明ができたのではないか。(放水)決定前の段階から、(説明の)準備に入ることが必要だった」と反省の弁を繰り返した。

 汚染水の放出を巡っては6日、全国漁業協同組合連合会(全漁連)が東電や経済産業省に抗議。日本政府が放出発表後に各国に連絡したことには韓国外交通商省が不満を示すなど波紋は海外にも広がっている。

 海への放出について政府は「海洋汚染をより小さくするためのやむを得ない措置」(枝野氏)と説明しているが、国内外から一斉に批判が出たのは、政府の事前の調整不足が不安をあおった側面も強い。

 水産庁を所管する鹿野道彦農相は5日、東電から事前連絡がなかったことについて、東電を所管する海江田万里経産相に「(東電から)何ら具体的な報告がなかった。厳しく指導してほしい」と不快感を示した。

 海江田経産相は5日の会見で連絡不足について「4日に放水せねばいけないと、4日の段階で聞いた。汚染を少しでも少なくする手法を議論し、実際に(放出を)行うまで半日だった」と、急な決定だったと釈明した。

 批判は野党からも噴き出した。6日の与野党と政府の震災対策実務者会合では、自民党の西村康稔衆院議員が「(関係機関に)事前に知らせなかったのはよくない。菅直人首相がメッセージを出すべきだった」と指摘。

 社民党の阿部知子政審会長は「放出は本当に避けられなかったのか」と東電の判断に疑問を呈した。外国向けに連絡しなかったことについて原子力安全・保安院の担当者は「反省している」と陳謝した。







▽駿河屋さん
          
 仙台で50年も米屋をやっている知人から無事を知らせる電話があり、「それにしてもこんなことは店を開いてから初めて」と困惑気味に打ち明けられた。大震災の数日後に始まった買いだめパニックだ。
 仙台の町外れに戦後に建てられたちっぽけな住宅街で、知人は夫婦2人で古くからのお客さんを相手に細々と商売を続けている。大地震が起きてしばらくすると「見たこともない顔の人たちがどんどんやって来て、買えるだけコメを買っていった。ふだんの1年分を数日間で売り上げてしまった」のだそうだ。幸い、問屋の方からの供給は途絶えなかったので、客が欲しいというだけ売っても売り切れにはならなかったようだ。
 親しい間柄の気安さで、「1年分を売ったのなら、あとの半年寝て暮らせるね」などと不謹慎なことをつい口走ってしまったが、仮に仕入れが途絶えて、「売り切れです」なんて断ったら、殺気立った客との間でトラブルにまで発展しかねない状況だったのではないか、と想像している。
 同じようなことは東京でも起きていた。スーパーの棚から水が消え、パンやサンドウィッチが消え、豆腐や納豆が消えた。
 家の近所に駿河屋(仮名)さんという酒、食料品、雑貨屋さんがある。もともと酒屋さんだったのが、コンビニ風に模様替えして品揃えを整え、毎朝7時に店を開け、午後11時に店を閉める。大旦那に大奥さん、若旦那と若奥さん、2世代の家族4人が交代で店番をし、若旦那は仕入れや配達も担当している。日本の町のどこにでもありそうで、実際は無くなりつつありそうな、そんな店である。
 住んでいるのは東京のどこにでもある普通の住宅街だ。表通りには大型スーパーがあり、路地を一つ入ると24時間営業のコンビニがあり、さらに住宅街を進んでいくと駿河屋さんがある、という構図だ。近所には昔からの鮮魚店があり、八百屋さんがあり、食べ物屋さんもある。
 スーパーやコンビニから水が消えたときも駿河屋さんには水があった。買いだめ客は来こなかったんですか、と聞いたら「来ましたとも」と大奥さん。
 ふだんから来てくださってるお客様は分かってらっしゃるから、たくさん買いだめなんか、なさりません。初めてお見えになるお客さんで、かごにたくさん入れてレジに立たれた方がいました。でもね「お互い様ですからね。また明日も入りますから今日の分だけにしていただけますか」って言ったら分かってくださいました。
 棚を空にしない、なじみ客もふりの客も区別しない、客を大事にするが甘やかさない。これがパニックを起こさない商人道というものなのだろうか。どこにもあるわけではないかもしれないが、今の時代でも生きているのだなあ、と思った。


47NEWS 2011年4月6日 
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歴史に思いはせ 京都御所、春の一般公開印刷用画面を開く

一般公開が始まった京都御所を見学する観光客(6日午前9時10分、京都市上京区) 京都御所(京都市上京区)で6日、春の一般公開が始まった。東日本大震災の被災地に配慮し、桜をめでる「花宴(はなのえん)」の人形展示や雅楽、蹴鞠(けまり)が1946年に公開を始めて以来、初めて中止されたが、観光客が趣のある建物に見入っていた。

 朝から快晴となり、開門とともに大勢の観光客が入場した。紫宸殿(ししんでん)の高御座(たかみくら)や各御殿のふすまに描かれた華やかな障壁画をじっくり眺め、写真におさめていた。

 津波で漁港に被害が出た北海道浦幌町から訪れた金澤茂樹さん(68)は「催しの中止は残念だが、昔の情景に思いをはせながら立派な建物を見られた」と話していた。

 10日までの午前9時〜午後3時半。入場無料。問い合わせは宮内庁京都事務所TEL075(211)1211へ。

京都新聞  2011年4月6日   
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東日本大震災:はみがき先生の歌を忘れない CDを遺族に

小学校の名前の「磯」から「いそお君はみがき」と名づけられたCD。高橋さんがタイトルを手書きしている=岩手県宮古市で、長田舞子撮影 東日本大震災では多くの教師・学校関係者も犠牲になった。岩手県宮古市立磯鶏(そけい)小(阿部悟校長、児童314人)の養護教諭、高橋琢子(たくこ)さん(43)は、音楽に合わせて歯磨き指導をするなど、児童の健康を守ろうと工夫してきた。津波にのまれ、今月2日に死亡が確認された。本来始業式だった6日は登校日になり、児童らが黙とうした。【長田舞子】

 ◇児童ら黙とう
 6日朝は阿部校長が放送で「みなさんの健康を気遣ってくれた琢子先生が亡くなりました。看病してくれたり、みなさんの悩みを聞いてくれた琢子先生とお別れしなければなりません」と語りかけ、児童らは涙ぐみながら約1分間、黙とうした。阿部校長は「虫歯を予防したい、健康を守りたいという琢子先生の思いが詰まった曲を聴きましょう」と呼び掛け、高橋さんの声の入った「いそお君はみがき」というCDをかけた。

 「いそお君はみがき」は高橋さんが磯鶏小に赴任した5年前、「児童がリズムよく楽しく歯を磨けるように」と学校の名前にちなんで作った。音楽に合わせて「上奥歯」「上前歯」「奥歯裏」など、16カ所の磨く場所を指示する声を吹き込んだ。給食後の歯磨きの時間に毎日流され、児童は楽しみながら歯磨きをしていたという。曲は高橋さんの好きだったZARD「負けないで」だった。

 高橋さんは3月11日は休みで、地震後に他の小学校に通う12歳と9歳の息子2人を迎えに行き、津波にさらわれた。息子たちは助かった。先月24日、高橋さんの家族にCDを遺品として渡した阿部校長は「つらい時にこそ『負けないで』という琢子先生が大好きだったメッセージを息子さんたちに伝えたかった」という。小学校は多くの避難者を体育館で受け入れながら、新学期の準備を進めている。「きめ細かく児童とかかわっていた琢子先生は、震災後の不安な気持ちを抱えた児童にも実情を踏まえた対処ができたと思う。本当に残念」と話す。

 磯鶏小は「児童が高橋さんを思い出して泣きだしてしまうかもしれない」と配慮、「いそお君はみがき」をかけるのは6日を最後にして、別の曲で作り直すことを考えているという。曲が流れた後、5年1組の下島野公子教諭は「負けないで、というのは琢子先生からのメッセージのようだね。津波でつらい思いをした人、亡くなってしまった人のことを忘れず、頑張っていきましょう」と児童に語りかけた。

毎日新聞  2011年4月6日   
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明治・大正
328.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
31. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
38. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
71. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
103. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一
121. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
146. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
161. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
204. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)
215. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一
217. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
277. 会津戦争全史 (講談社選書メチエ) 星 亮一 (単行本 - 2005/10/7)
302. 戊辰戦争を歩く―幕末維新歴史探訪の旅 星 亮一、 戊辰戦争研究会 (2010/2/10)
324. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
339. 龍馬の流儀―幕末を駆け抜けたヒーローの履歴書 星 亮一 (単行本 - 2010/3)
343. 白虎隊と二本松少年隊―幕末を駆け抜けた若... 星 亮一 (単行本 - 2007/4)
351. 会津と長州、幕末維新の光と闇 星 亮一 (単行本 - 2009/3/19)
358. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)


希望は良いものだよ 多分最高のものだ 良いものは決して滅びない
(映画『ショーシャンクの空に』より)


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2011年4月6日(水) 原発、津波、地震
妊婦と乳幼児、村外避難へ…飯舘村が独自方針
読売新聞 4月6日(水)11時1分配信
 福島第一原発事故で村内の一部が屋内退避区域(福島第一原発から20〜30キロ圏内)となっている福島県飯舘村は、近く村内の妊婦と乳幼児を一時、村外に避難させる方針を決めた。

 妊婦と3歳以下の乳幼児(付き添いは保護者1人まで)が対象。50人程度を見込み、滞在費を負担する方向で県と調整している。避難先は、福島市内の温泉宿泊施設などが候補にあがっており、準備ができ次第希望者を募る。

 同村は、大部分が屋内退避圏外だが、村内の小中学校などの敷地内で3月28日、大気中の放射線量が1時間あたり13・2〜17・7マイクロ・シーベルト観測されており、村民に安心感を与えるため、村独自の措置として行うことにした。
最終更新:4月6日(水)11時1分


、大連立拒否「政策すり合わせもない」
読売新聞 4月5日(火)20時39分配信

 自民党の谷垣総裁は5日、菅首相(民主党代表)が呼びかけた両党の「大連立」はできないとの考えを示した。谷垣氏は東京都内で記者団に「政策のすり合わせもないところでの連立はあり得ない。野党として震災対応の協力をやる」と述べた。

 党執行部は「菅首相の退陣が大連立の大前提」としており、谷垣氏の発言も、菅政権との間での大連立を否定したものと見られる。谷垣氏は首相の震災対応についても、「(首相官邸内で)たくさんの役を次から次に作るのは責任と権限を一元化することにつながらない」と批判した。

 谷垣氏は同日、総裁経験者回りの一環として海部、小泉両元首相とそれぞれ会談、小泉氏は「健全な野党のあり方を発揮すべきだ」と助言した。自民党幹部は「総裁経験者は菅政権との大連立に皆、慎重だった」としており、菅内閣が閣僚を増員し、自民党に入閣を要請しても断る方針だ。


戊辰戦争研究会
-------------------------------------------------------------------------------▽日本から学ぶべき10のこと
                   
 東日本大震災の津波と地震に襲われ壊滅的な被害にあった日本。未曾有の危機の中で、避難した人々が苦難と悲しみに耐えながら、復旧・復興活動に努力している姿に、海外からも暖かい支援と励ましのメッセージが寄せられている。
 筆者のところにも、ジュネーブ勤務時代の友人の一人から、福島第一原発の放射能汚染を心配して「いつでも家族と一緒にスイスに避難できるようにベッドを3人分確保してある」というメールが届いた。
 長野冬季五輪開催時に一緒に仕事をしたIOC関係者からは共通の友人のもとへ「津波に襲われた日本から学ぶべき10のこと」というメールが送られてきた。
 アフリカ・ナイジェリアのアブジャのホテルに働く知人が書いたというメッセージで「日本人が津波の大災害に襲われながらも、静かに悲しみに耐えていること。威厳をもち、寛容で、秩序を守り、犠牲的精神に富み、優しく、よく訓練されていること。メディアは抑制されたバランスのとれた報道を行い、停電になっても略奪もない道徳心がある」などのことを日本から学ぶべきだと指摘しており、「まったくその通りだ」とコメントしている。
 我々日本人から見れば当たり前のようなことが、海外の人々からみれば賞賛に値することと受けとめられている部分もあるし、また過大評価されていると思う部分もあるが、その内容を紹介しよう。

1.落ちついた冷静さ 悲嘆にくれて胸を叩くようなワイルドな動きもみせず、悲しみさえ昇華させているようだ。

2.威厳 水や生活必需品のために厳格に順番を守ってならび、騒いだり、野蛮な秩序を乱す動きをみせない。

3.知的能力 例えば、信じられないほどの建築工学技術。ビルは揺れたが、崩壊しなかった

4.寛大で親切 必要なものをみんなが手に入れられるように、現在必要なものしか買わないようにしている。

5.秩序 商店での略奪もなく、道路交通での無秩序な追い抜きや警笛をならし続けることもなく、理性のある行動をしている。

6.自己犠牲 福島第一原発の事故現場で海水をポンプ注入するために作業員50人が踏みとどまって活動。どれだけの保障措置があるのだろうか?

7.優しさ レストランは値段を下げ、ATMは警備されることもなく、そのままあり、強者が弱者の面倒をみている。

8.訓練 老人も子供も、誰もが何をなすべきかをはっきりと知り、その通りに行動している。

9.メディア メディアの速報は,すばらしく抑制されており、思慮のない記者はおらず、静かに報道すべきことを報道している。

10.良心 商店が停電になったとき、人々は商品を棚にもどし、静かに立ち去っていった。
(山口 光)
47NEWS 2011年4月5日 
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「仙台平野に巨大津波」16年前に警告本 仙台の郷土史家

飯沼さんによると、慶長津波でタコとともに打ち上げられたとされる薬師像をまつる蛸薬師=仙台市太白区長町4丁目
 
「仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と16年前に警告を発していた郷土史家がいる。津波の歴史を研究し、対策の充実を訴えていた仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。東日本大震災の大津波を目の当たりにし、「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。

 飯沼さんは元公立学校教諭。教壇に立つ傍ら歴史書をひもとき、仙台平野を襲った過去の巨大津波を研究してきた。
 869年の貞観津波は国府多賀城の城下を襲い、多数の溺死者を出した。1611年の慶長津波でも仙台平野は一帯が冠水。津波は現在の太白区長町4丁目周辺にまで押し寄せ、薬師如来をまつる「蛸薬師」の由来にもなった。
 飯沼さんは「仙台平野は180〜200年の周期で大津波が起きている。次の大津波は、いつ来てもおかしくない」と警告していた。
 1994年に宮城県と仙台市に対し、3階以上の鉄筋コンクリートビルの建設、防潮林の充実など対策を講じるよう陳情。95年には「仙台平野の歴史津波 巨大津波が仙台平野を襲う!」(宝文堂)を出版した。
 飯沼さんは「津波被害が出るのはリアス式の三陸沿岸で仙台の沿岸に大きな津波は来ない、という根拠のない安心感が、行政にも住民にもあった」と振り返る。
 震災後、飯沼さんが出版した本は再評価され、インターネットには「津波を予言した内容」という書き込みも見られる。
 飯沼さんが暮らす宮城野区蒲生のアパートも津波で壊滅的な被害を受けた。身を寄せる避難所で飯沼さんは「歴史は繰り返す。震災を教訓に、津波対策や避難誘導のシステムを早急に構築するべきだ」と語っている。(神田一道)

河北新報社 2011年4月5日    
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302.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
25. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
36. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
60. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
134. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
163. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2004/3)
189. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
201. 女たちの会津戦争 (平凡社新書) 星 亮一 (新書 - 2006/7/11)
251. 会津戦争全史 (講談社選書メチエ) 星 亮一 (単行本 - 2005/10/7)
282. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
291. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
306. 白虎隊と二本松少年隊―幕末を駆け抜けた若... 星 亮一 (単行本 - 2007/4)
324. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)


私たちは この世で大きいことはできません
小さなことを大きな愛をもって行うだけです
(マザーテレサ)



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会津若松市の市民生活:近況レポ−ト 会津 山川健次郎!
只今、帰宅いたしました。

避難所の人数が増えてきました。

物資は、町ぐるみで調達し、物流も素押し良くなってきたので、物はあります。

しかし、、仕分けや、運搬する人手が不足してきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<福島原発事故について>



・福島原発事故の状況が依然として好転しません。

福島県浜通地方や中通り地方から の避難民の数が増大してきました。

多くの学校や公的施設等で、避難生活をしています。

会津を素通りして、新潟県方面に避難する人も増加しているようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<福島県の放射線量測定値の変化について>



http//:www.pref.fukushimajp/の 福島県HP  NEWをすべて参照して下さい。

詳細が公表されています。

一時期より、放射線量かなり減少してきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<ガソリンの給油状況について>



・ガソリンは、翌日の注油予約券を朝3時半から並ぶ車の車列約2キロ。

 朝6時から予約券配布。(添付図参照)

翌日、指定された時間にGSに行って給油するのですが、

時間指定にもかかわらず、再度、数キロもの長さの車列に並ばなければなりません。

ガソリン節約のため、車は移動の時だけ、エンジンをかけるという訳です。

もちろん車の暖房は切っています。

ラジオは、乾電池式の携帯ラジオを聞いています。

早朝の気温は、 零下3度〜10度に冷え込みます。

体力勝負です。

3月25日から、契約車両は、GSで、2千円分給油できるようになりました。

早朝、寒い中を並ばなくてもよくなりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<灯油の給油状況について>



・灯油は、大震災前日にホ−ムタンク満タンにしてあったので、抜き取って使用しています。

GSに並ぶと給油までに大変な時間がかかります。

一人、1000円分ですから、1.8リットル買えません。

ガソリン購入で精一杯です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<使用ヒ−タ−状況について>



・エアコン・FFファンヒ−タ−は、使用しない方がよいとの情報です。

外気を家に入れない方が、放射性物質が家に入らない率が高いので、安全だからです。

このような点から、わが家では、使用できるヒ−タ−は、居間の1室だけです。

ヒ−タ−は、Fjituu Hotumannです。

外に設置した燃料タンクで、ボイラ−も屋外外付け燃焼、室内機が室内の空気で暖房する方式ですから

より安全なわけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<食材食事状況について>



・食材購入については、時間限定で、マ−ケット開いています。

野菜・果物は、僅少です。

 私は、野菜ジュ−スでなんとかしのいでいます。

米は、購入したばかりなので、まだ大丈夫です。

鶏肉を買い、水炊きにして、ス−プを作り、冷蔵庫に保存。

ス−プをベ−スに雑炊を作って食べています。

昔、祖母が、「すいとん」という戦時食をつくってくれたことを思い出しています。

雑炊といっても、芋類・野菜はなしです。

毎日、ほとんど同じメニ−ですが、これですと1ヶ月は家に籠城できます。

籠城は、援軍があって、希望が持てるのですが、幕末会津藩のように孤立無援状態ではないので、希望が持てます。

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<飲料水の状況について>



・水が心配です。地震直後にポリタンク2本分汲んでおいたので、炊飯、飲料に使っています。

会津若松市の水源は、白河市西郷村方面と猪苗代湖です。

会津若松につ いて、水質検査結果が、特に報道されていないので、大丈夫かとは思いますが、

福島県全域の根菜類出荷停止命令が出されているので、はたして、安全かどうか疑問です。

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<学校についての状況について>



・会津各地に避難民が分散して生活しています。

主な避難所は、学校の体育館や、公共施設です。

大学は、五月からの開始と決定ですが、小中高は、今のところ4月から始まる予定になっています。

但し、壁に亀裂が入っていたりして 、危険な校舎もあり、全部使用できるわけではありません。

 各学校、安全点検実施、被害箇所の修理中です。4月から始められるのでしょうか???

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<家畜・ペットの状況について>



・ペットを飼っている家は、散歩が問題です。

雨や雪にはなるべくふれないようにとの警告がTVのテロップで流れています。

雨や雪は、放射生物質が、凝縮され、濃 度が濃くなる傾向があるとのこと。外出時に着ていた物は、すぐに脱いで、洗濯したほうが安全です。

この対応は、屋内避難地域に準じています。

犬も散歩外出時は、犬用の雨合羽を着せます。

帰宅後、シャワ−で、丸洗いします。

そのシャワ−の水も安全かどうか分かりませんが・・・。

飲料水も、近所の獣医さんお話しでは、小型犬は、幼児に準ずるそうです。

避難者の中に、畜産農家の人がいました。

家畜は、連れてこれないので、畜舎においてきたとか・・・・。

絶句!!

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<政府の原発に関する発表について>



・官房長官や原子力安全保安院の発表は、不明確で、不安が増大します。

「いま直ちに健康に影響はない」とか「一時的に飲んでも大丈夫」とか、

大学の先生のTVでのコメントの「大丈夫とされています」などの類は、福島県に住んでいる者には、なんの安心感も与えていません。

マイクロシ-ベルトは、1時間あたりですから。放射線量/1時間×24時間×日数で計算し、考えなければ意味がないんです。

一時的に通過するわけではないのですから・・・・!?

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<自主避難について>



・F1(福島第一原子力発電所)から20キロから30キロ圏内に自主避難が出されましたが、移動手段がない人や、行く当てのない人、病人はどうなるんでしょうね?!

もっと早くから、余裕をもって、避難範囲を広げておけば、よかったと思われますが・・・・!

町内や、グル−プで、纏まって避難した方が、避難箇所が把握しやすいし、物資も届けやすいと考えます。

各自随意では、把握が困難になるのではと危惧します。

会津では、避難者のホ−ムスティ−も検討され始めました。葛尾村などは、会津美里町に一村避難してきました。

大熊町も会津若松市に避難してきました。

避難者の話では、福島県浜通り地方は、ゴ−ストタウンの様相だそうです。

残留しているのは、移動手段のない、弱者のみだそうでdす。

これでいいのでしょうか!?

友人のアメリカ人、イギリス人に聞きました。

アメリカ国籍・イギリス国籍の人には、F1から80キロ圏外に避難韓国が出されています。

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<生活の様子について>



.不思議なくらい平穏です。

みな、黙々と自分の責任を果たし、日常生活を送っています。

一見、何事もなかったかのようです・・・!

夜は、歩行者は、ほとんど見かけません。

車の走行も少なく、どの家も1室に家族が纏まって生活しているようです。

ですから、外は、かなり暗いです。コンビニエンスストア−も、夜間になると消灯しています。

「おむすび」や、「パン」が少し入荷するようになりました。

ミネラルウオ−タ−は、手に入らないです。

昨日(3月25日)頃から、物流が好転してきましたが、福島県は、原発事故が終わらないと

地震の復興が始められない状況です。

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PS/ガソリンの給油予約券参考に添付いたします。

ご笑覧下さい。



また、ご連絡させていただきます。

明日早いので、もう寝ます。

お休みなさい。




△top
2011年4月5日(火) 地震、津波
汚染水放出 韓国が憂慮「国際法上問題となる可能性」 【ソウル=加藤達也】韓国の聯合ニュースは5日、東京電力が東日本大震災で被災した福島第1原発から放射性物質を含む汚染水を海に放出したことについて、韓国政府が在日韓国大使館を通じ日本の外務省に憂慮を伝えたと報じた。(産経新聞)
[記事全文]

がれきの中から見つけ出した造船所の看板を手にとる中野勝男さん=岩手県陸前高田市の長部漁港で2011年4月4日、沢田勇撮影(毎日新聞)
東日本大震災 




再起の船出夢見て…陸前高田の造船所 東日本大震災で岩手県陸前高田市の漁港は岸壁が崩れ、多くの漁業関係者が被災した。市内の長部(おさべ)漁港で「中野造船所」を営む中野勝男さん(69)も造船所や自宅が津波に流された。廃業も考えたが、被災しながらも漁の再開を目指す漁師たちの思いに胸を打たれ、再起を決意した。(毎日新聞)
地域
福島・いわき市の震災被害 2011年3月11日の地震による津波で死者270人超。一部地域が福島原発事故の屋内退避区域となり、風評被害も。[関連情報]
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甚大な被害が出た福島県いわき市平薄磯=3日(撮影・鎌田剛)(写真:産経新聞)
報道されない被災地 ウワサと現実の乖離 4月2、3日の両日、東日本大震災で大きな津波被害が出た福島県いわき市を取材した。ツイッターでは「原発の風評被害で物資が届かず、避難所で餓死者が出そう」といった投稿が行われ、YouTubeでは全国から送られた支援物資が市内の競輪場に山積みとなる映像が投稿され、ネット上で「市役所が仕分けをできず、市民に行き渡っていないのでは?」と今も話題になっている。ネット上でウワサがはびこるのは、現状が正確に伝わっていないことが一番の原因のようだ。直接足を踏み入れると、ネット上の情報とは大きく乖離(かいり)した現実があった。(鎌田剛)(産経新聞)
存在感を高める自衛隊-震災危機で
ウォール・ストリート・ジャーナル 4月4日(月)10時4分配信
 がれきが散乱する陸前高田市では現在、迷彩服にOD(オリーブドラブ)色のヘルメット姿の自衛隊員数十人が、今回の地震と津波による犠牲者の捜索にあ たっている。沖合では自衛隊のヘリコプターが空から海上の遺体捜索を行う一方、付近の各避難所では、自衛隊員が給水活動や、被災者の衣服の洗濯まで行って いる。

 こうした活動は、24万人の自衛隊員のうち約10万6000人が救援活動に従事する戦後最大規模の自衛隊任務の一環だ。

 自衛隊はいま、正念場を迎えている。自衛隊が一層目立った国際的役割を見据えるなか、今回の任務が成功とみなされれば(これまでのところ、おおかた 成功とみなされているが)、自衛隊の活動活発化を受け入れる素地の拡大につながりうる。逆に、復興の遅れやその他の諸問題により任務が不調に終われば、自衛隊の評判を落とすことになりかねない。

 第2次大戦後に設けられた自衛隊は、戦争を放棄する憲法によって、任務を厳しく制限されている。自衛隊員は、イラクでの学校建設をはじめ、いくつか の国際的任務に参加してきたとはいえ、その活動は自衛や災害救助に限定されており、日本国民の多くは、国内外での自衛隊の活動拡大を依然警戒している。

 日本では軍隊に関する複雑な感情が根強いため、自衛隊員は制服姿で人前に出ることを控えてきた。政府は依然、「陸軍」や「海軍」といった用語の使用を避けている。防衛庁が防衛省に格上げになったのはつい4年前にすぎない。

 しかし、3月11日の地震と津波に伴い、自衛隊は、東北太平洋側沿岸部の大部分で主要災害対応機関として、いつになく人目に触れる役を割り当てられている。

 テレビでは、制服姿の隊員ががれきを棒でかき分けて遺体捜索にあたる様子をはじめ、自衛隊の活躍ぶりが映し出されている。自衛隊のヘリコプターは福島第1原発への放水を支援し、隊員は避難所での補給物資管理を支援してきた。

 ワシントンにある戦略国際問題研究所(CSIS)の日本専門家、マイケル・グリーン氏は自衛隊について、今回の危機に際し「大活躍をしてきた唯一の組織」と述べている。政府の対応については賛否両論がある一方、原発事業者である東京電力の経営陣に至っては批判一色だ。

 自衛隊が短期的救援活動の枠を超えた取り組みを持続するだけの人員と専門知識を持ち合わせているかどうかは不明だ。折木良一統合幕僚長は先週、隊員の活動は極限に近いと語った。

  防衛省の報道官によると、自衛隊員の士気は依然高いとはいえ、隊員といえども人間であり、疲労の色は隠せないという。自衛隊は目下、早期に配備された隊員が任務を外れて休息をとれるよう、シフト制導入を検討している。

 政府筋は、自衛隊員を災害救援活動にあたらせることがそもそも妥当かどうかについて議論してきた。救援活動で隊員を手いっぱいにさせることは、潜在的に国を無防備状態にするおそれや、国防に必要な資源を使い果たしてしまうおそれがあるためだ。

 自衛隊はこれまで、日本が災害に見舞われるたびに存在感を高めてきた。1995年の阪神・淡路大震災の後、政府は、災害時に自衛隊がより迅速に出動できるよう、自衛隊を補強する措置をとり、自衛隊の信頼性を高めた。

 ここ最近、北朝鮮や中国がもたらす仮想脅威に対する懸念が高まるなか、自衛隊の役割をめぐる議論が活発化してきた。その一方で、米国は、アジアの安全保障維持への協力面の負担増を日本に求めてきた。

 しかし、アフガニスタンやイラクでの非戦闘任務面での米国支援をはじめ、日本が海外任務への自衛隊参加を拡大し始めるにつれ、とりわけ第2次大戦中に日本軍の侵攻を受けた近隣諸国では、日本の野心に対する警戒感も強まっている。

 日本専門家のグリーン氏は、災害救援活動が成功すれば、自衛隊は、米軍との協力拡大を含め、役割拡大を要求しやすくなるとみている。

 少なくともこれまでのところ、津波の被害を受けた地域では、自衛隊への支持が高まりつつあるようだ。

 陸前高田市の高校生、タカハシ・ユウマさん(17)は、何人かの友人が自衛隊入隊を考えていると語る。タカハシさんは、「これまで、自衛隊は戦争のためだけにあると思っていたが、いまでは、自衛隊員は国民を助けるためにいるのだと分かった」と話している。1原発 「透明性確保を」IAEA事務局長クギ刺す
 【ウィーン樋口直樹】原発の安全性の確保・向上を目指す「原子力安全条約」(72締約国・機構)の検討会合が4日、ウィーンの国際原子力機関(IAEA)本部で開幕した。東京電力福島第1原発事故の行方に国際社会の強い関心が集まる中、天野之弥IAEA事務局長は冒頭、「極めて深刻な状況が続いている」との見方を示した。「原子力への信頼の回復と維持には、安全基準の厳守と完全な透明性が欠かせない」とも指摘。情報の秘匿などは許されないとクギを刺した。(毎日新聞)
[記事全文]東電、4月中に賠償金の仮払い…経産相指示
読売新聞 4月5日(火)11時42分配信
 海江田経済産業相は5日の閣議後記者会見で、東京電力が、福島第一原子力発電所の放射性物質漏えい事故で避難した住民や農産物の被害を受けた農家に対し、4月中に賠償金の仮払いを行う方向であることを明らかにした。

 仮払金の金額は今後、国と東電が協議して詰める。

 経産相は、「具体的な支払い準備を東電に指示した。今後の賠償の内金としてある程度、まとまったお金を支給すべきだ」と指摘した。その上で、今月中の支給については「すべての人に行き渡る訳ではないが、そういう日程感だ」と述べた。

 原発事故による被害補償は、政府が設置する紛争審査会がまとめる補償の指針に基づいて、電力会社が対応する仕組みとなっている。しかし、福島原発の事故で避難指示の対象となった住民は7万〜8万人に達し、職場を失ったり、出荷制限で収入がなくなった農家も多い。事故処理の長期化は避けられない状況だ。東電は、避難生活への影響を抑えるため、賠償額の確定前に仮払いを行う方針を固めた。すでに福島県などに100人規模の社員を派遣しており、補償の相談に応じる窓口を近く開設する。------------------------------------------------------------------
17歳一人でも泣かない 大家族6人不明、妹を葬送

津波で流された自宅周辺で見つけた妹のランドセルを見つめる三浦美咲さん=2日午後、宮城県気仙沼市で

 東日本大震災で宮城県気仙沼市の高校三年、三浦美咲さん(17)は両親と二人の妹ら七人の家族を失った。一家で残ったのは自分だけ。市内の親戚宅で生活しながら、思い出の物を探しにがれきと化した家に通う。悲しみの底から三週間余り。「前を向こう」と自分に言い聞かせている。 (佐藤夏樹)

 三月十一日の震災発生時、美咲さんは市内のショッピングセンターにいて難を逃れた。揺れが来て津波に襲われるまでの短い間、携帯電話で母の美江子さん(41)とメールを交わした。「(自分は)大丈夫」と送ると、「どこにいたの?」と返ってきた。ショッピングセンターにいたことを伝えた。それきりになった。

 両親と二人の妹、祖父母と曽祖母の家族全員が津波にのまれたらしいと聞かされた。自分がおかしくなるぐらい泣いた。叔母(47)の家に身を寄せた。数日後、中三の妹美穂さんが遺体で見つかった。残る六人は安否が分からない。

 自宅に行ったが、跡形もない。周りの家も木くずになっていた。母と妹と一緒に滑り台で遊んでいる写真が見つかった。昨年、家族で牧場に行った時の一枚だ。

 両親の婚約指輪、妹のランドセルもあった。母のブレスレットは手首に巻いた。涙が込み上げる。思い出がよみがえる。

 父芳弘さん(43)はイチゴ農家。「家を継いでくれ」とよく言われた。管理栄養士になる夢があり、渋った。「妹が跡取りになればいい」。手伝いを頼まれても断った。「お父さん、ごめん」と今、謝る。

 母は料理が上手だ。でも、照れくさくて「おいしい」と言えなかった。「素直に伝えれば良かった」と悔やむ。最後のメールは消さないでいる。

 六歳の妹美輝ちゃんは、美咲さんに懐いてそばを離れなかった。「みーちゃん」と呼ぶ声が今も聞こえる。

 二つ違いの美穂さんとはささいなことでけんかした。「受験生なんだから勉強しなさい」と叱ることもあった。自分と同じ高校を受けた。被災後に合格発表があった。後輩になっていた。

 美穂さんを二十一日に火葬した。翌日に中学校の卒業式があった。代理で卒業証書を受け取った。

 叔母さんは温かくしてくれる。友達は励ましの言葉を掛けてくれる。カレンダーは四月になった。

 「もう泣きません。家族に顔向けできないから」

東京新聞   2011年4月4日 
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救助された漂流犬が飼い主の元へ 「絶対離さない」

 津波から3週間後に救助され、飼い主と再会した犬=4日、宮城県富谷町の宮城県動物愛護センター(同センター提供)
 宮城県気仙沼市の沖合約1・8キロの海上で漂流していたところを、津波から3週間後に救助された犬が4日、名乗り出た飼い主の元に戻った。飼い主は「これから絶対離さずに、大事に飼う」と喜んでいたという。

 犬は雑種の雌。震災の行方不明者を捜索していた第3管区海上保安本部(横浜)の特殊救難隊のヘリコプターが1日に発見、救助艇で助けた。

 県動物愛護センターで保護されていたが、気仙沼市の避難先でテレビを見た50代男性の家族が「うちの犬じゃないか」と名乗り出た。

 妻が同センターを訪れたところ、犬はしっぽを振って大喜び。センター職員らに見せる態度とは全く異なり、飼い主と判断したという。

 鈴木寿郎同センター所長は「不慮の事故で離れ離れになったペットと飼い主が再会できて、うれしい」と話した。

共同通信   2011年4月4日 
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「心の癒やし」無料公開 須賀川牡丹園、柳沼さん 

 須賀川市の国指定名勝、須賀川牡丹園は今年、無料公開される。牡丹園を管理・運営する保勝会理事長の柳沼勝馬さん(76)は「みんな精神的に苦しんでいる。こんな時だからこそ、心の癒やしにしてほしい」と、膨らみ始めたボタンのつぼみに希望を託す。
 震災で園内の地面がひび割れし、池の橋は崩れ落ちた。今月28日からの有料公開に向け、準備をしていた矢先の出来事だった。
 しかし、開花の時期は近づいている。“百花の王”を守り続けてきた歴史と誇りがある。開園を諦めるわけにはいかなかった。補修工事を急ピッチで進め、開園の見通しがようやく立った。
 「せっかく来てもらった人に、ボタンの名前を覚えて帰ってもらいたい」。柳沼さんは約千枚の木札一つ一つに墨で品種名を書き入れながら、開園に備えている。

福島民報    2011年4月4日 
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アマゾンベストセラー、 2011年4月5日
明治・大正
325.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
26. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
32. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
52. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
146. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一
167. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
191. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2009/6/19)
221. 会津戦争全史 (講談社選書メチエ) 星 亮一 (単行本(ソフトカバー) - 2005/10/7)
252. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
259. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
272. 白虎隊と二本松少年隊―幕末を駆け抜けた若... 星 亮一 (単行本 - 2007/4)
287. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)
352. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)

負けないで
もうすこし 最後まで走りぬけて
どんなに離れてても
こころはそばにいるわ

(ZARD 歌「負けないで」より)


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2011年4月4日(月) 原発、津波
東電、低レベル放射線汚染水を海に放出へ 法定濃度の100倍 
産経新聞 4月4日(月)16時33分配信
 福島第1原子力発電所の1〜6号機のタービン建屋などに強い放射性物質(放射能)を含む汚染水がたまっている問題で、東京電力は4日、比較的、汚染レベルの低い水がたまっている集中廃棄物処理施設内と5、6号機の地下水を、それぞれ明日から海に放出すると発表した。東京電力によると、海へ放出する低レベルの放射性廃液は法律で定める濃度の約100倍。高レベルの汚染水を移す仮設タンクの設置が間に合わず、やむなく低レベルの汚染水を海に放出することにした。

 海への放出は、原子炉等規制法64条1項に基づく措置。東電が放射性物質を含む水を意図的に海に放出するのは事故後初めてとなる

 海に放出するのは、集中廃棄物処理施設内の滞留水が約1万トン、5、6号機の地下水が合計1500トン。

 東電によれば、集中廃棄物処理施設内にたまった水の放射性物質の濃度は、ヨウ素131で1立方センチメートル当たり6・3ベクレル、5号機で16ベクレル、6号機で20ベクレルと、1〜4号機などの数値に比べて低いとしている。

 1〜4号機のタービン建屋のうち、2号機には放射性物質の濃度の強い大量の地下水がたまっており、この汚染水を保管するには集中廃棄物処理施設への移送が欠かせないと判断している。このため、集中廃棄物物処理施設などの濃度の低い汚染水を排出する必要があり、やむなく海への放出を決めた。

 この汚染水の海洋放出に伴う海への汚染影響は、近隣の魚介類や海藻などを毎日、摂取すると、年間約0・6ミリシーベルト被曝(ひばく)する計算となる。これは自然界などから受ける年間線量(2・4ミリシーベルト)の4分の1に当たる。=古森義久〕

 米国の各大手新聞が22日までに菅直人首相の大震災や原発危機への対応の遅れや不手際、経験不足などを再びあいついで批判的に報道した。



 これら報道は菅首相が情報提供をめぐって米国との間に不要な緊張を生み出したとして、救援作業が一段落すれば辞任や総選挙の見通しが強くなるとも伝えた。



 ワシントン・ポスト21日付は「すでに不人気な指導者が苦闘する」という見出しの東京発の記事で「菅首相は原発危機に対処する権限を確立するのが遅すぎた」と報じるとともに、「放射能の危険についての情報を米国に示すうえでもつまずき、同盟国同士の間で不要の緊張を生み出した」と批判した。



 この記事は日米両方の関係者多数から得た情報や判断を基礎にしているという。



 同記事は菅首相が原発危機に東電と一体で対処する「総合対策本部」を設置するのに4日間もかかったことが危機を悪化させたと断じ、菅首相の東電との関係の悪さが米国に情報を提供できない事態を生み、「オバマ政権が日本政府からの情報不足に不満を述べた」と報じた。



 同記事はまた「菅首相はこれまでに戦後最悪の危機に対処する国家的手段の起動に失敗した」とも論評した。



 同記事はさらに日米両国の専門家の予測として「菅首相はこんど数ヶ月間に辞職か総選挙へ追い込まれる圧力に直面する」という見通しを強調した。



 ウォールストリート・ジャーナル18日付も「危機の深刻さをめぐり米国と日本が口論する」という見出しの記事でオバマ政権が菅政権の提供する情報に不信を抱き、日米両国間に衝突と不信とを招いた、と伝えた。



 ニューヨーク・タイムズも17日付で「東京では正直さが欠ける」という見出しの東京発の長文の記事で菅首相の不手際を批判した。



 同記事はこの種の国家危機への対応の際に必要な「国民を団結させ、臨機応変に対応策を見出し、強大な官僚機構と協力する手腕」が菅首相ら現指導者にはないと報じ、菅首相の写真の説明に加えて、「菅氏の経験不足はこの危機で明白となった」と断じる記述を載せた。

 同記事はとくに菅首相が記者団を前にして東電側をどなりつけたことをその種の手腕や経験の不足の象徴だとして強調した。

            
 ======<福島原発>「天災ではない」佐藤栄佐久・前知事
毎日新聞 4月4日(月)12時11分配信

 福島県知事在職中に、国の原子力政策に疑問を投げかけていた佐藤栄佐久氏(71)に、東京電力福島第1原子力発電所の事故について聞いた。佐藤氏は「深刻な事態は国の原子力政策が招いたもので、天災によるものではない」と強調した。【岩佐淳士、松本惇】

 −−未曽有の事故に、東京電力は「想定外の事態」と繰り返した。

 ◆私でさえ安全と思っていた。経済産業省は「二重三重のチェックをしている」「自然災害による事故も絶対あり得ない」と言っていた。国がそれだけ言えば、地域社会が信用するのは当然だった。

 −−88〜06年の知事在任時、福島第1、第2原発で事故やトラブル隠しが発覚。安全管理に疑問を唱えていた。

 ◆原子力政策は、国会議員や福島のような立地県もタッチできない。政策の基本を定める長期計画策定会議のメンバーの大半は電力関係者の「味方」。政策を実際につくるのは経産省の官僚だ。彼らにとって、良いのか悪いのかは別問題で、一度方針を決めると後戻りしない体質だ。

 −−原子力安全・保安院の経産省からの分離が検討されている。

 ◆分離しないといけない。02〜06年に原発トラブルなどに絡んだ内部告発が、県に21通も寄せられた。保安院に情報提供しても対応もせずに東電へ情報が流されると、告発者は恐れていた。原発の運転を前提に安全面をチェックしろと指示してきたと指摘されるのも、保安院が経産省の一組織だからだ。

 −−第1原発敷地内からは、微量のプルトニウムも検出された。 ◆3号機で使用中のプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料から出た可能性もある。プルサーマルは、専門家から安全性に懸念の声もあったが、国は推進してきた。

 −−多くの住民が原発関連の仕事に従事してきた現実もある。

 ◆原発のない町に帰っても働く場もないという問題は確かにある。ただ、第1原発がある双葉町を見てほしい。原発ができて永久に栄えると思っていたが、すぐに2機増設してほしいという話が出た。財政上の優遇もあったが、09年には自主的な財政運営が制限される「早期健全化団体」に転落した。原発立地の損得を、冷静に考えるべきだと思う。

 −−東電は、第1原発1〜4号機の廃炉を表明した。5、6号機や第2原発はどう扱うべきか。

 ◆第2原発を再稼働させるべきかどうか、まだ自分の中で整理ができていない。原発は1カ所の立地点で1兆円の投資となる。原発の扱いは、エネルギー政策の根幹にかかわる問題だから。

 【略歴】さとう・えいさく 日本青年会議所副会頭などを経て83年参院議員、88年に福島県知事。5期目途中の06年県発注工事を巡る汚職事件が表面化し、同10月に収賄容疑で逮捕された。無罪主張しているが1審、2審では有罪判決が出て、上告中。02年の東京電力の原発トラブル隠し問題では、原発立地県の知事として、プルサーマル計画への「事前了解」を白紙撤回した。

◆福島第1原発と佐藤栄佐久氏◆

71年3月 福島第1原発1号機が営業運転開始

88年9月 佐藤栄佐久氏が福島県知事に初当選

98年11月 県と地元2町が福島第1原発3号機でのプルサーマル計画受け入れを表明

02年8月 東京電力の原発トラブル隠し発覚

  9月 佐藤氏がプルサーマル計画への事前了解を白紙撤回

03年12月 福島、新潟、福井の3県知事が原子力安全・保安院の経済産業省からの分離を国に要請

06年9月 県発注工事を巡る談合事件で実弟らが逮捕された道義的責任を取り、知事を辞職

  10月 佐藤氏が県発注工事を巡る収賄容疑で逮捕される

10年8月 福島県がプルサーマル計画受け入れ表明

  10月 福島第1原発3号機でプルサーマル発電による営業運転を開始

11年3月 東日本大震災発生

【関連記事】


毎日新聞
 ソフトバンクは3日、孫正義社長が東日本大震災の被災者への義援金として、個人で100億円を寄付すると発表した。ソフトバンク社長としての役員報酬(09年度実績は約1億800万円)も、引退するまでの分全額を寄付する。このほか、ソフトバンクグループも企業として10億円を寄付する。

【記事を読んだ皆さんもぜひ】被災地への義援金の主な受け付窓口
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東日本大震災:パパになるよ…弟一家、姉の幼子迎え入れ

 東日本大震災の津波で自宅や勤め先の会社を流され、避難所生活を送る岩手県陸前高田市の会社員、松田雅範さん(41)が津波で亡くなった姉、新沼薫さん(45)の幼い子供3人を新しい家族として受け入れる決意をした。松田さん自身も妻と2人の娘をもち、生活の見通しはまったくない。だが「震災遺児」となったおい、めいだけにするわけにはいかなかった。【沢田勇】

 松田さんが家族として迎え入れたのは薫さんの長男実歩(みつほ)君(8)と双子の姉妹の朱莉(あかり)ちゃん(7)、美尭(みのり)ちゃん(7)。薫さんは遺体で発見され、夫友康さん(46)や友康さんの両親は行方が分かっていない。

 ■        ■

 「津波が堤防を越えます。今すぐ逃げてください」。3月11日、松田さんは母を連れて車で避難所に向かった。防災無線の絶叫にも近い声は、事の重大さを物語っていた。背後で電柱がなぎ倒され、水しぶきが見えた。急いでハンドルを切って高台を目指すと、保育士に連れられ素足で坂を駆け上る次女穂乃実ちゃん(4)を見つけ、運転席の窓から車内に引き入れた。その後、避難所を訪ね歩き、長女由希菜ちゃん(7)と、薫さんの子供3人の無事を確認した。

 叔母の家に5人の子供を預け、薫さんらを捜し続けた。翌12日。避難所の市民体育館に向かう薫さんと、消防団員として体育館前で交通整理をしていた友康さんの姿を目撃したという人に出会った。体育館は、津波にのまれ生存者がほとんどいない避難所だった。薫さんの家も基礎が残るのみだった。

 震災1週間後の18日、松田さんは遺体安置所で薫さんと再会した。薫さんの子供たちと自分の長女は同じ小学校。一緒に遊ぶことも多かった。どれだけ子供たちを愛していたか、よく知っている。姉の無念さを思うと、やるせなかった。

 薫さんの死を子供たちに告げられなかった。「電話が通じるようになったら、早くお母さんに電話したいな」。甘えたい盛りの子供の気持ちを思うと、胸が締め付けられた。それでも「最期の別れだけは立ち会わせたい」と火葬前日の23日夜、事実を告げることにした。

 「なに、なに」。無邪気な子供たちを前に、声を振り絞った。「お母さんもお父さんもみんな死んじゃいました。今日はいっぱい、いっぱい泣いていいからね」

 悲しみに包まれる部屋。そして松田さんと妻あやさん(41)は、こう告げた。

 「これからは由希菜のパパとあやちゃんが、みんなのパパとママになります」

 ■        ■

 岩手県が3月25〜31日、県内約350カ所の避難所で行った調査によると、幼児〜18歳未満のうち、両親が死亡・行方不明になった子供が約50人確認された。しかし、薫さんの子供のように親族に引き取られ避難所にいない子も多いとみられ、全体像は分からない。

 陸前高田市教育委員会が各小中学校を通じて行った調査では、市内の小中学生だけで27人(2日現在)が震災遺児となっている。市の担当者は「まだ増える可能性もあり、実態を早急に把握する必要がある」と話す。

 ■        ■

 松田さんは自らも家や職を失った。「正直、この先どうしていいか分かりません」。表情には不安も漂うが、姉の愛した子供たちをどうしても見放すことはできなかったという。

 「逆の立場だったら姉も同じことをしてくれたと思いますよ」

毎日新聞 2011年4月3日 
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アマゾンベストセラー、 2011年4月4日
明治・大正
318.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
25. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
37. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
45. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
124. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一
143. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
168. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一(2009/6/19)
201. 会津戦争全史 (講談社選書メチエ) 星 亮一 (単行本(ソフトカバー) - 2005/10/7)
226. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
232. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
247. 白虎隊と二本松少年隊―幕末を駆け抜けた若... 星 亮一 (単行本 - 2007/4)
262. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)
323. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)
350. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一


負けない事 投げ出さない事
逃げ出さない事 信じ抜く事
駄目になりそうな時 それが一番大事

(立川俊之 歌「それが大事」より)



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明治の教訓、15m堤防・水門が村守る…岩手
読売新聞 4月3日(日)22時5分配信


拡大写真
太田名部漁港(手前)と、防潮堤が機能して被害を受けなかった太田名部地区(奥)(2日)
 津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸の中で、岩手県北部にある普代村を高さ15メートルを超える防潮堤と水門が守った。

 村内での死者数はゼロ(3日現在)。計画時に「高すぎる」と批判を浴びたが、当時の村長が「15メートル以上」と譲らなかった。

 「これがなかったら、みんなの命もなかった」。太田名部(おおたなべ)漁港で飲食店を営む太田定治さん(63)は高さ15・5メートル、全長155メートルの太田名部防潮堤を見上げながら話した。

 津波が襲った先月11日、店にいた太田さんは防潮堤に駆け上った。ほどなく巨大な波が港のすべてをのみ込んだが、防潮堤が食い止めてくれた。堤の上には太田さんら港内で働く約100人が避難したが、足もとがぬれることもなかった。

 村は、昆布やワカメの養殖が主な産業の漁村で、人口約3000人は県内の自治体で最も少ない。海に近く狭あいな普代、太田名部両地区に約1500人が暮らし、残る村人は高台で生活している。普代地区でも高さ15・5メートル、全長205メートルの普代水門が津波をはね返した。

 防潮堤は1967年に県が5800万円をかけ、水門も84年にやはり35億円を投じて完成した。既に一部が完成し60年にチリ地震津波を防ぎ、「万里の長城」と呼ばれた同県宮古市田老地区の防潮堤(高さ10メートル)を大きく上回る計画は当初、批判を浴びた。

 村は1896年の明治三陸津波、1933年の昭和三陸津波で439人の犠牲者を出した。当時の和村幸得村長(故人)が「15メートル以上」を主張した。「明治に15メートルの波が来た」という言い伝えが、村長の頭から離れなかったのだという。

 今回の津波で、宮古市田老地区は防潮堤が波にのまれ、数百人の死者・不明者を出した。岩手県全体で死者・行方不明者は8000人を超えた。

 普代村も防潮堤の外にある6か所の漁港は壊滅状態となり、船の様子を見に行った男性1人が行方不明になっている。深渡宏村長(70)は「先人の津波防災にかける熱意が村民を救った。まず村の完全復旧を急ぎ、沿岸に救いの手を伸ばす」と語った。 最終更新:4月3日(日)22時5分


2011年4月3日
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東北の皆さんの状況を考えると、どのようなお見舞いと励みの言葉を言えばいいのか
分かりません。

とにかく皆様が現状を一つ一つ乗り越えて頂くことを願うだけです。

自然の莫大なエネルーギーによる災害だけでなく、今回は原発災害にともなう放射能
という、

目に見えない恐怖とも対峙しなければならない皆様の心労を考えると、これまた励ま
す言葉も見あたりません。

とにかく、今回のことは、私たちみんなの切実な生きることを問われている問題だと
思います。

今こそ、どんな困難においても前向きに生きてきた会津魂が発揮される時なのだと思
います。

このような言葉自体も言っていいのか悩みますが……。他に言葉が見あたりません。

早く皆様が少しでも日常の生活に戻られますように願っております。

星さん、出来るだけ近いうちに、ぜひ鹿児島で会津と薩摩のお話をしましょう。



      木佐貫 洋

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戊辰戦争研究会

事務局神保様、わざわざの安否確認の電話連絡大変恐縮しております。有難うございました。PCが壊れ、やっと今日から仕事復帰でPCが使えます。安否確認のメールも頂いていたんですな。失礼しました。
地震直後から避難所生活をしておりましたが、ごく最近自宅で生活をしております。地震当日は、自宅が海に近く、仙台平野自体、海抜4メートル前後しかございませんので、自宅のわずか500メートルの所まで津波が押し寄せ、間一発難を逃れました。避難所の初日の夜は、大きな余震に校舎全体が大きく揺れ、窓からは至近にコンビナートの爆発の様を見、一方の窓からは、壊滅した名取市の海沿いの町の大火災の炎が赤々と見え、夢なのか何なのかも分からない状況でした。この時点で、多くの方々が、海に流されて命を落としていたのですね。その夜は、北斗七星が北の空に異様に大きく輝いていたのを鮮明に覚えております。仙台市は、ガスの復旧率は30%以下との事で、日帰り入浴には500人ほど連日並んでいるようです。小生は、福島県の高湯温泉と言う宿を何とかとれて、避難所生活で疲れた両親をゆっくり休ませてやる事が出来ました。宿の方々も事情を知って、食材の少ない中、心のこもった料理をわざわざ作っていただいたり、お部屋の配慮をしてくれたりと、東北人の心使いの有り難さを感じました。それにつけても、政府の対応の遅れには腹立たしい限り、震災から3日間は、かまぼこ一切れが一人一日の配給と悲惨なものだったようです。それでも、文句一つ言わない避難者に涙したと言っていました。小生も暫く避難所のリーダーをしておりましたが、震災一週間は5人一家族に対して、小さいおにぎり二個とビスケット10枚が一食あたりの配給でした。5人以下の家族には何も配給されないわけです。それでも、一人で非難して来たお年寄りや、何も配給がない5人以下の家族に、少ない食料を自発的に分け与えている人々の光景をあちこちで見かけました。捨てたもんじゃないですね東北人の心使いと思いやりの心。不平不満も言わず、苦しいのはみんなも同じなんだからと耐え忍ぶ寡黙な被災地の人々に本当の日本人の心、東北人の心を感じました。ご心配ありがとうございました。

投稿キーが不明なので直接お送りしました。



星亮一先生

お見舞いメールいただき、有り難うございます。
気仙沼市立病院および気仙沼南ロータリークラブの成田徳雄です。

発災当時より、災害医療の前線で多くの支援の人々に支えられながら、まさしく戦って
きたような気がします。自分らが戦っていたのが何なのかわからず、がむしゃらに戦っ
てきましたが、完全に壊滅した地域の現状をみるにつけ、千年に一回という大災害であ
ったこと、驚愕しつつ実感しております。

あの美しい庭園もありまえん。港周囲の市街地は焼け野原となり、今は重油混じりの埃
が蔓延し、空気が黄色くよどんでいます。

悲観しているばかりではありません。少しづつ復興の兆しが見えてきています。病院も
ほぼ通常通りの業務に戻っております。漁港再興の動きもでてきています。

今現在、成田が心配していることが一つあります。教育です。
被災を免れた学校の体育館は避難所として活用されています。しかし今後学校の授業が
再開した場合、子供達の教育環境としては劣悪と言わざるをえません。幕末の会津の壊
滅的状況の中から東京大学山川健次郎総長が生まれたことを考えるに、気仙沼の次世代
・新世代の子供達の教育も今重要な問題であることは確かです。近日中に市に対しても
問題提起するつもりです。

当、気仙沼南ロータリークラブ会員は全員生存確認しております。一人、あの津波の時
に2階の屋根裏で難を逃れた方がおり、現在入院されていますが、順調に回復しており
ます。成田の家族も無事です。
ご安心ください。


気仙沼にお越しになる場合はご一報下さい。

今後ともよろしくお願いいたします。




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2011年4月3日(日) 原発、津波
津波、37・9mまで駆け上がる…国内最大級
読売新聞 4月3日(日)23時5分配信

 岩手県宮古市の田老地区で、東日本大震災の津波が高さ37・9メートルまで山中を駆け上がっていたことが3日、東京大学地震研究所の現地調査で分かった。

 これまでの東日本大震災の津波調査での中では最大記録。明治三陸地震(1896年)の際に、同県大船渡市で観測された国内最高の38・2メートルに迫る。

 同地区の小堀内漁港周辺で行った調査では、海岸から200メートル離れた山の斜面の高さ37・9メートル地点で、落ち葉が津波により洗い流されていたほか、その数メートル下では消防車が大破していたことが確認された。

 同研究所の都司嘉宣准教授は「調査はまだ始まったばかりで、さらに高い地点で津波の痕跡が見つかる可能性は十分にある」と話している。 最終更新:4月3日(日)23時5分


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<東日本大震災>津波の犠牲なぜ? 続く震動、ハードを過信
毎日新聞 4月3日(日)11時2分配信

津波は堤防を越えて住宅地(堤防の左側)を襲った=岩手県宮古市田老で2011年3月14日、和田大典撮影
 東日本大震災では発生3分後の11日午後2時49分、岩手、宮城、福島の3県に大津波警報が出された。気象庁地震津波監視課は「ベストは尽くした。今の技術ではこれが限界」という。緊急地震速報も東北の太平洋沿岸各地に大きな揺れが来る5〜25秒前に発表された。津波到達まで30分程度は時間があったのに、なぜ多くの死者・行方不明者を出したのか。【福永方人、飯田和樹、酒井祥宏、三木幸治】

 ◇「警報知らずに」油断も 

 600人以上が死亡し、行方不明者も600人を超えている岩手県釜石市。大津波警報は防災行政無線の拡声機などを通じ、住民に繰り返し伝えられた。

 気象庁によると、大津波が到達したのは午後3時20分ごろで、高台などに避難する時間はあったように見える。

 だが、今回の地震は三つの地震が連動して起きたため揺れの時間が長くなり、三陸では震度3以上の揺れだけで3分程度続いた。しかも、午後3時8分に三陸沖でマグニチュード(M)7.4、同15分にも茨城県沖でM7.7の大きな余震が発生。M5以上でみると余震は3時20分までに少なくとも15回に達した。揺れが続き、建物などの被害が拡大する中で避難しなければならない状態だった。

 釜石市は明治三陸地震(1896年)やチリ地震(1960年)で大きな津波被害を受け、避難訓練などを繰り返してきたが、現地を調査した群馬大広域首都圏防災研究センター長の片田敏孝教授は「大津波にのまれないような避難場所が近くになかった住民も少なくない。特に、お年寄りや家族を捜して一緒に避難した人などが逃げ切るのはかなり難しかったのではないか」とみる。

 ハード面の対策への過信が被害を大きくした地域もある。岩手県宮古市の田老地区は、明治三陸地震津波などを受け、住宅地を囲む大防潮堤が造られた。海面から高さ10メートル、総延長2433メートル。「万里の長城」と呼ばれていたが、大津波で破壊されて約1600戸が流された。

 自宅から逃げなかった花輪節子さん(68)は夫征夫さん(70)が亡くなり、「お父さんと逃げていれば良かった」と悔やむ。地震発生後、家の外で誰かが「津波の高さは3メートル」と口にした。10メートルには余裕があると思った。その数十分後、大津波が自宅2階のガラス窓を突き破った。「大丈夫だと過信があった」とうなだれた。

 一方、近年は大きな津波被害の経験がない宮城県南部から福島県では、避難しなかった住民も少なくない。仙台空港が水没し、死者・行方不明者が1700人を超える宮城県名取市。美容院経営の女性(48)は大津波警報を知り、義母を避難所に連れて行くなどしたが自分は自宅に戻り、警報から約1時間後に津波が迫っていることに気付いてようやく逃げた。自宅は流されたという。「大津波が来るなんて思っていなかった。近所の人たちは津波警報が出ていることすら知らず、のんびりしていた」

 三陸地方には「津波てんでんこ」という言い伝えがある。「津波の時には、家族にも構わず(てんでばらばらに)逃げろ」という意味だ。8歳で昭和三陸地震の津波に遭い、体験を語り継いできた田老地区の田畑ヨシさん(86)。今回の大津波で自宅を流されたが、高台にある妹(81)方に避難し無事だった。「堤防だけに頼るのは危ない。地震が来たらすぐ逃げる」とかみしめるように話す。

 片田教授が05年から防災教育を続けてきた釜石東中と隣接する鵜住居小。子供たちは訓練通り、地震発生後すぐに中学生が小学生の手を引いて約1キロ先の高台へ駆け上がり、全員無事だった。片田教授は「彼らのような意識が住民全体に広がれば、想定外の災害でも被害を軽減できる可能性を示してくれた」と語った。

 ◇ハード対策、限界露呈 釜石「世界一」の堤防大破

 今回の大津波は、膨大な予算を投じて営々と築いてきた津波堤防をいとも簡単に突破し、ハード面の対策の限界も見せつけた。

 釜石湾の入り口にある「湾口防波堤」。ケーソンと呼ばれる鉄筋コンクリート製の巨大な箱(重量1万6000トン)を並べて造られ、ハの字形に北(長さ990メートル)と南(同670メートル)の二つの防波堤が配置されている。78年度に着工、約1200億円をかけて約30年後の09年3月に完成。開口部(幅300メートル)の水深は63メートルあり、世界で最も深いとして10年にはギネス認定された。

 国土交通省東北地方整備局の遠藤正義・港湾空港環境対策官は「津波は海面から海底までの海水全体が陸に向かって動いてくる。それを湾の入り口でせき止めようとの考えで造られた」と説明する。同省港湾局などによると、今回の大津波では沿岸に達した津波の高さを13.7メートルから8メートルに下げ、陸上での最高到達点の高さも20.2メートルから10メートルに軽減し、津波が防潮堤を越えて市街地に流れ込む時間を6分間遅らせたと推定されるという。

 それでも、多数の死者・行方不明者が出ることは防げなかった。防波堤が完全な形で残ったのは4分の1で、半分は土台からケーソンが落下。遠藤対策官は「『歯抜け状態』。世界に誇る構造物だったのに非常に残念」。大船渡港にもあったが「古い(67年度完成)こともあったのか、全壊した」という。

 湾口防波堤は、国の津波対策の切り札だった。既に全国6カ所に完成し、4カ所で建設が進む。国交省技術監理室の石橋洋信技術基準審査官は「高さだけでなく頑丈さも必要になるが、理論的にはあと5メートル高くすれば大津波を防げる可能性があった。ただし、最初から造るには従来の1.5倍以上の予算がかかる。再整備にも数百億円はかかる。どこまで整備するかは社会的な議論が必要だ」と話す。

 岩手県もチリ地震津波以降、防潮堤の建設を続けてきた。同県県土整備部によると、05〜10年度は約37億円を投じ、年平均6億円程度かけている。同部は「他県より率先して整備してきたと思うが、今回の被害で、ハードによる津波対策のあり方は当県だけでなく全国的に見直されるかもしれない」という。

 国交省海岸室は「堤防だけで全てを防げるわけではない。津波避難ビルやハザードマップなどのソフト面などと組み合わせて、津波防災を考える必要がある」と話している。
、海に直接流出 経路特定急ぐ 継続なら生態系影響
産経新聞 4月3日(日)7時57分配信

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東京電力福島第1原子力発電所2号機の取水口付近にあるピットを指さす作業員。奥にある亀裂から汚染水が漏れていることが確認された (同社提供)(写真:産経新聞)
 東京電力福島第1原子力発電所事故で高濃度の放射性物質(放射能)を含む汚染水が海に直接流出し、付近の海水の放射能濃度が法令基準の約1千万倍に達していることが判明した。これは、通常運転時の原子炉内の水の約1千倍に当たる。

 経路を特定できれば、流出を阻止して一段の海洋汚染を食い止めることができるとの期待もあるが、コンクリートによる封じ込めには失敗した。

 別の場所からも含め流出が続けば、放射性物質が魚などに取り込まれ、生態系に影響を及ぼす恐れは否定できない。流出阻止に加え、根源の汚染水の排出・回収が急務だ。

 流出地点から法令基準の4385倍の濃度が検出された南放水口周辺までは南に約500メートル離れている。流出がいつから続いてきたかは確認されていないが、海流は北から南に流れており、約1千万倍の濃度が、4385倍に希釈されたと推定できる。

 1千万倍の海水は、10ミリリットル飲んだだけで被曝線量が22ミリシーベルトに達する。ただ4385倍の海水なら、1リットル程度飲んで、健康に影響がないとされる一般人の年間被曝線量の上限の1ミリシーベルトに達するレベルだ。

 これまで海への流出経路をめぐっては、大気中の放射性物質の降下や汚染された地下水の流出が指摘されてきたが、専門家には「それだけでは4385倍の高濃度にはならない」との疑問の声が多かった。直接流出の確認で、経路特定の可能性も高まった。

 2号機のタービン建屋地下の水は放射能濃度が1立方センチ当たり2千万ベクレルで、通常運転時の原子炉内の水の約10万倍。これがピットに流れ着いた段階で数百万ベクレルに薄まり、流れ出た海水の濃度は数十万ベクレルとなった。つまり海水が通常運転時の水の約1千倍の濃度に汚染されたことになる。

 東電では、流出防止を急ぐ一方で、ほかに流出場所がないかの確認も進める。また、ピットからの流出が海洋汚染の原因なのかを特定するため、汚染の広がり方をシミュレーションする考えだ。

 ただ、元凶の汚染水の回収作業は難航し、完了のめどが立っていない。
 ゴンだけが残った…自宅付近で4日後 宮古
毎日新聞 4月2日(土)15時0分配信


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奇跡的に助かり、預けられた女性になでてもらうゴン=岩手県宮古市で2011年3月31日、伊澤拓也撮影
 ゴンは生きていた−−。東日本大震災の津波被害を受けた岩手県宮古市の田老地区で、コンビニエンスストア経営、山本義宣さん(57)一家は全員が死亡・行方不明になったが、飼い犬のゴンは奇跡的に生き残った。同じ町内で被災した山本さんの姉百合子さん(59)は「すべて流されてしまった中で、ゴンは唯一の形見です」と話し、ゴンを引き取ろうと考えている。

【気仙沼では海保に救助された犬も】

 愛犬家の山本さんはゴンの散歩を朝晩欠かさず、口癖は「ゴンも扶養家族にしたい」だった。津波でコンビニも自宅も被害を受け、山本さんは死亡、妻園子さん(56)、同居していた母チヤさん(82)は今も行方不明だ。

 百合子さんは地震直後、夫とともに軽トラックで避難所に逃れ、山本さん一家を捜した。山本さんとは携帯電話のメールでお互いの避難状況を確認し合っていた。弟からきた最後のメールは「大丈夫か? 本当にちゃんと避難したな」だった。

 避難所で「(山本さんの)コンビニは津波でめちゃくちゃ」「(地震で停電したため)津波が来る直前まで水やロウソクを求める客に対応していた」と聞き、「覚悟を決めた」という。

 「ゴンのような犬が山本さん宅のあったあたりにいた」と連絡があったのは被災から4日後の朝。近所の人が山本さん宅付近でうろうろしている犬を見つけ、車に乗せて避難所まで運んだ。特徴のある茶色と黒が交ざった背中としっぽの毛。百合子さんが「ゴン」と呼ぶと車から降りて駆け寄ってきた。百合子さんは「おまえだけでも生きていて良かった」と涙を流し、抱きかかえられたゴンは足を震わせていた。

 周辺の家屋はすべて津波で倒壊しており、家にいたゴンがなぜ生き延びられたのかは分からない。飲まず食わずで飼い主を捜していたのか、水を与えると一気に飲み干した。今でも海のある方向に連れていこうとすると足を踏ん張り、余震には体を震わせ、おびえているようだ。

 百合子さんはゴンを被災を免れた知人に預けた。いずれ引き取るつもりだ。「散歩するたびに弟一家を思い出すでしょう。『大丈夫、ゴンとちゃんと一緒にいるよ』と言いたい」【石戸諭、伊澤拓也】


【関連記事】
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避難所「3週間お風呂なし」 水道復旧、めど立たず

 自衛隊員の案内で、避難所に設けられた仮設風呂に向かうお年寄りの女性=2日午後、宮城県女川町
 東日本大震災の避難所の多くで、入浴できない不衛生な状態の生活が続き、被災者を悩ませている。水道復旧の見通しが立たず、感染症が広がる懸念が強まっており、専門家は「少しでも清潔に過ごせる環境を」と呼び掛けている。

 「一回もお風呂に入っていない」。水道が復旧していない宮城県気仙沼市の離島・大島。被災から3週間が過ぎてもこんな声が後を絶たない。

 市職員の熊谷正明さん(48)は「手や体を拭くウエットティッシュもほとんどない。市内への急患搬送用の船も焼失しているため、感染症の防止が一番の懸案」と言う。沖合に止めた自衛隊の船までヘリコプターで送迎し、風呂に入れるサービスも始まったが、ごく一部にとどまる。

 感染症対策が専門の松本哲哉東京医大教授によると、入浴の回数が減り体温が下がると免疫力が低下し、感染症が悪化しやすい。高齢者は特に注意が必要という。「避難所のように多くの人が生活する場所では、雑菌に触れる機会が増える。皮膚に付いた菌を洗い流す点でも、入浴は効果的だ」と話す。

 800人近くが避難する宮城県女川町の総合体育館では、被災から10日が過ぎたころからノロウイルスによる感染性胃腸炎が拡大。多いときは1日約30人が吐き気や下痢などの症状を訴え、突然床に吐いてしまう人も多かった。

 4歳の長女と避難生活を続ける主婦(27)は「具合が悪い人をたくさん見かけたし、トイレに吐いたものが残っていたことも」。

 ノロウイルスは飛沫感染するため、手袋やマスクをした医療スタッフが清掃。町は、手を消毒する速乾性アルコール製剤や嘔吐用のポリ袋を館内中に置き、放送で何度も換気を促した。

 今は体育館の手洗いと水洗トイレが使えるようになり、流行は収まっているが、住宅は断水が続き、医療態勢が元に戻るまでには相当な時間がかかる。

 宮城県によると、県全体の水道復旧率は約83%にまで上がった。だが、津波被害が大きかった女川町や石巻市の沿岸地域については「水道管をどこに引くかということから考えなければならない。年単位の時間が必要」と説明する。

 同じく水道復旧のめどが立たない南三陸町の避難所では、巡回診療でマスク配布や消毒液の設置を徹底している。

 避難所で医療コーディネーターを務める町立志津川病院の西沢匡史医師(38)は「仮設風呂を作っても深さや風呂の縁の高さに抵抗を感じ、遠慮して入浴しない高齢者が多い」と感じている。清潔さを保つよう勧めるため、高齢者の入浴介助のボランティアを全国から募る考えだ。

共同通信 2011年4月2日
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▽フランスからの支援
                   
 フランスのサルコジ大統領が来日して、菅首相と会談。福島原発事故対策に関して放射線汚染地域で活動できる無人ロボットや放射線防護服の提供のほか、原子炉の解体や放射線測定の専門家による支援を表明した。記者会見では「フランス国民は日本国民を大事に考えている。世界が連帯を示す時だ。日本は孤立していない」と励ましてくれた。

 大統領は大震災後来日した最初の外国首脳となった。国難というべき事態に国外から連帯と支援の表明があるのはありがたいことだ。この後ドイツの外相の来日も予定されているし、国際関係のあらゆる局面で今後日本への支援が表明されるだろう。
 フランスと言えば文化の国、のイメージだが核兵器保有国であり、電力の8割近くを原子力発電に頼っている原子力大国でもある。国内19カ所に原発があり59基の発電用原子炉がある。2008年には世界の原子力発電量の16%を占めていた。原発プラントや関連技術はフランスの重要な輸出品目でもある。

 サルコジ大統領と菅首相との会談では、原発の国際的安全基準を年内にまとめることで合意した、と発表があった。福島の事故で世界的に原発の安全性に対する大きな疑問が生じた。世界各地で反原発・脱原発グループも勢いづいている。フランスにとっては福島の事故は他人事ではなく、自国の命運を左右するといっても言い過ぎではないぐらいの大問題である。原発の安全性への信頼を回復するのが急務なのだ。
 事態はすでに日本だけの問題ではなく、国際的、グローバルな問題になっている。だとすればわれわれとしては世界各国から示される支援や連帯に対して卑屈な態度をとる必要はなく、堂々と胸をはって受け取り、感謝すればよいのだろう。

 話は変わるが、広島県立美術館がこの5日から予定していた特別展「印象派の誕生」の開催を中止した。福島原発事故を理由に、フランス政府が日本向け美術品の輸出を全面的に禁止したため、全体の60%を占めているフランスからの出品が不可能になり、美術展を構成することが出来なくなったためだ、という。
 少し複雑な気持ちがする。大統領本人がわざわざやってきて全面的な支援を約束しておきながら、事故現場から遠く離れた土地で開かれる美術展には美術品を貸し出しません、というフランス側の態度だ。
 これはしかしフランスの方が正しい対応なのだろう。出品が予定されていたミレーやルノワールなど印象派の名画は、それぞれかけがえのない貴重な美術品で国の宝だ。外国へ貸し出すには細心の注意と取り扱いが必要で、間違いがあっては取り返しがつかない。いずれ落ち着いたら改めて展覧会を開くことも可能だろう。
 それに比べると大統領はどうだろう。取り替えがきく、といえそうだ。

47NEWS 2011年4月2日 
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ロシアの孤児から千羽鶴 被災地の子の回復祈り

 【モスクワ共同】孤児らが暮らすモスクワ近郊ブヌコボの児童養護施設「若き親衛隊」の子どもたちが1日、在ロシア日本大使館を訪れ、東日本大震災の被災地の子どもが一日も早く立ち直れるようにと祈って折った千羽鶴を手渡した。受け取った井出敬二公使は「日本に届けます」と約束した。

 同施設には49人の子どもが暮らしており、うち5人が大使館を訪問。子どもたちは以前、広島で被爆後、病床で折り鶴を折り続けた佐々木禎子さんの話を聞いていたため、大震災の様子をテレビで見て、鶴を折ろうと決めたという。

 ナースチャさん(11)は「一羽一羽に(復興への)希望を込めた。日本の子どもたちが幸せになるように」と話した。

共同通信 2011年4月2日 
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安政地震の記録「真覚寺日記」の一部を出版

 幕末に起きた安政の南海地震を克明に記録した「真覚寺日記」の一部をこのほど、郷土史家らで作る土佐市郷土史研究会(田所金久会長)が自費出版した。1969年に高知市民図書館から翻刻された本の改訂版。
 A4判193ページ、千円。問い合わせは田所会長(090・4508・6823)へ。
安政地震の被害や余震を詳細に記した部分を拾い出している 。

高知新聞 2011年4月2日
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アマゾンベストセラー、 2011年4月3日
明治・大正
315.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
23. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
34. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
51. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
111. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一 (新書 - 2004/3) 130. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
152. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一(2009/6/19)
181. 会津戦争全史 (講談社選書メチエ) 星 亮一 (単行本(ソフトカバー) - 2005/10/7)
204. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
210. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
243. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)
294. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)
325. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一


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2011年4月2日(土) 津波、原発
2号機のピットに亀裂、高濃度汚染水が直接海に流出
産経新聞 4月2日(土)15時15分配信

 東京電力は2日、福島第1原発2号機の取水口付近にある「ピット」と呼ばれるコンクリート製施設で、コンクリートに長さ10〜20センチの亀裂があり、貯まっている水が漏れ出していることを確認したと発表した。

 ピットは電源ケーブルを納める施設。ピット内には毎時1000ミリシーベルトを超える高濃度の放射性物質を含む水が貯まっていて、この水が海に流出している可能性があるという。

 原子力・安全保安院は2日午後に会見を開き、「亀裂をふさぐため、コンクリート注入の準備を進めている」と話した。

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基準値超の放射線検出10件 中国の「福島原発事故 チェルノブイリ作業責任者語る 独立の技術者チーム必要
産経新聞 4月2日(土)7時57分配信

拡大写真
ユーリー・アンドレエフ氏(写真:産経新聞)
 【ロンドン=木村正人】旧ソ連・チェルノブイリ原発事故が起きた1986年から5年間、放射能汚染除去作業の責任者を務めたユーリ・アンドレエフ氏(ロシア)が産経新聞の電話インタビューに対し、「福島第1原発事故に必要なのはチェルノブイリ原発を覆った石棺ではなく、東京電力から独立した技術者の特別チームだ」と指摘した。一問一答は次の通り。

【写真】爆発事故を起こし大破したチェルノブイリ原子力発電所

 −−福島の事故の状況は

 「2号機は炉心や原子炉圧力容器が溶融している疑いがある。国際原子力事象評価尺度でチェルノブイリは最悪の7だった。福島の事故は日本がいう5ではなく、最初から6であることは明らかだ。今は6と7の間と判断している」

 −−状況はなぜ悪化しているのか

 「東電の情報が不正確で不足しているからだ。(企業というものは)会社の利益を優先して行動するので作業から外す必要がある。幅広い知識を持つ経験豊富な技術者を日本中から集めて特別チームを編成し、作業に当たらせるべきだ」

 −−チェルノブイリで得た教訓は

 「ヘリから放水したり原子炉の下に穴を掘ったり無意味な作業に追われた。原子炉内に核燃料があるのかを知りたかったが、実際はすでに溶け出して残っていなかった。ソ連当局は事故の原因と規模を隠し、状況を悪化させた。日本では原子力政策と安全規制を同じ経産省が担当している。世界的にみても安全規制当局は原子力産業界に依存しており、独立した委員会を作る必要がある」

 −−福島でもチェルノブイリと同じ石棺が必要か

 「チェルノブイリで事故炉を石棺で覆ったのは放射線の放出を防ぐためではなく、残った原子炉の運転を続けるためだった。福島で石棺が必要とは思わない」

 −−放射能汚染の除去にどれぐらいかかるか

 「チェルノブイリでは原発の汚染除去に2年かかった。30キロ圏内の除去は実際上、不可能なので行われなかった。福島の場合、放射線量が明らかでないので答えるのは難しいが、1〜2年かかる可能性がある」

 −−「フクシマ50」と報じられた現場の作業員について助言はあるか

 「50人は少なすぎる。5千人以上を投入すべきだ。特別な防護服を着用してもガンマ線を浴びたり、プルトニウムを吸引したりする危険性がある。確かに彼らはサムライだが、ロボットも導入すべきだ」

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漂流する屋根の上の犬、海保が保護…気仙沼沖
読売新聞 4月2日(土)12時20分配信
 地震発生から3週間を迎えた1日午後4時頃、宮城県気仙沼市の1・8キロ・メートル沖合で、漂流物の屋根の上に犬がいるのを、第1管区海上保安本部(北海道)所属の巡視船「つがる」搭載のヘリコプターが発見し、約1時間後に保護した。

 地元の第2管区海上保安本部(宮城県)によると、ヘリは、津波による行方不明者を捜索するため洋上を飛行。犬に近づいて救出しようとしたが、別の漂流物に飛び移り逃げてしまったため、つがるに乗船していた第3管区海上保安本部(横浜市)所属の特殊救難隊が保護した。

 犬は首輪をしているものの、飼い主の住所などは書かれていない。

 現在は、つがるの船内で、水やビスケットを与えられ、おとなしくしている。大きなけがや衰弱もないという。
最終更新:4月2日(土)13時18分



【動画】菅首相の震災後会見

記者会見する菅直人首相=1日午後6時6分、首相官邸、飯塚悟撮影
 菅直人首相は1日、首相官邸で記者会見を開き、東日本大震災の被災地再生の街づくり構想を明らかにした。有識者や被災地関係者の「復興構想会議」を設置して具体策を練る。月内に補正予算案をまとめ、超党派の態勢づくりもめざす。

 首相は「すばらしい東北、日本をつくるという夢を持った復興計画を進める。世界で一つのモデルになるような新たな街づくりをめざしたい」と強調。被災地の首長らの意見を踏まえ、「山を削って高台に住むところを置き、海岸沿いの水産業(会社)、漁港まで通勤する」「植物やバイオマスを使った地域暖房を完備したエコタウンをつくり、福祉都市としての性格も持たせる」などと構想を説明。漁業を中心とする1次産業再生を掲げた。

 首相は11日までに土地利用の専門家や被災地関係者らによる復興構想会議をつくる考えを示した。会議では街づくりのほか、被災地の国有化を含めた土地利用なども議論する。首相は「野党各党の力を借り、ともに計画を立てていく形が生まれることを切望する」と呼びかけた。

 低地の住宅を高台に移す案は、首相が電話で話した岩手県大船渡市の戸田公明市長から要望があった。バイオマス活用や林業再生は首相の持論でもある。民主党の復旧復興対策基本法案も、集落の集団移転支援や国による被災地の買い上げ、復興の際の土地所有権制限を提言している。

 ただ、被災地を国有化するには、被災自治体や住民らと十分な調整が必要で、住宅用地の確保も課題だ。首相も会見で「地元あるいは土地所有者の方の合意も含めた中でなければ進まない」と述べた。

 首相は緊急の復旧事業について、がれき撤去や被災者の仮設住宅建設、雇用確保策の必要性を指摘。「今月中に第1次補正(予算案)の中身を固めて国会に提出したい」と語り、その後も数回にわたり補正予算を組む考えを示した。

 首相は東京電力福島第一原発の事故への対応について「長期戦も覚悟する」と述べた。国も原発事故の補償で応分の負担をする考えを示し、東電の今後のあり方については「基本的には民間事業者として頑張っていただきたい」と語った。

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原発事故、国内の経験総動員を…専門家らが提言
読売新聞 4月1日(金)20時43分配信
  福島第一原子力発電所の事故を受け、日本の原子力研究を担ってきた専門家が1日、「状況はかなり深刻で、広範な放射能汚染の可能性を排除できない。国内の知識・経験を総動員する必要がある」として、原子力災害対策特別措置法に基づいて、国と自治体、産業界、研究機関が一体となって緊急事態に対処することを求める提言を発表した。 [ 記事全文 ]

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岩手・大槌、ゼロから出発 町長失い役場機能もなくす

 町長や多くの職員が津波で命を落とし、役場機能を失った岩手県大槌町が、復興に向けて本格的に動きだした。町制施行121年目。長い歴史を持つ町は新年度、ゼロからまちづくりを始める。

 役場は2階建ての庁舎が水没し、町中央公民館で業務に当たっている。町は地域防災計画に基づき4月1日、現在の緊急初動特別班7班を、通常の10部体制に移行。4月上旬には大槌小校庭に仮庁舎が建つ予定だ。

 公民館で一部の行政サービスが再開した3月19日朝、窓口に若い男性が一番乗りで駆け付け、出生届を提出した。「この町でこの子が生まれた証しにしたい」。震災直前に誕生し、役場の業務再開を待っていたという。
 応対した女性職員は「町を諦めない若い人がいる。この町はやり直せるかもしれないと思った」と振り返る。

 とはいえ、再建には難題が山積みだ。
 町は津波で約1万5000人の住民基本台帳、固定資産課税台帳など基本的な住民データを失った。住民票の発行さえストップしたまま。町によると、救いは国や県、管理会社などに部分的なデータが残ること。役場にあったハードディスクも海水に漬かったが、データが復元できる可能性があるという。
 マンパワー不足も深刻だ。震災で加藤宏暉町長が犠牲になり、町職員の死亡、行方不明は課長級7人を含め32人に上る。震災前の職員136人は、新採用13人を入れても107人に激減した。
 当面は町外からの応援に頼る。岩手県は大阪府など県内外の自治体から受け入れた職員を常時20人近く、町に投入。土木や医療の専門職員の長期的な派遣も検討する。
 県広域振興局は「現状では町職員に交代要員もいない。町が自立できるまで人員面でも支えていく」と説明する。

 基幹産業の漁業も壊滅的な被害を受けた。県によると、大槌町漁協の組合員726人が所有するワカメやホタテの養殖施設計910基はほぼ全滅したとみられる。
 町産業振興課の佐々木健上席主査(1日付で生涯学習課長)は「町だけでは対応できない。国がどう漁業再生のプランを示すのかを注目している」と支援に期待する。
 震災による大槌町の死者・行方不明者は1570人(3月30日現在)に上る。
 町長の職務代理者を務める東梅政昭副町長は「前例踏襲はもう効かない。住民、町、県、国、それぞれが支え合う自治の基本に立ち返る必要がある。より良い町をつくっていくことが生き残った者の務めだ」と語った。(菊間深哉)

河北新報  2011年4月1日金曜日
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30キロ圏9県立高、間借り・通信教育で再開へ

 放射能漏れ事故が起きた福島第一原発の半径30キロ圏内にあり、避難・屋内退避指示区域の県立高校9校に通う生徒の教育機会を確保するため、福島県教委は転入学に加え、他校の校舎を間借りして授業を行う「サテライト方式」を採用する方針を固めた。

 同方式に参加できない生徒については避難先で自習する「通信教育」を検討する。役場機能を移転した、第一原発の立地町や周辺の8町村も、新学期に向け、小中学生の転入の受け入れ先探しに腐心している。

 県教委によると、第一原発から半径20キロ圏内の避難指示区域には、浪江、双葉、富岡、双葉翔陽、小高商、小高工の6校、半径20〜30キロ圏の屋内退避指示区域には、原町、相馬農、浪江高校津島校の3校があり、いずれも再開の見通しは立っていない。

 このため、他の県立高校の校舎の一部を借りて授業を行う「サテライト方式」が妥当と判断、各校の生徒の避難先を調べながら、高校の選定を進めている。授業に必要な設備を考慮し、工業高校は工業高校の校舎を、商業高校は商業高校の校舎を利用する方向だ。サテライト方式を基本とするが、非常時だけに生徒が自習した上で教員が添削する通信教育の実施も視野に検討している。

 さらに、各地に散らばった被災地の高校生から転校の要望が相次ぐことも予想されるため、県教委が2006年に県立高校に通知した「1%を限度」とする定員枠の拡大も検討中だ。

 小中学生の転入についても、各自治体が折衝を続けている。

 550人の児童・生徒がいる双葉町は、埼玉県加須市など住民の避難先に転入の受け入れを要請。浪江町や広野町、葛尾村も避難先の自治体での受け入れを求めている。

 郡山市に役場機能を移転している川内村は、郡山市内の空き校舎に学校を一時的に移転することを検討。石井芳信・村教育長は「郡山市に空きはあるので移転は期待できる」と話し、見通しが立ちつつある。

 楢葉町は、役場機能を移転している会津美里町内の学校に転入させる予定。数が正確に把握でき次第、転入先を決めるという。

読売新聞   2011年4月1日
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明治・大正
298.明治を支えた「賊軍」の男たち (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一 (2010/12/21)

幕末維新
24. 坂本龍馬 その偽りと真実 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/10/6)
29. 偽りの明治維新―会津戊辰戦争の真実 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2008/1/10)
67. 奥羽越列藩同盟 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 1995/3)
101. 会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか (ベスト新書) 星 亮一
118. 偽りの幕末動乱 (だいわ文庫) 星 亮一 (文庫 - 2009/5/8)
140. 謀略の幕末史 幕府崩壊の真犯人 (講談社プラスアルファ新書) 星 亮一
164. 会津戦争全史 (講談社選書メチエ) 星 亮一 (単行本- 2005/10/7)
193. 会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2003/12)
198. 戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 星 亮一 (文庫 - 2010/8/4)
212. 白虎隊と二本松少年隊―幕末を駆け抜けた若... 星 亮一 (単行本 - 2007/4)
227. 幕末の会津藩―運命を決めた上洛 (中公新書) 星 亮一 (新書 - 2001/12)
268. 会津藩VS薩摩藩 (ベスト新書 185) 星 亮一 (新書 - 2008/7/9)
295. 長岡藩軍事総督 河井継之助―武士道に生きた最後のサムライ (ベスト新書) 星 亮一



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2011年4月1日(金) 原発
避難渋滞、津波被害を拡大 促しても車降りる人少数2011年4月1日17時32分
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 東日本大震災の地震の直後、被災各地で渋滞が起こり、車列ごと津波に流されていたことが、生存者らの証言で分かった。車による避難は渋滞を招いて被害を拡大させるという防災関係者の懸念が、車社会を襲った初の大津波災害で現実となった。

 宮城県警によると、津波の被害の大きかった宮城県名取市では地震直後、海岸線に並行して延びる県道の渋滞が確認されている。

 同市に隣接する仙台市若林区の渡辺静男さん(59)は、避難場所の小学校へ駆け足で向かう途中、信号の消えた県道交差点で車が立ち往生しているのを見た。警察官は車をたたいて避難を呼びかけたが、車を捨てて逃げる人の姿は見なかった。小学校に駆け込むと同時に津波が到来。校舎は3階まで水没し、車列が濁流に流されていたという。

 同県石巻市や気仙沼市、岩手県釜石市でも、被災者が渋滞を目撃したり体験したりしている。

 釜石市では、国土交通省の港湾事務所付近の国道が渋滞した。職員によると、同事務所の屋上に避難するよう、同僚が拡声機で車列に向かって叫んだが、応じた人は少数だったという。

 知人の車で避難しようとした気仙沼市の渡部せつ子さん(82)は、渋滞中に濁流にのまれた。車ごと家に乗り上げ助かったが、「車から離れるなんて思い付かなかった」と語る。近所にある魚市場の高さ約10メートルの屋上に避難した約600人は津波の被害を免れた。

 災害時の心理に詳しい東北大の邑本(むらもと)俊亮(としあき)教授は「緊急事態で人は正常な判断力を失い、最初の判断を変えづらくなる。渋滞に巻き込まれても、車を降りる決断は難しいだろう」と言う。

 一方、福島県相馬市の佐藤勇一さん(61)は、車で命拾いした。住んでいた集落はほぼ壊滅。自宅から最も近い高台へは1キロ以上あり、「病気の妻と徒歩で逃げたら、間違いなく死んでいた」という。

 震災では、宮城県だけで約14万6千台の自動車が津波で流された。邑本さんは「避難弱者に車を譲り、自力で逃げられる人は車に頼らないことで、被害は減らせるはず。そんな行動を促す社会教育が急務だ」と話す。(乗京真知、長野剛、荒海謙一)

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関連トピックス地震<東京電力>政府管理へ 公的資金を投入
毎日新聞 4月1日(金)2時33分配信


東京電力本店=東京都千代田区内幸町で、内田剛樹撮影
 政府は31日、東日本大震災に伴い福島第1原発で深刻な放射性物質の漏えい事故を起こした東京電力について、公的資金による出資を通じて政府管理下に置く方針を固めた。政府高官は同日「国が一定程度(経営に)関与するため出資する形になる」との見通しを示した。公的債務保証も検討する。長期化する福島原発事故の対応を徹底し、周辺住民らへの巨額の賠償訴訟に備えるとともに、日本経済や国民生活に不可欠な電力供給の安定を図るには、東電の政府管理が不可欠と判断した。

 福島第1原発は、大震災と大津波で原子炉の炉心冷却機能が停止。炉心が溶融するなど米スリーマイル島での原発事故をしのぐ、深刻な放射性物質の漏えい事故となった。事態収拾に向けた冷却機能の復旧作業は難航しており「(原子炉が)最終的に安定するにはかなりの時間がかかる」(東電の勝俣恒久会長)見通しだ。

 東電は31日、事故対応と電力供給事業の継続に必要な資金を賄うため、メガバンク3行などから約1兆9000億円の緊急融資を受けた。しかし、炉心の冷却機能復旧にこぎ着けたとしても、同原発1〜4号機の廃炉に向けた費用や、損害賠償などに巨額の負担を迫られるのは確実。特に避難を強いられた原発周辺の多数の住民や農漁業者らへの損害賠償は数兆円単位に上ると見込まれ、東電独力では負担しきれない可能性が高い。

 原発事故に適用される原子力損害賠償法には「異常に巨大な天災や社会的動乱」時に電力業者の賠償責任を免責する規定もあるが、政府高官は31日「免責はあり得ない。国民感情が許さない」と適用を否定。国が支援する場合にも、東電に相当程度の負担を求める考えを明らかにした。

 一方、出資規模について、同政府高官は「(出資比率が)半分を超えたら国有化になる。その規模ではやらない」と完全国有化することには否定的な姿勢を示した。

 東電に対する今後の対応に関連し、菅直人首相は31日、サルコジ仏大統領との共同記者会見で「事故が収束した中で、今後の電力会社のあり方も、存続の可能性も含めて議論が必要になる」と述べた。【山本明彦、宮城征彦、青木純】

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震災の呼称、閣議で「東日本大震災」に
読売新聞 4月1日(金)17時40分配信

 菅首相は1日午後、首相官邸で記者会見し、今回の震災の呼び名を「東日本大震災」とすると発表した。持ち回り閣議で決定した.


大船渡・綾里の津波26メートル リアス式で増幅

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 東日本大震災の大津波を調査している土木学会津波痕跡第1期調査団(代表・佐藤慎司東大教授)は29、30の両日、大船渡市三陸町の綾里湾を調査し、津波の痕跡高25〜26メートルを観測した。局地的には29メートルに達した場所もあった。リアス式海岸の地形で波が増幅し、海岸から低地が広がる市街地で甚大な被害を受けたことが調査から分かった。

 綾里湾は横浜国立大と東京大のチームが調査。海に面した崖などに残った漁具やビニールなどを目印に、海面からの高さを計測した。

 綾里湾はリアス式海岸特有の陸に向かって狭くなる地形。湾奥ほど波が集まり増幅したという。湾奥の崖には25〜26メートルの津波痕跡が確認され、局地的に29メートルの地点もあった。最大波の前には海底が見えるほどの引き波があったという。

 横浜国立大の佐々木淳教授(海岸工学)は「三角形の地形により、20メートルほどの波が湾奥に進むことで集まり非常に大きい津波となった」と説明する。

 横浜国立大と東京大の調査チームは釜石市、大槌町、大船渡市を調査。釜石市・両石湾は17・7メートル。湾口防波堤があった釜石と大船渡港は10〜11メートル程度で、波は抑えられたが被害を防げなかった。

 大槌湾は河口付近で12・6メートル。低地が広がる同町中心部は大きな被害を受けた。

 東京大の田島芳満准教授(海岸工学)は「ハード整備だけでは限界があり、ソフトと組み合わせた対策が必要。有効だった対策などを調査結果から詳細に分析したい」と語る。

、九死に一生 大船渡の山下さん

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   「想像をはるかに超えていた。津波を甘く見ちゃいけない…」。大船渡市三陸町綾里の津波災害史研究者、山下文男さん(87)は陸前高田市の県立高田病院に入院中に津波に遭い、首まで水に漬かりながらも奇跡的に助かった。これまで津波の恐ろしさを伝えてきた山下さんですら、その壮絶な威力を前に言葉を失った。「全世界の英知を結集して津波防災を検証してほしい」。声を振り絞るように訴えた。

 「津波が来るぞー」。院内に叫び声が響く中、山下さんは「研究者として見届けたい」と4階の海側の病室でベッドに横になりながら海を見つめていた。これまでの歴史でも同市は比較的津波被害が少ない。「ここなら安全と思っていたのだが」

 家屋に車、そして人と全てをのみ込みながら迫る津波。映像で何度も見たインドネシアのスマトラ沖地震津波と同じだった。

 ドドーン―。ごう音とともに3階に波がぶつかると、ガラスをぶち破り一気に4階に駆け上がってきた。波にのまれ2メートル近く室内の水位が上がる中、カーテンに必死でしがみつき、首だけをやっと出した。10分以上しがみついていると、またもごう音とともに波が引き、何とか助かった。

 海上自衛隊のヘリコプターに救出されたのは翌12日。衰弱はしているが、けがはなく、花巻市の県立東和病院に移送された。後で聞くと患者51人のうち15人は亡くなっていた。

 「こう話していると生きている実感が湧いてくる」と山下さんは目に涙をためる。「津波は怖い。本当に『津波てんでんこ』だ」

 「てんでんこ」とは「てんでんばらばらに」の意味。人に構わず必死で逃げろ―と山下さんが何度も訴え全国的に広まった言葉だ。

 9歳だった1933(昭和8)年、昭和三陸大津波を経験したが「今回ははるかに大きい。津波防災で検討すべき課題はたくさんある」と語る。特に、もろくも崩れた大船渡市の湾口防波堤について「海を汚染するだけで、いざというときに役に立たないことが証明された」と主張する。

 同市の湾口防波堤は60年のチリ地震津波での大被害を受けて数年後に国内で初めて造られた。「津波はめったに来ないから軽視されるが、いざ来ると慌てて対応する。それではいけない。世界の研究者でじっくり津波防災の在り方を検証すべきだ」と提言する。その上で「ハード整備には限界がある。義務教育の中に盛り込むなど不断の防災教育が絶対に必要だ」とも語る。

 1896(明治29)年の明治三陸大津波で祖母を失った。今回の津波で綾里の自宅は半壊。連絡は取れていないが、妻タキさん(87)は無事だった。「復興に向けて立ち上がってほしい」。最後の言葉に将来への希望を託した。

【写真=「津波防災の在り方を検証してほしい」とベッドから訴える山下文男さん=16日、花巻市東和町の県立東和病院】


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世界最強!米の“核部隊”140人投入へ…福島第1原発事故
スポーツ報知 4月1日(金)8時5分配信

 東日本大震災による東京電力福島第1原発事故で、自衛隊トップの折木良一統合幕僚長は31日、米軍の放射線管理に精通した専門部隊約140人が近く来日すると明らかにした。放射性物質の探知、被ばく者除染などの知識、能力を備えた“対核”の分野で、世界最強の特殊部隊。緊急事態対応で、即時に現場入りはしないが、最悪すら想定内にし、危機に備える。また、この日、冷却用の真水を積んだ米軍提供の台船1隻が原発の岸壁に接岸。物資、人員ともに、米軍の協力態勢は本格化してきた。

 危機的状況の原発に世界最強部隊が、派遣される。来日するのは、米軍海兵隊に所属する化学、生物兵器攻撃、事故に対応する特殊部隊。「ケミカル・バイオロジカル・インシデント・レスポンス・フォース」の頭文字を取り「CBIRF」と呼ばれる。核兵器、事故への対応も任務で、被ばく者の除染、放射性物質の管理などの専門知識、能力を備えている。

 部隊の公式サイトによると、事故現場で汚染レベルを調査するチーム、治療を行うチームなどに分かれる。今回は初動対処の約140人が来日するという。来日直後は現地入りせず、まずは自衛隊と情報交換する。拠点とする基地、派遣時期は調整中だという。

 折木幕僚長は「あくまで緊急事態に対応するためで、そうならないよう願っている」と強調した。ただ、派遣人数は所属隊員(約450人)の約3分の1に相当し、事故の大きさを示す。21日に折木幕僚長と会談した米太平洋軍トップのウィラード司令官は「日本政府の判断次第で、いつでも(部隊を)出せる」としていた。先遣隊9人は既に来日済み。“本隊”投入に踏み切ったことは、日米ともに「緊急事態」も想定するほど、現状を重く見ている証しともいえそうだ。

 31日午後には、原子炉等を冷却するための真水を積んだ米軍提供の台船2隻のうち1隻が、原発の岸壁に接岸した。約1100トンの真水を積載。もう1隻の到着を待ち、注水準備を行う。真水用の原発タンクの容量は約3500トンで、近くのダムから取水するが、米軍船はそれを補う。米軍は機器への影響が心配な海水から、真水に切り替えるよう強く要請していた。

 事故では、米軍は無人偵察航空機「グローバルホーク」を既に投入。上空から原発の状態を撮影し、自衛隊に提供してきた。また、爆発物処理等に使うロボットの投入も計画される。事態の深刻さが増すとともに、日米の協力作戦の規模は大--------------------------------------------------------------------
▽原発ニュースを読んで
          
 これまで報道されてきた福島第一原発のニュースを読んで、今どの様な状況なのか、今後どのようになるのか、どれくらい続くのかを筆者の私見で大胆に予想してみようと思う。

▼ 福島第一原発の現状 3月30日(水)
 現在福島第一原発は、1号機から4号機までが未だ予断を許さない状況となっている。本来の冷却系ではない、綱渡りの注水や放水でなんとか温度の上昇を食い止めようとしている。各炉の中央制御室へは外部から電力が引かれ照明が点灯した。電力がきて、本来の冷却系の可動に向けて大きな一歩となったかに思えたが、タービン建屋と呼ばれる原子炉に併設されている建物とその外で、高濃度の放射性物質に汚染された水たまりが発見された。しかも1号機から4号機まで全てである。この汚染水を取り除かなければ、冷却ポンプの電源復旧作業ができない。よって、現状ではその汚染水の排水作業を行っている段階だ。
 さてこの汚染水、放射性物質の濃度が非常に高く、通常原子炉が運転中に燃料を直接冷やしている冷却水と呼ばれるものよりも10万倍も強い放射能を持っているという信じがたいレベルであった。
 
▼ 現状から推測されるもの
 汚染水から、わかることを整理したい。2号機の水たまりの通常時の10万倍は、簡単にはそのような濃度にならないだろう。これは、燃料棒と呼ばれる、原子炉の燃料となるものを直接冷やす水が、漏洩してきている可能性が高い。また、ヨウ素131やセシウム137などの報道されている放射性物質は基本的には自然には存在せず、核燃料から放出される。しかし通常核燃料は、被覆管と呼ばれるもので覆われており、それらのヨウ素131などの放射性物質が燃料棒の外へ出ることはない。今回の事故では、燃料棒の融解が発生しており、それを食い止めるため必死に水をかけ冷やしていたのだ。燃料棒が一部融解し燃料が直接露出しているため、放射性のヨウ素やセシウムが出ているのだ。そうして燃料から出てきた放射性物質が冷却水に溶け、それがどこかからか漏出しているということだ。基本的には原子炉は燃料→燃料被覆管→圧力容器→格納容器→原子炉建屋という構造でできている。放射性物質は格納容器から出ないようにできれば、周りへの影響はほぼないと考えられる。2号機では圧力抑制室という格納容器と繋がっている部分の破損が疑われている。
 2号機以外の1号機、3号機、4号機での放射性物質の汚染水は、燃料に直接触れた水ではなく、配管等から漏れた気体として、放射性のヨウ素等が漏れてそれが溶け込んだと推定されている。

▼ 今後の展開
 今後の展開としては、一歩一歩着実に電力を復旧して冷却ポンプを動かし、現在、燃料棒の水からの露出をしている部分まで水を戻し、安定した燃料の冷却を行う必要がある。その後、安定した冷却状態になったら、(これを冷温停止状態という)現在どこから放射性物質が外へ漏洩しているのか、調査する必要がある。もし可能であれば破損箇所を修復し放射性物質を閉じ込める。しかしこれができない場合は、放射性物質は漏れ続けることとなる。
 配管などの漏洩箇所は、放射性物質が出ているところで、非常に放射線量が高いことが容易に予想される。このようなところの修理は人が近づいて作業を行うのは困難だろう。
 現在こうした放射性物質が漏れ続けることを防ぐため、原子力施設敷地から少しでも拡散しないようにする対処の検討が始まった。布で建物を覆うことや粉塵の拡散を抑えるように水溶性の液体を散布する方法だ。
 燃料の冷却は、冷え切るまで、通常3年以上かかると言われている。その間、今の炉の中から動かすことはできないだろう。また、燃料を移動させるには、原子炉建屋の復旧も必要となる。放射性物質の漏出箇所を修復できなければ、その間ずっと放射性物質が出続けてしまうこととなり、何らかの手段で対策を講じなければならない。どの様な方法にせよ、すぐにできるような作業ではないため数ヶ月といった期間で放射性物質が完全には封じ込めできない状況が続くと思われる。全ての燃料が冷え、原発施設から取り除かれたら、その後ようやくコンクリートで原子炉を固めることができる。この段階でようやく事故の処理が終わったと言える状態になる。
 このように冷却も考えれば年単位のものとなり、長期に見守っていく必要がある事故であることは間違いないだろう。

47NEWS 2011年3月31日
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「自慢の息子、悪者なのか」 思い複雑、連絡待つ 

 危機的状況が続く東京電力福島第一原発で東電や協力企業の社員が連日、決死の復旧作業に当たる。県内の避難所にいる家族は、原発事故の早期終息と社員の無事を祈り続ける。
 福島第一原発から約60キロ離れた福島市の福島西高体育館。浪江町の自営業、佐藤安志さん(69)と妻敬子さん(67)は蛍光ペンを片手に原発関連の新聞記事を確認する。2人は敷地内の免震重要棟で作業する東電社員の長男勝志さん(43)からの連絡を待ち続けている。
 30日午前6時。くまなく記事に目をやり、蛍光ペンで印を付ける。体育館に届いた各紙のチェックが2人の毎朝の日課。恐る恐るページをめくると、事故の悲惨さを伝える大見出しが並ぶ。日に日に不安が高まる。
 15日に着の身着のまま車1台で逃げてきた。「東電は何をやっているんだ」「早く終息させろ」。避難所では、テレビを見る同じ被災者の怒号に近い叫びが自然と耳に入ってくる。そのたびに複雑な心境になる。「一生懸命働いている息子は悪者なのか」
 福島第一原発の第一運転管理部発電グループに所属する勝志さんは地震発生翌日の12日、原発に向かった。それ以来、会っていない。19日と25日に電話があった。「俺は大丈夫。避難所は寒くないか?」。3分程度の短い会話だったが、普段と変わらぬ電話越しの息子の声−。本人の方が大変なはずなのに心配を掛けまいとする気遣いに返す言葉が出てこなかった。
 床に毛布一枚を敷き、一日二食の食事、基準の何万倍もの放射能。事態の悪化と劣悪な環境を知らせる報道が不安に追い打ちを掛ける。それでも、息子の無事と原発事故の早期終息を信じ、祈り続ける。
 震災後から、蛍光ペンで印を付けた原発関連の記事は数十カ所を超えた。「次はいつ電話が来るのだろか…」。安志さんは原発事故の先行きが見えない中、ペンを握り続ける。「なんと言われようと、自慢の息子だ。帰ってきたら飯をたらふく食べさせてあげたい」
【写真】原発関連の記事確認が日課になっている安志さん(右)と敬子さん=30日午後4時35分ごろ、福島市・福島西高体育館

福島民報  2011年3月31日 
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その時、水素爆発が起きた…協力会社社員が証言

. 福島原発
 東日本巨大地震で、東京電力福島第一原子力発電所の1号機と3号機で発生した水素爆発の際の原発内の様子が、東電の協力会社社員の証言で明らかになった。

そこには、突然の爆発に動揺しながらも、次第に落ち着きを取り戻し、危機回避に全力で取り組む作業員らの姿があった。

 ◆圧力上昇◆

 協力会社の男性社員は11日午後2時46分、原発の敷地内にある建物で激しい横揺れに見舞われた。おびえた女性作業員が泣き出した。揺れがおさまり屋外に出ると、作業員が大勢施設から出てきていた。約30分後、海の方から「ゴー」という音が聞こえた。津波だった。

 1号機から300メートルほど離れた免震重要棟2階の「緊急時対策室」に現地対策本部が設置され、原発所長をはじめ、東電や協力会社の社員ら約300人が集まってきた。部屋の広さは学校の体育館の半分くらい。壁には大小のモニターがあり、東電本社内の様子も映し出されていた。

 「圧力が上がっている」「(放射)線量は○シーベルト」。作業員が慌ただしく出入りし、全員に情報が伝わるようマイクを使って現場の様子が逐次報告される。

 作業員らは、原子炉やタービン、救護など20〜30人ずつの班に分かれた。異常に上昇した原子炉の格納容器内の圧力をどう下げるかが緊急の課題となり、ある班では、テーブルに図面を広げ、弁を開いて圧力を減らすベントの方法について議論を交わしていた。「圧力がこのまま上昇し続ければ、耐えられなくなる。早くベントをしないとダメだ」という声が聞こえた。

 夜が明けても、状況は好転しなかった。12日朝、視察に来た菅首相と廊下ですれ違った。

 ◆「地震か」◆

 午後3時36分頃、「ボン」という音がして、免震棟が揺れた。床に座っていた体が一瞬、浮き上がった。「直下型の地震か」。状況をつかめずにいると、モニターから流れていたニュースで白煙を上げる1号機が映し出された。水素爆発だった。

 「けが人がいる模様。救急車要請!」「線量をすぐに確認しろ!」。怒号が飛び交う。救急車のサイレンが聞こえる。

読売新聞   2011年3月31日 
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